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番外 ディオン 愛で方がわからない ③
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目が覚めた。
は? 目が覚めた? 戦場に来て、いや長年、ぐっすり寝たことなどないが。
なんか、頭の奥がすっきりしている感覚だ。
まさかこれが、爽快な目覚めというやつなのかっ?
つか、俺は本当に寝ていたのか?
「ディオンさん、目が覚めましたか?」
そう言って、俺の顔を覗き込んできたのは。黒髪の人物。声は男だが。
その顔に、俺は目を奪われた。
ニッコリと微笑んで。優しい眼差しで俺をみつめている。
慈愛にあふれ、俺を包み込むかのような温かい雰囲気は。
まるで女神フォスティーヌのよう。
あまり知られていないことだが。女神フォスティーヌは艶やかな黒髪なのだ。
祈りのポーズで床に座っていて、毛先が地を掃くほどに長い、まっすぐな髪をしている。前髪は眉のあたりで切り揃えられた、年若い女性の姿で表現されることが多い。
清楚で可憐でありながら、厳しさも持ち合わせる、仁愛精神に富む神である。
しかし世に出回る女神の姿は、教会にある白いままの石膏彫刻などが多く。黒髪の人物が大変少ないこともあって、絵画などではイメージで金髪の女神が描かれることが多かった。
本当の姿を人間の都合で曲げられて伝えられるのは、嘆かわしいことだ。
だがスタインベルン王家は女神の嫡流であるという言い伝えがあり。
正しい姿の女神を信仰している。
そして髪色などの片りんは、王家と言えどほぼ失われているものの。強力な魔力を維持できるのは女神の恩恵だと言われているのだ。
というわけで、目の前の男が見事な黒髪だったので。
そして慈愛のあふれる笑みを浮かべ、俺をみつめてくるので。
俺は彼に見惚れてしまったのだった。
「…ここはあなたの部屋ですよ。わかりますか?」
ヤバい、一瞬で、惚れた。
俺を見て身をすくめ、脅え、屈強な騎士でさえ己の凶悪な顔におののくばかり。
こんなに柔らかい表情で笑みを向ける人物に、出会ったことがない。
ギュンと。この女神の化身のような男に、心を持っていかれた。
「…嘘だろ」
この俺が、恋をするなんて。
自分の身を守るのが精いっぱいだから、人を寄せ付けないようにしてきた、俺が。
この男を手に入れたいと思うなんて。
だが、そのとき。
俺のつぶやきに少し首を傾げた、彼に首輪がついているのを発見し。
そして、目覚める前。怪我に苦しんでいたとき、奴隷医師と話をしたのを思い出して。
彼とあの奴隷医者が同一人物だと気づいてしまった。
「黒髪? 黒髪の…奴隷医師っ…おまえ、あのときの不敬な医者だな? 俺になにをした?」
そうだ、思い出した。俺は黒騎士に腹を突かれて大怪我をし、苦しんでいた。
死を待つばかりだった。
なのに、薬など効かない俺に、こいつはなにかをして。今まで寝ていたのだ。
そういえば、死ぬと思えたほどの痛みが。今、一切感じない。
そんなバカなことがあるのかっ??
つか、ここは丸太小屋の、俺にあてられた部屋じゃないか。
処置室からここまで運んできたのか? その間目覚めなかったということか? そんなに深く眠れるものなのか?
考えられない。物心ついた頃には、もう不眠症だったぞ。その俺が?
この男がなにかをしたのだ。それしか考えられない。
問い質したくて、身を起こそうとしたら。
男に肩を押されて、止められた。
そのとき、彼の顔が間近にっ。
極めて平凡な顔つきなのに、目の表情がどことなく色っぽい。
唇がつややかで、柔らかそうで。
鼻はそれほど高くはないが、全体の顔の印象にマッチしていてベストバランス。
つか、ひとめ惚れしたその顔を、こんなに寄せられたら。
俺は、どうしたらいいのだっ??
二十三歳になるこの年まで。俺は人づきあいも、もちろん恋人を作ったりもしたことがない。
だから、どうしたらいいのか、わからないっ。
「大きな手術をしたので、動かないで。もう少し寝ていてください」
そうだ、それも聞きたい。
「寝て? 俺は寝ていたのか?」
どうして? なんで? 俺は寝ていたのだ? なにをしたのだ?
