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番外 ディオン 愛でられ方がわからない ③

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 俺は、この年になるまで、人を好きになったことがなかった。
 だから、タイジュに一目惚れして。
 身請けに成功し、そばに置くことができても。

 愛し方がわからなくて。

 最初は本当にぶっきらぼうで。タイジュに嫌われるようなことばかりをしてしまって。
 どうしたらよいのやら、という感じだったが。
 なんとか、タイジュに嫌われる前に。彼とコミュニケーションができるように…というか。タイジュが俺を理解しようとしてくれたから。自分の想いが彼に少しずつ伝わっていった。ような感じであった。
 本来なら。初日の、俺の態度の悪さに嫌悪して。心の扉をシャットアウトされてもおかしくなかった。
 タイジュとコエダが辛抱しんぼう強く、俺に歩み寄ってくれたのだ。
 本当に、ありがたいし。感謝しているし。すごいと思うのだ。

 まぁ、そういうことで。俺はタイジュので方がわからなかったのだが。
 人を好きになったことがない、というのは。
 人から愛されたこともないということだ。

 なので、愛でられ方がわからない。

 今は夜。いつものように、ひとつの寝台にタイジュとともに横になっているところだが。
 俺は、タイジュに頭を抱きかかえられている状態だ。
 心臓の鼓動が不眠に良いとタイジュは言うけれど。

 本当かぁ? 俺はドキドキしすぎて、全く眠れる気がしないのだが?

 音は良い。同じリズムを刻んで。
 その単調な音色を聞けば。普通の人なら、眠りの沼に沈んでいけるのかもしれない。
 タイジュのそばは穏やかな気に満ちていて。慈しみが胸を温かく満たしてくれる。そのほのぼのとした空気感も眠りを誘うだろう。

 けれど。俺はタイジュを恋い慕っているから。
 風呂上がりの彼の匂いが、優しく鼻をくすぐって。
 寝台の中だからリラックスのためか、シャツのボタンがふたつほど開けられていて、胸元が見えそうだし。
 その滑らかな肌に触れたい欲が湧くし。
 温かくて、柔らかくて、心地よくて。だからこそ、胸が苦しくなる。
 狂おしくなる。
 この状況を、いったいどうしろというのだぁぁぁっ。

 タイジュに愛でられて、俺はとっても狼狽ろうばいしているところなのだ。
 いや、タイジュの場合は、愛でると言っても恋人のそれではなく、パパとしての愛で、なのだろうが。
 恋愛のように激しく、心乱れる愛ではなくて。
 柔らかく、あたたかな光に包まれているような、優しい愛情。
 これがいわゆる、パパの愛? 家族の愛?
 手放しがたく、好感しかない心地。
 この感覚を、コエダはひとり占めしたいのだろうな?
 その気持ちはよくわかる。だって最高に気持ちいい。俺もそう思うからな。

 俺はタイジュの恋人を目指しているけど。
 彼が俺を愛でてくれるのなら、なんでも。どんな愛でもいい。
 タイジュの愛情は、甘美かんびなのだ。

 ただ。どうしたらよいのかわからないから。ジッとしているしかない。
 恋人のような存在もなく、誰からも愛されたことがない俺は。
 親からもわかりやすく愛情を示されたことがなかった。

 あぁ、だから。今、どうしていいかわからないのだろう。
 経験がないからな。
 幼い頃から俺のそばにいる、レギやグレイは。家族的な意味合いで俺を愛しているのかもしれないが。
 さすがにギュッとされたことなどないからな。
 王子にギュは恐れ多いとか、思ってそうだ。

 そう思うと、タイジュは俺が王族であることなど全く意識していないように見える。
 だから今、こうして俺の頭を抱えてくれるのだ。
 この国の者はみんな、俺の地位といかつい顔面に恐れおののくというのにな。

 タイジュは特別。特別な距離感。それはなんだか、とっても嬉しい距離感だ。
 今はパパでも。
 いつか恋人の距離まで近づけそうじゃないか?

 たぶん、タイジュは。もう奴隷という意識もないんだろうな。
 だが、それでいい。
 俺もタイジュを奴隷だとは思っていないし。
 ただ、女神の遣いが飛び立ってしまわないように、鎖をつけているだけのことなのだから。

 あぁ、しかし。タイジュが奴隷であるうちは、彼が俺を愛することはないのだろう。
 自由を奪う者のことを、タイジュが愛してくれるわけがない。
 だけど、タイジュがコエダを愛するように。俺もタイジュに愛されたなら。

 どんなに幸せなことだろう。

 物心ついた頃には、俺は乳母に預けられていて。貴族のお嬢様であった母が、俺を抱っこするようなことはなかった。
 常に一定の距離感があって。
 抱き締められた記憶も、手をつないだ記憶もない。
 だから。俺をこうして抱き締めてくれるのは、タイジュだけなのだ。

