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番外 准将、将堂青桐 1

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     ◆准将、将堂青桐

 生まれたときから、己の命は己のものではなかった。

 青桐の元の名前は、あおいという。
 長野の山奥で、爺さんに育てられた。が、それが本当に実の祖父であるかはわからない。
 だが。白い模様のある黒い大翼だから、血のつながりはあるのだろう。

 葵が物心ついたときには、木を積んだ籠を体の前でぶら下げ。山の下に降りて、薪を売っていた。
 きこりである。
 だが、会う人物はひとりだけなのだ。
 爺さんは人目につくのを嫌がり、葵にもそれを強制した。
 この大翼を人に見せてはいけないと言われて、葵は育ったのだ。

 薪は、そのひとりの人物が乗ってくる馬車に全部積む。あとはお任せ。委託販売というやつだ。
 その仕事以外では、葵は爺さんに読み書きを習い。剣道をさせられ。生活を律して、暮らしていた。
 きこりに、剣道は必要なのか?
 疑問に思いながらも、育ててくれる爺さんに意見を言うこともない。

 だって、爺さんは言うのだ。
 おまえは、おまえであっておまえではない。
 なんの呪文であろう。

 十八歳のとき、爺さんは亡くなったのだが。
 死の間際。少し、葵に教えてくれた。

「おまえは、ある家の息子。しかしその家には、すでにもうひとりのおまえがいる。葵よ。もしも声がかかったら、その彼を助けてやりなさい。だが二十二まで声がかからなかったら。ここから旅立ち、好きに生きなさい」

 よくは、わからなかった。
 あの世に旅立つ前に、全部教えてくれても良くね?
 だが、おそらく。誰かの影武者をするために自分は生かされていたのだと、葵は解釈した。

 見も知らぬ誰かのために、なにかをしなければならないなんて、理不尽…とは思わなかった。
 葵は、きこりをして。書物を読んで。体を鍛えて。そんな規則正しい生活が気に入っている。
 特に、なんの不満もないのだが。
 代り映えのしない生活でもある。

 誰かが別の生活、別の生き方を提示してくれるのなら。それに乗っかってみてもいい。
 ワクワクするのか。苦しいばかりなのか。
 それは、やってみなければわからないではないか。

 まぁそうは思っても、一向に声などかからなかったが。

 爺さんが死んでからも、薪を買い上げていく商人は変わらずに来てくれたから、生活に不自由はない。
 誰かが、なにかを頼みに来るかもしれない。そんなそわそわした気分は常にあったものの。
 なんだかんだで、二十一になった。

 あと一年、なにもなければ。爺さんの言うように、ここを巣立つ。
 もしくは、このまま生活を維持する。
 そこで葵は、首を傾げる。
 誰も来なければ、生活自体はなにも変わらないな。
 でも、それならそれで構わない葵だった。

 しかし、そのときは唐突に訪れたのだ。

 冬場に薪はよく売れるので、夏場に切り出してよく乾燥させた薪を籠に積み、山の下へ売りに行く用意をしていた。
 そのとき、見知らぬ気配を感じて。
 葵は、振り返りざまに薪を投げつける。
 木は男のひとりに綺麗に命中するが、もうひとりは剣を構えて突進してきた。

 葵は、剣道をかじってはいたが、真剣を持っていない。
 苦戦するかと思ったが。大きな翼で宙に浮き、剣の代わりに長めの薪を持って男に向かった。
 上からの攻撃に虚をつかれた相手は、なんの手応えもなく。木の棒で殴り倒されたのだ。
 なんだったのだ?

 ホッと息をつき。葵は、男たちが何者なのか調べようとする。
 しかし、家の陰にもうひとり隠れていて、そいつに頭を思いっきり殴られた。
 綺麗な着物を身につけた、細い目の男。

 くそっ。油断した。

     ★★★★★

 目を覚ますと。見知らぬ部屋にいた。
 天井が大きくて、ひと目で己が住んでいた山小屋ではないことがわかった。
 そして、かたわらに。誰かの気配がある。
 自分を襲ったやつらかと思ったが。

 そこにいたのは。白髪の、超美人だった。
 思わず息をのんで、見てしまう。

 爺さんに、本を読めば大概のことは書かれていると言われていたので。葵は読書が好きだ。
 物語も、郷土資料も、歴史も、医学も、いろいろ見てきたが。
 本の中に書かれていた、雪で作られた彫像。そこにいる人はそんな感じだった。
 表情がなく、体温も感じられないような…まんま人形なのか? 生きているように見えなくて。
 声をかけるのに、躊躇した。