疑問や戸惑いばかりが頭を占め。くらくらした。
いわゆる、パニックだ。いろいろ考えすぎて、なにも考えられない。はぁ??
そして、彼がまた。俺の好きな顔でにこりと笑う。
俺の心臓を撃ち抜いた、その笑顔で。
「意識は鮮明のようですね? でももうちょっと、おやすみなさい」
いや待て、もっと話がしたい。
おまえにいろいろ聞きたいのだ。
しかしそう思った矢先。俺はまた、スコンと意識を失ったようなのだ。
★★★★★
次に目覚めたとき。
俺にあてられた見慣れた部屋の、いつものベッドに寝ていて。
顔を覗き込んできたのは、オドオドびくびくした見知らぬ医者。
あの奴隷医者の姿は忽然と消えていたのだ。
まさか、夢を見ていたのか?
女神と同じ黒髪の、慈愛あふれるあの微笑みを思い浮かべる。
しかし。俺は夢は見ない。
あいつは確かに存在しているはずだ。
いま目前にいる医者は、俺と目が合うたびに身をすくめるので、いけ好かない。
その上、まるで自分が執刀したかのように、手術は成功しましたなどと言いやがる。
「この手術はおまえがしたんじゃない。あの奴隷医者がしたんだろ。王族相手に嘘をついたら不敬罪だぞ」
軽く脅すと。俺を手術した医者は重傷者テントに返しました、と白状した。
最初から、そう言え。
そして、その医者が抜糸をしたが。糸を引っ張るたびに引きつって。
肉が千切れるぅ…いってぇな、ヤブ医者め。チェンジしろっ。
その後、面会が許されて。俺の従者であるレギが顔を見せたので、ホッとした。
見知らぬ顔は、いつ暗殺者に変わってもおかしくないので。気が休まらない。
レギは涙涙で、俺の手を握り。俺の生還を喜んだ。
生還で、大丈夫だよな? 激痛などはないので、ここからの急変はない、と思いたいが。
レギの話によると、怪我をしたあの日から三日ほどが経っていた。
大きな手術だったからしばらく面会は控えてくれと初老の医師に言われ。俺に会える日を待ち望んでいたという。
レギは、奴隷医者には会っていないようだ。
つか、アレは本当に存在しているよな? 俺が無意識に求めている願望ではないよな? ちょっと自信がなくなってきた。
「殿下がお休みの間に、事が大きく動いたのですよ。実は…」
そう言って、レギは朗報を俺にもたらした。
俺が全く歯が立たなかったあいつ、あの剛腕の黒騎士を捕縛したというのだ。
捕らえたのはアンドリューだというので、俺はさすがだな、と思ったのだが。
黒騎士の言は、少し異なっていた。
一日を、立ち歩きや体力回復に費やし。
俺は黒騎士を聴取するため、レギとアンドリューを伴って、黒騎士を捕らえている倉庫へ向かった。
急ごしらえで作った倉庫で、黒騎士には鎖を厳重に巻き、逃亡を阻止するために奴隷の首輪もつけてある。
万が一、奴が逃げても。奴隷紋によって殺すことができる。
まぁそれは、最悪なパターンだが。できる限り、こいつから情報を搾り取りたい。
身動きできない黒騎士の前に、俺とアンドリューは立つと。
黒騎士は驚きに目をみはる。
「マジか。あんたは確実に殺ったかと思ったのにな。やはり死者をよみがえらせる神の手というのは事実だったのか?」
「神の手…」
その文言は、かつて聞いたことがある。アンドリューが言っていたのだ。
優秀な医者に助けられた、あれはまさしく神の手…と。
俺がアンドリューに視線をやると。彼は小さくうなずくだけだった。
黒騎士の話によると、神の手を暗殺するため敵陣に侵入したらしい。
しかし神の手は、黒騎士の渾身の一撃をよけ。さらに攻撃しようとしたときに、急激に眠気に襲われ。
気づいたときには捕縛されたあとだったという。
「女神フォスティーヌが遣わした使者、神の手…あれは本当に、神のしもべだ。神に歯向かう我らに勝機はなかったということなのだな…」
観念したように黒騎士は項垂れて、つぶやいた。
黒騎士から離れ、俺はアンドリューに聞いた。
「どういうことだ? おまえが黒騎士を捕まえたんじゃないのか?」
「申し訳ありません、殿下。黒騎士の言う通り、彼は神の手が捕まえました。実は彼は奴隷医師で。しかし奴隷商には魔法のことを内緒にしていて…だから魔法で彼を捕らえたことを言えなかったのです」
「…魔法? どんな魔法だ? 死者をよみがえらせるのか?」
俺はあの奴隷医者が何者で、どんなことができるのか、そこを知りたかった。
もしも死者をよみがえらせるなんてことだったら。
