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16 凶暴な情動 (イアンside)

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     ◆凶暴な情動 (イアンside)

 石組みで造られた古い城は、静謐せいひつでありながら、陰気な空気を漂わせている。
 死神に対面しなければならない我の心情も、同様に暗かった。
 今日は死神と、もうひとり、行儀見習いと称する働き手の少女が来る予定だった。
 少女の方も、バミネの息がかかっている可能性があるから、要注意だ。

 二階から玄関ホールへと続く、曲線の階段を降りていくが。気に入らぬ者と対面するのに、重い足取りになるのは仕方がないことだ。
 執事の声で、我が参上したことが高らかに告げられる。
 だが、階段の途中で足を止めた。
 ホール中央にたたずむ男と目が合ったからだ。

 許しもなく、王と目を合わせるとは、無礼にもほどがある。

 思わず、奥歯を噛むと。
 やつは。ようやく王が登場したのだと気づいたようで。慌てて、その場にひざまずいた。
 死神の着たマントがふわりと広がり。白い大理石の床に、黒い染みがポツリと垂れたかのように見える。
 不吉な。

 今は平伏し、頭しか見えないのに。こちらをみつめていた死神の姿が、ありありと我の頭に思い浮かんだ。
 漆黒の髪と、闇色の瞳。黒尽くめの陰気な服装で。いかにも死神だった。
 遠目であったにもかかわらず、脳裏に刻み込まれたかのように。我の姿を見て驚きに目を見開いた、男の表情までもがはっきりと思い出せる。
 なんだか、胸がざわつく。

 なんなんだ、これは。怒りの余り、相手をつぶさに見てしまうというやつか?

 顔を引きつらせつつも。動揺を表に出さぬように、慎重に階下へ足を進めた。
 しかし、近づくにつれ、存在が大きくなっていくだろうと思われた死神の姿は。ずっと小さいままだった。

 は? ちっさすぎ。

 彼の前に立ち、死神の、あまりの貧弱さに、首を傾げてしまった。一見して、体重が我の半分くらいしかなさそう。そんな華奢さだ。

 死神として、王を脅かす迫力が、まるでないぞ?
 あまつさえ、プルプル震えているぞ?

 すでに無礼を働いているというのに、今更どれだけ頭を下げたところで、逆に嘘くさいだけなんだがな。
 というか、本当に小さいな。
 なんか、自分と同じ人間とは思えない。すごく、もろそうで。

 いや。そういえば、書物に描かれた死神の姿は、骸骨がいこつだった。痩せていても、命を刈るカマと同等の武器があれば、この者とて、我を脅かす存在になりえる。うむ。そういうことか。

 我はまず、アイリスという少女に声をかけた。
 アイリス・フローレンス子爵令嬢。この廃墟と化した古城に働きに来たいと言う、殊勝な心掛けの御令嬢だ。
 バミネの送り込んできた者だから、なにかしら思惑があるのかもしれないが。
 話してみたところ、素朴で、礼儀正しい御令嬢である。

 バミネはたまに、セドリックのように、自分にたてつく者や、邪魔な存在の者を、この王城に閑職として放り込むことがあるから。彼女はそのパターンだろうと、なんとなく思った。無害そうだ。

 問題は、この死神である。

 男に顔を上げろと命じた。
 死神は、蒼白となった顔を上げる。
 鼻は低めで、口も小さい。顔全体が小さくまとまっているが。目だけは印象的だ。切れ長の目元には、どこか色気があり。オドオド揺れる黒い瞳が、我の目を引きつけた。
 井戸の中をのぞき込むと、その闇に吸い込まれそうになるが、その深淵にも似た黒色だと感じ。背筋がゾッとした。
「陛下。お目にかかれて光栄です。クロウ・エイデンと申します」
 小さいから、もしかしたら子供なのではないかと思っていたが。予想に反して、大人の、穏やかな声音だった。
 それでも我と比べたら、だいぶ頼りない音調だな。

 すると、挨拶を終えたやつが、また顔を伏せようとしたので。とっさに、顎を掴んでしまった。

 この者が気に食わないという気持ちは、我の中で揺らぐことはない。
 ない、が。
 この小さな唇に噛みついて、泣かせてやりたい。この華奢な体を組み敷いて、制圧して、床に張り付けて、屈服させたい。そんな凶暴な情動が、体の中から湧き上がってくる。

 この気持ちは、なんなのだ?

 我の敵だから。我を脅かす死神だから。本能で倒したいと思っているのだろうか?
 こんな、指先に力を入れたら、顎が砕けてしまいそうな、頼りない者にまで?

「…おまえはバミネのスパイなのであろう?」
 王が。平民と同じく地に膝をつき。敵かもしれない男と、目と目を合わせている。どころか。顔に触れている。
 威厳を損なう行為をしてはならないと、ずっと教育されてきたのに。
 なぜか。この者を見ていると、調子を狂わされる。
 スパイだと疑っていても、しばらくは泳がせて様子を見ようと思っていたのに。直球で聞いてしまうなんて。

 我は、いったいどうしてしまったのか? 己の失態に、目が回りそうだった。

「バミネ…という者とは、今回の件で初めてお会いしました。陛下のお衣装を手掛けられるのは、最高の誉です。精いっぱい務めさせていただきます」
 そう言い、死神は花が咲いたかのように、ふんわり笑う。

 その瞬間、目から火花が散った。

 違う。
 違う、違う。
 その柔らかい笑みは、彼の素朴な見目に似合っていた。
 でも。死神としては、そぐわない。
 だから。その印象のギャップが、気持ち悪くて。ちょっと動揺しただけだ。
 しかし、一瞬でもやつに目を奪われたことが許せなくて。憤りのままに。クロウをカラスだとか醜いだとか罵って。早く立ち去れと言い渡した。
 冷たくすることで、ここから逃げ去ってくれないかと、願ったのだ。

 でも、死神は。この城に死に装束を作りに来たのだ。
 仕事が終わるまでは、動かないのだろうな。
 ふたりに背を向け。我は階段を上がり。足早に自室へと向かう。
 廊下を進む間に、自分のペースを取り戻したかった。

「陛下。あの者に、お手を触れるなど…」
 案の定、我の専属護衛騎士であるシヴァーディ・キャンベルに苦言を呈された。
「わかっている。ちょっとつついたら、本性を表すのではないかと…思っただけだ」
「そもそも、平民のエイデンには声をかける必要すらなかったのですよ。それに。エイデンも、フローレンス嬢も、刺客である可能性があります。以後、接触はなさらないように」
「…わかっている」
 それが。シヴァーディの言が、正しいと、ちゃんとわかっている。

 なのに、なぜか。会うなと言われ、胸にフッと風が吹き抜ける感触がした。

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