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5 これは護身術なのですか?   ★

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     ◆これは護身術なのですか?

 勉強部屋から、ラダウィに強引に連れ出され、私は彼に必死についていった。
 廊下をずんずんと進んで行って。ラダウィは私の部屋の前で止まる。
 彼が顎を振って、開けるようにうながすから。
 扉を開けて、王子を招き入れたが。
 部屋の中に入った直後に、厳しく詰め寄られた。

「レン、おまえはムサファが好きなのかっ?」
 歯を食いしばる、怒りの形相でラダウィに聞かれ。
 私はやはり、ムサファと親しくしていたから王子は怒ったのだと思った。

「せ、先生として、尊敬しています」
 本当のことを、丁寧に伝えた。
 でもラダウィは、手首を掴んだまま、私の背後に回る。
 腕をひねり上げられてしまい、予期しない痛みに息をつめた。

「…っ、ラ、ラダウィさ、ま」
「そんなことは、聞いていない。いつもムサファとふたりで、部屋にこもっているではないか? 先ほども、声を立てて笑っていたな? 奴に、恋愛感情を持っているのだろう?」
「いいえ、勉強室で、先生に教わっているだけ…あっ」
 断じて、ムサファにはやましい気持ちは持っていない。
 先生として、兄として慕っている以外の気持ちは、なにもなかった。
 けれど。そんな思いもしないことを責められて。
 ラダウィには。恋愛感情を持っているから。
 その後ろめたさが、ヒヤリとさせて。語尾を濁らせる。

 すると、きつく腕をひねられ。苦痛の声が漏れた。
「怪しいなぁ」
「本当です。先生に、恋愛感情なんかありませんっ、だから、は、離してくださいっ」
「…痛いなら、抜け出せばいいだろう? 護身術の基礎だ」
 鼻で軽く笑うような声で、言われるけど。
「で、できません…護身術は、苦手で…」
 私は、顔だけラダウィの方を向き、背後の彼に伝えた。
 痛みに涙ぐむ、にじんだ視界に。
 自分を食い入るようにみつめるラダウィが見える。

「できない、か。軟弱なやつだ。こんなことでは、レンはすぐに誘拐されてしまいそうだな?」
「誘拐されても、なにも出ませんけど」
 私は王族ではないし。家庭が特別に裕福なわけでもない。中流階級の、ごく一般的な家の子供だ。
 だから、誘拐とは無縁だと思っていた。

「なにを言うか。おまえが誘拐されたら、身代金は日本政府に要求されるのだ。国家を巻き込む大騒動になるのだぞ?」
 彼にそう言われ、すぐに思い直した。
 誘拐というと。日本では、犯人が家庭に金銭を要求することが多く。
 北米圏では、離婚などで疎遠になった家族間での事情が多かった。どちらも個人による取引になる。
 しかし中東では。武装グループによって、対国たいくにでの取引がなされることが多いのだ。
 そして、その危険を回避するために、私たち兄弟は王族の屋敷で保護されているのだった。

「そうでしたね? シマームでの生活が、あまりにも快適で。今までなんの危険にも遭遇しなかったから。そのことをつい失念していました」
 私は笑みを浮かべて、彼に答えた。
 先ほど。気の利いた話はできなくても、彼に笑いかけることくらいは、できるかもと思っていた。
 それを実行できて。ラダウィに笑いかけるのに成功して。
 話の途中だけど。腕をひねられているけど。私はとても嬉しくなった。

「…レン」
 珍しいものを見た、という顔で。ラダウィが私をのぞき込む。
 金色の瞳に見据えられ、心がワサワサとかき回されるような、落ち着かない気分になる。
 鼓動が、恋心に反応して、跳ね狂う。苦しくなる。
 でも、それを我慢して。彼の瞳から目をそらさなかった。

 そうしたら。彼の柔らかそうな唇が、ゆっくり動いて。言葉を紡ぐ。

「護身術を、もう一度指導してやる」
 腕は離してくれたけど。ラダウィは私を連れて部屋の真ん中へ行くと、ベッドに放り投げた。
 寝台の上で身を起こす間もなく、ラダウィが私の体の上にのしかかってきて。プロレス技をかけるみたいにして、私の右足を肩に担ぎ。手の指、一本一本に指を絡めて、両手も握ってしまう。
 本当に、あっという間の出来事で。なんの抵抗もできなかった。
 さらに複雑な体勢にされて、どうにもできない。どこも動かせなかった。

「さぁ、逃げ出してみろ」

 思わず、目をみはる。
 っに、逃げろと、言われても…。
 私は体育が苦手だし、体も固い。
 体重をかけられているせいで、フリーな左足も動かせないし。肩に担がれた右足の先が、かろうじて振れるくらいですよ?

