【完結】異世界行ったら龍認定されました

北川晶

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25 白千夜、黒千夜

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     ◆白千夜、黒千夜

 千夜が正気を取り戻してくれたのを見届け、紫輝たちはその場を離れ、外へ出た。
 闇の中、半月の、ほのかな月明かりが湖面を照らし。光がゆらゆらと揺れている。
 心がざわめいたあとの、穏やかな景色。

 でも、紫輝は。やっぱり怒りをおさめられないでいたのだ。

「幸直、あんたほどの人が、手負いの千夜に、剣を奪われるわけがない。わざと、千夜に剣を持たせたんだろ?」
 紫輝の問いに。幸直は、はぐらかすように首を傾げただけだった。

「俺たちが、もし間に合わなかったら。千夜は死んでいたかもしれない。情緒不安定だった千夜に、剣を渡すなんて。どうして、そんな危ない賭けをするんだ?」
「俺は、あのとき、望月が死を選んでも仕方がないと思っていた」

 やっぱり、わざとだったんだ。と、思って。
 紫輝は、頭の後ろが、グアッと逆立つような感覚を得た。

「そんなの、薄情じゃないか」
「違うんだよ、紫輝」
 言葉をはさんだのは、月光だった。
 そういえば、一連の騒ぎの中でも、なにも言わず、事態を静観していた。
 いつも、紫輝の味方をしてくれるのに。幸直をかばうような彼の様子に、紫輝はたじろぐ。

「廣伊は、腕がないくらいで…などと言ったが。腕を失くして生きるのは、死ぬよりも、はるかにつらいことなんだ。大きな傷だから、のたうち回るような痛みが襲う、後遺症も残るかもしれない。将堂軍にもいられない。名誉の負傷なので、慰労金が出るが。それも、一生食べていけるようなものではないよ」

 月光の説明に付け加えるように。幸直も己の考えを述べた。
「それよりも、第一線で戦ってきた男が、戦場に出られなくなるということの方が、精神的に痛い。戦場に立つことが、彼の存在意義だったなら。戦えない自分に絶望するのは、当然だ。家族がなく、守る対象がない。剣技に秀でていて、自信がある。そういう場合は、尚更。戦えなければここにいる価値がないと、思ってしまうものだ」

 彼の言葉は、紫輝の胸にぐさりと突き刺さった。
 千夜は、勇猛果敢な戦士なのだ。
 戦場で、力を存分に発揮していた。生き生きと。
 そして、家族がない。

 守る対象というのは、廣伊だったのだろうが。
 己の、力の限りに守ってきた、その廣伊を守れなくなるというのは。千夜にとっては、どれだけの絶望だろう。

「だが廣伊は、彼に生きる道をいた。どれほど苦しくても、死ぬのは許さないなんて。その言葉は、傲慢だよ」

 だって、仕方がない。
 生きていてほしいのだ。
 廣伊も、紫輝も。千夜に生きていてほしい。
 そう願うのは、エゴなのか?
 望んではいけないこと?
 死ぬよりも苦しい痛みを、紫輝は知らない。
 だから、千夜の気持ちを考えていない? 理解していない?

「おまえもだ。この先、望月が辿るのは、壮絶な道だ。それを知りもしないで、命をないがしろにするなと言ったおまえも、自分勝手だよ」
 指摘は、全くその通りだと思った。
 紫輝は悔しさと怒りと、いろいろな感情がぐちゃまぜになって。なんだかわからなくなって…涙が出た。

「腕がなくなることが、たいしたことないなんて。そんなふうに思ったわけじゃない。障害を負った人の気持ちがわかるなんて、そんなこと言えるわけもないよ。俺。俺は、千夜の痛みは、見えていなかった。でも、ここで、そんなことになるなんて、思いもしなくて…それが千夜だなんて」

