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22 黙々と仕事をこなすのみです

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     ◆黙々と仕事をこなすのみです

 ムサファと話をしたときに、三峰との連絡方法を教えてもらいました。
 携帯電話とパソコンの使い方は、特に日本にいたときと仕様は変わらないのですが。
 一番の重要点はセキュリティーに関することでした。
「通話や文書のやり取りは、シマームでもチェックさせていただきます。ここは王宮の深部ですので。万が一にも王宮の内部情報や国の機密が外に出てはならないのです。どうかご了承ください」
 という注意事項を言われ。
 それは、当然のことだと思うので。私は神妙にムサファにうなずいた。

 そのことを念頭に置き。私はムサファが部屋を辞したあと、まず、電話で会社に連絡を取った。
 それで、五分後にパソコンにてテレビ会議をしたいということなので。その用意をして。
 五分後。モニターに平川本部長の顔が映った。

「天野、やっと連絡が取れた。お? さっそく民族衣装でお出迎えか? そちらにもう馴染んでいるようだな?」
 明るい声で、平川に聞かれ。自分が民族衣装を着ているままだということに今気づいた。
「あ、スーツを着るべきでしたね? 失礼しました」
「いやいや、元気そうで安心したよ。大丈夫か? 不備はないか?」
 今度は心配そうな顔で聞いてくる。
 平川の声、その日本語に、ちょっとホッと息をつく。
 こちらに向かうことになってからは、ずっとアラビア語でしたから。
 自分としては、日本語はあまり得意ではないつもりだったのですが。なんだかんだ言っても、一番長く日本に在住しているわけですから。
 日本や日本語は、私が気を落ち着かせられるホームグラウンドになっていたみたいですね?

「大丈夫です、特に不備もありません」
 この場合の不備は、正体がバレていないか、ということだと思います。
 そのことを知っているのは、社長と本部長だけなので。
 そばに営業一課の方たちがいるところでは、話ができなかったのでしょう。でも、一番気掛かりなところではある。下手をすれば、契約キャンセルもありうるのですからね。

「心配おかけしてすみません。また、連絡が遅くなったことも…」
「あぁ、それは。シマームの広報官からも聞いているよ。通信のセキュリティー対策で少し時間をいただきたいと言われていたんだ。天野は、そちらの情報はなるべく口にしないこと。いいね?」
 ムサファに先ほど注意されたことは、向こうにも通じているようです。

「本部長、私はこれからどうしたらよいですか?」
「本格的に我々がそちらで活動できるよう、シマームに三峰の支社を開設する。油田候補地に近いエルバルに、まずは仮の支社を興したい」
「エルバルですか? 首都のガザハーンではなく?」
「ガザハーンには、三峰商事シマーム支社となる高層ビルを建設予定だ。エルバル支社は足がかりの、仮のものにする。だから賃貸で良い」
「わかりました。エルバルで賃貸物件を探します。シマームは開発途上なので、近代的なビルなどは建設されていませんが」
 私と本部長の話の掛け合いが、リモートで長く続いた。

「しばらくは既存の家屋で構わない。油田開発と並行して、ビル建設も行うようになるのだが、それはまだまだ先の話だな? とりあえず天野は、三峰の支社になりうる物件の調査を頼む。そうだな…月水金この時間に定時連絡を入れてもらえるとありがたい。難しいときは電話で事前に知らせてくれ」
「承知しました。あの、陛下は観光に力を入れたい旨のことをおっしゃいましたが…」
「そうか。慌ただしくそちらに向かわせたというのに、いろいろ会社のために動いてくれて。感謝するよ、天野。その話はあとで詳細をうかがう。でも、とりあえず。天野はそちらで基盤固めをしてくれ。国王の友人として王都に滞在しているとシマームの高官から聞いたが、いきなり本丸に乗り込んで…大丈夫か?」

 戦ではないけれど、王宮はシマーム国の中枢であるから、そこに入り込んでいることには違いなく。本丸という平川本部長の言葉に、苦笑いするしかなかった。
「今のところは、つつがなく陛下のご意思に従っています」
「まぁ。そちらの意に沿うよう、くれぐれも穏便に立ち回って欲しい。今こちらでも、シマームに派遣する精鋭チームを選抜しているところだ。彼らがそちらに行ってからが本格始動になるから。それまで…頑張ってくれ?」

