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16 小枝を自由にしてください
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◆小枝を自由にしてください
俺たちが黒騎士に襲われたあと、しばらくは普通に暮らしていた。
普通に、というか。重傷者テントで傷病人を治しまくる日々だ。
黒騎士の件で、特に俺たちになにかを聞きに来る人もいなくて。たぶん、アンドリューさんが上手くやってくれたと思う。あの人、本当に優しい人だな?
しかし、またもや俺と小枝、そしてローク先生が呼び出されたのだ。
今度呼びに来たのは、衛生兵ではなくて軍服着用の兵だったけど。
「ローク先生、奴隷医師を連れて至急作戦指令室へお出でください。留守中はこのテントに衛生兵を増員いたします」
そうして三人の衛生兵が看病にあたった。よろしくお願いします。
というわけで、俺らは呼びに来た兵についていくのだった。
作戦指令室って、あの丸太小屋だよね? ディオンさんを診たときの。
ディオンさんの手術から一週間ほど過ぎているけど。もしかして容態が思わしくないとか?
俺は小枝をコアラ抱っこしながらも、ヒヤリとしていたが。
丸太小屋について、ある一室に通されると。そこにディオンさんがいて。
ソファに腰かける彼は特に具合が悪そうには見えず…いや、顔色はあまり良くないかな? でも、なにはともあれ寝込んでいるという様子ではないので安堵した。
案内してくれた兵は退室し。ディオンさんの横にいる人が指示する。
「親子はソファに、先生は彼らの横に」
指示した人は、赤褐色の髪を後ろで結わえているくらいに長髪の人で。ディオンさんと同じ色と形の軍服を着用している。騎士かな?
とりあえずコアラな小枝をおろして。俺と小枝はディオンさんの対面に腰かけた。
そしてディオンさんは相変わらずのギラリとした目で、俺らを無言で見やっている。
怒っているのかなぁ? なにか、マズいことしたかなぁ?
だけど、手術したけど治したんだから、怒らないでほしいです。
でもそのことは、ディオンさんは知らないんだっけ?
瀕死の重傷だった王子を手術で救ったという手柄は、別の医者に取られちゃったからね。
そう、目の前の御仁は、ディオン・スタインベルン。
青髪きらめく、この国の第二王子で。今回の戦争の最高総司令官だ。
そして俺が手術した人。
ディオンさん…もう俺の患者じゃないから、ディオン王子、だね。
そしてこの部屋にいるのは、五人じゃなくて。
なんでか奴隷商のユカレフもいるのだった。
親しみのこもったニヤリとした笑みをユカレフは向けてくる。そして俺らの背後に立つのだが。
なんなの? 気になるんですけど。
だけど、奴隷が口を差し挟めるわけもなく。黙って座っているしかない。
するとディオン王子の横にいる人がおもむろに説明を始めた。黒騎士と戦況のことだった。
黒騎士たったひとりが捕縛されたことで、変わるようなことではないと思うのだが。
戦況は劇的にスタインベルン優勢に変わったとのことだった。
俺が眠らせた敵の黒騎士は、証言によると。
やはりアンドリューさんが戦線に復帰したことに驚いたらしく。確実に致命傷を負わせたと思っていた相手がピンピンしているので、死者を復活させるような強力な治癒魔法師がスタインベルンにいると推察した。
まぁ、死者が生き返ったりしたら敵を倒したところでキリがないし。脅威に感じたのだろう。
でもアンドリューさんは普通に治しただけだけどね。
そして兵士の鼓舞する言葉で、神の手なる者の存在を知り。
敵軍の士気を上げ、死者も蘇らせる神の手を抹殺しなければ、レーテルノンの勝利はないと判断。
夜闇に紛れて、俺たちを暗殺しに来たということらしい。
いやいや、なんでそんなことに?
俺たち、右も左もわからない異世界に来て一生懸命働いていただけなんですけどぉ?
