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50 俺を信じて、彼を信じて ①

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     ◆俺を信じて、彼を信じて

 青桐に堺の部屋へ案内してもらった紫輝は、引き戸を軽くノックする。
 堺の了承を得て、扉を開けた。
 小さな囲炉裏が部屋を暖めていて、板の間で堺が胡坐をかいている。
 紫輝のことを待っていたようだが、紫輝はなんとなく、堺に胡坐は似合わないと思った。
 かといって、板の間では正座だと痛いし。足を横に逃がす女の子座りも違うような気がする。

「堺、俺は夕飯まで道場で鍛錬しているから、ゆっくり話せよ。紫輝、またな」
 今まで青桐は、堺のそばから離れなかった。べったりだったと聞いていたのだが。
 紫輝と堺が話す機会をくれたのだろう。気が利くな?

「ありがとう、青桐」
 礼を言うと、青桐は軽く手を上げて去っていく。

 赤穂の髪型は、左の前髪を顎の下辺りまで垂らしていて、後ろ髪は三つ編みにしていた。なんかの行事のときに、結えて着飾るのに長髪が必要だったらしいけど。
 まぁ、そんな感じで。正面から見ると、短髪に見えなくもなかったのだ。

 でも青桐は、肩の辺りでざっくり切っている。
 前髪も、同じ長さだ。
 赤穂よりも短い髪なのだが、赤穂よりも長い髪に見える、不思議現象。

 赤穂と同じ顔だから、切れ長の目には、力強さと男の色気があって。片手で長い前髪をかき上げる姿とか。髪がひと房、頬や目元にかかる感じとか。ワイルドで艶っぽくて、すっごい良い。

 自分も、こんなふうになりたいな。
 紫輝にとって青桐は叔父にあたるので、ワンチャンあるんじゃね? って思っている。
 でも、天誠が。髪を伸ばそうとすると怒るし。

 だから今も、紫輝には猫耳跳ねがある。

 くっそう、自分もいつかワイルドダンディになってやるっ。
 紫輝は人知れず、心の中で拳を握った。

「わー、囲炉裏だ。あったかーい。堺、ライラ出してもいい?」
 紫輝は扉をしっかり閉めてから、ライラを出した。
 大きなライラは小さな部屋の大部分を取ってしまうが。今日は寒い中、ご苦労様だったから。ライラも温めてあげたかったのだ。

 それと誰かが聞き耳立ててたら、教えてくれるし。
 番犬ならぬ、番猫だ。

 剣が回ってライラが出てくると、彼女は足をピーンと伸ばすストレッチをして、大きなあくびをした。
「あらあら、しろくてきれいな子だわぁ。あたしの子ね」
 ライラは堺のそばに寄って、フンスフンスと匂いをかぐと、にっこり笑った。
 清い心根の人がライラは大好きなので、堺にも好感を持っているようだ。

「大丈夫でしょうか? 血の匂いとかしているんでしょうか?」
 ライラの言葉がわからない堺は、困り顔で紫輝にたずねる。
 美しいたたずまいながら、堺は赤穂に負けない闘将であり。その白い髪を、敵の返り血で赤く染めることも多いらしい。
 紫輝と初めて会った日も、血で汚れた体を泉で清めていたのだ。
 でも、今は休戦中だし、そんな匂いが残っているわけもない。

「大丈夫。白くて綺麗だから、あたしの子。なんて言っているよ?」
 当のライラは、すでに囲炉裏の火にあたってぬくぬくしている。
 のんきさんめっ。

「それはなんとも恐縮の至り。光栄です、ライラさん。それに紫輝は青桐様ともずいぶん仲良くなったのですね? 彼は私以外になかなか心を開かなくて。幸直が気さくに声掛けしても愛想笑い程度だったのです。いったいどんな魔法を使ったのですか?」
 ライラが囲炉裏の二辺分を取ったので、紫輝は堺の斜め隣に腰かける。
 そこで堺に聞かれた。

 魔法って単語、残っているんだ?
 ま、龍鬼の能力も魔法みたいなものだし。
 一見、出来なさそうなことが出来たときにも使えるから、残ったんだな、きっと。
 なんて、紫輝の思考は横道にそれた。戻そう。

「青桐は、記憶がなくて不安定なんだろ? だから俺は敵じゃないと示しただけ。一度は噛みつかれても、敵意が感じられなければ、離れてくれるものだ」
「…そういうものなのですか?」
 楚々とした感じで堺が首を傾げる。
 この、はんなりした感じが心地いいんだよねぇ。

「いや。ライラなんか、噛みついて猫キックして、なにしても離さないときあったけど。ガブゥ…って」
 某有名アニメで、野生動物に噛みつかせて『怖くない』って教えて和解するやつあるけど。
 アレ、嘘だよね?
 猫飼いならみんな、そう思っているはず。
 テンション上がった猫には、なにを言っても無駄。猫飼いあるある。

