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番外 右次将軍、美濃幸直 1
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◆番外 右次将軍、美濃幸直
マジ泣きした顔を、誰にも見られないうちに、堺の屋敷を出て。指令本部に着くまで、馬で遠回りしつつ、気持ちを立て直した幸直は。巴よりも先に執務室に入って、書類仕事を始めていた。
一日休んだから、雨のあの日より、書類の束が二倍に増えている。
でも、今日はなにも考えたくないから。仕事に集中できて、いいと思い。
束をひっくり返して、古い案件から片付けていく。
たんたんと。
間もなく、巴が執務室に入ってきて。なにも言わずに、書類の束をひと掴み持って、彼の机に座った。
「体、大丈夫か?」
「あぁ。問題ない」
いつものように、巴は無駄口を叩かず、事実を述べる。
そうは言っても、乱暴に抱いてしまって、黒い羽が寝台に散っていた。
自分でやったこととはいえ、可哀想で。
昨夜のことを思い浮かべると、目頭が熱くなる。
どこで、間違ってしまったのだろうか。幸直は手を止めることなく。記憶の中をさ迷った。
★★★★★
幸直の初恋は、堺である。
というか、白髪のおかっぱで、清楚で、可愛らしくはにかんで笑う、五歳の頃の堺である。
当時四歳の幸直と、同じくらいの身長だったが。幸直は堺のことを、女の子より小さくて、華奢で、美人で、可愛いと思い。
父親に、堺と結婚すると宣言したら。頭にげんこつをもらった。
なんでだっ!
そのときは、わからなかったが。
あとで、龍鬼とか、性別とか、美濃家のこととか、いろいろ知って、驚愕した。
龍鬼や性別は、四歳の脳みそでは理解できないものだった。
一緒に遊んで、楽しくて、美人なら、最高。結婚して、となるから。
しかし、すでにクマタカ血脈の婚約者がいると、父に言われたときは。
脳天に、雷が落ちたような衝撃だった。
美濃家の男子は、クマタカの女と結婚すると決まっているなんて。聞いてないよぉ。
だが、初っ端がそれだったものだから。幸直には同性だからどう、龍鬼だからどう、という禁忌の意識は生まれなかった。
その後、木から落ちた幸直を、堺が龍鬼の力で助けてくれたこともあり。
むしろ、龍鬼ってすごくね? という尊敬の念が生まれたほどだったのだ。
でも。そのことで、堺は、堺の父親から厳しく叱責され。幸直の目の前で、土下座をさせられて謝っていた。
自分の好きな子が、自分を助けたのに、怒られている。
幸直は、堺を庇いたかったけれど。堺の父親が、ものすごい剣幕だったものだから。足がすくんで、ただただ泣くしかなかった。
父親に言って、やめさせたかったが。
時雨家には時雨家の流儀があるから、なんて言われ。
結局、幸直は、堺を助けることはできなかったのである。
この出来事は、幸直の心に、長い年月、深い傷となって残った。
幸直は、あの父から堺を守ってあげたかった。
今度こそ、泣いたりせずに。毅然と堺の前に立つのだ。
でも、その一件があってから、父親は、堺の家に遊びに連れて行ってくれなくなり。
そのうち、疎遠になり。
堺は七歳で初陣を迎えたと聞いた。
幸直は、あのおかっぱの可愛い子を守れなかったのだ。
せめて、准将である父親に。
あんな優しい子が七歳で初陣だなんて、死んでしまう。どうか、目をかけてくださいっ。と涙ながらにお願いするしかなかった。
あの子は、とても優しい子。
植物が大好きで、庭に咲いている花を、うっとりみつめる。
薄青の瞳で、幸直に綺麗だね? と問いかける、その笑顔がたまらなく可愛かった。
幸直は、活発な子だったから、庭で駆け回ったり、それこそ木に登ったりもしたのだが。
堺も男の子だったから、幸直について回って。いっぱい笑って、楽しく遊んだ。
その思い出が、理想の恋人像。というのが。幸直の悲劇であったのかもしれない。
守ってあげたくなるような、いじらしくて可愛らしい子を、幸直は恋人にしたいと思ったのだ。
