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108 最高の舞台
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◆最高の舞台
炎の壁に阻まれ、金蓮と離れてしまった燎源は、ゴウゴウと燃え盛る炎の向こう側に向けて、声をかける。
「金蓮様、ご無事ですか? 金蓮様っ」
目の前の火は、勢いが激しく、熱気がすごくて、近寄ることもできない。
金蓮に呼びかけても、向こうから声がしないので。己の声が届いているのか、それもわからない。
燎源は奥歯をギシリと噛んだ。
先日、間宮という龍鬼が、龍鬼の能力は殺傷力がないのに、なぜそれほどに恐れるのだ? と。いかにも不思議そうに問うてきた。
それでは、もしかしたらこの炎も、人には通じないのではないか? まやかしなのではないか?
そう思って。少し思いきって、手を伸ばしてみる。
しかし、炎に触れる前に、熱気で火傷しそうだ。
あのチビ、やっぱり殺傷能力がないなんて、嘘じゃないか。
燎源は、服に燃え移りそうな火を払い、心の中で間宮を罵った。
そして、思う。
藤王の能力は、人を殺せる。
最強の龍鬼。味方にすれば頼もしく、敵にしたなら恐ろしい、相手。
決して、手放してはならなかった。
★★★★★
炎の輪の中に、ひとり取り残された金蓮だが。藤王は自分の味方だと信じて疑わないので、まだ自分は優位なのだと思っていた。
自分の気持ちさえ、彼に通じれば。誤解は解ける。
そうだ、彼は誤解しているだけなのだ、と金蓮は思い込んでいた。
だって、間宮がほのめかしたのだ。
藤王は金蓮を殺す気などないのだ、ということを。
「藤王、なにも恐れることはないのだ。将堂に戻ってくれば。以前以上の地位を与える。おまえが、私に触れたことを、気に病んでいるのかもしれないが。大丈夫なのだ。龍鬼はうつらないと。うちの龍鬼が証明したのだ」
「はぁ?」
金蓮の言葉に、藤王は、自分でも驚くほどの不穏な声が出た。
なんで己が、金蓮に触れたことになっているのだ?
己は自発的に、金蓮に触れたことなどない。
四肢を投げ出して、苦痛な時間をやり過ごしていたというのに。なにを言っているのだろう? この女は。
「つか、自分で藤王のこと触りまくったくせに、今まで龍鬼がうつるって、戦々恐々としていたのか? ウケる。人の身体的特徴が、人にうつることなど、あり得ないってのに」
金蓮は、藤王に語り掛けていたが。基成が、薄っすら笑いながら茶々を入れたので。怒りの目を向ける。
なにやら、藤王とは違う印象の美男子だが。
藤王を奪おうとする者なら、憎い敵でしかない。
「貴様は黙っていろ。あり得ない、のだろうが…子供が龍鬼になった事例が、ないわけではない」
「それは、貴様が生んだ、龍鬼の話だろう?」
「なにを言う? 私は男だ。男が子を産めるわけ…」
「私たちはみな、知っているぞ。おまえが女性であることも。将堂の当主、金蓮と。准将赤穂の間に。龍鬼が生まれたことも、な?」
基成があまりにも堂々と、それが事実であるという顔で言うので。
金蓮は、極秘であることが、敵の手裏基成に知られていることに、一瞬狼狽したが。
ここには、彼らと自分しかいないのだから、どうとでも誤魔化せられると思い。開き直った。
「確かに、子を産んだが。あれは、赤穂の子などではない。龍鬼が生まれたのだから、私と藤王の子に違いない。大丈夫だ、藤王。私が愛したのは、おまえだけなのだからな?」
その言い分に、基成も藤王も唖然とした。
ついさっき、龍鬼はうつらないと、金蓮自身が言ったばかりだし。
