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番外 アンドリュー 奇跡の目覚め ③
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重篤な急変なども起きず、順調に傷が癒えた私は。抜糸のあと、戦場に戻る決断をした。
左目の上の傷は、まだ赤い線を描いて傷口が生々しいし。
まだ失明の恐れもあるというので。大事を取って、しばらくは片側を大きく覆うような黒い眼帯をすることになったけど。
片目が見えていれば、剣を振るのに支障はない。
タイジュ先生は、病院に行って、他の医者にしっかり診てもらってほしいと言ったが。
彼より優秀な医者など、この世に存在しないだろう。
「傷口が開いたり、どこか違和感があるようでしたら、すぐに診察を受けてください」
心配そうに眉を下げて、優しい声をかけてくれるタイジュ先生。
彼の言うようにしたい気持ちはあるが。
それよりも。私にはやらなければならないことがある。
武功を上げ、褒章を貰ってタイジュ先生を身請けすることだ。
ここで私の命が助かったのは、きっとタイジュ先生を奴隷の沼から救い出すためなのだ。
以前の私なら。祖国スタインベルンのため。盟友ディオン殿下のため。
そんな心持ちで戦場へ帰って行っただろう。
だが私は生まれ変わった。恋に目覚めた。
タイジュ先生を、手に入れたいのだ。
「武功を上げたら褒美をもらえるので頑張ります」
そう、先生に言ったら。
「武功よりも怪我をしないこと。またこのテントに戻ってきたら、怒りますからね?」
微笑んで、そう言った。
私はあなたを身請けするために武功をあげると言っているのだ。
でもタイジュ先生は、自分が身請けされるなんて、全く気付いていない。考えにものぼらない様子だ。
奴隷で仕方がなく医者をしているのでもなく。あわよくば、奴隷の身から抜け出せるかと患者に媚び、見返りを求めているわけでもない。
先生はただ、医者の職務を全うし。
患者の私を本気で心配しているのだ。
その素晴らしい人間性に惚れ。ますます身請けしたいと思うようになった。
そうして戦場に戻った私は、敵兵を斬って斬って斬りまくってやったのだ。
頭の上から敵の血を浴び、白い鎧も真っ赤に染まり。
血塗られたエメラルドの騎士だと味方兵までも恐れたが。
誰になにを言われても。
私はタイジュ先生を手に入れるためならなんだってする。
一時期、私がやられた黒騎士のせいでスタインベルンは劣勢になり。さらに私が敬愛する殿下までもが黒騎士の餌食となって。
我が国の命運は尽きたか…と思われたが。
タイジュ先生が聖なる力で、黒騎士を倒した。
さらに殿下の御命までも救って。スタインベルンは急激に攻勢に転じたのだ。
タイジュ先生が黒騎士を倒したことは、私の他に一部の者しか知らないが。
私はやはり、タイジュ先生は女神が遣わした使者なのだと思った。
奴隷などという泥沼から、早く彼を解放してやらなくては、という思いで。私は全精力をかけて、敵兵を国外まで追い出したのだった。
近衛騎士団長として見事な働きだと、殿下からもお褒めの言葉をいただき。
重傷を負った殿下が療養のため一足先に王都へ戻るのに際し。
私は騎士団の全権を委譲された。
それは殿下が私を右腕と認めて、終戦の締めくくりを任せてくれたということだ。
彼を目標として身を律してきた私にとって、これほどの誉れはない。
華々しい戦勝パレードの主役として、私は騎士団を率いて王都へ凱旋することになるが。
その前に、タイジュ先生に身請けの報告をしなければ。
彼には事前に身請けの承諾を貰っている。
あとは金銭の工面だけだった。
黒騎士を捕らえた褒賞は五百万ほど。
これはタイジュ先生の手柄なので、全額身請け料につぎ込むと決めていた。