けれど、堺(五歳)のような、健気で美人で笑顔が可愛い、己と一緒になって遊んでくれるような女の子など、いないのである。
十を過ぎれば、性の兆しも見え始め、閨の教育などもされる。
特に、美濃家のクマタカ血脈は、一族をあげて、血族を残すことを使命としており。幸直も、その必要性をこんこんと教え込まれた。
血脈を絶やすことなく、強いクマタカ遺伝子を残すことが、美濃家後継者の義務なのだと。
その話を聞いたとき、幸直は、堺とは結婚できないのだと知った。
男性だからでも、龍鬼だからでもない。
幸直は、クマタカ血脈の者と結婚することが、生まれたときから決まっていたのだから。
いくら幸直が堺を好きでも。あの子を守りたいと思っても。
もう婚約者がいるのだ。許されない恋だった。
ここで幸直は、堺に完全に失恋した。
ふられた、のではないから、納得しにくかったのかもしれない。
こちらが勝手に恋をして、こちらの勝手で失恋したのだから。
幸直の胸には、ずっともやもやしたものが残ったままだった。
それでも、婚約者として名があがっている従兄弟の女性は、顔も見たことがないが、お姫様のように大事に大事に育てられてきたと聞いていたので。
堺のような、清楚で可愛らしく、花を見て微笑むような子なのだろうと。期待を膨らませてしまう。
いつかその子と、恋をする。そんな夢を見た。
二二九四年。
十五になる年、幸直は初陣した。
名家の子息は、幹部から始めることが多いが。その当時、幹部の椅子は埋まっていて。幸直は、第八大隊長に任じられた。
幸直の父親は、そのとき准将の位にいて。息子を補佐として、そばに置くこともできたのだが。
美濃家は血の気の多い家系で。
「この程度の試練を越えられずに、美濃の男と言えるかっ」
というような、苛烈な父親だったため。甘えた人事は許されなかった。
いや、幸直的には、叩き上げでも、全然、良かった。
堺も、一兵士から始めたと聞いている。
つか、美濃のコネとかいらねぇし。と思うほどには。幸直も血の気の多い、美濃の男なのだった。
第八大隊長になった幸直は、一番に、堺に会いに行った。
堺は、その前の年に、両親を殺され。兄も失踪して。時雨家の当主になっている。
あの父が、もう堺を叱らないと思うと、良かったと感じるが。
堺にとっては家族なので。亡くなったというのは、なんとなく複雑な気持ち。
そんな思いを抱えつつ、幸直は堺と対面したのだ。
「堺、久しぶりだな。俺のこと覚えているか?」
気さくに声をかけるが、幸直は、すっごく驚いていた。
目の前の堺は、己より、頭半分身長が高く。戦場で鍛えられたのか、大ぶりの剣を持ち。己よりも、しっかりとした体つきをしていた。
白い髪は、腰の下まで伸び。くっきりした目の形はそのままながら。薄青の瞳は、なにも映していないかのように、表情がなかった。
「お久しぶりです、美濃幸直さま」
覚えてはいるようだが、なんとなく突き放されたような感じがした。
そういうの、わかる。
幸直は、感情の機微に敏感で、嫌がっているとか媚びているとか蔑んでいるとか。そういう負の感情は、特に、よく感じてしまう性質だった。
今の堺は、壁があるというか。拒絶、だ。
「様なんて、つけるなよ。俺の方が地位は下だし。前みたいに、幸直って呼んでくれ?」
大隊長になったばかりで、やることもまだ多く。今回は挨拶だけで、すぐに分かれてしまったが。
時雨家の事件は。とても大きなものだったから。
きっと堺は、まだ気落ちしているのだろうと。そのときは思ったのだ。
しかし軍に入って、しばらくすると。堺が『血塗られた白き魔物』だなどと呼ばれているのを聞いてしまい。耳を疑った。
あの、動植物を愛した、可憐な子が。
入軍して、心を閉ざしてしまったのだと思った。
ただ、目の前のものを斬るだけの魔物に、作り替えられてしまった。
だからって、堺を嫌いになったり幻滅したりしたわけじゃない。
むしろ、悲しかった。
だけど、堺は。いつまでも、俺の初恋の人だよ。
家の都合で、結婚などはできないけれど。今度は本当の友達になりたい。
また、あのときのような笑顔を、堺に戻してやりたい。