これだけ金蓮を嫌悪している藤王が、六年前に金蓮と関係を持つことなどあり得ないし。
紫輝のどこにも、藤王の片鱗はない。
今まで、いろんな人物に、赤穂の子だと言うたびに驚かれたが。
誰ひとり、赤穂に似ていないという者は、いなかった。
それぐらい、紫輝のあの目力は、赤穂のそれと酷似しているのだ。
など、まぁまぁ、ツッコみたいことは山ほどあれど。
「ならば仮に、だが。藤王の子かもしれない者を、貴様は何度も殺そうとしたのか?」
肝になる部分を、基成は的確にツッコんだ。
しかし金蓮は、悪びれることなく、言ったのだ。
「それは、仕方がないではないか。将堂の当主が、龍鬼を生むことは許されない」
金蓮の言葉は、いわゆる、龍鬼を蔑む言葉。
藤王を蔑み、子を蔑み、受け入れないという言葉だ。
藤王は。将堂家当主が、龍鬼を生むことは許されない、と自身で納得している。そういうものだと、知っているものの。金蓮の口から、当然だろうという様子で言われると、腹立たしく。臓腑が煮えるような思いがした。
「ならばなぜ、貴様はいつまでも、私に執着するのだ? 龍鬼の子を許せぬ者が、私を欲しがってどうするつもりだ?」
藤王は。金蓮に情を向けてほしいわけではなかったけれど。
いつまでも執着されることに、嫌気がさしていた。
自分の体をもてあそんだ、憎い、許せない、人間。そんな金蓮から、なにもかも解き放たれたかった。
もういいだろう? 己の好きな道を歩ませてくれ。己の前に立ちはだからないでくれ。
だが、金蓮は。執着する狂気の目で、相も変わらず藤王をみつめた。
「藤王は、龍鬼ではない。藤王は、気高く、美しい、私の龍。私のもの。だから、私が手に入れるのが当然だろう? 欲しがる、ではない。おまえは私のものだから、私の手に戻ってくるのが、当然なのだ」
その粘着さに、藤王はブルリと震え。
反動で、金蓮を睨みつける。
「どうやら、私は。人としても見られていなかったようだ。所有物。私に意思があることなど、貴様は知らぬのだろう? 今、はっきり引導を渡してやる。私はおまえを、殺したいほど憎んでいるのだ。二度と私の前に現れるな。もしも貴様を目にしたら。私は貴様を、今度こそ殺す」
「なぜだ? 今の話の、なにに、それほど怒るのだ?」
金蓮は、己の熱い想いを語っているつもりだった。
どれほど藤王を大事に想っているか。
しかし、歪んだ愛情が藤王に届くことはない。
「今のことではない。貴様は、私の体をもてあそんだのだ。私の心に深い傷をつけたのだ。私の尊厳を踏みにじり、奈落の底へ突き落したのだ。一番大切にしていた、美しいものまで穢したのだっ」
可愛い可愛い、己の弟。
無邪気に蝶を追いかけていた、五歳の弟。
あの思い出を。
美しい思い出だけを。大事に抱いていたかったのに。
欲望を教え込まれたことで。己は弟を、脳内で穢した。
己の心を守るために、そうせざるを得なかった。
それこそが。藤王の中の。一番の。
血の涙があふれるほどの。屈辱だった。
「なにを言う? 私は藤王の体を、もてあそんだりしていない。あれは、愛しているという意思表示ではないか? 私の一番の秘密を見せたのだ。おまえも私に応えたではないか? 私たちは愛し合ったのだ」
「あんなものは、愛ではない。将堂の当主が、堺の命を盾にして、部下の私に身を捧げろと脅したのだ。応えたのではない。経験のない者が、局部を刺激されたら、誰だって達するのだ。情交などでもない。挿入ばかりは、かろうじて阻止した。ゆえに、貴様の子は、私の子ではない。断じて、ない。愛し合った? 貴様から愛を感じたことなどない。龍鬼を汚い醜いと断じる、おまえの言葉など。私に届くわけもないっ!」
