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5 この世界のトリセツです
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◆この世界のトリセツです
相変わらず、俺の頭の中には疑問符が並んでいる。
だって穴に落ちたら別の世界にいたなんて、誰も信じない話だし。当事者の俺だっていまだに信じられずにいる。
けれど、小枝がここは異世界だって言うし。前世でここにいたなんて言うし。
小枝が嘘をついているとは思えないし。
もし嘘だとしても、五歳の子がこんなに辻褄の合った物語を口にするとも思えない。
俺は、腹をくくった。ここは異世界だ。
とにかく、この見知らぬ世界で。俺と小枝は当分生きていかなければならないんだ。ならば、まずはその努力をする方が建設的。
わからないって言ってばかりじゃ、すぐに路頭に迷ってしまうよ。
小枝がいるのだ、父として、子をそんな目に合わせたら駄目だよな?
まずは目の前の。マクスウェルさんの治療をすることだ。そして治療費をいただこう。
それを元手にして、小枝とこのあとの生活をどうするか考えるのが適切。そう判断した。
ローディ子爵の療養中は、屋敷の滞在を許されたので。
用意された客室で、俺と小枝がふたりでいるときに。小枝先生の元で異世界の勉強をするのだった。
今は夕食後、就寝前の自由時間で。
ベッドの端にふたり並んで腰かけている。
「はい、小枝先生。一番に聞きたいのは、ここから元の世界に帰れるのかということです」
俺が手を上げると、小枝先生は垂れ目をキリリとさせて、答えた。
「前回、ぼくは。今回と同じ要領で穴に落ち、五歳でこの地に来ました。それから十八になるまでこの世界で暮らしましたが、元の世界に帰ることなくこの地で死んでしまったので。帰れるかどうかはわかりません。そのような方策があるかもしれませんが、それを探すことも前回はできませんでした」
お役に立てずにすみません、というように小枝が肩を落とすので。
俺は笑みを浮かべて励ます。
「それは仕方がないよ、前回の小枝は生きるのが精いっぱいで、そこまで気が回らなかったんだろう? 今回はそこを考えつつで生活していってみよう。で、以前も十八で死んだと言っていたけど。病気か?」
小枝はまたしても言いにくそうに、手をモミモミしてうつむくが。
「悪いことをして、処刑されました」
と、一言口にした。
あぁ、俺に嫌われたくないと言っていた小枝が、これを口にするのは勇気がいっただろう。
俺は小枝をギュッと抱き締め。安心させる。
「それで、言いにくかったんだね? 大丈夫。今の小枝は悪い子じゃない。大丈夫」
「今回は絶対に悪いことはしません」
「そうだね。もし小枝が悪いことをしそうになったら、パパが止めてあげるよ。今回は絶対に、小枝を処刑なんかさせない」
小枝はきゅぅっと下唇を噛み、抱き締める俺の胸に額をゴリゴリこすりつけた。
よしよし、いい子いい子。
そうしてひとしきり甘えたあと、顔を上げたら。またキリリな小枝になっているのだった。
「でも、この世界がどんな話かわかりませんが。ぼくは悪いことをする役目の人かもしれません。そうしたら、絶対に悪い子になっちゃうかも」
「そんなことないよ。だって、今回は子爵の養子にならなかった。前回と違う話の流れになっているんだから、きっと小枝の役目は悪い子じゃなくて、良い子だったんだ。やり直しをさせられているってことは、そういうことなんじゃないかな? うーん。頭こんがらがるけど」
ループというのが、人生のやり直しなのだとしたら。
たぶん、前回の小枝の人生は、誰か、なにかにとって、不都合だった? のではないかと思う。
その誰か、なにかは、神みたいなものなのかも。
そうでなければ、この不可解な現象は説明できないものな?
俺は、ゲームをしたことはないが。友達から聞きかじったことはあった。
自分の思うとおりに話が進まなかったら、リセットしてセーブポイントからやり直す。
そういうことが、小枝の身に起きているんじゃないだろうか?
