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76 じゃあ、米を炊かなきゃ

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     ◆じゃあ、米を炊かなきゃ

 公爵家の顔合わせが済んで、三日後。
 殿下が婚約の報告を陛下にする。その前日なのですけど。
 朝食の折にレギが言いました。
「みなさん、本日ミレージュ公爵様が北の館にお見えになります。そして、スケジュールといたしましては。今晩はこちらにお泊りになり。明日は使用人を入れ替えた後宮の視察。それとともに、ジョシュア王子は後宮にお戻りになります」
「えええええええっ」
 不満の声をあげたのは、ジョシュア王子です。
 持っていたパンを取り落とすほどの驚きようです。
 ちなみに今日の朝食は、パンとサラダとスクランブルエッグ。厚切りハムのソテー。という簡単メニュー。
 簡単と言っても、品数は日本にいるときよりだいぶ多い。
 王族に出すものだから、手抜きはできないけど。
 簡単に済ませたいときもあるでしょ?

「そして視察のあとに、殿下とタイジュ様の婚約報告の場に出席される予定です」
 レギは王子の叫びをスルーして、公爵の日程を言い切った。

「いやだぁ、私はもう少しここで暮らすのだっ。いや、もう兄上の館に住むのだっ」
 王子は唇を突き出して涙目になるが。
「王子は十日もこちらに御滞在して。母上様から離れて過ごされたことはとてもえらかったですよ。しかしマリアンヌ様もそろそろお寂しいのではありませんか?」
 フォローするように俺は言うが。
 王子の唇はアヒルのように突き出たままだ。
「だって。ここにはコエダがいるし。兄上のおうちは楽しいのです」
「また遊びに来ればいいのです。そうやってみなさん、お友達になるのですよ。誰もにおうちがあって、ずっと一緒にはいられないけど。おうちに帰って、朝になったらまた会って、遊ぶのです」

「ノアも? ノアもおうちに帰っちゃうの?」
 王子に聞かれて、ノアはアンドリューさんをあおぎ見る。
「ノアも、夜になったらツヴァイクの屋敷に帰ります。王子の警護は二交代制になります」
 北の館に王子がいるのは、イレギュラーなので。ノアとアンドリューさんは住み込みみたいな形になったけど。
 後宮での勤務体系はしっかりと決まっているのだろうね。
 ノアはまだ子供だし。後宮に住み込みで、というのは難しいのだろう。

 しかし、その話にショックを受けた王子は。
 ひぇぇぇぇっ、という声を発して泣き出した。
 あぁ、この館に来てから泣いたことはなかったのにな?
 マリアンヌ様は、泣いたら帰ってくればいいなんて言っていたけど。
 それは現実にはならなかったのだ。

 ノアとも離れるのが悲しくなるのだから。
 この三人は、この十日ですっかり仲良しさんになったんだろうね?
「王子、泣かないで。今日はいっぱい遊びますよ。遊びだめをしましょう。楽しいことをいっぱいするのぉ。だから泣いていたらもったいないですよ?」
 王子の背中を小枝が手でナデナデして慰めている。
 小枝も王子と少し距離が縮まったかもね?
 前世のことで毛嫌いしていたけど、少し心を開いたみたいだ。

 ま、子供たちのことは子供たちに任せて。
「公爵が来る…じゃあ、米を炊かなきゃ。馬鹿みたいに」
 もう、普通に一升くらいは炊かないと間に合いません。一升って単位はこちらにないけど。
 ま、分量はいつも適当にやってます。
 多く作る分には、余ったら騎士様が食べてくれるので。問題なし。
 食材を無駄にしないスタンスです。

 でも。父さんに日本食を食べさせてあげたいし。
 王子のお別れ会でもあるので。

 今日は料理の仕込みをやるぞぉぉ。

     ★★★★★

 昼には父さんが来るというので。
 昼食は日本食にしようと思います。
 慣れた様子でご飯を炊いております。鍋で作るのでたまにおこげができるけど、それはそれでよし、みたいな?