「ひ、人には、言えぬが。私は確かに、おまえを愛していたのだ。私はおまえが必要で…頼りにしていたのに…」
「公言できぬ関係など、本当の愛ではない。容姿、家柄、金…龍鬼、そういう表面的なことを抜きにして、それでも愛していると思える、その感情が、心から愛していると言うのだ。でも、貴様は私の容姿だけしか見ていなかったな。愛していると言いながら、龍鬼であることには目をそらし、頑なに否定する。一番私を差別し、蔑んでいたのは、金蓮、貴様なのだっ」
ガツンと藤王に言い立てられ、金蓮は愕然とする。
目を見開き。呆然とそこに立っているしかなかった。
「なぜだ? 将堂家の当主として、私は愛されるべき存在だ。誰もが、私にかしずき、私に頭を垂れ、私を敬う。はずなのに。なぜ誰も、私を愛さない? 私を真に愛する者は…父上だけだった」
先日の赤穂の話から、金蓮も前当主に性被害にあっていたと聞いた。
しかし金蓮は、それを認識していないのだろう。
真に愛したと金蓮は言うが。
父の愛は、歪んだ、醜い、禁忌の愛情だ。
その点、同情はする。
だがそれでも、実の息子に、紫輝に、剣を振り上げる理由にはならない。
基成は…天誠は。紫輝を傷つける者を許すことはない。
「あんたが、誰にも愛されない理由など、容易にわかるさ。あんたが、これまで誰のことも愛していないからだ。あんたを愛する者は、いたんだよ。確かに。赤穂にしろ。あんたが生んだ龍鬼の子にしろ。あんたが愛さえ向けていれば、愛情深い彼らは、惜しげなく愛を返したはずなんだ。だが、あんたは愛さなかった。誰も」
「違う。そんなはずない。だいたい、ここに存在しない龍鬼の子が、愛情深いなど、なぜ貴様にわかるんだ? 想像でいいように言っているだけだっ」
金蓮は、基成の言を否定したくて、とにかく、アラを探して拒絶する。
しかし。基成は残念そうな、見くびるような顔で、金蓮を見やるだけだ。
「おまえの息子は、そばで、おまえの所業をすべて見ているぞ。今も尚気づかないとは。愚かなことだ」
「なに? なんの話だ」
「間宮紫輝が、おまえが何度も殺そうとした龍鬼の子だ。年齢がどうとか、説明は面倒だから言わないが。龍鬼はなんでもできると思っていればいいんじゃね?」
「っ、間宮、がっ…」
驚愕し、金蓮は目をみはって、ただ震えた。
少し、思い当たることがあったのだ。
先日、堺の件で間宮にやり込められたことが腹立たしく。殺意を持って、彼を殺そうとした。
しかし、一瞬ののちに、彼の姿は消え失せ。
間宮も間宮の部下も、剣先から逃げおおせた。その感じを、以前、どこかで体験したような気がしていたのだ。
しかし、些細なことだから。深く考えなかったのだが。
あれは。赤穂の子供を殺そうとして剣を振り上げた、あのときと似ていた。
あの子は。一瞬ののちに消え失せ、己の剣先から逃げおおせたのだ。
言われてみれば、間宮はどこか、赤穂の雰囲気を帯びている。
あの目に睨まれると、体がすくむ。
破天荒で、気に入らぬ者を片端から切り捨てるような、狂気をはらむ弟。
だが、案外、正論をついてくる弟。
剣技も統率力も敵わないから、将堂の当主には赤穂の方が相応しいような気がして。
ただただ、わずらわしく思っていた弟。
間宮のことも、この頃は、わずらわしく思っていた。
自分の思い通りにならない龍鬼。
正論で突き通し、将堂家当主という権威すら『それがなに?』と言わんばかりに、踏みつける龍鬼。
藤王がいなくなった将堂で、金蓮に苦言を呈することができたのは、もう弟しかいなかった。
そこに、間宮も加わる。
そういうところも、似ている、というのか?
間宮が…あの子だというのか?