そんなふうに、幸直は思ったのだが。
龍鬼の傷は、幸直には…癒すことはできなかった。
★★★★★
第八大隊長になった幸直であるが、戦場のいろはを知らないので。
将堂家次男である赤穂は、幸直に先生をつけた。
第五大隊長である、高槻廣伊だ。
龍鬼である廣伊を、指南役としてつけたのは。いずれ幹部入りして、赤穂の部下となる幸直に、戦術の指南や部下の采配など、基本を教えるためだ。
さらに。廣伊を用いた一番理由は、効果的な龍鬼の使い方を教えるためだった。
将堂軍には、堺と廣伊という、ふたりの龍鬼がいて。強力な力を持つ彼らを、どのように使うかで、戦況を有利にすることができる。
「先生、俺は先生を、効果的使うとか、できないんだけど」
幸直は、強い者が好きだ。
赤穂は年下であるが、剣術はけた違いに強く。すでに、将堂の飢えた狼などと言われ、敵兵に恐れられているほどで、一目置いているし。
廣伊は、剣の手合わせで勝てたことはないので、尊敬の対象だ。
さらに、戦術論も見事。
若さで先走り、自分が戦場に出て戦うのが早い、などと思っている幸直を諫め。人を使って勝つ術を教えてくれる。
廣伊は、冷静に大局を見極めることのできる、優れた戦術家であった。
だから、その廣伊を戦場で戦わせることに躊躇いがあるし。初恋の相手である堺はもちろん、単純に戦場に出したくない。
「一応、指導者なので、敬語を使え」
真顔のまま、ビシッと、脛に足蹴りが飛んでくる。
いってぇなっ。
「…できないんですけど」
「できない、ではなく。しなければならない」
廣伊は言葉少なく、ただ言い切る。
そして、こういう状況になったら、どこへ龍鬼を配置するのか。その戦術指導を、延々とやらされた。
それも、きついが。なんといっても、廣伊の礼儀作法の躾が、一番きつかった。
つか、納得できません。
★★★★★
時雨家の事件に続き、瀬来家の謀反という大事が起きた。
時雨も瀬来も、現当主(堺と月光)に落ち度はないものの、以後は廃嫡という重い処分が下された。
事実上、お家取り潰しということだ。
名家の不祥事に伴い、残る、美濃家と麟義家の動向に注目が集まっていた。
将堂軍は、すでに金蓮が率いていて、旧体制から新体制へ、という機運が高まっていたのだ。
麟義はいち早く、家督を息子の瀬間に譲り、将軍職を返上した。
幸直の父は、准将であるが。まだ三十代半ばと若く。引退するには惜しい逸材だった。
しかし、すぐ下に、将堂家次男の赤穂がいる。
右軍の総指揮を、赤穂に譲るのが相応しいという、周囲の空気感に、美濃は折れ。
十六歳の幸直に家督を譲り、軍の引退を決めた。
家督を継承するにあたり、幸直は結婚することになった。
あの、いまだ顔を合わせていない、従兄弟の姫様だ。
彼女が家に入るというとき、幸直は庭に出て、綺麗に咲いていたアヤメを自ら切り取り、花束を作った。
側仕えをいっぱい引き連れて、玄関に現れた彼女に、アヤメを差し出すと。
彼女は受け取らず。それを側仕えに持たせた。
「花なんて、手が汚れるわ」
ふわりとした薄茶の髪に、切れ長の瞳。美人ではあるが。贈り物をする幸直に、にこりともしないで、花束も受け取らない、その態度に。
幸直はがっかりしたのだ。
「お嬢様はお疲れですので。部屋に案内してください」
側仕えの言葉に、美濃家の使用人が応じ。彼女たちは屋敷の中へ入っていった。
幸直は、それはそれは夢を見ていたのだ。
差し出した花束を見て、笑ってくれたら。庭を案内してやろう。
美濃家の庭は、季節によって咲く花が違うんだよ? 花の盛りは過ぎてしまったが、見事な藤棚がある。秋には金木犀が香り、紅葉も色づく。
手をつないで、庭を歩いて。彼女と少しずつ距離を縮めていくのだ…なんて。
そんな期待は、ガラガラと音をたてて崩れた。
守りたくなるような、可愛い女の子と恋をする。その夢も。彼女と結婚することになり、泡のように消えた。
恋も愛も、人一倍夢見てきたからこそ。
恋も愛もないと知り。
幸直は、人一倍絶望したのだった。
紫輝に『恋や愛なんて、おとぎ話だろ。紫輝はそんなの信じちゃってんのか?』と言った幸直は。
