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番外 ユカレフ あのブドウは酸っぱい

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     ◆ユカレフ あのブドウは酸っぱい

 俺は奴隷商などやっているが、人間を売り買いすることは、そんなに好きではない。
 親父が奴隷商などやっていたから、それを引き継いだに過ぎないのだ。
 とは言うものの、すでに確立した売買ルートを手放すのは得策ではないし。儲けも多大なので。町の子供たちが奴隷商が来たぞぉ、と叫びながら蜘蛛の子を散らしたように逃げていくサマを見ても、足を洗うことを考えたことはなかった。

 しかし、俺より年下の者を娼館に売らなければならないのは、心が痛む。
 儲けが出るので、綺麗ごとだが。
 ま、奴隷商は俺に向いていないんだろう。

 かといって、これの他に出来ることはなく。惰性で商売を続けていたとき。
 スタインベルンと隣国レーテルノンの戦争が始まった。
 戦争は、奴隷商にとっては書き入れ時である。
 男は兵士として。女は兵士の慰めとして。よく売れる。
 そして、いつもは。人を食い物にする商売として奴隷商を毛嫌いしている、国が。上得意になるのだ。
 国は軍費をかき集めるために、人を売り出す。
 まずは、罪人。そして、孤児。さらには煙たい政敵などだ。

 国は彼らを売った金で、戦場に出す兵士や雑役兵を、また奴隷商から貸し出してもらう。
 どちらかというと、頭が悪いね。奴隷商のひとり勝ちなので。
 ま、儲かるから。国のおバカさんには、ずっとおバカさんでいてもらいたいものだ。
 とはいえ、国が守るべき民を率先して売り。俺は子供を戦地へ送り金を得ることに。
 ほとほと嫌気は差していた。

 そんなときに、俺はあの親子に会ったのだ。

 タイジュとコエダ。
 出会った当初は名を知らなかったが。のちのち知ったのだ。

 なにをしたのか知らないが、子爵がお家断絶になり。
 たまたまそこに居合わせたタイジュとコエダが奴隷堕ちの憂き目にあった、という。
 全く、運のない医者だ。

 タイジュは黒々として光沢のある美しい髪が印象的な男で。短くしているのだが、伸ばしたらさぞかしゴージャスになるだろうと思えた。
 黒い瞳は、丸くて、子犬のような愛嬌があり。しかし目元は形がよく。少しまぶたを伏せると色っぽく見える。
 中肉中背で、俺が抱き締めたら体をすっぽり覆えるだろう。抱き心地が良さそうだ。

 男娼として、申し分ない男。
 しかし彼は、父親で、医者だった。
 タイジュは、この国の人間にはいない髪色をしているから、外国人なのだろうと思う。
 その色めの珍しさに、飛びつく客は多そうだったが。

 騎士の誰かが、医者だから高値にしろと言った。
 余計なことを言うな。
 つか、あの騎士は。たぶん、この男が男娼になるのを憐れに思ったのだろう。
 国のためでも、奴隷商に値を交渉するような騎士はいない。
 この屋敷を騎士が占拠してから、それほど時間が経っていないはずだが。もう男をほだしているとは。
 なかなかやるじゃないか? 男娼の素質がある。

 これは、なかなか良い品を手に入れたかもしれないな。

 そう思っていたら。タイジュがコエダとニコイチにしろって言うのだ。
 ニコイチ、はじめて聞く言葉だな。
 っていうか、奴隷をワンセット売りなんて、聞いたことないよ。
 タイジュはコエダと離れたくなくて必死だったのだろうけど。
 兄弟や親と離れたくなくて、わめいたり暴れる奴はいても。奴隷商の俺に、冷静にそう持ち掛けてくる奴ははじめてだ。
 面白いじゃん。
 子連れで仕事をこなすのが大変なことを、この若い父親は知っているのだろうか?
 どうせ、疲れたり飢えたりしたら、真っ先に子供を捨てるのだろう? どこまで持つのか楽しみだ。
 とはいえ子供が死ぬのは、やはり胸の奥がむかつく。
 だから、助言はしたよ。子供が兵士に犯されるとか、胸糞悪いことにならないようにな。