「とにかく、パパがついてる。小枝を悪い子にはさせない。今回パパが一緒にここに来たのは、きっとそういうことだったからなんじゃないか? だから、安心しろ?」
もう悪い子になりたくないと、小枝は思っているのだから。俺はそうならないよう彼を導く者になろう。
誰の思惑でこの世界に落とされたのか、そんなのはどうでもいい。
どの世界でだって、俺は小枝と幸せに暮らせればそれでいいんだから。
「そうだね? パパがいれば、ぼくは悪い子にならない。だってパパに嫌われたくないもーん」
もきゅっと抱きついてくる小枝を、俺は強く抱きしめた。
あぁ、子供の体は柔らかくて、ギュッとしているだけで俺も幸せになるよぉ。
「あとは、この国のことが知りたいな? 剣と魔法の世界とか。あぁ、スリーパーやクリーンのことも。この魔法はなくなったりしないのか?」
「ぼくの魔法…クリーンは、前回死ぬまであったので、途中で消えることはなさそうです。強弱の加減も息を吸うみたいな感覚で、自然にできるようになると思いますよ?」
「ふーん、特に呪文みたいなのはいらないってことか。便利だな? スリーパーっ、とか叫ぶのは、ちょっと恥ずかしいからな?」
「ですね? ぼくも無理ぃ」
そう言って、小枝はけたけたと笑うのだった。
子供は必殺技とか好きなものだけど。中身二十三歳の小枝的にはやはり恥ずかしいようだ。
「魔法は、この世界の人はみんな使えるんだね? 馬車はあったが、機械はない?」
「みんなは使えませんよ? 魔法が使えるのは、上位貴族、侯爵階級から上ですね。たまに一般市民の中に魔法を扱える子が出たりしますが。ごく稀です。火、水、風という属性の攻撃魔法を持つ者が重用されます」
「ってことは、マクスウェルさんは魔法が使えない?」
「はい。だから防衛できずに暴漢に襲われてしまったのでしょう」
なるほど。剣と魔法の世界と言っても、魔法は誰もが使えるわけではなく、万能というわけでもなさそう?
「じゃあ、戦争は? 魔法で攻撃したら、元の世界の銃みたいに圧倒的な感じになるんじゃないか?」
「たぶん、銃や爆弾みたいに強力な殺傷力のある魔法は、この世界にはないかと。だから戦場では剣で戦うのが一般的です。町を警邏する騎士も、みんな剣で対峙しています」
「それで、剣と魔法の世界か」
小枝と話していて思ったのは。剣も魔法もごく一部の上流階級の特権みたいだなということ。
市民を取り締まる側が持つ力だもんな。
一般人には縁のない世界?
つまり、俺らには縁がないんだろうな。貴族じゃないし。
「一般市民や、子爵辺りの貴族たちは、元の世界の人たちと同じような生活をしています。魔法も剣もなく、地道に働いて日々を過ごすような」
「そうか。じゃあ子爵家を出たら、俺たちも町で地道に働いて暮らせたらいいね?」
「それが最高ですね?」
そういう暮らしなら、元の世界と同じような生活が出来そうだ。
なんとなく、将来の自分たちがどのように暮らせばいいのか、その形が見えてきたな。
そして、この国の通貨や相場など、日々の暮らしに役立つようなことを小枝に教えてもらった。
それによると、スタインベルン王国はリドリー王が統治する国で、王都の周りに貴族が治める領地がある。
日本で言えば、県みたいな感じか?
通貨はオーベル。一オーベルは一円くらいの価値。わかりやすいね。
機械はないけど、馬車やランプのような動力のない仕組みはある。
台所もガスコンロはなく。薪や炭で火をつけてする感じ。ここら辺は苦労しそうだな?
