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52 みつけちゃった。
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◆みつけちゃった。
紫輝は堺に、伝えるべきことを伝えることができ。今回の仕事的なことは、完了。ホッとしていた。
アドリブ、臨機応変を心掛けなくてはならなかったから、すっごく気をつかった。
でも、なんとか。いい具合に切り抜けたかな?
部屋を出て、紫輝は堺とともに青桐がいる道場に向かっていた。
夕食ができたということで、それを知らせに行くためだ。
すると廊下の前の方、ふたりの後ろ姿が見える。
ひとりは、高身長に薄茶の三つ編み、枯葉色の大翼の幸直で。
もうひとりは、黒い翼の青年だった。
綺麗な頭の丸みがわかる、黒髪の短髪は。艶やかでしっとりとしている。身長は、肩を並べる幸直より、頭半分低いくらい。細身ですらりとした体つき。
だが。特徴的なのは、その翼だった。
翼の真ん中辺りから、折れて無くなっている。
翼を人間の手に例えるなら、肘の辺りから失っているような状態だ。
さらに、羽はムシられてボロボロ。
でも、あの黒い翼は…。
「痛々しい…」
悲しげに、紫輝はつぶやいた。
「お、紫輝。探していたんだよ」
背後にいた紫輝たちの気配に気づき、幸直と青年が振り向いた。
青年は柔和な雰囲気で、目は大きすぎず小さすぎず、派手でも地味でもない、ベストバランス。
可愛い系の和風美人だった。
「彼、里中巴って言うんだ。幹部では、巴だけ会っていないだろう? 紹介しようと思って。俺と同じ参謀だ。彼は優しくて頭もいいから、きっと紫輝のいい友達になるよ」
幸直が隣にいた彼を紹介し。彼、巴は。静かで優しげな微笑みを浮かべる。
「里中巴です。今回の件の協力者だと聞きました。これからよろしくお願いします」
「…右、第五大隊副長、間宮紫輝です」
いつもの挨拶を言いながら、紫輝は涙をひとつこぼしてしまった。
「ごめん、貴方の翼を見てしまって。俺が泣いたら駄目なのに。つらいのは、貴方なのに。その羽に、貴方の苦しみがすべて現れているから…」
涙を拭いていると、心配した堺が肩に触れて慰めてくれた。
でも、驚いて。手を引っ込めてしまう。
ヤバい、あんまり強く思っていたから。堺に気づかれてしまった。
「待って、待って。ちょっと頭冷やしてくる。幸直、里中様、夕食のときにまた挨拶させてください」
紫輝は堺の手を引っ張って、道場の方へと小走りに向かった。
きょとんとしていた、彼らの顔。
ごめーん。あまりにも衝撃的だったから、なにも演技できなかった。
業務終了って思って、超、気を抜いていた。失敗した。
「紫輝…大丈夫ですか?」
彼らの姿が見えなくなって、道場の入り口、ちょっと奥まったところにおさまったとき。堺が困惑して、聞いてくる。
大丈夫じゃないよ。堺には、バレてしまったはずだ。
「本当なのですか? 彼は…カラスだと聞いていましたが」
涙と息を整えて、紫輝は堺に視線を合わせる。
懐に手を入れて、いつも肌身離さず持っている天誠の風切り羽を見せた。
黒く、艶やかで、角度によって天使の輪のような光が移動する。三十センチほどもある、大きな羽だ。
「翼が、途中で折れているから、カラスと言えば、そう見えるだろう。でも俺は、天誠の羽を間近で見ていた。翼の軸が、太くて立派。ハクトウワシとカラスの掛け合わせから生まれる、堂々とした漆黒の大翼。彼の翼は。その羽の色やたたずまいは、天誠の翼と同じに見えた。でも、それは手裏家の者、特有。つまり…彼が本物の手裏基成だ」
以前、紫輝の心を読んだ堺は。天誠が翼を手に入れた経緯を知っている。
天誠で、安曇で、現在の手裏基成であることも。
紫輝は巴を目にし、手裏基成をみつけちゃった驚愕で、心を取り繕えなくて。
頭の中が、それ一色になっていて。
堺に触れられたときに、そのことも悟られてしまった。
