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7 いよいよゲームスタート?
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◆いよいよゲームスタート?
カザレニア国は、海と山に囲まれ、四季もある、温暖で平和な国だ。
北側には、八ヶ月もの間、雪に閉ざされる標高の高い山がそびえ、天然の要塞として隣国からの侵攻を阻んでいる。
だが山裾には山菜や木の実や薬草などが生え、恵みも多い。
南側には、海が広がる。新鮮な海の幸は市場の客を常に引き寄せた。
そして、海側から侵攻してくる敵や海賊は。カザレニアの国土を守るように浮かぶ、孤島の王城から、王家の者が火炎魔法で防いでいるのだ。
だから、敵国は豊かな国であるカザレニアを攻めあぐね。ここ十年あまり、平和な時を過ごしていた。
王都の中心にある王宮は、小高い丘の上に建ち。海岸線から王宮への道のりは長い上り坂が続いていく。
そのメインストリートの港の方には、魚市場や青果市場が連なって、活気があり。
王宮方面に向かって坂を登っていくと、店の顔は、カフェや服飾、雑貨屋などが多くなっていくのだが。
そのひとつに、ぼく、クロウ・エイデンが勤めるドレス専門店があった。
このドレス専門店では、主に貴族の女性が、茶会やダンスパーティー用にドレスを買い求めにやってくる。店先は、女性客に対応する店員の声でにぎやかだが。
その喧騒は、部屋の扉一枚でシャットアウトされている。
ぼくの仕事部屋には、いつも静かで、ゆったりとした時間が流れているんだ。
聞こえるのは、古い柱時計が時を刻む音だけ。
長い前髪をゴムでくくって、ちょんちょこりんにしているぼくは、黙々と、生地に針を刺している。
その横に、黒い子猫がいるが。猫ベットで丸くなって寝ているので、やはり静かなのである。
前世のぼくは、仕立て屋のくせに前髪の長いクロウを、仕立て屋舐めてんのか、なんて言ったけど。
おしゃれして前髪を切ると、針仕事のときに毛先が目に入って、痛いんだよね。
眉より上で切っていたこともあるんだけど、すぐ伸びるし。仕事に集中していると、ちょこちょこ髪を切る時間も惜しいし。
だったら、伸ばして、結わってしまおうってことになり。今に至る。
なので、仕事中はいつもちょんちょこりん。
普通に、人前に出るのはちょっと…という仕様だから、接客は店員さんにお任せなのだ。
前世のぼくよ。クロウは決して仕立て屋業を舐めていたわけではないのだよ? わかってくれたかい?
古い柱時計が馴染むウッド調の部屋には、ぼくが作成したドレスが所狭しと並んでいる。
ありがたいことに、作る端から売れていくので、店主の大叔母様はウハウハだ。
訳アリの親子三人を匿ってくれた大叔母様に、少しは恩返しができただろうか?
針先を器用に動かして縫いつけながら、ぼくはそんなことを考えていた。
すると、なにやら廊下で『困ります』やら『彼はお客さまとはお会いしないので』やら、店員の声がした。
ぼくは前髪を縛っていたゴムを外す。
たちまち、ながい前髪が顔を覆い隠した。
ぼくはあまり人前に顔をさらしたくないし。人と会うことも極力避けて生きてきた。
ちょんちょこりん、だからじゃなくて。バミネにみつかって、親子ともども命を脅かされたくないからだ。
だけど、ぼくはニ十歳になった。いやな予感がするよね。
仕事部屋の扉が、ノックもナシに開けられた。