水は、貴族の家には水道や井戸があるが、一般人は水場に水を汲みに行く形式だ。大変だ。
日本では、蛇口をひねれば水やお湯が出た。アレはとても特別なことだったんだなとわかる。
特別といえば、医療面もそうだよね。滅菌された注射器は使い捨てで、ひとりひとつ使えたし。ガーゼも消毒液も薬もふんだんにあった。
この世界の薬のことは、小枝はよくわからないって。これは専門知識だから仕方がないね。
「薬はわかりませんでしたけど。ぼくはこの世界のトリセツです。他のことなら大抵わかるので、なんでも聞いてくださいね? パパ」
まだまだ小さい体ながら、小枝はそんな頼もしいことを言ってくれたのだ。
とても助かるよ、小枝。
でもね、小枝。パパは、なにがわからないのかすらわからないよ。
★★★★★
マクスウェルさんは、傷口が感染することもなく。患部の腫れや赤身もなくなったので、術後三日目で抜糸をした。
その後は自力で歩けるように、リハビリを施している。
しかしある日、事件が起きた。俺たちがこの屋敷に来て一週間が経った頃だ。
子爵家に騎士の一団がやってきた。
ベッドに横たわる子爵の前に、騎士がやってきて。親書を高らかに読み上げる。
「ベルナルド・ローディは、陛下の勅命である出征を拒み、王都を出奔した。これは王族への重大な反逆行為である。ローディ子爵は爵位をすみやかに返還するべし。尚、領地財産を没収する」
大勢の騎士が屋敷を占拠し、使用人たちは右往左往して屋敷を逃げ出していった。
俺と小枝は、突然のことに呆然としたが。
患者を放って逃げ出すわけにはいかない。
親書を読み上げた、一番偉そうな騎士の人に聞いてみた。
「マクスウェルさんは先日暴漢に襲われて、病み上がりの身です。まだ安静が必要なのですが、彼はこの後どうなってしまうのですか?」
「敵前逃亡は、一族郎党奴隷堕ちが常だ。だから使用人は逃げ出したのに、おまえはいつまでも残っていて、馬鹿なことだな?」
そうして手を縛られてしまい。
え? 一族郎党って、使用人も込み? 俺も込み?
小枝と引き離されそうになったけど。それだけは回避して、俺の腕の輪の中に小枝の体を入れ込んで、離されないようにした。
「息子に触らないでくださいっ」
小枝を縛ろうとした騎士を睨むと、彼は鼻で息をつき。騎士のリーダーが言う。
「どうせ奴隷商人が来たら、引き離されるぞ。ま、おまえはこの国の者じゃなさそうだから、今後のことを教えてやろう。まず前子爵だが、老齢の身だから値が付かないだろう。陛下が長年の功に報いて、当面暮らせる金銭を出されたので、それで市井に下ればよい」
子爵は奴隷堕ちにはならないみたい。怪我をしているのに、働かされることになったら大変だもんな。
「マクスウェルさんは町で怪我を癒せるのですね? 良かった」
「良くはないだろう。世話をする者などいないし。それよりおまえは人の心配をしている場合じゃない。おまえはこれから奴隷商人に売られ、一生ただ働きをさせられる。重労働だぞ。子供もどこかに売られるんだろうな?」
「そんな…子供は関係ないでしょう? 一族郎党の中には入らないでしょう?」
子供を働かせるなんて、あんまりだ。
俺は騎士にすがる目を向ける。小枝は見逃してくれ、と。
