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106 母のごとき愛を与えてやれない
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◆母のごとき愛を与えてやれない
ひとつ話し終えて、ため息をついた幸直は、投げ出した足の傷にそっと触れた。
まだ痛いのだろうと思い。巴は幸直に提案する。
「これ以上は、傷に障る。話は、後日にしたらどうか?」
「いや、大事な話が、もうひとつあって…」
少し眉間を寄せる幸直を、巴は心配するが。
幸直が顔を上げて、前当主に目をやる。
「金蓮様に嫁いだ、姉さんのことだ。先日、赤穂様に。金蓮様の事情を聞かされた。俺は、当主だったのに、知らないことだった。これはどういうことなのか?」
前当主は、姫様や巴に目をやり。首を横に振る。
「ここでは言えぬ」
確かに、金蓮が女性であったことは、知る人が少ない方が良い。
ただ、幸直は女性に嫁がされ、他人の子を育てさせられている姉の身の上が心配なのだ。
「姉さんは、納得してのことなのか? 家の都合で、押しつけたりしていないよな?」
当主ではなく、弟として、幸直は姉のことを案じていた。
幸直より、三歳年上の姉、御幸は。嫁いだ当時十九歳で、この時代の結婚適齢を少し過ぎていた。
名家の姫は、十代前に婚約し、十五には嫁ぐというのが主流なのだ。
しかし御幸は婚約者が戦死したため、話が流れ。その後も婚約を決められず。美濃家の奥に引きこもっているような状態だった。
だから、将堂家との縁組が持ち上がったとき、相手が女性であっても。おそらく、そのとき子が生まれていたはずなので、他人の子を育てることが決まっていても。
父が無理矢理、話を進めてしまったのではないか? と幸直は危惧したのだ。
姉の意志が踏み潰されてしまったのなら、悲しいじゃないか。
「御幸は、ちゃんと納得していた。決して無理強いなどしていない」
幸直は、胡乱な目で父をみつめる。
自分のときだって、己の意志などほとんど通らなかったのだから。父の言葉は信用ならない。
「本当だ。御幸に聞いてみればいい。将堂本家の奥方でも…美濃家当主の内は会えるだろう」
父がそう言うので。幸直はとりあえずはうなずく。
そうだな。本人に、正直な気持ちを聞くしかない。
もし、御幸がつらい思いをしているのならば、己がかくまってもいいと、幸直は思っていた。
姉は、活動的ではなく。家にこもって日がな刺繍や書き物をするのが好きな人だった。
外見は幸直に似て、彫りの深い、派手めの美人なのだが。
おとなしやかで、楚々と笑う。
なんとなく、絵を描いているときの巴に印象が似ているんだよな、と幸直は思い返していた。
「わかりました、父上。では今日は、この辺で」
幸直は元気な方の足で立とうとするが、巴が自然に手を貸して。立ち上がらせる。
その動きの流れは、すでに阿吽の呼吸で。
ふたりの親密さが、ひと目でわかるものだった。
廊下に出ると、家令が、幸平を伴って立っている。
「門の前に、馬を用意してくれ」
「馬車も用意できますが?」
「良い。本拠地まで、それほど長い道のりではないし、馬の方が早い」
「しかし、幸平さまが…」
子供の帯同を気にして、家令は渋るのだが。
幸平は元気よく言う。
「おうまさんに、乗れます。乗せてください」
「…そうだな。美濃家の男児なら、そろそろ馬に慣れておくべきだ。もう少し厚着をさせてくれ」
家令はひとつ礼をすると、馬の準備と幸平用のマントを、他の使用人に指示した。
「父上、里中様、今日より、よろしくお願いします」
ペコリと幸平が頭を下げるので、どうやら家令があらかた、幸平に説明したようだ。
五歳の子供に、どれだけ伝わっているのかはわからないが。
父の家で暮らすことになるということくらいは、わかっているのかな?
