【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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106 母のごとき愛を与えてやれない

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     ◆母のごとき愛を与えてやれない

 ひとつ話し終えて、ため息をついた幸直は、投げ出した足の傷にそっと触れた。
 まだ痛いのだろうと思い。巴は幸直に提案する。

「これ以上は、傷に障る。話は、後日にしたらどうか?」
「いや、大事な話が、もうひとつあって…」

 少し眉間を寄せる幸直を、巴は心配するが。
 幸直が顔を上げて、前当主に目をやる。

「金蓮様に嫁いだ、姉さんのことだ。先日、赤穂様に。金蓮様の事情を聞かされた。俺は、当主だったのに、知らないことだった。これはどういうことなのか?」
 前当主は、姫様や巴に目をやり。首を横に振る。

「ここでは言えぬ」
 確かに、金蓮が女性であったことは、知る人が少ない方が良い。
 ただ、幸直は女性に嫁がされ、他人の子を育てさせられている姉の身の上が心配なのだ。

「姉さんは、納得してのことなのか? 家の都合で、押しつけたりしていないよな?」
 当主ではなく、弟として、幸直は姉のことを案じていた。
 幸直より、三歳年上の姉、御幸みゆきは。嫁いだ当時十九歳で、この時代の結婚適齢を少し過ぎていた。
 名家の姫は、十代前に婚約し、十五には嫁ぐというのが主流なのだ。
 しかし御幸は婚約者が戦死したため、話が流れ。その後も婚約を決められず。美濃家の奥に引きこもっているような状態だった。

 だから、将堂家との縁組が持ち上がったとき、相手が女性であっても。おそらく、そのとき子が生まれていたはずなので、他人の子を育てることが決まっていても。
 父が無理矢理、話を進めてしまったのではないか? と幸直は危惧したのだ。
 姉の意志が踏み潰されてしまったのなら、悲しいじゃないか。

「御幸は、ちゃんと納得していた。決して無理強いなどしていない」
 幸直は、胡乱な目で父をみつめる。
 自分のときだって、己の意志などほとんど通らなかったのだから。父の言葉は信用ならない。

「本当だ。御幸に聞いてみればいい。将堂本家の奥方でも…美濃家当主の内は会えるだろう」
 父がそう言うので。幸直はとりあえずはうなずく。

 そうだな。本人に、正直な気持ちを聞くしかない。
 もし、御幸がつらい思いをしているのならば、己がかくまってもいいと、幸直は思っていた。
 姉は、活動的ではなく。家にこもって日がな刺繍や書き物をするのが好きな人だった。
 外見は幸直に似て、彫りの深い、派手めの美人なのだが。
 おとなしやかで、楚々と笑う。
 なんとなく、絵を描いているときの巴に印象が似ているんだよな、と幸直は思い返していた。

「わかりました、父上。では今日は、この辺で」
 幸直は元気な方の足で立とうとするが、巴が自然に手を貸して。立ち上がらせる。
 その動きの流れは、すでに阿吽あうんの呼吸で。
 ふたりの親密さが、ひと目でわかるものだった。

 廊下に出ると、家令が、幸平を伴って立っている。
「門の前に、馬を用意してくれ」
「馬車も用意できますが?」
「良い。本拠地まで、それほど長い道のりではないし、馬の方が早い」
「しかし、幸平さまが…」
 子供の帯同を気にして、家令は渋るのだが。
 幸平は元気よく言う。

「おうまさんに、乗れます。乗せてください」
「…そうだな。美濃家の男児なら、そろそろ馬に慣れておくべきだ。もう少し厚着をさせてくれ」
 家令はひとつ礼をすると、馬の準備と幸平用のマントを、他の使用人に指示した。

「父上、里中様、今日より、よろしくお願いします」
 ペコリと幸平が頭を下げるので、どうやら家令があらかた、幸平に説明したようだ。
 五歳の子供に、どれだけ伝わっているのかはわからないが。
 父の家で暮らすことになるということくらいは、わかっているのかな?

「幸平、母が恋しくなったら、泣く前に言うのだぞ?」
「それほど子供ではありません」
 いやいや、充分子供だし、と。巴は頬を膨らませる幸平を見て思った。
 つか、子供の幸直もこんなんだったのかと思うと、可愛すぎるんだが。
 目が、自然にかっ開いてしまう。

「巴、目が怖い」

 幸直に注意され、巴はスンと元に戻るのだった。
 屋敷を出るのに、靴を履かせたり、世話をしていると。
 巴の耳元に、幸直が口を近づけて囁く。

「俺は、ずっと気になっていたんだ。破たんしているとはいえ、妻のある身で、巴と付き合うのは不実だと。複数婚ができるから、いい、というわけではなく。俺の伴侶はおまえだけだと、内にも外にも知らしめたかったんだよ。それが叶って、嬉しい。これで、俺はもう、おまえだけのもの。巴も、俺だけのものだ」