「手裏家の者しか持っていない大翼を、誰かに見られたら。生きていけないだろう? 手裏領内では、お尋ね者。将堂でも、処刑対象だ。だから翼を折って、大きな羽をムシって、カラスのフリをするしかなかったんだ」
折れて失った部分から、風切り羽は生えるので。紫輝が手に持っているような羽は、彼にはない。
だが、たまには、大きめな羽が生えてくるのだろう。それをムシって。翼をボロボロにして。
身を守るために、彼はそうしなければならなかったのだ。
それを思うと、あまりにも痛々しくて。
両手で顔を覆った。涙が止まらない。
「俺は、彼の仇だよ。彼の家族を殺し。彼をここまで追い込んだ」
「それは…紫輝のせいでは…」
堺は慰めてくれるが。その言葉には甘えられない。
確かに、紫輝が直接手を下したわけでもなく。紫輝が、この世界に来る前の話でもある。
でも。そうではないのだ。
「天誠のしたことは、俺のしたことだ。天誠が、生きるためにこの世界でしてきたことは。全部…」
言葉を口にしたことで、紫輝は少し気持ちを整理できた。
この頃は、幸せを噛みしめる日々が続いていて。終戦に向かって行くことは良いことだと。善行をしているような気分だった。
でも、紫輝と天誠とライラは、この世界の異物だ。
自分たちが、理を歪め。存在していることで。なにかしらが、歪む。
それで苦しむ人も。確かにいるのだ。
巴のように。
己が存在することが悪、そう思いたくはないし。だから己たちを消し去ろう、とは思わない。
それがエゴだというのなら、そうなのだろう。
自分を否定したら、世界が終わってしまうから。
顔を覆っていた、手を離し。
涙も止めて。大きく息をついた。
「起きてしまったことを、なかったことにはできないね。だったらできる限りに、今の彼を幸せにしてあげなきゃ。俺ができるのは、それだけだ」
天誠の羽を懐の奥にしまい込んで、紫輝はつぶやく。
非情かもしれないけれど。元に戻すことが出来ない以上、そうするしかないのだ。
「紫輝。手裏家のお家騒動は、安曇が…天誠が画策したのではない。彼には得がないから。でしたら、計画の一員だったのでしょう。一員というのなら、我らも将堂の一員であり。戦によって悲しむことになったすべての人たちに、関わりがあるのです。手裏の騒動も、戦の一環だとするのなら。紫輝が終戦に向けて動くことは、その償いと言えるのではないですか?」
堺に言われ、紫輝は深くうなずく。
天誠は、あまりその日のことを話さないが、おそらく手裏家の者を手にかけたのだろう。
自分たちのせいで、巴は人生を狂わされたと言えるのかもしれないが。
天誠が存在しなくても、この事件は起きたかもしれないものなのだ。
手裏の一件も、それが戦に絡んだ事柄なのは、明白である。
戦によって苦しんでいる人々は、巴の他にも、この世界にはいっぱいいる。
紫輝の近くにも。
戦災孤児だった大和や、屋敷の働き手の人たち。暗殺者として仕込まれ、長く苦しんできた千夜も。戦で人生が狂わされたと言っても過言ではない。
戦が、すべて悪いので。己は悪くない…などとは言えない。
無論、責任はあるだろうが。
この世で起きているすべてのことが自分のせいだというのは、だいぶ、おこがましいことだとも思う。
「じゃあ、やっぱり。戦を終わらせないとね?」
ともかく、戦が駄目なのはそのとおりなので。そこへ向かって行く。
そう気持ちを切り替え、紫輝が堺に笑みを向けると。安堵したように、堺も笑った。
「おい、そこにいるのに、なんでいつまでも呼びに来ないんだ?」
ガラリと道場の引き戸が開いて、青桐が顔を出した。
「青桐、早くしろよ。夕食が冷めるだろ?」
「なんで俺のせい? ふっざけんな」
青桐は、紫輝の頭をぐしゃぐしゃ手でかき回して、怒りを示す。
ハハッと笑い。紫輝はふたりとともに、食事が用意されている居間へと向かった。
それにしても…天誠と巴は、全く似ていない。よく入れ替われたな? と。紫輝は首を傾げるのだった。
★★★★★
居間には、大きな囲炉裏があり。そこを囲んで、人数分の膳が用意されていた。
席に着く前に、紫輝は巴の元へ行く。
先ほどの詫びをしなければならない。