無遠慮に、部屋にずかずか入ってきたのは…良く言えば、恰幅の良い。悪く言えば、ぽっちゃりで軍服がはち切れそうな感じの、騎士だった。
濃茶の、ボリュームのある髪が肩口まで伸びているから、さらにデデンとして見える。言葉を濁しても仕方がないか。お太りになって見える。
「あんた、誰?」
薄々は気づいていたものの、前と同じような言葉をかけてみた。
案の定、彼は顔をトマトのように真っ赤にした。
沸点低いのも相変わらずですね。
「バジリスク公爵家がひとり息子の、バミネ・バジリスクだ。貴様は相も変わらず無礼な男だな。平民風情が、俺様に頭のひとつも下げないとは、何事だ?」
やはり、いやな予感は当たるもの。ついに、みつかっちゃったな。
まぁ、そういう時期でもあるし。仕方がないか。
「平民風情の仕事部屋に、公爵家の方が足をお運びになるなんて、恐縮ですぅ」
バミネなんかに下げる頭は持っていないので、ぼくは針仕事から目を離すことなく、棒読みで告げた。
そして、店員さんには目で大丈夫だと合図をして、下がってもらう。
「…この度、国王陛下がご結婚されることとなった。そこで婚礼衣装を、国一番の仕立て屋に依頼することになったのだが…驚いたぞ。おまえが、こんなところに隠れていたとはな? 元公爵子息様が、幽鬼のようにやせ細った青白い顔で、このような暗くて狭い部屋で縫物をしているとは、嘆かわしい」
バミネの嫌味にも動じず、ぼくは淡々と返した。
「弟を亡くし、母も心労であとを追うように亡くなられた。公爵家を追い出された子供の僕が生きていくには、できることはなんでもやるしかないので」
嘘だけど。
弟のシオンは、ぼくの横でシャーシャーとバミネを威嚇しているし。母も死んでいない。
母は大叔母様の屋敷で、ハンカチにワンポイントの刺繍をせっせと縫いつけ、量産している。母の刺繍は素朴でバリエーションがあるので、十代の貴族のお嬢様方に大変お気に召していただいているのだ。
ただ、ぼくはバミネに、母やシオンに目をつけられたくない。
公爵家のゆかりの者は、もう僕しか残っていないよ。そう、やつには思わせたい。
そうすれば、家族の命は脅かされないからな。
「陛下の婚礼衣装に携われるということは、とても名誉なことです。誠心誠意、努めさせていただきますが。僕は雇われの身ですから、詳細は店長を通していただきたい」
ずっとバミネに向かってシャーシャー言っているシオンを、なだめるように撫でて。ぼくは冷静に応対する。
「いいや、陛下のご結婚は秘密裏に進められているので。おまえひとりの胸におさめてもらわねば困るのだ。それにおまえは、俺の言葉には逆らえないはず…」
そう言って、バミネは公爵家の家紋の入ったペンダントを見せた。
えぇ? あれは、母が十年前に奪われた、激ヤバアイテム。ぼくの魔力を覚醒させ、シオンの呪いも解けるかもしれない、やつっ。
捨てられただろうと思って、すっかりあきらめていたよ。
「母親が死んだと言ったか? なら、これは母の形見なのだろう? 仕立て屋がおまえだと知り、脅しの材料にできるかと思って持ってきたが。その顔つきは、正解だったようだな?」
「返せ。それは僕のものだ」
「公爵家の家紋の入った代物を、平民のおまえにくれてやるわけにはいかない。が、陛下の衣装を見事に作ってみせた暁には、これを返してやろう」
「…仕立て代は、前払いが基本です」
そう言って、ぼくはペンダントを寄越せと手を差し出すが。
バミネは鼻で笑うだけだ。
「半金、支払ってやる。残りの半金は、ペンダントだ」
つまり、国から出ている衣装代、半分はやつの懐に入るということか?
