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67 パパとして、殴る
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◆パパとして、殴る
夜になりまして。今は殿下の私室の居間にて、紅茶をついでいるところです。
夜だから、厨房の火は消えているけど。
殿下が火の魔法でポットのお湯を沸かし直してくれて。深夜だというのに、アツアツのお湯が用意できます。
つか、厨房でもそれで火をつけてくれたら助かるんですけど。
…子供たちは。お泊り一日目のジョシュア王子が。
「ひとりで寝たくなぁい。コエダと寝たぁい」
と駄々をこねたので。
じゃあ、みんなで寝なさい、ということになって。
小枝と王子とノアが川の字で寝ることになりました。
ノアは、庶民の自分が王族と一緒には寝られないです、なんて言っていたけど。
「ぼくも庶民だから大丈夫だよ」
って、小枝が手を引いて。
それを見た王子がズルィィってなって。
またワチャワチャでしたが。
王子が川の真ん中で寝ることになって、収拾がつきました。
あとは、同じ部屋でアンドリューさんが警護し。王子の執事と交代しつつ夜を明かすそうです。
というわけで、小枝は二階の王子の部屋で寝ているのですけど。
……わかっております。これは目の前の事態から逃げている脳内逃避ですよ。
居間のソファで、俺と殿下は対峙しております。
ついさっきまで、いつものように寝台で横なり。
髪をいじったりキスしたりと甘い感じだったんですけどね?
「いつでもおまえを抱きたいが、彼らがいるうちは嫌なのだろう?」
とディオンが言ってくれて。スリーパーを所望した。
俺の気持ちを汲んでくれるので、大変ありがたかったのですが。
ちょっと大事な話があったので、そのあとスリーパーでいいかと聞いたら。
なんだ? って言うからぁ。
ちがう世界から来たってことを、殿下に言ったんだ。
小枝が、殿下が王様になったら処刑回避できるみたいなことを言ったからさぁ。
ディオンに、王様になってくれない? 的に、お願いしたんだよね。
そうしたら、ちょっと眠そうだった目が、ギャンと開いて。
詳しく話せって。
えぇ? スリーパーは?
「寝ている場合かっっ」
だって。ですよね?
というわけで、寝台から居間に移動して、ナァウ。
紅茶をカップに入れて、殿下の前に置き。俺はディオンの対面に腰かけた。
「なんで、そちらなのだ?」
「え? なんとなく」
口をへの字にした殿下が、紅茶のカップを持って立ち上がり。
棚から酒の瓶を取り出してから、俺の隣に腰かけた。
肩が触れ合う距離。顔もそばにある。
「近いですね」
「チュウする距離だ。俺たちはもうチュウする仲になったのだから、構わぬだろう?」
そう言って、ドヤッた顔をして肩を抱き寄せる。
まぁ、そうですけど。
恥ずかしい気持ちっていうのはいつまでもなくならないものなのですぅ。
殿下はカップにブランデーをそそいで。
わぁ、ブランデー入りの紅茶なんて、おっしゃれぇ。俺は一度もそんなシャレたことはしたことがない。
ちょっと楽しみ。どんな味がするのかな?