しかし騎士は首を振るばかりだ。
「そうだ、騎士団長。彼は一族郎党ではない。通りすがりの医者で、私の怪我の治療をしていただけなのだ。子爵家の使用人ではないので離してやってくれまいか?」
子爵が俺たちをかばってくれるけれど。騎士団長は無情にも首を横に振る。
「今現在ここにあるものはすべて、国王陛下の持ち物である。この日にここにいたことが、運の尽きだと言う他ないな。例外は認められない」
部下の騎士に立たされて、子爵の寝室を出ることになった。
「すまない、タイジュ先生。私に関わったばかりに、こんなことに…」
マクスウェルさんのせいじゃないけど。
奴隷堕ちと言われたら、さすがに俺も血の気が引く。
少しばかり頭を下げて、俺と、コアラ抱っこしている小枝は、騎士の誘導で階段を降りていく。
エントランスには、俺の他にも逃げそびれた使用人がいて。なんで自分がこんな目に、と嘆いていた。
「あの、子爵家の血族でない俺たちが、奴隷になるのはいささか乱暴ではありませんか?」
誘導してきた騎士に聞くと、彼はそっと打ち明けた。
「今は戦争中で財政難だ。おまえ、その珍しい髪色、外国人だろ? しかも医者? 一番高く売れるよ。とにかく、王家は金を集めている。理由などどうでもいいし。どう転んでもおまえは売られる」
マジか。
奴隷とか、自分には考えられないことで。元の世界でも、今はもう奴隷制度はない、はずだったけど。
戦争とか奴隷とか無縁の世界で生きてきたから、本当にピンとこない。
危機感が薄いかもしれないけど、そんな中でも、マズいという気持ちはさすがに湧いていた。
「パパぁ。こんな展開、前にはなかったよぉ」
不安そうな目で俺を見る小枝を。俺も不安な気持ちで抱き締める。
「前は子爵が死んだから、ベルナルドは兵役免除されたのだろう。だから子爵家が潰されることはなかった。だが子爵の命が助かって、運命が変わったんだ。とはいえ、親を置いて逃げるとはな? 父や使用人がどうなってもいいってことかよ」
たぶんベルナルドには、敵前逃亡したらどうなるかはわかっていたはずだ。騎士団長の口ぶりは、一族郎党奴隷堕ちというのが周知の事実のようだったので。
小枝は彼を、性根が腐っていると言ったけど。
全くだな。
あぁ、これからどうなっちゃうんだ? さっぱりわからない。
町で医者をして、小枝とつつましく暮らすつもりだったのに。将来設計がパァだ。
けれどパパとして。とにかく小枝を守らなくてはっ。それだけはっ。
相変わらず、俺の頭の中には疑問符が並んでいる。
だって穴に落ちたら別の世界にいたなんて、誰も信じない話だし。当事者の俺だっていまだに信じられずにいる。
けれど、小枝がここは異世界だって言うし。前世でここにいたなんて言うし。
小枝が嘘をついているとは思えないし。
もし嘘だとしても、五歳の子がこんなに辻褄の合った物語を口にするとも思えない。
俺は、腹をくくった。ここは異世界だ。
とにかく、この見知らぬ世界で。俺と小枝は当分生きていかなければならないんだ。ならば、まずはその努力をする方が建設的。
わからないって言ってばかりじゃ、すぐに路頭に迷ってしまうよ。
小枝がいるのだ、父として、子をそんな目に合わせたら駄目だよな?
