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5 この世界のトリセツです

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      ◆この世界のトリセツです

 相変わらず、俺の頭の中には疑問符が並んでいる。
 だって穴に落ちたら別の世界にいたなんて、誰も信じない話だし。当事者の俺だっていまだに信じられずにいる。
 けれど、小枝がここは異世界だって言うし。前世でここにいたなんて言うし。
 小枝が嘘をついているとは思えないし。
 もし嘘だとしても、五歳の子がこんなに辻褄つじつまの合った物語を口にするとも思えない。

 俺は、腹をくくった。ここは異世界だ。

 とにかく、この見知らぬ世界で。俺と小枝は当分生きていかなければならないんだ。ならば、まずはその努力をする方が建設的。
 わからないって言ってばかりじゃ、すぐに路頭に迷ってしまうよ。
 小枝がいるのだ、父として、子をそんな目に合わせたら駄目だよな?

 まずは目の前の。マクスウェルさんの治療をすることだ。そして治療費をいただこう。
 それを元手にして、小枝とこのあとの生活をどうするか考えるのが適切。そう判断した。

 ローディ子爵の療養中は、屋敷の滞在を許されたので。
 用意された客室で、俺と小枝がふたりでいるときに。小枝先生の元で異世界の勉強をするのだった。

 今は夕食後、就寝前の自由時間で。
 ベッドの端にふたり並んで腰かけている。

「はい、小枝先生。一番に聞きたいのは、ここから元の世界に帰れるのかということです」
 俺が手を上げると、小枝先生は垂れ目をキリリとさせて、答えた。
「前回、ぼくは。今回と同じ要領で穴に落ち、五歳でこの地に来ました。それから十八になるまでこの世界で暮らしましたが、元の世界に帰ることなくこの地で死んでしまったので。帰れるかどうかはわかりません。そのような方策があるかもしれませんが、それを探すことも前回はできませんでした」

 お役に立てずにすみません、というように小枝が肩を落とすので。
 俺は笑みを浮かべて励ます。
「それは仕方がないよ、前回の小枝は生きるのが精いっぱいで、そこまで気が回らなかったんだろう? 今回はそこを考えつつで生活していってみよう。で、以前も十八で死んだと言っていたけど。病気か?」
 小枝はまたしても言いにくそうに、手をモミモミしてうつむくが。

「悪いことをして、処刑されました」

 と、一言口にした。
 あぁ、俺に嫌われたくないと言っていた小枝が、これを口にするのは勇気がいっただろう。
 俺は小枝をギュッと抱き締め。安心させる。

「それで、言いにくかったんだね? 大丈夫。今の小枝は悪い子じゃない。大丈夫」
「今回は絶対に悪いことはしません」
「そうだね。もし小枝が悪いことをしそうになったら、パパが止めてあげるよ。今回は絶対に、小枝を処刑なんかさせない」
 小枝はきゅぅっと下唇を噛み、抱き締める俺の胸に額をゴリゴリこすりつけた。
 よしよし、いい子いい子。

 そうしてひとしきり甘えたあと、顔を上げたら。またキリリな小枝になっているのだった。
「でも、この世界がどんな話かわかりませんが。ぼくは悪いことをする役目の人かもしれません。そうしたら、絶対に悪い子になっちゃうかも」
「そんなことないよ。だって、今回は子爵の養子にならなかった。前回と違う話の流れになっているんだから、きっと小枝の役目は悪い子じゃなくて、良い子だったんだ。やり直しをさせられているってことは、そういうことなんじゃないかな? うーん。頭こんがらがるけど」

 ループというのが、人生のやり直しなのだとしたら。
 たぶん、前回の小枝の人生は、誰か、なにかにとって、不都合だった? のではないかと思う。
 その誰か、なにかは、神みたいなものなのかも。
 そうでなければ、この不可解な現象は説明できないものな?

 俺は、ゲームをしたことはないが。友達から聞きかじったことはあった。
 自分の思うとおりに話が進まなかったら、リセットしてセーブポイントからやり直す。
 そういうことが、小枝の身に起きているんじゃないだろうか?
「とにかく、パパがついてる。小枝を悪い子にはさせない。今回パパが一緒にここに来たのは、きっとそういうことだったからなんじゃないか? だから、安心しろ?」

 もう悪い子になりたくないと、小枝は思っているのだから。俺はそうならないよう彼を導く者になろう。
 誰の思惑でこの世界に落とされたのか、そんなのはどうでもいい。
 どの世界でだって、俺は小枝と幸せに暮らせればそれでいいんだから。

「そうだね? パパがいれば、ぼくは悪い子にならない。だってパパに嫌われたくないもーん」
 もきゅっと抱きついてくる小枝を、俺は強く抱きしめた。
 あぁ、子供の体は柔らかくて、ギュッとしているだけで俺も幸せになるよぉ。