「おまえに愛されているコエダは、幸せだな」
 そっとつぶやくと。タイジュはクスっと笑った。
「なんですか? いきなり。つか、眠れないのですか? 良い感じで目をつぶっていたのに」
 タイジュは、俺を自力で寝させようとしている。
 別に不眠症なんか治さなくても。いつも、スリーパーしてくれれば済む話なのに。
 それに、夜になればなるほど冴えていくこの頭は、不眠症から抜け出せないような気がする。
 まるで呪いにでもかけられているようだと、思ったこともあるほどに。
 不思議なほど自力では眠れないのだ。

 だけど、こうしてタイジュと身を寄せ合う時間は、好きだから。
 眠れなくても、全然苦ではない。
 それに今はもう、毎日タイジュがスリーパーで眠らせてくれる。
 おかげで目の下のクマも薄くなってきたし。体も軽く。頭もすっきり冴えている。
 体調は生まれてこの方、一番良いと言える。

 不眠解消も、家族も、みんなで楽しく食卓を囲む団欒も。親が子に与える愛情も。人を愛する気持ちも。
 俺の手の中にはなかったもの。
 すべて彼が俺にくれた。
 本当にタイジュは、俺に幸福をもたらす神だ。

「そうだなぁ。もう少しで眠れそうな気もしたのだが…」
 嘘だけど。
 ずっとタイジュのことを考えていたから。

「タイジュ、なにか話をしてくれないか?」
 俺は彼にそうねだった。もっとタイジュのことを知りたいのだ。
「話、ねぇ…あ、先ほどはお風呂ありがとうございました。たまに大きなお風呂に入ると疲れが取れますよね? コエダとのコミュニケーションにもなりますし」
「おまえは本当に風呂が好きだなぁ。というか俺は、おまえと入る気満々だったのに」
 タイジュの裸を見るのは、まだ、おおお恐れ多い気はするし。目のやり場にも困るというか。照れと恥ずかしいが嵐のように心に渦巻くが。
 伴侶にしたいわけだから、少しずつ慣れていかないと。と思って。
 グレイに風呂を用意してもらったのに。下心満載で。

「もう俺が嫌ですよ。性目的の男と風呂は無理です」
 そう、そのようなことを言って、脱衣所から閉め出されてしまったのだ。
 俺の風呂場なのに。
「性目的ではなく、愛情深い目で見ているのだ」
「同じです。愛情深いじゃなくてエロい目です」
「違う」
 エロをオブラートに包んでるだけじゃん、って言いながら。タイジュはクスクス笑う。
 笑顔、可愛いなぁ。
 笑うと形の良い目元が細くなって、すごく優しい雰囲気になる。
 そこがいい。
 戦場で、目が覚めたときに見た。一目惚れしたタイジュの笑み。
 それよりも今は、くだけた印象で。
 なんか、心を開いているようにも見え。嬉しい。
 タイジュの中で俺は、恋人ではないかもしれないが。
 弟でも息子でも肩書はなんでもいいから、そういう彼にとって近い存在になれていたらいい。

「二階のエルアンリ様の部屋は、どうなっているのですか? 大きな浴槽があっても、お湯を運ぶの大変そう」
 好奇心いっぱいのキラキラした目で、タイジュが聞いてくる。まぶしっ。
「俺の部屋の風呂は、外から薪を焚く方式だから。二階に浴槽はない。猫足のバスタブだけだが、王族が風呂に入るときは使用人がいっぱい入って介助するものなのだ。だから広さはそのままだな」
 ふーんとタイジュはうなずく。
 しかし俺が聞きたい話は、そういうことではない。

「日常のことではなくて、タイジュの昔の話とか、おまえに関わることが聞きたいのだ。言いたくないことは言わなくていい。だがタイジュのこと、なんでも知りたいのだ」
「うーん、昔話、関わること、ですかぁ? 本当に千夜一夜物語みたいになってきたな」
 タイジュはそうつぶやくが。やがて話をしてくれた。

「名前の話をしましょうか。俺の名字のミクリヤには、神の庭という意味合いがあるのです。タイジュは、大きな樹木。コエダが小さい枝という意味。だから俺は、神の庭に立つ大きな木、コエダは俺の木になる小さな枝、みたいな?」
「え、おまえらは本当に、神の庭からやってきたのか? だから出自を明かせないのか?」
 俺はタイジュの話を聞いて、ばっちり目が覚めてしまった。
 だとすると、タイジュとコエダは本当に女神のつかいということになるではないか?

