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番外 アンドリュー 清い恋情と腐った感情 ①

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     ◆アンドリュー 清い恋情と腐った感情

 戦争が終わり、王都での単調な日々が続いている。
 タイジュ先生が私のそばにいれば、日常も輝く日々になっただろうが。
 今の私は、王都にあるツヴァイク伯爵家所有のセカンドハウスと、王宮内にある騎士団施設の往復を、惰性だせいで続けている。
 大怪我をしたのだから屋敷で体を休めてくれ、と従者などは言うけれど。
 なにもしないでぼんやりしていれば、どうしてもタイジュ先生のことを考えてしまう。
 王宮に彼がいると思うと、なんとなく騎士団に足が向かって。
 訓練には身も入らないし。運よくタイジュ先生と会える、なんてこともなく。
 そんな日々の繰り返しだった。

 顔の傷はだいぶ良くなって。眼帯を外しても、顔に線がほんのり見える程度になった。
 痛々しくは見えるかもしれないが、騎士団には顔に傷を負った者など普通にいるので。あまり珍しくもないのだ。
 しかし失明を危ぶまれた傷を、ここまで目立たぬよう治してしまうのだから。
 やはりタイジュ先生は神の手なのだ。

 神の手であるタイジュ先生を慕う者は、騎士団には多く。
 彼を私ひとりだけのものにしたいと願うのは、傲慢なのかもしれないと考えたこともあるが。
 だが、それで。ディオン殿下の手に渡るのが正しいのかと思えば。
 それは違うような気もして。

 ディオン殿下がタイジュ先生を独り占めし。
 彼を良いように扱っているのではないか? 無体を強いているのではないか?
 そんなことを想像すると。胸に嵐が吹き荒れる。

 ディオン殿下のそばにいるよりも、タイジュ先生は私の元にいる方が幸せだ。
 だって殿下は文武両道に秀でているが、決して愛想がいいとは言えない。
 あの強面が素行によって表れているのなら。タイジュ先生が乱暴に扱われるかもしれないだろう?
 いいや違う。殿下がどのような人物でも関係なく。
 私が彼を幸せにしたいのだ。
 そう考えてしまう。

 戦争が起きる前、私は政治面からディオン殿下を支えようと思い。戦争が終わったら騎士団を辞して、伯爵位を継ぎ。殿下の手足となって働こうなどと考えていたのだが。
 タイジュ先生を奪われて。
 そのような行動に踏み切れない心持ちになっていて。保留状態だ。
 私の心は恋に溺れて千々ちぢに乱れている。

 ディオン殿下が嫌いになったわけではない。
 でも、どうにも腹が煮える。

 恋とはこういうものなのか?
 私は殿下を親友のように思っていたのに。
 文武両道のその才覚を、尊敬もしていたのに。
 敬愛する人物ですらも踏みつけて、彼の奴隷ものを奪いたくなるなんて。

 タイジュ先生に対する清廉な想い。
 親友からタイジュ先生を奪いたい、心の純粋さを黒く塗りつぶされるような想い。
 清い恋情と腐った感情が、私の中でせめぎ合っていた。

 そのようなときに、私は騎士団本部に呼び出されたのだ。

 騎士団は王宮の敷地内にあり。騎士団の運営施設と騎士団員が住まう寮、訓練場、闘技場、グラウンドなどがひとまとまりになっている。
 その全部が王国の騎士団本部と言われるものである。

 そもそも騎士団というものは。
 王宮、王族、国家のために、警護や警備、有事には兵士として働く治安組織である。
 地方の警備や治安を担うのは、衛兵だ。
 衛兵は地方の領主権限で育成し、任を与えられ。町や村を守護警備するもの。
 地方では騎士を持つことはできないのだ。
 しかし領をおさめる貴族が私設騎士団を持つことは許されている。
 だが国は反逆を警戒し、人数や厳しい規則で制限しているから、大規模なものは許されていない。

 この前、隣国のレーテルノンが攻めてきた、ノベリア領は。辺境伯が治めており。
 隣国との国境線がある辺境領では、王都の騎士団の一部を辺境警備として貸し出していることもあるが。おおよそはその領の私設騎士団が国境警備の任に当たっている。

