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6 ふたりでワンセットです
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◆ふたりでワンセットです
ローディ子爵邸で、なんだかわからないうちに奴隷になってしまった。
マクスウェルさんが悪いわけではなさそうだけど。小枝が危惧していたように、子爵家にいつまでも関わっていたら駄目だったんだろうな?
将来が不安で、滞在していいという甘い言葉に乗せられて、つい善意に胡坐をかいてしまった。
俺の判断ミスだ。
騎士が見張る中、逃げ遅れた使用人たちとともにエントランスにいると。ニコニコ顔の若い男がやってきて。二百とか三百とか言いながら、使用人たちに首輪をつけていった。
そして俺たちの前に来たときに。笑みの形に細めていた目元を、見開いた。
アーモンド形のくっきりした目で瞳は緑色、結構な美形。年齢は俺と同じくらいかなぁ?
オレンジ色の髪はゆるやかにうねっていて、肩口まで伸びている。
長身でほど良い肉付きの、健康的で働き盛りな若者、という印象だ。
「ふーん、黒髪は珍しいな。顔も整っていて、ある筋に高く売れそう。二百…いや三百か」
そう言って、俺に首輪をつけた。
「あなたは誰ですか?」
たずねると、なにやら愉快そうに片頬を引き上げて笑い、それでも質問に答えてくれた。
「俺か? 俺は奴隷商のユカレフだ。もしかして外国人だから、なにが起きているのかわからないのかもしれないが。おまえは今、この国の役人に三百万オーベルで売られたところだ」
「うーん、それは事前に聞いていたのですけど。そもそも奴隷ってなにをするんですか? 俺があなたに三百万払ったら解放してくれるんですか?」
この国の奴隷のシステムがわからなくて、聞く。
日本の学校で習った奴隷制は、そういうことがありましたくらいのもので。なにをさせられるのかとか、よくわからないのだ。
「奴隷は一生ただ働きだ。死ぬまでこき使うのが基本。奴隷になったら金を稼ぐことなどできないが、それができたと仮定しても、三百では元が取れないので。解放条件は五百万だな」
ほぼ一文無し状態の俺が、五百万も用意できるわけもなく。顔を青くする。
日本でだって、五百万円稼ぐのは大変なことだ。
けれど、ここで怯んだら負けだぞ。
「俺はこの国でまっとうに働いていくつもりだったのに、人としての人権はないのですか?」
「人権? 面白いことを言うな。奴隷に堕とされるときにそんなことを俺に言ってくる奴ははじめてだ」
ハハっと、ユカレフは楽しそうに笑い飛ばす。
「もちろん、奴隷に人権などないさ。その首輪には奴隷紋が刻まれていて、言うことを聞かない奴隷には、管理者が魔法で電気ショックを与える。生も死も、おまえの人権も、管理者の手の中だ」
ユカレフが楽しそうにしているのは、人が堕ちていくのを見ることが痛快だからなのだろう。
笑顔で残虐なことをする人間をはじめて見て、俺は心底ゾッとした。
「おい、そいつは医者らしいぞ? 利用価値はあるんだから、もう少し上乗せしてくれ」
「医者? 良いねぇ。今は需要があるぞ。四百だな」
騎士の余計な一言で、値が吊り上がってしまった。
しかし、したこともない重労働をして疲弊するより、医者としてこき使われた方がマシだ。
少なくとも、誰かを助けることができるかもしれないし。
「この子供も高く売れる。変態ジジイは子供が好きだ」
そうして、俺の腕の中にいる小枝にまで首輪をしようとするから。俺は小枝を守ってユカレフの手を退けた。
「やめろ、子供は関係ないだろ。この子に触るなっ」
小枝を変態ジジイに売る? 冗談じゃない。
「バイア」
しかしユカレフが呪文を唱えると、心臓が手で鷲掴みされたような感覚になって。
たまらず床に倒れ込んだ。
健康な体にAED、除細動されたら、こんな感じかも。
「パパっ、しっかりして。パパをいじめないでっ」
俺が不甲斐なく倒れている間に、小枝は首輪をつけられてしまった。くそっ。
「言っておくが、この首輪を無理に外そうとしたら、その場で締まって首が落ちるから。逃げようとしたり脱走を企てたり、無駄なことはしないことだ」
首輪をつけられてしまったが。再び小枝を腕に抱いて、ユカレフから身を守る。
「ユカレフさん、俺は確かに医者です。でも、助手の小枝がいなければ、俺の能力は最大限に発揮できない。だから俺と小枝はニコイチで売ってください」
痛みに、息が切れ切れになるが。俺は必死に交渉した。
そんな俺を、本当に楽しげにユカレフは見る。
「ニコイチ?」
「ふたりでワンセットです。ただのおっさんを働かせても、二束三文にしかならないでしょ? でも小枝と一緒なら俺は医者のスキルを十二分に出せる」
ユカレフは、ニヤニヤ顔で首を傾げると。うなずいた。
「確かに。今は戦時中で、医者不足。変態ジジイに子供を売るより、最前線に投入できる医者奴隷の方が高値が付きそうだな? いいだろう、ニコイチ? ってやつで。おまえらはふたりで一千万だ」
ユカレフが言うと、騎士たちは少しどよめいた。
これは、奴隷としては二人分でも高値だということなのかな?