 ここで泣いたら、ダメだ。
 自分の意見を、泣いて通そうとする子供の甘えのようで。
 でも、涙が止まらない。

 今まで、悲しいけれど、泣けなくて。千夜が一番つらいんだから、彼の前では絶対泣けなくて。
 なにかをしたり、誰かと話したりして、気を紛らわせていたけど。

 もう駄目。

 一回、蛇口が開いたら、止められないっ。
「大事な、友達なんだ。俺だって。俺だって、なんか、心の中がぐちゃぐちゃで、苦しくて。でも、命さえあれば。道はひとつじゃなくて。いろいろ選んでいけるんじゃないかって…おも…思って…」

 言ってて、綺麗事だと、自分でも思った。
 これから千夜は、想像もつかないくらい、苦しい道に進まなければならない。
 ここで、紫輝がなにを言っても。
『わかったふうな口をきいて』ということになる。
 ならば、口を閉ざすか。
 エゴだと知りながら、自分はこうしてほしいと思っているという、願いを口にするしかない。

 紫輝は千夜に、生きて欲しかった。
 そう、願いを口にするしか。

 ぼろぼろと涙をこぼす紫輝を、月光がそっと抱き寄せた。
「紫輝は、間違っていない。傷さえ痛まなければ、彼はきっと、自分の力で、なにかを探すだろう。だって、紫輝の友達は、強いだろう? だけど、幸直の考えも。ここでは間違いじゃない。平和な場所で暮らしていた紫輝には、ここでの考えが腑に落ちないかもしれないけれど。兵士の誇りを失うくらいなら…と思う者もいることを、覚えておいてほしいんだ」

 まだ、その境地には、紫輝は至っていない。
 苦しければ、逃げてもいい。
 でも、その逃げは。死ぬことではない。

 命さえあれば、どうにかなる。そう思っている。
 でも。自分に理解できないことは、不正解。などと、言ってはいけない。
 いろいろな考え方や、いろいろな選択肢があると、わかっている。

 自分の考えが、甘くて、未熟だということも。

 だから、泣きすぎて、返事はできなかったけれど。
 月光に、いっぱいうなずいて見せた。

「わかってくれた? 紫輝はえらいなぁ。ところで、幸直?」
 月光は紫輝の頭を撫でながら、可愛らしい美少女スマイルを幸直に向けた。

「君、紫輝を泣かして、五体満足でいられると思っているの?」
 笑顔はそのままに、桃色の羽がばさりとはためく。
 まるで女子高生が、ムチで地面をビタンと叩いたみたいで。

 怖くて、紫輝は涙が引っ込んだ。

「え、ええぇぇ?」
「紫輝とちょっと仲良くなったと思って、調子っこいてるよね? あぁ、どうしようかなぁ…左軍に異動させちゃおうかなぁ?」
 語尾を可愛らしく言っているが。
 内容がシビア過ぎです。

 ビビった幸直が羽を広げて、柄柄しい羽毛を毛羽立たせる。
「い、いやぁ、それは勘弁してくださいよ」
「んー、僕に言われてもねぇ。決めるのは赤穂だからねぇ。幸直、紫輝は赤穂のお気に入りだよ? その軽い脳みそのど真ん中に、しっかり刻み込んでおいた方が、良いと思うなぁ?」

 いつも柔和で、笑顔も春の日を思わせる、温かみがある月光だが。
 今は、こめかみの血管がぴくぴくしています。
 ヤバいです。

 紫輝は、天誠が怒ったときと似ていると思った。
 天誠も、麗しい笑顔の裏で、激オコのときがある。

「うぇ、赤穂様に報告するんですか? やめてくださいよぉ。謝りますから。心の底から反省しますから。紫輝、泣かせるつもりはなかったんだ。マジで。きついこと言って、ごめんな? 本当に、ごめんな?」
 恥も外聞もなく、大幹部が、紫輝にペコペコと頭を下げる。
 紫輝は涙を拭いながら、幸直を制した。

「や、やめてください、もういいです。って、なんか、泣いた俺が恥ずかしいんで。幸直も月光さんも、即刻やめてください」
「そう? 紫輝がそう言うんなら。でも、ここで幸直は、しめておいた方が良いと思うけど」
 幸直へのお仕置きが物足りないようで、月光は不満げに、口をとがらせて言う。

