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プロローグ(小枝)

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     ◆プロローグ(小枝)

 ぼくは、小枝という名前が嫌いだった。
 名前を言うと、託児所の先生はなんでかクスクス笑う。
 小枝の意味は、小さい枝という意味で。頼りない、木とも言えないような木の一部のことでしょ?
 三歳のぼくなんか、ぽきりと折れてしまうよ。
 それに小枝はずっと小さいままでしょう? 小さいまんま、死んじゃいそうな気になります。

 ママが言うには。
「御厨家では木や花の名前を子供に付けるけど、イレギュラーで生まれたあんたは小枝で充分」
 なんだって。なんだか適当な感じです。
 ママはまだまだ勉強がしたかったのに、妊娠しちゃったんだって。
 だからイレギュラー、そう言ってた。

 それでママはある日、菓子パンをいっぱい買ってきて。アメリカに戻って勉強してくるって言って、家を出て行っちゃった。
 よくわかんなかったけど。死にそうになりました。
 パパがぼくをみつけてくれて、良かったです。

 あ、名前の話でした。

 小枝なんて、いかにもぽっきりと、人生までぽっきりと、いっちゃいそうじゃないですか?
 実際ぽっきりきかけちゃったし。
 だから、ぼくは嫌いだったんだけど。

 でもぼくは、大樹たいじゅパパに出会ったのです。

 パパの名前の大樹は、大きな木という意味。
「小枝は、俺の名前の大樹に生えた、小さな枝だ。俺はこの小さな枝を、大事に大事に守って。やがて大きな木の大きな枝葉に育てる。折れないように、枯れないように、パパが大事に見守ってやるからな?」
 パパがそう言ってくれたから。ぼくは小枝という名前も悪くないなって思うようになった。
 だって、すぐにもぽっきり折れちゃいそうな小枝でも、パパが守ってくれるんだもん。
 パパという大樹の一部に、小枝のぼくがいる。
 それって、無敵じゃん? そう思えるようになったんだ。

 もう顔も覚えていないママがつけた名前だけど。
 ぼくは。パパの元に行くから小枝という名前になったんだって、勝手に思っているの。
 パパはママからぼくを引き取って、今はもう、ぼくはパパの子なんだからね。
 ぼくはパパの息子になる運命だった、ってことでいいでしょ?

 だからぼくは、パパの元で大きく大きくなって、いつかパパと同じ大樹になる。そう決めました。

 ところでパパは、町のお医者さんです。
 ぼくも五歳になって、保育園でお友達と話をしますが。みんな病気になると、まずはパパが診察をします。
 みくりゃー先生は優しいから好き。チクッするやつは嫌い。
 みんな、そのような感想を言いますね。
 みくりゃー先生はパパなので。ぼくは鼻高々です。
 チクッとするのは、注射のことで。それはぼくも嫌いだよ。
 でも今は、検査して数字を出さないとなにも診断できない、みたいなことをパパは言います。大変ですね。
 だけど注射は、子供はみんな嫌いなのでなんとかしてください。

 ちなみに、まだ五歳のぼくが、これほどにいろいろなことを考えられるのは。
 ママが教育したから…ではなくて。

 ぼくに前世の記憶があるからです。

 うっすら、なんとなくなのですが。
 物心ついたのは三歳のときで、前世の記憶はその頃からあるんだけど。
 今は小さな脳みそだからか、なにがあったのかはぼんやりしている感じ。
 でも、自我があって。理解力があるというか?
 ママが言う言葉の意味はわかっていたんです。
 うるさい、とか。あっち行って、とか。触らないで、とか。
 わかるから、まぁ、ママの言う通りにはするんだけど。読み書き話すのは、少々訓練がいるみたいで。
 だから意思表示は難しいの。反論できない。

 五歳になっても、いまだに少し舌足らずだし。舌が上手に使えていないのですね?