「ライラさんが、ガブゥなんて。紫輝が死んでしまいます」
 この上なく、堺の顔が青くなった。
 そこで、横になっている大きなライラで想像しているのだ。
「いやいや、ごめん。大きくなる前の、普通の大きさのライラだよ。ライラは賢いから、今はちゃんと加減して噛むよ」
「噛むんですね?」
「まぁ…噛むよね。猫だからね。でも、甘噛みだから、大丈夫だよ」
 堺の青い顔は、元に戻らなかった。

「紫輝、あの…ずっと聞きたかったことが。赤穂様は生きているのですか?」
 後半は、ほんの囁き声で堺は紫輝にたずねた。
 でも、紫輝は。まだ堺に、そのことを言っていない。

「なんで、そのことを?」
「紫輝の手紙に。貴方の思念が乗っかっていたのです。おそらく、一番伝えたかった強い想いが」
 堺は、精神を感応する龍鬼だ。それゆえ人の考えていることは、予期せずに入ってくる。
 それくらい、強い感応力がある。

 紫輝の想いは。言いたいけれど言えなかった想いは、強すぎて。物にまで乗ったのだ。
 それを、堺は拾ってしまったのだろう。

「なるほど。青桐がさっき、俺の手紙で堺が泣いていた、なんて言ってたんだけど。別に泣くようなこと書いた覚えなかったから、なんでかなぁって思ってたよ。それを感じたからなんだな?」
 紫輝は『後で連絡する』的なことしか書かなかったのだ。
 泣く要素、ないよな。

 うなずく堺の手を、紫輝は握って。声を出さずに頭で語り掛ける。
『聞こえる? これで話、できる?』
「はい」

 深層まで入らない、表面的な会話が、堺となら感応でできる。
 誰にも聞かれてはならないから、紫輝はしばらく、このまま会話をすることにした。
 アニメで精神系の超能力者が、こうして会話をする場面があったから。真似してみた。

『赤穂は命を取り留めた。月光さんと一緒に、とある場所で隠れている』
 目に光を宿し、堺は安堵と困惑の色を表情に乗せる。

『死んだことに、しなければならなかった。瀕死の彼は、井上には治せなかったが、俺が治したから。千夜のときのように』
 堺は紫輝が心をさらしたときに、千夜のことも知ったので。納得の表情を浮かべた。

『真相を知る者たちには、月光さんは人知れず赤穂の墓守をするという理由で。赤穂の死を知らぬ者たちには、重い病で療養生活するという理由で。側近を辞するが。ふたりとも元気だから、安心して』
「良かったです。それが、なによりです」
 堺は、乱暴な態度や言葉づかいの赤穂と、好きゆえにからかってしまう月光を、苦手に思っていた節があるが。
 それなりに、信望があったみたいだ。
 彼らの安否がわかり、喜んでいるように見えた。

 少なくとも、泣くくらいには心を痛めていたということだ。

『金蓮は、己の失態を隠すために瀕死の赤穂を見限った。俺は将堂を許さない。堺は俺と敵対する?』
『いいえ、私は紫輝の味方です。でも…青桐様を裏切ることもできません。彼は私のせいで記憶を失ったのです。私には、青桐様のすべてに責任がある。あの方を守らなければ…』
 声に出さず、堺は感応で答えを返した。
 やっぱり、堺は己を責めている。でも、大丈夫。

『そこは、大丈夫だ。少し青桐と話をして、彼が俺たちの計画の支障にはならないと確認した。ただ、青桐を将堂の操り人形にしてはならない。それを堺が阻止してほしい』
「それは、どうしたらいいのか…」

 基本、堺は将堂の、金蓮の命令には逆らえない。
 まだ、軍にいるうちは誰でもそうだ。

 紫輝は、堺や廣伊に無理な命令違反をさせるつもりはなかった。
 あくまで、穏便に。できる範囲で、だ。

「簡単なことだ。堺が、青桐の愛に応えればいい」
 握っていた、堺の手がピクリと震えた。
 紫輝は手を離し。感応を解く。

「ふぅ、堺には簡単なことだけど、俺にはちょっと難しいな。気をゆるめると、聞こえなくなる。長時間、緊張を保つのは無理みたいだ。一方通行でも、それなりに気を張るね?」
 どんなものでも、堺は拾ってくれるのだろうが。紫輝は言いたいことを脳裏に浮かべて、差し出さなければならない。そうしないと、なにもかもダダ漏れてしまうから。
 秘密ではないけれど、まだ思惑がわからない藤王のことを、堺に伝えるのは時期尚早だし。
 青桐が記憶喪失のフリをしていることも、約束したから内緒にしなければならない。
 全部はさらせないから、堺に開示できるものを、しっかり脳裏に浮かべて差し出さなければならないのだ。
 でも、それが結構きつかったね。

「紫輝…あの…愛…なんて…」
 感応を解いて脱力する紫輝に、堺はしどろもどろになっている。
 頬が赤い。ピュアですな?

