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12 ここから出さぬと言っている

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     ◆ここから出さぬと言っている

 王のプライベートルームに私は連れてこられた。
 濃いブルーでリネンや壁紙が統一されていて、色味が涼しげで。まるで穏やかな海に漂っているかのように感じる内装だ。
 米俵のように担がれていた私は、無造作にベッドにおろされ。居心地悪く、身を縮める。
 ここに来る間も、これからどうするべきなのかと考えを巡らせていました。
 今、本当のことを言うべきか。
 それとも社長の言うとおりに、華月のフリを通すべきなのか。
 答えは出せませんでしたけど。

 そんな私に見えるように、ラダウィはクローゼットを開け放った。
「おまえを、今日ここに呼ぶよう三峰の者に頼んだのは、私だ。ここで過ごす間に使うものは、おまえのサイズで作ってある。好きに使え」
 クローゼットの中には、スーツと、シャツやネクタイといった小物まで、数十着分もそろっている。しかも上等な品であることは、ひと目で見て取れた。
「困ります、こんな…」
 庶民的に、私は既製品のスーツしか持っていないが。
 王族の屋敷にいたことで、高級品に触れる機会があり。見分けがつくようになったのです。
 で、そこにあるのが、袖を通すのがためらわれるほどの高価な品だとわかり…。
 小心者の私はうろたえてしまった。

にぶいな。ここから出さぬと言っている」

 バンと音を立てて、クローゼットを閉めたラダウィは。寝台に座る私の隣に腰かけた。
「部屋を割り当てられただろうが、帰る猶予は与えぬ。おまえはここから会議の場に出て。ここへ戻るのだ。仕事以外の用で、この部屋から出す気はない」
 彼の指先が、私のスーツの襟元をたどる。
 美術品を愛でるような、優しい指使いに。
 私はあさましくもゾクリと感じて、身を震わせた。

「…ラダウィ様」
 声を出すと、彼が小さく笑みを見せる。
「なんだ? ようやく、なにか言う気になったのか?」

 これを口にしたら、王の表情は曇るだろう。
 正直、今もまだ、悩んでいます。
 真実を打ち明けるのなら、今しかない。おそらくこの瞬間が、ラストチャンスだと思うから。
 しかし、ラダウィが目の前で微笑む、その顔を見ると。心が大きく揺れた。
 私は。唇をゆがめて笑うラダウィしか知らないから。
 華月が相手だと、こんなにも柔らかい表情を見せる…その親しい者にしか見せない彼の顔を、もう少し見たいなんて。そんな欲があらわれてしまった。

 ただ、もう少しだけ。ラダウィのそばにいたくて。

 なので。私はズルい、己の考えを述べた。
「陛下が、ここに滞在している間は、従います。ですが、そのあとは…私は仕事を大事に思っており。当分は会社を辞めるつもりもありません…」

 おそらく、ラダウィの望みというのは。華月と復縁して、もしかしたらシマームへ連れ帰り、ともに暮らす。ということだと思うのですが。
 そのすべてを受け入れるわけにはいきません。

 契約が成立すれば、会社には義理立てできます。
 だから、ラダウィが帰国するまでは、彼の意に従う。
 それは、会社の意にも従うということになるからです。

 でも、華月として振舞えるのは、数日が限度だと思い。この提案を口にしました。
 長く、一緒にいれば。きっと嘘は露呈する。
 それも、理由のひとつ。
 だけど、一番の理由は。
 ラダウィの瞳に映る自分は、自分であって、自分でないから。
 目の前で、弟に愛を囁くラダウィを、見ていたくないのです。

 王の望みのまま、華月の許可なく復縁する態は取れないし。
 まして彼とシマームへ行くなんて、無理な話です。

 そうなったら、きっと。心も体も張り裂ける。そんな自分を、私は容易に予期できた。

 だから、それは承諾できないですが。
 それでも、彼が日本にいる間。
 その間くらいは、耐えられる。心の痛みより、喜びの方が勝るから。
 恋焦がれ。手の届かない存在であるラダウィを。
 目に焼き付けられるのは、これが最後の機会になるでしょう。
 華月には、申し訳ないことだけれど。

