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2 私と華月と、ラダウィ様

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     ◆私と華月と、ラダウィ様

 幼い頃、私は父の仕事の都合で、海外を転々としていました。
 日本にいたのは、五歳まで。
 五歳から十二歳までは、母のいるアメリカを拠点に、カナダやヨーロッパ圏も渡り歩き。
 十二歳からは、中東のシマーム国で暮らすことになったのです。
 優秀な商社マンであった父に、会社が中東諸国での商談を任せたからだった。

 母も、まぁまぁ活動的な人ですが。さすがに中東にまではついてこられず。
 元々一所ひとところに落ち着かない父に、思うところがあったようで。
 父と母は、そこでお別れをしてしまいました。
 それはまぁ、仕方がないことです。

 母は、私と華月をアメリカで育てると言いましたが。
 私はアメリカの環境に馴染めず。
 華月は。兄の私と離れたくないし。いろんなところも見てみたいから。と言って。
 私たち兄弟は、父についていくことになったのでした。
 十二歳にもなれば、母を慕う情よりも、将来的なことも視野に入れて進路を選ぶ、自我や打算もありまして。
 ちょっとクールかもしれませんね?

 そんな事情で、私たち親子はシマームへ向かったのでした。

 シマームという国は、中東の中央部に位置し。比較的、当時の情勢が安定していたこともあり。
 父が拠点にするのに、最善な国だったのです。
 さらに父は、シマームの当時の皇太子とご学友だったという縁があり。
 父が仕事をしている間、私と弟は王族の屋敷に身を置くことを許されたのだった。
 他国の子供をさらって身代金を要求…などという事件も少なくはなかったので。王族が身柄を引き受けてくれるというのは、とても心強く、ありがたいことだったのだ。
 親友の子供が、万が一にも、わが国で危ない目にあってはならない。私の屋敷でしっかり保護させてもらう。と皇太子が請け負ってくれて。
 それで父も、安心して仕事に邁進できたのです。

 シマームの空港には、褐色の肌にヒゲを蓄え、見慣れぬ民族衣装を着た男たちが行き交っていて。
 私はちょっと不安になって。
 心細い顔で、仕事に行く父を見やった。

「蓮月。華月は少し無鉄砲なところがあるから。兄であるおまえがそばにいて、しっかりと弟を守ってあげなさい」

 情けない顔を向ける私に、父がくれぐれも頼むと頭を下げるから。
 私は、オドオドしていたらダメなんだと、そのときは思って。
 父に、しっかりとうなずいて見せたのだ。
 そして、弟だけはなにがあろうと絶対に守ろうと。心に誓った。

 双子で、同じ年だけど。私は兄だから。

 華月は、ちょっと子供っぽいところがあって。でもそこが天真爛漫で可愛いのだけど。考えなしで発言したりもするから。
 そこは私がおさえてあげないとならない。
 中東の王族に不躾ぶしつけな態度をとると、罰を与えられることもあると、父から聞いていたし。
 もう、本当に、気をつけなきゃならないと。
 兄の私が、しっかりしなければ、と。
 私は最初から気負ってしまったのだ。

 シマームとは別の、中東の国に向かった父を、私と弟は空港で見送り。
 私たちは、これから世話係兼家庭教師を務めるという、ムサファについていきました。

 ムサファは、中東の民族衣装をまとっていますが。空港ですれ違う屈強な男性たちと違って。薄茶の前髪がさらりとして、眼鏡の奥にある目を細めてにっこりと笑うので。とても優美な印象がありました。
 英語で二十歳だと自己紹介した、優しそうで上品な雰囲気の彼に。
 華月は持ち前の人懐こさで、ニッコリ笑いかけ。
 私も優しいお兄さんみたいだなと思い、好感を持ったのでした。

 ムサファが運転する車で砂漠を渡り。私たちは王都に向かう。
 王都には、これから私たち兄弟が暮らす、皇太子邸があり。
 その屋敷の外観は、白と青のタイルが幾何学模様に組まれた、涼しげで美しいものだった。

 屋敷内を案内する、ムサファの後ろを歩きながら。
 目にするものすべてが物珍しい屋敷の中を、私は興味深く見やる。
 長く続く廊下に敷き詰められた、大理石のマーブル模様。自分が抱きついても腕は回らないだろう、太い柱。
 庭には、中東では貴重な水をふんだんに使った水路が、熱砂の気候を和らげていた。
 国の特徴が良く表れた、華麗なお屋敷で。
 すごいと思って。目をパチパチしてしまう。
 屋敷の一番奥に居住スペースがあって。父が戻るまではそこで生活するのだと、ムサファから説明を受けた。