他にも近衛騎士団長としての手柄などで一千万ほどは出るだろう。おそらく、これだけあれば先生とコエダちゃんを身請けできる。
足りなければ、今までの蓄えもあるし。実家から借りてもいい。
とにかく、まずはタイジュ先生とコエダちゃんを戦場から出してあげたかった。
凱旋パレードの前に奴隷商と交渉し。身請けを済ませ。
王都についたら私の屋敷に彼らを迎えるのだ。
騎士は引退して、伯爵位を継ぎ。タイジュ先生とコエダちゃんは私の元で、王都で穏やかに生活する。
伯爵として身を立てたら、殿下の後ろ盾となり、今度は政治面で彼を補佐するのだ。
完璧な将来ビジョンに、私は微笑み。医療班のテントを訪れた。
タイジュ先生とコエダちゃんの管理をしている者は、ロークという初老の医者だ。彼に、奴隷商とのつなぎを取ってもらおうと思った。
しかしローク先生は、タイジュとコエダはもういない、と言う。
「なに? どこへ? 奴隷商の元か? それとも、まさか死ん…」
「生きては、おります。しかし私の口からはこれ以上のことは申し上げられません。どうか、奴隷商の方へ問い合わせてください」
そんな…終戦まではここで医者として働いていると思っていた。
終戦により奴隷商が彼らを引き上げたのだとしたら。
タイジュ先生もコエダちゃんも、男娼として売られるなどということも考えられる。
焦燥感が募った。私のタイジュ先生だ、誰にも触らせたくない。
私はローク先生に、タイジュ先生を管理していた奴隷商の連絡先を聞き。すぐに伝令を送った。
★★★★★
国境のノベリア領。そこに侵略してきた敵国を追い返すべく、我らは援軍に来ていた。その大役を見事に果たした騎士団は役目を終え、王都への帰途につく。
意気揚々と、騎士団の列が途上の町をゆっくり凱旋していく。
他国の侵略を打ち払ったことを、国民は心から喜んで手を振り、兵たちを祝福してくれた。
私はその先頭に立ち、国民からの歓迎を一身に受けたが。
頭の中はタイジュ先生のことでいっぱいで。それしか考えていなかった。早く早くと、気が急く。
奴隷商のユカレフという男と会ったのは。凱旋パレード三日目のことだった。
一刻も早く会いたいというこちらの要望に応え。帰途の最中に、数ある拠点のひとつ、商会の支部で対面することになったのだ。
「これはこれは、レーテルノン戦争の立役者であるエメラルドの騎士に会えるとは、光栄です。この度はお急ぎで、どういった商品をお求めでしょうか?」
「戦争の一番の功労者はディオン殿下だ」
私がパレードの先頭で国民の祝賀を受けているのは、殿下の代わりにすぎない。ここは慇懃無礼なオレンジ髪の男に即訂正しておきたかった。
そして、本題に入る。
「あなたが管理していた、タイジュとコエダという親子の奴隷を身請けしたいのだ。金銭は今は手元にないが、王都に行けばすぐにも用意できる」
すると、ユカレフは。眉間をむにゅむにゅ動かして、変な顔をした。
「あなたもですか? もう、タイジュはどんだけ大物をタラす気だ?」
「も、とは?」
聞き捨てならない言葉に、私は問い返すが。ユカレフは営業スマイルを浮かべて言った。
「申し訳ありません。あの親子はすでに身請けされてしまいました」
私は、声を失った。驚きすぎて。
つい最近まで、ふたりとも私のそばにいたのに。話せる距離に、いたのに。
「誰に? どこへ?」
「それは個人情報ですのでお話しできません」
「タイジュ先生は、神の手だ。この戦争の、一番の功労者は…」
ディオン殿下よりも、一番の功労者は黒騎士を倒したタイジュ先生だ。そこから敵の覇気が衰え、我が軍が抗戦に転じるきっかけになった。
私は彼を解放するために、私の腕の中で守るために、身請けを決めたのに。
私以外の誰かが、神に等しきタイジュ先生をその身に抱いているというのか? 誰が? 許せない。
目の前から忽然と消えてしまった、初恋の人。
失恋の衝撃で、私は茫然自失になってしまった。