「おまえがせっかく素性を話す気になったのだからな。その、いつも饒舌な口が、酒を入れてさらになめらかに動くようにしてやる。さぁ、なにもかも、一切合切、洗いざらい、吐いてもらおうか?」
そんな、警察の尋問みたいな事を言わないでもらいたいです。
好きで隠していたわけではないのだし。
「まず、おまえの素性だが。この世界とは違うところから来たと言ったな? ちがう世界ってなんだ? パンジャリア国のように遠いところという意味か? そういえばおまえは、かの国の食べ物が好きだな」
「好きですけどぉ。えぇ? 一番説明しづらいところから来ましたね。うーん、ニュアンスはちょっと違うんですけど、違う星から来た、と言えばわかりやすいでしょうかね?」
異世界というのは、小枝が示したことで。
実は俺もイマイチピンときていないというか。
小枝が見ていたアニメで、そのようなこともあったけど。
あれは本当にお話だろう? リアルで、どう説明したらいいか。悩みます。
「星? 空から降りてきたのか?」
「いえ、どちらかというと、下から? 穴に落ちて…ほら、この前殿下の口の中にあった魔法陣、あれに似た模様が突然足元に出て、気づいたらこの世界にいたのです」
「魔術で召喚されたのか?」
「それが可能なら、そういうことになるんでしょうかね? 小枝が言うには、俺たちがいた場所とは別の世界がここにある。みたいな。だから、ここは異世界だって。だから違う世界から来たと言いました」
説明しててもリアリティーがなくて。
本当に首を傾げながら話をする。
そして紅茶を飲んだ。わ、喉カッとする。ブランデー入れすぎです。
「誰かに召喚されてここに来た。だから親子の入国記録がなく、スタインベルンに突然現れたようなことになったと。そういうことだな?」
「召喚はわからないけど、おおよそそんな感じです。医者の知識も前の世界のものなのです。つか、こんな突拍子のない話、信じてくれるのですか?」
殿下は少し考えるそぶりをしたが。やがて口を開いた。
「突拍子がないとは思わない。やはり大樹と小枝は、女神に遣われし神の手なのだと認識が深まっただけだな。それにこの国には、ときどき聖女なる者がどこからともなく現れて、国を良き方へ導いてくれるという逸話がある。女神フォスティーヌもそのような者だったらしいぞ。スタインベルン王家の始祖なのだ」
へぇ、女神フォスティーヌも転移者だったってことぉ?
と、俺は驚いたのだが。
殿下もハッとした顔をしてこちらを見る。
「もしかして、大樹は聖女なのかもしれないな?」
「いえ、聖女は小枝です。男の子なのに変ですけど」
「…なんだとっ??!」
殿下は紅茶を吹き出すいきおいで驚いていた。
ですよね? 男の子だし。
「クリーンは浄化の能力みたいですよ? 前世、聖女だったことで力を悪用されて、処刑の道をたどったと小枝は思っていて。だから今まで内緒にしていたんです」
「聖女の力で北の館は掃除されていたのか? なんと恐れ多いことだ」
ディオンは額に指を当てて、なやましく首を横に振った。
え? ダメなの?
「聖女は神にも等しい存在だ。その聖女を処刑など、俺には考えられぬ暴挙だが。なぜそのようなことに?」
俺はディオンに。小枝が前世でたどった人生を語って聞かせた。
それは、ディオンが戦場で死んだ世界だ。
ディオンを失ったレギが、絶望の中でジョシュアの従者となり。
兄を失ったジョシュアが、今度は第三王子派の標的となり。
ニジェールの息のかかったローディ子爵(馬鹿兄)に聖女が育てられ。
やがて聖女は、王子の暗殺者として疑惑を持たれて処刑された。
突然召喚され、聖女と崇められた、右も左もわからなかった五歳の子、メイに。小枝に。優しくない物語。
「そうか。小枝の前世は。大樹のように愛情深く守ってくれる者がいなかったから、聖女であるのにそのような末路を迎えたのだな? ジョシュアも、俺が死んで命をおびやかされるようになり。神を信じられぬ者になったのかもしれないな? そして、小枝はもう一度同じ時を生きている。今度はおまえが小枝を守り、そして俺が生きている世界。そういうことか?」
「そうです。すごいですね? 一回でよく納得できましたね??」
俺だって、小枝の話は信じたいけれど、ループという現象がなかなかうまくのみ込めないんだからな。
この世界は。人生は。俺にとっては一回きり。
そういう思い込みがあって。
生まれ変わるのなら、なんとなくわかるのだけど。
同じ時間軸をもう一度、ということが本心では理解できていない。
小枝が、追い込まれるようなことがあったら俺が助ける。
前世と同じ道はたどらない。俺がいる限り、たどれない。
そう思ってしまうのだ。
「納得しているわけではないが、必死に飲み込んでいるのだ。おまえの背景をしっかりと受け止めたいからな」
ディオンは剣を握る分厚い手で、俺の頭を優しく撫でる。
武骨なようで、意外と繊細な動きをして。
俺を安心させたり翻弄したりするのだ。
「しかしこれは、まさに女神の采配だと思うのだが。この件は女神フォスティーヌ的に、俺に話してもよい事柄なのだろうか?」
「へ? 別に、言ってもいいんじゃないですかね? 特に口止めとかされてないし。つか、女神に会ったことないですからね?」
言うと、ディオンは俺を怪しげな目で見てくる。
マジで、普通に、女神に会うとかないでしょ?