 人形というのは、人が作り出すものだけれど。
 目の前のその人は、まるで人ではないみたいで。
 どちらかと言うと、神様が作り上げた者。もしくは神や天使そのもの。
 神々しさと高潔さを、肌で感じた。

 あぁ、そうだ。はっきり言おう。
 一目惚れしたんだ。

 葵が出会った人数は、少ない。でも爺さんが死んだあとは、山を降りて買い物をしに行ったりもしたので。全く人と関わっていないわけではない。
 要は、翼を見られなければいいわけだから。マントを着れば、どこへでも行けたのだ。
 それに、森にあるものだけで自給自足するには、圧倒的に野菜が足りない。
 体作りのためには、食の均衡を取らなければならないのだ。

 まぁ、それはともかく。
 つまり、今まで出会ったどの人物よりも、目の前の人は美しいということだ。
 神が作り出したものだからか、いまだに男女の区別もつかない。

 己は、人生を。見知らぬ誰かに捧げるつもりだった…。
 この人に出会うまでは。

 鼻筋がスッと通っていて、くっきりとした形の良い目元。白髪と同じ、透き通った白いまつ毛が、時折まばたきするので。それだけが、生きている証のように見えた。
 薄青の瞳は、泉の水面のよう。
 白皙はくせきの顔に、薄い唇がかすかに色づき。
 顎の線は細いけれど、頬にはかすかな丸みがあって痩せぎすではない。

 いつまで見ていても、飽きない。

 葵がジッと見ていたら、その人が懐に手を入れた。
 あ、動いた。人形じゃないと確信したら、つい声を出してしまった。
「貴方は、誰ですか?」

 声をかけたら、その人はようやく葵が目を覚ましていることに気づいたようで。伏し目がちの白いまつ毛が動き、瞳が葵のことを認めた。
 目が合った。
 生気を感じられる、その青い瞳はとにかく美しかった。

 これは、本当に神様かもしれない。
 怖がらせたら、消えてしまうんじゃないだろうか? そう思って。葵は優しく笑いかけた。

「お、お目覚めですか?」
 しゃべった。普通に、言葉を。
 でも、声は男性だった。
 耳を包み込むような心地よさがあるけれど、低めの声。だが、いつまでも聞いていたくなるような、穏やかで、柔らかい…。
 やっぱり神様かも。人の声で、これほど魅了されたことはない。
 他の人の声は、ただの声だった。

「あぁ、俺。誰かに殴られたんだっけ? 集めた焚き木はどうしたかな…」
 身を起こしながら、葵は痛い頭を手でさすった。
 緊張して、どうでもいいことを話してしまう。
 買い物などのやり取り以外で、人とちゃんとした会話をするのは、爺さん以来だ。

「貴方が俺を助けてくれたんですか? ありがとうございます」
 礼を言ったのに、ちょっと悲しそうにまつ毛が揺れる。
 なんで?
 それに、もっと彼の声が聞きたい。

 葵は書物で、女性とはもちろん、男性とも結婚できることを知っているので。性別に関して引っかかることはなかった。
 それに、身を隠して生きてきた環境から、積極的に子孫を残そうとする意識も薄い。

 よくわからないが、子供を山の中で隠して育てなければならないのなら、可哀想じゃないか。
 決めつけかもしれないが、普通の子供は友達と外で駆け回って遊ぶという印象がある。
 自分はそういう性質ではなかったので。村で遊ぶ子供たちを、うらやましいと思ったことはないのだが。
 ま、一般論として、だ。
 絶対、子供を作りたくないとか。逆に子供が欲しいとか。そういうこだわりが、己にはないということ。

 っていうか、そんなことより。
 今は、目の前の一大事だ。
 彼が欲しい。彼を悲しませたくない。彼のことで頭がいっぱいだ。

「貴方の名前を、教えてもらえませんか?」
 もしかして、やっぱり神様かも。
 だって、あまりにも綺麗すぎるし。
 さっきから黙っているけれど、言葉、通じているのかな?
 いや、お目覚めですかと言ったから、通じているはずだ。
 でも、とにかく。
 葵は彼がこの場に存在している人間なのか、確かめたかった。

「すみませんでした、名乗りもせず。私は、時雨堺と申します」
 小さく頭を下げる。
 動いた。しゃべった。
 人間だとわかって、葵はすっごく嬉しくなって、思わず笑みを浮かべる。
 いやいや、ここは喜んでいる場合ではない。
 ここは即断、即決、すみやかに決着をつけよう。早い者勝ちだ。
 まぁ、こんなに美しい人が、独り身である可能性は、極めて低いけれど。