黒騎士は、この場に来た経緯はベラベラ話したものの。レーテルノンの作戦内容や兵士の人数や兵団の配置状況など、肝心なことは一切語らず。黙秘を貫いている。
ただ、一言。
『俺の渾身の一撃を交わした神の手という者は、やはりタダモノではない。神に歯向かう我らに勝機はなかったのか…』とつぶやいたとか。
いやいや、普通に俺、脇腹攣ったし。タダモノです。
しかしながら、彼は一騎当千の猛者だったようで。
強敵がいなくなったことで、スタインベルンの騎士は奮起し。敵陣の態勢を崩した。
そしてスタインベルンは敵国を国境線まで押し返した。らしい。
それって、勝てそうってこと? 良かったです。戦争なんか早く終わらせてください。
なんて、ぽややんと思っていると。
説明を終えた騎士が一歩下がり。
王子が、口を開いた。
「話は他でもない。この黒髪の奴隷を身請けする」
王子はユカレフに鋭い視線を投げて、言った。
あぁ、また目の下の濃いクマが戻っているよ。イケメンが台無しだ。
術後は、少し血色が良くなっていたのにな?
安静にしていなきゃならないのに、俺が離れていた間に無理をしたのかも。最高司令官だし。
つか、今、身請けって言った? 誰を? 俺?
「恐れながら、ディオン殿下。彼は医者で、死者を蘇らせるほどの治癒魔法師ではないと思いますが。敵国の騎士の言葉を真に受けて、彼を身請けするのですか?」
後ろにいるユカレフが、慇懃無礼な感じで王子にたずねた。
「いいや。しかし理由を話す気はない。とにかく、手続きをしてくれ。説明したとおり形勢が逆転し、我が軍の勝利は確定したので。手負いの私は戦場の事後処理を部下に任せ、先に帰城するのだ。それにこいつも同行させたい」
だから早くしろ、という目つきだった。
あぁ、しかし不穏です。
王子は処置室で俺と話したとき、なにやら怒っていた。
術後、一瞬目を覚ましたときも、不敬だって言っていましたしね。
その王子が、俺に良い印象を持っているはずもなく。
彼に身請けされたらイジメ倒されるんじゃないかって、ちょっと心配。
しかし、王子の申し出は突っぱねられないんだろうな?
「えぇと、この親子はニコイチで売っていますが。聞き及びですか?」
「ニコイチ?」
「ふたりでワンセットです」
ユカレフはディオン王子にそう説明するが。
このくだりは、俺が子爵邸でしたのと同じだな。
「つか、コレが欲しいのですか? 子供の方じゃなくて?」
揶揄するような半笑いで、ユカレフはコレと言うときに俺を指差す。
全体的に、失礼だな。
まぁ普通に、おっさんを御所望するのは不思議なのかもだけど。俺も不思議ではあるけど。
「…ふたり一緒でいい」
一言つぶやいて、王子は唇をへの字に引き結ぶ。余計な会話はしたくないという態度ですね。
するとユカレフが。顎を振って俺に合図した。
あ、条件を付けられるかもしれないんだっけ?