 耳元に囁いているから、顔を向ければ、ほんの間近に彼の顔がある。
 まつ毛、長くて薄茶色。

「ありがとう、幸直。嬉しいよ。それに、思いがけなく、幸直の幼少期を具現化した幸平くんを育てられることになって、それも嬉しい。成長過程をつぶさに見せてもらえたら、最高に幸せだ」
「彼は、俺じゃない」
「わかってる。僕は、彼が誰と結婚したいと言い出しても、殴りはしないよ」
 つまり、環境が違えば、そっくりそのままにはなりえない、と巴は言いたいらしい。

「すでに、彼は真面目くんが顔ににじみ出ていて、部分、部分は似ていても、幸直らしさはない。幸直は天真爛漫な大雑把さが、売りだもんな?」
「褒められている気がしねぇ」

 クスクスと笑いながら、幸直と巴は玄関を出た。
 門の前に馬が二頭、そこに幸平の荷物もくくり付けられてある。

 まず幸直に飛んで馬に乗ってもらい。巴は彼にマントを手渡す。
 そして門番にお願いして、幸平を見てもらい。
 巴が騎乗してから、幸平を受け取り、前に座らせた。
 そうしてふたりは、ようやく本拠地への道を走り始めたのだ。
 子供を乗せているから、馬の早足くらいの速度にする。

「幸平くん、幸直の前でなくてごめんな? 彼は今、足を怪我しているから」
「そうなのですか? ちちうえ…」
 心細い声を出す幸平に、巴は大丈夫と声をかける。

「手当てはしてある。あとは養生するだけだ。幸平くんは母と離れて、寂しくないのか? もしも嫌なことなのだったら、ちゃんと嫌だと言って、いいんだからな?」
「いえ、僕は父のような、りっぱな剣士になりたいのです。しっかりと剣術をならいたいのですが、母はこわがって、木剣ぼっけんをとり上げてしまうし。お爺様も、まだ早いとおっしゃって…」

 はぁ? と幸直は思う。
 物心つく前に、あの父親に、本身の剣を持たされていたのだが…と、こめかみに血管が浮く思いだ。
 ジジ馬鹿なのか? 過保護すぎだろ。

 人知れず幸直が怒る中、幸平は話を続ける。
「でも、早いということはない、むしろ、おそいと思うのです。夏藤様は、僕と年がちかく。夏藤様がお側づかえをむかえることがあれば、僕が一番こうほだと。ならば、夏藤様のおてほんになりたくて。だから、剣をならっておきたいのです」

「ふぅん、お側仕えか。僕は経験がないのだが、そうなのか? 幸直」
 巴は名家ではなく、手裏にもお側仕えという任務がないので、単純に知らなかった。

「まぁ、そういう噂はあるよ。俺も側仕えは経験がないので、よく知らんが」
「そうなのですか?」
 父が側仕えでなかったことに、幸平は驚いた。
 父は強い剣士だと聞かされていた。
 なのに、これほどの剣士でもお側仕えになれないのかと思い。幸平は自信を失い、しゅんとする。

「赤穂様の同い年の瀬来、世話係に少し年上の麟義というのが順当で、やんちゃで遊んでばかりの俺は、候補から外れたのさ。時期的なものや、攻守の均衡によっても、選択は変わるから、必ずしも能力重視ということはない。とはいえ、幸平の、剣術を習いたいという心がけは立派だ。巴も、将堂で五本の指に入る剣豪だから、勉強にはなるぞ」

「里中様も、お強いのですね? 父上にかいがいしく、つくす、すてきな、はんりょさまだと思っていましたが、剣の腕もあるとは」

「かいがいしく尽くす素敵な伴侶様は、そのとおりだが。巴は戦術も立てられるし、絵の腕もある」
「すごい、なんでもできるのですね?」
 幸平が馬の上でキャッキャとはしゃぐので。巴は気が気でない。
 というか、幸直を睨む。

「なんでもできるわけではない。おまえの父は、大袈裟なのだ。僕も、もちろん教えるが、幸平くんは美濃家の剣筋を持つ、幸直を手本にした方が良い。勉学は、ある程度教えてやれるけど…」
 そう言って、巴はひとつ息をのむ。
 それから意を決して、幸平に真摯に告げた。

「僕の心のすべては、幸直のものだ。幸直を常に優先する。だから幸平くんに、母のごとき愛を与えてやれないかもしれない。でも、僕も幸平くんとともに成長して行けたらと思っているよ」

