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57 とてもお優しいですよ
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◆とてもお優しいですよ
アンドリューさんが北の屋敷をたずねてきた。なんか、俺に話があるらしい。
今日のアンドリューさんは騎士の服ではなくて、落ち着いた色の緑のジャケットに黒のズボンを合わせた。少しキラキラした刺繍や宝石が散りばめられた素敵な衣装を着ていた。
この前、殿下が夜会に行ったときのような、おしゃれなやつ。
グレイにサロンへ通されたアンドリューさん。
そこに俺は小枝と手をつないで入っていった。
後ろには、殿下とレギも漏れなくついている。
「アンドリューさん、こんにちは。小枝も挨拶してぇ」
「こんにちは、アンドリューさん」
ぺこりと頭を下げる小枝。うーん、今日も上手にご挨拶できました。
そして薄焼き卵色の髪が可愛い。
「こんにちは、コエダちゃん、タイジュ先生」
柔らかな微笑みを浮かべたアンドリューさんは、今日も麗しいです。
「あ、もう患者さんじゃないから、アンドリュー様とお呼びした方がいいですか?」
「いえ、タイジュ先生には。今まで通り呼んでいただきたいです」
そう言って、アンドリューさんは大きな花束を俺に渡した。
「喜んでいただけるかわかりませんが…」
「わぁ、綺麗ですねぇ。ありがとうございます。小枝ぁ、見て見て。すっごい綺麗だねぇ」
「そうですねぇ。パパ」
小枝もニッコリだ。小枝は可愛いものや綺麗なものが好きだからな。
そしてグレイがサッと現れて、花を持って行ってくれた。
「部屋に飾っておきましょう」
「ありがとうございます、グレイ様」
それで、アンドリューさんが腰かけたソファの対面に、俺は座るんですけど。
えぇと、みなさん、邪魔なんですかね?
アンドリューさんが殿下をちらりと見やります。
「殿下、みなさんと退室していただいても良いですか? 私はタイジュ先生と話がありますので」
「…わかった。大樹、よろしくな」
殿下の言うよろしくは。アンドリューさんに言い寄られても断れよ、というよろしくだ。はいはい。
それで殿下は小枝のことも連れて行ってしまった。
あぁあ。小枝がいないと、心細い。俺がっ。
「えっと、アンドリューさん。眼帯外れたようで安心しました。傷は残ってしまいましたが。まぁ、アンドリューさんはイケメンですから問題ないですよね?」
話のとっかかりとして、傷の状態について触れた。
戦場で、大きな怪我を顔面に受けてしまったが。
光る緑の前髪がさらりと降りていれば、目立たないくらいの傷だ。
「おかげさまで、体調もすこぶるよく。タイジュ先生には感謝しきりです」
そして、紅茶をひと口飲むと。アンドリューさんは本題に入った。
「しかし。まさか、ディオン王子に身請けされているとは思いませんでしたよ、タイジュ先生。武勲の報酬をいただき、意気揚々とあなたを迎えに行ったのに。あなたは身請けされたあとで、奴隷商は行方を教えてくれなかった」
少し目に影を落として、言われます。
これは、恨み節です。うぅ、申し訳ない。
「あの…奴隷商は身請け先を口にできないらしいですよ?」
「奴隷商の主は『あいつ、どんだけタラシてんだよ』ってジト目になっていました。モテるんですねぇ? タイジュ先生」
なにやら爽やかな笑顔で、アンドリューさんはそう言うけど。