 そして、鰹節かつおぶしを削ってお湯に入れ、沸かして出汁を取ったもので味噌汁を作ります。
 削るのはカンナなんてないから、ナイフでやっていますけど。
 こちらの世界の刃物はよく切れるので。すいぃーっとすると薄い花ガツオになりますよ。

 今日はジャガイモと玉ねぎの味噌汁。
 日本の味噌汁といったら、俺はわかめと豆腐が具の味噌汁を思いつくのだが。
 さすがに豆腐は手に入らないからなぁ。生ものだし。
 野菜の味噌汁がメインになるね。小枝には不評だけど。

 あと付け合わせに、かぼちゃとそぼろの甘辛煮を作っておきます。
 かぼちゃを手ごろな大きさに切って、水につけて放置。
 なんか、煮崩れ防止にいいらしいよぉ。
 鍋でひき肉を軽く炒め、そこにかぼちゃを入れて、ひたひたになるくらいに残しておいた出汁を入れて煮る。
 かぼちゃが柔らかくなったら、醤油、酒、みりんを入れる。
 水分が飛んで、照りが出て、かぼちゃがほっこりしたらオッケー。
 これは素材が美味しければ絶対美味しくなるから簡単だ。
 あと、おふくろの味だから。父さん号泣必至だ!

 そして、メインはおにぎりです。
 おにぎりの定番は、鮭と梅干だけど。あと海苔のりは、ないんだよねぇ。
 なので。昆布の佃煮つくだにを中に入れた塩おむすびと。オカカのおむすびと。野沢菜の漬物があるから、海苔の代わりに野沢菜の葉っぱを巻いたおむすびを作ります。
 ま、ひたすら握るだけだけど。
 オカカはね、ご飯に鰹節の削ったのを入れて、醤油とマヨネーズを入れて。味付けをする。
 マヨの代わりにバターを入れる家が多いようだけど。
 うちは、マヨなんだよね? カツオの旨味が引き立って、コクがあって美味しいんだ。

 で、俺はハッカクにおにぎりの握り方を教えて、手伝ってもらっています。
 ハッカクは手が大きいから。少し控えめな量で握ってもらう。
 だって、サッカーボールみたいなおにぎりになりそうだもんな?

「タイジュ様、こんな感じで大丈夫ですか?」
「うん、ギュッてなってて美味しい。塩加減もちょうどいいから、このままの感じで握って?」
 執事見習いのハッカクは、とても熱心に仕事をしていて。
 器用だから、のみ込みが早いってグレイが褒めているよ。

 そのグレイは。公爵の部屋を用意しているところ。
 レギは殿下についている。
 なので、俺たちふたりで料理を一生懸命作っていたのだ。

「王子が後宮に戻ったら、ノアも北の館から出てしまうね? さみしくなるね、ハッカク」
 明日には、ノアはこの屋敷を去ってしまうから。
 ハッカクも心細いんじゃないかって、聞いてみた。
 でも、ハッカクは余裕の笑みでおむすびを握りながら言うのだ。

「いいえ、ノアは一生懸命働いているので。元気なことがわかっているので。俺は心配はしていませんよ。あとはノアが、己の大事なものをみつけて、明るく元気に暮らしてくれたらいい」
「それはアンドリューさんの元でみつけられたんじゃないかな?」
「そうですね。だから俺は。もしノアになにかがあったときに受け止められるよう、足場をしっかりさせることに専念する、って感じですかね?」
「いいんじゃないか? 己の足で立って生活できるってことが、一番の幸せかもしれないよね?」

 ハッカクは十代だけど、なんか、俺よりもしっかりしているように感じて。
 ニッコリ笑い合ってはいるが、複雑だ。
 だって俺、五歳の小枝に頼りっ放しだからな。
 小枝と離れて暮らすとか、耐えられないっ。俺がっ。

 なんて話していたら。
「大樹、来たぞぉ」
 厨房に公爵が気安い感じで入ってきて。
 俺はギャッとなる。

「父さん、なに厨房に公爵がナチュラルにはいってくるんですか?」
 案内したグレイも戸惑い顔です。
「なにって、おまえが泡だて器が欲しいって言うからだろう? ほら、こんな感じだったよな?」
 そして金髪碧眼の父さんは、銀のワイヤーがグルグルの、あの泡立て器っぽいものを持ってきてくれた。
「そう、それでぇすっ、おぉ、いい感じぃ」
 俺は父さんから泡立て器を受け取り、ボールを抱えて、ちゃっちゃとかき混ぜてみる。
 卵焼きもさっき作っちゃったから、中身はナシだが。エア混ぜ混ぜ。
 ふふーん、いいんじゃないかっ?