まずは目の前の。マクスウェルさんの治療をすることだ。そして治療費をいただこう。
それを元手にして、小枝とこのあとの生活をどうするか考えるのが適切。そう判断した。
ローディ子爵の療養中は、屋敷の滞在を許されたので。
用意された客室で、俺と小枝がふたりでいるときに。小枝先生の元で異世界の勉強をするのだった。
今は夕食後、就寝前の自由時間で。
ベッドの端にふたり並んで腰かけている。
「はい、小枝先生。一番に聞きたいのは、ここから元の世界に帰れるのかということです」
俺が手を上げると、小枝先生は垂れ目をキリリとさせて、答えた。
「前回、ぼくは。今回と同じ要領で穴に落ち、五歳でこの地に来ました。それから十八になるまでこの世界で暮らしましたが、元の世界に帰ることなくこの地で死んでしまったので。帰れるかどうかはわかりません。そのような方策があるかもしれませんが、それを探すことも前回はできませんでした」
お役に立てずにすみません、というように小枝が肩を落とすので。
俺は笑みを浮かべて励ます。
「それは仕方がないよ、前回の小枝は生きるのが精いっぱいで、そこまで気が回らなかったんだろう? 今回はそこを考えつつで生活していってみよう。で、以前も十八で死んだと言っていたけど。病気か?」
小枝はまたしても言いにくそうに、手をモミモミしてうつむくが。
「悪いことをして、処刑されました」
と、一言口にした。
あぁ、俺に嫌われたくないと言っていた小枝が、これを口にするのは勇気がいっただろう。
俺は小枝をギュッと抱き締め。安心させる。
「それで、言いにくかったんだね? 大丈夫。今の小枝は悪い子じゃない。大丈夫」
「今回は絶対に悪いことはしません」
「そうだね。もし小枝が悪いことをしそうになったら、パパが止めてあげるよ。今回は絶対に、小枝を処刑なんかさせない」
小枝はきゅぅっと下唇を噛み、抱き締める俺の胸に額をゴリゴリこすりつけた。
よしよし、いい子いい子。
そうしてひとしきり甘えたあと、顔を上げたら。またキリリな小枝になっているのだった。
「でも、この世界がどんな話かわかりませんが。ぼくは悪いことをする役目の人かもしれません。そうしたら、絶対に悪い子になっちゃうかも」
「そんなことないよ。だって、今回は子爵の養子にならなかった。前回と違う話の流れになっているんだから、きっと小枝の役目は悪い子じゃなくて、良い子だったんだ。やり直しをさせられているってことは、そういうことなんじゃないかな? うーん。頭こんがらがるけど」
ループというのが、人生のやり直しなのだとしたら。
たぶん、前回の小枝の人生は、誰か、なにかにとって、不都合だった? のではないかと思う。
その誰か、なにかは、神みたいなものなのかも。
そうでなければ、この不可解な現象は説明できないものな?
俺は、ゲームをしたことはないが。友達から聞きかじったことはあった。
自分の思うとおりに話が進まなかったら、リセットしてセーブポイントからやり直す。
そういうことが、小枝の身に起きているんじゃないだろうか?
「とにかく、パパがついてる。小枝を悪い子にはさせない。今回パパが一緒にここに来たのは、きっとそういうことだったからなんじゃないか? だから、安心しろ?」
もう悪い子になりたくないと、小枝は思っているのだから。俺はそうならないよう彼を導く者になろう。
誰の思惑でこの世界に落とされたのか、そんなのはどうでもいい。
どの世界でだって、俺は小枝と幸せに暮らせればそれでいいんだから。
「そうだね? パパがいれば、ぼくは悪い子にならない。だってパパに嫌われたくないもーん」
もきゅっと抱きついてくる小枝を、俺は強く抱きしめた。
あぁ、子供の体は柔らかくて、ギュッとしているだけで俺も幸せになるよぉ。
「あとは、この国のことが知りたいな? 剣と魔法の世界とか。あぁ、スリーパーやクリーンのことも。この魔法はなくなったりしないのか?」
「ぼくの魔法…クリーンは、前回死ぬまであったので、途中で消えることはなさそうです。強弱の加減も息を吸うみたいな感覚で、自然にできるようになると思いますよ?」
「ふーん、特に呪文みたいなのはいらないってことか。便利だな? スリーパーっ、とか叫ぶのは、ちょっと恥ずかしいからな?」
「ですね? ぼくも無理ぃ」
そう言って、小枝はけたけたと笑うのだった。
子供は必殺技とか好きなものだけど。中身二十三歳の小枝的にはやはり恥ずかしいようだ。
「魔法は、この世界の人はみんな使えるんだね? 馬車はあったが、機械はない?」
「みんなは使えませんよ? 魔法が使えるのは、上位貴族、侯爵階級から上ですね。たまに一般市民の中に魔法を扱える子が出たりしますが。ごく稀です。火、水、風という属性の攻撃魔法を持つ者が重用されます」
「ってことは、マクスウェルさんは魔法が使えない?」
「はい。だから防衛できずに暴漢に襲われてしまったのでしょう」
なるほど。剣と魔法の世界と言っても、魔法は誰もが使えるわけではなく、万能というわけでもなさそう?