「無理です、こんな…あ、んっ」
 ラダウィが体を倒すと、足が曲げられ、股関節が悲鳴を上げる。
 私が痛がるのを見て、楽しんでいるのか。ラダウィは、わざと体を揺らす。
「う、うぁ、い、た…っあ、ラダウ、ィさ、ま、も、やぁ」
「ほら、早く脱出しないと、もっと痛くするぞ?」
 小刻みな動きで圧迫されて。ベッドがギシギシと軋んだ。

 痛いのは、普通に嫌ですけど。
 それとは別に、王子の体が密着するので。
 彼の体の熱さや、匂いや、肌が触れる感触を。リアルに、程近くに感じて。
 私の体は意思に反して熱くなっていく。
 ラダウィに。王族の高貴なお方に。そのような性的なことを想像したら、駄目なのに。

「お、お許しを…ラダウィ様」
 曲げられた足はギシギシと痛いが。
 心臓は壊れそうなくらい、ドキドキしている。
 好きな人が、こんなに間近にいて。
 好きな人が、私の体に触れていて。

 痛くて、嬉しくて、恥ずかしくて。

 そんな自分の気持ちが、ラダウィに知られる前に。彼から離れたかった。
「もう降参か? レン」
「は、い。ぁ…も、動かないで…」
 絡めた指に力を入れて、懇願する。
「こうして揺すったら、痛いか? これは?」
 ラダウィは、指を絡めている手の甲を、親指でそろりと撫でてくる。
 あやすような。くすぐるような感触で。
 なんだか、ぞくぞくした。
「ん、い、たぁい、あ、それ、駄目、も、や、ぁ」
「痛いのが嫌なら。もっと私を楽しませろ。おまえに、それができるかな?」
 舌舐めずりをしながら、ラダウィに見下ろされる。
 ずっとドキドキしっ放しだが。その、艶っぽさに。また鼓動が跳ねた。
 どうやって、獲物を弄んでやろうか。という表情かもしれないが。
 金の瞳が、獰猛な獣のような迫力で。
 厚みのある唇は野性的な色気を醸し。
 薄い笑みは、酷薄な帝王のような威厳に見え。

 私は。神の前で自然に膝を折る、殉教者のように。彼にかしずきたくなった。

「はい。なんでもいたします」
 そう言うと、ラダウィは、私の足を肩から降ろしてくれた。
 体に、変な力が入っていたらしく。足も手も離してもらえたのに、なんだかぐったりして。私は横向きで寝台に伏せ、浅い息をついていた。
 その耳元に、鼓膜を包むようなラダウィの声が響く。
「なんでも? 私の部屋に拘束してしまおうか? おまえを私のおもちゃにして。好きなときにおまえと遊ぶのだ。最高の暇つぶしになりそうで、愉快だな?」
 彼は、わざと怖そうなことを囁いて、私を脅えさせようとしたのかもしれない。
 でも。
 間近に顔を寄せる、彼の口元が柔らかい弧を描いて、微笑しているから。
 機嫌のいいラダウィを見ていられるのなら、私はなんでもできると思って。彼にうなずいた。

「私を、ラダウィ様のおもちゃにしてください」

 すると、彼は。満足そうな笑みを浮かべ。
 指先で、私の頬から首筋へと撫でおろしていった。
「良いのか? おもちゃになったら。私のされるがままだぞ? 文句を言ってはいけないし。私から逃げるのも許さない」
 ラダウィは私の肩をやんわり押して、仰向けに返すと。私の薄い胸板を手でなぞっていった。
 その些細な感触が、くすぐったいのと。彼に触れられているというときめきで。胸がざわめいた。