「幸平、母が恋しくなったら、泣く前に言うのだぞ?」
「それほど子供ではありません」
いやいや、充分子供だし、と。巴は頬を膨らませる幸平を見て思った。
つか、子供の幸直もこんなんだったのかと思うと、可愛すぎるんだが。
目が、自然にかっ開いてしまう。
「巴、目が怖い」
幸直に注意され、巴はスンと元に戻るのだった。
屋敷を出るのに、靴を履かせたり、世話をしていると。
巴の耳元に、幸直が口を近づけて囁く。
「俺は、ずっと気になっていたんだ。破たんしているとはいえ、妻のある身で、巴と付き合うのは不実だと。複数婚ができるから、いい、というわけではなく。俺の伴侶はおまえだけだと、内にも外にも知らしめたかったんだよ。それが叶って、嬉しい。これで、俺はもう、おまえだけのもの。巴も、俺だけのものだ」
耳元に囁いているから、顔を向ければ、ほんの間近に彼の顔がある。
まつ毛、長くて薄茶色。
「ありがとう、幸直。嬉しいよ。それに、思いがけなく、幸直の幼少期を具現化した幸平くんを育てられることになって、それも嬉しい。成長過程をつぶさに見せてもらえたら、最高に幸せだ」
「彼は、俺じゃない」
「わかってる。僕は、彼が誰と結婚したいと言い出しても、殴りはしないよ」
つまり、環境が違えば、そっくりそのままにはなりえない、と巴は言いたいらしい。
「すでに、彼は真面目くんが顔ににじみ出ていて、部分、部分は似ていても、幸直らしさはない。幸直は天真爛漫な大雑把さが、売りだもんな?」
「褒められている気がしねぇ」
クスクスと笑いながら、幸直と巴は玄関を出た。
門の前に馬が二頭、そこに幸平の荷物もくくり付けられてある。
まず幸直に飛んで馬に乗ってもらい。巴は彼にマントを手渡す。
そして門番にお願いして、幸平を見てもらい。
巴が騎乗してから、幸平を受け取り、前に座らせた。
そうしてふたりは、ようやく本拠地への道を走り始めたのだ。
子供を乗せているから、馬の早足くらいの速度にする。
「幸平くん、幸直の前でなくてごめんな? 彼は今、足を怪我しているから」
「そうなのですか? ちちうえ…」
心細い声を出す幸平に、巴は大丈夫と声をかける。
「手当てはしてある。あとは養生するだけだ。幸平くんは母と離れて、寂しくないのか? もしも嫌なことなのだったら、ちゃんと嫌だと言って、いいんだからな?」
「いえ、僕は父のような、りっぱな剣士になりたいのです。しっかりと剣術をならいたいのですが、母はこわがって、木剣をとり上げてしまうし。お爺様も、まだ早いとおっしゃって…」
はぁ? と幸直は思う。
物心つく前に、あの父親に、本身の剣を持たされていたのだが…と、こめかみに血管が浮く思いだ。
ジジ馬鹿なのか? 過保護すぎだろ。
人知れず幸直が怒る中、幸平は話を続ける。
「でも、早いということはない、むしろ、おそいと思うのです。夏藤様は、僕と年がちかく。夏藤様がお側づかえをむかえることがあれば、僕が一番こうほだと。ならば、夏藤様のおてほんになりたくて。だから、剣をならっておきたいのです」
「ふぅん、お側仕えか。僕は経験がないのだが、そうなのか? 幸直」
巴は名家ではなく、手裏にもお側仕えという任務がないので、単純に知らなかった。
「まぁ、そういう噂はあるよ。俺も側仕えは経験がないので、よく知らんが」
「そうなのですか?」
父が側仕えでなかったことに、幸平は驚いた。
父は強い剣士だと聞かされていた。
なのに、これほどの剣士でもお側仕えになれないのかと思い。幸平は自信を失い、しゅんとする。
「赤穂様の同い年の瀬来、世話係に少し年上の麟義というのが順当で、やんちゃで遊んでばかりの俺は、候補から外れたのさ。時期的なものや、攻守の均衡によっても、選択は変わるから、必ずしも能力重視ということはない。とはいえ、幸平の、剣術を習いたいという心がけは立派だ。巴も、将堂で五本の指に入る剣豪だから、勉強にはなるぞ」