「そんな、右参謀様に一兵士が、そんなことできませんよ」
「大丈夫だよ、幸直は家柄が良いだけで、本当に脳みそ少ない子だからね」
 にっこり笑って、毒を吐く月光に。紫輝は、いやいやと、首を横に振る。

 悪口、えぐぅ。

 そういえば、赤穂も。月光はいつまでも悪口を言える、とかなんとか、言ってた。
 本気にしてなかったのに、まさかのマジ話だった。

「ひでぇな、側近。俺、今回の出征では、結構良い働きしたつもりなんだけど」
「うーん、確かに戦場での評価は高かったけどね。今の件も含めて、いろいろ雑だったから。チャラ?」
「…マジか」

 半泣きで、がっくりと肩を落とす幸直を見て。紫輝も、クスリと笑う。
 場が和んで、わだかまりは、一応ほどけた。

     ★★★★★

 切断部の炎症により、ときどき熱を出すものの。千夜は、立ち上がれるようになった。
 元気なときは、廣伊と一緒に、湖畔を散歩して。体力を戻そうとしている。
 千夜は、いつも廣伊の斜め後ろを歩いていた。
 でも今はふたり、並んで歩いている。

 仲が良さそうなのは、嬉しい。
 でも、ふたりの関係性は変わってしまったのだなと思うと。彼らの後ろをかなり離れてついていく紫輝は、なんだか、せつなくなった。

 拒絶されたり、うまく励ませなかったり。そんなことがあったから。紫輝は千夜と接するのを、控えていた。
 もしかしたら、自分の不用意な言葉で、千夜は傷ついたのかもしれないから。
 紫輝としては、珍しく。ものすごく繊細に、気を遣う日々が続いていた。

     ★★★★★

 満月の夜。
 紫輝は、河口湖の湖畔に立っていた。
 ひとりではない。隣には獣型のライラがいるし。後ろには大和がいる。

 湖に浮かぶ満月、少し雪をかぶった富士山、ススキ。
 そして真っ白な毛をなびかせる、ゴージャスライラ。
 最高のロケーションである。

「せんにゃ!」
 突然、ライラが鳴いて。
 大和は、見えない場所に移動した。

 間もなく、千夜が現れる。

 すごい連携。
 大和はライラの言葉が、わかるんじゃないかな? と思ってしまう。

 紺色の甚平姿の千夜が、目の前に立っている。
 紫輝は、少しためらった。
 また拒絶されたら? とか。怒っているんじゃないか? とか。考えてしまって。

 そうしたら、ライラが千夜に頭突きをかました。
 というか、頭と頭ではなく。千夜の脇腹に頭をすりつけるやつ。
 それ、仲が良くないと、やってもらえないんだぞ?

「あらあら、せんにゃ。げんきになったのね? よかったわねぇ」
「わ、なんだ。お嬢、どうした? 頭かゆいのか?」
 慌てる千夜は、いつもの。紫輝の頭を小突いて笑ってた、あの、いつもの千夜で。
 紫輝は、泣きそうになったけど。
 雰囲気を壊したくなくて。笑い飛ばした。

「ちっがうよ。元気になって良かったなって、言ってるよ」
 千夜は、ありがとうな、と言いながら。ライラの頭を撫でた。
 ライラは自然な感じで、紫輝と千夜をつないでくれたのかもしれない。
 さすが、紫輝のママである。

「馬鹿みたいだけどさ。お嬢に乗って、空を飛ぶ夢を見たよ」
「夢じゃないよ」
 えっ、と驚いた様子で千夜が紫輝を見た。
 得意げに、紫輝は湖の方を指差して、説明する。

 紫輝の手柄ではないのだが。

「前線基地からここまで、ライラに運んでもらったんだ。ほら、湖の真ん中に島があるだろ? 対岸から、あの島。あの島からここまで。ライラがピョーンって飛んだんだ。その途中で、千夜、目を開けてさ『水の上、飛んでる』って、言ってたよ」

