上 下
11 / 176

番外 モブの弟、シオン・エイデンの悩み ①

しおりを挟む
     ◆モブの弟、シオン・エイデンの悩み

 早く大きくなりたかった。
 大きくなったら、大好きな兄上をこの手で守ってあげられるから。

 ぼくの中にある、一番古い記憶は。
 いつも優しく微笑んでいた兄上が、苦痛に顔をゆがませて、額から血を流している場面だった。
 その血の赤が、ぼくの目を塗り潰したかのように。
 目に映る景色が、怒りで赤く染まったのを覚えている。
 
 それ以前の記憶は。ただただ、優しい兄上と母上と、ほのぼのとした空気の中、フワフワと心地よく漂っているような。そんな想いしかなかった。
 いわゆる、愛情いっぱいの中でぬくぬくと育ったということかな。

 だから。ぼくを愛で包んでくれる兄上が、傷つけられるということが。たまらなく腹立たしかったのだ。
 でも、そのとき四歳の、小さなぼくは。兄上を守ることができなかった。

 そして、変な呪いにもかかって。昼間は猫、夜は人間という生活を余儀なくされていた。

 それは、まぁ、いいのだ。
 物心ついたときから、そういう暮らしをしている。
 もう、そういうものなのだと思ってしまっていて。
 むしろ、ずっと人間でいるという生活が、ぼくには想像できないほどだ。

 そうは言っても、不便なこともあるかな。
 極力、他人に、自分が呪われていることを見せないようにしていて。そこに気をつかっていることくらいだけど。

 でも、変化の時間は、なんとなくわかるから大丈夫なんだ。
 たとえば曇りの日で、太陽が見えなくても。日没時は感覚でわかる。
 変化する前に、ぼくは部屋に引き上げ。ベッドの中に、もぐり込む。
 布団の中には、いつも自分の下着とズボンが置いてあって。人型になったら、それを履いて布団から出てくる。
 毎日そういう生活をしているだけ。

 ということで。人前で急に猫になったり人になったりという醜態は、猫になるようになってから一度もさらしていない。心配無用だ。

 貴族の子息というのは、生まれたときから母上とは引き離されるものだ。
 世話をするのは乳母だから。手が離れると、ひとり部屋を与えられて。
 公爵家の別邸で暮らしていたときは、すでに一人部屋だった。

 だけど。猫に変わるようになってしまい。兄上は気の毒に思ったのか。ぼくが死にそうになるのを見て怖くなったのか。ぼくといっしょに寝てくれるようになったのだ。
 猫の姿を他人に見られないようにという対策もあるかな?

 これは、不幸中の幸い。いや、僥倖というやつである。

 それで、大叔母様のお屋敷に保護されたあと、ぼくは兄上と同じ部屋で寝ていて。母上は別室を使っていた。
 貴族の女性は、たとえ身内でも、旦那様以外の異性と部屋を同じにはしないという。そういうルールというか常識があるんだって。

「まだ、母親に甘えたい年頃だろうに」

 同じベッドの中、兄上はそう言い、キュッと抱き締めてくれたが。
 いえいえ、兄上。ぼくは兄上が一緒に寝てくれるだけで充分満足なのです。
 それが究極の喜びなのです。
 手をモミモミしたくなるほど、嬉しいのです。

 母はほっぺギュッギュするので、むしろ兄上が良いです。
 それに、兄上だって。ぼくの年頃には、もう母に甘えていなかったはずです。
 なのに、急にそんなことを言い始めたのは…。
 やっぱりぼくが、猫になる呪いを受けてしまったからでしょうか?
 だったらぼくは、この呪いに感謝したいくらいです。

 だって、大好きな兄上のそばに、ずっといられるのですから。

 しかし、そんな幸せな日々は長く続かなかった。
 兄上が、自立を目指したからだ。
 まず、兄上は大叔母様の屋敷の雑用をするようになった。
 使用人がいるので、仕事はしなくていい。子供のうちは勉強やマナーを学びなさいと、大叔母様や母上に散々言われたが。
 匿ってくれた恩を返したい。早く身を立てて家族を養いたい。
 兄上は、そう言って。
 裁縫の腕前を、大叔母様に披露し。自分が働けるということを、アピールした。