 あと、管理者への取扱説明書にも、しっかり明記しておく。
 親子はワンセットで行動させる。
 使用は医療行為に限る。その他の雑事で疲弊させてはならない。
 男娼も検討中のため、特に性行為は厳禁。純潔が失われた場合は、商品劣化による慰謝料の請求もありうる。

 このような注意書きは、高級男娼にもしないが。さぁ、どうする? パパ。
 子供を手放すことなく仕事を十全に行えるのか?
 やってのけたなら…最高級品として俺の手元に置いてやってもいいけどな?

 輸送中に管理者が奴隷たちの名前を聞き出して。彼らが商会に戻ってきたときに、俺はあの親子の名がタイジュとコエダだと知ったわけなのだが。
 奴隷の名前なんか、俺はいちいち覚えたりしない。
 名前は記号だ。管理者が扱いやすいよう取扱説明書に明記するだけで。ぶっちゃけ番号でもいい。
 奴隷となったら、それは商品でしかなく。
 奴隷に人権がないというのは、名前や己という自我や尊厳を踏みつけられるからなのだ。
 だけど、俺は。ふーん、あの親子、タイジュとコエダっていうんだ…と思って。
 なんとなく、脳裏に刻んでしまったのだ。

 そして、およそ一ヶ月後。タイジュがやりやがった。
 まさか、王族を釣り上げるとはな。なんて、大物食いだ。
 第二王子があの親子の身請けを所望していると聞き、俺は慌ててノベリア領へ向かうことになった。

 タイジュ自身も言っていたが、まさかおっさんに身請け話が来るなんて、想像していなかった。
 コエダならともかく。
 だからこころよく戦場に貸し出したというのに。
 しかしタイジュの見目は、珍しいし、目を引くし。
 俺より年上であるにも関わらず、十代にも見えるような若々しさと、元気、健康、頑丈さがある。
 男ばかりの戦場にいたら、その気になる者はいただろう。
 やはり高級男娼として、とっとと俺が囲っておけばよかったかなぁ。しくじったか。

 そこらの庶民や貴族ならば、俺は追い払うことができた。俺の財力にかなう者はそうそういないからな。
 しかし、王族にはさすがの俺も歯向かえない。
 彼らが欲しいと言えば、なんでも差し出さなければならないのだ。
 もちろんタダではないが。

 だから吹っ掛けてやったさ。三千万オーベルってね。
 三千万と言ったら、働き盛りの若者十人分の値段に相当する。
 いわゆる。タイジュとコエダ、ふたりの金額としても割が合わない、はず。
 これで王子が引いてくれたらいいと思った。

 しかし、それはタイジュがさすがに怒ったよな。
「ユカレフさんっ」
 普段は人のよさそうな、柔らかい雰囲気のタイジュが、目をとがらせて睨む。

 それは王子が。コエダの奴隷解放と隷属拒否を約束したからだ。

 父親であるタイジュは。コエダの解放を一途に望んでいる。
 自分はどうでも、コエダだけは、という気概がその目に宿っていた。

 あぁ、タイジュは。やり遂げたのだ。
 子供を抱えて仕事に従事し。子供を戦場で守り抜き。飢えにも疲労にも負けず。コエダを愛し通したのだな?
 俺が見込んだ、俺の面白い男。
 手放したくないなぁ。
 だからタイジュにも聞いた。

「おいぃ、おまえは王子に身請けされたいのか?」
「どうなるかはわからないけど。でも少なくとも、小枝は自由になれます」

 やはり、タイジュはコエダのことだけを考えて行動している。
 王子がおまえを蹂躙することなど、考えたことないだろう?
 部屋に囲われ、昼夜問わず抱き人形にされるかもしれないんだぞ。男が男の奴隷を所有するということは、そういう意味合いが濃いことを、おまえは知らないだろう?
 タイジュの中には、男が男に抱かれるなんて考えは全くなさそう。
 そういう清廉な目をしている。うぅ。