「あの、コエダよりは年嵩ですが、同じくらいの年の子が用意できますけど。身請けをいたしませんか?」
そう言って、ユカレフが顎を振ると。店員が店の奥から紫髪の子供を連れてきた。
「百万でいいですよ」
身請けの手付をするために、五百ほど用意して持っていた。
ユカレフは、もしかしたら。私がコエダちゃんを目当てに身請けをするのだと思ったのかもしれない。だから、子供を私に見せた。
けれど。私はタイジュ先生に恋をしたのだ。誰も代わりにはならない。
しかし、コエダちゃんと同じ年の子が、奴隷として売られていて。
ここで私が買わなかったら。
この子は小児性愛の変態に買われるのかもしれない、と思って。
そうしたら。コエダちゃんがそうなるのを、タイジュ先生が泣きながら止めようとする光景が脳裏に浮かんで。
ユカレフに百万支払っていた。
だが。値段の安さが。
この子はやはりタイジュ先生とコエダちゃんの代わりにはならないと想起させる。
「奴隷紋はどうしますか? 市販の首輪を購入しますか?」
「いい、首輪を取ってくれ」
「逃げられても、責任は負えませんよ?」
「構わない」
そんなやり取りのあと。ユカレフはニッコリ笑って。子供の首輪を外したのだった。
私は子供の手を引いて、その日に泊る宿の部屋に連れて行くと。
手を離して。
ひとり、ベッドに突っ伏して、寝たのだ。
なにも考えたくなかった。
★★★★★
少し寝ていたようで。扉のノックの音で目を覚ました。
「ツヴァイク団長、祝賀パーティーの会場にお出でくださいとのことです」
部下が、私を呼びに来た。凱旋パレードでは、立ち寄る領で大きな祝賀会を開いてくれる。
王都までの七日間、これに出なければならないのが、面倒だ。
「三十分後に出向く」
面倒だが、これも騎士の仕事だと思って。身を起こし。
着替えをするのに、ランプに火をつけたら。
部屋の隅に子供がいて、驚いた。
「だ、誰だ?」
「ノアです」
名前を聞いたわけではなかったのだが。
そういえば寝る前に、子供の奴隷を身請けしたのだと思い出した。
粗末だったり不潔だったりしていたわけではない。商品だから、それなりに身綺麗にしているみたいだったが。
普通の白シャツに黒ズボンを身につけている。肩口まで伸びたストレートの紫髪。
町のどこかにひとりはいそうな、普通の子供だった。
「まだいたのか? 奴隷紋はないから、どこに行ってもいいんだぞ」
「困ります。家族はいないし、どこにも行くところがないし。お腹もすいたし」
首輪を外したら、すぐにどこかへ行くと思っていたので。ノアの言葉には驚いた。
しかし、着の身着のまま追い出すというのは。マズいか。子供だし。
「ノア、どこの出身だ? 今何歳?」
「出身は、わからないけど。王都にいました。十歳」
十歳かぁ。お金を持たせて、どこかで働かせて、ひとりで生活させるのは。まだ酷な年齢だな。
コエダちゃんよりだいぶ年上だけど。
あまり発育が良くないのか、コエダちゃんよりちょっと年上かな? と思うくらいに。華奢な体型だし。細い腕で。力仕事は無理そう。
路頭に迷ったら、すぐにも体を売るようになりそう。無理無理。
私は、ノアを身請けはしたけど。奴隷から解放させたらそれで終わり、みたいな。
ただ善行をした。コエダちゃんの代わりに子供をひとり自由にしてやった。くらいのことしか考えていなかった。
善行は、綺麗すぎか。偽善だな。
というわけで、ちょっと困った。
「すまない、ノア。ありていに言えば、私はおまえを育てる気はなかった。しかし身請けしたからには、責任があるよな。それで、君の希望になるべく添うようにしてやろうと思う。しかし、私はこれからパーティーに出なければならないから。帰るまでに、どうしたいか考えておいてくれ」
私は私服を脱いで、貴族の礼装に袖を通す。
「どうしたいって、どうすれば…」
