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21 一生ただ働きでも構いません

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      ◆一生ただ働きでも構いません

 シャワールームを出たら、脱衣室で王の身支度をお手伝いした。
「普段は使用人に任せていることだが。おまえとともに湯を使うときは。おまえが私の世話をしろ」
「もちろんです、お任せください」
 タオルを手に取り、私はラダウィの体を拭いていく。
 浴室で、事後の後始末を王にさせてしまったので、恐縮していました。今はなんでもさせてください、という気持ちです。
 でも、私が拭いている最中に、王も私の体を拭こうとするので。
 お世話は、私がいたしますから、という気分で。ワタワタしてしまいますが。
 それでも王の手は止められないのだった。

 そうしてふたりで、脱衣室に置いてあった民族衣装…使用人がいつの間にか用意していたらしい、それを身につけ。
 私はラダウィの長い髪にドライヤーを当てます。
 渇いた空気と熱帯の気候で、髪はすぐに乾く。私のような短髪は放っておいても速乾ですけど。
 王の長い髪は、それなりに渇くのに時間がかかります。
 それよりも、ラダウィの髪に触れる機会を許されて、私は本当に嬉しかった。
 癖のある艶やかな黒髪が、私の手の中にしっとりとおさまって。指先をくすぐってスルリと落ちていく。髪の一本一本までも愛おしくて。
 彼のお世話を毎回でもしたいと思ってしまうのだ。
 もしも許されるのなら、嘘をついた罰は、王宮で一生ただ働きでも構いません。

 すべての身支度ができて、脱衣室を出て、寝室も抜けていくと。続きの間に食事の準備が整っていて。
 毒見がされたあと、朝食をようやく口にすることができた。
「おまえの腹の虫が餓死する前に、朝食にありつけて良かったな?」
 お腹が鳴ったことを、いつまでもからかわれてしまって。口はへの字になりますが。
 内心は、ラダウィの機嫌のよい顔を見られて、幸せを感じていました。
 いつも私の前では不機嫌だった彼が、今はリラックスして。朝食をともにしている。つい数日前までは思いもしなかったことです。

 朝食を口にしながら、ラダウィはシマームのことや三峰商事のことについて語った。
「昨夜の話の続きだが。おまえの会社との取引を決めた最大の点は、国規模の計画を実行しうる総合商社というところだ。私は、この国の行く末を案じている。石油はいずれ消えゆく資源である。だというのに、その恩恵を使い捨てていくばかりでは、もったいないだろう? だから、その恩恵を元手にして近代建築に着手し、産業を国で発展させ。ゆくゆくはシマームを、中東経済の中心地となるようにしたいのだ」

 とても大きな話をされて、私は、彼の言葉の意味はとらえられるが。想像を広げるのは難しかった。
 モデルケースとするなら、ドバイのような感じでしょうか?
「石油で外貨を取り入れ、さらに観光に力を入れていきたい」
「観光の話は、昨夜もしていましたね? それで禁酒を解禁にしたと…」
「あぁ。それはほんの手始めだがな。実は、我が国には王家が代々受け継いできた地下神殿があるのだ。それを世界遺産に登録することで、客を呼び込めると目論んでいる」
「地下神殿、ですか?」
「イスラムのものではなく。以前、この辺りには地域信仰があったようで。その名残だ」
 それは歴史的に見ても、とても価値のある代物で、充分に観光資源になると私も思った。

「つい最近まで、シマームは近代化に反対していた。しかしそのために。懐古の中東を想起させる砂漠、ラクダ、オアシスといった、観光客好みの景色が色濃く残っている。いにしえの中東を楽しみたい客層と、首都を開発して利便性を求める客層も取り込むつもりだ」
 ここに三峰の営業一課がいたら、きっとぐいぐい王に開発プランを示していけるのだろうが。
 私は、ただ関心して彼の言葉に耳を傾けるしかない。
 必ず、このことは本部長に報告しなければなりませんね。
 会社の利益も、もちろん脳裏をよぎりますが。
 ラダウィが示したシマームの観光事業は、とても魅力的なものです。