「…っ、俺個人の所有にしてやってもいい。コエダを解放し。タイジュも俺の部屋で囲ってやるぞ。医者をしなくてもいい」

「それって、ユカレフさんの利益にならないんじゃ?」
 きょとんとした顔で、タイジュが俺を見る。
 そこは、おまえの考えることじゃないだろう。おまえは寄り良い身請けの条件のところを選ぶべきだ。
 しかし。タイジュは商売人の俺に気遣う。
 気遣っているつもりはないのかもしれないが。
 商売人の俺が不利益をこうむる提案をするから、奇妙に思ったというところかな。
 自分のことだけ考えていればいいのに。そういうお人好しのところが、最初から、面白いと感じてしまったのかもな。
 そこで俺は、気づいたのだ。
 自分と対等にものを言う頭脳明晰さを気に入り。
 その顔や髪色や、表情にも魅かれて。
 離したくないと思うその気持ちが。

 いわゆる恋愛に近いものなのだって。

 俺はタイジュに、負けたのだ。
 好きな相手を、苦しめたくはない。商品に、そんな感情を抱くことこそが。大敗である。

「…千二百万」
 奥歯を噛んで、悔しい気持ちでつぶやいた。
 しかし、これも大損なのだぞ。
 一千万は、タイジュを長く所有したくて吹っ掛けた値段だった。到底返し切れないと、項垂れて俺に従うだろうと思った値段。
 しかし、なにやらタイジュは。一千万を返済する気満々だったが。
 そういうところだぞ、タイジュ。

 それはともかく。戦場への貸し出し料を合わせても。諸経費を引いたら、元値を回収するだけになる。
 だが。惚れた方が負けか。
 コエダが奴隷解除され、涙しながら喜ぶタイジュを見ていたら。これ以上、俺がこいつらに関わらないことこそが、タイジュの幸せなのだろうと思えてしまった。

 奴隷商の俺のままだったら、タイジュは俺を目に映しはしないのだろうな?
 くっそ。転業するか?
 転業…まぁ、未練もないし。それも良いかもな?

 しかししかし、味見をする前に俺の手から離れてしまった、タイジュ。
 手の届かないブドウを食べられない狐が、あのブドウは酸っぱいと断じてあきらめるという物語があるが。
 さぞかし美味しかったであろうタイジュを、手にした王子が憎くて。
 タイジュがコエダと感動劇場を開演している最中、俺はちょっとした嫌がらせで王子に釘を刺した。

「タイジュは医者奴隷として申請しているので。男娼の教育はいたしていません。どうぞ、そちらの御使用はお控えください」
 それで、なら面倒くさいと手放してくれたらいいと、思ったのだが。
 彼は渋い顔つきでうなずくだけ。
 俺は、王子がタイジュを見初め、所有に踏み切ったのかと思ったが。
 この反応は、違うのかな? それとも初物はつものでむしろ喜ばせてしまったか。チッ。
 しかし何故。王子はタイジュを欲しがるのか。
 それは最後までわからなかった。王子が理由を言わないので。

 王子がいらないと言ってくれないと、俺は手を出せない。
 王家は奴隷商の上得意。
 そしてこの国で、王族に歯向かえる者はいない。
 女神フォスティーヌに一番近い場所にいる、女神の加護を得るファミリーだ。
 それほど信心深くはない俺だが。
 触らぬ神に祟りなしという文言は知っている。王族とはそういうものだ。

 それに、商品に手をつけるというのは。根っからの商売人である俺には、案外高いハードルなのだ。
 王子に身請けされなくても。俺はたぶん、タイジュを囲うことはなかっただろう。

 だが。こんなに早く奪われてしまうのは、想定外すぎる。
 手の届かない場所に、こんなに急に行ってしまうとは。

 あぁ、あのブドウタイジュは酸っぱいに違いない。

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