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28 風呂は、まだ早かった

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     ◆風呂は、まだ早かった

 殿下のお屋敷で、生活を始めた俺と小枝。
 最初、この大きなお屋敷を見て、管理するのが大変そうだなぁなんて思ったのだけど。

 俺は、またまた失念していたのだ。小枝のクリーンの力を。

 クリーンのことを、俺は感染予防対策として認識していたのだ。
 まぁ、戦場で自分たちを身綺麗にするときも使っていたのだが、それも医者が不潔だと患者を汚染する、という考えで。
 だから、スリーパーを悪人退治に使用するのを思いつかなかったときのように。小枝のクリーンも医療目的にしか使えないと思い込んでいたわけだ。
 頭固くてすみません。

 それでクリーンが、お屋敷を綺麗にするのにも有効だと、小枝に教えてもらい。
 毎朝、屋敷をクリーンすることになったのだ。

 そうすると、掃除に大半の時間をかけていたグレイさんの仕事量が激減。
 代わりに、伸ばしっぱなしの庭木の手入れや、食材の調達や、その他雑事に手が回るようになって。屋敷の様相がさらに明るく、見映えよくなりはじめたのだった。
 そのことを大層喜んだグレイさんは、小枝を高い高いするのだった。
「あぁあ、パパより、高くて、怖い、よぉ、あぁあ、あぁあ」
 と、小枝も大層喜んでいた。

 そう、グレイさんが俺を奴隷と知ったら虐げられるのではないか、というのは。杞憂でした。
 むしろ、なにやら生温なまぬるい目で見られます。
「殿下にやってきた、遅い春を。喜ばずにはいられません」
 かつて騎士団で団長を務めていたというグレイさんは、勲章の傷を顔にいっぱいつけた強面ながら、目に涙をためて俺を見るのだった。
 レギはいったい、俺のことをなんと説明したのでしょう?
 それにっ、殿下に春はまだ訪れていないと思いますけど??
 王子妃の間に入ったから、きっと勘違いしているのでしょうね、うん。
 しかしグレイさんは、殿下を幼い頃から支えてきたのでしょうから。殿下の父親的な感覚があるのでしょう。
 まぁ、俺は。小枝に恋人が出来たりしたら、素直に喜べないかもしれないけど。
『小枝は誰にもやらーん』的な思考がまだあるので。

 それで。唐揚げもその日のうちに作ることができました。
 お昼寝から起きた小枝が食堂と厨房をクリーンしてくれて。
 レギが殿下の命令で食材を調達してきたからだ。すごい早業です。

 唐揚げは、醤油味が定番だけど。この世界に醤油はない。
 しかしスパイスはすっごく豊富で。塩も粉もあるので。塩唐揚げならできそうだった。
 五人の男所帯なので、鶏モモ肉を五キロ、適当な大きさに切り。
 大きなボールに赤ワインと塩、ニンニク、ショウガと香辛料をがっつり入れて。つけておく。ワインやお酒につけると、お肉が柔らかく、ジューシーになるのだっ。

 パンは俺はさすがに作れないので、騎士団の厨房から分けてもらった。パンはもっぱらスーパーで買っていたから。やはり日本は便利な世界だったなぁ。
 あぁ、でも。この世界にもきっとパン屋さんはあるよね?

 あとベーコンを炒めたところに水を張り、大きめに切ったジャガイモ玉ねぎニンジンブロッコリーキャベツなどなど、野菜をぶっこんで煮る。しばらくしたら塩コショウで味を調え。ポトフモドキだ。
 小枝はでっかい野菜は毛嫌いするけど。野菜は煮えたら柔らかくなって、スプーンでカットできるので。さらに細かくしてあげる。スープの中に野菜のエキスがたっぷり出ているから。スープを飲むだけでも栄養は取れるよ。

 うーん、色目がさみしいから。卵焼きで黄色のいろどりを添えよう。砂糖と牛乳、ちょっと塩を入れるのが隠し味。これは生前、母に教わったのだ。三歳の小枝の大好物だったから、覚えておけってね。
 で、卵をかき混ぜてフライパンでジュー…。

 ここまで来たら、油を熱して。鶏肉に粉をつけて、どんどんげていく。
 サニーレタスのような菜っ葉を大皿の下に敷いて、キッチンペーパー代わりにし。その上に揚がった鶏を積み上げていき。