「マジか。すげぇな、お嬢」
「それも言ってた」
 ハハッと笑う。
 でも、いつもの豪快な笑い方じゃなくて。少し陰がある。

 まだ、以前と同じではなかった。
 笑いを引っ込めた千夜は、気まずそうに、紫輝を見やる。

「すまなかった、紫輝。俺は、おまえがまぶしかったんだ。おまえを見ているとつらくて」
「なんで? なにが?」
 まぶしいというのは、本人にはわからないことで。紫輝は首を傾げる。
 元気いっぱいということなら、千夜を心配していた紫輝は、むしろ、いつもより元気がなかったのだから。

 すると千夜は。今も、まぶしそうに目を細めて、紫輝のことを見ていた。
「おまえはさ、裏とか、邪なところがないじゃん。でも俺は、ここに来てから、つらいとか苦しいとか、醜い感情しかなかったんだ。口を開けば、傷つける言葉しか出ない。頭の中でもクソとかふざけんなとか、罵っていた。うまく言えねぇけど。醜い感情にのまれていたから、無垢なおまえと、話せなかったんだ」

「うーん。俺は、そんなに無垢じゃないよ? 普通に怒るし、意地悪な気分にもなるし。でも、そのとき千夜は、そう思っていたんだから、仕方がないな。もう、俺と話してもつらくないのか?」
 軽く、うなずいてくれて。まだ、思うところはあるのかもしれないけれど。
 とりあえず、紫輝はホッとした。

 千夜は、心にも体にも、大きな傷を負ったのだ。
 すぐに元通りにはいかないことは、紫輝にもわかっていた。

「俺の中には、相反する人格がある。普段は、おまえと話しているときの、人当たりの良いやつの顔。廣伊と相対するときに出るのは、暗殺者の顔だ。ずっと廣伊をつけ狙っていた」
 心の隅に、まだ残る膿を出すかのように。少し痛そうな顔をして。千夜は、湖の奥の方へ目をやり。ぽつぽつとつぶやいた。
 紫輝の知らない、千夜の話を。

「長い、長い、夢を見ていた。怪我したあとから、意識がはっきりするまでの間。俺としてはさ。お嬢が空を飛んだのも、夢の中の出来事のようだった。まぁ。現実的じゃないしな。それで、いつの間にか、この屋敷にいたって感じだったんだけど。長い夢の中で、俺は過去を、もう一度見せられた。走馬灯、だったのかもしれないけれど」

 千夜は紫輝に、過去を明かした。
 祖父が、将堂軍の幹部を何人も殺した実績のある、暗殺者であること。
 その祖父に、育てられ。
 暗殺者として大成し、一族の誇りを守ってほしい。望月の名を世に広めろと言われたこと。

 そのために、廣伊を殺せと言われていたことを。

「…なんで?」
「龍鬼を殺せば、随一の暗殺者として名があがるから」
「そうじゃない。なんで、廣伊なのかって…」
 龍鬼でいいなら、そうそう遭遇するわけではないが、何人かいるではないか。
 ぶっちゃけ、自分でもいい。
 あ、でも最初は。異世界から来たと言ったから。龍鬼扱いは、つい最近だけど。
 でも他にも、堺も、手裏の龍鬼もいるし。
 天誠を殺されるのは…困るけど。

 わざわざ、好きな相手を対象に選ばなくても、いいじゃないか。
 そう思って、紫輝は聞いたのだが。
 千夜は、なんでかな? というように首を傾げた。

「それは…初めて遭遇した龍鬼が、廣伊だったからだ。誰に頼まれたわけでもない。手裏の密偵でもない。ただ、祖父が言ったから。あの龍鬼を殺せ、と。俺は、強くなりたかった。祖父の言いつけ通りに龍鬼を殺せば、自分は強いのだと誇示できる。たとえ青い羽だろうと。自分は強い。、誰にも否定させねぇっ」

 言っていて、千夜はだんだんエキサイトしてきた。
 語尾が、強くなっている。
 でも、紫輝に怒っているのではなくて。
 千夜の中にいる誰かに、憤っているように、紫輝には見えた。