がめつい。やつが儲けるのは非常に腹立たしいが。
うー、仕方がない。あのペンダントは、取り戻せるのなら取り戻したい。
ぼくはともかく、シオンは早く治して、普通の生活をさせてあげたいからな。
了承し、ぼくが渋々うなずくと。バミネはニヤリと笑った。
「条件は、白地に白糸で刺繍すること。おまえは刺繍の腕前もあるようだな? ガリガリのおまえには相応しい、軟弱な趣味じゃないか?」
趣味じゃなく、仕事だっつうの。
ま、いちいちバミネの嫌味に応じていては話が進まない。
「白地に、白糸で? それでは、せっかくのお衣装が、質素すぎます」
「そこをうまくやるのが、おまえの腕だろうが? 陛下は、華美なものを好まれない。デザインは一任するが、装飾は極めて地味におさえろ。三月に、王城に上がり。四月には納品できるようにしてもらう」
はぁっ? 期間が短いっつーの。
今は二月なのに。刺繍って、あんがい時間がかかるものなんだぞ? 一針一針重ねていくのだからな。
それを胸の前面に施すとなったら、結構な大作なのに。
「先ほども言ったが、陛下の婚姻は極秘だ。もし情報が外部に漏れたら、おまえは死罪だからな。三月一日に用意して、港に来い」
国王の体のサイズが書かれた紙片を置いて、バミネは部屋を出て行った。
「ふ…ふふふ」
バミネの気配が店にもなくなった頃。ぼくは、にやけて引き上がる口角をおさえられなかった。
「聞いたか? チョン。僕が陛下の婚礼衣装を手掛けることになったんだぞ? 平民に落ちた僕が、陛下に御目にかかる機会など一生ないと思っていたが。こんな奇跡に恵まれるなんて…」
ぼくは、驚きと困惑と感動に、身をぶるぶると震わせた。
あ、ちなみにチョンというのは。シオンが猫になっているときの愛称だ。
この黒猫が、万が一にもシオンだと悟られないよう、用心した偽名モドキなわけ。
どうやらバミネは気づかなかったようだから、良かったよ。
名づけのとき。どうしようかと考えてさぁ。
「シオン、シォン、ション、チョン…」
と変化させていき。そして思いついたのだ。前世の爺さん家で飼われていた、猫の…。
「おちょのすけ」
「ニギャー―ッ」
当時四歳のシオンは、お気に召さなかったようで。激しく鳴いたから。
「じゃあ、チョンで」
まだ不満そうだったけど。シオンである黒猫は渋々うなずいた。
ひどいものを提示したあとで、本題を切り出すと、受け入れてしまう理論。恐るべし。
そんな経緯があったんだけど。それはまぁ、いいとして。
「話を持ってきたのが、バミネだというのが、いやな感じだが。公爵家を追い出された僕が、バミネの言いなりで、王城に上がるのは、どうも不自然だと思っていたんだよ。でも、ネックレスを取り返すためという伏線があったのだとしたら。なるほど、筋は通るな。こんなモブの近辺に小難しい仕掛けをしやがって、ニクイね、アイキンの公式め」
今まで、ぼくは静かにドレスを作ってきたわけだが、いつの間にか国一番の仕立て屋となっていたらしい。
いやいや、ぼく以上にセンスのある仕立て屋は多くいますけどぉ?
きっと、ぼくが王城に上がるのに必要な肩書なのだろう。アイキンの強制力みたいなもんなんじゃないかな? 本気にしてないってば。
つまり。ぼくが王城に上がるということは。
愛の力で王を救えっ、の世界が開幕するということ。いよいよゲームスタート? ってことなんだ。
前世で垣間見た、あのきらびやかな世界を、リアルにこの目で見られるんだよ?
主人公ちゃんの愛らしさや、王のイケメンっぷりを、さ。
それに、まだ大きな画面で見てはいなかったけれど、キャラクターデザインが秀逸だったから、他の攻略対象者もきっと、麗しい美形揃いなはずだ。
今から、超楽しみっ。
だってさ、ぼくはモブなんだから。絶対成敗されないだろ?
一傍観者として。この物語の始まりから終わりまで、安全な場所で見ることができるってわけだ。最高じゃね?
そう思ったら、踊り出したい気分になった。
もう公爵子息じゃないけど。母が、なにが起きるかわからないから、貴族として恥ずかしくないだけの知識や所作は教えます、と言って。ダンスマナーも教わっていた。
ぼくはシオンを抱き上げて、狭い部屋でワルツを踊る。
「そんなに、嬉しいのですか? 兄上」
シオンが聞いてくる。
相変わらず、猫でも、ぼくはシオンと意思疎通ができた。
「もちろんさ。仕立て屋として、陛下のお召し物を作るというのは最高の栄誉じゃないか?」
「踊りたいなら、夜まで待ってくだされば、僕がお相手しますけど?」
「やだよ。シオンと踊ったら、僕が女性役をするようだろう?」
シオンは十四歳。ぼくはニ十歳。
なのに人間型のシオンは、もうぼくの身長を抜かしている。なぜだ?