「あの、身請けに同意したら。小枝を…子供を奴隷から解放してくれませんか?」
「おいおい、それは吹っ掛けすぎだろ」
ユカレフは小声で俺をたしなめた。
そうですか? まぁ、一千万価格のうち八割小枝だもんね。おっさんは二束三文だもんね。
しかし王子は。微動だにせず言った。
「おまえの望みはそれだけか? 重労働はしないとか食事は三食とか、奴隷はいろいろ言ってくるものだが?」
「俺の望みはそれだけです。小枝を自由にしてください」
頭を下げてお願いしたら。小枝が心細そうな声でパパぁ…とつぶやいた。
「いいだろう。おまえが俺のモノになるのなら。子供の首輪を取り。さらに未来永劫、誰の所有にもならない隷属拒絶の魔法もかけてやる」
切れ長の目元からのぞくアイスブルーの瞳は、なんの感慨も見えないけれど。
それって、すごいこと。
まさに俺が望んでいたこと、そのものだっ。
小枝はもう、無理やり誰かに従わなくてもよくなるっ。
「それは願ってもないことです。ありがとうございます、ディオン王子」
嬉し過ぎて、すっごい笑顔で王子にお礼を言った。
小枝だけでも、俺は底辺から脱出させたいんだ。
「うーん。ディオン殿下。身請け料は三千万です」
えっ、それって。国に払った値段の三倍じゃん。
「ユカレフさんっ!」
それはちょっと、こちらも吹っ掛けすぎだと言いたいっ。
つか、小枝の自由が掛かっているのだ。邪魔すんじゃないっ。
俺はマジ怒りでユカレフを睨んだが。
彼はオレンジの髪を手で掻きあげて、困惑気味に俺を見やる。
「おいぃ、おまえ、王子に身請けされたいのか? なんでも従わなければならないんだぞ?」
「それは今も同じでしょう。どうなるのかは、わかりませんけど。でも。少なくとも小枝は自由の身になれる」
「…っ、俺個人の所有にしてやってもいい。コエダを解放し、タイジュも俺の部屋で囲ってやるぞ。医者をしなくてもいい」
なんか、奥歯を噛みしめながら言うが。
つかユカレフ、俺の名前知っていたんだな? 俺は言った覚えがないけど。
ローク先生から聞いたのかな? あ、輸送中に名前聞かれたから、社員から聞いたのかも。
まぁ、細かいことはどうでもよくて。俺は普通に疑問に思ったので、聞いた。
「それって、ユカレフさんの利益になりませんよね?」
だって、ここで俺が医者として働いた期間は、ひと月もないんだ。たぶん、全く金銭は回収されていないだろう。
その状態で、これから稼ぎ手になれる小枝を手放したら。損しかないのではないかと思ったのだ。
俺も働かなくていいなんて、甘い話過ぎて、むしろ、ちょっと怖いよ。
案の定、ユカレフは言葉に詰まる。
彼はシビアな商売人だ。扱う品が人間だということは、いただけないが。
しかし商売人のプライドがあるのなら、適正価格で俺を売って欲しい。
「お願いです、ユカレフさん。小枝を自由にしたいんです。法外な値はつけないでください」
俺はユカレフを。
俺や小枝を奴隷に堕とした張本人ではあるけれど。
この国の世事に疎い俺に忠告したり。俺を面白がったりして。心安く接してくれた彼を。芯から悪人だとは思いたくないのだ。
そんな気持ちで、彼をみつめていると。
彼は重く息を吐き出して。王子に千二百と告げたのだ。
すると王子の傍らにいた騎士が、カバンを三つユカレフの前に置いた。
それを確認すると、ユカレフは本当に渋々という感じで、管理者のロークさんから鍵のようなものをふたつ受け取り。
小枝の首輪を外した。
そのとき、ブワッと脳が痺れ、目が潤んだ。
可愛い息子の首から忌まわしい首輪が外されて。俺は高揚したみたいだ。
首輪を外すとき、ユカレフはなんか小さくつぶやいていた。奴隷紋解除の呪文があるのかな?