「あとは、この国のことが知りたいな? 剣と魔法の世界とか。あぁ、スリーパーやクリーンのことも。この魔法はなくなったりしないのか?」
「ぼくの魔法…クリーンは、前回死ぬまであったので、途中で消えることはなさそうです。強弱の加減も息を吸うみたいな感覚で、自然にできるようになると思いますよ?」
「ふーん、特に呪文みたいなのはいらないってことか。便利だな? スリーパーっ、とか叫ぶのは、ちょっと恥ずかしいからな?」
「ですね? ぼくも無理ぃ」
 そう言って、小枝はけたけたと笑うのだった。
 子供は必殺技とか好きなものだけど。中身二十三歳の小枝的にはやはり恥ずかしいようだ。

「魔法は、この世界の人はみんな使えるんだね? 馬車はあったが、機械はない?」
「みんなは使えませんよ? 魔法が使えるのは、上位貴族、侯爵階級から上ですね。たまに一般市民の中に魔法を扱える子が出たりしますが。ごくまれです。火、水、風という属性の攻撃魔法を持つ者が重用ちょうようされます」
「ってことは、マクスウェルさんは魔法が使えない?」
「はい。だから防衛できずに暴漢に襲われてしまったのでしょう」
 なるほど。剣と魔法の世界と言っても、魔法は誰もが使えるわけではなく、万能というわけでもなさそう?

「じゃあ、戦争は? 魔法で攻撃したら、元の世界の銃みたいに圧倒的な感じになるんじゃないか?」
「たぶん、銃や爆弾みたいに強力な殺傷力のある魔法は、この世界にはないかと。だから戦場では剣で戦うのが一般的です。町を警邏けいらする騎士も、みんな剣で対峙しています」
「それで、剣と魔法の世界か」
 小枝と話していて思ったのは。剣も魔法もごく一部の上流階級の特権みたいだなということ。
 市民を取り締まる側が持つ力だもんな。
 一般人には縁のない世界?
 つまり、俺らには縁がないんだろうな。貴族じゃないし。

「一般市民や、子爵辺りの貴族たちは、元の世界の人たちと同じような生活をしています。魔法も剣もなく、地道に働いて日々を過ごすような」
「そうか。じゃあ子爵家を出たら、俺たちも町で地道に働いて暮らせたらいいね?」
「それが最高ですね?」
 そういう暮らしなら、元の世界と同じような生活が出来そうだ。
 なんとなく、将来の自分たちがどのように暮らせばいいのか、その形が見えてきたな。

 そして、この国の通貨や相場など、日々の暮らしに役立つようなことを小枝に教えてもらった。
 それによると、スタインベルン王国はリドリー王が統治する国で、王都の周りに貴族が治める領地がある。
 日本で言えば、県みたいな感じか?

 通貨はオーベル。一オーベルは一円くらいの価値。わかりやすいね。
 機械はないけど、馬車やランプのような動力のない仕組みはある。
 台所もガスコンロはなく。薪や炭で火をつけてする感じ。ここら辺は苦労しそうだな?

 水は、貴族の家には水道や井戸があるが、一般人は水場に水を汲みに行く形式だ。大変だ。
 日本では、蛇口をひねれば水やお湯が出た。アレはとても特別なことだったんだなとわかる。

 特別といえば、医療面もそうだよね。滅菌された注射器は使い捨てで、ひとりひとつ使えたし。ガーゼも消毒液も薬もふんだんにあった。
 この世界の薬のことは、小枝はよくわからないって。これは専門知識だから仕方がないね。

「薬はわかりませんでしたけど。ぼくはこの世界のトリセツです。他のことなら大抵わかるので、なんでも聞いてくださいね? パパ」
 まだまだ小さい体ながら、小枝はそんな頼もしいことを言ってくれたのだ。
 とても助かるよ、小枝。

 でもね、小枝。パパは、なにがわからないのかすらわからないよ。

     ★★★★★

 マクスウェルさんは、傷口が感染することもなく。患部の腫れや赤身もなくなったので、術後三日目で抜糸をした。
 その後は自力で歩けるように、リハビリを施している。
 しかしある日、事件が起きた。俺たちがこの屋敷に来て一週間が経った頃だ。
 子爵家に騎士の一団がやってきた。
 ベッドに横たわる子爵の前に、騎士がやってきて。親書を高らかに読み上げる。

「ベルナルド・ローディは、陛下の勅命ちょくめいである出征をこばみ、王都を出奔した。これは王族への重大な反逆行為である。ローディ子爵は爵位をすみやかに返還するべし。尚、領地財産を没収する」