「おまえの功績は、紫輝を産み落とした、その一点のみだ。この先の余生はせいぜい、子供の邪魔をしないよう努めることだな?」
そう言うと、基成が。電光石火の速さで金蓮に近づいてきた。
金蓮は自分の考えに気を取られ、その対処に遅れる。
剣の柄に手を伸ばす間もなく。基成に柄で腹を打たれて気絶した。
「やっべぇ、赤穂の兄弟だから、手加減なしで、思いっきり力を入れちまった。つか、弱っ。手ごたえナシ。死んでないと良いが?」
基成は黒マントから縄を取り出すと、手際よく縛っていく。
その場面を、見るのも嫌という様子で、藤王は顔を背け。言い捨てた。
「大丈夫だろ。私は、それに触りたくないから、おまえが運んでくれ」
「天下の基成様に荷物運びさせるのは、おまえくらいだよ」
ニヤリと基成は笑い、気絶した金蓮を肩に担ぐ。
「不破…金蓮に、言いたいことは言えたか?」
「…すべて、ではないが。金蓮を目にすれば、口から出てくるものは怨嗟ばかり。ならば、もう。目にすることなく、怨嗟を産み出すこともなく。そのように生きたいと思う」
「賢明だ。では、凱旋といこう」
基成が不破に目で合図をすると。
まず、手裏側の炎が消えた。牙織が急いで、そばに寄ってきて、基成の手から金蓮を受け取る。
牙織が金蓮を肩に担いでから、すべての火を消すと。
雪原に、丸く、雪の解けた地面が現われる。藤王の炎が描いた円のところだ。
「金蓮様っ」
燎源が手を伸ばし、金蓮を呼ぶが。
気を失った金蓮は、すでに手裏側にいる。
「金蓮様を、殺したのか? 卑怯者めっ」
「金蓮殿は死んでいない。そちらの本拠地に、我が手の者が捕縛されている。彼女と、金蓮殿を。明後日、この場所で交換していただきたい」
「なに? そのような話は聞いていない。それに、明後日など…急に…」
初耳の話や、金蓮拉致など、この場で判断できない事項が多く。燎源は戸惑っていた。
「そちらには、龍鬼が三名もいるのだろう? なんとかなるさ」
そう言い。基成は、手裏兵の方に目をやる。
「この雪の解けた大地に、舞台を作り上げろ。明後日、壇上で、この者と、手裏家長子である銀杏の引き渡しを行う。手裏の力を、将堂に見せつけるのだっ」
オオオッと、手裏の兵士たちは盛り上がり。ざわざわと動き始める。
一方、大将を人質に取られた将堂軍は。意気消沈した状態で、後方の陣まで下がっていったのだった。
天誠はひとり、ほくそ笑む。
兄さんに、最高の舞台を用意してあげられそうだ。
ついに、己の願いも叶う。
兄さんに、この世界のすべてを捧げる。そのときが、ようやく来たのだ。
炎の壁に阻まれ、金蓮と離れてしまった燎源は、ゴウゴウと燃え盛る炎の向こう側に向けて、声をかける。
「金蓮様、ご無事ですか? 金蓮様っ」
目の前の火は、勢いが激しく、熱気がすごくて、近寄ることもできない。
金蓮に呼びかけても、向こうから声がしないので。己の声が届いているのか、それもわからない。
燎源は奥歯をギシリと噛んだ。
先日、間宮という龍鬼が、龍鬼の能力は殺傷力がないのに、なぜそれほどに恐れるのだ? と。いかにも不思議そうに問うてきた。
それでは、もしかしたらこの炎も、人には通じないのではないか? まやかしなのではないか?
そう思って。少し思いきって、手を伸ばしてみる。
しかし、炎に触れる前に、熱気で火傷しそうだ。
あのチビ、やっぱり殺傷能力がないなんて、嘘じゃないか。
燎源は、服に燃え移りそうな火を払い、心の中で間宮を罵った。
そして、思う。
藤王の能力は、人を殺せる。
最強の龍鬼。味方にすれば頼もしく、敵にしたなら恐ろしい、相手。
決して、手放してはならなかった。
★★★★★
炎の輪の中に、ひとり取り残された金蓮だが。藤王は自分の味方だと信じて疑わないので、まだ自分は優位なのだと思っていた。
自分の気持ちさえ、彼に通じれば。誤解は解ける。
そうだ、彼は誤解しているだけなのだ、と金蓮は思い込んでいた。
だって、間宮がほのめかしたのだ。
藤王は金蓮を殺す気などないのだ、ということを。
「藤王、なにも恐れることはないのだ。将堂に戻ってくれば。以前以上の地位を与える。おまえが、私に触れたことを、気に病んでいるのかもしれないが。大丈夫なのだ。龍鬼はうつらないと。うちの龍鬼が証明したのだ」
「はぁ?」
金蓮の言葉に、藤王は、自分でも驚くほどの不穏な声が出た。
なんで己が、金蓮に触れたことになっているのだ?