「じゃあ、戦争は? 魔法で攻撃したら、元の世界の銃みたいに圧倒的な感じになるんじゃないか?」
「たぶん、銃や爆弾みたいに強力な殺傷力のある魔法は、この世界にはないかと。だから戦場では剣で戦うのが一般的です。町を警邏する騎士も、みんな剣で対峙しています」
「それで、剣と魔法の世界か」
小枝と話していて思ったのは。剣も魔法もごく一部の上流階級の特権みたいだなということ。
市民を取り締まる側が持つ力だもんな。
一般人には縁のない世界?
つまり、俺らには縁がないんだろうな。貴族じゃないし。
「一般市民や、子爵辺りの貴族たちは、元の世界の人たちと同じような生活をしています。魔法も剣もなく、地道に働いて日々を過ごすような」
「そうか。じゃあ子爵家を出たら、俺たちも町で地道に働いて暮らせたらいいね?」
「それが最高ですね?」
そういう暮らしなら、元の世界と同じような生活が出来そうだ。
なんとなく、将来の自分たちがどのように暮らせばいいのか、その形が見えてきたな。
そして、この国の通貨や相場など、日々の暮らしに役立つようなことを小枝に教えてもらった。
それによると、スタインベルン王国はリドリー王が統治する国で、王都の周りに貴族が治める領地がある。
日本で言えば、県みたいな感じか?
通貨はオーベル。一オーベルは一円くらいの価値。わかりやすいね。
機械はないけど、馬車やランプのような動力のない仕組みはある。
台所もガスコンロはなく。薪や炭で火をつけてする感じ。ここら辺は苦労しそうだな?
水は、貴族の家には水道や井戸があるが、一般人は水場に水を汲みに行く形式だ。大変だ。
日本では、蛇口をひねれば水やお湯が出た。アレはとても特別なことだったんだなとわかる。
特別といえば、医療面もそうだよね。滅菌された注射器は使い捨てで、ひとりひとつ使えたし。ガーゼも消毒液も薬もふんだんにあった。
この世界の薬のことは、小枝はよくわからないって。これは専門知識だから仕方がないね。
「薬はわかりませんでしたけど。ぼくはこの世界のトリセツです。他のことなら大抵わかるので、なんでも聞いてくださいね? パパ」
まだまだ小さい体ながら、小枝はそんな頼もしいことを言ってくれたのだ。
とても助かるよ、小枝。
でもね、小枝。パパは、なにがわからないのかすらわからないよ。
★★★★★
マクスウェルさんは、傷口が感染することもなく。患部の腫れや赤身もなくなったので、術後三日目で抜糸をした。
その後は自力で歩けるように、リハビリを施している。
しかしある日、事件が起きた。俺たちがこの屋敷に来て一週間が経った頃だ。
子爵家に騎士の一団がやってきた。
ベッドに横たわる子爵の前に、騎士がやってきて。親書を高らかに読み上げる。
「ベルナルド・ローディは、陛下の勅命である出征を拒み、王都を出奔した。これは王族への重大な反逆行為である。ローディ子爵は爵位をすみやかに返還するべし。尚、領地財産を没収する」
大勢の騎士が屋敷を占拠し、使用人たちは右往左往して屋敷を逃げ出していった。
俺と小枝は、突然のことに呆然としたが。
患者を放って逃げ出すわけにはいかない。
親書を読み上げた、一番偉そうな騎士の人に聞いてみた。
「マクスウェルさんは先日暴漢に襲われて、病み上がりの身です。まだ安静が必要なのですが、彼はこの後どうなってしまうのですか?」
「敵前逃亡は、一族郎党奴隷堕ちが常だ。だから使用人は逃げ出したのに、おまえはいつまでも残っていて、馬鹿なことだな?」
そうして手を縛られてしまい。
え? 一族郎党って、使用人も込み? 俺も込み?