「里中様。先ほどは、不躾で申し訳ありませんでした」
すでに膳の前に座っている巴の斜め後ろに膝をつき、紫輝は軽く頭を下げた。
「いや。僕の醜い翼を見てびっくりしたのでしょう? 気にしないで。今はもう痛くないんだよ」
振り返った巴は、片手を横に振って、やんわり微笑んでくれる。
優しいです。
「それに、僕のことは巴と呼んでください。僕は幸直みたいに家柄が良いわけでもないから、様づけで呼ばれるのに慣れていなくて。こんななりでも、叩き上げなんだよ?」
細身で華奢、そんな体つきを、彼自身気にしているのかもしれない。
わかります。この世界の人たち、でっかくて、いかつくて、分厚いガタイが多いから。
でも、力がすべてじゃないってことですね?
うんうんと、紫輝は胸のうちで深くうなずいて同意するのだった。
「わぁ、お強いんですね?」
「君には負けるよ。半年で幹部入りなんて、きっと最速記録だ」
「いえ、まだ決まったわけでは…」
幸直に言ったことが、広まっているみたいだ。
もう、バラすの早いって。
「金蓮様が言うことなら、決まったも同然だよ。すぐにも同僚になるんだから、堅苦しい敬語はなしだよ」
「じゃあ俺も紫輝って、呼び捨てでお願いします…よろしくな、巴」
「さっき、幸直が言ったように。良い友達になれそうだな、紫輝」
ふたりは、にっこり笑い合う。
でも、紫輝は。重い決意を胸に秘めていた。
巴を幸せにしたい。なにからも守って。穏やかに暮らしていけるよう、サポートしたい。
…生きていて良かったと、思えるようにしたいと。
膳は、上座にひとつ。そこには青桐が座る。
青桐の右斜めに、堺が。その隣は瀬間。左斜めに紫輝。紫輝の隣は幸直。そして青桐の対面が巴だった。
紫輝が青桐の隣なのは、紫輝がまだお客さまだからだ。
もしも同僚になったら、紫輝は当然。今、巴が座っている席である。
それが序列というものなのだ。
そして、なんとなくしめやかに夕食が始まった。
瀬間は、月光喪失の余韻を引きずっているし。幸直は、赤穂の死を確信してしまい。
おそらく巴も、幸直の話を聞いているからだろう。
「みんなに相談がある。本拠地に戻ったあとのことだが…」
堺が切り出し、みんな箸を止めないながらも、彼に注目する。
「青桐様は、こちらの生活にはだいぶ慣れてきたようだが、軍内部での生活はこれからだし。教育も、まだ充分とは言えない。それで、しばらく青桐様の屋敷で幹部のみんなも生活をしたらどうかと、先ほど紫輝が提案してくれたのだ。青桐様も安心されると思うのだが、どうだろうか?」
青桐は、切れ長な目で紫輝を流し見る。
はい。青桐は、堺とふたりで暮らしたかったんだよね? わかっているとも。
でも。なかなか、そうはいかないんだよ、人生は。
と、紫輝は青桐の意を汲み。うなずいた。
「いいんじゃないか? 本拠地の屋敷は寝に帰るだけだし、この環境がそのまま本拠地に移るだけだと思えば、青桐様も緊張されずに、すみやかに新しい生活を始められるだろう」
まず幸直が同意し。巴も賛成だと言った。
「俺も、構わないのだが。不休だと一族の者がうるさいので、ひと月ごと順番に休みを取るのはどうだ?」
「そうだな。急な災禍で、みんなまだ冬期休暇が取れていなかったな。私はそれで構わない」
瀬間が補足し、堺は了承した。
一月は瀬間が休み、二月は幸直が休む。そんな具合だ。
「僕は家族がいないので、休みはいらないよ。屋敷での訓練や教育は、休みのようなものだしね」
「私も同様だ」
巴と堺は休暇を辞退し、みんなの視線が紫輝に向いた。
「え。俺? 俺はまだ、正式な幹部じゃないし。十二月が冬期休暇だった。明日、家に戻って年越ししたら、本拠地に戻って休暇は終了だ」
「間宮は家があるのか? 家族が?」
瀬間に聞かれ、紫輝はギョッとした。
身近な者には、紫輝の背景はだいぶバレている。
でもそれ以外の人には、身寄りナシ設定だった。
「バッカだな、瀬間。紫輝は結婚したって、さっき言っただろ?」
頭が真っ白になっていたところで、幸直が瀬間に言い。
ナイス切り返し、と思ったけど。
あれ、これ乗り切れるの?