 しかしタイジュはほんにゃり笑うのだ。
「えぇぇ? ただの名前の由来ですよぉ、ははは。俺らは普通ですよ。でも、先祖はそうだったかもしれませんね?」
 タイジュはよく自分を普通だというが。
 おまえは全然普通ではない。
 普通の人物は神の手だなどと噂が立つわけがないのだからな。

「ディオンはどうなのです? 名前に意味はあるのですか?」
「…この国の者は、名前に意味合いなど持たせない。響きがいいとか、先祖の使い回しとかが多い。俺も、五代前の国王と同じ名だ」
 言うと、タイジュはなにやら華やかな笑みを浮かべた。
「ではやはり、ご両親はディオンを国王にしたいと願って名をつけたのでは?」
「いや、シャルフィは三代前の国王の名だし。ジョシュアは祖父と同じ名だ。期待は断然ジョシュアにかかっているだろうな。だが俺の名前には、意味などない」
 期待を込めて名をつけるような親だったら、俺はもう少し楽に生きられたのだ。
 コエダの親であるタイジュは、俺の両親も善人であることを望んでいるのだろうが。
 タイジュもしょぼんとした顔になる。いいところのない親で申し訳ない。

「しかし、タイジュは大きな木という意味なのか。コエダは小さな枝。おまえの根元で安らかに眠れたら最高の気分なのだろうな」
 神の庭に立つ大きな木の下で。おまえと眠れたら。
 そんな夢を見つつ。
 俺は、大樹と小枝はやはり女神フォスティーヌが王家の不遇をうれいて遣わしてくださった救いなのだと、確信した。

 いや、夢というのは寝ながらという意味ではない。俺は不眠症なので。

「なぁ、大樹。そろそろスリーパーしてくれないと。キスしたくなる」
 愛する人と、寝台で抱き合っているのだ。
 そのような色っぽい気持ちが湧き上がるのは、普通だろう。俺はそちらの方面は健康体だからな。
 しかし、俺が言うと。
 なにやら意味深なが出来た。
 顔を上げると、大樹はほんのり頬を染め、黒い瞳が真珠のように艶めいている。

「なんだ? その間と、色っぽい顔は?」
「別に、色っぽい顔をしているつもりはないけど…いや、試すのも、アリかなって。自分の気持ちがわからなくて。キス出来たら、好きなのかも」
 マジかっ。
 俺の頭を抱えていた大樹と、向き合うように体を移動して。彼を組み敷くと、顔を寄せた。
 千載一遇のチャンスとは、このことだ。
 彼の気が変わる前に、触れたい。
 大樹の、その柔らかそうな唇に…。

 かなり、自分的には早く動いたつもりだったが。
 俺の口は大樹の唇に届かなかった。手で、彼が口を隠しているからだ。
 大樹の手の甲と、俺はキスした。
「ごめんなさい」
 謝られて、ドキリとする。
 やはり、受け入れられないか?

 大樹は口をおさえたまま。俺は手の甲に口をつけたままで。彼は言う。
「試しでキスするなんて。ディオンの気持ちを全く考えていない、失礼な言葉でした。貴方の真摯な気持ちをないがしろにして、すみませんでした」
 生真面目に、大樹は謝る。
 俺は理由などどうでもいいからしたかったのだから。良いのに。
 大樹も、もっと軽く、挨拶のように考えてくれてもいいのに。
 しかし彼はそういうあやふやなことは駄目な性格なのだろうな。
 それこそが、彼の真摯な気持ちなのだろう。ちょっと愚直だけど。

「気持ちが固まっていないのに。心が決まっていないのに。こういうことをするのは誠実じゃない。ディオンが俺のことを真剣に想っていることは、伝わっています。だから、俺もディオンと同じくらい…ちゃんと考えます。ちゃんと」
「わかった」
 あと二センチの距離にある唇が、本当に遠いのだが。
 俺は、待てる。
 大樹が大樹の意思で、俺を受け入れてくれるまで。

「あの、この距離は、恥ずかしいんですけど」
 大樹は、蚊の鳴くような声で囁く。
 上目遣いの瞳がウルウルして。戸惑いながらも顔をどんどん赤くしていく。
 手のひらの厚み二枚分の距離だから。まぁ、近いな。
 つか、黒いまつげがハタハタして。もう可愛い。それしか言葉が出ないっ。
 叫び出したいくらいに、頭のてっぺんが爆発しそうなくらいに、可愛いのだがっ??

「…慣れろ」
 俺は、心の声をおくびにも出さず。余裕のていで淡々と告げた。
 つもりだったが。思いのほか甘く響いた。
 好きが駄々漏れるな。

 手の甲に唇をつけたまま、俺は彼に囁いた。
「それに、恥ずかしいというのは。俺を意識しているからだろう? 早く。もっと。俺を好きになれ。そうしたらこの手を外して、俺のキスを受けてくれ」
 話している間も、彼の手をついばむようにしていたが。最後にぺろりと舌で舐めた。
 大樹はひえっと首をすくめる。
 その仕草がめちゃくちゃ愛おしい。
「わわわ、わかりましたからぁ。もう少しお待ちを…」
 照れて、叫ぶように言う大樹が。やっぱり、すっごく、可愛かったが。
 スリーパーがかかって。気が遠くなってきた。

 いつも。あともう一歩のところで、スリーパーされてしまう。
 曖昧あいまいで、モヤモヤすることが多いのだが。

 しかし今日のスリーパーは。悪くない気分で寝られそうだ。
 わかった。もう少しだけ、待ってやる。

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