タラシてないしぃ。
ユカレフのやつ、余計な事を言いやがってぇ。
「身請けの件は、俺があいまいな態度を取ってしまったから。誤解させてしまって、すみませんでした。言い訳ですけど、俺はこの世界に…この国に来て、奴隷のことをはじめて知ったのです。だから身請けのルールもよくわかっていなくて。承諾…したつもりはなかったというか? アンドリューさんは怪我を治した俺に恩を感じていたみたいだったから。社交辞令として受け取ってしまいました。それにぃ、小枝ならまだしも、俺のようなおっさんの奴隷を若い男性が大金払って身請けしてくれるなんて、思わないでしょう?」
あはは、と軽い感じで受け流そうとしたけど。
アンドリューさんは目を丸くしていた。
「え? ですが。手の甲にキスをしましたけど」
「あぁ、それは、少し変かなぁって思ったけど。この国独特のやつかなって思って」
紅茶に手を伸ばしたアンドリューさんは、指先が震えていたので。紅茶を飲むことなくカップを戻した。
動揺が激しいです。
「あの、アンドリューさん。もし小枝を見初めたのなら、小枝は奴隷解除されているので、小枝に申し出ていただけるとぉ。あ、でも。まだ早いです。五歳なので。とりあえず俺が承りますけど?」
自分が、と言われるよりも。小枝が好きと言われる方が、俺は飲み込めるというか。
俺は今までモテたことなどないのだ。女性にも男性にも。
けど小枝は万民が認めるかわゆさだからなっ、うん。
だからアンドリューさんにそうたずねてみたんだけど。
「違いますっ。私はコエダちゃんではなくタイジュ先生を見初めたのです。あなたを身請けしたかったのです」
ひゃあ、やはりディオンの言う通り、アンドリューさんは俺を見初めたらしいです。
はっきり言われたので、これはもう間違いないですね?
そうですか、そうですか。なんと、物好きなっ。殿下もなっ。
「それなら、この度は本当に申し訳ないことをしてしまいました。てっきり、アンドリューさんは小枝がラブなのかと…だって小枝は可愛いので。全然おかしいことじゃないなって思っていたのですがぁ。でも俺は、男の方とそういうことは考えたことがなくてぇ」
「しかし。殿下とは? まさか無理やり? 閨で殿下は優しくしていますか? 無体な真似はされてませんか?」
閨って、ベッドのことだよねぇ? と、思って。
うん。殿下は全然無理なことをさせたりはしないよ。と思って。笑顔で。
「はい。殿下はとてもお優しいですよ」
と言った。
だけど、アンドリューさんは、口をハクハクさせて驚愕する。
ん? なんかへんなことを言ったかな?
「男性との付き合いを考えられないというタイジュ先生を、殿下は無理やり抱いているのですか? あなたの気持ちを無視して?」
「えぇっ、だ、抱いて?」
抱いてと言われたら、抱き枕なので抱かれてはいるんだけど。
なんだかとてつもない誤解が生じているような気がしないでもない。
だけど、戸惑っている間に、アンドリューさんが俺の手を取って、サロンを出た。
「あなたをここに置いておけません。殿下は、清純なあなたを騙して体を良いように扱っているのです。優しいとか気持ちいいとかで流されてはいけませんよ、タイジュ先生っ」
「いや、流されていないし。ちょっとアンドリューさん、落ち着いてっ」
騎士様だから、すごい力で。俺はサロンから玄関を通って外まで連れ出されてしまったが。
うぅ、逃げる気はないんだからね?
ディオン、バイアしないでよねっ?