「そうそう。結婚相手の家に決まってる」
紫輝がそう言えば、みんな、ふーん、という感じだった。
堺は、完全に相手を知っているし。
青桐にも、好きな人がいるみたいなことを言っておいたから。
なんとか。セーフ。だな。
「紫輝ぃ、年越しまで、ここにいればいいじゃん? 本拠地まで一緒に行こうぜ?」
誘いをかけてくる幸直に、紫輝は首を横に振る。
「駄目ぇ、帰るって言ってあるのに、帰らなかったら心配するだろ? 新婚さんの邪魔はしないでくださーい」
確かに日程的には、それでもいいタイミングなのだけど。
早く、廣伊に千夜を返してあげたいし。
初めての家族水入らずの年越しも、楽しみだから。
新郎である天誠がいないのは、悲しいけれど。
カウントダウンは、外で、ライラと天誠とするんだもんねぇ。この世界、秒針ないから、ざっくり時間だけど。
「では年明けは、そのように頼む。青桐様もよろしいですね?」
「あぁ、それでいい」
堺の確認に、青桐は若干不満そうだけど。それでもうなずいた。
駄々こねられなくて、良かったよ。
紫輝は堺に、伝えるべきことを伝えることができ。今回の仕事的なことは、完了。ホッとしていた。
アドリブ、臨機応変を心掛けなくてはならなかったから、すっごく気をつかった。
でも、なんとか。いい具合に切り抜けたかな?
部屋を出て、紫輝は堺とともに青桐がいる道場に向かっていた。
夕食ができたということで、それを知らせに行くためだ。
すると廊下の前の方、ふたりの後ろ姿が見える。
ひとりは、高身長に薄茶の三つ編み、枯葉色の大翼の幸直で。
もうひとりは、黒い翼の青年だった。
綺麗な頭の丸みがわかる、黒髪の短髪は。艶やかでしっとりとしている。身長は、肩を並べる幸直より、頭半分低いくらい。細身ですらりとした体つき。
だが。特徴的なのは、その翼だった。
翼の真ん中辺りから、折れて無くなっている。
翼を人間の手に例えるなら、肘の辺りから失っているような状態だ。
さらに、羽はムシられてボロボロ。
でも、あの黒い翼は…。
「痛々しい…」
悲しげに、紫輝はつぶやいた。
「お、紫輝。探していたんだよ」
背後にいた紫輝たちの気配に気づき、幸直と青年が振り向いた。
青年は柔和な雰囲気で、目は大きすぎず小さすぎず、派手でも地味でもない、ベストバランス。
可愛い系の和風美人だった。
「彼、里中巴って言うんだ。幹部では、巴だけ会っていないだろう? 紹介しようと思って。俺と同じ参謀だ。彼は優しくて頭もいいから、きっと紫輝のいい友達になるよ」
幸直が隣にいた彼を紹介し。彼、巴は。静かで優しげな微笑みを浮かべる。
「里中巴です。今回の件の協力者だと聞きました。これからよろしくお願いします」
「…右、第五大隊副長、間宮紫輝です」
いつもの挨拶を言いながら、紫輝は涙をひとつこぼしてしまった。
「ごめん、貴方の翼を見てしまって。俺が泣いたら駄目なのに。つらいのは、貴方なのに。その羽に、貴方の苦しみがすべて現れているから…」
涙を拭いていると、心配した堺が肩に触れて慰めてくれた。
でも、驚いて。手を引っ込めてしまう。
ヤバい、あんまり強く思っていたから。堺に気づかれてしまった。