つか、そんなのどうでもいい。泣きそうっ。
「殿下。まず、タイジュとの約束を果たしてもらいます。コエダに隷属拒絶の魔法をかけてください」
ユカレフのうながしに、王子は席を立ち。小枝の頭に手を乗せる。
王子がなにやらつぶやくと。光の粉が小枝の周りを覆って、しばらくしてきらめきはおさまった。
「確かに、隷属拒絶の魔法はなされた」
ユカレフがうなずいたから。たぶん、本当なのだろう。
俺には、なにがどうなったのかわからないけど。
ここで嘘はないと思うので。でも。
あぁ、これでもう。小枝は奴隷ではなくなった。
「小枝っ、良かった」
瞬きしたら、すでに潤んでいた目から涙がこぼれる。
でもでも、最高に感激して。俺は小枝を力の限りに抱き締めた。
この小さなぬくもりを、俺は安全な場所で守ってやりたいのだ。
「良かった。本当に、良かったっ。俺、未熟で。ここに来てから全然ダメダメで。悩んだり迷ったりして、ホント頼りないパパだったけど。小枝が奴隷から解放されて、パパは…嬉しい」
苦しい日々が思い出されて、涙が止まらなくなった。
一番の苦痛は、小枝を自分の手で守ってあげられなかったことだ。
けれど。奴隷から解放することができて、最低限の親の責務を果たせたことは。感無量だ。
「幼いおまえを戦場なんかに連れて来ちゃって、駄目なパパだったけど。ここまで頑張って俺について来てくれて、ありがとう。小枝は俺の最高の息子だよ」
「パパぁっ、ぼくっ、ひとりで…。ああああぁぁぁあ」
小枝は俺にしがみついて、しゃくりを上げて泣いた。
姉の顔色をうかがう日々があったから。あまり駄々をこねたり、大声で泣いたりしない子なのにな。
小枝は優しい子だから、きっと自分だけが解放されたことを悲しんでいるのかもしれない。
でも。それでいいんだ。
一歩ずつ、高みに向かって歩いて行けばいいんだ。
きっと、なんとかなる。
小枝が無事に、奴隷から解放されたように。
俺たちが黒騎士に襲われたあと、しばらくは普通に暮らしていた。
普通に、というか。重傷者テントで傷病人を治しまくる日々だ。
黒騎士の件で、特に俺たちになにかを聞きに来る人もいなくて。たぶん、アンドリューさんが上手くやってくれたと思う。あの人、本当に優しい人だな?
しかし、またもや俺と小枝、そしてローク先生が呼び出されたのだ。
今度呼びに来たのは、衛生兵ではなくて軍服着用の兵だったけど。
「ローク先生、奴隷医師を連れて至急作戦指令室へお出でください。留守中はこのテントに衛生兵を増員いたします」
そうして三人の衛生兵が看病にあたった。よろしくお願いします。
というわけで、俺らは呼びに来た兵についていくのだった。
作戦指令室って、あの丸太小屋だよね? ディオンさんを診たときの。
ディオンさんの手術から一週間ほど過ぎているけど。もしかして容態が思わしくないとか?
俺は小枝をコアラ抱っこしながらも、ヒヤリとしていたが。
丸太小屋について、ある一室に通されると。そこにディオンさんがいて。
ソファに腰かける彼は特に具合が悪そうには見えず…いや、顔色はあまり良くないかな? でも、なにはともあれ寝込んでいるという様子ではないので安堵した。
案内してくれた兵は退室し。ディオンさんの横にいる人が指示する。
「親子はソファに、先生は彼らの横に」
指示した人は、赤褐色の髪を後ろで結わえているくらいに長髪の人で。ディオンさんと同じ色と形の軍服を着用している。騎士かな?
とりあえずコアラな小枝をおろして。俺と小枝はディオンさんの対面に腰かけた。
そしてディオンさんは相変わらずのギラリとした目で、俺らを無言で見やっている。
怒っているのかなぁ? なにか、マズいことしたかなぁ?
だけど、手術したけど治したんだから、怒らないでほしいです。
でもそのことは、ディオンさんは知らないんだっけ?