「俺は、青桐から。堺への好意を感じたよ? 堺は青桐のこと、嫌い?」
 唇を引き結び、堺は考え込んでしまう。

 そうして即答できないところが、もう恋の始まりなのにな。

「嫌い、だなんて。青桐様は上官です。それに龍鬼の私が、そのような…」
「上官じゃなくて、龍鬼じゃなかったら、好き?」
「そのような仮定は無意味です。変えられないことですし。そこを外して考えてはならない」

 背筋を伸ばし、きっぱりと言う堺に。
 紫輝は苦笑した。

「もう、硬いんだからなぁ、堺は。でも、そのような仮定は無意味です、なんて言うけれど。終戦になったら、無意味ではなくなる未来が来るかもしれないだろう?」
「しかし。青桐様は、将堂家の方になられる。そのような方に、龍鬼の私など…」

 紫輝は再び、堺の手を握った。
『将堂家? 手裏家? そんなもの、すぐに瓦解する。堺も俺も、普通の生活を営める、そんな未来を作るんだ。俺たちで』

 大胆で、堺では考えつかないことを提示され。呆然としてしまう。
 手を離した紫輝は、堺に笑いかけた。

「恋も愛も…そんな相手が現れたのだから。大事にして。離れないで。示された好意を跳ね除けたら駄目だよ。ま、嫌なことをされたら逃げてもいいけどね。とにかく、堺。俺を信じて、彼を信じて」

 白いまつ毛を震わせて、堺は紫輝にうなずく。
 それでも、どこか頼りなく紫輝をみつめる。

「あの…好意を示されたら、どうしたら良いのですか? 私は、なにもわからなくて…」
 はたと、紫輝は気づいてしまった。
 堺は龍鬼であったから、人からは忌避され、己を醜い化け物と思い込むほどに悪意を向けられてきた。
 紫輝に出会うまで、恋愛感情のことなど考えたこともなく。ただただその日を生きてきた、だけだった。

 つまり、まっさらだ。

 恋も愛も、キスすらも、これから初めて体験する。
 た、大変だ。

「あ…あわあわ」
「あわ?」
 首を傾げる堺が可愛い。
 自分より年上で、身長も見上げるほど高くて、剣も能力もバカ強くて、美人で高貴で凛々しくて。そんな堺なのに。

 なにもかも初めてとか。どうしたらいいのか?

 紫輝は、自分のことで考えてみた。
 五歳のときに天誠に会って、好意を示された。ファーストキスは十歳で天誠と…駄目だ、参考にならないっ。

 でもでも、天誠が主導だったのは、間違いない。
 相手に任せてしまえばいいのだ。うん。

 あれ? でも、このふたりの場合、どちらが上? 下?
 いやいや、そういうのは、ふたりが模索していくことだから。ここで決めつけたらいけない。
 でも堺は、恋愛初心者だから。相手に歩み寄ってもらわないと、進まないよな。

 そこを踏まえて、アドバイスだ!

「堺。あのね。こういうことは、自然の流れだから。好意を示されたらね、嫌じゃなかったら、寄り添えばいいんだよ。あの、寄り添うというのは、心をっていうことだよ。体をベタッとさせるって意味じゃないからね」
「はい。心を寄り添わせるのですね?」
「そうそう、まずは気持ちを受け止める。それから、もしも相手が触れてきて、それが嫌じゃなかったら、そのまま任せていい。堺がなにかしたいと思うまでは、なにもしなくていいから。それで文句言ってくるやつは、相手にしなくていい。堺には相応しくない相手だ」

 ブラコンではないけれど。自分が年下だけど。兄的な気分で、紫輝は堺を適当な相手には渡したくなかった。
 今は青桐が、堺の恋のお相手の最有力候補だけど。
 ぞんざいに扱うようなら、即刻、退場してもらうからっ。

「嫌だったら、ちゃんと断る。嫌も、いろいろあるじゃん? 今は駄目とか、貴方に一切触られたくないとか。そういうの、しっかり伝えて? 今は駄目なだけなのに、相手が『貴方に触られたくない嫌』だと誤解しちゃったら、悲しいだろう? だから自分の気持ちを、丁寧に伝える。そうしたら、断っても角が立たないから」

 頭の片隅には、青桐を思い浮かべているけれど。
 絶対、はないから。
 他の人とも、女性とも、付き合うことを視野に入れ、一般的な意見を述べてみる。
 個人を想定すると、偏った意見になるからな。

「好きな想いがつのったら、それも相手に伝えて。このまえ、好きの種類はいっぱいあると言っただろ? どんな好きでも、好意を喜ばない人はいないよ?」
「わかりました。難しいけれど、頑張ってみます」

 まずは互いを知ること、コミュニケーションが大事だ。
 青桐といっぱい話して、初恋まで、気持ちを育てていってもらいたい。

 もしも恋にならなくても、友愛、親愛、いろいろな好きを体験してほしい。
 親の愛に恵まれず、心無い人に傷つけられて、つい最近まで『好き』の気持ちもわからなかった堺が。

 いっぱい、好きを感じられたらいいと思う。

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