本当は誰よりも、恋愛に憧れを持っていた男だったのだ。
マジ泣きした顔を、誰にも見られないうちに、堺の屋敷を出て。指令本部に着くまで、馬で遠回りしつつ、気持ちを立て直した幸直は。巴よりも先に執務室に入って、書類仕事を始めていた。
一日休んだから、雨のあの日より、書類の束が二倍に増えている。
でも、今日はなにも考えたくないから。仕事に集中できて、いいと思い。
束をひっくり返して、古い案件から片付けていく。
たんたんと。
間もなく、巴が執務室に入ってきて。なにも言わずに、書類の束をひと掴み持って、彼の机に座った。
「体、大丈夫か?」
「あぁ。問題ない」
いつものように、巴は無駄口を叩かず、事実を述べる。
そうは言っても、乱暴に抱いてしまって、黒い羽が寝台に散っていた。
自分でやったこととはいえ、可哀想で。
昨夜のことを思い浮かべると、目頭が熱くなる。
どこで、間違ってしまったのだろうか。幸直は手を止めることなく。記憶の中をさ迷った。
★★★★★
幸直の初恋は、堺である。
というか、白髪のおかっぱで、清楚で、可愛らしくはにかんで笑う、五歳の頃の堺である。
当時四歳の幸直と、同じくらいの身長だったが。幸直は堺のことを、女の子より小さくて、華奢で、美人で、可愛いと思い。
父親に、堺と結婚すると宣言したら。頭にげんこつをもらった。
なんでだっ!
そのときは、わからなかったが。
あとで、龍鬼とか、性別とか、美濃家のこととか、いろいろ知って、驚愕した。
龍鬼や性別は、四歳の脳みそでは理解できないものだった。
一緒に遊んで、楽しくて、美人なら、最高。結婚して、となるから。
しかし、すでにクマタカ血脈の婚約者がいると、父に言われたときは。
脳天に、雷が落ちたような衝撃だった。
美濃家の男子は、クマタカの女と結婚すると決まっているなんて。聞いてないよぉ。
だが、初っ端がそれだったものだから。幸直には同性だからどう、龍鬼だからどう、という禁忌の意識は生まれなかった。
その後、木から落ちた幸直を、堺が龍鬼の力で助けてくれたこともあり。
むしろ、龍鬼ってすごくね? という尊敬の念が生まれたほどだったのだ。
でも。そのことで、堺は、堺の父親から厳しく叱責され。幸直の目の前で、土下座をさせられて謝っていた。
自分の好きな子が、自分を助けたのに、怒られている。
幸直は、堺を庇いたかったけれど。堺の父親が、ものすごい剣幕だったものだから。足がすくんで、ただただ泣くしかなかった。
父親に言って、やめさせたかったが。
時雨家には時雨家の流儀があるから、なんて言われ。
結局、幸直は、堺を助けることはできなかったのである。
この出来事は、幸直の心に、長い年月、深い傷となって残った。
幸直は、あの父から堺を守ってあげたかった。
今度こそ、泣いたりせずに。毅然と堺の前に立つのだ。
でも、その一件があってから、父親は、堺の家に遊びに連れて行ってくれなくなり。
そのうち、疎遠になり。
堺は七歳で初陣を迎えたと聞いた。
幸直は、あのおかっぱの可愛い子を守れなかったのだ。
せめて、准将である父親に。
あんな優しい子が七歳で初陣だなんて、死んでしまう。どうか、目をかけてくださいっ。と涙ながらにお願いするしかなかった。
あの子は、とても優しい子。
植物が大好きで、庭に咲いている花を、うっとりみつめる。
薄青の瞳で、幸直に綺麗だね? と問いかける、その笑顔がたまらなく可愛かった。
幸直は、活発な子だったから、庭で駆け回ったり、それこそ木に登ったりもしたのだが。
堺も男の子だったから、幸直について回って。いっぱい笑って、楽しく遊んだ。
その思い出が、理想の恋人像。というのが。幸直の悲劇であったのかもしれない。
守ってあげたくなるような、いじらしくて可愛らしい子を、幸直は恋人にしたいと思ったのだ。
けれど、堺(五歳)のような、健気で美人で笑顔が可愛い、己と一緒になって遊んでくれるような女の子など、いないのである。
十を過ぎれば、性の兆しも見え始め、閨の教育などもされる。
