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5 これは護身術なのですか? ★
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◆これは護身術なのですか?
勉強部屋から、ラダウィに強引に連れ出され、私は彼に必死についていった。
廊下をずんずんと進んで行って。ラダウィは私の部屋の前で止まる。
彼が顎を振って、開けるようにうながすから。
扉を開けて、王子を招き入れたが。
部屋の中に入った直後に、厳しく詰め寄られた。
「レン、おまえはムサファが好きなのかっ?」
歯を食いしばる、怒りの形相でラダウィに聞かれ。
私はやはり、ムサファと親しくしていたから王子は怒ったのだと思った。
「せ、先生として、尊敬しています」
本当のことを、丁寧に伝えた。
でもラダウィは、手首を掴んだまま、私の背後に回る。
腕をひねり上げられてしまい、予期しない痛みに息をつめた。
「…っ、ラ、ラダウィさ、ま」
「そんなことは、聞いていない。いつもムサファとふたりで、部屋にこもっているではないか? 先ほども、声を立てて笑っていたな? 奴に、恋愛感情を持っているのだろう?」
「いいえ、勉強室で、先生に教わっているだけ…あっ」
断じて、ムサファにはやましい気持ちは持っていない。
先生として、兄として慕っている以外の気持ちは、なにもなかった。
けれど。そんな思いもしないことを責められて。
ラダウィには。恋愛感情を持っているから。
その後ろめたさが、ヒヤリとさせて。語尾を濁らせる。
すると、きつく腕をひねられ。苦痛の声が漏れた。
「怪しいなぁ」
「本当です。先生に、恋愛感情なんかありませんっ、だから、は、離してくださいっ」
「…痛いなら、抜け出せばいいだろう? 護身術の基礎だ」
鼻で軽く笑うような声で、言われるけど。
「で、できません…護身術は、苦手で…」
私は、顔だけラダウィの方を向き、背後の彼に伝えた。
痛みに涙ぐむ、にじんだ視界に。
自分を食い入るようにみつめるラダウィが見える。
「できない、か。軟弱なやつだ。こんなことでは、レンはすぐに誘拐されてしまいそうだな?」
「誘拐されても、なにも出ませんけど」
私は王族ではないし。家庭が特別に裕福なわけでもない。中流階級の、ごく一般的な家の子供だ。
だから、誘拐とは無縁だと思っていた。
「なにを言うか。おまえが誘拐されたら、身代金は日本政府に要求されるのだ。国家を巻き込む大騒動になるのだぞ?」
彼にそう言われ、すぐに思い直した。
誘拐というと。日本では、犯人が家庭に金銭を要求することが多く。
北米圏では、離婚などで疎遠になった家族間での事情が多かった。どちらも個人による取引になる。
しかし中東では。武装グループによって、対国での取引がなされることが多いのだ。
そして、その危険を回避するために、私たち兄弟は王族の屋敷で保護されているのだった。
「そうでしたね? シマームでの生活が、あまりにも快適で。今までなんの危険にも遭遇しなかったから。そのことをつい失念していました」
私は笑みを浮かべて、彼に答えた。
先ほど。気の利いた話はできなくても、彼に笑いかけることくらいは、できるかもと思っていた。
それを実行できて。ラダウィに笑いかけるのに成功して。
話の途中だけど。腕をひねられているけど。私はとても嬉しくなった。
「…レン」
珍しいものを見た、という顔で。ラダウィが私をのぞき込む。
金色の瞳に見据えられ、心がワサワサとかき回されるような、落ち着かない気分になる。
鼓動が、恋心に反応して、跳ね狂う。苦しくなる。
でも、それを我慢して。彼の瞳から目をそらさなかった。
そうしたら。彼の柔らかそうな唇が、ゆっくり動いて。言葉を紡ぐ。
「護身術を、もう一度指導してやる」
腕は離してくれたけど。ラダウィは私を連れて部屋の真ん中へ行くと、ベッドに放り投げた。
寝台の上で身を起こす間もなく、ラダウィが私の体の上にのしかかってきて。プロレス技をかけるみたいにして、私の右足を肩に担ぎ。手の指、一本一本に指を絡めて、両手も握ってしまう。
本当に、あっという間の出来事で。なんの抵抗もできなかった。
さらに複雑な体勢にされて、どうにもできない。どこも動かせなかった。
「さぁ、逃げ出してみろ」
思わず、目をみはる。
っに、逃げろと、言われても…。
私は体育が苦手だし、体も固い。
体重をかけられているせいで、フリーな左足も動かせないし。肩に担がれた右足の先が、かろうじて振れるくらいですよ?