 というわけで、一部を除いて騎士は王都におおよそ集結している。
 騎士団が王都から出張っていくときは。
 今回の戦争のように、隣国が攻め込んできたり。
 魔獣が大量発生して、町の存続が危ぶまれたり。
 異常災害による人命救助。さらには国家規模の土木建設工事がある場合。
 などなど、国家が有事とみなしたときである。

 それで、私が足を踏み入れた騎士団の運営施設は、二階建ての役所のような建物で。
 各騎士団長相当の仕事部屋や、人事や会計など事務作業を行う部署がある。
 騎士団長も分担があり。

 私は近衛騎士団長。
 主に王族の警護や、王族主催の行事の警備担当をする部署の担当をしている。
 普通は王都から動かない役職であるが。
 今回の戦争では、王族のディオン殿下が指揮を取ったため。王族警護の側面から。私も含めた近衛隊が半分ほど戦場におもむいた、という側面があったのだ。

 それはともかく。
 他にも、王都の警備担当の衛兵統括騎士団長。
 王都は王の直轄領であるので、そこを守る衛兵は騎士団預かりになる。

 魔法に特化した魔導騎士団をまとめる長もいる。
 治癒魔法師などは魔導騎士団の所属だ。

 さらに師団ごとに騎士団長がいて。
 第一騎士団長、第二騎士団長など七つの部署もある。

 ちなみにディオン殿下は、総司令長官で。
 有事の際に戦闘の作戦指揮をとり、騎士団を采配する役目であり。
 いわゆる騎士団長ではない。その上に立つ人物である。

 私を呼び出したのは、騎士団元帥きしだんげんすいのオーサーだった。
 騎士団の全権を彼が取りまとめている。元帥は最高位の騎士団長である。
 オーサーは四十代くらいの年嵩な騎士で、そろそろ頭髪に白髪が混じり始めているな。
 今回の戦争では、指令権をディオン殿下に託し。王都の守りにつとめていた。

 案内の騎士が、元帥にあてられている部屋をノックして。うながされた私が入室すると。
 そこにはディオン殿下と従者のレギもいた。
 タイジュ先生は…いない。くぅ。

 オーサーの部屋なのに、机の椅子にはディオン殿下が座っている。
 まぁ、上司なので。当たり前なのだが。
 オーサーは彼の隣で立っていた。

「ツヴァイク近衛騎士団長、呼び出しに応じてくれて感謝する」
 オーサーが挨拶をして。これから本題ってところか。

「話というのは他でもない。ひと月後に開催される剣闘士大会についてだ。今回の戦争の立役者となったツヴァイク騎士団長には、ぜひ出場してもらいたい」
 剣闘士大会は四年に一度くらいの頻度で開催される、騎士団では一番大きなイベントだ。
 前回の大会から三年目くらいだが。
 今年は戦争に勝利したことで、国民は騎士団に注目している。
 その好機は逃せない、ということで。開催に踏み切ったのだろう。
 剣闘士大会で優勝すれば、国に名をはせることができる。
 国王の前で行う、とても名誉ある大会であった。

「もちろん、参加させていただきますが…ディオン殿下もご参加されますか?」
 ちらりと殿下を見やる。
 剣呑けんのんな目を向けるのは、不敬なので。気持ちはおさえて。

「いや、今年は大きな怪我をしたので。まだ考え中だ」
 いつも即断即決するタイプの殿下が、珍しく迷っている様子だ。
 しかし私は。この胸に抱える嫌な感情を早く払拭ふっしょくしたくて。提案した。

「大会の前に、ディオン殿下。私と決闘していただけませんか?」
 口にすると、オーサーが目を丸くして驚いた。
「おいおい、決闘とは穏やかでないな」
「すみません、過激な言葉になってしまいましたね。模擬戦です。大会前の余興のようなものですよ」
 そうは言っても、自分は決闘のつもりだった。
 私の腐った心と気持ちを切り離すために、ディオン殿下との対決が必要なのだ。

「あぁ、構わないぞ。アンドリューとの手合わせは久しぶりだな」
 殿下が応じると。オーサーは安堵したようだった。
 友達同士が剣の試合をするのだと、好意的に受け取ったようだ。