「その子供が、どうして医者の役に立つのかは知らないが。子供を抱えているから仕事ができないなどという泣き言は聞かねぇ。おまえには二人分、きっちり稼いでもらう」
ユカレフは俺の顎を指先で掴んで、顔を寄せた。
「この顔、この髪色なら、男娼でも珍しい者好きが買ってくれただろうが? 男娼は賞味期間が短いからな。医者の方が長く稼げそうだ」
「男娼? 二十八歳のおっさんを買う人はいないでしょう?」
普通に、そう思ったし。俺はパパだし。
女性は若い男の人が好きだと思ったのだが。
「は? その顔で俺より年上とか、ないわぁ。ま、いいか。さっそく戦場に行ってもらおう。戦場行きの奴隷馬車を引き連れてきているから。おまえとおまえも、一緒に乗れ。奴隷兵にする」
ユカレフに指を差された若い男の使用人が、それを聞いて半泣きになった。
俺は手に職を持っていたから、まだ良かったのかもしれない。
戦場で雑用をするなら、まだしも。いきなり最前線に立たされることにでもなったら…その先は考えたくない。
★★★★★
「子供を戦場に連れて行くなんて、悪い親父だな?」
ユカレフが、俺と小枝を幌馬車に突っ込みながら、そう言った。
俺の判断は間違っていただろうか?
普通に考えて、戦場に子供を連れて行くのは良くない。
命を賭けた戦いを目の当たりにすることになるし、凄惨な状態の患者も運ばれてくるだろう。
五歳の子供には酷な現場だ。
「わかっている。でも、この子は手放せない」
もしも小枝が俺以外のところに行ったら。
ユカレフの言うように、変態ジジイに売られることもあるだろうけど。純粋に働き手として雇ってくれる家もあるかもしれない。
けれど、変態ジジイに当たってしまったら?
現代でも、子供をさらって小児性愛者に売りつける人身売買、みたいな話はあった。だから子供が変態ジジイに売れるというのも、わかる。どの時代、どの世界でも。そういう人は一定数いるみたい。
あぁ、奴隷というのは。今、その人身売買をされているってことなんだな?
小枝が性の餌食になるなんて、絶対に嫌だ。そんなリスクは犯せない。
小枝が持つクリーンの能力が、俺の仕事に役立つということは本当で。ユカレフに嘘をついたわけではないが。
とにもかくにも小枝がヤバい家に売られるのを、俺は黙って見ていられなかったのだ。
それに。小枝も心細いだろうけど。
俺も、小枝がいなければ心細い。
そういう気弱なところがあったから。ユカレフの言葉に揺れてしまうのだ。
これで本当に良かったのか、と。
「ぼくがパパと離れたくないの。パパを責めないで」
揺れる俺の心に、小枝の潔い声が突き刺さった。
小枝は、いつもの垂れ目をキリリとさせてユカレフを睨んでいる。
小さな小さな俺の小枝の方が、覚悟をしっかり決めているようだ。
ユカレフは苦笑して、小枝の頭をポンポンと手で撫でる。
変態ジジイに売るとか言っていたが、案外子供好きなのかもしれないな?