「たとえば、故郷に帰りたいとか。仕事を斡旋して欲しいとか。学校に行きたいとか。いろいろあるだろ?」
「ご飯が食べたい」
「それは、会場に行く前に用意してやる。とにかく、考えておいてくれ」
言い置いて、私は部屋を出たのだった。
おっと、宿の主人にひとり分の食事を部屋に届けるよう言うのを忘れずに。
★★★★★
騎士団長ではあるが、私は伯爵子息でもある。
貴族の子弟には、側仕えなるものが一人か二人はいるものだ。
しかし私は側仕えを戦場に連れて行くことはない。
殿下の従者であるレギのように、騎士の心得のある者なら連れて行けるのだが。私の従者はどちらかというと教育係という資質の者が多い。
しかしノアの世話をしてやれないから。急遽側仕えを呼んだ。
凱旋中は騎士団の列が長く、ゆっくり進むので。向こうから早駆けで来てもらった方が早いのだ。
各領の中心部の町に入るときは、騎乗して列の先頭に立って国民の歓迎を受けるのだが。
町に入るまでの道は、畑や野原などののどかな風景が続き、人もいないので。馬車で移動する。
それで、昨夜は。
パーティーから部屋に帰ると。ノアはソファに横になって寝ていたので。詳しい話は聞けなかった。
子供だから、深夜まで起きていられなかったようだ。
毛布を彼にかけてやり。私はベッドで寝た。
というわけで。移動中の馬車の中で、ノアの望みを聞くことにしたのだ。
「あの、すっごく高望みなので、ダメなことはあきらめますので言ってください。一番は旦那様の従者になることです」
「旦那様って言うのはやめてくれ。ノアは奴隷ではないのだからな。私は、アンドリュー・ツヴァイク伯爵子息だ。呼ぶときはアンドリュー…さまかな」
自分で様をつけるのも、恥ずかしいが。側仕えや使用人は私をそう呼ぶ。
「では、アンドリュー様。二番目に考えたのは、アンドリュー様はお屋敷をお持ちでしょうか? そこで使用人や雑用として働きたいです。三食いただけたら、ただ働きでも構いません」
「なんだ、全然高望みじゃないから。逆に驚いたよ」
「そんな。王都ではその日暮らしで。三食食べられることなんかなかった。孤児のぼくが貴族のお屋敷で働ける機会もありませんから。これはとても幸運なことで。だからぼくは、これでも結構吹っ掛けたつもりなんです。交渉ごとは強気に行けって、兄ちゃんが…」
ノアには兄がいるようだが。家族がいないと言っていたから。死んだのか?
とにかくノアは、ひとりで生きていくしかないような口ぶりだった。
「そうか。なら、三食は保証してやろう。それで、私の従者の件だが。悪くはないが、ノアはまだ幼いからな。私の従者には、騎士相当の腕前と、私の身の回りの世話ができる者を望む。なので、ノアに剣の才があり、騎士として働けるようになったら。私の従者にしてやる」
「でも、騎士にはどうしてなったらいいのですか?」
「毎年、騎士団の入団試験がある。そこに受かれば見習い騎士として採用されるのだが。まずノアは、私の屋敷の仕事をしながら、体作りをし、剣術の基礎を学ぶ。その細い体つきでは騎士にはなれないからな。しかし、屋敷で問題を起こしたら、即解雇だ。三食食べたいのなら、真面目に仕事に励むことだな」
「わかりました。問題を起こすことなく、アンドリュー様の従者を目指して頑張ります」
そう言って、ノアはにこりと笑みを浮かべた。
どうやら彼の納得する条件で落ち着いたようだな。
とりあえず、ホッとした。
失恋の自棄で、身請けなんかをしてしまい。子供を町にひとりで放り出せないから焦ったけど。
ノアは思ったより聡明で、しっかりした考えを持っているようだから。助かった。
仕事をすることにも、意欲的だし。この程度の要求なら想定内だ。
でも。うーん、子供だし。入団試験までは、弟子扱いで。働かせないで屋敷に置いてもいいのかも。
そこらへんは、側仕えが来てから相談することにしよう。