「無理です、こんな…あ、んっ」
ラダウィが体を倒すと、足が曲げられ、股関節が悲鳴を上げる。
私が痛がるのを見て、楽しんでいるのか。ラダウィは、わざと体を揺らす。
「う、うぁ、い、た…っあ、ラダウ、ィさ、ま、も、やぁ」
「ほら、早く脱出しないと、もっと痛くするぞ?」
小刻みな動きで圧迫されて。ベッドがギシギシと軋んだ。
痛いのは、普通に嫌ですけど。
それとは別に、王子の体が密着するので。
彼の体の熱さや、匂いや、肌が触れる感触を。リアルに、程近くに感じて。
私の体は意思に反して熱くなっていく。
ラダウィに。王族の高貴なお方に。そのような性的なことを想像したら、駄目なのに。
「お、お許しを…ラダウィ様」
曲げられた足はギシギシと痛いが。
心臓は壊れそうなくらい、ドキドキしている。
好きな人が、こんなに間近にいて。
好きな人が、私の体に触れていて。
痛くて、嬉しくて、恥ずかしくて。
そんな自分の気持ちが、ラダウィに知られる前に。彼から離れたかった。
「もう降参か? レン」
「は、い。ぁ…も、動かないで…」
絡めた指に力を入れて、懇願する。
「こうして揺すったら、痛いか? これは?」
ラダウィは、指を絡めている手の甲を、親指でそろりと撫でてくる。
あやすような。くすぐるような感触で。
なんだか、ぞくぞくした。
「ん、い、たぁい、あ、それ、駄目、も、や、ぁ」
「痛いのが嫌なら。もっと私を楽しませろ。おまえに、それができるかな?」
舌舐めずりをしながら、ラダウィに見下ろされる。
ずっとドキドキしっ放しだが。その、艶っぽさに。また鼓動が跳ねた。
どうやって、獲物を弄んでやろうか。という表情かもしれないが。
金の瞳が、獰猛な獣のような迫力で。
厚みのある唇は野性的な色気を醸し。
薄い笑みは、酷薄な帝王のような威厳に見え。
私は。神の前で自然に膝を折る、殉教者のように。彼に傅きたくなった。
「はい。なんでもいたします」
そう言うと、ラダウィは、私の足を肩から降ろしてくれた。
体に、変な力が入っていたらしく。足も手も離してもらえたのに、なんだかぐったりして。私は横向きで寝台に伏せ、浅い息をついていた。
その耳元に、鼓膜を包むようなラダウィの声が響く。
「なんでも? 私の部屋に拘束してしまおうか? おまえを私のおもちゃにして。好きなときにおまえと遊ぶのだ。最高の暇つぶしになりそうで、愉快だな?」
彼は、わざと怖そうなことを囁いて、私を脅えさせようとしたのかもしれない。
でも。
間近に顔を寄せる、彼の口元が柔らかい弧を描いて、微笑しているから。
機嫌のいいラダウィを見ていられるのなら、私はなんでもできると思って。彼にうなずいた。
「私を、ラダウィ様のおもちゃにしてください」
すると、彼は。満足そうな笑みを浮かべ。
指先で、私の頬から首筋へと撫でおろしていった。
「良いのか? おもちゃになったら。私のされるがままだぞ? 文句を言ってはいけないし。私から逃げるのも許さない」
ラダウィは私の肩をやんわり押して、仰向けに返すと。私の薄い胸板を手でなぞっていった。
その些細な感触が、くすぐったいのと。彼に触れられているというときめきで。胸がざわめいた。
「逃げません。ラダウィ様の、お望みのままに…」
「本当かな? 足を開け、レン。さぁ、どこまで耐えられるかな?」
彼は、私のくの字に曲げた足の間に体を入れ込み。正面から抱きしめると。首筋を軽く噛んだ。
「は…あっ」
ジンとした痺れが、尾てい骨に走り抜けた。
王子を相手に、性的なことを考えてはいけないのに、好きな人に触られているというだけで、体が勝手に高ぶってしまう。
「や、ラダウィ様」
「なんでもするのだろう? これは序の口だぞ? レン」
噛んだ首筋をべロリと舌で舐めあげ、ラダウィは楽しげに囁いた。