「それに。今、踊りたい気分なんだから。付き合えよ、チョン」
嬉しさに、顔がほころぶ。ぼくの顔を見て、シオンもなんだか嬉しそうだ。
これから、いろいろあるだろうが。きっと主人公ちゃんが、愛の力でなんとかしてくれる。
ぼくは、それを一番近いところで見たいのだ。
そしてできれば、巴と静に見せてあげられなかった『その身を我に捧げよ』とイケボで王が言うという、あのラストシーンも。直にこの目で拝みたい。
カザレニア国は、海と山に囲まれ、四季もある、温暖で平和な国だ。
北側には、八ヶ月もの間、雪に閉ざされる標高の高い山がそびえ、天然の要塞として隣国からの侵攻を阻んでいる。
だが山裾には山菜や木の実や薬草などが生え、恵みも多い。
南側には、海が広がる。新鮮な海の幸は市場の客を常に引き寄せた。
そして、海側から侵攻してくる敵や海賊は。カザレニアの国土を守るように浮かぶ、孤島の王城から、王家の者が火炎魔法で防いでいるのだ。
だから、敵国は豊かな国であるカザレニアを攻めあぐね。ここ十年あまり、平和な時を過ごしていた。
王都の中心にある王宮は、小高い丘の上に建ち。海岸線から王宮への道のりは長い上り坂が続いていく。
そのメインストリートの港の方には、魚市場や青果市場が連なって、活気があり。
王宮方面に向かって坂を登っていくと、店の顔は、カフェや服飾、雑貨屋などが多くなっていくのだが。
そのひとつに、ぼく、クロウ・エイデンが勤めるドレス専門店があった。
このドレス専門店では、主に貴族の女性が、茶会やダンスパーティー用にドレスを買い求めにやってくる。店先は、女性客に対応する店員の声でにぎやかだが。
その喧騒は、部屋の扉一枚でシャットアウトされている。
ぼくの仕事部屋には、いつも静かで、ゆったりとした時間が流れているんだ。
聞こえるのは、古い柱時計が時を刻む音だけ。
長い前髪をゴムでくくって、ちょんちょこりんにしているぼくは、黙々と、生地に針を刺している。
その横に、黒い子猫がいるが。猫ベットで丸くなって寝ているので、やはり静かなのである。
前世のぼくは、仕立て屋のくせに前髪の長いクロウを、仕立て屋舐めてんのか、なんて言ったけど。
おしゃれして前髪を切ると、針仕事のときに毛先が目に入って、痛いんだよね。
眉より上で切っていたこともあるんだけど、すぐ伸びるし。仕事に集中していると、ちょこちょこ髪を切る時間も惜しいし。
だったら、伸ばして、結わってしまおうってことになり。今に至る。
なので、仕事中はいつもちょんちょこりん。
普通に、人前に出るのはちょっと…という仕様だから、接客は店員さんにお任せなのだ。
前世のぼくよ。クロウは決して仕立て屋業を舐めていたわけではないのだよ? わかってくれたかい?
古い柱時計が馴染むウッド調の部屋には、ぼくが作成したドレスが所狭しと並んでいる。
ありがたいことに、作る端から売れていくので、店主の大叔母様はウハウハだ。
訳アリの親子三人を匿ってくれた大叔母様に、少しは恩返しができただろうか?
針先を器用に動かして縫いつけながら、ぼくはそんなことを考えていた。
すると、なにやら廊下で『困ります』やら『彼はお客さまとはお会いしないので』やら、店員の声がした。
ぼくは前髪を縛っていたゴムを外す。
たちまち、ながい前髪が顔を覆い隠した。
ぼくはあまり人前に顔をさらしたくないし。人と会うことも極力避けて生きてきた。
ちょんちょこりん、だからじゃなくて。バミネにみつかって、親子ともども命を脅かされたくないからだ。
だけど、ぼくはニ十歳になった。いやな予感がするよね。
仕事部屋の扉が、ノックもナシに開けられた。