そのあと俺の手を縛っていた縄もほどいてくれた。
「手枷がなくなろうと、逃げられないことには変わりないから妙な真似をするなよ? バイアはもうごめんだろ?」
フッと笑って、ユカレフは俺をみつめる。
確かに、電気ショックはもうごめんだ。
つか、バイアと言っても魔法が発動されない。呪文と一緒になにかワンアクションあるみたいだな。
それは管理者だけが知ること。ってことかな?
「おまえは面白いやつだったから、このあとのことを少し忠告してやろう。おまえの所有権は、今は俺、奴隷商だ。しかし管理者の権限は、戦場にいる上官の間で転々とするだろう。だが、ニコイチで取り扱うよう手続きをしておいてやる。子供は兵士の憂さ晴らしの的になるから、戦場では絶対に手を離すな」
戦争中の兵士はストレスが溜まって、より残虐になることがあると聞く。
俺はユカレフの忠告を真摯に聞き入れ、うなずいた。
「あと、まぁないだろうが。もし身請けの話が出たら、少しはおまえの意見も通るだろうから、身請け先に条件を付けて要領よく交渉し直せ」
「身請け?」
「おまえやこの子が、奴隷商の所有から誰かの所有物に権限が移ることだ。まぁ、おっさんの身請けは聞かないが。この子の身請け話があったら、乗るのも手だ。いい家の養子になるならこの子のためになる」
俺は、ハッと息をのみ。重くため息をつく。
姉が小枝をネグレクトしたとき。
立派に子育てをできないのなら、誰かの手を借りるのは恥ずかしいことじゃない、と。俺は自分で思ったのだ。
今の状況は決して、小枝を満足に子育てできているとは言えない。
小枝のためと思いつつ。
本当は自分が心細いから、小枝を手放せないだけかもしれない。
もしも変態ジジイじゃなくて、優しい家庭が小枝を望んだら…。
「わかりました。考えてみます」
ユカレフに会釈すると。間もなく幌馬車が動き出す。
彼はこの場に居残るらしい。オレンジの髪の男が遠ざかっていった。
「ぼく、パパについて行く。どんなところでも、パパがいれば怖くない」
幌馬車に揺られながら小枝の行く末を考えていたら。彼がそっと囁いた。
小枝はそう言ってくれるけれど、これから行くのは戦場だ。
子供が足を踏み入れてはいけない場所。
「ごめん、ごめんな、小枝。こんなことになって…」
この決断が。小枝を離さなかったことが。正しいのか間違いなのかもわからなくて。
俺はただ、謝るしかなかった。
「謝らないで、パパ。それを言うのはぼくの方だよ。パパを巻き込んでしまったのは、ぼくだもの。それにもしかしたら、運命に逆らったから奴隷になっちゃったのかも。ぼくが子爵の子にならなかったから?」
「それを言ったら、俺がこの世界に来たこと自体がダメだったのかもしれない。そのせいで、小枝が奴隷に…」
「そんなことないぃ。ぼく、パパがいなかったら。ここで生きるの無理ぃ。だけど前回と違うことするとどんどん悪くなっていくみたいだよぉ? ごめんなさぁい、パパぁ」
涙ぐんで、小枝は俺の腕にしがみついた。
小枝はすぐに、自分のせいだって思っちゃう。こんな展開、誰も予期なんかできないっていうのに。
そんな優しくて繊細な小枝を、俺は支えてあげなきゃ。
俺はパパなんだから、しっかりしないとっ。
ここでグチグチ言っても仕方がない。もうこうなってしまったのだから。
「そうだね。お互い、謝るのは違うね? もう謝らないよ。だから小枝も謝らない。とにかく、これからはふたりでこの境遇から抜け出すことを考えていこう」
「奴隷から? 奴隷はこの世界でも底辺だよ? どうやって?」
「それはまだ、わからないけど。一生懸命働いて難局を乗り越えていこう。大丈夫、大丈夫…」
俺は、自分にも言い聞かせるように、大丈夫と口にする。
そして小枝を抱え込み。この温かい小さなものに触れて、心を落ち着かせる。
怖かった。これからなにが起きるのかわからなくて。
だけど。せめて、この小さな命だけは守り切ろう。そう心に誓った。
ローディ子爵邸で、なんだかわからないうちに奴隷になってしまった。
マクスウェルさんが悪いわけではなさそうだけど。小枝が危惧していたように、子爵家にいつまでも関わっていたら駄目だったんだろうな?