そして耳たぶを噛んだり、鎖骨を噛んだり。
手は、脇腹や腰骨をくすぐるように撫でていく。
「ふふ、くすぐったい。ラダウィ様」
「我慢しろ。護身術を教えているのだ」
「これは護身術なのですか?」
そういえば、護身術を指導すると、先ほど言われていた。
体が密着して、自分はエッチなことばかりに頭が向いていましたが。
ラダウィは真剣に教えてくれているのに、そんなことを考えて、申し訳ない気になった。
「そうだ。おまえは覚えが悪いから。逃げたいと思うようなことをわざとしているのだ。私に抵抗して。拘束から脱出してみろ」
「逃げても、良いのですか?」
おもちゃは逃げてはいけないと言われたので。ラダウィにたずねるが。
「あぁ、その方が興が乗るってこともある。私のおもちゃになるのなら、気を利かせて、私の気持ちを先々に察知しなければならない。おまえには、難しいかもな?」
と言われる。
はい。とても難しいです。
私はいつも気が利かないし。人の機微を察するのが下手なので。
「さぁ、レン? 私の腕の中から逃げてみろ」
喉の奥でくつくつと笑いながら、ラダウィは私の背中に腕を回して、ギュッと締めつける。
逃げろと言われたので。私も、彼の背中の衣装を手で掴んで、一生懸命脱出しようと試みるのだが。
体を密着させたまま上下に揺さぶられて、その動きに、彼の力強さに、全然かなわなくて。
私はただただ、ラダウィにしがみつくみたいになってしまった。
「脱出しないのか? だったら、食べてしまうぞ?」
ラダウィに、また首筋を噛まれた。
本当に食べられてしまうかもと、ゾクッとしたが。
彼は、今度は歯を立てず。舌で舐め濡らしながら、やわやわと食んでいった。
でも、その感触に。私は、感じてしまって。
腰骨が疼く、あの、自分で慰めるときの感じになってきて。
ブワッと顔を赤らめた。
「は、ぁ、ラダウィさま…」
「くはっ、最高に楽しいなぁ。レン、もっと食べさせろ」
耳の穴に舌が差し込まれ。頬や頭の後ろに快感がぞわぞわと広がる。
体をまさぐる彼の手を意識すると、もどかしい感覚に溺れそうになる。
でも、楽しいと言われると。止められない。
ラダウィが、本当に楽しそうに見える。
はじめて彼を楽しませることができている、と思うと。
これでいいって。
このまま。気持ち良さに身をゆだねてしまいたくなって…。
そんな場面で。部屋の扉が開いて。華月が入ってきた。
「なぁ、レンちゃん。あそこの市場でさぁ…」
最初はのんきな声を出していた華月が。私を見て凍りついた。
目も口も、驚きに開いて。
だがすぐに、叫びを上げた。
「なにやってんだよっ!」
いつも笑っている華月が、怒りをむき出しにするところを。私はあまり見たことがなかったから。
その激昂に、こちらも驚いてしまった。
華月は、ギシリと音が鳴りそうなくらいに歯を食いしばり。目も吊り上げている。
「レンになにしてるって、聞いてんだよっ」
足音荒く寝台に近づいた弟は、ラダウィの服を掴んで、寝台から引きずり下ろした。
その行動に、私は髪が逆立つほどの驚愕に襲われた。
私は寝台から転げ落ちる勢いで、身を起こしながら下に降り。慌ててラダウィを助け起こした。
王子を床に引き倒すなんてっ。
一国の王子に手を上げるという大それたことをした弟を、私は叱った。
「ハナちゃんっ、ラダウィ様になんてことを…」
「俺は、悪くない。レンちゃんはこいつをかばうのかっ?」
でも、華月は。怒りの矛先を私に向けて、強い視線で睨んできた。
「こいつがなにをしていたのか、レンちゃんはわかっていないんだろ?」
「護身術を習っていただけだよ」
弟を謝らせたい一心で、とにかく事情を説明した。
なにも、変なことはしていなかった。
ただ…私は。
やましい感情をラダウィに持っていたから。