ファンタジーが過ぎます。
「…女神の采配でこの地に来たおまえたちが、異世界に帰ってしまうことはあるのだろうか?」
急に、真剣な顔になって。ディオンは聞いてくる。
まぁ、俺も。そこは気になっているところです。
前の世界に帰りたいか? と選ばせてくれるならまだしも。
行きに、有無を言わせず連れてきたように、帰りも強制送還だったら。
女神、殴る。
人の人生なんだと思ってんのってなるでしょ?
つか、すでに小枝の人生を翻弄しているのだから。
パパとして、殴る。
「それは、わからないです。でも、たぶん大丈夫じゃないかな?」
なんでそう思うのか、という。彼の不安に揺れる目を見て。
俺も告げる。
「前世の小枝は、処刑されるまで元の地には戻れなかった。そして今、やり直しをさせられている。つまり、ここは小枝がリトライしている世界です。小枝が、もしくは小枝にやり直しをさせている何者かが、クリアすべきことを果たさないとならない。それはおそらく小枝が生涯をかけてすべきことで。その間、俺たちはここにいるのだと思います」
ディオンは、小さく安堵の息をついた。
「でも。小枝が死んだら、ジ・エンドかもしれない」
俺の言葉に、ディオンはしんなりと眉根を寄せた。
「ここは小枝が生き抜かなければならない世界です。そして俺はその付属品だ。小枝が生き残るためのアイテムかも。とにかく、小枝が死んだら俺もジ・エンド。息子を亡くして、普通に生きていけないし。俺だけが生き残っても、この世界に用のない俺はここからいなくなる。ってこともあるかもしれない」
「許さない」
地が揺れるような不穏な声で。
ディオンは俺の手を、震える手で握る。
まるで、今すぐにここから消える俺を引き留めるように。
「俺が決められることじゃない。そしてこの世に絶対もない。だけど…ディオンが許さないって言うのなら。もしも俺が消えたら、怒ってもいいですよ?」
「嫌だ」
殿下は子供のように俺の体を抱き締めて、すがった。
ギュッと力がこもる、その手を、指先を、背中に感じて。
俺は不謹慎だけど、俺を求めてくれるその手が嬉しくて。
微笑んでしまう。
「ディオン。俺も消えたくない。あなたを残して消えたりしないと、言うことはできないけれど。俺が消えたくないと思っていることは、知っていて」
俺はディオンの青い髪を両手で後ろに撫でつけて。
少し力を入れて俺に引き寄せる。
拗ねた子をあやすように。優しく、ゆるやかにくちづけた。
俺だって。あなたを好いているのです。
唇を離すと、ディオンは気持ちを落ち着けたようで。
名残惜しそうに、もうひとつキスをして。
また話し合いの体勢に戻った。
「それにしても。まさか小枝が聖女だなんて。結構、雑に扱ってしまったような気がしてならない」
「大丈夫ですよ。小枝は殿下を弟のごとく可愛がっております。それに小枝は聖女ではなく、俺の大切な息子。それだけですよ?」
「あぁ、大樹と結婚したら、聖女が俺の息子にぃ。恐れ多いいぃ」
ディオンはまたソワソワオタオタした。
落ち着いて。
「だから聖女のことは忘れてくださいってば。小枝は小枝です。聖女だからってぇ、特別扱いしたり、変に拝み倒したりしないでくださいね? なんか、汚れた獣が将来出てくるみたいだけど、その聖女の力が必要になるときが来るまでは、ディオンも普通に接して。あと内緒にしてくださいっ」
濃いブランデーが入った紅茶を飲み干して。
ディオンはうなずいた。
「うむ。先ほど、俺が王になったら処刑を回避できると言ったが。もうだいぶ、小枝が前世で体験した筋書きとは変わっているように思うが。それでも、俺は王になった方がいいか? 王になるのが結婚の条件か?」
「結婚するのに、条件付けはいたしません。でも、俺は小枝が救われるならなんだってしてやりたいから。そうしてくださいとお願いし続けます」
条件をつければ、事はすんなり進むだろうとは思うけど。
人の好意に条件を付けるのは、なんか嫌ではないか。
彼が王様になるなら結婚してもいい、ではない。
俺は普通に、彼が好きだから。いずれ結婚する…のかもしれないような。なのだ。
往生際が悪い俺。
「わかった。では俺も、小枝が死なぬよう王になろう。その方向で話を進める」