 それほどまでに言うのならと、大叔母様は折れ。
 兄上は十二歳になると、お針子として店に住み込みで働くことになってしまったのだ。

 兄上を乗せた馬車が、屋敷の敷地から出て行く。
 それをぼくは。いつまでもいつまでも見送った。猫の姿で。

 大好きな兄上と、離れて暮らさなければならないのは、とても寂しかった。
 涙がぽろぽろ出てきて。止まらない。

 けれど。兄のいない生活を、ぼくは三年ほど我慢した。
 だって、兄上は。ぼくらのために、頑張っているんだ。
 いつか、家族三人で暮らすときのために。

 だから、兄上のいない三年間。ぼくは体を鍛えた。
 昼間、猫のうちに寝るだけ寝て。日が落ちたら、剣の稽古をした。
 大叔父上のジェラルドは、五十歳になろうかという年齢だったが。学生時代につちかったという剣の腕前は衰えていない。
 ジェラルドに相手をしてもらっていたら、騎士にもなれると太鼓判を押されるくらいには、強くなったよ。
 今度バミネが襲い掛かってきたら、ぼくがギタギタに切り刻んでやるっ。
 そして、兄上をバミネの野郎から、守るのだっ。

 だけど、母上や大叔母様たちに、夜型の生活をさせられないだろう?
 でも、猫のぼくと、コミュニケーションが取れるのは。兄上だけなんだ。
 剣技は、自主練習ができるから。夜中、いつまでもひとりで鍛錬できるからいいが。
 一般的な教育を、ぼくにするのは、時間的になかなか難しい。

 ということで。ぼくが九歳、兄上が十五歳のとき。ぼくは住み込みで働いている兄上とともに、再び暮らすことになったのだ。
 嬉しいですっ。

 兄上なら、猫であるぼくと、意思疎通ができるので。
 昼間、国語算数社会といった一般教養を教えられる。
 仕事の邪魔にならない範囲だけど。
 縫いつけていくだけの、単純作業のときなら、仕事しながら教えることができるからって。ぼくの勉強を請け負ってくれたんだ。
 兄上は、お優しいです。

 兄上がそう言ってくれているけれど、と母上に提案されたとき。ぼくは一も二もなくうなずいたよ。
 早く、兄上と暮らしたいです。
 でも、いざ兄上の元へ行ったら。授業は、けっこう厳しめだったけどね。
 いやいや、大好きな兄上のそばにずっといられて、同じベッドで寝られるのだから。その幸福に、勝るものなどありません。

 十五歳の兄上は、すでに、人気のドレス職人になっていた。
 女性の服のことは、よくわからないが。今までのっぺりとしていたスカートが、ビラビラになったのだとか。
 それが王都で、大流行したらしい。
 その仕様は、兄上にしか作れないのだという。すごいです、兄上。

 あと、年配の女性には、レースのショールなるものが流行った。
 ドレスは、二の腕が出るものが多いが。レース地の物は風を通し、夏でも涼しく、さらに二の腕のふくよかさを隠してくれるという。
 レースは今まで、飾り物としての用途しかなく。服飾に使用するのは斬新だったのだ。さすがです、兄上。

 それで、兄上は。店の三階にある仕事部屋と、生活用の続きの間の使用を許されていた。
 いわゆる大人気デザイナーの専用スペースである。
 この区画には、ほとんど人は来ないから、仕事も勉強も気兼ねなくできるということだ。

 ちなみに、ぼくは昼間は猫形態だけど。元が人間だからか。抜け毛はない。
 毛でドレスを汚すことはないので、心配無用だ。
 あと、人の体は大きくなったが。猫になっても子猫のままだ。なぜだ?

「シオン、ここでは遊びの時間など、ほとんどないからな。勉強、剣技、仕事、寝る、だ。屋敷にいた方が楽だったかもしれないぞ?」
「望むところです、兄上。僕は早く大きくなって、兄上のお手伝いをしたいのです」
「シオンは優しい子だな。でも、シオンは不器用だから、僕の手伝いは難しいかもしれないが?」

 ぼくは、ジッと手のひらをみつめる。
 今、兄上と同じくらいの大きさの手は。
 剣を握れば、強い力を発揮できるが。
 縫物やレース編みという繊細な動きが、できなかった。

 猫だったら、イカ耳になるくらいしょんぼりすると。
 兄上は苦笑して。ツンと、額を人差し指でつついてきた。
「適材適所だよ、シオン。僕は剣で、母上やシオンを守れない。剣技は苦手だからな。だから、シオンが僕らを守ってくれ」

 柔らかく、兄上に微笑まれ。ぼくの胸はじんわりと温かくなる。
 そして。ぼくが物心ついたときから、ぼくと母を守り、養おうと懸命に努めてくれた、崇高な心根を持つ兄を。
 ぼくは、命を懸けて守ろうと、改めて思うのだ。

 つまり。ぼくの悩みは、猫の呪いが解けないこと、ではない。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】

瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。 そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた! ……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。 ウィル様のおまけにて完結致しました。 長い間お付き合い頂きありがとうございました!