「でもっ、俺は。廣伊を、愛してしまった。初恋だったんだ。殺さなければならない相手なのに。その龍鬼は、なんで廣伊なんだ? なぜ廣伊を殺さなければ、認めてくれない?」

 聞いていて、本当に、なぜなんだと、紫輝も思う。
 こんなに、苦しんでいる。
 千夜は、ずっと。紫輝と会う前から、ずっと、苦しんでいたのだ。

 愛する人を殺さなくてはならないと、悩んで。

 そんなの聞いたら、紫輝だって胸が痛くなる。
 冗談じゃないよ。
 大切な友達を、誰がこんなに追い詰めたんだっ。

「二度と、ってことは。千夜は、誰かに否定されたんだ。なにを否定された? 誰が認めなかったんだ?」
 紫輝に問われ、千夜は息をのむ。
 誰に?

「…祖父に。青い羽では、暗殺者にも、隠密にも、なれないだろうが。技能を全部伝授するって…」
 話の流れから、薄々気づいてはいたが。
 紫輝は、浅く息を吸って、奥歯を噛む。

 怒りがMAX。

「ああぁぁ、悪い、千夜。俺、千夜の爺さん、嫌いだわぁぁ」
 あちこち皺を寄せて、ものすごく顔をしかめている紫輝を。千夜は、初めて見たように思う。
 己の友達は、いつも楽しげに笑っていて、理不尽な攻撃や罵りを受けても、困ったように眉を下げるだけの、良い意味でのヘタレ。
 初めて会ったときに、自分の世界に返してほしいと、廣伊に食ってかかったときですら。理性的だったし。
 廣伊の良いところを、すぐにみつけて。友達になってしまうような、お人好し。
 すぐ涙ぐむし。
 そんな気の優しい友達が、憤りをあらわにしていた。

「爺さんは、千夜が背負えるかどうかなんて、どうでもいいけど、とにかく自分の重荷を下ろしたいから、子供の千夜に背負わせた。そう聞こえるよ。一族の誇りなんて、クソどうでもいい重荷を、有無を言わせず、千夜に背負わせた? しかも暗殺業とか? は? なにしてくれちゃってんのっ」

「でも、祖父は。俺を引き取って育ててくれた。恩を返さないと…」
 目も前の友の気迫におろおろし、千夜がつぶやく。

 こんな千夜は、今まで見たことがないと。紫輝は思う。
 普段、自信が態度に現れ、おおらかな男だ。
 傷を負ったあとも、敵愾心はあったが、心許ない感じは見受けなかったのに。
 目の前の千夜は、自信なさそうに瞳を揺らしている。

 あぁ、そうか。今ここにいるのは、少年の千夜だ。
 両親を亡くして、途方に暮れている。少年なのだ。

 だったら自分も。そこに下りないと。
 紫輝は微笑みを浮かべ、千夜を優しくみつめた。

「千夜。俺もね、養子なんだ。だから、少しだけわかる。雨風しのげる家があって、食べさせてくれる、それだけでありがたいって。ここで見捨てられたら、次はどんな目にあうか、そういう恐怖もあるだろう。でも、それは最低限だと、俺は思う。育ててやってるからって、子供を傷つけて良いってわけじゃない」

 間違っているかもしれない。いろいろな意見もあると思う。家庭の数の分、様々な状況、環境、局面があるわけだから。
 でも、紫輝は。ここは、声を大にして言いたかった。

「たかが血がつながっているだけの理由で、自分をないがしろにする人に、縛られていることなんかない」

 だって、紫輝は。本当に苦しくて、悲しいのだ。
 ここまで千夜を縛りつけている、なにかに。
 嫌いなのだ、許せないのだ、そんなのは。

 大切な友達に、そんな枷をつけないでっ。

「千夜はなんで、千夜を否定するやつの言葉に、いつまでも従っているんだ? 千夜を…そのままの千夜を大好きな、俺や廣伊の声を聞いてよ。廣伊を、愛してんだろ? なら廣伊を殺さなくたっていい。爺さんの言葉に縛られるな。廣伊を守ることが誇りだったんだろ? なら自分の誇りだけ抱き締めろよ。一族の誇りなんか、知らねぇし。そんな重い鎖、ぶっちぎって捨てちゃってよ。そうしたら、千夜はどこへでも行けるし、なにをしたっていいし。廣伊を愛してもいいんだっ!」