 ママはぼくに、なにも教えなかった。
 一方的に言うばかりで、会話にもならない感じ?
 三歳になるまでは、大体託児所での知識だけでしたね。主に先生による本の読み聞かせくらいです。

 パパに引き取られてからは、じぃじやばぁばともいっぱいお話をしたし。パパもいっぱいお話をしてくれたから。今はまあまあ会話できます。
 教育番組も見ているから、数字とか簡単な漢字も、もうわかります。
 なのでぼくも、いっぱいパパとお話したいのですが。
 なかなか舌が上手く回らないのですよねぇ。歯痒いぃ。
 日々訓練です。

 ママのことは、普通に嫌いです。
 だって、死にかけましたし。ママから愛情を感じたことはありません。
 与えられた総菜パンも、面倒くさいけど大事おおごとになったらまずいしぃ、って言っていました。
 ぼくは前世でも親には恵まれず。だからママがぼくを嫌いでも、親っていうのはそういうものかなって思っていたのです。死なない程度にご飯をくれるだけでもありがたいって。

 だけどぼくは、パパに出会ってしまったぁっ。

 パパは黒髪の短髪で、目鼻立ちは整っている。アーモンドアイで目元はくっきり、鼻も高過ぎず低すぎずのベストバランス。イケメンの部類に入るんじゃないかな?
 でも特別美形、ではないかも。芸能人みたいな派手さはないんだ。
 だけどね、笑顔がさわやかでぇ。声が穏やかで優しいしぃ。
 ぼくはパパの雰囲気が大好きなんだ。
 体つきは中肉中背で、保育園の女の先生より少し高いくらいだから。背が高ぁい、ってほどでもない。
 でもね、パパはそれでいいの。
 すっごくでっかいと怖くて、子供が病院に来られなくなるでしょ?
 美形すぎると、女性の患者さんであふれちゃうでしょ?
 優しい声で、丁寧な診察で、安心できる笑顔。それがパパの良いところだもん。ぼくも好き。

 それになにより、パパはぼくを一生懸命愛してくれるんだ。

 ギュウッて抱き締められると、温かくて、胸の奥がせつなくなって泣きそうになるの。
 ぼくはそんな感覚をはじめて知った。
 パパがぼくの横で寝かしつけてくれるから、ぼくは起きていたいのに、安心して寝ちゃうの。
 そんな気持ちもはじめて知った。だって誰も、ぼくと一緒に添い寝なんかしてくれなかったから。
 ぼくが思いっきり走って行っても、パパは後ろでちゃんと見守ってくれる。
 その頼もしさが、力強くて。パパがいればなにも怖くないって思うんだ。

 人から受ける愛情が、こんなにも心地よいものだなんて。
 ふたつも人生を生きてきたのに。ぼくはその数十年間、誰からも愛されなかったし。誰も愛さなかった。
 前世でも、実の母にも、愛のぬくもりを貰えなかったんだ。
 けれどパパは、温かくていっぱいの愛情を注いでくれる。それって、はじめての体験なんだよ。
 だからぼくは、愛情深いパパを決して手放せないし。ぼくもパパを愛したいと思うんだ。

 今世こそは、穏やかで幸せな、愛にあふれた人生を送りたいなぁ。

     ★★★★★

 日曜日、診療所がお休みだから公園に遊びに行こうって、パパが言ったのに。
 急遽、お友達が来ることになったんだって。
 つまらないけど。仕方がないので、おとなしく部屋で絵本を読んでいます。
 勇者がドラゴンを退治してお姫様を救うって話。
 お姫様は、自分を助けてくれた勇者に、当たり前のように恋をする。
 ふたりはお互いに好きになって、結婚してハッピーエンド。
 そんなこと…あるわけないのにね。
 年頃のお姫様には必ず婚約者がいるものだよ。それで勇者とドロドロの三角関係になって、もう大変っ。になるんだよ。世の中はそういうものだ。

 はぁ、と。ため息が出る。絵本に難癖付けても無意味ですね。
 棚に絵本をしまうと、ふすまの仕切りからパパとそのお友達の声が聞こえてきました。

 パパのお友達は、大学病院に勤めていたときの同僚だって。
「御厨、大学病院に戻ってくる気はないのか? 外科部長にも目をかけられて嘱望されていたのに。キャリアを捨てるのはもったいないじゃないか?」
 これはパパのお友達の声です。パパの声は、もっと優しくて穏やかな声だもん。

「いや、俺は今の暮らしが気に入っているんだ。のんびり父子ライフだよ」
「のんきなことを。外科医のおまえはもっとギラギラしていたじゃないか? 学ぶことに貪欲で。オペ室に入りびたりでさ? あの子さえいなきゃ、おまえは大学病院の外科のエースだったのに」
 あの子さえ…と言われ。ぼくはショックを受けた。
 ぼくはパパの足を引っ張っているのかな?