いやらしく、後ろめたい想いに、気が咎めはするけれど。
でも、それと。弟がラダウィにしたこととは、別です。
とにかくこの場をおさめなきゃって、焦るばかりの私を。
華月は呆れたという顔で、見やるのだった。
「いいから。とにかくラダウィ様に謝りなさい」
「嫌だね。つぅか、殴られても文句は言えないはずだけどなぁ? ベッドから落とされるようなことを、こいつはしていたということだ。そうだろう? 王子様よぉ?」
謝ってほしいのに、逆に華月は、挑発的な言葉で威圧する。
「馬鹿っ。嘘をついただけで死刑になるかもしれないのに。転ばせたなんて…謝らないと大変なことになるんだよ?」
「俺を死刑にするのか? ラダウィ様」
私の言葉を受け、華月は尊大な顔つきで、ラダウィを睨み下ろす。
しかしラダウィは、華月を無視して立ち上がり。なにも口にすることなく、部屋から出て行った。
「言い訳もなしかよ、傲慢な奴め」
吐き捨てたあと、華月は私に視線を戻す。
「レンちゃん、大丈夫か? どこも痛くない?」
私の乱れてよれたシャツや、髪を、指先で直しながら。心配そうに聞いてくる。
華月は私に怒りを向けてはこなかった。
「なにもないよ。それよりハナちゃんの方が…今からでも謝った方がいいよ。一緒に行ってあげるから」
私は、心から心配して言っているのに。
弟は、私の首筋を手で撫でて。首を振る。
「いいや。今、あいつの顔を見たら、殴っちゃいそう」
「なんで? ラダウィ様と喧嘩したのか?」
弟が、なにをそんなに怒っているのか、私はわからなくて。
もしかしたら、今より前に喧嘩でもしていたのかと思って。そう聞いたのだが。
華月は、軽く笑い飛ばした。
「レンちゃん、あいつに…いや。いいか。とにかく、俺はラダウィに謝らない」
なにかを言いかけて、のみ込んだ華月は。私の言葉に首を横に振るばかりだ。
なんとか、説得しようと思ったが。
弟は私を手で制して、話を続けたのだ。
「どうせ、あいつは俺になにもできやしない。父さんが、明日シマームに戻ってくるんだ。そうしたら、すぐに帰国する」
「え?」
父の、中東での赴任期間が、そろそろ終了するとは聞いていました。
でも、あと数日で帰国だなんて。
そのことをはじめて知り。突然のことに驚いて、声をあげてしまった。
「ラダウィと顔を合わせるのも、あとちょっとだ。だから、レンちゃん。今日のことは、もう忘れな? そんなことより、見て見てぇ。レンちゃんの分も、お土産いっぱい買ってきたんだから」
なにもなかったかのように、土産物を机の上に並べ始めた華月に。
私は笑みを向けるしかなかった。
でも、気持ちは憂鬱です。
王子様である彼と付き合えるなんて、そんな身の程知らずなことを考えたわけではありません。
望みのない恋だと、ちゃんと知っています。
だけど、今日の出来事で。
心だけの淡い感情ではなく。体も彼を求めているのだと、思い知らされました。
初恋の王子様。絶望的な恋。
だから、ここで彼と離れるのは、神の采配で。
きっと、それが一番いいことなのでしょう。
でも、ようやく。ラダウィと、ちょっとだけ距離が近づいて。
おもちゃでもいいから、彼と友達になれたら。なれそうって。思っていた矢先だったから。
あと数日で、彼と別れることが決まって、名残惜しい気分になる。
唐突な別れの宣告に、私は悲しみに打ちひしがれた。
勉強部屋から、ラダウィに強引に連れ出され、私は彼に必死についていった。
廊下をずんずんと進んで行って。ラダウィは私の部屋の前で止まる。
彼が顎を振って、開けるようにうながすから。
扉を開けて、王子を招き入れたが。
部屋の中に入った直後に、厳しく詰め寄られた。
「レン、おまえはムサファが好きなのかっ?」
歯を食いしばる、怒りの形相でラダウィに聞かれ。
私はやはり、ムサファと親しくしていたから王子は怒ったのだと思った。