「私が勝ったら。褒美をいただきたい」
 挑発することなく静かに告げると、殿下は椅子から立ち上がり、私のそばに歩みを進めた。
「褒美とはなんだ? 言っておくが…大樹の奴隷解放は叶えられぬ」
 鷹揚な感じで言うが。
 後半部は私の耳にしか届かぬよう、小さな声で囁いた。

 戦場では、タイジュ先生とコエダは首輪をつけていて。奴隷であったことは、その場にいた騎士は大体の者が知っている。
 王都待機組も、戦場に行った騎士から聞きかじっているだろう。
 凱旋で出迎えたタイジュ先生の首は、立ち襟で見えなかったが。
 コエダの首には首輪がなかったので。
 コエダは奴隷解放されたのではないかと思う。
 その件もあって、タイジュ先生も奴隷ではないのでは? という憶測が騎士の間にはあるけれど。

 私は、殿下が彼をそばに置いているのは奴隷解放されていないからだと、最初から考えていた。

 事実、今殿下がそう言っている。
 タイジュ先生はまだ奴隷の身なのだ。
 奴隷拘束で神の手を手中におさめるなんて。
 神をないがしろにする愚かな行為だ。

 とうとう、私は殿下に睨みを利かせてしまい。
 殿下は人払いを要求した。

「すまない、オーサー。しばしこの部屋を借りたい。アンドリューとふたりで話をさせてくれ」
 オーサーはすぐさまうなずき、部屋を出て行く。
 しかしレギは躊躇した。

 私は殿下のご学友であったのに。レギにも警戒されてしまうとはな。
 それだけ、私と殿下の間の空気は、以前とは変わっているということだ。
「大丈夫だ、レギ」
 渋々という様子で、レギが退室し。
 部屋にはふたりだけになった。

「アンドリュー、大樹はどうやら身請けの件を社交辞令として受けていたようなのだ。実際、手続きに不備な点はないので。今回の件は穏便に引いてもらいたい」
 ディオン殿下の話に、私は頭をハンマーで殴られたような思いがしたが。
 私は、彼のことは彼から聞かないと、もう納得できない心持ちになっていた。

「その辺りの話を、タイジュ先生の口から聞きたいのです。話をする機会をいただきたい」
「わかった。勝ったらな?」
 目の前で悠然と腕を組むディオン殿下を見やり。
 私はグッと息をのむ。
 近頃は殿下に、全く勝てていない。

「私も、負ける気はないぞ。大樹のことは本気なのだ。本気で愛している。大樹がうなずいてくれたら、すぐにも伴侶とするための手続きに動きたいと思っている」
 いつもと同じく厳しい眼差しだが、その色はどこかほのあたたかくて。
 だからこそ、腹が煮える。

「第一王位継承者のあなたが、男の奴隷を伴侶に迎えるなど、許されるわけはない」
「私のことはどのようにでもなると思っている。が、その言葉は。伯爵後継のおまえにそっくりお返しするよ。大樹を手にしたいだけ。優越感を満たしたら、愛人にでもするつもりか? ならばこの辺で即刻手を引いてもらいたいものだがな?」
「そのようなっ、私のタイジュ先生への気持ちを愚弄しないでいただきたいっ。とにかく…勝ったら約束を守ってもらいます」
 私はきびすを返して足音荒く部屋を出た。

 図星を刺されたような気になった。

 私はタイジュ先生とコエダを屋敷に迎え、三人で幸せに過ごすことまでしか思い描いていなかったが。
 伯爵の地位を継ぐとなったら、さらにその次の後継の話になり。
 別の結婚話が浮いてくる。

 そうなったら、殿下の言うように。タイジュ先生は愛人になる?

 殿下は、私の幸せの構図の、さらに先のことまで視野に入れている。
 幸せに暮らしました、で終わらず。
 もしかしたらもっと先、コエダが成人するくらいのところまでも?
 またしても、殿下の明晰めいせきさにしてやられてしまった。
 いつも、一歩も、百歩も先を行かれる。

 改めて彼のすごさを認識し。
 嫉妬に狂い。
 タイジュ先生に執着してしまう。

 あぁ、私は。タイジュ先生への恋心を汚したくないのに。

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