特に、美濃家のクマタカ血脈は、一族をあげて、血族を残すことを使命としており。幸直も、その必要性をこんこんと教え込まれた。
血脈を絶やすことなく、強いクマタカ遺伝子を残すことが、美濃家後継者の義務なのだと。
その話を聞いたとき、幸直は、堺とは結婚できないのだと知った。
男性だからでも、龍鬼だからでもない。
幸直は、クマタカ血脈の者と結婚することが、生まれたときから決まっていたのだから。
いくら幸直が堺を好きでも。あの子を守りたいと思っても。
もう婚約者がいるのだ。許されない恋だった。
ここで幸直は、堺に完全に失恋した。
ふられた、のではないから、納得しにくかったのかもしれない。
こちらが勝手に恋をして、こちらの勝手で失恋したのだから。
幸直の胸には、ずっともやもやしたものが残ったままだった。
それでも、婚約者として名があがっている従兄弟の女性は、顔も見たことがないが、お姫様のように大事に大事に育てられてきたと聞いていたので。
堺のような、清楚で可愛らしく、花を見て微笑むような子なのだろうと。期待を膨らませてしまう。
いつかその子と、恋をする。そんな夢を見た。
二二九四年。
十五になる年、幸直は初陣した。
名家の子息は、幹部から始めることが多いが。その当時、幹部の椅子は埋まっていて。幸直は、第八大隊長に任じられた。
幸直の父親は、そのとき准将の位にいて。息子を補佐として、そばに置くこともできたのだが。
美濃家は血の気の多い家系で。
「この程度の試練を越えられずに、美濃の男と言えるかっ」
というような、苛烈な父親だったため。甘えた人事は許されなかった。
いや、幸直的には、叩き上げでも、全然、良かった。
堺も、一兵士から始めたと聞いている。
つか、美濃のコネとかいらねぇし。と思うほどには。幸直も血の気の多い、美濃の男なのだった。
第八大隊長になった幸直は、一番に、堺に会いに行った。
堺は、その前の年に、両親を殺され。兄も失踪して。時雨家の当主になっている。
あの父が、もう堺を叱らないと思うと、良かったと感じるが。
堺にとっては家族なので。亡くなったというのは、なんとなく複雑な気持ち。
そんな思いを抱えつつ、幸直は堺と対面したのだ。
「堺、久しぶりだな。俺のこと覚えているか?」
気さくに声をかけるが、幸直は、すっごく驚いていた。
目の前の堺は、己より、頭半分身長が高く。戦場で鍛えられたのか、大ぶりの剣を持ち。己よりも、しっかりとした体つきをしていた。
白い髪は、腰の下まで伸び。くっきりした目の形はそのままながら。薄青の瞳は、なにも映していないかのように、表情がなかった。
「お久しぶりです、美濃幸直さま」
覚えてはいるようだが、なんとなく突き放されたような感じがした。
そういうの、わかる。
幸直は、感情の機微に敏感で、嫌がっているとか媚びているとか蔑んでいるとか。そういう負の感情は、特に、よく感じてしまう性質だった。
今の堺は、壁があるというか。拒絶、だ。
「様なんて、つけるなよ。俺の方が地位は下だし。前みたいに、幸直って呼んでくれ?」
大隊長になったばかりで、やることもまだ多く。今回は挨拶だけで、すぐに分かれてしまったが。
時雨家の事件は。とても大きなものだったから。
きっと堺は、まだ気落ちしているのだろうと。そのときは思ったのだ。
しかし軍に入って、しばらくすると。堺が『血塗られた白き魔物』だなどと呼ばれているのを聞いてしまい。耳を疑った。
あの、動植物を愛した、可憐な子が。
入軍して、心を閉ざしてしまったのだと思った。
ただ、目の前のものを斬るだけの魔物に、作り替えられてしまった。
だからって、堺を嫌いになったり幻滅したりしたわけじゃない。
むしろ、悲しかった。
だけど、堺は。いつまでも、俺の初恋の人だよ。
家の都合で、結婚などはできないけれど。今度は本当の友達になりたい。
また、あのときのような笑顔を、堺に戻してやりたい。
そんなふうに、幸直は思ったのだが。
龍鬼の傷は、幸直には…癒すことはできなかった。
★★★★★
第八大隊長になった幸直であるが、戦場のいろはを知らないので。
将堂家次男である赤穂は、幸直に先生をつけた。
