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「おい、聞いてるのか!」
 お父様が私の腕をつかんだ。
 しまった。聞いてなかった。
「すぐに刺繍をしろと言っているんだ。いいな、明日の朝にはお前が侯爵家に届けるんだ。失敗は許さん。さっさと取り掛かれ具図が!」
 ばたんとドアを閉めてお父様が出て行った。
 違うかもしれない。でも、もしかするとルーノ様の手に渡るハンカチ……。
 私が刺繍したハンカチをルーノ様が使ってくださるところを想像して胸が熱くなる。
「って、こうしちゃいられないわ。すぐに刺繍を始めないと!」
 裁縫道具を取り出す。
 この間買った刺繍糸はまだ残っている。それから……。1枚余分に買った薄紫のハンカチ。
「……ルード様に渡したいと思って、買ってしまったけれど……」
 刺繍をして女性が男性にハンカチを贈るなんて……。身内や婚約者以外に贈るのは特別な意味があると思われてしまう行為だ。
 してはいけないことだと、刺繍はせずに裁縫箱の中にしまっておいた。
 ルーノ様のことを思って刺繍をしていく。……誰の手に渡るのか分からないけれど……。どんな気持ちで刺繍したかなんて、誰にも分からないのだから。
 明日の朝までにということは、徹夜になるだろう。
 だけど、少しも辛くはなかった。
 食事もろくにとらずに刺し続ける。
 アイリーンの部屋にはしっかりと夜でもランプの明かりがあるので大丈夫。
 完成したのは日が昇ってしばらくたったころだ。
「まだ、朝ごはんは残っているかしら?」
 気が付けば、昨日は昼も夜も食べていない。
 新しく雇った使用人となるべく顔を合わせないようにと使用人が食事を部屋に運んでくることもないためだ。
 食事をするには、ドア越しに使用人に食事を頼んで受け取らなければならない。昨日はそれを忘れるほど集中していたのだ。
 ……違う。幸せな妄想の中で、ふわふわした気持ちになっていた。
 それを、食事のために現実に引き戻されたくなかっただけ。
 ずっと夢の中にいたかった。
 それも、刺繍が完成したことで終わってしまった。
 すると急に空腹感が襲ってきた。
 使用人を呼ぼうと呼び鈴を手にする。
 そこに、お父様が入ってきた。
「おい、ハンカチはできたのか?」
「はい」
「だったらさっさと届けてこい!刺繍した本人が届けろと手紙にあったのを忘れたか!」
 仕方がない。朝食は諦めよう。
「分かりました。行ってまいります」
 侯爵家のお屋敷はどこにあるのだろうか。誰かに尋ねながら行けば分かるかしら?
 ハンカチを胸に抱き、ドアに向かおうとしたらお父様に怒鳴られた。
「馬鹿か。本当にお前は馬鹿だな。アイリーンとしていくのに、その服装は何だ!ちゃんとドレスに着替えろ。馬車は準備させてあるから、急げ。まったくどこまでも愚図が」
「え?ドレス……ですか?どうしたら……」
「は?そんなもん自分で考えろ」
 ばたんと大きな音を立ててドアをしめてお父様が出て行った。



==============
こんな父親は出会うことは少ないだろうけど、
こういう上司はたくさんいそうだよな……と思う。

はー。やだわ。本当。腹が立つね。

さて。当初のストーリーを変更して完結を早めようと思います。
もう少しお付き合いください。
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