 というわけで、唐揚げタワーとポトフと卵焼きの完成です。

 テーブルに大皿をドンと出したら、グレイさんは目を丸くして驚いていた。
 その横でレギがアチアチ言いながら唐揚げを毒見している。
「うま…いえ、毒はありまふぇん」
「ポトフもどうぞ」
 殿下のお皿によそったポトフを、スプーンですくう。
 お皿に毒がついていることもあるからね? でも大丈夫なはず。お皿にもクリーンがかかっていますから。
「うま…いえ、大丈夫です、殿下」
 そうしてレギが殿下の前に皿を置き。
 俺も卵焼きをみなさんの前に置いていく。

「なんだ、この黄色いのは」
「卵焼きです」
「…崩れていないが? 分厚いが?」
 レギが毒見すると、甘いって驚いた。
「甘いのか? 卵が? 早く食べさせろっ」
 殿下がキレそうなので。みんなでいただきますをした。
 小枝は一番てっぺんの唐揚げを取って、食べる。
 食べたかったのだから、うんまーいってなるよね?
「カリカリのじゅわじゅわでうんまーい。やっぱりパパのご飯が一番おいしいっ」
 小枝がにっこにこなので。よしよし。今日の料理も大成功だな。

「本当に、卵が甘いぞっ。分厚くて、食べ応えがあるが。すぐになくなるっ」
 殿下がフォークに刺して卵焼きを食べる図は、なにやらスイーツを食しているかのように見えるな。
「うちも卵焼きはしょっぱいのが定番なのですけど。たまに甘い卵焼きが食べたくなるんですよねぇ」
「これのしょっぱいのが? 想像がつかない。しょっぱいのも食べさせろ」
「はい。いつか作りますよ、殿下」
 みんなで話をしながらの食事に、殿下もどうやら慣れてきたようだ。

「このカラアゲという料理は、はじめてです。外がパリッとして中は肉汁が…塩味が絶妙でスパイスが鼻から抜ける。美味しいですね?」
 レギも感嘆して、どんどん唐揚げを皿に盛っていく。
「レタスに巻いて食べると、さっぱりして、バランスもよく食べられますよ」
「パパぁ、巻いてぇ。パンにはさんで、マヨもつけたい」
「あぁ、それも良いね。ちょっと待ってろ」
 俺が厨房に戻って、明日の朝に使うよう作っておいたマヨを持って戻ると。
 殿下も小枝と同じ顔をして待っているのだった。

 本当に兄弟なんじゃないですか? と俺は苦笑する。

「タイジュ、パンとレタスとカラアゲとマヨだ」
 はいはいという気分で殿下にうなずき。
 俺は食事用のナイフでパンに切れ目を入れて。そこに具材をはさんでふたりに渡すのだった。
「タイジュ、私にも作ってください」
 レギもグレイさんも食べたいみたい。そうしてみんなにサンドを作ってあげた。
「美味しいねぇ、パパ。唐揚げ大好き」
 小枝が口の周りにマヨをつけながら言うのを見て、グレイさんは涙ぐむのだった。なんで?
「みなさん、ポトフも食べてください。ほら小枝も、あーん」
 放っておくと小枝は野菜に手をつけないので。スプーンで細切れにしたニンジンを、半ば無理やり口の中に入れる。
「タイジュ、俺にもあーんしろ」
「大人は言わなくてもちゃんと食べてください」
 殿下に注意して、小枝が笑ったり殿下が拗ねたりして。
 そしてにぎやかな食事は終わりました。
 グレイさんは最後の方は号泣気味でしたが。
 レギのように、殿下が食事を美味しく召し上がることを喜んでいるのだろう。
 毒混入は最悪です。小枝だって、三歳のときの腐った総菜パンが忘れられないのだから。そりゃ、トラウマになりますよ。そんな思いはもうさせませんからね、殿下。