まぁ、でも。ノアのおかげで、失恋の痛手が少なく済んだのは事実だ。
王都までの道のり、気がまぎれたから。彼には感謝する。
左目の上の傷は、まだ赤い線を描いて傷口が生々しいし。
まだ失明の恐れもあるというので。大事を取って、しばらくは片側を大きく覆うような黒い眼帯をすることになったけど。
片目が見えていれば、剣を振るのに支障はない。
タイジュ先生は、病院に行って、他の医者にしっかり診てもらってほしいと言ったが。
彼より優秀な医者など、この世に存在しないだろう。
「傷口が開いたり、どこか違和感があるようでしたら、すぐに診察を受けてください」
心配そうに眉を下げて、優しい声をかけてくれるタイジュ先生。
彼の言うようにしたい気持ちはあるが。
それよりも。私にはやらなければならないことがある。
武功を上げ、褒章を貰ってタイジュ先生を身請けすることだ。
ここで私の命が助かったのは、きっとタイジュ先生を奴隷の沼から救い出すためなのだ。
以前の私なら。祖国スタインベルンのため。盟友ディオン殿下のため。
そんな心持ちで戦場へ帰って行っただろう。
だが私は生まれ変わった。恋に目覚めた。
タイジュ先生を、手に入れたいのだ。
「武功を上げたら褒美をもらえるので頑張ります」
そう、先生に言ったら。
「武功よりも怪我をしないこと。またこのテントに戻ってきたら、怒りますからね?」
微笑んで、そう言った。
私はあなたを身請けするために武功をあげると言っているのだ。
でもタイジュ先生は、自分が身請けされるなんて、全く気付いていない。考えにものぼらない様子だ。
奴隷で仕方がなく医者をしているのでもなく。あわよくば、奴隷の身から抜け出せるかと患者に媚び、見返りを求めているわけでもない。
先生はただ、医者の職務を全うし。
患者の私を本気で心配しているのだ。
その素晴らしい人間性に惚れ。ますます身請けしたいと思うようになった。
そうして戦場に戻った私は、敵兵を斬って斬って斬りまくってやったのだ。
頭の上から敵の血を浴び、白い鎧も真っ赤に染まり。
血塗られたエメラルドの騎士だと味方兵までも恐れたが。
誰になにを言われても。
私はタイジュ先生を手に入れるためならなんだってする。
一時期、私がやられた黒騎士のせいでスタインベルンは劣勢になり。さらに私が敬愛する殿下までもが黒騎士の餌食となって。
我が国の命運は尽きたか…と思われたが。
タイジュ先生が聖なる力で、黒騎士を倒した。
さらに殿下の御命までも救って。スタインベルンは急激に攻勢に転じたのだ。
タイジュ先生が黒騎士を倒したことは、私の他に一部の者しか知らないが。
私はやはり、タイジュ先生は女神が遣わした使者なのだと思った。
奴隷などという泥沼から、早く彼を解放してやらなくては、という思いで。私は全精力をかけて、敵兵を国外まで追い出したのだった。
近衛騎士団長として見事な働きだと、殿下からもお褒めの言葉をいただき。
重傷を負った殿下が療養のため一足先に王都へ戻るのに際し。
私は騎士団の全権を委譲された。
それは殿下が私を右腕と認めて、終戦の締めくくりを任せてくれたということだ。
彼を目標として身を律してきた私にとって、これほどの誉れはない。
華々しい戦勝パレードの主役として、私は騎士団を率いて王都へ凱旋することになるが。
その前に、タイジュ先生に身請けの報告をしなければ。
彼には事前に身請けの承諾を貰っている。
あとは金銭の工面だけだった。
黒騎士を捕らえた褒賞は五百万ほど。
これはタイジュ先生の手柄なので、全額身請け料につぎ込むと決めていた。
他にも近衛騎士団長としての手柄などで一千万ほどは出るだろう。おそらく、これだけあれば先生とコエダちゃんを身請けできる。
足りなければ、今までの蓄えもあるし。実家から借りてもいい。
とにかく、まずはタイジュ先生とコエダちゃんを戦場から出してあげたかった。