 できうる限り、ラダウィを間近で見ていたい。そんな胸の奥に芽生えた卑劣な欲望を、私はおさえられない。

 だから、これは。私に都合がいいことばかりの、ズルい提案なのです。
 どうか、お願いです。
 ほんの数日、いえ数時間だけでもいい…己の素性を隠して彼のそばにいようとする私を、許してほしい。

「ふむ、そう来たか。やっと声を出したかと思えば、全くつれない言葉だ。おまえは相変わらず小憎らしい。私に逆らう愚か者は、今も昔もおまえだけだ」
 そうは言っても、ラダウィは私を…私の向こうにいる華月を、愛しげにみつめる。
「おまえほど私の心をたぎらせる者はいないというのに…おまえだけが、いつもままならぬ」
 華月はきっと、可愛い我が儘で、ラダウィを困らせていたんじゃないかな?
 だが、王を振り回して許されるのは。天真爛漫で、誰からも愛される弟だからこそなのだろう。
 自分では、到底かなわないことですね。
 うらやましくて、ちょっと妬けます。

「ですが、陛下がこちらにいる間は、誠心誠意お仕えさせていただきます。それに、たぶん。それほど長くお待たせいたしません。折り合いがついたら、すぐにシマームへ…陛下の元へ参ります」

 王が帰国をしたら、すぐにも華月と連絡を取って、必ずあなたの元へ向かわせます。
 そうすれば、華月とラダウィは元のさやに納まって、すべてが丸く整うはずだ。
 私の嘘が、バレなかったら…。
 いいえ、そうもいかないでしょうね?
 嘘がバレたら。
 華月のフリをしてあなたのそばにいた私の罪を、裁かれるときが来たら。
 私はラダウィの罰を受けます。
 だからもう少しだけ、あなたのそばにいさせてください。

「まぁ、とりあえずは。おまえの望み通りにしてやろう。だが、私の滞在中は、おまえを存分に堪能させてもらう」
 そうして、ラダウィはスーツのボタンを外した。ワイシャツの薄い生地越し、彼の指が私の胸の上をくすぐる。
「はい、ラダウィ様」
 情事を思わせる彼の仕草に、私の体は期待して熱くなっていくけれど。
 大丈夫だろうか。彼を受け入れたこともないのに。

「緊張しているのか? 大丈夫だ。長く肌を重ねていなかったのだから、この体が愉悦を思い出すまで充分に蕩けさせてやる。それとも…私以外の者を受け入れたか?」
 華月は、わからないけれど。私は、そのようなことはなかった。
「いいえ。ラダウィ様だけです」
「…いい子だ」
 ラダウィは私のスーツの肩口をはだけさせて、首筋にくちづけた。
 その、ちょっと乱暴な仕草が、王子だった頃の彼を彷彿とさせる。
 というか、私の方がふたつも年上なのに、ラダウィは私を子供扱いするときがある。
 彼よりも未熟者だし、背格好も頼りないから、仕方がないのですが。
 もう、いい年をしたおっさんなのですけどね。

 でも。ラダウィにいい子だと言われると。私はなにやら、奇妙な心持ちになるのだ。
 ご主人様に褒められた子犬のような、誇らしさ。
 彼にすべてを預けたくなるような、従順な気持ち。
 無意識に平伏したくなる、感情。

 その気持ちのまま、微笑んで。私は彼に身をゆだねた。

 今はこんなに、近くにいるけれど。
 数日中にシマーム一行が帰国をしたら、きっと、もう二度と、ラダウィには会えないのでしょうね?
 元々、彼が好きなのは華月ですから。
 なにを努力したって、私が王のそばにいることはできないのですけど。

 手を伸ばしても、陽炎のように揺らめいて。触れることなく消えてしまう。

 私にとって、ラダウィはそんな存在だった。
 でも今、彼に抱き締められている、この瞬間の喜び。胸のときめきは。一生涯忘れません…。

 なんて。そんな綺麗な気持ちばかりでは、ない。
 私は、知っている。
 私の闇の部分が、ほの暗い喜びを感じていることを。
 醜い欲望を抱く、心の奥底に潜む私が。彼を手にして、あさましく笑みを浮かべている。

 華月のことも、会社のことも、頭から追いやって。私はラダウィの背に手を回した。

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