無遠慮に、部屋にずかずか入ってきたのは…良く言えば、恰幅の良い。悪く言えば、ぽっちゃりで軍服がはち切れそうな感じの、騎士だった。
濃茶の、ボリュームのある髪が肩口まで伸びているから、さらにデデンとして見える。言葉を濁しても仕方がないか。お太りになって見える。
「あんた、誰?」
薄々は気づいていたものの、前と同じような言葉をかけてみた。
案の定、彼は顔をトマトのように真っ赤にした。
沸点低いのも相変わらずですね。
「バジリスク公爵家がひとり息子の、バミネ・バジリスクだ。貴様は相も変わらず無礼な男だな。平民風情が、俺様に頭のひとつも下げないとは、何事だ?」
やはり、いやな予感は当たるもの。ついに、みつかっちゃったな。
まぁ、そういう時期でもあるし。仕方がないか。
「平民風情の仕事部屋に、公爵家の方が足をお運びになるなんて、恐縮ですぅ」
バミネなんかに下げる頭は持っていないので、ぼくは針仕事から目を離すことなく、棒読みで告げた。
そして、店員さんには目で大丈夫だと合図をして、下がってもらう。
「…この度、国王陛下がご結婚されることとなった。そこで婚礼衣装を、国一番の仕立て屋に依頼することになったのだが…驚いたぞ。おまえが、こんなところに隠れていたとはな? 元公爵子息様が、幽鬼のようにやせ細った青白い顔で、このような暗くて狭い部屋で縫物をしているとは、嘆かわしい」
バミネの嫌味にも動じず、ぼくは淡々と返した。
「弟を亡くし、母も心労であとを追うように亡くなられた。公爵家を追い出された子供の僕が生きていくには、できることはなんでもやるしかないので」
嘘だけど。
弟のシオンは、ぼくの横でシャーシャーとバミネを威嚇しているし。母も死んでいない。
母は大叔母様の屋敷で、ハンカチにワンポイントの刺繍をせっせと縫いつけ、量産している。母の刺繍は素朴でバリエーションがあるので、十代の貴族のお嬢様方に大変お気に召していただいているのだ。
ただ、ぼくはバミネに、母やシオンに目をつけられたくない。
公爵家のゆかりの者は、もう僕しか残っていないよ。そう、やつには思わせたい。
そうすれば、家族の命は脅かされないからな。
「陛下の婚礼衣装に携われるということは、とても名誉なことです。誠心誠意、努めさせていただきますが。僕は雇われの身ですから、詳細は店長を通していただきたい」
ずっとバミネに向かってシャーシャー言っているシオンを、なだめるように撫でて。ぼくは冷静に応対する。
「いいや、陛下のご結婚は秘密裏に進められているので。おまえひとりの胸におさめてもらわねば困るのだ。それにおまえは、俺の言葉には逆らえないはず…」
そう言って、バミネは公爵家の家紋の入ったペンダントを見せた。
えぇ? あれは、母が十年前に奪われた、激ヤバアイテム。ぼくの魔力を覚醒させ、シオンの呪いも解けるかもしれない、やつっ。
捨てられただろうと思って、すっかりあきらめていたよ。
「母親が死んだと言ったか? なら、これは母の形見なのだろう? 仕立て屋がおまえだと知り、脅しの材料にできるかと思って持ってきたが。その顔つきは、正解だったようだな?」
「返せ。それは僕のものだ」
「公爵家の家紋の入った代物を、平民のおまえにくれてやるわけにはいかない。が、陛下の衣装を見事に作ってみせた暁には、これを返してやろう」
「…仕立て代は、前払いが基本です」
そう言って、ぼくはペンダントを寄越せと手を差し出すが。
バミネは鼻で笑うだけだ。
「半金、支払ってやる。残りの半金は、ペンダントだ」
つまり、国から出ている衣装代、半分はやつの懐に入るということか?