将来が不安で、滞在していいという甘い言葉に乗せられて、つい善意に胡坐をかいてしまった。
俺の判断ミスだ。
騎士が見張る中、逃げ遅れた使用人たちとともにエントランスにいると。ニコニコ顔の若い男がやってきて。二百とか三百とか言いながら、使用人たちに首輪をつけていった。
そして俺たちの前に来たときに。笑みの形に細めていた目元を、見開いた。
アーモンド形のくっきりした目で瞳は緑色、結構な美形。年齢は俺と同じくらいかなぁ?
オレンジ色の髪はゆるやかにうねっていて、肩口まで伸びている。
長身でほど良い肉付きの、健康的で働き盛りな若者、という印象だ。
「ふーん、黒髪は珍しいな。顔も整っていて、ある筋に高く売れそう。二百…いや三百か」
そう言って、俺に首輪をつけた。
「あなたは誰ですか?」
たずねると、なにやら愉快そうに片頬を引き上げて笑い、それでも質問に答えてくれた。
「俺か? 俺は奴隷商のユカレフだ。もしかして外国人だから、なにが起きているのかわからないのかもしれないが。おまえは今、この国の役人に三百万オーベルで売られたところだ」
「うーん、それは事前に聞いていたのですけど。そもそも奴隷ってなにをするんですか? 俺があなたに三百万払ったら解放してくれるんですか?」
この国の奴隷のシステムがわからなくて、聞く。
日本の学校で習った奴隷制は、そういうことがありましたくらいのもので。なにをさせられるのかとか、よくわからないのだ。
「奴隷は一生ただ働きだ。死ぬまでこき使うのが基本。奴隷になったら金を稼ぐことなどできないが、それができたと仮定しても、三百では元が取れないので。解放条件は五百万だな」
ほぼ一文無し状態の俺が、五百万も用意できるわけもなく。顔を青くする。
日本でだって、五百万円稼ぐのは大変なことだ。
けれど、ここで怯んだら負けだぞ。
「俺はこの国でまっとうに働いていくつもりだったのに、人としての人権はないのですか?」
「人権? 面白いことを言うな。奴隷に堕とされるときにそんなことを俺に言ってくる奴ははじめてだ」
ハハっと、ユカレフは楽しそうに笑い飛ばす。
「もちろん、奴隷に人権などないさ。その首輪には奴隷紋が刻まれていて、言うことを聞かない奴隷には、管理者が魔法で電気ショックを与える。生も死も、おまえの人権も、管理者の手の中だ」
ユカレフが楽しそうにしているのは、人が堕ちていくのを見ることが痛快だからなのだろう。
笑顔で残虐なことをする人間をはじめて見て、俺は心底ゾッとした。
「おい、そいつは医者らしいぞ? 利用価値はあるんだから、もう少し上乗せしてくれ」
「医者? 良いねぇ。今は需要があるぞ。四百だな」
騎士の余計な一言で、値が吊り上がってしまった。
しかし、したこともない重労働をして疲弊するより、医者としてこき使われた方がマシだ。
少なくとも、誰かを助けることができるかもしれないし。
「この子供も高く売れる。変態ジジイは子供が好きだ」
そうして、俺の腕の中にいる小枝にまで首輪をしようとするから。俺は小枝を守ってユカレフの手を退けた。
「やめろ、子供は関係ないだろ。この子に触るなっ」
小枝を変態ジジイに売る? 冗談じゃない。
「バイア」
しかしユカレフが呪文を唱えると、心臓が手で鷲掴みされたような感覚になって。
たまらず床に倒れ込んだ。
健康な体にAED、除細動されたら、こんな感じかも。
「パパっ、しっかりして。パパをいじめないでっ」
俺が不甲斐なく倒れている間に、小枝は首輪をつけられてしまった。くそっ。
「言っておくが、この首輪を無理に外そうとしたら、その場で締まって首が落ちるから。逃げようとしたり脱走を企てたり、無駄なことはしないことだ」
首輪をつけられてしまったが。再び小枝を腕に抱いて、ユカレフから身を守る。
「ユカレフさん、俺は確かに医者です。でも、助手の小枝がいなければ、俺の能力は最大限に発揮できない。だから俺と小枝はニコイチで売ってください」
痛みに、息が切れ切れになるが。俺は必死に交渉した。
そんな俺を、本当に楽しげにユカレフは見る。
「ニコイチ?」
「ふたりでワンセットです。ただのおっさんを働かせても、二束三文にしかならないでしょ? でも小枝と一緒なら俺は医者のスキルを十二分に出せる」
ユカレフは、ニヤニヤ顔で首を傾げると。うなずいた。
「確かに。今は戦時中で、医者不足。変態ジジイに子供を売るより、最前線に投入できる医者奴隷の方が高値が付きそうだな? いいだろう、ニコイチ? ってやつで。おまえらはふたりで一千万だ」
ユカレフが言うと、騎士たちは少しどよめいた。
これは、奴隷としては二人分でも高値だということなのかな?