 だって、こんなにも綺麗なのだ。
 だが、まずは動かなければ始まらないだろう? 当たって砕けろ。ダメ元。どんと来いっ。

 表情を引き締め、葵は思いきった。
「時雨さん、あの、不躾ですけど…」
 その場に正座をして、葵は堺と向かい合うと。背筋をピシリと伸ばしたまま、直球で告げた。

「貴方のような美しい人を見るのは、初めてです。どうか、俺と結婚してくれませんか?」
 初対面でいきなり求婚されたら、そりゃ、誰だって驚くよ。
 堺もそのようだった。
 自分でも、驚いているのだ。
 でも。早く。
 ここで決めなければ。
 彼には手が届かなくなる。そんな予感がした。

 鶴の恩返しの物語のように。
 主人公の失敗により、鶴が飛び去ってしまう。そんなことにはしない。
 己は失敗しない。ここは逃がせない。そう思ったのだ。

 己の人生は、誰かのもの。そう思って、生きてきた。
 なにも欲しがらず。なに色にも染まらず。ただ日々を過ごす。それでいいと思っていたけれど。

 このとき初めて、葵は自らの気持ちで、想いで、これが欲しいと手を伸ばしたのだ。

 しかし…驚いていた堺が、突然涙をこぼしたから。葵はマジで慌てた。
 人が泣くのを、見たのも初めてだった。
 その涙は、氷の彫像からこぼれ落ちる結晶のように美しく。つい見惚れてしまうが…。
 な、慰めなくては。

「え、そんな…泣くほど嫌でしたか? まぁ確かに、俺はきこりで貧乏かもしれませんが。必ず幸せにします」
 堺は涙を上品な仕草で拭い、そして葵に目を合わせた。
 う、涙でウルウルキラキラの破壊力が。

「はい。貧乏でも構いません。私は貴方と一緒になります」
 彼がどんな気持ちで、その言葉を述べたのか。
 そのときは考えず。
 葵は、ただただ嬉しかった。
 え? ホント? マジで?
 だって、ダメ元だったのだ。一緒になるって、言った。

 確かに、言ったっ!

「ほ、本当に? やった。こんな綺麗な人と結婚できるなんて、夢みたいだ」
「貴方が望むのなら、私は一生貴方のそばにいます」
 膝の上に軽く置いていた手を、堺に握られた。
 ひえっ、冷たい。
 ひんやりとして、しっとりとした、柔らかさ。
 人と触れ合うのも、葵は初めてだった。

 爺さんは、子供をベタベタに甘やかす性質ではなかった。
 赤子の頃は、さすがに抱いただろうが。
 葵が物心ついたついたときには、すでに一定の距離感があって。
 葵も、抱っこを要求するような、甘えた子供ではなかったのだ。
 かといって、愛情を感じなかったわけではない。
 爺さんなりに、大切に育ててくれたと思う。それに接触が多ければ、愛情深いということもないだろう。

 いや、爺さんの話は、どうでもよくて。
 触れた手の感触が、とても気持ちが良かったのだ。
 人肌、というには冷たいが。触れたというだけで、心も近寄ったような。そんな感じ。

「嬉しいな。時雨さん、俺、きっと貴方を幸せにしてみせますからね」
 貧乏なんて、させないよ。
 いっぱい稼いで、貴方を幸せにする。満足させる。
 だから、そばにいてください。

 そう思っていたら、堺の顔が近づいてきた。
 これは…。物語でよく見かける、あのくちづけですか?
 本当に? もう? そんな急展開、あり?
 なんて、ひとりでアワアワしていたら。

 頭の中で、なにかがバチンと弾けて。暗転した。

 頭を殴られた以上の、強い衝撃。
「貴方の笑顔も言葉も、生涯、私の記憶に留めます。貴方の代わりに。結婚はできませんが。嘘ではない。私の一生は貴方のものです」

 薄れていく意識の中で、彼の声を聞いた。
 やっぱりな。
 こんなうまい話、そうそうないよ。

 冷静な自分が、浮かれ上がった己にツッコミを入れる。
 全くだ。
 でも。堺の『私の一生は、貴方のものです』その言葉は。
 強く。深く。己の中に刻まれたのだ。

     ★★★★★

 葵は、爺さんに剣道を仕込まれたわけだが。
 精神を鍛える技も同時に教わった。
 どちらかというと、そちらの方に重きを置いていたような気がする。
 精神鍛錬、瞑想、無心。
 どのような事態になっても動じない、強い信念。などというものか。