小枝と引き離されそうになったけど。それだけは回避して、俺の腕の輪の中に小枝の体を入れ込んで、離されないようにした。
「息子に触らないでくださいっ」
小枝を縛ろうとした騎士を睨むと、彼は鼻で息をつき。騎士のリーダーが言う。
「どうせ奴隷商人が来たら、引き離されるぞ。ま、おまえはこの国の者じゃなさそうだから、今後のことを教えてやろう。まず前子爵だが、老齢の身だから値が付かないだろう。陛下が長年の功に報いて、当面暮らせる金銭を出されたので、それで市井に下ればよい」
子爵は奴隷堕ちにはならないみたい。怪我をしているのに、働かされることになったら大変だもんな。
「マクスウェルさんは町で怪我を癒せるのですね? 良かった」
「良くはないだろう。世話をする者などいないし。それよりおまえは人の心配をしている場合じゃない。おまえはこれから奴隷商人に売られ、一生ただ働きをさせられる。重労働だぞ。子供もどこかに売られるんだろうな?」
「そんな…子供は関係ないでしょう? 一族郎党の中には入らないでしょう?」
子供を働かせるなんて、あんまりだ。
俺は騎士にすがる目を向ける。小枝は見逃してくれ、と。
しかし騎士は首を振るばかりだ。
「そうだ、騎士団長。彼は一族郎党ではない。通りすがりの医者で、私の怪我の治療をしていただけなのだ。子爵家の使用人ではないので離してやってくれまいか?」
子爵が俺たちをかばってくれるけれど。騎士団長は無情にも首を横に振る。
「今現在ここにあるものはすべて、国王陛下の持ち物である。この日にここにいたことが、運の尽きだと言う他ないな。例外は認められない」
部下の騎士に立たされて、子爵の寝室を出ることになった。
「すまない、タイジュ先生。私に関わったばかりに、こんなことに…」
マクスウェルさんのせいじゃないけど。
奴隷堕ちと言われたら、さすがに俺も血の気が引く。
少しばかり頭を下げて、俺と、コアラ抱っこしている小枝は、騎士の誘導で階段を降りていく。
エントランスには、俺の他にも逃げそびれた使用人がいて。なんで自分がこんな目に、と嘆いていた。
「あの、子爵家の血族でない俺たちが、奴隷になるのはいささか乱暴ではありませんか?」
誘導してきた騎士に聞くと、彼はそっと打ち明けた。
「今は戦争中で財政難だ。おまえ、その珍しい髪色、外国人だろ? しかも医者? 一番高く売れるよ。とにかく、王家は金を集めている。理由などどうでもいいし。どう転んでもおまえは売られる」
マジか。
奴隷とか、自分には考えられないことで。元の世界でも、今はもう奴隷制度はない、はずだったけど。
戦争とか奴隷とか無縁の世界で生きてきたから、本当にピンとこない。
危機感が薄いかもしれないけど、そんな中でも、マズいという気持ちはさすがに湧いていた。
「パパぁ。こんな展開、前にはなかったよぉ」
不安そうな目で俺を見る小枝を。俺も不安な気持ちで抱き締める。
「前は子爵が死んだから、ベルナルドは兵役免除されたのだろう。だから子爵家が潰されることはなかった。だが子爵の命が助かって、運命が変わったんだ。とはいえ、親を置いて逃げるとはな? 父や使用人がどうなってもいいってことかよ」
たぶんベルナルドには、敵前逃亡したらどうなるかはわかっていたはずだ。騎士団長の口ぶりは、一族郎党奴隷堕ちというのが周知の事実のようだったので。
小枝は彼を、性根が腐っていると言ったけど。
全くだな。
あぁ、これからどうなっちゃうんだ? さっぱりわからない。
町で医者をして、小枝とつつましく暮らすつもりだったのに。将来設計がパァだ。
けれどパパとして。とにかく小枝を守らなくてはっ。それだけはっ。
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