「せ、先生として、尊敬しています」
本当のことを、丁寧に伝えた。
でもラダウィは、手首を掴んだまま、私の背後に回る。
腕をひねり上げられてしまい、予期しない痛みに息をつめた。
「…っ、ラ、ラダウィさ、ま」
「そんなことは、聞いていない。いつもムサファとふたりで、部屋にこもっているではないか? 先ほども、声を立てて笑っていたな? 奴に、恋愛感情を持っているのだろう?」
「いいえ、勉強室で、先生に教わっているだけ…あっ」
断じて、ムサファにはやましい気持ちは持っていない。
先生として、兄として慕っている以外の気持ちは、なにもなかった。
けれど。そんな思いもしないことを責められて。
ラダウィには。恋愛感情を持っているから。
その後ろめたさが、ヒヤリとさせて。語尾を濁らせる。
すると、きつく腕をひねられ。苦痛の声が漏れた。
「怪しいなぁ」
「本当です。先生に、恋愛感情なんかありませんっ、だから、は、離してくださいっ」
「…痛いなら、抜け出せばいいだろう? 護身術の基礎だ」
鼻で軽く笑うような声で、言われるけど。
「で、できません…護身術は、苦手で…」
私は、顔だけラダウィの方を向き、背後の彼に伝えた。
痛みに涙ぐむ、にじんだ視界に。
自分を食い入るようにみつめるラダウィが見える。
「できない、か。軟弱なやつだ。こんなことでは、レンはすぐに誘拐されてしまいそうだな?」
「誘拐されても、なにも出ませんけど」
私は王族ではないし。家庭が特別に裕福なわけでもない。中流階級の、ごく一般的な家の子供だ。
だから、誘拐とは無縁だと思っていた。
「なにを言うか。おまえが誘拐されたら、身代金は日本政府に要求されるのだ。国家を巻き込む大騒動になるのだぞ?」
彼にそう言われ、すぐに思い直した。
誘拐というと。日本では、犯人が家庭に金銭を要求することが多く。
北米圏では、離婚などで疎遠になった家族間での事情が多かった。どちらも個人による取引になる。
しかし中東では。武装グループによって、対国での取引がなされることが多いのだ。
そして、その危険を回避するために、私たち兄弟は王族の屋敷で保護されているのだった。
「そうでしたね? シマームでの生活が、あまりにも快適で。今までなんの危険にも遭遇しなかったから。そのことをつい失念していました」
私は笑みを浮かべて、彼に答えた。
先ほど。気の利いた話はできなくても、彼に笑いかけることくらいは、できるかもと思っていた。
それを実行できて。ラダウィに笑いかけるのに成功して。
話の途中だけど。腕をひねられているけど。私はとても嬉しくなった。
「…レン」
珍しいものを見た、という顔で。ラダウィが私をのぞき込む。
金色の瞳に見据えられ、心がワサワサとかき回されるような、落ち着かない気分になる。
鼓動が、恋心に反応して、跳ね狂う。苦しくなる。
でも、それを我慢して。彼の瞳から目をそらさなかった。
そうしたら。彼の柔らかそうな唇が、ゆっくり動いて。言葉を紡ぐ。
「護身術を、もう一度指導してやる」
腕は離してくれたけど。ラダウィは私を連れて部屋の真ん中へ行くと、ベッドに放り投げた。
寝台の上で身を起こす間もなく、ラダウィが私の体の上にのしかかってきて。プロレス技をかけるみたいにして、私の右足を肩に担ぎ。手の指、一本一本に指を絡めて、両手も握ってしまう。
本当に、あっという間の出来事で。なんの抵抗もできなかった。
さらに複雑な体勢にされて、どうにもできない。どこも動かせなかった。
「さぁ、逃げ出してみろ」
思わず、目をみはる。
っに、逃げろと、言われても…。
私は体育が苦手だし、体も固い。
体重をかけられているせいで、フリーな左足も動かせないし。肩に担がれた右足の先が、かろうじて振れるくらいですよ?
