【完結】幽閉の王を救えっ、でも周りにモブの仕立て屋しかいないんですけどぉ?

北川晶

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38 ブンブン振り回したいっ。(イアンside)

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     ◆ブンブン振り回したいっ。(イアンside)

 我は、よく塔に登る。
 夜、王城のてっぺんに立ち、そこから本土の灯を眺めれば。生活の灯火ともしびのひとつひとつに、自分が守るべき民がいるのだと、実感できるからだ。
「今日は、塔に上がる」
 夕食後の居室で、一言そう言えば。セドリックが用意を整えてくれる。
 事前に警備をするため、セドリックは塔へと向かった。

 塔に登るのは久しぶりだ。
 王城に死神が来たことで、心も生活環境もバタバタして、それどころではなかった。

 そう、以前塔に上がったのは、死神が…クロウが翌日にやってくるという日だった。

 月も出ていなくて、真っ暗な海が、冥界への入り口にように思えて。ただただ気鬱だったのを覚えている。
 そして、次の日。王城にやってきたクロウと出会い。死神と言うには凡庸な姿に、息をのんだ。
 こいつが我を暗殺しに来たのかと思い、ひどくピリピリして。一時は本当に手にかけようと決意したくらい、心情がガザガザに乱された。

 しかし、クロウのほのぼのとした気配に。気持ちは自然に落ち着いていき。死神だと思って、圧倒的脅威に感じていたクロウが。次第に、ただの仕立て屋のクロウに見えるようになってきた。
 恐れというフィルターを、外して見れば。
 クロウは、ちっぽけで、もろくて、柔らかい微笑みをした、純朴な青年で。王家を敬う誠実な民であった。

 王の居室には、暖炉に火がくべられ。普段の白シャツに黒ズボンでも、寒くないが。
 塔の上は、春先とはいえ、まだまだ寒風が吹く屋外だ。
 ラヴェルが選んだ上着に、我は袖を通す。
 一般的に、貴族が着用する正装のジャケットで、縁取りや豪華な刺繍がなされたものだが。我にとっては、ただの防寒着に過ぎない。

 元々、それほどに衣装を持ってはいない。
 幼い頃から、バミネたちに王家の維持費を…おそらく搾取されている。だが、この島に全く人が来ないわけでもなく。最低限、王家としての体面を保つ財源は与えられていた。
 この服も、そうして作ったものだ。我は…シャツとズボンが身軽で、一番いいのだがな。

 この上着は、客と相対するときのためのもの、だが。この島にやってくる人物といえば、アナベラやバミネ、そしてバミネの息のかかった、横柄な騎士団のやつらぐらいだ。
 しかし、己の死を心待ちにしている者など、客どころか、人としての認定もしたくない。

 ま、他にも。今回のように、クロウやアイリスという外の者が来ることがあるので。服の用意は、ある方が良いのかもしれないが。
 結局、死神に会うのに着飾ることはないと言って、今回、彼らと相対したときも、シャツとズボン姿だった。

 そこで、はたと気づく。クロウは、我にとっての初めての客人だったのではないか? と。

 八歳で王位を継いだときには、すでに、この島に人はほとんどいなかった。
 アルフレドや後宮の侍女という、王城勤務の者たちだけ。その後、ラヴェルとロイドの親子。セドリックやシヴァーディという騎士が加わったが。
 彼らもいわゆる、王城勤務の身内的な者だ。

 アイリスはどれくらいの期間、行儀見習いで滞在するのかわからないが。クロウは仕立て屋ではあるが、王城勤務の者ではなく、一時滞在の特例だった。
 つまり。我が王として、一般の客人を迎える初体験、ということではないか?

 そう思うと、遅ればせながら、胸が躍った。
 クロウは、一般的なカザレニア国民の、代表のようなものだ。
 今、国民はどのような暮らしぶりで、どのようなことを考えているのか?
 幸せに過ごせているのか?
 カザレニアの外の情勢はどうなっているのか?
 聞きたいことが山のように出てきてしまった。

「ラヴェル、クロウは今まで、どのような生活を送ってきたのだと思うか?」
 上着を背後から着せ掛けてくるラヴェルに、何の気なしに、たずねたが。
 彼はひどく狼狽した。
「えっ? あ…私には、わかりません」
 そういえば。ラヴェルとクロウには、なにかつながりがあるのかもしれないと、考えたことがあった。
「もしかして、クロウはラヴェルの身内なのか?」
「そのような…とんでもないことでございます」

 その返事にも、我は首を傾げる。
 クロウと身内なんて…平民と一緒にするな、ということか?
 もしくは逆に、クロウと身内なんて…恐れ多い、ということか?
 この言葉には、そういう二極の意味があると思うのだが。
 常々、王である我に、国民の重要性を説いてきたラヴェルが、平民を見下す発言をするとは思えない。
 だが、仕立て屋のクロウを、恐れ多いと思っているとも思えず。
 またもや、モヤッとしてしまう。

 わからないことはあれど、まぁ、とりあえず、身内ではないということで。
「…そうか。では、行ってくる」
 支度を終え、我は十時過ぎくらいに、三階にある、王の居室を出た。

 塔の入り口は、二階の、北側の廊下の突き当りにある。
 シヴァーディを伴い、階段を降りて二階につくと、南側の廊下の奥から光が漏れているのが見えた。クロウにあてているサロンの灯りだ。

 こんな時間まで働いているのかと思い、我はサロンに足を向けた。
 部屋をのぞくと、やはりクロウが。真剣な顔つきで、黙々と刺繍をしている。
「まだ、仕事をしているのか? ゆっくり進めればよいではないか」
 我の声に気づいたクロウは、椅子を降りて、そっと頭を下げた。
 …今日は、猫が鳴かないな?