瀕死の重傷だった王子を手術で救ったという手柄は、別の医者に取られちゃったからね。
そう、目の前の御仁は、ディオン・スタインベルン。
青髪きらめく、この国の第二王子で。今回の戦争の最高総司令官だ。
そして俺が手術した人。
ディオンさん…もう俺の患者じゃないから、ディオン王子、だね。
そしてこの部屋にいるのは、五人じゃなくて。
なんでか奴隷商のユカレフもいるのだった。
親しみのこもったニヤリとした笑みをユカレフは向けてくる。そして俺らの背後に立つのだが。
なんなの? 気になるんですけど。
だけど、奴隷が口を差し挟めるわけもなく。黙って座っているしかない。
するとディオン王子の横にいる人がおもむろに説明を始めた。黒騎士と戦況のことだった。
黒騎士たったひとりが捕縛されたことで、変わるようなことではないと思うのだが。
戦況は劇的にスタインベルン優勢に変わったとのことだった。
俺が眠らせた敵の黒騎士は、証言によると。
やはりアンドリューさんが戦線に復帰したことに驚いたらしく。確実に致命傷を負わせたと思っていた相手がピンピンしているので、死者を復活させるような強力な治癒魔法師がスタインベルンにいると推察した。
まぁ、死者が生き返ったりしたら敵を倒したところでキリがないし。脅威に感じたのだろう。
でもアンドリューさんは普通に治しただけだけどね。
そして兵士の鼓舞する言葉で、神の手なる者の存在を知り。
敵軍の士気を上げ、死者も蘇らせる神の手を抹殺しなければ、レーテルノンの勝利はないと判断。
夜闇に紛れて、俺たちを暗殺しに来たということらしい。
いやいや、なんでそんなことに?
俺たち、右も左もわからない異世界に来て一生懸命働いていただけなんですけどぉ?
黒騎士は、この場に来た経緯はベラベラ話したものの。レーテルノンの作戦内容や兵士の人数や兵団の配置状況など、肝心なことは一切語らず。黙秘を貫いている。
ただ、一言。
『俺の渾身の一撃を交わした神の手という者は、やはりタダモノではない。神に歯向かう我らに勝機はなかったのか…』とつぶやいたとか。
いやいや、普通に俺、脇腹攣ったし。タダモノです。
しかしながら、彼は一騎当千の猛者だったようで。
強敵がいなくなったことで、スタインベルンの騎士は奮起し。敵陣の態勢を崩した。
そしてスタインベルンは敵国を国境線まで押し返した。らしい。
それって、勝てそうってこと? 良かったです。戦争なんか早く終わらせてください。
なんて、ぽややんと思っていると。
説明を終えた騎士が一歩下がり。
王子が、口を開いた。
「話は他でもない。この黒髪の奴隷を身請けする」
王子はユカレフに鋭い視線を投げて、言った。
あぁ、また目の下の濃いクマが戻っているよ。イケメンが台無しだ。
術後は、少し血色が良くなっていたのにな?
安静にしていなきゃならないのに、俺が離れていた間に無理をしたのかも。最高司令官だし。
つか、今、身請けって言った? 誰を? 俺?
「恐れながら、ディオン殿下。彼は医者で、死者を蘇らせるほどの治癒魔法師ではないと思いますが。敵国の騎士の言葉を真に受けて、彼を身請けするのですか?」
後ろにいるユカレフが、慇懃無礼な感じで王子にたずねた。
「いいや。しかし理由を話す気はない。とにかく、手続きをしてくれ。説明したとおり形勢が逆転し、我が軍の勝利は確定したので。手負いの私は戦場の事後処理を部下に任せ、先に帰城するのだ。それにこいつも同行させたい」
だから早くしろ、という目つきだった。
あぁ、しかし不穏です。
王子は処置室で俺と話したとき、なにやら怒っていた。
術後、一瞬目を覚ましたときも、不敬だって言っていましたしね。
その王子が、俺に良い印象を持っているはずもなく。
彼に身請けされたらイジメ倒されるんじゃないかって、ちょっと心配。
しかし、王子の申し出は突っぱねられないんだろうな?