「その子供が、どうして医者の役に立つのかは知らないが。子供を抱えているから仕事ができないなどという泣き言は聞かねぇ。おまえには二人分、きっちり稼いでもらう」
ユカレフは俺の顎を指先で掴んで、顔を寄せた。
「この顔、この髪色なら、男娼でも珍しい者好きが買ってくれただろうが? 男娼は賞味期間が短いからな。医者の方が長く稼げそうだ」
「男娼? 二十八歳のおっさんを買う人はいないでしょう?」
普通に、そう思ったし。俺はパパだし。
女性は若い男の人が好きだと思ったのだが。
「は? その顔で俺より年上とか、ないわぁ。ま、いいか。さっそく戦場に行ってもらおう。戦場行きの奴隷馬車を引き連れてきているから。おまえとおまえも、一緒に乗れ。奴隷兵にする」
ユカレフに指を差された若い男の使用人が、それを聞いて半泣きになった。
俺は手に職を持っていたから、まだ良かったのかもしれない。
戦場で雑用をするなら、まだしも。いきなり最前線に立たされることにでもなったら…その先は考えたくない。
★★★★★
「子供を戦場に連れて行くなんて、悪い親父だな?」
ユカレフが、俺と小枝を幌馬車に突っ込みながら、そう言った。
俺の判断は間違っていただろうか?
普通に考えて、戦場に子供を連れて行くのは良くない。
命を賭けた戦いを目の当たりにすることになるし、凄惨な状態の患者も運ばれてくるだろう。
五歳の子供には酷な現場だ。
「わかっている。でも、この子は手放せない」
もしも小枝が俺以外のところに行ったら。
ユカレフの言うように、変態ジジイに売られることもあるだろうけど。純粋に働き手として雇ってくれる家もあるかもしれない。
けれど、変態ジジイに当たってしまったら?
現代でも、子供をさらって小児性愛者に売りつける人身売買、みたいな話はあった。だから子供が変態ジジイに売れるというのも、わかる。どの時代、どの世界でも。そういう人は一定数いるみたい。
あぁ、奴隷というのは。今、その人身売買をされているってことなんだな?
小枝が性の餌食になるなんて、絶対に嫌だ。そんなリスクは犯せない。
小枝が持つクリーンの能力が、俺の仕事に役立つということは本当で。ユカレフに嘘をついたわけではないが。
とにもかくにも小枝がヤバい家に売られるのを、俺は黙って見ていられなかったのだ。
それに。小枝も心細いだろうけど。
俺も、小枝がいなければ心細い。
そういう気弱なところがあったから。ユカレフの言葉に揺れてしまうのだ。
これで本当に良かったのか、と。
「ぼくがパパと離れたくないの。パパを責めないで」
揺れる俺の心に、小枝の潔い声が突き刺さった。
小枝は、いつもの垂れ目をキリリとさせてユカレフを睨んでいる。
小さな小さな俺の小枝の方が、覚悟をしっかり決めているようだ。
ユカレフは苦笑して、小枝の頭をポンポンと手で撫でる。
変態ジジイに売るとか言っていたが、案外子供好きなのかもしれないな?