「無理です、こんな…あ、んっ」
ラダウィが体を倒すと、足が曲げられ、股関節が悲鳴を上げる。
私が痛がるのを見て、楽しんでいるのか。ラダウィは、わざと体を揺らす。
「う、うぁ、い、た…っあ、ラダウ、ィさ、ま、も、やぁ」
「ほら、早く脱出しないと、もっと痛くするぞ?」
小刻みな動きで圧迫されて。ベッドがギシギシと軋んだ。
痛いのは、普通に嫌ですけど。
それとは別に、王子の体が密着するので。
彼の体の熱さや、匂いや、肌が触れる感触を。リアルに、程近くに感じて。
私の体は意思に反して熱くなっていく。
ラダウィに。王族の高貴なお方に。そのような性的なことを想像したら、駄目なのに。
「お、お許しを…ラダウィ様」
曲げられた足はギシギシと痛いが。
心臓は壊れそうなくらい、ドキドキしている。
好きな人が、こんなに間近にいて。
好きな人が、私の体に触れていて。
痛くて、嬉しくて、恥ずかしくて。
そんな自分の気持ちが、ラダウィに知られる前に。彼から離れたかった。
「もう降参か? レン」
「は、い。ぁ…も、動かないで…」
絡めた指に力を入れて、懇願する。
「こうして揺すったら、痛いか? これは?」
ラダウィは、指を絡めている手の甲を、親指でそろりと撫でてくる。
あやすような。くすぐるような感触で。
なんだか、ぞくぞくした。
「ん、い、たぁい、あ、それ、駄目、も、や、ぁ」
「痛いのが嫌なら。もっと私を楽しませろ。おまえに、それができるかな?」
舌舐めずりをしながら、ラダウィに見下ろされる。
ずっとドキドキしっ放しだが。その、艶っぽさに。また鼓動が跳ねた。
どうやって、獲物を弄んでやろうか。という表情かもしれないが。
金の瞳が、獰猛な獣のような迫力で。
厚みのある唇は野性的な色気を醸し。
薄い笑みは、酷薄な帝王のような威厳に見え。
私は。神の前で自然に膝を折る、殉教者のように。彼に傅きたくなった。
「はい。なんでもいたします」
そう言うと、ラダウィは、私の足を肩から降ろしてくれた。
体に、変な力が入っていたらしく。足も手も離してもらえたのに、なんだかぐったりして。私は横向きで寝台に伏せ、浅い息をついていた。
その耳元に、鼓膜を包むようなラダウィの声が響く。
「なんでも? 私の部屋に拘束してしまおうか? おまえを私のおもちゃにして。好きなときにおまえと遊ぶのだ。最高の暇つぶしになりそうで、愉快だな?」
彼は、わざと怖そうなことを囁いて、私を脅えさせようとしたのかもしれない。
でも。
間近に顔を寄せる、彼の口元が柔らかい弧を描いて、微笑しているから。
機嫌のいいラダウィを見ていられるのなら、私はなんでもできると思って。彼にうなずいた。
「私を、ラダウィ様のおもちゃにしてください」
すると、彼は。満足そうな笑みを浮かべ。
指先で、私の頬から首筋へと撫でおろしていった。
「良いのか? おもちゃになったら。私のされるがままだぞ? 文句を言ってはいけないし。私から逃げるのも許さない」
ラダウィは私の肩をやんわり押して、仰向けに返すと。私の薄い胸板を手でなぞっていった。
その些細な感触が、くすぐったいのと。彼に触れられているというときめきで。胸がざわめいた。
「逃げません。ラダウィ様の、お望みのままに…」
「本当かな? 足を開け、レン。さぁ、どこまで耐えられるかな?」
彼は、私のくの字に曲げた足の間に体を入れ込み。正面から抱きしめると。首筋を軽く噛んだ。
「は…あっ」
ジンとした痺れが、尾てい骨に走り抜けた。
王子を相手に、性的なことを考えてはいけないのに、好きな人に触られているというだけで、体が勝手に高ぶってしまう。
「や、ラダウィ様」
「なんでもするのだろう? これは序の口だぞ? レン」