 五歳の子には、難しい話だと思う。
 けれど、巴はとにかく。己の気持ちを伝えようと思った。
 届かなくても。ただ聞いてくれたら、それでいい。

「幸平くんは、幸直を見習って、手本にするといい。そして、心から愛することができる伴侶を、早くみつけるんだ。そうしたら、幸直と僕の愛が届かず、物足りなく感じても。きっと、伴侶に、心を満たしてもらえる」

「わかりました。里中様のようなはんりょを、僕もみつけます」
「僕のような、は駄目だ。僕は人間ができていないので」
「ええぇ? かいがいしくて、剣が強くて、頭が良くて、やさしくて、なんでもできるはんりょが、僕もほしいのです」
「だから、なんでもはできないのだ」

 幸平と巴のやり取りが微笑ましくて、幸直は大声で笑ってしまった。
 姫様に、育てられるのか、と聞かれたとき。
 幸直の背に、子供への責任感がググっとのしかかってきた。

 決して、安易な気持ちで、引き取ると言ったわけではない。
 だが、子供を引き取り、育てると豪語したからには。失敗できない。重大事。
 そんなふうに、勝手に気負っていた。

 でも、今の幸平と巴のように。いきなり親子にならなくてもいい。
 赤の他人が、出会って、愛して、いつか伴侶になるように。
 子と親も、話を重ねて、日々を積み重ねて、いつか家族になっていればいいのだと。そう思えた。

「父上がわらうのを、はじめてみました」
 嬉しそうな笑顔で、幸平に言われて。幸直は苦笑してしまう。
 幸直にとって、美濃本家は、息のできない苦しい場所だった。
 子供は、そんな苦しげな顔の父しか、見たことがなかったのだろう。なんだか、申し訳ないと思う。
 厳めしく、気難しい父がいる家庭ほど、子供にとって居心地の悪いものはない。

「そうか? 幸直はいつも笑っている。これから幸平くんは、もう笑っている幸直の顔しか見れなくなるかもな」
「わらうのは、しあわせで、たのしい、だから、いいのです」

 うーん、真理だ。と巴は感心する。
 まぁ、とりあえず。幸平は人見知りもなく、剣を習いたいという目標もはっきりしている。
 いきなりの、にわか親でも、その道に導くことはできるので。なんとかやっていけそうだと、巴は思うのだ。

 少なくとも、自分が五歳のときより、よっぽど可愛げがある。
 巴の幼少時は、家の中でひたすら絵を描いて、外に行くのが嫌で、人に会うのが嫌で、泣きもしないが笑いもしない、ジメジメくんだったものだから。

 そうだ、子供は良く動くので、線画の勉強にもなる。
 彼を幸直に見立てて、想像で幸直の肖像愛蔵版を作るのもいいかもしれないな。

 巴は、一瞬。子供には見せられない笑みを浮かべた。

 そんな話をしながら、緩やかに馬を走らせていたら。背後から、ものすごい勢いの早駆けで馬が迫ってきた。
 遠目でもわかる鮮やかな、見覚えのある橙色だいだいいろの髪は。
 麟義瀬間だ。

 彼は自分らの馬に並走すると、ちょっと怒った。
「なに、ちんたら走ってんだっ、あぁ、子供が乗ってんのか? 子供を司令部に連れて行く気か?」
「いや、本拠地の屋敷に戻るところなんだが。瀬間は急いで、どこに行くんだ?」

「はぁ? 知らないのか?」
 瀬間は幸直の馬にできる限り近づいて、告げる。

「大きな声で、言えないが。開戦したんだ。戦闘配備するので、休暇返上で呼び出されたんだよ」
 幸直はギョッとして、巴に目を合わせた。

「瀬間、幸直は負傷しているから、司令部に行かせられない。僕がともに行くよ」
「はぁ? なにやってんだ、おまえ。つか、どこから来てんだ? おまえら。なんで青桐様についていないんだ? あぁ?」
 瀬間に凄まれて、巴も幸直も幸平もビビるが。
 いろいろあって、休暇をもらい。いろいろあり過ぎて、そのいろいろは瀬間には言えないものばかり。

「それは、今は、言えないが。とにかく。幸直は幸平くんと屋敷に戻ってくれ。あとで報告に行く。大丈夫か? 下馬するときは、門番の者に馬をおさえてもらうんだぞ。子供もいるんだから、ゆっくり慎重を心掛けるんだぞ?」

 母ちゃんの小言のようなことを、巴にくどくど言われ。幸直は眉をしかめる。
「わかってる。早く行け」
 巴は幸直の馬に幸平を乗せると。早駆けで、馬を走らせて行った。

「里中様、かっこいい」
 マントをなびかせて、颯爽と馬を走らせる巴を見て、幸平は目をキラキラさせてつぶやいた。
「あれは俺のだから。分けてあげない」

 実の子供相手でも、巴に関しては容赦のない幸直だった。

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