己は自発的に、金蓮に触れたことなどない。
四肢を投げ出して、苦痛な時間をやり過ごしていたというのに。なにを言っているのだろう? この女は。
「つか、自分で藤王のこと触りまくったくせに、今まで龍鬼がうつるって、戦々恐々としていたのか? ウケる。人の身体的特徴が、人にうつることなど、あり得ないってのに」
金蓮は、藤王に語り掛けていたが。基成が、薄っすら笑いながら茶々を入れたので。怒りの目を向ける。
なにやら、藤王とは違う印象の美男子だが。
藤王を奪おうとする者なら、憎い敵でしかない。
「貴様は黙っていろ。あり得ない、のだろうが…子供が龍鬼になった事例が、ないわけではない」
「それは、貴様が生んだ、龍鬼の話だろう?」
「なにを言う? 私は男だ。男が子を産めるわけ…」
「私たちはみな、知っているぞ。おまえが女性であることも。将堂の当主、金蓮と。准将赤穂の間に。龍鬼が生まれたことも、な?」
基成があまりにも堂々と、それが事実であるという顔で言うので。
金蓮は、極秘であることが、敵の手裏基成に知られていることに、一瞬狼狽したが。
ここには、彼らと自分しかいないのだから、どうとでも誤魔化せられると思い。開き直った。
「確かに、子を産んだが。あれは、赤穂の子などではない。龍鬼が生まれたのだから、私と藤王の子に違いない。大丈夫だ、藤王。私が愛したのは、おまえだけなのだからな?」
その言い分に、基成も藤王も唖然とした。
ついさっき、龍鬼はうつらないと、金蓮自身が言ったばかりだし。
これだけ金蓮を嫌悪している藤王が、六年前に金蓮と関係を持つことなどあり得ないし。
紫輝のどこにも、藤王の片鱗はない。
今まで、いろんな人物に、赤穂の子だと言うたびに驚かれたが。
誰ひとり、赤穂に似ていないという者は、いなかった。
それぐらい、紫輝のあの目力は、赤穂のそれと酷似しているのだ。
など、まぁまぁ、ツッコみたいことは山ほどあれど。
「ならば仮に、だが。藤王の子かもしれない者を、貴様は何度も殺そうとしたのか?」
肝になる部分を、基成は的確にツッコんだ。
しかし金蓮は、悪びれることなく、言ったのだ。
「それは、仕方がないではないか。将堂の当主が、龍鬼を生むことは許されない」
金蓮の言葉は、いわゆる、龍鬼を蔑む言葉。
藤王を蔑み、子を蔑み、受け入れないという言葉だ。
藤王は。将堂家当主が、龍鬼を生むことは許されない、と自身で納得している。そういうものだと、知っているものの。金蓮の口から、当然だろうという様子で言われると、腹立たしく。臓腑が煮えるような思いがした。
「ならばなぜ、貴様はいつまでも、私に執着するのだ? 龍鬼の子を許せぬ者が、私を欲しがってどうするつもりだ?」
藤王は。金蓮に情を向けてほしいわけではなかったけれど。
いつまでも執着されることに、嫌気がさしていた。
自分の体をもてあそんだ、憎い、許せない、人間。そんな金蓮から、なにもかも解き放たれたかった。
もういいだろう? 己の好きな道を歩ませてくれ。己の前に立ちはだからないでくれ。
だが、金蓮は。執着する狂気の目で、相も変わらず藤王をみつめた。
「藤王は、龍鬼ではない。藤王は、気高く、美しい、私の龍。私のもの。だから、私が手に入れるのが当然だろう? 欲しがる、ではない。おまえは私のものだから、私の手に戻ってくるのが、当然なのだ」
その粘着さに、藤王はブルリと震え。
反動で、金蓮を睨みつける。
「どうやら、私は。人としても見られていなかったようだ。所有物。私に意思があることなど、貴様は知らぬのだろう? 今、はっきり引導を渡してやる。私はおまえを、殺したいほど憎んでいるのだ。二度と私の前に現れるな。もしも貴様を目にしたら。私は貴様を、今度こそ殺す」
「なぜだ? 今の話の、なにに、それほど怒るのだ?」
金蓮は、己の熱い想いを語っているつもりだった。
どれほど藤王を大事に想っているか。
しかし、歪んだ愛情が藤王に届くことはない。
「今のことではない。貴様は、私の体をもてあそんだのだ。私の心に深い傷をつけたのだ。私の尊厳を踏みにじり、奈落の底へ突き落したのだ。一番大切にしていた、美しいものまで穢したのだっ」
可愛い可愛い、己の弟。
無邪気に蝶を追いかけていた、五歳の弟。