噛んだ首筋をべロリと舌で舐めあげ、ラダウィは楽しげに囁いた。
そして耳たぶを噛んだり、鎖骨を噛んだり。
手は、脇腹や腰骨をくすぐるように撫でていく。
「ふふ、くすぐったい。ラダウィ様」
「我慢しろ。護身術を教えているのだ」
「これは護身術なのですか?」
そういえば、護身術を指導すると、先ほど言われていた。
体が密着して、自分はエッチなことばかりに頭が向いていましたが。
ラダウィは真剣に教えてくれているのに、そんなことを考えて、申し訳ない気になった。
「そうだ。おまえは覚えが悪いから。逃げたいと思うようなことをわざとしているのだ。私に抵抗して。拘束から脱出してみろ」
「逃げても、良いのですか?」
おもちゃは逃げてはいけないと言われたので。ラダウィにたずねるが。
「あぁ、その方が興が乗るってこともある。私のおもちゃになるのなら、気を利かせて、私の気持ちを先々に察知しなければならない。おまえには、難しいかもな?」
と言われる。
はい。とても難しいです。
私はいつも気が利かないし。人の機微を察するのが下手なので。
「さぁ、レン? 私の腕の中から逃げてみろ」
喉の奥でくつくつと笑いながら、ラダウィは私の背中に腕を回して、ギュッと締めつける。
逃げろと言われたので。私も、彼の背中の衣装を手で掴んで、一生懸命脱出しようと試みるのだが。
体を密着させたまま上下に揺さぶられて、その動きに、彼の力強さに、全然かなわなくて。
私はただただ、ラダウィにしがみつくみたいになってしまった。
「脱出しないのか? だったら、食べてしまうぞ?」
ラダウィに、また首筋を噛まれた。
本当に食べられてしまうかもと、ゾクッとしたが。
彼は、今度は歯を立てず。舌で舐め濡らしながら、やわやわと食んでいった。
でも、その感触に。私は、感じてしまって。
腰骨が疼く、あの、自分で慰めるときの感じになってきて。
ブワッと顔を赤らめた。
「は、ぁ、ラダウィさま…」
「くはっ、最高に楽しいなぁ。レン、もっと食べさせろ」
耳の穴に舌が差し込まれ。頬や頭の後ろに快感がぞわぞわと広がる。
体をまさぐる彼の手を意識すると、もどかしい感覚に溺れそうになる。
でも、楽しいと言われると。止められない。
ラダウィが、本当に楽しそうに見える。
はじめて彼を楽しませることができている、と思うと。
これでいいって。
このまま。気持ち良さに身をゆだねてしまいたくなって…。
そんな場面で。部屋の扉が開いて。華月が入ってきた。
「なぁ、レンちゃん。あそこの市場でさぁ…」
最初はのんきな声を出していた華月が。私を見て凍りついた。
目も口も、驚きに開いて。
だがすぐに、叫びを上げた。
「なにやってんだよっ!」
いつも笑っている華月が、怒りをむき出しにするところを。私はあまり見たことがなかったから。
その激昂に、こちらも驚いてしまった。
華月は、ギシリと音が鳴りそうなくらいに歯を食いしばり。目も吊り上げている。
「レンになにしてるって、聞いてんだよっ」
足音荒く寝台に近づいた弟は、ラダウィの服を掴んで、寝台から引きずり下ろした。
その行動に、私は髪が逆立つほどの驚愕に襲われた。
私は寝台から転げ落ちる勢いで、身を起こしながら下に降り。慌ててラダウィを助け起こした。
王子を床に引き倒すなんてっ。
一国の王子に手を上げるという大それたことをした弟を、私は叱った。
「ハナちゃんっ、ラダウィ様になんてことを…」
「俺は、悪くない。レンちゃんはこいつをかばうのかっ?」
でも、華月は。怒りの矛先を私に向けて、強い視線で睨んできた。
「こいつがなにをしていたのか、レンちゃんはわかっていないんだろ?」