「逃げません。ラダウィ様の、お望みのままに…」
「本当かな? 足を開け、レン。さぁ、どこまで耐えられるかな?」
 彼は、私のくの字に曲げた足の間に体を入れ込み。正面から抱きしめると。首筋を軽く噛んだ。
「は…あっ」
 ジンとした痺れが、尾てい骨に走り抜けた。
 王子を相手に、性的なことを考えてはいけないのに、好きな人に触られているというだけで、体が勝手に高ぶってしまう。
「や、ラダウィ様」
「なんでもするのだろう? これは序の口だぞ? レン」
 噛んだ首筋をべロリと舌で舐めあげ、ラダウィは楽しげに囁いた。
 そして耳たぶを噛んだり、鎖骨を噛んだり。
 手は、脇腹や腰骨をくすぐるように撫でていく。

「ふふ、くすぐったい。ラダウィ様」
「我慢しろ。護身術を教えているのだ」
「これは護身術なのですか?」
 そういえば、護身術を指導すると、先ほど言われていた。
 体が密着して、自分はエッチなことばかりに頭が向いていましたが。
 ラダウィは真剣に教えてくれているのに、そんなことを考えて、申し訳ない気になった。

「そうだ。おまえは覚えが悪いから。逃げたいと思うようなことをわざとしているのだ。私に抵抗して。拘束から脱出してみろ」
「逃げても、良いのですか?」
 おもちゃは逃げてはいけないと言われたので。ラダウィにたずねるが。
「あぁ、その方がきょうが乗るってこともある。私のおもちゃになるのなら、気を利かせて、私の気持ちを先々に察知しなければならない。おまえには、難しいかもな?」
 と言われる。
 はい。とても難しいです。
 私はいつも気が利かないし。人の機微を察するのが下手なので。

「さぁ、レン? 私の腕の中から逃げてみろ」
 喉の奥でくつくつと笑いながら、ラダウィは私の背中に腕を回して、ギュッと締めつける。
 逃げろと言われたので。私も、彼の背中の衣装を手で掴んで、一生懸命脱出しようと試みるのだが。
 体を密着させたまま上下に揺さぶられて、その動きに、彼の力強さに、全然かなわなくて。
 私はただただ、ラダウィにしがみつくみたいになってしまった。

「脱出しないのか? だったら、食べてしまうぞ?」
 ラダウィに、また首筋を噛まれた。
 本当に食べられてしまうかもと、ゾクッとしたが。
 彼は、今度は歯を立てず。舌で舐め濡らしながら、やわやわと食んでいった。
 でも、その感触に。私は、感じてしまって。
 腰骨が疼く、あの、自分で慰めるときの感じになってきて。
 ブワッと顔を赤らめた。
「は、ぁ、ラダウィさま…」
「くはっ、最高に楽しいなぁ。レン、もっと食べさせろ」
 耳の穴に舌が差し込まれ。頬や頭の後ろに快感がぞわぞわと広がる。
 体をまさぐる彼の手を意識すると、もどかしい感覚に溺れそうになる。

 でも、楽しいと言われると。止められない。

 ラダウィが、本当に楽しそうに見える。
 はじめて彼を楽しませることができている、と思うと。
 これでいいって。
 このまま。気持ち良さに身をゆだねてしまいたくなって…。

 そんな場面で。部屋の扉が開いて。華月が入ってきた。
「なぁ、レンちゃん。あそこの市場でさぁ…」
 最初はのんきな声を出していた華月が。私を見て凍りついた。
 目も口も、驚きに開いて。
 だがすぐに、叫びを上げた。

「なにやってんだよっ!」

 いつも笑っている華月が、怒りをむき出しにするところを。私はあまり見たことがなかったから。
 その激昂に、こちらも驚いてしまった。

 華月は、ギシリと音が鳴りそうなくらいに歯を食いしばり。目も吊り上げている。
「レンになにしてるって、聞いてんだよっ」
 足音荒く寝台に近づいた弟は、ラダウィの服を掴んで、寝台から引きずり下ろした。

 その行動に、私は髪が逆立つほどの驚愕に襲われた。

 私は寝台から転げ落ちる勢いで、身を起こしながら下に降り。慌ててラダウィを助け起こした。
 王子を床に引き倒すなんてっ。
 一国の王子に手を上げるという大それたことをした弟を、私は叱った。
「ハナちゃんっ、ラダウィ様になんてことを…」
「俺は、悪くない。レンちゃんはこいつをかばうのかっ?」
 でも、華月は。怒りの矛先を私に向けて、強い視線で睨んできた。