 紫輝は…己の心のままに、全部全部吐き出して、言い切ってしまった。
 隣で、ライラはきょとんとし。
 千夜はうつむいて、前髪が陰になって表情が見えない。

「愛して、いい?」
 ひとつ、つぶやく千夜に。
 紫輝は、はわわとなる。やっちまった。

「ご、ごめん。言い過ぎた? 幸直に考えなしに言うな、みたいなこと言われたのに、また…」
 自分は、そう思っていても。言われる側はつらいことがあると。
 己の願望を押しつけるのは、エゴだと。そういうこともあるのだと、以前、幸直に言われ。
 紫輝は反省したのだ。
 今も、言うだけは簡単だ、とか。思われているかも。

 だけど、我慢できなかったんだ。
 だって、爺さんの言葉がなければ、ふたりはとっくにラブラブだったかもしれない。
 出会えていなかったかもしれないけど。違う出会い方をしたかもしれないし。
 たられば、は基本、ダメなんだけど。
 それでも、どうしても思ってしまう。

 最初の歪みがなかったら、と。

 でも、反省が生きていないので。紫輝は、また反省した。
 そうしたら。千夜は。豪快に笑った。
 湖の向こうに突き抜けるくらい、大きな笑い声で。

 なんで笑うのかわからなくて、紫輝もライラもきょとんだが。
「ははははっ、馬鹿みてぇ。七年も、なにやってたんだろうな、俺」

 千夜は、ずっと目をつぶっていたのだ。
 廣伊に。あの緑の可愛い子に、恋をしてから、七年間。
 過去の己は間違っていないのだと、そう思い込みたい一心で。

 幼くして両親を亡くした千夜が、頼れる相手は。祖父だけだった。
 紫輝が言ったように、祖父に見放されたら、生きていけないことを。子供ながらに、わかっていたのだ。
 母の父だから。
 身内だから。
 自分に不利なことはしないだろうと。
 理不尽を押しつけられていても、そこは見ないようにしていた。

 だけど、身内だからといって、両親のように無償の愛を与えてくれるわけではないのだと。今、気づいた。
 あの龍鬼を殺せ、と言った祖父は。
 廣伊の優しさや、強さや、可愛さを知らない。
 ただの肩書。それだけを見て殺せと言っただけ。
 そんなものに従う道理なんか、なかったのだ。

 選べばよかったのだ。
 ちゃんと目を開けて。
 廣伊を愛するのか、祖父に従うのか。
 目の前に、ふたりが立ったとして。どちらの手を取るか。

 そんなの考えるまでもない。

 でも、そう思えるのは。紫輝が言ってくれたからだ。
 己を否定する者に、従わなくていいのだ、と。

 己の誇りを抱き締めろ、と。

 だから千夜は、ようやく廣伊を抱き締められる。
 大事に。大切に。この腕の中で、守れる。

 千夜をがんじがらめに縛っていた祖父の亡霊を、紫輝は持ち前の無邪気さで、なまくらのライラ剣を使って、ぶった切る。
 重く、苦しく、痛いほどに締めつけていた鎖が、粉々に砕けていくのが。目に見えるようだった。

「紫輝は、俺よりすげぇ暗殺者だよ。俺の後ろにいた、名うての祖父を。ぶった切っちまうんだからな」
 己は己の意志で、これからは歩いて行ける。
 もうなにも、千夜を縛るものはない。
 廣伊の、甘くゆるやかな愛の鎖、以外は。