「護身術を習っていただけだよ」
弟を謝らせたい一心で、とにかく事情を説明した。
なにも、変なことはしていなかった。
ただ…私は。
やましい感情をラダウィに持っていたから。
いやらしく、後ろめたい想いに、気が咎めはするけれど。
でも、それと。弟がラダウィにしたこととは、別です。
とにかくこの場をおさめなきゃって、焦るばかりの私を。
華月は呆れたという顔で、見やるのだった。
「いいから。とにかくラダウィ様に謝りなさい」
「嫌だね。つぅか、殴られても文句は言えないはずだけどなぁ? ベッドから落とされるようなことを、こいつはしていたということだ。そうだろう? 王子様よぉ?」
謝ってほしいのに、逆に華月は、挑発的な言葉で威圧する。
「馬鹿っ。嘘をついただけで死刑になるかもしれないのに。転ばせたなんて…謝らないと大変なことになるんだよ?」
「俺を死刑にするのか? ラダウィ様」
私の言葉を受け、華月は尊大な顔つきで、ラダウィを睨み下ろす。
しかしラダウィは、華月を無視して立ち上がり。なにも口にすることなく、部屋から出て行った。
「言い訳もなしかよ、傲慢な奴め」
吐き捨てたあと、華月は私に視線を戻す。
「レンちゃん、大丈夫か? どこも痛くない?」
私の乱れてよれたシャツや、髪を、指先で直しながら。心配そうに聞いてくる。
華月は私に怒りを向けてはこなかった。
「なにもないよ。それよりハナちゃんの方が…今からでも謝った方がいいよ。一緒に行ってあげるから」
私は、心から心配して言っているのに。
弟は、私の首筋を手で撫でて。首を振る。
「いいや。今、あいつの顔を見たら、殴っちゃいそう」
「なんで? ラダウィ様と喧嘩したのか?」
弟が、なにをそんなに怒っているのか、私はわからなくて。
もしかしたら、今より前に喧嘩でもしていたのかと思って。そう聞いたのだが。
華月は、軽く笑い飛ばした。
「レンちゃん、あいつに…いや。いいか。とにかく、俺はラダウィに謝らない」
なにかを言いかけて、のみ込んだ華月は。私の言葉に首を横に振るばかりだ。
なんとか、説得しようと思ったが。
弟は私を手で制して、話を続けたのだ。
「どうせ、あいつは俺になにもできやしない。父さんが、明日シマームに戻ってくるんだ。そうしたら、すぐに帰国する」
「え?」
父の、中東での赴任期間が、そろそろ終了するとは聞いていました。
でも、あと数日で帰国だなんて。
そのことをはじめて知り。突然のことに驚いて、声をあげてしまった。
「ラダウィと顔を合わせるのも、あとちょっとだ。だから、レンちゃん。今日のことは、もう忘れな? そんなことより、見て見てぇ。レンちゃんの分も、お土産いっぱい買ってきたんだから」
なにもなかったかのように、土産物を机の上に並べ始めた華月に。
私は笑みを向けるしかなかった。
でも、気持ちは憂鬱です。
王子様である彼と付き合えるなんて、そんな身の程知らずなことを考えたわけではありません。
望みのない恋だと、ちゃんと知っています。
だけど、今日の出来事で。
心だけの淡い感情ではなく。体も彼を求めているのだと、思い知らされました。
初恋の王子様。絶望的な恋。
だから、ここで彼と離れるのは、神の采配で。
きっと、それが一番いいことなのでしょう。
でも、ようやく。ラダウィと、ちょっとだけ距離が近づいて。
おもちゃでもいいから、彼と友達になれたら。なれそうって。思っていた矢先だったから。
あと数日で、彼と別れることが決まって、名残惜しい気分になる。
唐突な別れの宣告に、私は悲しみに打ちひしがれた。
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