【完結】幽閉の王を救えっ、でも周りにモブの仕立て屋しかいないんですけどぉ?

北川晶

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35 スリル、だな? (イアンside)

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     ◆スリル、だな? (イアンside)

「イアン様。シャツを、お脱ぎいただけませんか?」
 まぁ、普通なら。脱いだシャツを手にしてボタン付けをするのだろうが。

 我は、脱がないっ。

 目線をクロウから外して、暗に、嫌だとほのめかした。
「ニャーニャー、ニャッ」
 なにやら、猫が、罵った。
 人間だったら『クソ陛下』とでも言うところか?
 不敬罪で、この剣の白虎に血を吸わせてやろうか? 我と一戦交える気かぁ? あぁん?

 などと、我は黒猫と目力で対峙するが。
 クロウに名を呼ばれ、たしなめられた黒猫が。鼻息をフンと鳴らして。
 少し扉が開いている、その隙間から自室に入っていった。

 しかし。王城の裏には森があって、そこにいる動物は、我が睨むと大抵去って行くというのに。
 あの子猫は、一歩も引かないな。なかなか見どころがあるではないか?

「申し訳ありません、イアン様。チョンが不躾で」
「よい。猫は気ままなものだ……」
「……っ」
 我がそれ以上、なにか言う気も、行動する気も、ないと悟ったクロウは。一瞬、情けない顔つきをするが。覚悟を決めてひとつうなずいた。
「失礼いたします」
 慎重な手つきで、胸の前に垂れた、我の金髪を背中へよけ。シャツのボタンを、ゆるんでいるところまで外す。そして第三ボタンの、ゆるんだ糸をほどき始めた。

 クロウの瞳の動きを見るだけで、我はわくわくした。
 不安げに揺れたり。集中して、強い光が宿ったり。彼はまさに、目は口ほどにものを言うを体現している。
 糸と針を、用意して持ってきたクロウは。王を傷つけないよう細心の注意を払った、繊細な手つきで、ボタンを縫いつけていく。

 この針を喉元に突き刺されたら、その針に毒が塗られていたら、さすがに死ぬかな?
 そう考えるのも、一興だ。

 もしもクロウの、この天然さが、すべて演技で。彼が本当に暗殺者だったら。
 己の見る目がなかったと、思うしかない。クロウが一枚上手だったのだ、と。

「スリル、だな?」
 高い崖の上から、海に飛び込むような。わざと恐怖を感じて楽しむ遊びは、昔からある。
 我は、そういう経験はないが。
 たとえば、冒険小説などは、大抵スリルに身を投じる話だろう?
 それにワクワクを感じるのだから、その気持ちは理解できる。
 そして今、我はクロウと対峙して、その小さな恐怖を楽しんでいるのだ。

 ま、クロウが我を害するなど、もう欠片かけらも思ってはいないから。スリルは半減であるが。

 クロウが無害に思えるのは、彼に裏表がないことと、政治的なある種の気配がさっぱりないからである。
 たとえば、貴族連中には、王族に優遇されたくてこびを売るという。味方であっても、不快に感じる気配というものが、多かれ少なかれあるのだが。
 クロウにはそれを感じないのだ。

 平民であっても、王家の覚えめでたければ、そばにはべって、と考える者もいるだろう。
 だが、クロウは我に媚びない。
 仕立て屋として、王家に仕えたい気はありそうだが。それ以上は期待していない。
 というか、なにがなんでもという気概もない。
 だから、必要以上に我に寄りついてこない。どちらかというと、素っ気ないほどだ。

 無心に作業するクロウをみつめながら、我は、取り留めもなくそんなことを考えていた。
「怖いですかぁ? もう終わりますけど」
 やんわりした声で、クロウがたずねる。先ほどのスリルの件だろう。

「いや、そういう意味ではない」
 ちょっと考え事をしている間に、ボタン付けは終わってしまった。あまり、観察できなかったな。
「ハサミを使わせていただきますね?」
 あとは糸を切るだけ。クロウは当たり前のことを、確認のために聞いたにすぎず。事前に机に並べておいた小型のハサミを手に取ろうとしていた。
 だが、そんなに簡単に終わったら、つまらないだろう?

「王族に刃物を向けてはならないと、言われているのだろう? ハサミは駄目だ」
 彼が動いているところを、もっと見たいのだ。
 ヒョッと、息をのんで驚くクロウを目にし、我は少しだけ気分が上がった。

「あの、このハサミは、刃先が丸くなっているのです」
 そう言って、手のひらサイズのハサミを我に見せてきた。
 確かに、刃先は丸く、危険はない物だが? 我は、首を横に振った。
「ならぬ」
 すました顔で、重ねて言うと。
 ショックを受けた顔をして、彼はすごすごとハサミを、ソファ前の小机の上に戻した。
 さて、次はどんな手を打って来る? 興味津々だった。

「では、失礼して…」
 クロウは、息がかかるほど近くに距離を詰め、我の胸に顔をうずめた…ように見えた。
 ボタン付けのために、胸の前が大きく開いていたから。黒髪が肌の上を撫でていき。ゾクリとする。

 彼は別に、抱きついたわけではない。
 歯で糸を切っただけ。
 なのだが。思いがけない行動を取られ、我は、素直に驚いてしまった。

「イアン様は、やんちゃがお好きですね?」
 顔を上げたクロウは、頬を真っ赤に染めていた。
 さすがに彼も、恥ずかしかったようだ。

 そんな彼を見ると、なんだか、気が高揚する。
 胸をくすぐる髪が気になって、我はクロウの頭を手で包み、胸に押しつけた。

 奇抜な行動で我を驚かせた、お仕置きだっ。

 だが。素肌に黒髪がスルスル滑って…なんだか気持ちが良いな。
「い、い、イアン様? 針が、危ないです…」
 針を持つ手を、王から遠ざけるから、クロウは身を離すことができずに、我にされるままだった。
 でも、慌てている気配は感じる。
 彼が自分の言葉に、困ったり、緊張したり、喜んだりする。その心の動きや表情の動きに、魅かれるのだと、自覚した。

「はは、おまえこそ、我の要求を叶え、なかなかに素質がある。ヤンチャされる側の、な?」
「…からかわないでください」
 唇をとがらせる、少し拗ねたような顔も見られ。我は至極満足して、手を離した。

 顔を上げ、身を離したクロウは。
 針をなくさないように、袖口に波縫いして針を刺す。そして我のシャツのボタンを、留めていった。
 その一連の動き。少しうつむいて、少し苦笑している、その顔を。とても綺麗だと思った。

「でも、結婚のお相手に、このようなことをしては怒られてしまいますよ?」
 しかし。そう言って、目の前で、作ったような笑顔になる。クロウのその顔は、あまり好きではなかった。
 満ち足りていた我の心は、なぜか、急激にしぼんだ。興醒きょうざめ、である。

 婚礼衣装を作っているつもりのクロウは、我がすぐにも結婚するのだと勘違いをしている。
 それを正すのは簡単だが。
 では。その衣装は死に装束だと、楽しげに衣装作りをしているクロウに、言えるのか?

 そんなこと、できるものか。

 だから、口を閉ざすのだが。
 彼が、我が結婚すると思っていることが、なにやら不愉快で胸をざわめかせる。
 その気持ちごと、うやむやにして。サロンを後にした。
 彼に聞きたいことが、他にもいろいろあったのだが。まぁ、いい。質問する時間は、まだあるだろう。

 本当は、我には時間など、それほど残っていなかった。

 でもこのときは。我とクロウの、こういう穏やかな時間は、ずっと続いていく。そう、根拠もなく、思い込んでいたのだ。

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