【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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幕間 舐めてはいけませんっ(堺side)

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     ◆紫輝が廣伊にこき使われている間に、いろいろなことがありました。

 一月二日、早朝。
 堺と青桐、そして幹部たちは。愛鷹あたか山にある幸直の屋敷を出て、本拠地へと向かった。
 道中はなんの問題もなく。
 青桐も、特に馬で苦労することもなく。
 夕方、予定通り本拠地にたどり着いた。

 馬に乗れるようになった青桐を、赤穂ではないと勘繰る者などもういないだろう。
 そう堺は思い、安堵の息をついたのだ。

 先行して荷物を運ぶ者たちが、先触れの役割を果たす。なので青桐はすぐにも、屋敷で旅の疲れを癒せるはずだった。
 門の前で馬を降り馬丁に馬を預けて中へと入っていくと、家令が飛んでくる。
 いや、羽は使っていないが。

「青桐様、お疲れでございましょう。さぁ中へ。幹部の方たちもどうぞ。酒宴の用意は整っております」
 酒宴というより、食事を済ませたらすぐ寝たい。という幹部たちの顔が印象的だった。
 そんな彼らの様子など見もしないで、家令は堺の前に立ち。ニヤニヤ笑いで告げる。

「将軍のお荷物は時雨様のお屋敷に運ばせていただきました。どうぞ、そちらに…」
 つまり龍鬼は龍鬼の家に帰れということだ。
 おやおや、早々に洗礼を受けてしまった。

 しかし…私はともかく、青桐の命令に背くというのは彼の威厳に関わることだ。
 ここは苦言を呈するべきと思い、堺は口を開きかけたが。

 その前に青桐と幸直が同時にキレてしまった。

「はあぁぁあ?」
 ふたりとも、地を這う重低音である。

「いや、話が通っていなかったのかな? 堺はここに住むので、荷物を戻すよう指示してくれ」
 青桐は怒りにこめかみをピクピクさせながらも、家令にそう指示した。
 赤穂なら、問答無用で剣を抜くところだが。青桐は彼よりは自制が効く。

 まぁ、あの重低音を聞く限り、忠告は一度だけだろうが。

 先触れにもそういう話はしてあったので、当然家令にも話が通っているはずなのだ。
 話というか、これは青桐の指示、命令だ。
 それを誰も覆してはならない。
 准将である青桐は、今やそういう立場にいる。

「青桐様が龍鬼にお優しいのは、大変素晴らしいことです。しかし将堂の御屋敷に龍鬼を住まわせるのは、金蓮様がお許しになりません。なので…」
 もっともらしいことを家令が話しているが、それを青桐は手を上げて途中でさえぎり、瀬間を呼んだ。

「この家令は俺の言うことを聞く気はないようだ。どうするのが最善だ?」
「今日はお疲れでしょう。荷物の一部が堺の屋敷にあるのなら、そちらに移るのが最善です」
 側近に格上げした瀬間は、青桐の意志を汲み取り、迅速に答えを返す。
 普段なら、それが最適解なのだろうが。
 堺は口をはさんだ。

「青桐様、瀬間、私は屋敷に戻るのは構わない。とりあえずこちらでお休みいただいたらどうか?」
 半日、ずっと馬に乗りっぱなしだったのだ。己のことより、青桐の体調が心配だった。
 一日は我慢して、体を休め。
 そのあと家令の考えを改めさせればいいと思ったのだが。

「堺はそう言うと思って、瀬間に聞いたんだ。よし、みんな堺の屋敷に移動するぞ。先触れを出せ」
 青桐の号令で、荷物運びや馬の世話係が一斉にわさわさと動き始める。
 慌てたのは家令だけだ。

「あ、青桐様。早く屋敷でお休みを。このような暴挙が金蓮様のお耳に入ったら。お嘆きになります」
「不備があるので移動するのだ。俺の言い分が通らぬ家は、もはや我が家ではない。そして主人の言葉に従えぬ家令はいらぬ」
 冷ややかな目で、青桐は家令を見下ろす。
 彼の態度には、准将たる重厚な威厳が漂っていた。