国を挙げて敬わなければならなくなる。
俺のモノに、できなくなる。
しかしアンドリューは俺の言葉に首を振った。
「いいえ、そのような大それたものではなく。マスイと鎮痛の効果だと言っていました。マスイの意味はよくわかりませんが。たぶん私の経験上、眠れるのだと…。魔法があることが奴隷商に知られると、値がつり上がり、奴隷から脱出しにくくなるから。公にしないで、黒騎士を捕まえたのは私ということにしてくれと彼に頼まれたのです」
眠れる魔法と聞き。俺は、内心、歓喜に踊り狂いたい気分だった。
それは、俺のための魔法だっ。
というか、魔法持ちなことを隠して、奴隷に甘んじているということに。俺は驚く。
いや、奴隷から脱出はしたいのか。
どちらにしろ、一度堕ちた地位はそうそう回復しないのに。
この国の民であれば、奴隷になったら人生はあきらめるものだが。神の手とやらは、あきらめていないらしい?
そのことにも驚く。
だが、驚いた顔も歓喜の顔も見せずに。アンドリューに了解したとうなずいた。
「嘘は良くないが、そういう事情なら仕方がない。この話は俺の胸におさめておく」
「ありがとうございます、殿下」
アンドリューとも別れて。俺は体が小刻みに震えるのをおさえられなかった。
優秀な医者と、死者をよみがえらせる神の手。女神フォスティーヌの使者。
黒騎士を襲った急な眠気。
そしてアンドリューの決定的な言葉は、奴隷医師。
そのワードをつなげれば。おのずとひとりの人物に突き当たる。
俺を治した、黒髪の彼。
シクリと痛む腹に、俺は手を当て。その僥倖に、ニヤリと頬をゆるめた。
は? 目が覚めた? 戦場に来て、いや長年、ぐっすり寝たことなどないが。
なんか、頭の奥がすっきりしている感覚だ。
まさかこれが、爽快な目覚めというやつなのかっ?
つか、俺は本当に寝ていたのか?
「ディオンさん、目が覚めましたか?」
そう言って、俺の顔を覗き込んできたのは。黒髪の人物。声は男だが。
その顔に、俺は目を奪われた。
ニッコリと微笑んで。優しい眼差しで俺をみつめている。
慈愛にあふれ、俺を包み込むかのような温かい雰囲気は。
まるで女神フォスティーヌのよう。
あまり知られていないことだが。女神フォスティーヌは艶やかな黒髪なのだ。
祈りのポーズで床に座っていて、毛先が地を掃くほどに長い、まっすぐな髪をしている。前髪は眉のあたりで切り揃えられた、年若い女性の姿で表現されることが多い。
清楚で可憐でありながら、厳しさも持ち合わせる、仁愛精神に富む神である。
しかし世に出回る女神の姿は、教会にある白いままの石膏彫刻などが多く。黒髪の人物が大変少ないこともあって、絵画などではイメージで金髪の女神が描かれることが多かった。
本当の姿を人間の都合で曲げられて伝えられるのは、嘆かわしいことだ。
だがスタインベルン王家は女神の嫡流であるという言い伝えがあり。
正しい姿の女神を信仰している。
そして髪色などの片りんは、王家と言えどほぼ失われているものの。強力な魔力を維持できるのは女神の恩恵だと言われているのだ。
というわけで、目の前の男が見事な黒髪だったので。
そして慈愛のあふれる笑みを浮かべ、俺をみつめてくるので。
俺は彼に見惚れてしまったのだった。
「…ここはあなたの部屋ですよ。わかりますか?」
ヤバい、一瞬で、惚れた。
俺を見て身をすくめ、脅え、屈強な騎士でさえ己の凶悪な顔におののくばかり。
こんなに柔らかい表情で笑みを向ける人物に、出会ったことがない。
ギュンと。この女神の化身のような男に、心を持っていかれた。
「…嘘だろ」
この俺が、恋をするなんて。
自分の身を守るのが精いっぱいだから、人を寄せ付けないようにしてきた、俺が。
この男を手に入れたいと思うなんて。
だが、そのとき。
俺のつぶやきに少し首を傾げた、彼に首輪がついているのを発見し。
そして、目覚める前。怪我に苦しんでいたとき、奴隷医師と話をしたのを思い出して。
彼とあの奴隷医者が同一人物だと気づいてしまった。
「黒髪? 黒髪の…奴隷医師っ…おまえ、あのときの不敬な医者だな? 俺になにをした?」
そうだ、思い出した。俺は黒騎士に腹を突かれて大怪我をし、苦しんでいた。
死を待つばかりだった。
なのに、薬など効かない俺に、こいつはなにかをして。今まで寝ていたのだ。
そういえば、死ぬと思えたほどの痛みが。今、一切感じない。
そんなバカなことがあるのかっ??