 その後、私たちは部屋を割り当てられ。旅の疲れを癒していたが。
 夕食の折、ムサファはひとりの少年を私たちに紹介した。
「こちらは皇太子さまの二番目の御子息で。ラダウィ・サフィン・アル・ヴァーラーン王子です。蓮月様、華月様はこちらにいる間、王子とともに勉強をしていただきます」

 皇太子邸には、十歳になるラダウィがいた。
 皇太子の息子だから、王子様。なんだな、と。私は思う。
 上流階級の敬称は難しいけれど。しっかり覚えておかないと、間違えた敬称を使ったら不敬だと怒られるので注意が必要だ。って、父が言っていました。
 
 ラダウィは子供サイズの民族衣装をまとっていて。なんだか可愛いのですが。
 高い鼻梁と、引き結ばれた唇は。幼いながらも気高さを醸していた。
 目尻が切れ上がっていて、気が強そうな印象だけど。彼の瞳の色がべっこう飴みたいにキラキラしていたから。
 とても綺麗で、私は吸い込まれるように、その瞳をみつめてしまっていた。

「同じ顔をしている」
 ムサファの通訳を介して、ラダウィが言った。
「私たちは一卵性双生児です、ラダウィ様」
 質問に対し、私は当たり前の答えを、面白味もなく返す。
 でも、彼は。それが気に入らなかったみたいで。
 強い光を放つ瞳で睨まれてしまった。
 あぁ、嫌われてしまったかなって。そのとき感じたのです。
 初対面で、もう、失敗しました。

     ★★★★★

 私と華月は、ラダウィと一緒に、ムサファの教育を受けることになりました。
 私たち兄弟は、ムサファからアラビア語と一般教養を習い。
 ラダウィは、私たちとムサファから、英語と海外情勢を学びます。

 勉強部屋には、四人が教材を置いても余裕があるくらいに、大きな円卓がある。顔を上げればみんなの顔が見られるという環境で勉強するのは、はじめての体験です。
 アメリカの学校では、人が多すぎて、みんなと友達になるのは無理で。
 私は特に、引っ込み思案だったから。どの国に行っても、なかなか友達ができなかったのだけど。
 今は、一番近しい弟の華月が一緒だし。先生のムサファも優しくしてくれるし。
 孤独を感じることなく勉強ができるというのが、なんとなく嬉しい気分だった。

「おまえたちが訪れた国では、今、どんな遊びが流行っているのだ?」
 ラダウィは王都から出たことがなく。外国のことに興味津々で、いろいろな話を聞きたがった。
 上流階級にいる王子であっても、気になる事柄は自分たちとなんら変わらない。
 彼は王族特有の尊大さがあったが。ちょっと生意気な弟…なんというか、えらそうな華月? みたいに思えて。私はラダウィに親しみを感じていました。
 一方的に、ですけど。

「俺、アメリカで、サッカー、やって、た」
 片言のアラビア語で、華月が説明する。
「サッカーはシマームでも盛んで、プロチームもある。私も得意だぞ?」
『マジ? じゃあ、今やろうぜ?』
 言葉が通じて、趣味も似ているのを知った華月は、興奮して英語で言ったが。勢いとジェスチャーでラダウィを誘う。
『ハナちゃん、まだ勉強の最中だし。王子様に怪我をさせるような遊びはダメだよ』
 まだアラビア語は慣れないから。英語で弟をたしなめるが。
 華月はどこ吹く風で。手を横に振る。
『レンちゃん固いなぁ。ちょっとくらい大丈夫だってぇ』
 そして、彼の腕を引っ張って。ふたりで庭に出て行ってしまった。
 おそらく弟は、勉強に飽きていたのだろう。
 というか。完全に、出遅れました。

 顔も、身長体重も、全く同じなのだけど。私と弟の性格は、かなり異なっている。
 華月は、雰囲気が華やかで、明るく。大きく口を開けて笑うと、周りのみんなも笑顔になった。
 習いたてのアラビア語が間違っていても。英語交じりになっても。ラダウィが王子様でも。声を出せる勇気があり、積極的に関わっていくバイタリティーがある。
 だから華月は、どの国に行っても。どんな環境でも。誰とでも仲良くなれる。
 うらやましいです。