「そんな…私は金蓮様のご指示でこちらに参ったのです。記憶を無くされた青桐様が憂いなく過ごされるよう、万全の用意をしておりましたのに…」
「兄上の名を出せば、記憶を無くした俺など容易たやすぎょせると思ったか? まだ、ごちゃごちゃ言うようなら、斬るぞ」

 青桐は、もういい加減ウザくなったので剣を抜いたが。
 家令は捨て台詞を残して、屋敷に逃げていった。

「ひぇぇぇ、記憶喪失でも味方殺しの本質に変わりないではないかっ」
「味方殺し?」
 首を傾げて、青桐が幸直に顔を向ける。
 幸直はニヤリと笑って、言った。

「以前は苛烈な戦士で、味方でも、仇成す者は容赦なく斬ったのです。それで目を合わせただけで斬られるという噂が広まりまして…」
「幸直、以前の話を青桐様の耳に入れるな。それより…移動しましょう、青桐様。こちらです」
 半ば強引に堺は青桐を誘導し、幸直の話を誤魔化した。
 赤穂の話に触れ青桐が昔のことを思い出そうとしたら、また頭痛が起きてしまうかも。
 さらに青桐が本当の記憶を取り戻してしまうかも。

 その事態を、堺は恐れていた。

 記憶を取り戻してしまったら、青桐は記憶を奪った堺を軽蔑し。罵り。去っていってしまうだろう。
 その場面を考えただけで、悲しくなる。

 昨夜は、深いくちづけをし。
 青桐に恋をしていると自覚してしまった。

 好きだと、知ってしまったのに。

 もしも嫌われてしまったら。
 いいや、きっと嫌われてしまうのだ。
 愛していると言ったあの言葉も、霧散し、消えるのだ。

 記憶を奪った悪魔のような男に、龍鬼の己に、幸せなど訪れるわけがない。
 でも記憶が戻るまでは。そばにいても良いですか?
 そばに、いさせてください。どうか。どうか…。

「堺、疲れた顔をしているな? でも、寝る前に少しだけ、いつもみたいに話がしたいんだが、良いか?」
 青桐は、堺がなにを考えていたのかわからないと思うのだが。
 そばにいても良いと、答えをくれたように思えて。堺は嬉しくなった。

「はい。お部屋にうかがいます」
 嬉しい。まだ、貴方のそばにいられることが…。


     ◆舐めてはいけませんっ(堺side)


 急の来客で、御馳走などは用意できなかったが。堺の屋敷の働き手たちは、青桐たちを出来うる限り歓待した。
 長距離移動で疲れが溜まっていた幹部たちは、元より御馳走や酒には食指が動かなかったようで。軽食を腹におさめたらとっとと部屋に引き上げた。
 幸直などは、湯にも浸からず即行爆睡の様子だ。

 瀬間は一月いっぱい休暇ということで、幹部たちが堺の屋敷に入って腰を落ち着けたところを確認してから、麟義の本邸に帰っていった。
 なので一ヶ月は、青桐のそばで堺が補助することになる。
 まぁ今までどおりではある。

 湯に浸かって旅の疲れや汚れを落とした堺は、もう一度軍服を着用して青桐にあてられた客間へ向かう。
 寝間着で上官の部屋をたずねるのは、失礼だからだ。
 でも来るように言われたので、顔を出したが。挨拶をして、すぐに下がるつもりだった。

 引き戸の扉を叩くと、中から応えがあり。
 堺は正座のまま扉を引き開ける。

「堺、入ってくれ。ちゃんと話がしたい」
 すぐに下がろうとしたのを、見破られてしまった。堺は苦笑して、部屋の中へ入る。
 中には大きめの客用寝台があり、そこに紺色の浴衣を身につけた青桐が座っていた。

 風呂上がりのようで、ひもで濡れ髪をくくっている。結び損ねた前髪の一部だけが、顔の前に垂れていて。
 切れ長の目が堺を認めて、やんわり微笑んだ。

 くつろいだ彼の姿を見ると、堺の胸はいつもどきどきと騒いで落ち着かなくなる。

 堺の屋敷の使用人は、元々時雨家で働いていた者たちで。代々将軍を拝命していた名家の使用人なので、上官をもてなす応対を心得ている。しかしなにぶん急だったものだから、客間の掃除と寝台を整えるのが精いっぱいだったようで。荷解きなどはできていない。
 青桐の荷物が寝台の横に置かれてあった。