「里中様も、お強いのですね? 父上にかいがいしく、つくす、すてきな、はんりょさまだと思っていましたが、剣の腕もあるとは」
「かいがいしく尽くす素敵な伴侶様は、そのとおりだが。巴は戦術も立てられるし、絵の腕もある」
「すごい、なんでもできるのですね?」
幸平が馬の上でキャッキャとはしゃぐので。巴は気が気でない。
というか、幸直を睨む。
「なんでもできるわけではない。おまえの父は、大袈裟なのだ。僕も、もちろん教えるが、幸平くんは美濃家の剣筋を持つ、幸直を手本にした方が良い。勉学は、ある程度教えてやれるけど…」
そう言って、巴はひとつ息をのむ。
それから意を決して、幸平に真摯に告げた。
「僕の心のすべては、幸直のものだ。幸直を常に優先する。だから幸平くんに、母のごとき愛を与えてやれないかもしれない。でも、僕も幸平くんとともに成長して行けたらと思っているよ」
五歳の子には、難しい話だと思う。
けれど、巴はとにかく。己の気持ちを伝えようと思った。
届かなくても。ただ聞いてくれたら、それでいい。
「幸平くんは、幸直を見習って、手本にするといい。そして、心から愛することができる伴侶を、早くみつけるんだ。そうしたら、幸直と僕の愛が届かず、物足りなく感じても。きっと、伴侶に、心を満たしてもらえる」
「わかりました。里中様のようなはんりょを、僕もみつけます」
「僕のような、は駄目だ。僕は人間ができていないので」
「ええぇ? かいがいしくて、剣が強くて、頭が良くて、やさしくて、なんでもできるはんりょが、僕もほしいのです」
「だから、なんでもはできないのだ」
幸平と巴のやり取りが微笑ましくて、幸直は大声で笑ってしまった。
姫様に、育てられるのか、と聞かれたとき。
幸直の背に、子供への責任感がググっとのしかかってきた。
決して、安易な気持ちで、引き取ると言ったわけではない。
だが、子供を引き取り、育てると豪語したからには。失敗できない。重大事。
そんなふうに、勝手に気負っていた。
でも、今の幸平と巴のように。いきなり親子にならなくてもいい。
赤の他人が、出会って、愛して、いつか伴侶になるように。
子と親も、話を重ねて、日々を積み重ねて、いつか家族になっていればいいのだと。そう思えた。
「父上がわらうのを、はじめてみました」
嬉しそうな笑顔で、幸平に言われて。幸直は苦笑してしまう。
幸直にとって、美濃本家は、息のできない苦しい場所だった。
子供は、そんな苦しげな顔の父しか、見たことがなかったのだろう。なんだか、申し訳ないと思う。
厳めしく、気難しい父がいる家庭ほど、子供にとって居心地の悪いものはない。
「そうか? 幸直はいつも笑っている。これから幸平くんは、もう笑っている幸直の顔しか見れなくなるかもな」
「わらうのは、しあわせで、たのしい、だから、いいのです」
うーん、真理だ。と巴は感心する。
まぁ、とりあえず。幸平は人見知りもなく、剣を習いたいという目標もはっきりしている。
いきなりの、にわか親でも、その道に導くことはできるので。なんとかやっていけそうだと、巴は思うのだ。
少なくとも、自分が五歳のときより、よっぽど可愛げがある。
巴の幼少時は、家の中でひたすら絵を描いて、外に行くのが嫌で、人に会うのが嫌で、泣きもしないが笑いもしない、ジメジメくんだったものだから。
そうだ、子供は良く動くので、線画の勉強にもなる。
彼を幸直に見立てて、想像で幸直の肖像愛蔵版を作るのもいいかもしれないな。
巴は、一瞬。子供には見せられない笑みを浮かべた。