がめつい。やつが儲けるのは非常に腹立たしいが。
うー、仕方がない。あのペンダントは、取り戻せるのなら取り戻したい。
ぼくはともかく、シオンは早く治して、普通の生活をさせてあげたいからな。
了承し、ぼくが渋々うなずくと。バミネはニヤリと笑った。
「条件は、白地に白糸で刺繍すること。おまえは刺繍の腕前もあるようだな? ガリガリのおまえには相応しい、軟弱な趣味じゃないか?」
趣味じゃなく、仕事だっつうの。
ま、いちいちバミネの嫌味に応じていては話が進まない。
「白地に、白糸で? それでは、せっかくのお衣装が、質素すぎます」
「そこをうまくやるのが、おまえの腕だろうが? 陛下は、華美なものを好まれない。デザインは一任するが、装飾は極めて地味におさえろ。三月に、王城に上がり。四月には納品できるようにしてもらう」
はぁっ? 期間が短いっつーの。
今は二月なのに。刺繍って、あんがい時間がかかるものなんだぞ? 一針一針重ねていくのだからな。
それを胸の前面に施すとなったら、結構な大作なのに。
「先ほども言ったが、陛下の婚姻は極秘だ。もし情報が外部に漏れたら、おまえは死罪だからな。三月一日に用意して、港に来い」
国王の体のサイズが書かれた紙片を置いて、バミネは部屋を出て行った。
「ふ…ふふふ」
バミネの気配が店にもなくなった頃。ぼくは、にやけて引き上がる口角をおさえられなかった。
「聞いたか? チョン。僕が陛下の婚礼衣装を手掛けることになったんだぞ? 平民に落ちた僕が、陛下に御目にかかる機会など一生ないと思っていたが。こんな奇跡に恵まれるなんて…」
ぼくは、驚きと困惑と感動に、身をぶるぶると震わせた。
あ、ちなみにチョンというのは。シオンが猫になっているときの愛称だ。
この黒猫が、万が一にもシオンだと悟られないよう、用心した偽名モドキなわけ。
どうやらバミネは気づかなかったようだから、良かったよ。
名づけのとき。どうしようかと考えてさぁ。
「シオン、シォン、ション、チョン…」
と変化させていき。そして思いついたのだ。前世の爺さん家で飼われていた、猫の…。
「おちょのすけ」
「ニギャー―ッ」
当時四歳のシオンは、お気に召さなかったようで。激しく鳴いたから。
「じゃあ、チョンで」
まだ不満そうだったけど。シオンである黒猫は渋々うなずいた。
ひどいものを提示したあとで、本題を切り出すと、受け入れてしまう理論。恐るべし。
そんな経緯があったんだけど。それはまぁ、いいとして。
「話を持ってきたのが、バミネだというのが、いやな感じだが。公爵家を追い出された僕が、バミネの言いなりで、王城に上がるのは、どうも不自然だと思っていたんだよ。でも、ネックレスを取り返すためという伏線があったのだとしたら。なるほど、筋は通るな。こんなモブの近辺に小難しい仕掛けをしやがって、ニクイね、アイキンの公式め」
今まで、ぼくは静かにドレスを作ってきたわけだが、いつの間にか国一番の仕立て屋となっていたらしい。
いやいや、ぼく以上にセンスのある仕立て屋は多くいますけどぉ?
きっと、ぼくが王城に上がるのに必要な肩書なのだろう。アイキンの強制力みたいなもんなんじゃないかな? 本気にしてないってば。
つまり。ぼくが王城に上がるということは。
愛の力で王を救えっ、の世界が開幕するということ。いよいよゲームスタート? ってことなんだ。
前世で垣間見た、あのきらびやかな世界を、リアルにこの目で見られるんだよ?
主人公ちゃんの愛らしさや、王のイケメンっぷりを、さ。
それに、まだ大きな画面で見てはいなかったけれど、キャラクターデザインが秀逸だったから、他の攻略対象者もきっと、麗しい美形揃いなはずだ。
今から、超楽しみっ。
だってさ、ぼくはモブなんだから。絶対成敗されないだろ?
一傍観者として。この物語の始まりから終わりまで、安全な場所で見ることができるってわけだ。最高じゃね?
そう思ったら、踊り出したい気分になった。
もう公爵子息じゃないけど。母が、なにが起きるかわからないから、貴族として恥ずかしくないだけの知識や所作は教えます、と言って。ダンスマナーも教わっていた。
ぼくはシオンを抱き上げて、狭い部屋でワルツを踊る。
「そんなに、嬉しいのですか? 兄上」
シオンが聞いてくる。
相変わらず、猫でも、ぼくはシオンと意思疎通ができた。
「もちろんさ。仕立て屋として、陛下のお召し物を作るというのは最高の栄誉じゃないか?」
「踊りたいなら、夜まで待ってくだされば、僕がお相手しますけど?」
「やだよ。シオンと踊ったら、僕が女性役をするようだろう?」
シオンは十四歳。ぼくはニ十歳。
なのに人間型のシオンは、もうぼくの身長を抜かしている。なぜだ?
「それに。今、踊りたい気分なんだから。付き合えよ、チョン」
嬉しさに、顔がほころぶ。ぼくの顔を見て、シオンもなんだか嬉しそうだ。
これから、いろいろあるだろうが。きっと主人公ちゃんが、愛の力でなんとかしてくれる。
ぼくは、それを一番近いところで見たいのだ。
そしてできれば、巴と静に見せてあげられなかった『その身を我に捧げよ』とイケボで王が言うという、あのラストシーンも。直にこの目で拝みたい。
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