 そのあとは。お風呂に入ろうということになって。
 殿下の部屋の、まぁまぁ大きいという方のお風呂を用意してもらったのだ。
 移動中は、殿下の傷の大事を取って、風呂禁止にしていて。俺たちも付き合って、クリーンしていた。
 だから、念願の、っていう感じ?
 それで、殿下が言うまぁまぁ大きい風呂というのが、大きな猫足バスタブじゃないか確かめてみたのだけど。
 猫足浴槽もあったけど。別に、タイル張りの、そこそこ大きいお風呂があったのです。やったーっ。
 でもそれは外からまきを焚いて温めるお風呂なので、なかなか用意が大変そう。
 グレイさんが快く温めてくれたよ。すみませぇん。
 この世界では、風呂釜やガスなんかはないからね。猫足バスタブも。少ないお湯で身綺麗にするための知恵なんだな。
 つまり、肩までお湯に浸かる風呂は。ここではかなりの贅沢品ってわけ。知らずにおねだりしてしまって、すみませぇん。
 でも、せっかくグレイさんが用意してくれたので。そのお湯、いただきます。

 殿下の部屋の脱衣室で小枝の服を脱がせて、俺も上着を脱ぐと。
 なんか、そばで殿下がワナワナしていて。
「どうしました? 早く服を脱ぎましょう」
 そうしてボタンを外してシャツをはだけたら。
 殿下が俺のシャツを掴んで前を閉じ。

「すまない。風呂は、まだ早かった」

 顔を真っ赤にした殿下がそう言って、脱衣室を出てしまったのだ。
「殿下ぁ? お風呂入らないのですかぁ?」
「パパ。じゅんじょーなしょーねんの気持ちをくんであげてください」
 と、若干ジト目で小枝がつぶやくのだった。
 純情な少年の? はぁ、わかりました。
 どちらにしろ俺は、小枝とふたりでのんびりお風呂をしたかったんだから、いいけどな。

「じゃあ、俺たちは久しぶりの風呂を満喫しような? 小枝」
「はいぃ。久しぶりにパパを独り占めですぅ」
 それで俺と小枝は、日本で入った以来の大きなお風呂を楽しむのだった。
 うちの風呂もそんなに大きな物じゃなくて。足が伸ばせるくらいの浴槽だったけど。
 殿下の部屋のお風呂は。大人三人が横に並んで余裕で足を伸ばせる、いや寝転べるくらいの大きさだ。
 ま、温泉のような泳ぐほどの大きさはないけど。充分、贅沢を感じられるよぉぉぉ。

 洗い場で体と髪を洗い、そして湯船にドボン。少しぬるめだが、いいお湯加減だ。
「たっはーーっ、いいねっ。小枝のクリーンも便利でいいけど。たまにはこうしてお風呂に入るのもいいだろう?」
「のんびりですぅ。ぼく、あんまりお風呂は好きじゃないけど。たまに入るといい気持ちですぅ。それにパパといっぱいおしゃべりできるし。遊べるから、嬉しいのぉ」
「戦場は危険で、気がおさまらなかったけど。この屋敷に身を落ち着けられたら、小枝とゆっくり遊べる時間も取れるだろう。幸い、身請けしてくれた殿下は、悪い人じゃないし。いつかは奴隷から解放されて、小枝と一緒に暮らせるようになりたいな。けど。しばらくは彼の元で仕事に従事したいと思っている。小枝、いいかな?」
「パパが嫌なことをされないなら、いいよ? パパが苦しいのは嫌だから。ぼくのために我慢したりしないでね?」
「あぁ。ありがとう。小枝が優しい子に育ってくれて、パパは嬉しい」
 微笑みかけると、小枝はムフンとした口元をムニュムニュさせた。
「でも。パパはぼくのパパだから。誰にもあげないの」
「あぁ、もちろん。パパは小枝だけのパパだよ?」
「殿下にもあげないの」
 小枝がきっぱり言うから。返事に詰まった。

 なんか、もちろんって言えなくて。曖昧に笑ってしまった。
「あぁぁあ? パパっ、まさか殿下のこと好きなの?」
 なんでかギクリとするけど。いやいや、特になにもないよ。
「そりゃあ、嫌いじゃないよ。優しい主でよかったって思っているし」
「そうじゃなくてぇ、恋の、恋のぉ?」
「またまた、おませだな、小枝は。ははは」
 やっぱり笑って誤魔化してしまった。
「ダメェ、パパは小枝のなんだからぁっ」
 そう言って、小枝は俺の腕にしがみついた。

 でもこれは。小枝は、ふたり兄弟のどっちがパパは好きぃ? みたいなニュアンスだろ?
 そんなの、どっちも選べないじゃん。親として、兄弟は平等に扱わないとね。
 殿下は俺の息子じゃないけどぉ…。
 うん。きっと、そんな感じだ。うん。

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