あの思い出を。
美しい思い出だけを。大事に抱いていたかったのに。
欲望を教え込まれたことで。己は弟を、脳内で穢した。
己の心を守るために、そうせざるを得なかった。
それこそが。藤王の中の。一番の。
血の涙があふれるほどの。屈辱だった。
「なにを言う? 私は藤王の体を、もてあそんだりしていない。あれは、愛しているという意思表示ではないか? 私の一番の秘密を見せたのだ。おまえも私に応えたではないか? 私たちは愛し合ったのだ」
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「ひ、人には、言えぬが。私は確かに、おまえを愛していたのだ。私はおまえが必要で…頼りにしていたのに…」
「公言できぬ関係など、本当の愛ではない。容姿、家柄、金…龍鬼、そういう表面的なことを抜きにして、それでも愛していると思える、その感情が、心から愛していると言うのだ。でも、貴様は私の容姿だけしか見ていなかったな。愛していると言いながら、龍鬼であることには目をそらし、頑なに否定する。一番私を差別し、蔑んでいたのは、金蓮、貴様なのだっ」
ガツンと藤王に言い立てられ、金蓮は愕然とする。
目を見開き。呆然とそこに立っているしかなかった。
「なぜだ? 将堂家の当主として、私は愛されるべき存在だ。誰もが、私にかしずき、私に頭を垂れ、私を敬う。はずなのに。なぜ誰も、私を愛さない? 私を真に愛する者は…父上だけだった」
先日の赤穂の話から、金蓮も前当主に性被害にあっていたと聞いた。
しかし金蓮は、それを認識していないのだろう。
真に愛したと金蓮は言うが。
父の愛は、歪んだ、醜い、禁忌の愛情だ。
その点、同情はする。
だがそれでも、実の息子に、紫輝に、剣を振り上げる理由にはならない。
基成は…天誠は。紫輝を傷つける者を許すことはない。
「あんたが、誰にも愛されない理由など、容易にわかるさ。あんたが、これまで誰のことも愛していないからだ。あんたを愛する者は、いたんだよ。確かに。赤穂にしろ。あんたが生んだ龍鬼の子にしろ。あんたが愛さえ向けていれば、愛情深い彼らは、惜しげなく愛を返したはずなんだ。だが、あんたは愛さなかった。誰も」
「違う。そんなはずない。だいたい、ここに存在しない龍鬼の子が、愛情深いなど、なぜ貴様にわかるんだ? 想像でいいように言っているだけだっ」
金蓮は、基成の言を否定したくて、とにかく、アラを探して拒絶する。
しかし。基成は残念そうな、見くびるような顔で、金蓮を見やるだけだ。
「おまえの息子は、そばで、おまえの所業をすべて見ているぞ。今も尚気づかないとは。愚かなことだ」
「なに? なんの話だ」
「間宮紫輝が、おまえが何度も殺そうとした龍鬼の子だ。年齢がどうとか、説明は面倒だから言わないが。龍鬼はなんでもできると思っていればいいんじゃね?」
「っ、間宮、がっ…」
驚愕し、金蓮は目をみはって、ただ震えた。
少し、思い当たることがあったのだ。
先日、堺の件で間宮にやり込められたことが腹立たしく。殺意を持って、彼を殺そうとした。
しかし、一瞬ののちに、彼の姿は消え失せ。
間宮も間宮の部下も、剣先から逃げおおせた。その感じを、以前、どこかで体験したような気がしていたのだ。
しかし、些細なことだから。深く考えなかったのだが。
あれは。赤穂の子供を殺そうとして剣を振り上げた、あのときと似ていた。
あの子は。一瞬ののちに消え失せ、己の剣先から逃げおおせたのだ。
言われてみれば、間宮はどこか、赤穂の雰囲気を帯びている。
あの目に睨まれると、体がすくむ。
破天荒で、気に入らぬ者を片端から切り捨てるような、狂気をはらむ弟。
だが、案外、正論をついてくる弟。
剣技も統率力も敵わないから、将堂の当主には赤穂の方が相応しいような気がして。
ただただ、わずらわしく思っていた弟。
間宮のことも、この頃は、わずらわしく思っていた。
自分の思い通りにならない龍鬼。
正論で突き通し、将堂家当主という権威すら『それがなに?』と言わんばかりに、踏みつける龍鬼。
藤王がいなくなった将堂で、金蓮に苦言を呈することができたのは、もう弟しかいなかった。
そこに、間宮も加わる。
そういうところも、似ている、というのか?