つか、ここは丸太小屋の、俺にあてられた部屋じゃないか。
処置室からここまで運んできたのか? その間目覚めなかったということか? そんなに深く眠れるものなのか?
考えられない。物心ついた頃には、もう不眠症だったぞ。その俺が?
この男がなにかをしたのだ。それしか考えられない。
問い質したくて、身を起こそうとしたら。
男に肩を押されて、止められた。
そのとき、彼の顔が間近にっ。
極めて平凡な顔つきなのに、目の表情がどことなく色っぽい。
唇がつややかで、柔らかそうで。
鼻はそれほど高くはないが、全体の顔の印象にマッチしていてベストバランス。
つか、ひとめ惚れしたその顔を、こんなに寄せられたら。
俺は、どうしたらいいのだっ??
二十三歳になるこの年まで。俺は人づきあいも、もちろん恋人を作ったりもしたことがない。
だから、どうしたらいいのか、わからないっ。
「大きな手術をしたので、動かないで。もう少し寝ていてください」
そうだ、それも聞きたい。
「寝て? 俺は寝ていたのか?」
どうして? なんで? 俺は寝ていたのだ? なにをしたのだ?
疑問や戸惑いばかりが頭を占め。くらくらした。
いわゆる、パニックだ。いろいろ考えすぎて、なにも考えられない。はぁ??
そして、彼がまた。俺の好きな顔でにこりと笑う。
俺の心臓を撃ち抜いた、その笑顔で。
「意識は鮮明のようですね? でももうちょっと、おやすみなさい」
いや待て、もっと話がしたい。
おまえにいろいろ聞きたいのだ。
しかしそう思った矢先。俺はまた、スコンと意識を失ったようなのだ。
★★★★★
次に目覚めたとき。
俺にあてられた見慣れた部屋の、いつものベッドに寝ていて。
顔を覗き込んできたのは、オドオドびくびくした見知らぬ医者。
あの奴隷医者の姿は忽然と消えていたのだ。
まさか、夢を見ていたのか?
女神と同じ黒髪の、慈愛あふれるあの微笑みを思い浮かべる。
しかし。俺は夢は見ない。
あいつは確かに存在しているはずだ。
いま目前にいる医者は、俺と目が合うたびに身をすくめるので、いけ好かない。
その上、まるで自分が執刀したかのように、手術は成功しましたなどと言いやがる。
「この手術はおまえがしたんじゃない。あの奴隷医者がしたんだろ。王族相手に嘘をついたら不敬罪だぞ」
軽く脅すと。俺を手術した医者は重傷者テントに返しました、と白状した。
最初から、そう言え。
そして、その医者が抜糸をしたが。糸を引っ張るたびに引きつって。
肉が千切れるぅ…いってぇな、ヤブ医者め。チェンジしろっ。
その後、面会が許されて。俺の従者であるレギが顔を見せたので、ホッとした。
見知らぬ顔は、いつ暗殺者に変わってもおかしくないので。気が休まらない。
レギは涙涙で、俺の手を握り。俺の生還を喜んだ。
生還で、大丈夫だよな? 激痛などはないので、ここからの急変はない、と思いたいが。
レギの話によると、怪我をしたあの日から三日ほどが経っていた。
大きな手術だったからしばらく面会は控えてくれと初老の医師に言われ。俺に会える日を待ち望んでいたという。
レギは、奴隷医者には会っていないようだ。
つか、アレは本当に存在しているよな? 俺が無意識に求めている願望ではないよな? ちょっと自信がなくなってきた。
「殿下がお休みの間に、事が大きく動いたのですよ。実は…」
そう言って、レギは朗報を俺にもたらした。
俺が全く歯が立たなかったあいつ、あの剛腕の黒騎士を捕縛したというのだ。
捕らえたのはアンドリューだというので、俺はさすがだな、と思ったのだが。
黒騎士の言は、少し異なっていた。
一日を、立ち歩きや体力回復に費やし。