「そんなふうに言うなよ、小枝は俺の大事な息子なんだ。田辺だって自分の息子をけなされたら嫌だろう?」
「俺は結婚してないからわからないけど。だがあの子は、おまえの子じゃないし」
「いいや、俺の子だ。俺が産んだの」
「プッ、男のおまえが産めるわけないだろ?」

 ハハって、笑って。その場は和やかになったけど。
 でもぼくは。衝撃が大きくて、血の気が引いていた。

 ぼくは、前世で嫌な子だった。みんなに嫌われていたんだ。
 今も、嫌な子。

 パパはエリート医師ってやつだった。
 医学部を優秀な成績で卒業し、研修期間を経て大学病院の第一外科に赴任する。
 天才外科医だってパパを呼ぶ人もいたって。ばぁばが生前言ってた。
 だけどぼくを育てるために、パパは大学病院を辞めて診療所を継いだ。みたい。

 パパのためを思うなら、ぼくは大丈夫だから大学病院に戻ってって言わなきゃいけない。
 でも、離れたくなくて、言えないの。パパと一緒にいたいから。
 パパの幸せを願えないぼくは、いけない子だ。

 でもさ、パパが大学病院に帰ったら。ママみたいにぼくを置いて海外に留学しちゃうかもしれないじゃん?
 そんなの、嫌だよ。
 もう誰にも捨てられたくない。
 パパに、見捨てられたらどうしよう。

     ★★★★★

 パパのお友達は帰って、午後から約束通り公園に行こうということになった。
 大きなパパの手に手を握られていると。いつも安心するけど。
 今日は心がワサワサしたまんまで、遊ぶ気にもなれない。
 パパから離れたくなくて、悲しくなる。
 ベンチに座るパパにギュッとしがみついていると、パパがたずねた。

「どうした? 小枝。どこか具合が悪いのか?」
 ぼくの心の中では、ふたつの想いがせめぎ合っていた。
 大学病院に戻ってもいいよ。おとなしくお留守番しているって言わなきゃ。ってことと。
 どこにも行かないで、ぼくのそばにいてって駄々をこねたい。ってこと。
 どうしたらいいのかわからなくて、ぼくは涙ぐむ。

「小枝? なにが悲しいんだ?」
 パパはアーモンド形のくっきりした目元をやんわりやわらげて、優しい声でたずねてくれる。
 その素朴な笑顔が、ぼくの胸をきゅんとさせます。
「パパ、大学病院に戻る? その方がパパも幸せなんでしょ? でもぼくを置いて行かないで。パパは優秀なお医者さんで、ママみたいに海外にも、い、行くかもしれないけど。ぼくも連れて行って」
 自分でもどうしていいかわからないから、ふたつの想いを言った。
 モヤモヤを、全部言った。

 そうしたらパパは、大きな手でぼくの背中を撫で。穏やかな落ち着く声でお話してくれる。

「あぁ、小枝はさっきの話を聞いたのか? パパは大学病院には戻らないよ。だってパパが一番幸せなのは、小枝のそばにいることだからな」
 そしてぼくをギュッてしてくれた。パパのギュが、ぼくは最高に好きぃ。

「それに診療所がなくなったら、町の人も困ってしまうし。海外にも行く気はないよ。あ、旅行ならいいかもね? 小枝と一緒に海外旅行。でも、診療所はそんなに休めないかぁ? でも年末年始とかなら…」
「ぼく、旅行もいらない。パパのそばにずっといたいの」
「それはもちろんだよ。どこへ行くにも、小枝を置いて行ったりしない。約束するよ」
 小指を出して、パパは約束してくれた。
 だからぼくも小指を絡める。パパと決して離れないように。

「安心した? じゃあ、元気いっぱいに遊んでおいで」
「うん。パパ、大好き」
 パパは、大学病院に戻らないで、診療所にいるんだって。
 ぼくと離れないって。置いて行かないって、約束したよ。
 ママみたいに、いきなりいなくなったりしないんだ。

 そう思ったら、安心して。滑り台で遊びたくなった。

 その方向に駆けて行こうとしたら。
 足元に魔法陣が展開して、足の下が空洞になって?

 あぁっ、この感覚は身に覚えがあるっ。前世でも同じことが起きたんだ。

「小枝っ」
 パパが慌てて手を伸ばし、ぼくの手を掴んでくれたけど。
 よくわからないままに暗い穴に落ちていった。

 怖い。もう、あっちには行きたくないのにぃ。

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