「待って、待って。ちょっと頭冷やしてくる。幸直、里中様、夕食のときにまた挨拶させてください」
紫輝は堺の手を引っ張って、道場の方へと小走りに向かった。
きょとんとしていた、彼らの顔。
ごめーん。あまりにも衝撃的だったから、なにも演技できなかった。
業務終了って思って、超、気を抜いていた。失敗した。
「紫輝…大丈夫ですか?」
彼らの姿が見えなくなって、道場の入り口、ちょっと奥まったところにおさまったとき。堺が困惑して、聞いてくる。
大丈夫じゃないよ。堺には、バレてしまったはずだ。
「本当なのですか? 彼は…カラスだと聞いていましたが」
涙と息を整えて、紫輝は堺に視線を合わせる。
懐に手を入れて、いつも肌身離さず持っている天誠の風切り羽を見せた。
黒く、艶やかで、角度によって天使の輪のような光が移動する。三十センチほどもある、大きな羽だ。
「翼が、途中で折れているから、カラスと言えば、そう見えるだろう。でも俺は、天誠の羽を間近で見ていた。翼の軸が、太くて立派。ハクトウワシとカラスの掛け合わせから生まれる、堂々とした漆黒の大翼。彼の翼は。その羽の色やたたずまいは、天誠の翼と同じに見えた。でも、それは手裏家の者、特有。つまり…彼が本物の手裏基成だ」
以前、紫輝の心を読んだ堺は。天誠が翼を手に入れた経緯を知っている。
天誠で、安曇で、現在の手裏基成であることも。
紫輝は巴を目にし、手裏基成をみつけちゃった驚愕で、心を取り繕えなくて。
頭の中が、それ一色になっていて。
堺に触れられたときに、そのことも悟られてしまった。
「手裏家の者しか持っていない大翼を、誰かに見られたら。生きていけないだろう? 手裏領内では、お尋ね者。将堂でも、処刑対象だ。だから翼を折って、大きな羽をムシって、カラスのフリをするしかなかったんだ」
折れて失った部分から、風切り羽は生えるので。紫輝が手に持っているような羽は、彼にはない。
だが、たまには、大きめな羽が生えてくるのだろう。それをムシって。翼をボロボロにして。
身を守るために、彼はそうしなければならなかったのだ。
それを思うと、あまりにも痛々しくて。
両手で顔を覆った。涙が止まらない。
「俺は、彼の仇だよ。彼の家族を殺し。彼をここまで追い込んだ」
「それは…紫輝のせいでは…」
堺は慰めてくれるが。その言葉には甘えられない。
確かに、紫輝が直接手を下したわけでもなく。紫輝が、この世界に来る前の話でもある。
でも。そうではないのだ。
「天誠のしたことは、俺のしたことだ。天誠が、生きるためにこの世界でしてきたことは。全部…」
言葉を口にしたことで、紫輝は少し気持ちを整理できた。
この頃は、幸せを噛みしめる日々が続いていて。終戦に向かって行くことは良いことだと。善行をしているような気分だった。
でも、紫輝と天誠とライラは、この世界の異物だ。
自分たちが、理を歪め。存在していることで。なにかしらが、歪む。
それで苦しむ人も。確かにいるのだ。
巴のように。
己が存在することが悪、そう思いたくはないし。だから己たちを消し去ろう、とは思わない。
それがエゴだというのなら、そうなのだろう。
自分を否定したら、世界が終わってしまうから。
顔を覆っていた、手を離し。
涙も止めて。大きく息をついた。