「本当ですか? ありがとうございます、ディオン」
しかし、意外とあっさり、ディオンは承知してくれたのだ。おぉう。
「おまえと結婚したいから王になるのではない。小枝を守ることは、すなわちおまえを守ることでもある。小枝を幸せにすることは、おまえが俺の元にいる時間が長くなるということ。おまえの話を聞いて、そう思ったのだ。だから俺は王になる」
ディオンは愛しげに、俺の頬に頬を擦りよせ。
焦点が合わないほどに近い距離で囁いた。
「だから大樹、いつまでも俺のそばにいてくれ。おまえからは消えないでくれ」
「こちらの世界は、俺たちがいた世界と比べると、とても危険に満ちている。小枝は処刑の結末にいつもおびえています。けれど。俺たちがいなくなったら、殿下が可哀想って思っているようですよ? だから、こちらの世界で住むことになってもいいって」
「そうなのか? やはり小枝は俺の味方だ」
「ふふ、そうですよ。小枝は、俺と殿下の味方だ」
薄黄色の髪の、俺の天使は。
小さいけれど頼もしい、俺たちの味方なのだ。
「そして、俺も思う。ひとり残されたら、ディオンが可哀想って。だから、俺から消えたりは絶対にしないと約束します。この世に絶対はないけど。これは絶対! ですよ」
夜になりまして。今は殿下の私室の居間にて、紅茶をついでいるところです。
夜だから、厨房の火は消えているけど。
殿下が火の魔法でポットのお湯を沸かし直してくれて。深夜だというのに、アツアツのお湯が用意できます。
つか、厨房でもそれで火をつけてくれたら助かるんですけど。
…子供たちは。お泊り一日目のジョシュア王子が。
「ひとりで寝たくなぁい。コエダと寝たぁい」
と駄々をこねたので。
じゃあ、みんなで寝なさい、ということになって。
小枝と王子とノアが川の字で寝ることになりました。
ノアは、庶民の自分が王族と一緒には寝られないです、なんて言っていたけど。
「ぼくも庶民だから大丈夫だよ」
って、小枝が手を引いて。
それを見た王子がズルィィってなって。
またワチャワチャでしたが。
王子が川の真ん中で寝ることになって、収拾がつきました。
あとは、同じ部屋でアンドリューさんが警護し。王子の執事と交代しつつ夜を明かすそうです。
というわけで、小枝は二階の王子の部屋で寝ているのですけど。
……わかっております。これは目の前の事態から逃げている脳内逃避ですよ。
居間のソファで、俺と殿下は対峙しております。
ついさっきまで、いつものように寝台で横なり。
髪をいじったりキスしたりと甘い感じだったんですけどね?
「いつでもおまえを抱きたいが、彼らがいるうちは嫌なのだろう?」
とディオンが言ってくれて。スリーパーを所望した。
俺の気持ちを汲んでくれるので、大変ありがたかったのですが。
ちょっと大事な話があったので、そのあとスリーパーでいいかと聞いたら。
なんだ? って言うからぁ。
ちがう世界から来たってことを、殿下に言ったんだ。
小枝が、殿下が王様になったら処刑回避できるみたいなことを言ったからさぁ。
ディオンに、王様になってくれない? 的に、お願いしたんだよね。
そうしたら、ちょっと眠そうだった目が、ギャンと開いて。
詳しく話せって。
えぇ? スリーパーは?
「寝ている場合かっっ」
だって。ですよね?
というわけで、寝台から居間に移動して、ナァウ。
紅茶をカップに入れて、殿下の前に置き。俺はディオンの対面に腰かけた。
「なんで、そちらなのだ?」
「え? なんとなく」
口をへの字にした殿下が、紅茶のカップを持って立ち上がり。
棚から酒の瓶を取り出してから、俺の隣に腰かけた。
肩が触れ合う距離。顔もそばにある。
「近いですね」
「チュウする距離だ。俺たちはもうチュウする仲になったのだから、構わぬだろう?」
そう言って、ドヤッた顔をして肩を抱き寄せる。
まぁ、そうですけど。
恥ずかしい気持ちっていうのはいつまでもなくならないものなのですぅ。
殿下はカップにブランデーをそそいで。
わぁ、ブランデー入りの紅茶なんて、おっしゃれぇ。俺は一度もそんなシャレたことはしたことがない。
ちょっと楽しみ。どんな味がするのかな?