 そうは言っても荷物はそれほど多くない。
 青桐は半月前に、着のみ着のままで堺の前に現れたのだ。
 だから青桐の入用のものは、この本拠地でそろえていくことになる。
 今ここにあるのは、幸直の屋敷で調達した少量の衣類と、教育に使った本だけだ。

 どきどきする胸をおさえ、堺は風呂敷の結びをほどいて、寝台の横にある衣装箪笥に衣類をおさめていった。

「先ほどの対応はとても立派でした。青桐様は准将。ここでは金蓮様に次ぐ上位のお方だ。貴方の言葉には誰もが従うべきなのです」
「俺が無茶を言ったり、傍若無人に振舞ったら、どうするんだ?」
「それをいさめるのが幹部の役割ですが、傍若無人な貴方は想像できません」
「そうかな?」

 衣類をおさめ終わった堺に、青桐は言う。
 寝台に腰かけている青桐は、床板に座る堺の顎に手を添え、堺と目を合わせる。

とぎを命じるかもよ?」
「青桐様に伽を命じられたら、誰でも従わなければなりません。それが人妻でも、生娘きむすめでも、男性でも。己の意志など関係なく、妻子がいても関係なく、貴方に身を差し出す。貴方が伽を命じるというのは、そういうことです」

「そりゃ駄目だな。意志のない人形を抱くのはごめんだ」
「人形が御嫌なら、好きだと言って、お相手と恋人になるしかありません」

 堺は一般論を述べていた。
 上官に命令されたら、それが理不尽なものでも、ある程度は従わなければならない。
 ある程度、というのは。
 自害の強要や、土地財産を強奪するなど、犯罪まがいの極端なものは容赦される余地がある。
 でもそうでもなければ、基本、上官には従うべきなのだ。
 そう、堺は教わってきた。

 つまり青桐の言葉には、それ相応の責任や重みがあるということを伝えたかっただけなのだが。
「堺、好きだよ。俺の恋人になって」
 ほんの、拳ひとつ分しか離れていない距離でそんなことを言われ。堺は驚いてしまった。

「なんで驚くんだ? 昨日、想いを確かめ合ったと思っていたのに」
「恋人なんて。貴方は将堂の方で、私は龍鬼なのに…ん」
 言葉をさえぎるように、唇を塞がれた。
 昨日の、あの、深くて、ぬるぬるのキスをされるのかと思って、堺は身構えたが。
 すぐに熱い唇は離れていった。

「俺が堺を好きで、堺も俺に恋をしているんだから。恋人で良いだろう? それとも伴侶の名乗りをあげてしまおうか?」
「いけませ…ん」
 否定の言葉は、また青桐の口の中に吸い込まれてしまった。
 今度は舌が口の中に侵入してきて。

 あの、ぬるぬるされるやつだ。あれは、駄目、なのに…。

 青桐の舌が堺の舌をくすぐる。その感触に、背中がぞわぞわした。
 腰が落ち着かない感じになって、体の力が抜けて。なにもかも熱くなって。
 すがるように、堺の顔に添えられている青桐の手を握る。
 すると、彼は唇を離してくれた。

「じゃあ恋人で良いな? うなずいて」
 伴侶の名乗りをあげてしまったら、記録に残ってしまう。もしも本当の記憶を取り戻したときに、記憶を奪った化け物と結婚していたと知ったら。青桐は絶望し、己を憎悪するだろう。

 それよりは恋人の方がいいと思って。堺はうなずいた。

 恋人関係は、いつでも解消できるし。
 将堂家の方にとがめられても、自分だけが処分されればいい。
 でも。
「気になることが、あるのですが。キスは大丈夫だと紫輝が言っていたようですが。この、あれは。その、口の中を、な、舐めてはいけませんっ。いけないと思、います。龍鬼は、汚いのです」