「起きてしまったことを、なかったことにはできないね。だったらできる限りに、今の彼を幸せにしてあげなきゃ。俺ができるのは、それだけだ」
天誠の羽を懐の奥にしまい込んで、紫輝はつぶやく。
非情かもしれないけれど。元に戻すことが出来ない以上、そうするしかないのだ。
「紫輝。手裏家のお家騒動は、安曇が…天誠が画策したのではない。彼には得がないから。でしたら、計画の一員だったのでしょう。一員というのなら、我らも将堂の一員であり。戦によって悲しむことになったすべての人たちに、関わりがあるのです。手裏の騒動も、戦の一環だとするのなら。紫輝が終戦に向けて動くことは、その償いと言えるのではないですか?」
堺に言われ、紫輝は深くうなずく。
天誠は、あまりその日のことを話さないが、おそらく手裏家の者を手にかけたのだろう。
自分たちのせいで、巴は人生を狂わされたと言えるのかもしれないが。
天誠が存在しなくても、この事件は起きたかもしれないものなのだ。
手裏の一件も、それが戦に絡んだ事柄なのは、明白である。
戦によって苦しんでいる人々は、巴の他にも、この世界にはいっぱいいる。
紫輝の近くにも。
戦災孤児だった大和や、屋敷の働き手の人たち。暗殺者として仕込まれ、長く苦しんできた千夜も。戦で人生が狂わされたと言っても過言ではない。
戦が、すべて悪いので。己は悪くない…などとは言えない。
無論、責任はあるだろうが。
この世で起きているすべてのことが自分のせいだというのは、だいぶ、おこがましいことだとも思う。
「じゃあ、やっぱり。戦を終わらせないとね?」
ともかく、戦が駄目なのはそのとおりなので。そこへ向かって行く。
そう気持ちを切り替え、紫輝が堺に笑みを向けると。安堵したように、堺も笑った。
「おい、そこにいるのに、なんでいつまでも呼びに来ないんだ?」
ガラリと道場の引き戸が開いて、青桐が顔を出した。
「青桐、早くしろよ。夕食が冷めるだろ?」
「なんで俺のせい? ふっざけんな」
青桐は、紫輝の頭をぐしゃぐしゃ手でかき回して、怒りを示す。
ハハッと笑い。紫輝はふたりとともに、食事が用意されている居間へと向かった。
それにしても…天誠と巴は、全く似ていない。よく入れ替われたな? と。紫輝は首を傾げるのだった。
★★★★★
居間には、大きな囲炉裏があり。そこを囲んで、人数分の膳が用意されていた。
席に着く前に、紫輝は巴の元へ行く。
先ほどの詫びをしなければならない。
「里中様。先ほどは、不躾で申し訳ありませんでした」
すでに膳の前に座っている巴の斜め後ろに膝をつき、紫輝は軽く頭を下げた。
「いや。僕の醜い翼を見てびっくりしたのでしょう? 気にしないで。今はもう痛くないんだよ」
振り返った巴は、片手を横に振って、やんわり微笑んでくれる。
優しいです。
「それに、僕のことは巴と呼んでください。僕は幸直みたいに家柄が良いわけでもないから、様づけで呼ばれるのに慣れていなくて。こんななりでも、叩き上げなんだよ?」
細身で華奢、そんな体つきを、彼自身気にしているのかもしれない。
わかります。この世界の人たち、でっかくて、いかつくて、分厚いガタイが多いから。
でも、力がすべてじゃないってことですね?