そのあと俺の手を縛っていた縄もほどいてくれた。
「手枷がなくなろうと、逃げられないことには変わりないから妙な真似をするなよ? バイアはもうごめんだろ?」
フッと笑って、ユカレフは俺をみつめる。
確かに、電気ショックはもうごめんだ。
つか、バイアと言っても魔法が発動されない。呪文と一緒になにかワンアクションあるみたいだな。
それは管理者だけが知ること。ってことかな?
「おまえは面白いやつだったから、このあとのことを少し忠告してやろう。おまえの所有権は、今は俺、奴隷商だ。しかし管理者の権限は、戦場にいる上官の間で転々とするだろう。だが、ニコイチで取り扱うよう手続きをしておいてやる。子供は兵士の憂さ晴らしの的になるから、戦場では絶対に手を離すな」
戦争中の兵士はストレスが溜まって、より残虐になることがあると聞く。
俺はユカレフの忠告を真摯に聞き入れ、うなずいた。
「あと、まぁないだろうが。もし身請けの話が出たら、少しはおまえの意見も通るだろうから、身請け先に条件を付けて要領よく交渉し直せ」
「身請け?」
「おまえやこの子が、奴隷商の所有から誰かの所有物に権限が移ることだ。まぁ、おっさんの身請けは聞かないが。この子の身請け話があったら、乗るのも手だ。いい家の養子になるならこの子のためになる」
俺は、ハッと息をのみ。重くため息をつく。
姉が小枝をネグレクトしたとき。
立派に子育てをできないのなら、誰かの手を借りるのは恥ずかしいことじゃない、と。俺は自分で思ったのだ。
今の状況は決して、小枝を満足に子育てできているとは言えない。
小枝のためと思いつつ。
本当は自分が心細いから、小枝を手放せないだけかもしれない。
もしも変態ジジイじゃなくて、優しい家庭が小枝を望んだら…。
「わかりました。考えてみます」
ユカレフに会釈すると。間もなく幌馬車が動き出す。
彼はこの場に居残るらしい。オレンジの髪の男が遠ざかっていった。
「ぼく、パパについて行く。どんなところでも、パパがいれば怖くない」
幌馬車に揺られながら小枝の行く末を考えていたら。彼がそっと囁いた。
小枝はそう言ってくれるけれど、これから行くのは戦場だ。
子供が足を踏み入れてはいけない場所。
「ごめん、ごめんな、小枝。こんなことになって…」
この決断が。小枝を離さなかったことが。正しいのか間違いなのかもわからなくて。
俺はただ、謝るしかなかった。
「謝らないで、パパ。それを言うのはぼくの方だよ。パパを巻き込んでしまったのは、ぼくだもの。それにもしかしたら、運命に逆らったから奴隷になっちゃったのかも。ぼくが子爵の子にならなかったから?」
「それを言ったら、俺がこの世界に来たこと自体がダメだったのかもしれない。そのせいで、小枝が奴隷に…」
「そんなことないぃ。ぼく、パパがいなかったら。ここで生きるの無理ぃ。だけど前回と違うことするとどんどん悪くなっていくみたいだよぉ? ごめんなさぁい、パパぁ」
涙ぐんで、小枝は俺の腕にしがみついた。
小枝はすぐに、自分のせいだって思っちゃう。こんな展開、誰も予期なんかできないっていうのに。
そんな優しくて繊細な小枝を、俺は支えてあげなきゃ。
俺はパパなんだから、しっかりしないとっ。
ここでグチグチ言っても仕方がない。もうこうなってしまったのだから。
「そうだね。お互い、謝るのは違うね? もう謝らないよ。だから小枝も謝らない。とにかく、これからはふたりでこの境遇から抜け出すことを考えていこう」
「奴隷から? 奴隷はこの世界でも底辺だよ? どうやって?」
「それはまだ、わからないけど。一生懸命働いて難局を乗り越えていこう。大丈夫、大丈夫…」
俺は、自分にも言い聞かせるように、大丈夫と口にする。
そして小枝を抱え込み。この温かい小さなものに触れて、心を落ち着かせる。
怖かった。これからなにが起きるのかわからなくて。
だけど。せめて、この小さな命だけは守り切ろう。そう心に誓った。
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