 仕事が本格始動するまで、国王の機嫌を損ねないこと。それが私の一番の命題のようです。
「わかりました。そのように努めます」
 文書の翻訳がメインの仕事だった私が、営業や建設の業務を行えないことは、本部長も理解してくれている。
 彼のバックアップがこちらに届くまでは。ラダウィの意に従うことに専念していていいみたいですね?
 そのあと、物件の諸条件や引継ぎなどの細かい確認を数点行い、私は日本との通信を切った。

 今後、自分がなにをすべきか、指示してもらえたので。とりあえずホッとしました。
 昼間はスーツを着て、三峰商事と連絡を取りつつ仕事をする、という体制になりそうです。
 仕事面の不安はありましたが、平川本部長がフォローしてくれるようなので。シマームでひとりきりでも、しばらくはなんとかこなせそうです。

 一番の懸念事項、私の正体を隠す件は。別枠ですけどね。

 あと、なぜか。こちらでも、文書の翻訳をしてくれと平川本部長に頼まれたのです。なので、物件探しの他に文書製作もこなすことになります。
 仕事をなにもしないのは、気分的に落ち着かないので。慣れた仕事をするのはウエルカムなのですが。
 ホン課でアラビア語の文書が滞っているみたいなのです。
 おかしいですね? 私ひとりが抜けたところで、ホン課にはアラビア語に精通した者が数人いるはずなのですけど。
 しかし、今回のシマームとの取引で、文書量が増えたのかもしれないし。本部長が気を利かせて、私に慣れた仕事を割り振っているのかもしれないですし。
 それならそれで、黙々と仕事をこなすのみです。

     ★★★★★

 私がシマームに来てから、最初の土曜日を迎えました。
 日本人はつい、休日を返上して働きがちですが。暑さなど、毎日が苛酷な環境にあるシマームでは、土曜日と日曜日はしっかり休日にあてるというのが習わしです。

 ラダウィに誘われ、私は王宮内の小庭にいる。
 ちなみに昼間の仕事中以外は、たいてい民族衣装を身につけています。
 子供の頃は、屋敷でも洋服を着ていましたが。
 民族衣装というものは、その土地で過ごしやすいように作られているので。寒暖差の激しいシマームの気候では、トーブやゴトラの方が過ごしやすいのです。

 天高く飛ぶ鷹が、王の腕めがけて、降り立った。
「すごい、とても雄々しいですね? 私が滞在していたときに見せていただいた鷹ですか?」
「いや、五代目になる。ジュワンは、一年前に我が元へ来た」
 羽を広げて強さをアピールする鷹を、私はしげしげとみつめた。
 子供のときにはわからなかった、獰猛ゆえの美しさを。今は理解できます。

「おまえも乗せてみるか?」
 ラダウィが顎を振ると、お付きの鷹匠が私に鷹を止める用の手袋をはめてくれる。そして、王はそっとジュワンを私の腕に移動させた。
 昔は鷹をけしかけて、私を脅えさせたのに。
 今のラダウィは、鷹を優しく誘導して。私を怖がらせるようなことはしなかった。
 これは、華月への気遣い、ですよね?
 蓮月のままでは、決してしてもらえない。
 恋人への優しさを見せつけられて。少し妬けます。

 数日、シマームで暮らしてきましたが。
 その間、私はラダウィに、ごく自然に接していた。
 特に弟に言動を寄せたり、真似をすることもなかったのです。
 というより、自分よりも華やかで、社交的で、会話のセンスもある弟なんて。
 真似をしたくてもできませんっ。

 華月だったら、楽しいおしゃべりをラダウィと続けられるのでしょうが。
 私は、できないので。
 時に、なにもしゃべらず。ただそばに寄り添っているだけのこともありました。
 でもなぜか。ラダウィはそんな私を受け入れて。無言の時間も楽しんでいるようです。

 どうしてラダウィは、私が華月ではないことに気づかないのでしょうか?
 もしかしたら、華月も恋人の前では、おとなしくなってしまうのだろうか? なんて、考えてもみますが。
 本当のところはわからなくて。