バイア怖さに、俺はアンドリューさんにちょっとスリーパーした。
手が痺れて感覚がなくなるくらいの、弱いやつ。
それで、ようやく騎士様の力強い手を跳ねのけられるのだ。
うぅ、俺って非力だな。
しかしこれぐらいしないと、騎士として凄腕のアンドリューさんから、非力でインドアでヨワヨワな俺は逃げられないのだ。
玄関とアプローチの間にある、石の階段で、俺たちは向き合った。
「どうしてこんなことをするんですか? 俺は殿下の奴隷で。彼に逆らったらバイアで痛い目に合うかもしれないんですよ。それに小枝を置いて、どこへも行けるわけがない」
スリーパーがあったからいいようなものの、なんの力もない俺が馬車に押し込められてここから連れ去られたら、困るんですけどぉ、という気持ちでアンドリューさんを見やる。
「殿下はバイアを盾に、あなたを好き勝手しているんでしょう?」
「そんなことしませんよ。殿下はお優しいって言ったでしょ?」
もう、敬語とかわけがわからず。とにかく頭に浮かんだ言葉で説得した。
「聞きたくないっ、そんなこと。私が先にみつけたんだ。あなたを、殿下より先に…」
憤った声で言われ、俺は息をのむ。
しかしアンドリューさんの顔はとても悲しげだった。
「タイジュ先生も、私が身請けをしたいと言ったら、承諾してくれたじゃないですか?」
「それは。アンドリューさんの気持ちをないがしろにした、俺が悪いです。でも、殿下は小枝の奴隷解除を承諾してくれて。おっさんの俺に大金も払ってくれて…」
「金なら、私だって出せる。殿下が払った倍、払えます。それ以上でも、工面してみせるっ」
アンドリューさんにそう言われたとき。
俺は。殿下が金を支払ったからだけで従っているのかって、自問自答した。
そうじゃない。
俺は殿下を慈しみたい。そう、思っている。
子供の頃から暗殺者と対峙してきた殿下を、癒してあげたい。
毒を仕込まれて食に不安しかなかった殿下に、美味しいものを食べさせたい。
小枝と一緒に食卓を囲む殿下は、楽しそうで。
その小さな幸せを殿下から取り上げたくない。
彼の心に寄り添いたい。
誰からも守ってあげたい。
不眠に苦しむ彼が、腕の中で安らかに眠っていたら。嬉しい。
「お金じゃないのです。俺はもう、殿下を家族だって思っている。あの方を癒せるのは、俺だけなんだ。だから、俺は殿下のそばにありたい。殿下には、俺が必要なのです」
だから、そう、アンドリューさんに言った。
アンドリューさんは目に影を落としたが。首を横に振る。
「私だって、タイジュ先生が必要です。タイジュ先生を愛しているんです。あなたを愛したのは、殿下より私が先だっ」
「こういう言い方は、あまり好きではないのですけど。これは女神の采配です。俺は殿下とともに在れと、導かれたのだと思います」
俺は、女神を信仰していないし。運命は自分の手で切り開きたい、と思っている。
けれど、この世界に来てからは。どうにも己の思う通りにはいかず。
女神の手の上で踊らされているような、そんな気がしてならない。
だからっていうわけではないけど。女神を利用させてもらいました。
女神が俺を利用しているのなら、俺が女神を利用したっていいだろう?
信心深い彼らが、女神を出すことで納得してくれるのなら。
それも方便、っていうか?
俺自身は、信仰していないからねぇ。罪悪感なし。
罰当たり、ではあるかもしれないけど。
でも、そう言ったら。アンドリューさんはがっくりと肩を落とし。
階段の上で膝をついてしまったのだった。
あぁ、ごめんなさい。アンドリューさん。でも、俺。
小枝の奴隷解除分はせめて殿下に働いて返したいんですぅぅ。
ディオンを慈しみたい気持ちも、自身が奴隷から解放されたい気持ちも、嘘じゃないよ?
でも、金の切れ目は縁の切れ目っていうだろう?