凱旋パレードの前に奴隷商と交渉し。身請けを済ませ。
王都についたら私の屋敷に彼らを迎えるのだ。
騎士は引退して、伯爵位を継ぎ。タイジュ先生とコエダちゃんは私の元で、王都で穏やかに生活する。
伯爵として身を立てたら、殿下の後ろ盾となり、今度は政治面で彼を補佐するのだ。
完璧な将来ビジョンに、私は微笑み。医療班のテントを訪れた。
タイジュ先生とコエダちゃんの管理をしている者は、ロークという初老の医者だ。彼に、奴隷商とのつなぎを取ってもらおうと思った。
しかしローク先生は、タイジュとコエダはもういない、と言う。
「なに? どこへ? 奴隷商の元か? それとも、まさか死ん…」
「生きては、おります。しかし私の口からはこれ以上のことは申し上げられません。どうか、奴隷商の方へ問い合わせてください」
そんな…終戦まではここで医者として働いていると思っていた。
終戦により奴隷商が彼らを引き上げたのだとしたら。
タイジュ先生もコエダちゃんも、男娼として売られるなどということも考えられる。
焦燥感が募った。私のタイジュ先生だ、誰にも触らせたくない。
私はローク先生に、タイジュ先生を管理していた奴隷商の連絡先を聞き。すぐに伝令を送った。
★★★★★
国境のノベリア領。そこに侵略してきた敵国を追い返すべく、我らは援軍に来ていた。その大役を見事に果たした騎士団は役目を終え、王都への帰途につく。
意気揚々と、騎士団の列が途上の町をゆっくり凱旋していく。
他国の侵略を打ち払ったことを、国民は心から喜んで手を振り、兵たちを祝福してくれた。
私はその先頭に立ち、国民からの歓迎を一身に受けたが。
頭の中はタイジュ先生のことでいっぱいで。それしか考えていなかった。早く早くと、気が急く。
奴隷商のユカレフという男と会ったのは。凱旋パレード三日目のことだった。
一刻も早く会いたいというこちらの要望に応え。帰途の最中に、数ある拠点のひとつ、商会の支部で対面することになったのだ。
「これはこれは、レーテルノン戦争の立役者であるエメラルドの騎士に会えるとは、光栄です。この度はお急ぎで、どういった商品をお求めでしょうか?」
「戦争の一番の功労者はディオン殿下だ」
私がパレードの先頭で国民の祝賀を受けているのは、殿下の代わりにすぎない。ここは慇懃無礼なオレンジ髪の男に即訂正しておきたかった。
そして、本題に入る。
「あなたが管理していた、タイジュとコエダという親子の奴隷を身請けしたいのだ。金銭は今は手元にないが、王都に行けばすぐにも用意できる」
すると、ユカレフは。眉間をむにゅむにゅ動かして、変な顔をした。
「あなたもですか? もう、タイジュはどんだけ大物をタラす気だ?」
「も、とは?」
聞き捨てならない言葉に、私は問い返すが。ユカレフは営業スマイルを浮かべて言った。
「申し訳ありません。あの親子はすでに身請けされてしまいました」
私は、声を失った。驚きすぎて。
つい最近まで、ふたりとも私のそばにいたのに。話せる距離に、いたのに。
「誰に? どこへ?」
「それは個人情報ですのでお話しできません」
「タイジュ先生は、神の手だ。この戦争の、一番の功労者は…」
ディオン殿下よりも、一番の功労者は黒騎士を倒したタイジュ先生だ。そこから敵の覇気が衰え、我が軍が抗戦に転じるきっかけになった。
私は彼を解放するために、私の腕の中で守るために、身請けを決めたのに。
私以外の誰かが、神に等しきタイジュ先生をその身に抱いているというのか? 誰が? 許せない。
目の前から忽然と消えてしまった、初恋の人。
失恋の衝撃で、私は茫然自失になってしまった。
「あの、コエダよりは年嵩ですが、同じくらいの年の子が用意できますけど。身請けをいたしませんか?」
そう言って、ユカレフが顎を振ると。店員が店の奥から紫髪の子供を連れてきた。
「百万でいいですよ」