「おまえがせっかく素性を話す気になったのだからな。その、いつも饒舌な口が、酒を入れてさらになめらかに動くようにしてやる。さぁ、なにもかも、一切合切、洗いざらい、吐いてもらおうか?」
そんな、警察の尋問みたいな事を言わないでもらいたいです。
好きで隠していたわけではないのだし。
「まず、おまえの素性だが。この世界とは違うところから来たと言ったな? ちがう世界ってなんだ? パンジャリア国のように遠いところという意味か? そういえばおまえは、かの国の食べ物が好きだな」
「好きですけどぉ。えぇ? 一番説明しづらいところから来ましたね。うーん、ニュアンスはちょっと違うんですけど、違う星から来た、と言えばわかりやすいでしょうかね?」
異世界というのは、小枝が示したことで。
実は俺もイマイチピンときていないというか。
小枝が見ていたアニメで、そのようなこともあったけど。
あれは本当にお話だろう? リアルで、どう説明したらいいか。悩みます。
「星? 空から降りてきたのか?」
「いえ、どちらかというと、下から? 穴に落ちて…ほら、この前殿下の口の中にあった魔法陣、あれに似た模様が突然足元に出て、気づいたらこの世界にいたのです」
「魔術で召喚されたのか?」
「それが可能なら、そういうことになるんでしょうかね? 小枝が言うには、俺たちがいた場所とは別の世界がここにある。みたいな。だから、ここは異世界だって。だから違う世界から来たと言いました」
説明しててもリアリティーがなくて。
本当に首を傾げながら話をする。
そして紅茶を飲んだ。わ、喉カッとする。ブランデー入れすぎです。
「誰かに召喚されてここに来た。だから親子の入国記録がなく、スタインベルンに突然現れたようなことになったと。そういうことだな?」
「召喚はわからないけど、おおよそそんな感じです。医者の知識も前の世界のものなのです。つか、こんな突拍子のない話、信じてくれるのですか?」
殿下は少し考えるそぶりをしたが。やがて口を開いた。
「突拍子がないとは思わない。やはり大樹と小枝は、女神に遣われし神の手なのだと認識が深まっただけだな。それにこの国には、ときどき聖女なる者がどこからともなく現れて、国を良き方へ導いてくれるという逸話がある。女神フォスティーヌもそのような者だったらしいぞ。スタインベルン王家の始祖なのだ」
へぇ、女神フォスティーヌも転移者だったってことぉ?
と、俺は驚いたのだが。
殿下もハッとした顔をしてこちらを見る。
「もしかして、大樹は聖女なのかもしれないな?」
「いえ、聖女は小枝です。男の子なのに変ですけど」
「…なんだとっ??!」
殿下は紅茶を吹き出すいきおいで驚いていた。
ですよね? 男の子だし。
「クリーンは浄化の能力みたいですよ? 前世、聖女だったことで力を悪用されて、処刑の道をたどったと小枝は思っていて。だから今まで内緒にしていたんです」
「聖女の力で北の館は掃除されていたのか? なんと恐れ多いことだ」
ディオンは額に指を当てて、なやましく首を横に振った。
え? ダメなの?