 大勢の騎士が屋敷を占拠し、使用人たちは右往左往して屋敷を逃げ出していった。
 俺と小枝は、突然のことに呆然としたが。
 患者を放って逃げ出すわけにはいかない。
 親書を読み上げた、一番偉そうな騎士の人に聞いてみた。

「マクスウェルさんは先日暴漢に襲われて、病み上がりの身です。まだ安静が必要なのですが、彼はこの後どうなってしまうのですか?」
「敵前逃亡は、一族郎党奴隷堕ちが常だ。だから使用人は逃げ出したのに、おまえはいつまでも残っていて、馬鹿なことだな?」
 そうして手を縛られてしまい。
 え? 一族郎党って、使用人も込み? 俺も込み?
 小枝と引き離されそうになったけど。それだけは回避して、俺の腕の輪の中に小枝の体を入れ込んで、離されないようにした。

「息子に触らないでくださいっ」

 小枝を縛ろうとした騎士を睨むと、彼は鼻で息をつき。騎士のリーダーが言う。
「どうせ奴隷商人が来たら、引き離されるぞ。ま、おまえはこの国の者じゃなさそうだから、今後のことを教えてやろう。まず前子爵だが、老齢の身だから値が付かないだろう。陛下が長年の功に報いて、当面暮らせる金銭を出されたので、それで市井しせいに下ればよい」

 子爵は奴隷堕ちにはならないみたい。怪我をしているのに、働かされることになったら大変だもんな。
「マクスウェルさんは町で怪我を癒せるのですね? 良かった」
「良くはないだろう。世話をする者などいないし。それよりおまえは人の心配をしている場合じゃない。おまえはこれから奴隷商人に売られ、一生ただ働きをさせられる。重労働だぞ。子供もどこかに売られるんだろうな?」
「そんな…子供は関係ないでしょう? 一族郎党の中には入らないでしょう?」

 子供を働かせるなんて、あんまりだ。
 俺は騎士にすがる目を向ける。小枝は見逃してくれ、と。
 しかし騎士は首を振るばかりだ。

「そうだ、騎士団長。彼は一族郎党ではない。通りすがりの医者で、私の怪我の治療をしていただけなのだ。子爵家の使用人ではないので離してやってくれまいか?」
 子爵が俺たちをかばってくれるけれど。騎士団長は無情にも首を横に振る。

「今現在ここにあるものはすべて、国王陛下の持ち物である。この日にここにいたことが、運の尽きだと言う他ないな。例外は認められない」
 部下の騎士に立たされて、子爵の寝室を出ることになった。

「すまない、タイジュ先生。私に関わったばかりに、こんなことに…」
 マクスウェルさんのせいじゃないけど。
 奴隷堕ちと言われたら、さすがに俺も血の気が引く。
 少しばかり頭を下げて、俺と、コアラ抱っこしている小枝は、騎士の誘導で階段を降りていく。
 エントランスには、俺の他にも逃げそびれた使用人がいて。なんで自分がこんな目に、と嘆いていた。

「あの、子爵家の血族でない俺たちが、奴隷になるのはいささか乱暴ではありませんか?」
 誘導してきた騎士に聞くと、彼はそっと打ち明けた。
「今は戦争中で財政難だ。おまえ、その珍しい髪色、外国人だろ? しかも医者? 一番高く売れるよ。とにかく、王家は金を集めている。理由などどうでもいいし。どう転んでもおまえは売られる」

 マジか。
 奴隷とか、自分には考えられないことで。元の世界でも、今はもう奴隷制度はない、はずだったけど。
 戦争とか奴隷とか無縁の世界で生きてきたから、本当にピンとこない。
 危機感が薄いかもしれないけど、そんな中でも、マズいという気持ちはさすがに湧いていた。

「パパぁ。こんな展開、前にはなかったよぉ」
 不安そうな目で俺を見る小枝を。俺も不安な気持ちで抱き締める。
「前は子爵が死んだから、ベルナルドは兵役免除されたのだろう。だから子爵家が潰されることはなかった。だが子爵の命が助かって、運命が変わったんだ。とはいえ、親を置いて逃げるとはな? 父や使用人がどうなってもいいってことかよ」

 たぶんベルナルドには、敵前逃亡したらどうなるかはわかっていたはずだ。騎士団長の口ぶりは、一族郎党奴隷堕ちというのが周知の事実のようだったので。
 小枝は彼を、性根が腐っていると言ったけど。
 全くだな。
 あぁ、これからどうなっちゃうんだ? さっぱりわからない。
 町で医者をして、小枝とつつましく暮らすつもりだったのに。将来設計がパァだ。

 けれどパパとして。とにかく小枝を守らなくてはっ。それだけはっ。

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