 爺さんいわく、心の軸がしっかり一本通っていれば大抵のことはなんとかなる。
 たとえば、火もまた涼し、とか。猛者の剣筋がゆっくり見える、とか。
 本当かよ。

 その教えの中で、ひとつ、特殊に思えるものがあった。
 龍鬼対策である。

「草木を操る、奇抜な戦略を練る、空を飛ぶ、などの物理攻撃が有効な龍鬼には。剣術を極めることで対処できるだろう。だが、精神を操る龍鬼だけは、己の力ではどうにもならない。己の意志とは違うことをさせられるのだからな。ならば。心を鍛えるしかないだろう」
 きこりの自分が、龍鬼と戦う日なんて来ないんじゃね? と思いはするが。
 なにかの役に立つ日が来ないとも限らないから、そのまま爺さんの言うとおりに鍛錬した。

     ★★★★★

 ハッと、意識は急に浮上した。
 だが、頭はぼんやりとして。霞がかっている。

 なんか、思考がうまく働かない。

 そうだ。こんなときは。額をグルグルするといい。
 人差し指を、額の上でグルグル回す。
 誰がそう言ったのかも。なんで、それがいいのかもわからないままに、ぐるぐるぐるぐる…。
 そのうちなにかが引っかかったような感じがして、そこを重点的に引っ掻いたら。

 頭の中で、蕾が花を咲かせるかのように、ブワッとなにかが開いた。

 それはもう、見事に。鮮明に。頭がすっきりしたのだ。
「爺さん、すげぇ」
 思わずつぶやいて、息をのむ。
 頭がぼんやりしていたとき、爺さんのことも自分のことも忘れていた。

「これが、龍鬼の精神操作」
 そうしたら、堺のことも思い出し。葵は寝たまま、辺りを見回した。
 部屋には、誰もいない。
 部屋は、先ほどと同じ部屋だ。
 そんなに時間は経っていない、と思うのだが。
 とりあえず、精神操作を解除した場面を見られず。ホッとした。

 爺さんは、頭がぼんやりして考えがまとまらないときは記憶をいじられている可能性があると言った。
「なにかを忘れるとか。過去を思い出せないとか。そんなときには額に手を当て、紐をほどく想像をする。精神を操る龍鬼は、記憶を縛ると言われている」

 そうは言っても、記憶を失ったら爺さんの忠告すら思い出せなくなる。
 だから、頭がぼんやりしたら額をグルグル。その言葉だけをひたすら繰り返し。体の本能部分に刷り込んでおいたのだ。

「…本当に、縛られていたんだな。堺が精神を操る龍鬼、なのか?」
 葵はひたすら、堺の顔だけ見ていたから、翼がないことには気づかなかった。
 でも、そういえばなかったかも。

 龍鬼というものがどういうものか、葵は文献で読んで、知っている。
 人知の及ばぬ能力を持つ、と。
 確かに、記憶を縛って言いなりにするなんてことが出来るなら、末恐ろしい能力だけれど。

 でも、葵は聞いていた。意識が遠のく前の、彼の言葉。

 私の一生は、貴方のものです。

 言いなりにできるのに、なぜそのように苦しげな声で己を差し出すことまでするのか?
 きっと。堺のせいではないのだ。
 堺が望んだことではないのだ。

 初対面の、己の求婚を受けたのも。
 こうして記憶を消す前だったから、受けた。
 せめて己の望みを叶えようと思ったのか。
 それともどうせ忘れるのだから、なにを言ってもいいと思ったのか。

 どっちでもいい。
 結婚してと言って、うなずいたのだから。彼にはそのようにしてもらう。
 どのみち堺の一生は、己のものなのだ。

 ただ、記憶を縛られるのはもう勘弁だった。
 次もうまいこと術を外せるとは限らない。
「さて。堺をがっちり手に入れるにはどうしたらいいかな?」

 布団の上で身を起こした葵は、鮮明な頭で深く思案する。
 声がかかったら、もうひとりの自分に手を貸す。この一件は、その声がかりなのだろう。
 それは、いいよ。なにをするのかはまだわからないが。己の体はくれてやる。

 ただ。堺はもらい受ける。

 初めて欲しいと思った、美しい人。
 鶴の恩返しのように、飛び立って逃げたくなるかもしれないけれど。
 翼がないから、逃げられないね?

 まぁ、逃がすつもりはないけれど。

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