「聖女は神にも等しい存在だ。その聖女を処刑など、俺には考えられぬ暴挙だが。なぜそのようなことに?」
俺はディオンに。小枝が前世でたどった人生を語って聞かせた。
それは、ディオンが戦場で死んだ世界だ。
ディオンを失ったレギが、絶望の中でジョシュアの従者となり。
兄を失ったジョシュアが、今度は第三王子派の標的となり。
ニジェールの息のかかったローディ子爵(馬鹿兄)に聖女が育てられ。
やがて聖女は、王子の暗殺者として疑惑を持たれて処刑された。
突然召喚され、聖女と崇められた、右も左もわからなかった五歳の子、メイに。小枝に。優しくない物語。
「そうか。小枝の前世は。大樹のように愛情深く守ってくれる者がいなかったから、聖女であるのにそのような末路を迎えたのだな? ジョシュアも、俺が死んで命をおびやかされるようになり。神を信じられぬ者になったのかもしれないな? そして、小枝はもう一度同じ時を生きている。今度はおまえが小枝を守り、そして俺が生きている世界。そういうことか?」
「そうです。すごいですね? 一回でよく納得できましたね??」
俺だって、小枝の話は信じたいけれど、ループという現象がなかなかうまくのみ込めないんだからな。
この世界は。人生は。俺にとっては一回きり。
そういう思い込みがあって。
生まれ変わるのなら、なんとなくわかるのだけど。
同じ時間軸をもう一度、ということが本心では理解できていない。
小枝が、追い込まれるようなことがあったら俺が助ける。
前世と同じ道はたどらない。俺がいる限り、たどれない。
そう思ってしまうのだ。
「納得しているわけではないが、必死に飲み込んでいるのだ。おまえの背景をしっかりと受け止めたいからな」
ディオンは剣を握る分厚い手で、俺の頭を優しく撫でる。
武骨なようで、意外と繊細な動きをして。
俺を安心させたり翻弄したりするのだ。
「しかしこれは、まさに女神の采配だと思うのだが。この件は女神フォスティーヌ的に、俺に話してもよい事柄なのだろうか?」
「へ? 別に、言ってもいいんじゃないですかね? 特に口止めとかされてないし。つか、女神に会ったことないですからね?」
言うと、ディオンは俺を怪しげな目で見てくる。
マジで、普通に、女神に会うとかないでしょ?
ファンタジーが過ぎます。
「…女神の采配でこの地に来たおまえたちが、異世界に帰ってしまうことはあるのだろうか?」
急に、真剣な顔になって。ディオンは聞いてくる。
まぁ、俺も。そこは気になっているところです。
前の世界に帰りたいか? と選ばせてくれるならまだしも。
行きに、有無を言わせず連れてきたように、帰りも強制送還だったら。
女神、殴る。
人の人生なんだと思ってんのってなるでしょ?
つか、すでに小枝の人生を翻弄しているのだから。
パパとして、殴る。
「それは、わからないです。でも、たぶん大丈夫じゃないかな?」
なんでそう思うのか、という。彼の不安に揺れる目を見て。
俺も告げる。
「前世の小枝は、処刑されるまで元の地には戻れなかった。そして今、やり直しをさせられている。つまり、ここは小枝がリトライしている世界です。小枝が、もしくは小枝にやり直しをさせている何者かが、クリアすべきことを果たさないとならない。それはおそらく小枝が生涯をかけてすべきことで。その間、俺たちはここにいるのだと思います」
ディオンは、小さく安堵の息をついた。
「でも。小枝が死んだら、ジ・エンドかもしれない」
俺の言葉に、ディオンはしんなりと眉根を寄せた。
「ここは小枝が生き抜かなければならない世界です。そして俺はその付属品だ。小枝が生き残るためのアイテムかも。とにかく、小枝が死んだら俺もジ・エンド。息子を亡くして、普通に生きていけないし。俺だけが生き残っても、この世界に用のない俺はここからいなくなる。ってこともあるかもしれない」
「許さない」
地が揺れるような不穏な声で。
ディオンは俺の手を、震える手で握る。
まるで、今すぐにここから消える俺を引き留めるように。
「俺が決められることじゃない。そしてこの世に絶対もない。だけど…ディオンが許さないって言うのなら。もしも俺が消えたら、怒ってもいいですよ?」
「嫌だ」
殿下は子供のように俺の体を抱き締めて、すがった。
ギュッと力がこもる、その手を、指先を、背中に感じて。
俺は不謹慎だけど、俺を求めてくれるその手が嬉しくて。
微笑んでしまう。
「ディオン。俺も消えたくない。あなたを残して消えたりしないと、言うことはできないけれど。俺が消えたくないと思っていることは、知っていて」
俺はディオンの青い髪を両手で後ろに撫でつけて。
少し力を入れて俺に引き寄せる。
拗ねた子をあやすように。優しく、ゆるやかにくちづけた。
俺だって。あなたを好いているのです。
唇を離すと、ディオンは気持ちを落ち着けたようで。
名残惜しそうに、もうひとつキスをして。
また話し合いの体勢に戻った。