 正体が明かされず、親交を育んでいられるうちは。
 このまま、です。
 今のところ、王を怒らせることなく、順調に過ごせています。自分にしては珍しく…。
 なので。もしもこのまま、自分のままで、ラダウィと仲良くなれたら。

 華月ではなくて、蓮月として気に入ってもらえたら…。
 そんなあさましい欲が、胸に芽吹く。

 だが、自分は身代わりで。
 嘘をついて王のそばにいる。
 自分が許されることなどないと戒めて。早々に芽を握りつぶした。

 ラダウィのそばで、ラダウィをみつめていられる。
 そのことだけを、幸福と思うべきだ。
 そう、心に言い聞かせていた。

 ところで、腕に乗った鷹は、私のことを鋭い視線でみつめてくるのですが。
「少し、怖いのですけど」
 正直に言うと。ラダウィはニヤリとする、ちょっと偉そうな顔で助言してくれる。
「私が王だ、という顔をするのだ」
「それは…無理です」
 私のような小心者に、そのマインドはありません。

 オドオドしている私を、鷹はお見通しです。
 ジュワンがくちばしで突く仕草をした。
「ラッ」
 すかさず、王がアラビア語で駄目だと鷹を叱る。
 ジュワンとしては、私をあなどったがゆえの悪戯で。くちばしも全く届いてはいなかったのだが。
 ラダウィに怒られて、身を縮めておとなしくなる。

 そんなところ、私に似ています。急に、親近感が湧きました。

「ちゃんと身を引けるのですから、とてもいい子です。よく躾けられていますね?」
 以前、大仰に鷹を怖がって、ラダウィを不快にさせてしまった。
 その失敗を改めたくて。
 怖いながらも、私は王に笑みを向ける。

 するとラダウィは、得意げな笑顔でうなずくのだった。
「国王の腕に乗るのだから、無論、国一番の鷹だ。ちょっとヤンチャだが、狩りをするならそれぐらいの気性がないとな」
 ラダウィが手に乗るように示すと、ジュワンはすぐに飛び移り。胸を張る。
 王と並んで、自分も王だというような顔をするジュワンが、可愛かった。

 翼を広げる鷹と、ラダウィ。
 昔、その光景を見て、彼が王になるのだと、漠然と思った。そのときのことを思い出す。

 やはり、ラダウィは王になった。

 彼は次男で。ラダウィの父も若かった。彼が王になる機会は、ほぼなかったはずだが。
 早くも予想が現実となって。私は嬉しかった。
 けれど、どういう経緯で、ラダウィは王になったのだろうか?
 詳しい話は日本に届いてなくて。
 彼からもまだ聞いていなかった。
「あの…」
「天野様」
 聞きかけたときに、王宮の執事に呼びかけられた。

「日本から三峰商事の方がいらっしゃっていますが」
 すこぶる機嫌よく遊楽を楽しんでいた王は、不快に眉間を寄せる。
「休日に無粋な…追い返せ」
 ラダウィは冷淡に拒絶の意を示す。
 けれど、はるばる日本から来た同僚を追い返せません。

「陛下、時差の関係で休日にずれ込んでしまったのかもしれません。御不快でしょうが、少し会って、話をしてきてもよろしいでしょうか?」
 とても不本意な表情をしたが、ラダウィはしぶしぶ顎を振って同意した。
 そして私は、執事について行き、応接室へ向かう。

 王宮は、王や私の部屋がある王宮殿を中心に、日本で言う離れのような区画が八個、入り組んだ回廊でつながっている。
 敷地面積もものすごく広く、部屋数も膨大で。まさに迷宮の様な作りなのだ。
 案内なしでは、とても目当ての部屋にはたどり着けません。

 三峰の使者は、玄関ホール近くの応接室に通されていた。
 昨日のテレビ会議では、誰かがこちらに来るという話はなかった。なので今日、三峰の社員が訪問することは全く知らなかったのですが。
 本部長が精鋭メンバー選考中だなんて言っていたので。
 営業一課の誰かが手助けしに来たのかもしれませんね。
 そう思って。部屋に入った。
 だが。椅子に座る人物を見て、驚きの声をあげてしまう。

「紺野課長?」

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