間宮が…あの子だというのか?
「おまえの功績は、紫輝を産み落とした、その一点のみだ。この先の余生はせいぜい、子供の邪魔をしないよう努めることだな?」
そう言うと、基成が。電光石火の速さで金蓮に近づいてきた。
金蓮は自分の考えに気を取られ、その対処に遅れる。
剣の柄に手を伸ばす間もなく。基成に柄で腹を打たれて気絶した。
「やっべぇ、赤穂の兄弟だから、手加減なしで、思いっきり力を入れちまった。つか、弱っ。手ごたえナシ。死んでないと良いが?」
基成は黒マントから縄を取り出すと、手際よく縛っていく。
その場面を、見るのも嫌という様子で、藤王は顔を背け。言い捨てた。
「大丈夫だろ。私は、それに触りたくないから、おまえが運んでくれ」
「天下の基成様に荷物運びさせるのは、おまえくらいだよ」
ニヤリと基成は笑い、気絶した金蓮を肩に担ぐ。
「不破…金蓮に、言いたいことは言えたか?」
「…すべて、ではないが。金蓮を目にすれば、口から出てくるものは怨嗟ばかり。ならば、もう。目にすることなく、怨嗟を産み出すこともなく。そのように生きたいと思う」
「賢明だ。では、凱旋といこう」
基成が不破に目で合図をすると。
まず、手裏側の炎が消えた。牙織が急いで、そばに寄ってきて、基成の手から金蓮を受け取る。
牙織が金蓮を肩に担いでから、すべての火を消すと。
雪原に、丸く、雪の解けた地面が現われる。藤王の炎が描いた円のところだ。
「金蓮様っ」
燎源が手を伸ばし、金蓮を呼ぶが。
気を失った金蓮は、すでに手裏側にいる。
「金蓮様を、殺したのか? 卑怯者めっ」
「金蓮殿は死んでいない。そちらの本拠地に、我が手の者が捕縛されている。彼女と、金蓮殿を。明後日、この場所で交換していただきたい」
「なに? そのような話は聞いていない。それに、明後日など…急に…」
初耳の話や、金蓮拉致など、この場で判断できない事項が多く。燎源は戸惑っていた。
「そちらには、龍鬼が三名もいるのだろう? なんとかなるさ」
そう言い。基成は、手裏兵の方に目をやる。
「この雪の解けた大地に、舞台を作り上げろ。明後日、壇上で、この者と、手裏家長子である銀杏の引き渡しを行う。手裏の力を、将堂に見せつけるのだっ」
オオオッと、手裏の兵士たちは盛り上がり。ざわざわと動き始める。
一方、大将を人質に取られた将堂軍は。意気消沈した状態で、後方の陣まで下がっていったのだった。
天誠はひとり、ほくそ笑む。
兄さんに、最高の舞台を用意してあげられそうだ。
ついに、己の願いも叶う。
兄さんに、この世界のすべてを捧げる。そのときが、ようやく来たのだ。
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悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
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