転生令息は冒険者を目指す!?

葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。  救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。  再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。  異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!  とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A

BLゲームの世界でモブになったが、主人公とキャラのイベントがおきないバグに見舞われている

青緑三月
BL
主人公は、BLが好きな腐男子 ただ自分は、関わらずに見ているのが好きなだけ そんな主人公が、BLゲームの世界で モブになり主人公とキャラのイベントが起こるのを 楽しみにしていた。 だが攻略キャラはいるのに、かんじんの主人公があらわれない…… そんな中、主人公があらわれるのを、まちながら日々を送っているはなし BL要素は、軽めです。

悪役令息の死ぬ前に

ゆるり
BL
「あんたら全員最高の馬鹿だ」  ある日、高貴な血筋に生まれた公爵令息であるラインハルト・ニーチェ・デ・サヴォイアが突如として婚約者によって破棄されるという衝撃的な出来事が起こった。  彼が愛し、心から信じていた相手の裏切りに、しかもその新たな相手が自分の義弟だということに彼の心は深く傷ついた。  さらに冤罪をかけられたラインハルトは公爵家の自室に幽閉され、数日後、シーツで作った縄で首を吊っているのを発見された。  青年たちは、ラインハルトの遺体を抱きしめる男からその話を聞いた。その青年たちこそ、マークの元婚約者と義弟とその友人である。 「真実も分からないクセに分かった風になっているガキがいたからラインは死んだんだ」  男によって過去に戻された青年たちは「真実」を見つけられるのか。

最終目標はのんびり暮らすことです。

海里
BL
学校帰りに暴走する車から義理の妹を庇った。 たぶん、オレは死んだのだろう。――死んだ、と思ったんだけど……ここどこ? 見慣れない場所で目覚めたオレは、ここがいわゆる『異世界』であることに気付いた。 だって、猫耳と尻尾がある女性がオレのことを覗き込んでいたから。 そしてここが義妹が遊んでいた乙女ゲームの世界だと理解するのに時間はかからなかった。 『どうか、シェリルを救って欲しい』 なんて言われたけれど、救うってどうすれば良いんだ? 悪役令嬢になる予定の姉を救い、いろいろな人たちと関わり愛し合されていく話……のつもり。 CPは従者×主人公です。 ※『悪役令嬢の弟は辺境地でのんびり暮らしたい』を再構成しました。

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

孤独なまま異世界転生したら過保護な兄ができた話

かし子
BL
養子として迎えられた家に弟が生まれた事により孤独になった僕。18歳を迎える誕生日の夜、絶望のまま外へ飛び出し、トラックに轢かれて死んだ...はずが、目が覚めると赤ん坊になっていた? 転生先には優しい母と優しい父。そして... おや?何やらこちらを見つめる赤目の少年が、 え!?兄様!?あれ僕の兄様ですか!? 優しい!綺麗!仲良くなりたいです!!!! ▼▼▼▼ 『アステル、おはよう。今日も可愛いな。』 ん? 仲良くなるはずが、それ以上な気が...。 ...まあ兄様が嬉しそうだからいいか! またBLとは名ばかりのほのぼの兄弟イチャラブ物語です。

【完】ゲームの世界で美人すぎる兄が狙われているが

BL
 俺には大好きな兄がいる。3つ年上の高校生の兄。美人で優しいけどおっちょこちょいな可愛い兄だ。  ある日、そんな兄に話題のゲームを進めるとありえない事が起こった。 「あれ?ここってまさか……ゲームの中!?」  モンスターが闊歩する森の中で出会った警備隊に保護されたが、そいつは兄を狙っていたようで………?  重度のブラコン弟が兄を守ろうとしたり、壊れたブラコンの兄が一線越えちゃったりします。高確率でえろです。 ※近親相姦です。バッチリ血の繋がった兄弟です。 ※第三者×兄(弟)描写があります。 ※ヤンデレの闇属性でビッチです。 ※兄の方が優位です。 ※男性向けの表現を含みます。 ※左右非固定なのでコロコロ変わります。固定厨の方は推奨しません。 お気に入り登録、感想などはお気軽にしていただけると嬉しいです!

処理中です...