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60 やり直しを要求する

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     ◆やり直しを要求する

 小枝が寝てしまったので…仕方なく俺は殿下の寝室に向かった。
 殿下の喉に呪いの紋があって、それを消すために、お試しでまたチュウをしなきゃいけないんだけど。
 キスするぞと宣言されてチュウするのは、なんだかムムムな気分です。
 覚悟? というか。心構え? というか。そういう下準備が、胸がソワソワで。ざわざわな気分なんです。
 俺、されるならなんも言われない方がいいかも。
 待っている間のザワザワが、緊張で気持ち悪くなりそう。

 いや、待つってなに?

 男なら、リードされてちゃダメでしょ。
 つか、おっさんのキス待ち顔は見るに堪えないのでは? ダメダメ。
 そうだ。これは治療なんだから。医者感覚でいったらいいんじゃないかな?
 ディオンさん、これから注射しますよ、ブチュ、みたいな。
 いや、なんのプレイ? ダメダメダメ。医者の治療は神聖なんだからっ。

 そんなふうにアレコレ考えながらソワソワしながら、寝室に足を踏み入れると。
 寝室横にある安楽椅子に腰かけている殿下が、本を片手にぐったりしている。
 ギョッとして、慌てて近寄ったら。
 その気配を察したのか、うーんとうめいて、目を開けた。

「大丈夫ですか? ディオン、どこか具合が悪い?」
「いや、眠気が…おまえがなかなか来ないから、待ちわびた」
「眠気? 寝ていたのですか? ベッドに横になってください」
 まだしっかり目が覚めていないような感じで。ウトウトな殿下に。寝台に移るよううながす。
 ディオンはそれに従ったが。寝ぼけまなこで俺に言うのだ。

「ファーストキスのやり直しを要求する。あのような無様ぶざまは許されぬ」
「はいはい、わかりましたから。自力で寝られそうなのだから。黙って。気を楽にして…」
 俺も一緒に寝台に入って、彼の頭をそっと抱える。
 するとディオンの大きな手が背中に回って。彼もそっと抱き締めてきた。
「大樹の匂い、落ち着くな…」
 そうして、ひとつ大きく息を吸い込んだら。

 寝た。寝た?

 やったぁ、不眠症の殿下が自力で寝たっ。
 俺はひとりで超興奮したが、彼を起こさないようにしなきゃ。
 でも口はハワハワと感激してわなないた。知る人ぞ知る『クラ〇が立ったぁ』の勢いである。
 だけど、殿下は暗殺者が来たらすぐに起きるくらいに敏感。
 俺には心を許しているみたい。隣で寝ても大丈夫そうだけど。
 殺気がないからだろうなぁ。
 とにかく。また不眠症にならないよう、俺もあまり動かないようにしなきゃ。

 とはいえ、自力で寝たということは。
 やはり、あの喉のやつは呪いの紋で。眠れない呪いがかけられていたってことなんだろうな?

 人は眠らないと死ぬと言われている。
 寝ている間に行われる脳の処理が追い付かずに。狂ってしまう。体のバランスも維持できなくなる。みたいなのだが。実際に眠らない人はいないからわからないのだ。
 ディオンに以前聞いたところによると、夜になると目が冴えて眠れない。体が疲れていても深酒をしても眠れない。
 究極に不眠が続くと、気を失ったように意識が落ちて。五分ほどで目覚めるというのだ。
 気を失っている間に寝ているのだと思う。などとディオンは言うが。
 それが健康的な眠りではないことは誰にでもわかること。
 寝ることと気絶は、似ているようで全くの別物だ。
 体と脳が悲鳴を上げて、シャットダウンするような状況なのです。

 しかし正常な眠りではないものの、そうして殿下も不眠症とはいえ全く眠らないということではなかった。
 呪いが強制していても。生命維持をするために体が強制的に眠らせていたのだろうな。
 だが、もしも紋がレギに会う前の子供のうちからつけられていたとしたら。
 なんてむごいことだろう。
 大人だって、こういうことが続いたら狂ってしまいかねない現象だよ。
 よく、俺に会うまで正気でいられたものだ。

 もう、つらい思いはさせません。
 心のうちで、そう告げて。俺も寝た。

     ★★★★★

 朝、目覚めると。眉間にビシリとシワを刻んだ殿下がこちらを見ているのだ。
 うーん、デジャヴ。
 しかし、スリーパーしなくても朝は怒るのですね?

「大樹、今日は夢をいっぱい見た。そして、目が覚めてもまだ眠い。スリーパーしたときの目覚めはもっとすっきりしているのに」
「スリーパーは麻酔のようなものですからね。麻酔で全く夢を見ないとは言いませんが。深い眠りのときは夢は見ないものです。浅い眠りのときに夢を見るのですが、その状態で目覚めると少し眠気が残るかもしれません。ですがそれは正常な睡眠と言えます」
「眠いという感覚は、こういうものなのだな? 額の辺りが重くモヤモヤして。目を開けていられなくなった」
「喉の奥がどうなっているのか、診てみましょう」
 俺は寝台を降りて、ランプに火をつけ…。
 ちなみにランプもキャンプで使っていたから。同じような仕組みだから使用できます。

 そう考えると…異世界に行くならまずキャンプをした方がいいってことだね?