そんな話をしながら、緩やかに馬を走らせていたら。背後から、ものすごい勢いの早駆けで馬が迫ってきた。
遠目でもわかる鮮やかな、見覚えのある橙色の髪は。
麟義瀬間だ。
彼は自分らの馬に並走すると、ちょっと怒った。
「なに、ちんたら走ってんだっ、あぁ、子供が乗ってんのか? 子供を司令部に連れて行く気か?」
「いや、本拠地の屋敷に戻るところなんだが。瀬間は急いで、どこに行くんだ?」
「はぁ? 知らないのか?」
瀬間は幸直の馬にできる限り近づいて、告げる。
「大きな声で、言えないが。開戦したんだ。戦闘配備するので、休暇返上で呼び出されたんだよ」
幸直はギョッとして、巴に目を合わせた。
「瀬間、幸直は負傷しているから、司令部に行かせられない。僕がともに行くよ」
「はぁ? なにやってんだ、おまえ。つか、どこから来てんだ? おまえら。なんで青桐様についていないんだ? あぁ?」
瀬間に凄まれて、巴も幸直も幸平もビビるが。
いろいろあって、休暇をもらい。いろいろあり過ぎて、そのいろいろは瀬間には言えないものばかり。
「それは、今は、言えないが。とにかく。幸直は幸平くんと屋敷に戻ってくれ。あとで報告に行く。大丈夫か? 下馬するときは、門番の者に馬をおさえてもらうんだぞ。子供もいるんだから、ゆっくり慎重を心掛けるんだぞ?」
母ちゃんの小言のようなことを、巴にくどくど言われ。幸直は眉をしかめる。
「わかってる。早く行け」
巴は幸直の馬に幸平を乗せると。早駆けで、馬を走らせて行った。
「里中様、かっこいい」
マントをなびかせて、颯爽と馬を走らせる巴を見て、幸平は目をキラキラさせてつぶやいた。
「あれは俺のだから。分けてあげない」
実の子供相手でも、巴に関しては容赦のない幸直だった。
ひとつ話し終えて、ため息をついた幸直は、投げ出した足の傷にそっと触れた。
まだ痛いのだろうと思い。巴は幸直に提案する。
「これ以上は、傷に障る。話は、後日にしたらどうか?」
「いや、大事な話が、もうひとつあって…」
少し眉間を寄せる幸直を、巴は心配するが。
幸直が顔を上げて、前当主に目をやる。
「金蓮様に嫁いだ、姉さんのことだ。先日、赤穂様に。金蓮様の事情を聞かされた。俺は、当主だったのに、知らないことだった。これはどういうことなのか?」
前当主は、姫様や巴に目をやり。首を横に振る。
「ここでは言えぬ」
確かに、金蓮が女性であったことは、知る人が少ない方が良い。
ただ、幸直は女性に嫁がされ、他人の子を育てさせられている姉の身の上が心配なのだ。
「姉さんは、納得してのことなのか? 家の都合で、押しつけたりしていないよな?」
当主ではなく、弟として、幸直は姉のことを案じていた。
幸直より、三歳年上の姉、御幸は。嫁いだ当時十九歳で、この時代の結婚適齢を少し過ぎていた。
名家の姫は、十代前に婚約し、十五には嫁ぐというのが主流なのだ。
しかし御幸は婚約者が戦死したため、話が流れ。その後も婚約を決められず。美濃家の奥に引きこもっているような状態だった。
だから、将堂家との縁組が持ち上がったとき、相手が女性であっても。おそらく、そのとき子が生まれていたはずなので、他人の子を育てることが決まっていても。
父が無理矢理、話を進めてしまったのではないか? と幸直は危惧したのだ。
姉の意志が踏み潰されてしまったのなら、悲しいじゃないか。
「御幸は、ちゃんと納得していた。決して無理強いなどしていない」
幸直は、胡乱な目で父をみつめる。
自分のときだって、己の意志などほとんど通らなかったのだから。父の言葉は信用ならない。
「本当だ。御幸に聞いてみればいい。将堂本家の奥方でも…美濃家当主の内は会えるだろう」
父がそう言うので。幸直はとりあえずはうなずく。
そうだな。本人に、正直な気持ちを聞くしかない。