俺は黒騎士を聴取するため、レギとアンドリューを伴って、黒騎士を捕らえている倉庫へ向かった。
急ごしらえで作った倉庫で、黒騎士には鎖を厳重に巻き、逃亡を阻止するために奴隷の首輪もつけてある。
万が一、奴が逃げても。奴隷紋によって殺すことができる。
まぁそれは、最悪なパターンだが。できる限り、こいつから情報を搾り取りたい。
身動きできない黒騎士の前に、俺とアンドリューは立つと。
黒騎士は驚きに目をみはる。
「マジか。あんたは確実に殺ったかと思ったのにな。やはり死者をよみがえらせる神の手というのは事実だったのか?」
「神の手…」
その文言は、かつて聞いたことがある。アンドリューが言っていたのだ。
優秀な医者に助けられた、あれはまさしく神の手…と。
俺がアンドリューに視線をやると。彼は小さくうなずくだけだった。
黒騎士の話によると、神の手を暗殺するため敵陣に侵入したらしい。
しかし神の手は、黒騎士の渾身の一撃をよけ。さらに攻撃しようとしたときに、急激に眠気に襲われ。
気づいたときには捕縛されたあとだったという。
「女神フォスティーヌが遣わした使者、神の手…あれは本当に、神のしもべだ。神に歯向かう我らに勝機はなかったということなのだな…」
観念したように黒騎士は項垂れて、つぶやいた。
黒騎士から離れ、俺はアンドリューに聞いた。
「どういうことだ? おまえが黒騎士を捕まえたんじゃないのか?」
「申し訳ありません、殿下。黒騎士の言う通り、彼は神の手が捕まえました。実は彼は奴隷医師で。しかし奴隷商には魔法のことを内緒にしていて…だから魔法で彼を捕らえたことを言えなかったのです」
「…魔法? どんな魔法だ? 死者をよみがえらせるのか?」
俺はあの奴隷医者が何者で、どんなことができるのか、そこを知りたかった。
もしも死者をよみがえらせるなんてことだったら。
国を挙げて敬わなければならなくなる。
俺のモノに、できなくなる。
しかしアンドリューは俺の言葉に首を振った。
「いいえ、そのような大それたものではなく。マスイと鎮痛の効果だと言っていました。マスイの意味はよくわかりませんが。たぶん私の経験上、眠れるのだと…。魔法があることが奴隷商に知られると、値がつり上がり、奴隷から脱出しにくくなるから。公にしないで、黒騎士を捕まえたのは私ということにしてくれと彼に頼まれたのです」
眠れる魔法と聞き。俺は、内心、歓喜に踊り狂いたい気分だった。
それは、俺のための魔法だっ。
というか、魔法持ちなことを隠して、奴隷に甘んじているということに。俺は驚く。
いや、奴隷から脱出はしたいのか。
どちらにしろ、一度堕ちた地位はそうそう回復しないのに。
この国の民であれば、奴隷になったら人生はあきらめるものだが。神の手とやらは、あきらめていないらしい?
そのことにも驚く。
だが、驚いた顔も歓喜の顔も見せずに。アンドリューに了解したとうなずいた。
「嘘は良くないが、そういう事情なら仕方がない。この話は俺の胸におさめておく」
「ありがとうございます、殿下」
アンドリューとも別れて。俺は体が小刻みに震えるのをおさえられなかった。
優秀な医者と、死者をよみがえらせる神の手。女神フォスティーヌの使者。
黒騎士を襲った急な眠気。
そしてアンドリューの決定的な言葉は、奴隷医師。
そのワードをつなげれば。おのずとひとりの人物に突き当たる。
俺を治した、黒髪の彼。
シクリと痛む腹に、俺は手を当て。その僥倖に、ニヤリと頬をゆるめた。
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