身請けの手付をするために、五百ほど用意して持っていた。
ユカレフは、もしかしたら。私がコエダちゃんを目当てに身請けをするのだと思ったのかもしれない。だから、子供を私に見せた。
けれど。私はタイジュ先生に恋をしたのだ。誰も代わりにはならない。
しかし、コエダちゃんと同じ年の子が、奴隷として売られていて。
ここで私が買わなかったら。
この子は小児性愛の変態に買われるのかもしれない、と思って。
そうしたら。コエダちゃんがそうなるのを、タイジュ先生が泣きながら止めようとする光景が脳裏に浮かんで。
ユカレフに百万支払っていた。
だが。値段の安さが。
この子はやはりタイジュ先生とコエダちゃんの代わりにはならないと想起させる。
「奴隷紋はどうしますか? 市販の首輪を購入しますか?」
「いい、首輪を取ってくれ」
「逃げられても、責任は負えませんよ?」
「構わない」
そんなやり取りのあと。ユカレフはニッコリ笑って。子供の首輪を外したのだった。
私は子供の手を引いて、その日に泊る宿の部屋に連れて行くと。
手を離して。
ひとり、ベッドに突っ伏して、寝たのだ。
なにも考えたくなかった。
★★★★★
少し寝ていたようで。扉のノックの音で目を覚ました。
「ツヴァイク団長、祝賀パーティーの会場にお出でくださいとのことです」
部下が、私を呼びに来た。凱旋パレードでは、立ち寄る領で大きな祝賀会を開いてくれる。
王都までの七日間、これに出なければならないのが、面倒だ。
「三十分後に出向く」
面倒だが、これも騎士の仕事だと思って。身を起こし。
着替えをするのに、ランプに火をつけたら。
部屋の隅に子供がいて、驚いた。
「だ、誰だ?」
「ノアです」
名前を聞いたわけではなかったのだが。
そういえば寝る前に、子供の奴隷を身請けしたのだと思い出した。
粗末だったり不潔だったりしていたわけではない。商品だから、それなりに身綺麗にしているみたいだったが。
普通の白シャツに黒ズボンを身につけている。肩口まで伸びたストレートの紫髪。
町のどこかにひとりはいそうな、普通の子供だった。
「まだいたのか? 奴隷紋はないから、どこに行ってもいいんだぞ」
「困ります。家族はいないし、どこにも行くところがないし。お腹もすいたし」
首輪を外したら、すぐにどこかへ行くと思っていたので。ノアの言葉には驚いた。
しかし、着の身着のまま追い出すというのは。マズいか。子供だし。
「ノア、どこの出身だ? 今何歳?」
「出身は、わからないけど。王都にいました。十歳」
十歳かぁ。お金を持たせて、どこかで働かせて、ひとりで生活させるのは。まだ酷な年齢だな。
コエダちゃんよりだいぶ年上だけど。
あまり発育が良くないのか、コエダちゃんよりちょっと年上かな? と思うくらいに。華奢な体型だし。細い腕で。力仕事は無理そう。
路頭に迷ったら、すぐにも体を売るようになりそう。無理無理。
私は、ノアを身請けはしたけど。奴隷から解放させたらそれで終わり、みたいな。
ただ善行をした。コエダちゃんの代わりに子供をひとり自由にしてやった。くらいのことしか考えていなかった。
善行は、綺麗すぎか。偽善だな。
というわけで、ちょっと困った。
「すまない、ノア。ありていに言えば、私はおまえを育てる気はなかった。しかし身請けしたからには、責任があるよな。それで、君の希望になるべく添うようにしてやろうと思う。しかし、私はこれからパーティーに出なければならないから。帰るまでに、どうしたいか考えておいてくれ」
私は私服を脱いで、貴族の礼装に袖を通す。
「どうしたいって、どうすれば…」
「たとえば、故郷に帰りたいとか。仕事を斡旋して欲しいとか。学校に行きたいとか。いろいろあるだろ?」
「ご飯が食べたい」
「それは、会場に行く前に用意してやる。とにかく、考えておいてくれ」
言い置いて、私は部屋を出たのだった。