ん? ちょっと意味合いは違うかもしれないけど。
気持ちの面と金銭面は分けて考えなければならないということ。
こういうところは、きっかりシビアにしないとね。
せっかくディオンといい関係性を築いている最中で。
小枝の奴隷を解除してくれた殿下に、なにも返すことなくバックレたら。
恩を仇で返すことになる。俺はそういうことはしたくはないんだ。
それに、たとえ奴隷解放されて彼についていっても良いと言われたとしても。
アンドリューさんの愛に応えられないのに、彼の元へ行くのは誠実じゃない。
奴隷解放されたいと思ってはいるけど。それは殿下も納得の形でありたいし。
アンドリューさんの気持ちを踏みにじるようなこともしたくない。
いや、別に。奴隷解放するなんて、誰も言っていないけどね。
つまり…まだ殿下の元にいるべき理由があるということです。
アンドリューさんが北の屋敷をたずねてきた。なんか、俺に話があるらしい。
今日のアンドリューさんは騎士の服ではなくて、落ち着いた色の緑のジャケットに黒のズボンを合わせた。少しキラキラした刺繍や宝石が散りばめられた素敵な衣装を着ていた。
この前、殿下が夜会に行ったときのような、おしゃれなやつ。
グレイにサロンへ通されたアンドリューさん。
そこに俺は小枝と手をつないで入っていった。
後ろには、殿下とレギも漏れなくついている。
「アンドリューさん、こんにちは。小枝も挨拶してぇ」
「こんにちは、アンドリューさん」
ぺこりと頭を下げる小枝。うーん、今日も上手にご挨拶できました。
そして薄焼き卵色の髪が可愛い。
「こんにちは、コエダちゃん、タイジュ先生」
柔らかな微笑みを浮かべたアンドリューさんは、今日も麗しいです。
「あ、もう患者さんじゃないから、アンドリュー様とお呼びした方がいいですか?」
「いえ、タイジュ先生には。今まで通り呼んでいただきたいです」
そう言って、アンドリューさんは大きな花束を俺に渡した。
「喜んでいただけるかわかりませんが…」
「わぁ、綺麗ですねぇ。ありがとうございます。小枝ぁ、見て見て。すっごい綺麗だねぇ」
「そうですねぇ。パパ」
小枝もニッコリだ。小枝は可愛いものや綺麗なものが好きだからな。
そしてグレイがサッと現れて、花を持って行ってくれた。
「部屋に飾っておきましょう」
「ありがとうございます、グレイ様」
それで、アンドリューさんが腰かけたソファの対面に、俺は座るんですけど。
えぇと、みなさん、邪魔なんですかね?
アンドリューさんが殿下をちらりと見やります。
「殿下、みなさんと退室していただいても良いですか? 私はタイジュ先生と話がありますので」
「…わかった。大樹、よろしくな」
殿下の言うよろしくは。アンドリューさんに言い寄られても断れよ、というよろしくだ。はいはい。
それで殿下は小枝のことも連れて行ってしまった。
あぁあ。小枝がいないと、心細い。俺がっ。
「えっと、アンドリューさん。眼帯外れたようで安心しました。傷は残ってしまいましたが。まぁ、アンドリューさんはイケメンですから問題ないですよね?」
話のとっかかりとして、傷の状態について触れた。
戦場で、大きな怪我を顔面に受けてしまったが。
光る緑の前髪がさらりと降りていれば、目立たないくらいの傷だ。
「おかげさまで、体調もすこぶるよく。タイジュ先生には感謝しきりです」
そして、紅茶をひと口飲むと。アンドリューさんは本題に入った。
「しかし。まさか、ディオン王子に身請けされているとは思いませんでしたよ、タイジュ先生。武勲の報酬をいただき、意気揚々とあなたを迎えに行ったのに。あなたは身請けされたあとで、奴隷商は行方を教えてくれなかった」
少し目に影を落として、言われます。
これは、恨み節です。うぅ、申し訳ない。