もし、御幸がつらい思いをしているのならば、己がかくまってもいいと、幸直は思っていた。
姉は、活動的ではなく。家にこもって日がな刺繍や書き物をするのが好きな人だった。
外見は幸直に似て、彫りの深い、派手めの美人なのだが。
おとなしやかで、楚々と笑う。
なんとなく、絵を描いているときの巴に印象が似ているんだよな、と幸直は思い返していた。
「わかりました、父上。では今日は、この辺で」
幸直は元気な方の足で立とうとするが、巴が自然に手を貸して。立ち上がらせる。
その動きの流れは、すでに阿吽の呼吸で。
ふたりの親密さが、ひと目でわかるものだった。
廊下に出ると、家令が、幸平を伴って立っている。
「門の前に、馬を用意してくれ」
「馬車も用意できますが?」
「良い。本拠地まで、それほど長い道のりではないし、馬の方が早い」
「しかし、幸平さまが…」
子供の帯同を気にして、家令は渋るのだが。
幸平は元気よく言う。
「おうまさんに、乗れます。乗せてください」
「…そうだな。美濃家の男児なら、そろそろ馬に慣れておくべきだ。もう少し厚着をさせてくれ」
家令はひとつ礼をすると、馬の準備と幸平用のマントを、他の使用人に指示した。
「父上、里中様、今日より、よろしくお願いします」
ペコリと幸平が頭を下げるので、どうやら家令があらかた、幸平に説明したようだ。
五歳の子供に、どれだけ伝わっているのかはわからないが。
父の家で暮らすことになるということくらいは、わかっているのかな?
「幸平、母が恋しくなったら、泣く前に言うのだぞ?」
「それほど子供ではありません」
いやいや、充分子供だし、と。巴は頬を膨らませる幸平を見て思った。
つか、子供の幸直もこんなんだったのかと思うと、可愛すぎるんだが。
目が、自然にかっ開いてしまう。
「巴、目が怖い」
幸直に注意され、巴はスンと元に戻るのだった。
屋敷を出るのに、靴を履かせたり、世話をしていると。
巴の耳元に、幸直が口を近づけて囁く。
「俺は、ずっと気になっていたんだ。破たんしているとはいえ、妻のある身で、巴と付き合うのは不実だと。複数婚ができるから、いい、というわけではなく。俺の伴侶はおまえだけだと、内にも外にも知らしめたかったんだよ。それが叶って、嬉しい。これで、俺はもう、おまえだけのもの。巴も、俺だけのものだ」
耳元に囁いているから、顔を向ければ、ほんの間近に彼の顔がある。
まつ毛、長くて薄茶色。
「ありがとう、幸直。嬉しいよ。それに、思いがけなく、幸直の幼少期を具現化した幸平くんを育てられることになって、それも嬉しい。成長過程をつぶさに見せてもらえたら、最高に幸せだ」
「彼は、俺じゃない」
「わかってる。僕は、彼が誰と結婚したいと言い出しても、殴りはしないよ」
つまり、環境が違えば、そっくりそのままにはなりえない、と巴は言いたいらしい。
「すでに、彼は真面目くんが顔ににじみ出ていて、部分、部分は似ていても、幸直らしさはない。幸直は天真爛漫な大雑把さが、売りだもんな?」
「褒められている気がしねぇ」
クスクスと笑いながら、幸直と巴は玄関を出た。
門の前に馬が二頭、そこに幸平の荷物もくくり付けられてある。
まず幸直に飛んで馬に乗ってもらい。巴は彼にマントを手渡す。
そして門番にお願いして、幸平を見てもらい。
巴が騎乗してから、幸平を受け取り、前に座らせた。
そうしてふたりは、ようやく本拠地への道を走り始めたのだ。
子供を乗せているから、馬の早足くらいの速度にする。
「幸平くん、幸直の前でなくてごめんな? 彼は今、足を怪我しているから」
「そうなのですか? ちちうえ…」
心細い声を出す幸平に、巴は大丈夫と声をかける。