「ありがとう、父さん。これでマヨが短時間で作れるよぉ」
「あぁ、マヨも久しぶりに食べてみたいが。おぉ? 昼はさっそくおにぎりか? 楽しみだなぁ」
 そう言いながら、公爵はすでにつまみ食いをするのだった。
 公爵ともあろう御方が毒見もしないでつまみ食いとか。
 待てないんですね?

「むぅ、昆布のおにぎりかっ、あぁ、米、サイコー。この塩加減、ほんのりとした米の甘み、これこれぇ。かぁっ、このしょっぱみぃ。昆布の佃煮なんて、どこからみつけてきたのやらっ」
「ハッカクが務めていた商会が、海の方で仕入れてきたんですよ」
「というか、なんでご飯が炊けるのだ?」
「コメはパンジャリア国から仕入れてもらっているんです」
「そうじゃなくて、炊飯器がないから、米があっても普通は炊けないだろ?」

 あぁ、なるほど。
 父さんはパンジャリア国は知っていても。米を炊くことはできなかったのかもしれないな?
 まぁまず、公爵は厨房に入らないだろうけど。

「ほら一時期、俺と小枝がキャンプにはまっていたことがあったじゃないですか? アレで、火を起こせたし。ランプも使えたし。ご飯も鍋で炊けたんです」
「キャンプってなんですか?」
 普通に父さんと会話していたら。
 ハッカクが聞いてきて。
 わぁ、なんの気なしに向こうの話しちゃっていたよ。
 父さんの見た目の違和感にも慣れて、親子の会話しちゃってた。
 異世界とか、言っていないよな??

「えっと、野営のことだよ。その、もっとお遊び的な? 俺が前にいたところは、ほぼみんな住居を構えていたので。外でキャンプをするのが娯楽だったんだよ。緑や川や自然に親しんで心を和らげる、みたいな」
「みんな住まいがあるって言っても、俺らのような孤児は野宿だろ? 野宿が娯楽とか楽しいとか、意味わかんね」
 ハッカクはスラムでリーダー的な地位にいたらしくって。
 ノアくらいの孤児たちの面倒を見ていたこともあるみたい。
 その日暮らし、とにかく生きるのに精いっぱい。
 だから、ストリートで苛酷な野宿生活を経験しているハッカクには、キャンプがどういうものかわからないんだろうね?
 まぁ確かに。便利な世の中で、わざわざ不便を楽しむようなところがあるからな、キャンプは。
 なにが面白いのかわからない、っていうのは。人によっては、普通にあると思います。
 母さんとか、誘っても。虫がいやって言って、絶対来なかったもんな。

「孤児は、児童保護施設というところに預けられるのが一般的だったと思う。寝る場所と食事は供給されたと思うよ? 俺は見学とかしたことがないので、聞いたところによるとという感じだけど。国が運営したり、ボランティアとか、でしたよね?」
 俺が父さんに聞くと、公爵はうなずく。
「あぁ。この世界では教会がそういうことを引き受けているな。しかし経営はずさんで。貴族の我らが寄付をしても、子供の腹まで食料が到達しないことの方が多い。そして今回の戦争で親を亡くした子供が増えたから…」
 あぁ、ハッカクのようなストリートキッズが増えるってことか。
 うぅぅ、俺、そういうの嫌いっ。

「あ、俺が王妃になったら。まず児童福祉施設を作ろうかな? 子供が腹を空かせている環境はすぐにもなくしたいよ。あと、奴隷制の廃止も殿下にお願いしよう」
「なんだ、やはり野心があるではないか?」
 公爵に揶揄やゆするように言われ。俺は苦笑する。

「これが野心というのなら、アリアリですね」

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