「あの…奴隷商は身請け先を口にできないらしいですよ?」
「奴隷商の主は『あいつ、どんだけタラシてんだよ』ってジト目になっていました。モテるんですねぇ? タイジュ先生」
なにやら爽やかな笑顔で、アンドリューさんはそう言うけど。
タラシてないしぃ。
ユカレフのやつ、余計な事を言いやがってぇ。
「身請けの件は、俺があいまいな態度を取ってしまったから。誤解させてしまって、すみませんでした。言い訳ですけど、俺はこの世界に…この国に来て、奴隷のことをはじめて知ったのです。だから身請けのルールもよくわかっていなくて。承諾…したつもりはなかったというか? アンドリューさんは怪我を治した俺に恩を感じていたみたいだったから。社交辞令として受け取ってしまいました。それにぃ、小枝ならまだしも、俺のようなおっさんの奴隷を若い男性が大金払って身請けしてくれるなんて、思わないでしょう?」
あはは、と軽い感じで受け流そうとしたけど。
アンドリューさんは目を丸くしていた。
「え? ですが。手の甲にキスをしましたけど」
「あぁ、それは、少し変かなぁって思ったけど。この国独特のやつかなって思って」
紅茶に手を伸ばしたアンドリューさんは、指先が震えていたので。紅茶を飲むことなくカップを戻した。
動揺が激しいです。
「あの、アンドリューさん。もし小枝を見初めたのなら、小枝は奴隷解除されているので、小枝に申し出ていただけるとぉ。あ、でも。まだ早いです。五歳なので。とりあえず俺が承りますけど?」
自分が、と言われるよりも。小枝が好きと言われる方が、俺は飲み込めるというか。
俺は今までモテたことなどないのだ。女性にも男性にも。
けど小枝は万民が認めるかわゆさだからなっ、うん。
だからアンドリューさんにそうたずねてみたんだけど。
「違いますっ。私はコエダちゃんではなくタイジュ先生を見初めたのです。あなたを身請けしたかったのです」
ひゃあ、やはりディオンの言う通り、アンドリューさんは俺を見初めたらしいです。
はっきり言われたので、これはもう間違いないですね?
そうですか、そうですか。なんと、物好きなっ。殿下もなっ。
「それなら、この度は本当に申し訳ないことをしてしまいました。てっきり、アンドリューさんは小枝がラブなのかと…だって小枝は可愛いので。全然おかしいことじゃないなって思っていたのですがぁ。でも俺は、男の方とそういうことは考えたことがなくてぇ」
「しかし。殿下とは? まさか無理やり? 閨で殿下は優しくしていますか? 無体な真似はされてませんか?」
閨って、ベッドのことだよねぇ? と、思って。
うん。殿下は全然無理なことをさせたりはしないよ。と思って。笑顔で。
「はい。殿下はとてもお優しいですよ」
と言った。
だけど、アンドリューさんは、口をハクハクさせて驚愕する。
ん? なんかへんなことを言ったかな?
「男性との付き合いを考えられないというタイジュ先生を、殿下は無理やり抱いているのですか? あなたの気持ちを無視して?」
「えぇっ、だ、抱いて?」
抱いてと言われたら、抱き枕なので抱かれてはいるんだけど。
なんだかとてつもない誤解が生じているような気がしないでもない。
だけど、戸惑っている間に、アンドリューさんが俺の手を取って、サロンを出た。
「あなたをここに置いておけません。殿下は、清純なあなたを騙して体を良いように扱っているのです。優しいとか気持ちいいとかで流されてはいけませんよ、タイジュ先生っ」
「いや、流されていないし。ちょっとアンドリューさん、落ち着いてっ」
騎士様だから、すごい力で。俺はサロンから玄関を通って外まで連れ出されてしまったが。
うぅ、逃げる気はないんだからね?
ディオン、バイアしないでよねっ?