「手当てはしてある。あとは養生するだけだ。幸平くんは母と離れて、寂しくないのか? もしも嫌なことなのだったら、ちゃんと嫌だと言って、いいんだからな?」
「いえ、僕は父のような、りっぱな剣士になりたいのです。しっかりと剣術をならいたいのですが、母はこわがって、木剣をとり上げてしまうし。お爺様も、まだ早いとおっしゃって…」
はぁ? と幸直は思う。
物心つく前に、あの父親に、本身の剣を持たされていたのだが…と、こめかみに血管が浮く思いだ。
ジジ馬鹿なのか? 過保護すぎだろ。
人知れず幸直が怒る中、幸平は話を続ける。
「でも、早いということはない、むしろ、おそいと思うのです。夏藤様は、僕と年がちかく。夏藤様がお側づかえをむかえることがあれば、僕が一番こうほだと。ならば、夏藤様のおてほんになりたくて。だから、剣をならっておきたいのです」
「ふぅん、お側仕えか。僕は経験がないのだが、そうなのか? 幸直」
巴は名家ではなく、手裏にもお側仕えという任務がないので、単純に知らなかった。
「まぁ、そういう噂はあるよ。俺も側仕えは経験がないので、よく知らんが」
「そうなのですか?」
父が側仕えでなかったことに、幸平は驚いた。
父は強い剣士だと聞かされていた。
なのに、これほどの剣士でもお側仕えになれないのかと思い。幸平は自信を失い、しゅんとする。
「赤穂様の同い年の瀬来、世話係に少し年上の麟義というのが順当で、やんちゃで遊んでばかりの俺は、候補から外れたのさ。時期的なものや、攻守の均衡によっても、選択は変わるから、必ずしも能力重視ということはない。とはいえ、幸平の、剣術を習いたいという心がけは立派だ。巴も、将堂で五本の指に入る剣豪だから、勉強にはなるぞ」
「里中様も、お強いのですね? 父上にかいがいしく、つくす、すてきな、はんりょさまだと思っていましたが、剣の腕もあるとは」
「かいがいしく尽くす素敵な伴侶様は、そのとおりだが。巴は戦術も立てられるし、絵の腕もある」
「すごい、なんでもできるのですね?」
幸平が馬の上でキャッキャとはしゃぐので。巴は気が気でない。
というか、幸直を睨む。
「なんでもできるわけではない。おまえの父は、大袈裟なのだ。僕も、もちろん教えるが、幸平くんは美濃家の剣筋を持つ、幸直を手本にした方が良い。勉学は、ある程度教えてやれるけど…」
そう言って、巴はひとつ息をのむ。
それから意を決して、幸平に真摯に告げた。
「僕の心のすべては、幸直のものだ。幸直を常に優先する。だから幸平くんに、母のごとき愛を与えてやれないかもしれない。でも、僕も幸平くんとともに成長して行けたらと思っているよ」
五歳の子には、難しい話だと思う。
けれど、巴はとにかく。己の気持ちを伝えようと思った。
届かなくても。ただ聞いてくれたら、それでいい。
「幸平くんは、幸直を見習って、手本にするといい。そして、心から愛することができる伴侶を、早くみつけるんだ。そうしたら、幸直と僕の愛が届かず、物足りなく感じても。きっと、伴侶に、心を満たしてもらえる」
「わかりました。里中様のようなはんりょを、僕もみつけます」
「僕のような、は駄目だ。僕は人間ができていないので」
「ええぇ? かいがいしくて、剣が強くて、頭が良くて、やさしくて、なんでもできるはんりょが、僕もほしいのです」
「だから、なんでもはできないのだ」
幸平と巴のやり取りが微笑ましくて、幸直は大声で笑ってしまった。
姫様に、育てられるのか、と聞かれたとき。
幸直の背に、子供への責任感がググっとのしかかってきた。
決して、安易な気持ちで、引き取ると言ったわけではない。
だが、子供を引き取り、育てると豪語したからには。失敗できない。重大事。
そんなふうに、勝手に気負っていた。
でも、今の幸平と巴のように。いきなり親子にならなくてもいい。