 汚い、醜いと、怒鳴られたことを思い出し、堺は目を潤ませる。
 己は、汚い生き物なのに。
 青桐が龍鬼によって汚染されてしまったら、どうしよう?
 キスや情交は大丈夫と、紫輝は言うが。
 唾液が口の中に入っても、大丈夫なのだろうか?
 してしまったから、遅いけど。駄目だったら、どうしよう?
 不安が堺の胸に押し寄せていた。

「堺は汚くないよ。龍鬼も汚くない。俺と堺は、なにも変わらない」
 青桐は熱い眼差しで見下ろし、堺の唇を親指で優しく拭う。

「恋人のキスは、こうして舌を絡めて、互いの結びつきを強くするもの。キスは龍鬼でも大丈夫。だから深いくちづけも、もちろん大丈夫だ。なにも恐れることはない」

 大丈夫? 本当に? なら、良かったが。

 だけど他にも、堺には心配事があって。
 そっちの方も深刻だった。
「でも、あの…この、くすぐるキスをされると。あの…夢を見て。その…そ、粗相を…」

「夢を見て、粗相? あぁ、夢精のことか?」
「ご存知なのですか? アレが、なにか?」
 堺は食いついた。十五を過ぎた頃から、ときどきそうなることがあって。
 でも誰にも相談できずに、困っていたのだ。
 特に体に異常がないので、病気ではないと思っていたのだが。
 もしかしたら龍鬼特有のなにかなのじゃないかと、考えていたのだ。

 しかし状況が状況なので。
 もちろん、紫輝にも高槻にも言えないでいた。

 ただ年に一回、あるかないかのものが。青桐にキスされる夢を見るようになって何回か続いていて。
 どうしようかと思っていたところなのだ。

「ご存知、というか。男なら誰でもなるものだ。でももしかして、堺は夢精がなにか知らない?」
「男なら誰でも? 龍鬼特有のものではないのですか?」
「…知らないんだな? これは龍鬼特有なんかじゃない。精液は、子種だからな」
 こだね…と、堺は首を傾げて青桐を見る。

 彼は、丁寧に教えてくれた。
 男女が睦み合うことで、子供ができるのだということを。
 精液が女性の体に入ることで、受精し、子供を授かる。
 男性は性的刺激を受けると精液を作り出す。夢精は、作り出した精液を体が排出する、ごく自然なもの。
 それは男性の体の仕組みであって、なにもおかしなことではないということを。

「堺は、伽や情交といったことは知っていても、それが子供を作るものだということは知らなかったんだな?」
「それは、愛し合う行為なのだと。愛情表現なのだと思っていました。でも龍鬼は子供を作れないはず。なのにどうして、私に子種があるのでしょう?」

「なんで龍鬼が子供を作れないと、思い込んでいるんだ?」
「龍鬼が子供を成したという事例がないのです。だから、てっきり…」

 歴代の、龍鬼として名が残っている者は、みんな一代限りだった。
 だから龍鬼の子供、龍鬼の子孫、などという者も存在していない。
 堺はそれが、龍鬼だからなのだと思っていたのだ。

「堺に子種があるのは、龍鬼でも子供を作っていいのだと、神様がそのように体を作ったからだと、俺は思うのだが。だから龍鬼も俺も、なにも変わらぬ同じ人間ということなのだと俺は思うが?」

 そういうものなのかと、堺は思う。
 ずっと謎に思っていた事柄が晴れて、堺は安心感に包まれた。
 性的なことは、書物などを読めばたまに出てくることだが、体の生理については全く知らなかったし、誰も教えてくれなかった。
 紫輝に聞いたら教えてくれただろうけど。
 一度は恋をしたと思っていた人物に、こういうことを聞くのはやはり恥ずかしい。

 もちろん青桐に聞くのも充分に恥ずかしいことなのだが。
 青桐は丁寧に的確に教えてくれるから、どちらかというと医者に相談しているような感覚だった。
 己の知らないことを教えてくれる先生、のような。

「青桐様は博識なのですね? いろいろ教えてくださり、ありがとうございます。これからも私がわからないことを教えてくださいますか?」
 たずねると、青桐はなんとなく苦笑して。

 額にチュッと音の鳴るキスをした。

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