「その計画を実現するために、おまえの会社と顔つなぎをしたわけだ。不動産、ビル建築、旅行代理店、ホテル事業など、様々な分野に精通している三峰商事を、我が国の強力なパートナーに望む。シマーム発展の一助となり、ノウハウも授けてもらいたいものだ」
「地下神殿はとても興味深いものですが、黄金色に輝くシマームの砂漠も、観光客の目を引くはずです。三峰商事は陛下のお話にきっと尽力することでしょう。この話を上司に伝えてもよろしいですか?」
「あぁ。おまえを日本に連れ戻されては困るからな、シマームで仕事をしている体裁を示してやったのだ」
「私のシマーム滞在は契約事項ですから、簡単に反古にはなりません。ですが、私のことを心配してくださり、ありがとうございます」
 今回の仕事に関して、私は右も左もわからない状態なので。
 三峰商事では私がシマームへ遊びにいった、と捉える者もいるでしょう。
 実際まだ、なにもしていない状態です。ほぼ、移動でしたが。
 なので、他の契約につながる足がかりになりそうな、王が示した体裁は、私にとってはありがたいものなのです。

「地下神殿は、いずれ案内してやろう」
「楽しみです。ありがとうございます、ラダウィ様」
 地下神殿の話は、私が滞在していたときにも聞いたことのない話です。王族の中でも秘中の秘だったのでしょうね?
 そのような貴重なものを、目に出来るのは幸運なことですし。
 多くの人の目に触れるようになれば、きっと人気の観光スポットになるでしょう。
 その神殿に足を踏み入れるときが、今から楽しみです。
 そう思って、笑みを向けると。王はそっと微笑んだ。

 柔和な彼の顔は、世界遺産より貴重です。

 そして朝食を終えた頃、部屋がノックされ。ムサファが入ってきた。
「おまえの屋敷を処分し、ムサファに荷物をこちらに持ってこさせた」
 王がそう言い、私は目をみはる。
 私が夜、ラダウィと過ごしていた間に、ムサファは日本に取って返したのでしょうか?
 そういえば、先ほどの毒見の方はムサファではない別の人でした。
 というか、ラダウィが屋敷などと言う我が家は。ワンルームの単身者アパートで、ペットもなし、生ごみもほぼなしです。
 なので、そんなに急がなくても良かったのですが。
 シマーム国の宰相様に、一社員の雑事をさせてしまったというのが、誠に恐縮です。

「詳しいことはムサファに聞け。私は国王という七面倒な役目をしてくるから、おまえは私室で長旅の疲れを取っておけ」
 ラダウィは席を立つと、彼に合わせて立った私をキュッとハグし。
「今宵も離さぬ」
 キスのように私の耳に唇を押し当てて、甘く囁いてから、部屋を出て行った。
 耳たぶを熱くする私を残して。

     ★★★★★

「勝手に部屋にあがりこむようなことになり、申し訳ありません。お荷物はすべて私室の方へ運び入れておきましたので、後ほどご確認ください」
 ラダウィの部屋から私の部屋へ移動している間に、ムサファに謝られる。
「いえ、こちらこそ。引っ越しは役所の手続きや後始末が一番大変ですよね? 全て引き受けていただき、感謝しています」
 いつまでになるかわからないが、一応シマームへ長期出向という形なので。本来は自分で引っ越しの手配はしなければならないのです。
 シマームの意向で急遽連れて来られた、とはいえ。
「面倒くさい事柄を肩代わりしてもらえたので。謝ることなどありません。それに男のひとり暮らしですから、大した荷物もなかったでしょう?」
「…まぁ、確かに。荷物は少なかったですね?」
 意味深な間のあとに、ムサファはつぶやく。
 あまりにも荷物が少なくて、呆れてしまったかもしれませんね?