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「大丈夫ですよ。小枝は殿下を弟のごとく可愛がっております。それに小枝は聖女ではなく、俺の大切な息子。それだけですよ?」
「あぁ、大樹と結婚したら、聖女が俺の息子にぃ。恐れ多いいぃ」
ディオンはまたソワソワオタオタした。
落ち着いて。
「だから聖女のことは忘れてくださいってば。小枝は小枝です。聖女だからってぇ、特別扱いしたり、変に拝み倒したりしないでくださいね? なんか、汚れた獣が将来出てくるみたいだけど、その聖女の力が必要になるときが来るまでは、ディオンも普通に接して。あと内緒にしてくださいっ」
濃いブランデーが入った紅茶を飲み干して。
ディオンはうなずいた。
「うむ。先ほど、俺が王になったら処刑を回避できると言ったが。もうだいぶ、小枝が前世で体験した筋書きとは変わっているように思うが。それでも、俺は王になった方がいいか? 王になるのが結婚の条件か?」
「結婚するのに、条件付けはいたしません。でも、俺は小枝が救われるならなんだってしてやりたいから。そうしてくださいとお願いし続けます」
条件をつければ、事はすんなり進むだろうとは思うけど。
人の好意に条件を付けるのは、なんか嫌ではないか。
彼が王様になるなら結婚してもいい、ではない。
俺は普通に、彼が好きだから。いずれ結婚する…のかもしれないような。なのだ。
往生際が悪い俺。
「わかった。では俺も、小枝が死なぬよう王になろう。その方向で話を進める」
「本当ですか? ありがとうございます、ディオン」
しかし、意外とあっさり、ディオンは承知してくれたのだ。おぉう。
「おまえと結婚したいから王になるのではない。小枝を守ることは、すなわちおまえを守ることでもある。小枝を幸せにすることは、おまえが俺の元にいる時間が長くなるということ。おまえの話を聞いて、そう思ったのだ。だから俺は王になる」
ディオンは愛しげに、俺の頬に頬を擦りよせ。
焦点が合わないほどに近い距離で囁いた。
「だから大樹、いつまでも俺のそばにいてくれ。おまえからは消えないでくれ」
「こちらの世界は、俺たちがいた世界と比べると、とても危険に満ちている。小枝は処刑の結末にいつもおびえています。けれど。俺たちがいなくなったら、殿下が可哀想って思っているようですよ? だから、こちらの世界で住むことになってもいいって」
「そうなのか? やはり小枝は俺の味方だ」
「ふふ、そうですよ。小枝は、俺と殿下の味方だ」
薄黄色の髪の、俺の天使は。
小さいけれど頼もしい、俺たちの味方なのだ。
「そして、俺も思う。ひとり残されたら、ディオンが可哀想って。だから、俺から消えたりは絶対にしないと約束します。この世に絶対はないけど。これは絶対! ですよ」
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お互いがかけがえのない存在になっていくが……ある日、エイシオが怪我をして!?
無自覚両片思いのほっこりBL。
前半~当て馬女の出現
後半~もふもふ神を連れたおもしろ珍道中とエイシオの実家話
予想できないクスッと笑える、ほっこりBLです。
サンドイッチ、じゃがいも、トマト、コーヒーなんでもでてきますので許せる方のみお読みください。
アユム視点、エイシオ視点と、交互に視点が変わります。
完結保証!
このお話は、小説家になろう様、エブリスタ様でも掲載中です。
※表紙絵はミドリ/緑虫様(@cklEIJx82utuuqd)からのいただきものです。
鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?
桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。
前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。
ほんの少しの間お付き合い下さい。
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非力な守護騎士は幻想料理で聖獣様をお支えします
muku
BL
聖なる山に住む聖獣のもとへ守護騎士として送られた、伯爵令息イリス。
非力で成人しているのに子供にしか見えないイリスは、前世の記憶と山の幻想的な食材を使い、食事を拒む聖獣セフィドリーフに料理を作ることに。
両親に疎まれて居場所がないながらも、健気に生きるイリスにセフィドリーフは心動かされ始めていた。
そして人間嫌いのセフィドリーフには隠された過去があることに、イリスは気づいていく。
非力な青年×人間嫌いの人外の、料理と癒しの物語。
※全年齢向け作品です。
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