 そんな弟とは違い。
 私は、人見知りで。友達はなかなか作れないし。知っている人でも、話しかけるときにはオドオドしてしまう。
 アメリカでは、自我を出さないと誰も相手にしてくれないので。
 その環境で、私の心はさらに縮こまり。はっきり自己主張できない、消極的な性格になってしまった。
 これではいけないと、思っているのですけどね?
 でも、なんとかしなきゃと思うと。気持ちばかり焦って、空回って。
 余計、心を開けないのだ。
 加えて。勉強の時間だと思うと、なにもかも放って遊びに行けない。そんな融通の利かない面もあり。
 弟にはいつも『レンちゃんは、生真面目すぎるんだよぉ』なんて言われる始末。

 庭でサッカーボールをけり始めたふたりを、私は仕方なく、部屋の中からそっと見守る。
「蓮月様、あなたも遊んできていいのですよ? これでは授業になりませんからね」
 眼鏡のツルを中指で押し上げて、ムサファはため息交じりに言う。
 でも。
「先生、私は。サッカー苦手、です。足を上手に、使えな、くて」
 気を遣ってもらい、申し訳ないです。という気持ちで、まだ上手くないアラビア語でムサファに告げた。
 すると彼は。優しく目を和ませて、私に言う。
「そうですか。なら、ふたりよりも先に進んでしまいましょう。同じところをやることになるかもしれませんが、そのときは復習だと思っていただけますか? より理解も深まりますので」

 ムサファの申し出は、私にはありがたいものだった。
 どちらかというと、運動より。本を読んだり、勉強をしたりする方が、好きなので。
 それで、私は。学問を究める機会を得たのだが。
 その分、ラダウィと仲良くなる機会は失っていたようです。
 そのことを思い知る出来事は、すぐに起きました。

 勉強部屋で、ムサファが不在で、三人で自習をしていたとき。
 華月は日本語で、こっそりと私に囁いたのだ。
「レンちゃん、ラダウィは飛行機に乗ったことがないんだって。だから、飛行機の中は酸素が薄いから、なるべく息を止めていないとダメなんだって、教えてやったんだぁ」
 楽しくて仕方がないという、屈託のない笑顔で。華月が悪戯いたずらを告白するが。
 私はギョッとしてしまった。
 王子様に、そんな不敬なこと…。

「ダメだよ、ハナちゃん。そんな嘘を教えちゃ。王族に嘘をついたら、死罪になることもあるって、父さんが言っていただろう?」
 父から、くれぐれも頼むと言われていたのに。
 華月が死刑になってしまったら、どうしよう。父に合わせる顔がなくなるっ。

 私は焦ってしまい。習いたてのアラビア語で、なんとかラダウィに訂正したのだ。
「華月が言ったこと、大袈裟です。飛行機の酸素、いっぱいある。呼吸しても、大丈夫」
「…つまらん奴だな」
 一生懸命、説明し。なんとか華月の失態をなしにしたくて必死だったのに。
 ラダウィは、鼻で息をついて。そう言ったのだ。

「おまえは私を愚弄する気か? そんなの、知っているのに決まっているだろう。からかう華月の話に、ちょっと乗ってやっただけだ」
 華月の冗談を楽しんでいたのに。水を差しやがって。
 そんな顔でラダウィに睨まれてしまい。
 私は身を小さくした。

「…ごめんなさい」
 本当のことを親切で教えたのだが。ラダウィを逆に怒らせてしまったみたいだ。
 楽しい雰囲気を壊してしまったみたいで。
 気の利かない、己の不器用さを。私は恥じた。
「…レン」
 項垂れる私に、ラダウィはなにやら手を伸ばしたが。

 そこに華月が。湿っぽい空気を変えるように、明るい声を出した。

「嘘だぁ、ラダウィ。マジで知らなかった癖にぃ? そうなんだろ?」
「くだらない嘘をつくんじゃない、ハナ。本当に死刑にしてやろうか?」
「わぁ、怖ぁい」
 王族に、死刑にするなんて言われたら。私は震えあがってしまうが。
 華月は。それすらも冗談にして笑い飛ばせるのだ。
 そして、華月は。もう、ラダウィと。そういう気安い関係性を築いているということだ。
 明るい笑顔でラダウィに接する、弟のようにはなれない。

 私は上手に、王子様と仲良くなれなかった。

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