 それはさておき、ムサファとふたりになれたので。
 私はずっと気になっていたことを、ようやく彼にたずねることができました。
 誰にも聞かれてはならないので。彼に私室に入ってもらう。
「あの、ムサファ…これは外せませんか?」
 左手の腕輪を見せると、ムサファはひやりとした冷たい目を向けた。

「陛下の贈り物がお気に召しませんか?」
 あぁ、王の心づくしの品を拒否したように思われてしまったのでしょうか。
 そうではないのです。

「そんな、気に入らないなんて、絶対にありません。でも、本当のことが…私が華月ではないと知られたときは、この腕輪を弟に渡さなければならないでしょう?」
 寵姫の証は、本当の寵姫の元に渡らなければならないのだ。
 だから私は焦ってしまって。
 王家の紋章の付いた腕輪、これが外せなかったら、華月に渡せなかったら、どうしようって。

「あぁ、そういうことでしたか? 本当に蓮月様は心配性ですね?」
 フフと、ムサファはいつもの優しいお兄さんスマイルを浮かべる。
 誤解は解けたみたいですが。
 彼は続けて言った。

「大丈夫ですよ、あなたが口にしなければ、そう簡単に見破れません。あなたたちはよく似た双子ですからねぇ。今のところ、陛下はとても機嫌が良いでしょう? あなたは気に入られていますよ。このまま親交を育んでください」
「それはもちろん、ムサファの言う通り努めますが。でもこれは、結婚指輪のようなものでしょう? 自分はつける資格がないのに…」
 オロオロする私の肩に手を置いて、ムサファは優しい声で私を諭した。
「落ち着いて、蓮月様。大丈夫です、なにも心配しないで。たとえ、あなたの嘘がバレたとしても。その腕輪が華月様の元へ行くことはないのですから」
 ムサファにはっきり言い切られ、私は目をみはる。
「なぜですか?」
「仮の話ですが。シマームの王が贈った品が、別の人の元へ行ったとして。その品を奪い返して、本命に贈り直す。そのような無様な真似ができるとお思いですか?」
 ムサファのたとえ話は的確で。
 私のような庶民は、高級品だった場合、そのようなことをしてしまう、というか。買い直すことが出来なければ、そうするしかない感じになりますが。

 王の矜持はそれを許さないようです。

「だからもし、華月様があなたの地位に就くとしても、新しい物が贈られます。一度あなたの腕についたものが他者へ渡ることはない。つまり、その腕輪はあなただけのものなのです」
「私…だけの…」
 ラダウィからもらった伴侶の証を腕につけていることが、重荷だった。
 自分は偽物で。これは華月のものだと思っていたから。
 でもムサファに、この腕輪は自分以外の誰の腕にもはまらないのだと教えられて。
 気持ちが楽になりました。

 そして、彼から贈られた二つ目のものとして、愛しさが込み上げる。
 
 ひとつ、懸念事項が片付いて、安堵した私は。私室を下がっていくムサファを見送り。
 ひとりになって、ゆっくり部屋を見渡した。
 与えられた部屋は、以前暮らしていたワンルームの何十倍もの広さがある。
 その部屋の片隅に、荷物がちょこんと置いてあった。
 ワンルームは、家具家電付きだったので。私物は本当に少ないのです。
 その中でも、私にはどうしても手放せないものがあって。
「…ありました」
 少し色せている、白い布。
 ラダウィが王子だった頃にもらった、唯一のもの。
 彼のゴトラだ。
 その古い生地を、そっと抱き締める。
 それだけで、初恋の甘酸っぱさが鮮明によみがえるのです。

「レン、おまえは本当につまらんな」
 今朝見た夢を思い出し。私は金の腕輪がはまる左手で布を撫で、小さく苦笑した。

「いつまでも初恋を夢見る私は、本当につまらない男ですね? ラダウィ様」

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