うんうんと、紫輝は胸のうちで深くうなずいて同意するのだった。
「わぁ、お強いんですね?」
「君には負けるよ。半年で幹部入りなんて、きっと最速記録だ」
「いえ、まだ決まったわけでは…」
幸直に言ったことが、広まっているみたいだ。
もう、バラすの早いって。
「金蓮様が言うことなら、決まったも同然だよ。すぐにも同僚になるんだから、堅苦しい敬語はなしだよ」
「じゃあ俺も紫輝って、呼び捨てでお願いします…よろしくな、巴」
「さっき、幸直が言ったように。良い友達になれそうだな、紫輝」
ふたりは、にっこり笑い合う。
でも、紫輝は。重い決意を胸に秘めていた。
巴を幸せにしたい。なにからも守って。穏やかに暮らしていけるよう、サポートしたい。
…生きていて良かったと、思えるようにしたいと。
膳は、上座にひとつ。そこには青桐が座る。
青桐の右斜めに、堺が。その隣は瀬間。左斜めに紫輝。紫輝の隣は幸直。そして青桐の対面が巴だった。
紫輝が青桐の隣なのは、紫輝がまだお客さまだからだ。
もしも同僚になったら、紫輝は当然。今、巴が座っている席である。
それが序列というものなのだ。
そして、なんとなくしめやかに夕食が始まった。
瀬間は、月光喪失の余韻を引きずっているし。幸直は、赤穂の死を確信してしまい。
おそらく巴も、幸直の話を聞いているからだろう。
「みんなに相談がある。本拠地に戻ったあとのことだが…」
堺が切り出し、みんな箸を止めないながらも、彼に注目する。
「青桐様は、こちらの生活にはだいぶ慣れてきたようだが、軍内部での生活はこれからだし。教育も、まだ充分とは言えない。それで、しばらく青桐様の屋敷で幹部のみんなも生活をしたらどうかと、先ほど紫輝が提案してくれたのだ。青桐様も安心されると思うのだが、どうだろうか?」
青桐は、切れ長な目で紫輝を流し見る。
はい。青桐は、堺とふたりで暮らしたかったんだよね? わかっているとも。
でも。なかなか、そうはいかないんだよ、人生は。
と、紫輝は青桐の意を汲み。うなずいた。
「いいんじゃないか? 本拠地の屋敷は寝に帰るだけだし、この環境がそのまま本拠地に移るだけだと思えば、青桐様も緊張されずに、すみやかに新しい生活を始められるだろう」
まず幸直が同意し。巴も賛成だと言った。
「俺も、構わないのだが。不休だと一族の者がうるさいので、ひと月ごと順番に休みを取るのはどうだ?」
「そうだな。急な災禍で、みんなまだ冬期休暇が取れていなかったな。私はそれで構わない」
瀬間が補足し、堺は了承した。
一月は瀬間が休み、二月は幸直が休む。そんな具合だ。
「僕は家族がいないので、休みはいらないよ。屋敷での訓練や教育は、休みのようなものだしね」
「私も同様だ」
巴と堺は休暇を辞退し、みんなの視線が紫輝に向いた。
「え。俺? 俺はまだ、正式な幹部じゃないし。十二月が冬期休暇だった。明日、家に戻って年越ししたら、本拠地に戻って休暇は終了だ」
「間宮は家があるのか? 家族が?」
瀬間に聞かれ、紫輝はギョッとした。
身近な者には、紫輝の背景はだいぶバレている。
でもそれ以外の人には、身寄りナシ設定だった。
「バッカだな、瀬間。紫輝は結婚したって、さっき言っただろ?」
頭が真っ白になっていたところで、幸直が瀬間に言い。
ナイス切り返し、と思ったけど。
あれ、これ乗り切れるの?
「そうそう。結婚相手の家に決まってる」
紫輝がそう言えば、みんな、ふーん、という感じだった。
堺は、完全に相手を知っているし。
青桐にも、好きな人がいるみたいなことを言っておいたから。
なんとか。セーフ。だな。
「紫輝ぃ、年越しまで、ここにいればいいじゃん? 本拠地まで一緒に行こうぜ?」
誘いをかけてくる幸直に、紫輝は首を横に振る。
「駄目ぇ、帰るって言ってあるのに、帰らなかったら心配するだろ? 新婚さんの邪魔はしないでくださーい」
確かに日程的には、それでもいいタイミングなのだけど。
早く、廣伊に千夜を返してあげたいし。
初めての家族水入らずの年越しも、楽しみだから。
新郎である天誠がいないのは、悲しいけれど。
カウントダウンは、外で、ライラと天誠とするんだもんねぇ。この世界、秒針ないから、ざっくり時間だけど。
「では年明けは、そのように頼む。青桐様もよろしいですね?」
「あぁ、それでいい」
堺の確認に、青桐は若干不満そうだけど。それでもうなずいた。
駄々こねられなくて、良かったよ。
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あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
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田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
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