バイア怖さに、俺はアンドリューさんにちょっとスリーパーした。
手が痺れて感覚がなくなるくらいの、弱いやつ。
それで、ようやく騎士様の力強い手を跳ねのけられるのだ。
うぅ、俺って非力だな。
しかしこれぐらいしないと、騎士として凄腕のアンドリューさんから、非力でインドアでヨワヨワな俺は逃げられないのだ。
玄関とアプローチの間にある、石の階段で、俺たちは向き合った。
「どうしてこんなことをするんですか? 俺は殿下の奴隷で。彼に逆らったらバイアで痛い目に合うかもしれないんですよ。それに小枝を置いて、どこへも行けるわけがない」
スリーパーがあったからいいようなものの、なんの力もない俺が馬車に押し込められてここから連れ去られたら、困るんですけどぉ、という気持ちでアンドリューさんを見やる。
「殿下はバイアを盾に、あなたを好き勝手しているんでしょう?」
「そんなことしませんよ。殿下はお優しいって言ったでしょ?」
もう、敬語とかわけがわからず。とにかく頭に浮かんだ言葉で説得した。
「聞きたくないっ、そんなこと。私が先にみつけたんだ。あなたを、殿下より先に…」
憤った声で言われ、俺は息をのむ。
しかしアンドリューさんの顔はとても悲しげだった。
「タイジュ先生も、私が身請けをしたいと言ったら、承諾してくれたじゃないですか?」
「それは。アンドリューさんの気持ちをないがしろにした、俺が悪いです。でも、殿下は小枝の奴隷解除を承諾してくれて。おっさんの俺に大金も払ってくれて…」
「金なら、私だって出せる。殿下が払った倍、払えます。それ以上でも、工面してみせるっ」
アンドリューさんにそう言われたとき。
俺は。殿下が金を支払ったからだけで従っているのかって、自問自答した。
そうじゃない。
俺は殿下を慈しみたい。そう、思っている。
子供の頃から暗殺者と対峙してきた殿下を、癒してあげたい。
毒を仕込まれて食に不安しかなかった殿下に、美味しいものを食べさせたい。
小枝と一緒に食卓を囲む殿下は、楽しそうで。
その小さな幸せを殿下から取り上げたくない。
彼の心に寄り添いたい。
誰からも守ってあげたい。
不眠に苦しむ彼が、腕の中で安らかに眠っていたら。嬉しい。
「お金じゃないのです。俺はもう、殿下を家族だって思っている。あの方を癒せるのは、俺だけなんだ。だから、俺は殿下のそばにありたい。殿下には、俺が必要なのです」
だから、そう、アンドリューさんに言った。
アンドリューさんは目に影を落としたが。首を横に振る。
「私だって、タイジュ先生が必要です。タイジュ先生を愛しているんです。あなたを愛したのは、殿下より私が先だっ」
「こういう言い方は、あまり好きではないのですけど。これは女神の采配です。俺は殿下とともに在れと、導かれたのだと思います」
俺は、女神を信仰していないし。運命は自分の手で切り開きたい、と思っている。
けれど、この世界に来てからは。どうにも己の思う通りにはいかず。
女神の手の上で踊らされているような、そんな気がしてならない。
だからっていうわけではないけど。女神を利用させてもらいました。
女神が俺を利用しているのなら、俺が女神を利用したっていいだろう?
信心深い彼らが、女神を出すことで納得してくれるのなら。
それも方便、っていうか?
俺自身は、信仰していないからねぇ。罪悪感なし。
罰当たり、ではあるかもしれないけど。
でも、そう言ったら。アンドリューさんはがっくりと肩を落とし。
階段の上で膝をついてしまったのだった。
あぁ、ごめんなさい。アンドリューさん。でも、俺。
小枝の奴隷解除分はせめて殿下に働いて返したいんですぅぅ。
ディオンを慈しみたい気持ちも、自身が奴隷から解放されたい気持ちも、嘘じゃないよ?
でも、金の切れ目は縁の切れ目っていうだろう?
ん? ちょっと意味合いは違うかもしれないけど。
気持ちの面と金銭面は分けて考えなければならないということ。
こういうところは、きっかりシビアにしないとね。
せっかくディオンといい関係性を築いている最中で。
小枝の奴隷を解除してくれた殿下に、なにも返すことなくバックレたら。
恩を仇で返すことになる。俺はそういうことはしたくはないんだ。
それに、たとえ奴隷解放されて彼についていっても良いと言われたとしても。
アンドリューさんの愛に応えられないのに、彼の元へ行くのは誠実じゃない。
奴隷解放されたいと思ってはいるけど。それは殿下も納得の形でありたいし。
アンドリューさんの気持ちを踏みにじるようなこともしたくない。
いや、別に。奴隷解放するなんて、誰も言っていないけどね。
つまり…まだ殿下の元にいるべき理由があるということです。
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