おっと、宿の主人にひとり分の食事を部屋に届けるよう言うのを忘れずに。
★★★★★
騎士団長ではあるが、私は伯爵子息でもある。
貴族の子弟には、側仕えなるものが一人か二人はいるものだ。
しかし私は側仕えを戦場に連れて行くことはない。
殿下の従者であるレギのように、騎士の心得のある者なら連れて行けるのだが。私の従者はどちらかというと教育係という資質の者が多い。
しかしノアの世話をしてやれないから。急遽側仕えを呼んだ。
凱旋中は騎士団の列が長く、ゆっくり進むので。向こうから早駆けで来てもらった方が早いのだ。
各領の中心部の町に入るときは、騎乗して列の先頭に立って国民の歓迎を受けるのだが。
町に入るまでの道は、畑や野原などののどかな風景が続き、人もいないので。馬車で移動する。
それで、昨夜は。
パーティーから部屋に帰ると。ノアはソファに横になって寝ていたので。詳しい話は聞けなかった。
子供だから、深夜まで起きていられなかったようだ。
毛布を彼にかけてやり。私はベッドで寝た。
というわけで。移動中の馬車の中で、ノアの望みを聞くことにしたのだ。
「あの、すっごく高望みなので、ダメなことはあきらめますので言ってください。一番は旦那様の従者になることです」
「旦那様って言うのはやめてくれ。ノアは奴隷ではないのだからな。私は、アンドリュー・ツヴァイク伯爵子息だ。呼ぶときはアンドリュー…さまかな」
自分で様をつけるのも、恥ずかしいが。側仕えや使用人は私をそう呼ぶ。
「では、アンドリュー様。二番目に考えたのは、アンドリュー様はお屋敷をお持ちでしょうか? そこで使用人や雑用として働きたいです。三食いただけたら、ただ働きでも構いません」
「なんだ、全然高望みじゃないから。逆に驚いたよ」
「そんな。王都ではその日暮らしで。三食食べられることなんかなかった。孤児のぼくが貴族のお屋敷で働ける機会もありませんから。これはとても幸運なことで。だからぼくは、これでも結構吹っ掛けたつもりなんです。交渉ごとは強気に行けって、兄ちゃんが…」
ノアには兄がいるようだが。家族がいないと言っていたから。死んだのか?
とにかくノアは、ひとりで生きていくしかないような口ぶりだった。
「そうか。なら、三食は保証してやろう。それで、私の従者の件だが。悪くはないが、ノアはまだ幼いからな。私の従者には、騎士相当の腕前と、私の身の回りの世話ができる者を望む。なので、ノアに剣の才があり、騎士として働けるようになったら。私の従者にしてやる」
「でも、騎士にはどうしてなったらいいのですか?」
「毎年、騎士団の入団試験がある。そこに受かれば見習い騎士として採用されるのだが。まずノアは、私の屋敷の仕事をしながら、体作りをし、剣術の基礎を学ぶ。その細い体つきでは騎士にはなれないからな。しかし、屋敷で問題を起こしたら、即解雇だ。三食食べたいのなら、真面目に仕事に励むことだな」
「わかりました。問題を起こすことなく、アンドリュー様の従者を目指して頑張ります」
そう言って、ノアはにこりと笑みを浮かべた。
どうやら彼の納得する条件で落ち着いたようだな。
とりあえず、ホッとした。
失恋の自棄で、身請けなんかをしてしまい。子供を町にひとりで放り出せないから焦ったけど。
ノアは思ったより聡明で、しっかりした考えを持っているようだから。助かった。
仕事をすることにも、意欲的だし。この程度の要求なら想定内だ。
でも。うーん、子供だし。入団試験までは、弟子扱いで。働かせないで屋敷に置いてもいいのかも。
そこらへんは、側仕えが来てから相談することにしよう。
まぁ、でも。ノアのおかげで、失恋の痛手が少なく済んだのは事実だ。
王都までの道のり、気がまぎれたから。彼には感謝する。
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