「こいつがなにをしていたのか、レンちゃんはわかっていないんだろ?」
「護身術を習っていただけだよ」

 弟を謝らせたい一心で、とにかく事情を説明した。
 なにも、変なことはしていなかった。
 ただ…私は。
 やましい感情をラダウィに持っていたから。
 いやらしく、後ろめたい想いに、気が咎めはするけれど。

 でも、それと。弟がラダウィにしたこととは、別です。

 とにかくこの場をおさめなきゃって、焦るばかりの私を。
 華月は呆れたという顔で、見やるのだった。

「いいから。とにかくラダウィ様に謝りなさい」
「嫌だね。つぅか、殴られても文句は言えないはずだけどなぁ? ベッドから落とされるようなことを、こいつはしていたということだ。そうだろう? 王子様よぉ?」
 謝ってほしいのに、逆に華月は、挑発的な言葉で威圧する。

「馬鹿っ。嘘をついただけで死刑になるかもしれないのに。転ばせたなんて…謝らないと大変なことになるんだよ?」
「俺を死刑にするのか? ラダウィ様」
 私の言葉を受け、華月は尊大な顔つきで、ラダウィを睨み下ろす。
 しかしラダウィは、華月を無視して立ち上がり。なにも口にすることなく、部屋から出て行った。

「言い訳もなしかよ、傲慢な奴め」
 吐き捨てたあと、華月は私に視線を戻す。

「レンちゃん、大丈夫か? どこも痛くない?」
 私の乱れてよれたシャツや、髪を、指先で直しながら。心配そうに聞いてくる。
 華月は私に怒りを向けてはこなかった。

「なにもないよ。それよりハナちゃんの方が…今からでも謝った方がいいよ。一緒に行ってあげるから」
 私は、心から心配して言っているのに。
 弟は、私の首筋を手で撫でて。首を振る。
「いいや。今、あいつの顔を見たら、殴っちゃいそう」
「なんで? ラダウィ様と喧嘩したのか?」

 弟が、なにをそんなに怒っているのか、私はわからなくて。
 もしかしたら、今より前に喧嘩でもしていたのかと思って。そう聞いたのだが。
 華月は、軽く笑い飛ばした。

「レンちゃん、あいつに…いや。いいか。とにかく、俺はラダウィに謝らない」
 なにかを言いかけて、のみ込んだ華月は。私の言葉に首を横に振るばかりだ。
 なんとか、説得しようと思ったが。
 弟は私を手で制して、話を続けたのだ。

「どうせ、あいつは俺になにもできやしない。父さんが、明日シマームに戻ってくるんだ。そうしたら、すぐに帰国する」
「え?」
 父の、中東での赴任期間が、そろそろ終了するとは聞いていました。
 でも、あと数日で帰国だなんて。
 そのことをはじめて知り。突然のことに驚いて、声をあげてしまった。
「ラダウィと顔を合わせるのも、あとちょっとだ。だから、レンちゃん。今日のことは、もう忘れな? そんなことより、見て見てぇ。レンちゃんの分も、お土産いっぱい買ってきたんだから」
 なにもなかったかのように、土産物を机の上に並べ始めた華月に。
 私は笑みを向けるしかなかった。

 でも、気持ちは憂鬱です。

 王子様である彼と付き合えるなんて、そんな身の程知らずなことを考えたわけではありません。
 望みのない恋だと、ちゃんと知っています。
 だけど、今日の出来事で。

 心だけの淡い感情ではなく。体も彼を求めているのだと、思い知らされました。

 初恋の王子様。絶望的な恋。
 だから、ここで彼と離れるのは、神の采配で。
 きっと、それが一番いいことなのでしょう。

 でも、ようやく。ラダウィと、ちょっとだけ距離が近づいて。
 おもちゃでもいいから、彼と友達になれたら。なれそうって。思っていた矢先だったから。
 あと数日で、彼と別れることが決まって、名残惜しい気分になる。

 唐突な別れの宣告に、私は悲しみに打ちひしがれた。

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