 そのランプの火をかざして、寝台のふちに座る殿下の、喉の奥を見てみた。
 すると、昨日緑色に光っていた呪いの紋は、跡形もなく消えていたのだ。
 おおぉぅ、治療でチュウは回避したよっ。

「ありませんね。紋が、ないです。そして自力で眠れたということは。やはり眠れない呪いだったのですかね?」
「そのようだな。俺も、物心ついたときには自力で寝られない感じだったから。これが自然に寝るということかぁ、という気持ちなのだが。俺はてっきり、暗殺者におびえる気持ちから寝られなくなったのかと…臆病者過ぎると、自分で呆れていたのだが。まさか、魔術の暗示にかかっていたとはな」
 眠れぬ呪いということで決定みたいだけど。

 まだ疑問に思うことはある。

「どうして俺の…キスで、魔法陣が消えたのでしょう?」
「おまえが神の手だからだろう?」
 俺は一般人ですけど、という目で殿下を見やると。
 彼はそっと微笑んで。続けた。

「納得いかぬか? なら、おまえのスリーパーと紋の相性が悪かったのではないか? 魔術の効果がある中で、大樹のスリーパーはそれを上回る力で魔術をねじ伏せ、俺を眠らせられたほどに強力な能力だ。その大樹の一部が紋に作用したとき、構築された魔術回路が破壊されたのだろう」
 真面目顔で殿下は講釈を垂れるが。
 俺の一部って、唾液のことでしょ?
 仮説として、昨日言ったけど。本当にそれで解呪されちゃったのかなぁ?

「魔術回路…俺は魔法のことはよくわからないんだけど」
「原理も知らずに魔法を操れるのが、そもそも末恐ろしいのだ、おまえは」
 呆れたように言われてしまうけど。それはともかく。

「俺のなにかで魔法陣が壊れた、みたいな? それって大丈夫なのですか? 無理に治しちゃうことで逆に副作用とか起きたら、また殿下が苦しむことになるのではないかと。心配です」
 医術でも、強力な薬を使用すると重い副作用が出たりするものだ。

「確かに、魔術の紋を無理やり破壊すると、力が跳ね返って痛い目に合うこともあるが。今回の場合は、魔術が自然崩壊したような感じになる。長年の使用で劣化していたか。大樹の能力が上回って、降参したか」
「降参? なんか、生き物のようですね?」
 俺は魔法陣から手が出て降参のポーズをするのを想像して、小さく笑った。

「そうだな。この手の魔術は使用者の意思が働くから、ある意味生き物のようなものだ。俺が使う魔法のように、一時的に力を発揮するものとは違う。だから大樹が使用者の能力を上回れば、使用者は降参ということになるわけだ」
 俺はただ、殿下とキスしただけなのに。
 ソレで負けちゃうとか。
 殿下に魔術をかけた者は、そんなこと想像もしていなかっただろうな?
 そう思うと、笑える。

「長年人をさいなむ魔術は、まさに呪いに近く。ゆえに代償も大きいと思う。おそらく俺に魔術を施した者は、今頃相応の魔術返しをくらっているだろう。依頼者も同様に苦しむことになる。そのようなリスクを負わないと、強力な魔術を他人にかけられないし維持できない。そういうものなのだ」
「それって人を呪わば穴二つ、みたいな? 怖ぇぇぇぇ」

 日本にも呪いみたいなものって、まぁまぁ昔からあるっていうか?
 丑三うしみつ時とか、わら人形とか、陰陽師おんみょうじとか、生霊いきりょうとか?
 ホラー映画とかオカルト番組とかで、よく扱われていたな。
 俺が子供のときは超怖くて、トイレにひとりで行けなくなったりしたけど。
 それを正直に言ったら姉にムカつくほどからかわれるから、行ったけど。

 こちらはもっと、しっかりした原理の元に呪うんだから、怖いよなぁ。
 ちゃんと、殿下は不眠になったんだ。
 不眠になれって呪ったのかは、知らんけど。
 そして、やっぱり呪い返しってあるんだな。

「じゃあ、殿下を苦しめた人は今苦しんでいるかもしれないんですね? ざまぁ」
「死んでるかもしれないぞ」
 俺のつぶやきに、殿下もぼそりとつぶやくから。
 ギョッとした。

「えっ、そんなに? それはお気の毒です。でも殿下だってすっごくつらかったのだから。どっかの誰かが死ねばいい、とは思わないけど。そもそもそれだけの労力をかけて呪うというのは、殿下への悪意がすさまじいわけでしょ。そういう人に同情はできないし。だからどんな人でも呪っちゃダメってことですよね?」
 ちょっと怒りモードで俺は言っているのに。
 殿下はふふふと楽しげに笑うのだ。

「おまえが俺のことで真剣に怒っていると、嬉しいな」
 そう言って殿下は寝台から立ち上がり、俺の手を握って顔を寄せてくるから。
「ファーストキスはやり直すんじゃないのですか?」
 そうたずねたら。
 拳ひとつ分手前で止まった。
「…やり直しても良いのか?」
「いいですよぉ? きっと昨日以上に素敵なシチュエーションを考えてくれるんでしょうねぇ? 楽しみだなぁ、ふふふ」
 俺は殿下の胸を手でポンポン叩いて。
 ハードルを目いっぱい上げてやった。

 ちょっと意地悪?
 でも。ディオンがどうするのか、楽しみではないか?

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