「祖父の亡霊が消えれば。俺は、暗殺者である俺を殺せる。今まで廣伊を苦しめてきた、あいつを」
「ねぇ、千夜。俺、白千夜はもちろん好きだけど。黒千夜も好きだよ」

 己の内観を、吹き飛ばすような明るさで。紫輝が、また意味のよくわからない言葉を言った。
「なんだよ、白、黒って」
「相反する人格があるって言ったじゃん? 人当たり良い方が白千夜。暗殺者…っていうか、意地悪で傲慢で不屈で猛々しいのが、黒千夜。あと、戦場でちょっと邪悪っぽくなってるやつも。あれ、格好良くて、俺、好き」

 廣伊が、千夜の正気を取り戻させるときに言っていた、彼の評を思い出しながら。紫輝は言う。
「廣伊は、苦しんでないよ。つか、黒千夜のこと、好きじゃん。だから殺したらダメだ。っていうか。白も黒も、どっちも、千夜の大事な部分だろ? 自分が嫌いな部分もさ、他の人が見たら、うらやましいところだったり。長所だったり、するんだから。無理に殺さなくてもいいんじゃね?」

 特段、紫輝は。白千夜の部分ばかりを見ていたわけではないと思う。
 紫輝が悪戯をすると、千夜は倍返ししてくるのだ。
 それって、大人げないし意地悪だし。
 不屈で猛々しいのは、戦場にいれば見られる部分だ。

 白と黒は、良い部分、悪い部分で、表しがちだけど。両極端なときも使う。
 千夜はふり幅が大きいから、二面性があるように感じるかもしれないが。
 紫輝に言わせれば、どちらも千夜だし。どちらの千夜も好きなのだ。

「つうか、殺す殺す、言わないでくれよ。まだ、冷や冷やするよ」
 千夜が自死しようとしたのは、記憶に新しいし。
 他にも、紫輝は天誠が、天誠の部分を殺そうとしたことが、まだトラウマだった。

 本当に、やめてよね、と言ったら。
 千夜は小さく笑って。視線を満月に向ける。

「廣伊が泣くから、死にはしないよ。と言っても、この腕じゃ。この先、なにができるわけもないが。殺すことしか取り柄のない俺が、こんな腕になって。生きる意味、あんのかな?」
 ひえっ、と紫輝は肩をすくめる。
 ライラみたいに毛があったら、背中の毛を逆立ててる勢いだ。

 千夜は、まだつらいし。納得もしていないのかもしれない。
 そりゃ、簡単に納得できるものじゃないよ。
 でも。廣伊とともに過ごすことで、少しは癒されているといいなと、思っていたのだが。

 顔色を青くしている紫輝に気づき。千夜は。小さな笑いを、自嘲に変えた。
「わりぃ。愚痴とか嘆きとか、そんなんじゃなくて。単純に、疑問が口に出ただけだ。忘れてくれ」
 話はもう終わり、とばかりに。千夜は左手を振って、踵を返す。
 砂利の水際を、屋敷に向かって歩いていった。

 彼の、あきらめの後ろ姿を。それでいいのかと、紫輝は悲しげに見やる。
 どうしたらいい?
 なにかできないかな? 千夜のために、なにか…。

「あの方と、連絡を取ることを、おすすめします」
 突然、声をかけられた。
 いつの間にか、背後に大和がいたのだ。
 彼が言うあの方というのは、天誠。だけど。

「でも。将堂の話だし。いつも心配かけてるし…」
 心許ない気分で、紫輝はライラを抱き締める。
 天誠に頼りたい気持ちは、おおいにある。
 なにか。なんでもいい。彼にしてやれることの、ヒントでもいいから。
 なにもなくても。そばにいてほしい。
 いやいや、それは甘えだ。良くない。

 なんて。ぐるぐる頭の中を単語が回っている。

「貴方の話でもある。それだけで、頼る理由はあります。それに、力になれなかったら。悲しがりますよ」
 そうだな、と思う。
 自分も、天誠になにかあったら。なにもできないかもしれないけれど、頼ってほしいと思う。

 それに。紫輝がもう、悲しさ限界なのだった。

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