赤の他人が、出会って、愛して、いつか伴侶になるように。
子と親も、話を重ねて、日々を積み重ねて、いつか家族になっていればいいのだと。そう思えた。
「父上がわらうのを、はじめてみました」
嬉しそうな笑顔で、幸平に言われて。幸直は苦笑してしまう。
幸直にとって、美濃本家は、息のできない苦しい場所だった。
子供は、そんな苦しげな顔の父しか、見たことがなかったのだろう。なんだか、申し訳ないと思う。
厳めしく、気難しい父がいる家庭ほど、子供にとって居心地の悪いものはない。
「そうか? 幸直はいつも笑っている。これから幸平くんは、もう笑っている幸直の顔しか見れなくなるかもな」
「わらうのは、しあわせで、たのしい、だから、いいのです」
うーん、真理だ。と巴は感心する。
まぁ、とりあえず。幸平は人見知りもなく、剣を習いたいという目標もはっきりしている。
いきなりの、にわか親でも、その道に導くことはできるので。なんとかやっていけそうだと、巴は思うのだ。
少なくとも、自分が五歳のときより、よっぽど可愛げがある。
巴の幼少時は、家の中でひたすら絵を描いて、外に行くのが嫌で、人に会うのが嫌で、泣きもしないが笑いもしない、ジメジメくんだったものだから。
そうだ、子供は良く動くので、線画の勉強にもなる。
彼を幸直に見立てて、想像で幸直の肖像愛蔵版を作るのもいいかもしれないな。
巴は、一瞬。子供には見せられない笑みを浮かべた。
そんな話をしながら、緩やかに馬を走らせていたら。背後から、ものすごい勢いの早駆けで馬が迫ってきた。
遠目でもわかる鮮やかな、見覚えのある橙色の髪は。
麟義瀬間だ。
彼は自分らの馬に並走すると、ちょっと怒った。
「なに、ちんたら走ってんだっ、あぁ、子供が乗ってんのか? 子供を司令部に連れて行く気か?」
「いや、本拠地の屋敷に戻るところなんだが。瀬間は急いで、どこに行くんだ?」
「はぁ? 知らないのか?」
瀬間は幸直の馬にできる限り近づいて、告げる。
「大きな声で、言えないが。開戦したんだ。戦闘配備するので、休暇返上で呼び出されたんだよ」
幸直はギョッとして、巴に目を合わせた。
「瀬間、幸直は負傷しているから、司令部に行かせられない。僕がともに行くよ」
「はぁ? なにやってんだ、おまえ。つか、どこから来てんだ? おまえら。なんで青桐様についていないんだ? あぁ?」
瀬間に凄まれて、巴も幸直も幸平もビビるが。
いろいろあって、休暇をもらい。いろいろあり過ぎて、そのいろいろは瀬間には言えないものばかり。
「それは、今は、言えないが。とにかく。幸直は幸平くんと屋敷に戻ってくれ。あとで報告に行く。大丈夫か? 下馬するときは、門番の者に馬をおさえてもらうんだぞ。子供もいるんだから、ゆっくり慎重を心掛けるんだぞ?」
母ちゃんの小言のようなことを、巴にくどくど言われ。幸直は眉をしかめる。
「わかってる。早く行け」
巴は幸直の馬に幸平を乗せると。早駆けで、馬を走らせて行った。
「里中様、かっこいい」
マントをなびかせて、颯爽と馬を走らせる巴を見て、幸平は目をキラキラさせてつぶやいた。
「あれは俺のだから。分けてあげない」
実の子供相手でも、巴に関しては容赦のない幸直だった。
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下菊みこと
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髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
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