「えぇと、この親子はニコイチで売っていますが。聞き及びですか?」
「ニコイチ?」
「ふたりでワンセットです」
ユカレフはディオン王子にそう説明するが。
このくだりは、俺が子爵邸でしたのと同じだな。
「つか、コレが欲しいのですか? 子供の方じゃなくて?」
揶揄するような半笑いで、ユカレフはコレと言うときに俺を指差す。
全体的に、失礼だな。
まぁ普通に、おっさんを御所望するのは不思議なのかもだけど。俺も不思議ではあるけど。
「…ふたり一緒でいい」
一言つぶやいて、王子は唇をへの字に引き結ぶ。余計な会話はしたくないという態度ですね。
するとユカレフが。顎を振って俺に合図した。
あ、条件を付けられるかもしれないんだっけ?
「あの、身請けに同意したら。小枝を…子供を奴隷から解放してくれませんか?」
「おいおい、それは吹っ掛けすぎだろ」
ユカレフは小声で俺をたしなめた。
そうですか? まぁ、一千万価格のうち八割小枝だもんね。おっさんは二束三文だもんね。
しかし王子は。微動だにせず言った。
「おまえの望みはそれだけか? 重労働はしないとか食事は三食とか、奴隷はいろいろ言ってくるものだが?」
「俺の望みはそれだけです。小枝を自由にしてください」
頭を下げてお願いしたら。小枝が心細そうな声でパパぁ…とつぶやいた。
「いいだろう。おまえが俺のモノになるのなら。子供の首輪を取り。さらに未来永劫、誰の所有にもならない隷属拒絶の魔法もかけてやる」
切れ長の目元からのぞくアイスブルーの瞳は、なんの感慨も見えないけれど。
それって、すごいこと。
まさに俺が望んでいたこと、そのものだっ。
小枝はもう、無理やり誰かに従わなくてもよくなるっ。
「それは願ってもないことです。ありがとうございます、ディオン王子」
嬉し過ぎて、すっごい笑顔で王子にお礼を言った。
小枝だけでも、俺は底辺から脱出させたいんだ。
「うーん。ディオン殿下。身請け料は三千万です」
えっ、それって。国に払った値段の三倍じゃん。
「ユカレフさんっ!」
それはちょっと、こちらも吹っ掛けすぎだと言いたいっ。
つか、小枝の自由が掛かっているのだ。邪魔すんじゃないっ。
俺はマジ怒りでユカレフを睨んだが。
彼はオレンジの髪を手で掻きあげて、困惑気味に俺を見やる。
「おいぃ、おまえ、王子に身請けされたいのか? なんでも従わなければならないんだぞ?」
「それは今も同じでしょう。どうなるのかは、わかりませんけど。でも。少なくとも小枝は自由の身になれる」
「…っ、俺個人の所有にしてやってもいい。コエダを解放し、タイジュも俺の部屋で囲ってやるぞ。医者をしなくてもいい」
なんか、奥歯を噛みしめながら言うが。
つかユカレフ、俺の名前知っていたんだな? 俺は言った覚えがないけど。
ローク先生から聞いたのかな? あ、輸送中に名前聞かれたから、社員から聞いたのかも。
まぁ、細かいことはどうでもよくて。俺は普通に疑問に思ったので、聞いた。
「それって、ユカレフさんの利益になりませんよね?」
だって、ここで俺が医者として働いた期間は、ひと月もないんだ。たぶん、全く金銭は回収されていないだろう。
その状態で、これから稼ぎ手になれる小枝を手放したら。損しかないのではないかと思ったのだ。
俺も働かなくていいなんて、甘い話過ぎて、むしろ、ちょっと怖いよ。
案の定、ユカレフは言葉に詰まる。
彼はシビアな商売人だ。扱う品が人間だということは、いただけないが。
しかし商売人のプライドがあるのなら、適正価格で俺を売って欲しい。
「お願いです、ユカレフさん。小枝を自由にしたいんです。法外な値はつけないでください」
俺はユカレフを。
俺や小枝を奴隷に堕とした張本人ではあるけれど。
この国の世事に疎い俺に忠告したり。俺を面白がったりして。心安く接してくれた彼を。芯から悪人だとは思いたくないのだ。
そんな気持ちで、彼をみつめていると。
彼は重く息を吐き出して。王子に千二百と告げたのだ。
すると王子の傍らにいた騎士が、カバンを三つユカレフの前に置いた。
それを確認すると、ユカレフは本当に渋々という感じで、管理者のロークさんから鍵のようなものをふたつ受け取り。
小枝の首輪を外した。
そのとき、ブワッと脳が痺れ、目が潤んだ。
可愛い息子の首から忌まわしい首輪が外されて。俺は高揚したみたいだ。
首輪を外すとき、ユカレフはなんか小さくつぶやいていた。奴隷紋解除の呪文があるのかな?