「陛下のお顔を拝見し、もっと美しいものでなければ、という意識が強くなりました。華やかで、強さも感じられるような」
 とても愛おしい、という眼差しで、クロウは刺繍の生地をみつめ。指先でそっと撫でた。
 仕立て屋は、己の作品に、とても愛情を込めるのだな?
 その衣装を、我がまとうのだと思うと。なにやら身が引き締まる気分である。

 でも、死に装束だから。生きているうちに、袖を通さないかもしれないが。

「我は、美しいのか?」
 自分ではよくわからないが、クロウが我の顔を見て、もっと美しいものを作らなければと思い直すほどには、美しいということなのかなと思い。たずねた。
 彼は、服に目を落としたまま。ほんのり頬を赤らめて、答える。
「はい。まぶしくて、正視できません」

 はにかんだ顔は可愛らしいが。目線が合っていないので、つまらぬ。
「見なくては、我が美しいか、わからぬではないか?」
 我はクロウのそばに寄っていき、彼の顎を指先で持ち上げる。
 どうだ? と言うように、目でクロウに問いかけると。
 バッチリと視線が合ったときに、互いに火花が散ったような錯覚があった。

 彼は驚いたようにひとつまばたきをして。本当にまぶしそうに、目を細める。
「すべてが…とても僕と同じ人間とは思えないほど、御美しいです」
 我の目をみつめたまま。彼の、その小さな口が動いて、賛美を語る。
 色づいた唇が、うごめくサマは。なにやら、みずみずしい果実のようにも見え。なんか…美味しそうだな。

 鷹揚にうなずいて、手を離す。
 でも、なんとなく名残惜しくて、離れる指先で、あの柔らかい感触の髪を撫でた。

 クロウは、見るからに顔を赤く染め。彼が我を意識するサマを見て、満足感が満ち満ちた。
 なんの満足か、自分でもわからないが。
 彼に褒められると、なにやら、胸の上の辺りがこそばゆい感覚になって。心地よかった。

「…それはともかく。あまり根を詰めるのは良くないな。進行が遅れているのか?」
 先ほど、クロウは我の客第一号だと気づいた。
 早々に衣装が仕上がってしまったら、もてなす時間も無くなるのではないか?
 クロウに聞きたいことが、いっぱいできたのだから。長く。長く。ここにいればいい。
 そう思い、たずねたら。クロウはいつもの穏やかな微笑みで言った。
「いえ。明日には仮縫いに入れると思います」
「は、早いな。思ったより」
 仮縫いと言ったら、もう八分は出来ているということではないか? と。なんだか気持ちが焦る。
 クロウは、一時滞在だとは知っていた。
 衣装を作り終えたら、この島から去る。

 そうか。クロウは、いずれ。この島を去るのだ。

 なんとなく、彼はずっとここにいるのだと、思い込んでいた。
 深く考えていなかった。そのことを、のみ込んでいなかった。
 だから、クロウと過ごす時間はいっぱいあると、思って。疑問に思ったことも、あとで聞けばいいなんて、余裕ぶって、後回しにしていたのだが。

 我とクロウの時間は、それほど長く残っていないようだ。

 少し、寂しい気分になったとき。クロウが続けて言った。
「でも、その先の方が、時間がかかるのです。刺繍をほどこしてある前身ごろは、製作時間をかけておりますので、失敗したら、もう一度、同じだけの時間をいただくことになります。なので、丁寧に進めていきます。お目障りでしょうが、やはり納品期日の四月までは、滞在させていただきたいのです」
 なんとなく、申し訳なさそうな顔で、クロウは我を見上げる。

 そういえば、初日に。長居は許さぬと、言ったな?
 我が、言ったな?

「…そうか。四月まではいるのだな。あぁ、構わぬ。ゆっくり…おまえが納得できる良いものを作ってくれ」
 衣服を仕立てる、平均的な製作期間などは、全くわからぬが。クロウの話では、とにかく四月くらいまではかかるということだな?
 うむ。まだ、三週間もあるではないか。よしよし。

 仮縫いをしたら、すぐに出来上がると思ったから。仕上がりまでは意外に時間がかかるものなのだと知り、ちょっと驚く。
 そして、なんとなく安堵もした。
 期間はあれど、もう少し、クロウと過ごすことができるのだな?

「お時間をいただき、ありがとうございます」
 そうしたらクロウは、すっごく嬉しそうな顔で、にっぱり笑った。

 普通にしていたら、一重の切れ長な目がきつめで。どちらかと言えば、綺麗とか美人とか。でも清楚なイメージもあるから、夜露に濡れる百合のようだと思うのだが。
 笑うときはほがらかというか、ほのぼのというか、のほほんというか。白やピンクの小花のような、可愛らしい印象になる。
 今の笑顔は、野に咲く小花が、バシバシッと、ひょうが当たるみたいに我を襲ったような感覚だった。

 か…可愛い。ギュッとして、ブンブン振り回したいっ。

 はっ? なんだ、なんだ、この感情は。
 この頃たまに、今まで思ったこともないような言葉や感情が湧き起ることがあるが、これはいったいなんなのだ?
 それに、なんでか、運動したわけでもないのに、心臓がどきどきする。

「あ…ぁ、うん。でも、今日の仕事は終わりにしろ。これから行くところがあるので、付き合え。寒いから、あのコートを着て来いっ」
 狼狽して、いつになく早口で、命令口調になってしまった。
 クロウは我に従って、サカサカと片付け始めているけれど。
 なんだか冷静になれなくて、ぶっきら棒な言い方になってしまったな。
 別に、塔の上にクロウを連れて行くつもりなんか、なかったのに。なぜか、一緒に行くことになってしまった。

 塔の上には、今まで誰も、連れて行ったことなどなかったのに。

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