第五大隊長である、高槻廣伊だ。
龍鬼である廣伊を、指南役としてつけたのは。いずれ幹部入りして、赤穂の部下となる幸直に、戦術の指南や部下の采配など、基本を教えるためだ。
さらに。廣伊を用いた一番理由は、効果的な龍鬼の使い方を教えるためだった。
将堂軍には、堺と廣伊という、ふたりの龍鬼がいて。強力な力を持つ彼らを、どのように使うかで、戦況を有利にすることができる。
「先生、俺は先生を、効果的使うとか、できないんだけど」
幸直は、強い者が好きだ。
赤穂は年下であるが、剣術はけた違いに強く。すでに、将堂の飢えた狼などと言われ、敵兵に恐れられているほどで、一目置いているし。
廣伊は、剣の手合わせで勝てたことはないので、尊敬の対象だ。
さらに、戦術論も見事。
若さで先走り、自分が戦場に出て戦うのが早い、などと思っている幸直を諫め。人を使って勝つ術を教えてくれる。
廣伊は、冷静に大局を見極めることのできる、優れた戦術家であった。
だから、その廣伊を戦場で戦わせることに躊躇いがあるし。初恋の相手である堺はもちろん、単純に戦場に出したくない。
「一応、指導者なので、敬語を使え」
真顔のまま、ビシッと、脛に足蹴りが飛んでくる。
いってぇなっ。
「…できないんですけど」
「できない、ではなく。しなければならない」
廣伊は言葉少なく、ただ言い切る。
そして、こういう状況になったら、どこへ龍鬼を配置するのか。その戦術指導を、延々とやらされた。
それも、きついが。なんといっても、廣伊の礼儀作法の躾が、一番きつかった。
つか、納得できません。
★★★★★
時雨家の事件に続き、瀬来家の謀反という大事が起きた。
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事実上、お家取り潰しということだ。
名家の不祥事に伴い、残る、美濃家と麟義家の動向に注目が集まっていた。
将堂軍は、すでに金蓮が率いていて、旧体制から新体制へ、という機運が高まっていたのだ。
麟義はいち早く、家督を息子の瀬間に譲り、将軍職を返上した。
幸直の父は、准将であるが。まだ三十代半ばと若く。引退するには惜しい逸材だった。
しかし、すぐ下に、将堂家次男の赤穂がいる。
右軍の総指揮を、赤穂に譲るのが相応しいという、周囲の空気感に、美濃は折れ。
十六歳の幸直に家督を譲り、軍の引退を決めた。
家督を継承するにあたり、幸直は結婚することになった。
あの、いまだ顔を合わせていない、従兄弟の姫様だ。
彼女が家に入るというとき、幸直は庭に出て、綺麗に咲いていたアヤメを自ら切り取り、花束を作った。
側仕えをいっぱい引き連れて、玄関に現れた彼女に、アヤメを差し出すと。
彼女は受け取らず。それを側仕えに持たせた。
「花なんて、手が汚れるわ」
ふわりとした薄茶の髪に、切れ長の瞳。美人ではあるが。贈り物をする幸直に、にこりともしないで、花束も受け取らない、その態度に。
幸直はがっかりしたのだ。
「お嬢様はお疲れですので。部屋に案内してください」
側仕えの言葉に、美濃家の使用人が応じ。彼女たちは屋敷の中へ入っていった。
幸直は、それはそれは夢を見ていたのだ。
差し出した花束を見て、笑ってくれたら。庭を案内してやろう。
美濃家の庭は、季節によって咲く花が違うんだよ? 花の盛りは過ぎてしまったが、見事な藤棚がある。秋には金木犀が香り、紅葉も色づく。
手をつないで、庭を歩いて。彼女と少しずつ距離を縮めていくのだ…なんて。
そんな期待は、ガラガラと音をたてて崩れた。
守りたくなるような、可愛い女の子と恋をする。その夢も。彼女と結婚することになり、泡のように消えた。
恋も愛も、人一倍夢見てきたからこそ。
恋も愛もないと知り。
幸直は、人一倍絶望したのだった。
紫輝に『恋や愛なんて、おとぎ話だろ。紫輝はそんなの信じちゃってんのか?』と言った幸直は。
本当は誰よりも、恋愛に憧れを持っていた男だったのだ。
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