つか、そんなのどうでもいい。泣きそうっ。
「殿下。まず、タイジュとの約束を果たしてもらいます。コエダに隷属拒絶の魔法をかけてください」
ユカレフのうながしに、王子は席を立ち。小枝の頭に手を乗せる。
王子がなにやらつぶやくと。光の粉が小枝の周りを覆って、しばらくしてきらめきはおさまった。
「確かに、隷属拒絶の魔法はなされた」
ユカレフがうなずいたから。たぶん、本当なのだろう。
俺には、なにがどうなったのかわからないけど。
ここで嘘はないと思うので。でも。
あぁ、これでもう。小枝は奴隷ではなくなった。
「小枝っ、良かった」
瞬きしたら、すでに潤んでいた目から涙がこぼれる。
でもでも、最高に感激して。俺は小枝を力の限りに抱き締めた。
この小さなぬくもりを、俺は安全な場所で守ってやりたいのだ。
「良かった。本当に、良かったっ。俺、未熟で。ここに来てから全然ダメダメで。悩んだり迷ったりして、ホント頼りないパパだったけど。小枝が奴隷から解放されて、パパは…嬉しい」
苦しい日々が思い出されて、涙が止まらなくなった。
一番の苦痛は、小枝を自分の手で守ってあげられなかったことだ。
けれど。奴隷から解放することができて、最低限の親の責務を果たせたことは。感無量だ。
「幼いおまえを戦場なんかに連れて来ちゃって、駄目なパパだったけど。ここまで頑張って俺について来てくれて、ありがとう。小枝は俺の最高の息子だよ」
「パパぁっ、ぼくっ、ひとりで…。ああああぁぁぁあ」
小枝は俺にしがみついて、しゃくりを上げて泣いた。
姉の顔色をうかがう日々があったから。あまり駄々をこねたり、大声で泣いたりしない子なのにな。
小枝は優しい子だから、きっと自分だけが解放されたことを悲しんでいるのかもしれない。
でも。それでいいんだ。
一歩ずつ、高みに向かって歩いて行けばいいんだ。
きっと、なんとかなる。
小枝が無事に、奴隷から解放されたように。
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悪役令嬢と同じ名前だけど、僕は男です。
みあき
BL
名前はティータイムがテーマ。主人公と婚約者の王子がいちゃいちゃする話。
男女共に子どもを産める世界です。容姿についての描写は敢えてしていません。
メインカプが男性同士のためBLジャンルに設定していますが、周辺は異性のカプも多いです。
奇数話が主人公視点、偶数話が婚約者の王子視点です。
pixivでは既に最終回まで投稿しています。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
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僕のユニークスキルはお菓子を出すことです
野鳥
BL
魔法のある世界で、異世界転生した主人公の唯一使えるユニークスキルがお菓子を出すことだった。
あれ?これって材料費なしでお菓子屋さん出来るのでは??
お菓子無双を夢見る主人公です。
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小説は読み専なので、思い立った時にしか書けないです。
基本全ての小説は不定期に書いておりますので、ご了承くださいませー。
ショートショートじゃ終わらないので短編に切り替えます……こんなはずじゃ…( `ᾥ´ )クッ
本編完結しました〜
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