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12 追憶
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一般的に、番を失ったオメガの行く末は悲惨なものらしい。その相手が『運命』の相手なら、どうなるのか。精神を病んだり、自殺する者もいるという。
俺の前ではいつも優しく微笑んでいた母も、父を失い、やはり精神的に追い詰められていたのかもしれない。幼い頃、夜中に1人で泣いている姿を何度か見たことがあった。
父の残してくれた財産があったので、暫くは生活できたようだが、それも長くは続かなかった。
「樹をね、引き取りたいって人がいるの。お母さんもよく知ってる、すごく優しくていい人で。子どもが欲しいけど、望めないみたいで。多分、環境的に樹にとっては今より良いと思うの。とりあえず一度会ってみない?」
小学校に入学する前、母は微笑みながら俺に他所の子になるよう言った。その口調はとても穏やかだったが、母の顔は窶れ疲れていた。
「お母さんは?」
「……お母さんは行けないの。お母さんは無理なんだ。でもね、大丈夫だから。きっとまた会えるからね」
直感的に嘘だと分かった。ここで頷いたら、次に会えるのは天国かもしれない。
「いやだよ。行きたくない。俺を捨てないでよ」
「……捨てるんじゃないよ。樹の幸せを願ってのことなんだよ」
母は、俺を見つめながら困ったように笑った。
「じゃあ、俺と一緒にいてよ。俺を独りにしないでよ。此処を離れたくない。蓮とも遊べなくなっちゃうじゃん。蓮と一緒にいるって約束したのに、俺、嘘つきになるじゃん」
「……樹」
自分の『幸せ』を勝手に決めつけられて、俺は酷く憤っていた。大人の事情なんてどうでも良かった。俺は物わかりの悪い、ワガママな子どもだった。
独りにされるのが嫌で、駄々を捏ねた。
母が、絶縁状態だった実家に頭を下げたのは多分俺のせいだ。
結局、俺は養子にだされることはなく、母は実家からの援助を受けながら長く働けるよう資格をとり、正社員で就職して俺を育ててくれた。
蓮に、ずっと側にいて欲しいと言われて、嬉しかった。
怒られたり笑いあったり。俺にだけ見せてくれる蓮の表情が好きで、蓮の側は居心地がよくて、いつまでも一緒にいたいと思ってた。
本当は最初から分かっていた。
独りが寂しくて、ずっと一緒にいたいと願っていたのは、蓮じゃなく俺の方だ。
***
「……その項の傷、噛み痕、ですか?」
興味本位の言葉だろうか。
オメガでもないのに、項に分かりやすい噛み痕を残された男を嘲笑っているのかもしれない。
沢渡の質問に、俺が黙り込んで口を噤んでしまったので、会話はすぐに途切れた。沢渡もそれ以上何も言ってこない。暫く車内は重苦しい雰囲気に包まれ、目的地まで沈黙が支配することとなった。
「到着しましたよ。樹さん、行きましょうか」
目的地の総合病院に到着すると、完璧な笑顔を貼り付けた沢渡に促され、車を降りる。やはり何を考えてるのかさっぱり分からない。この男は苦手だと改めて思う。
「最上階の特別室になります」
沢渡が笑顔のまま告げた。エレベーターに乗り込むと、扉が閉まりふわりとした浮遊感の後、上昇し始めた。
「……あの、一応母にも話をしたのですが、会わないとの一点張りで」
俺は沈黙に耐えられず話を切り出した。
「ああ、そうでしょうね」
先に話はしていたのだろう。沢渡は特に興味なさげに相槌を打った。
……やっぱり、来るべきじゃなかっただろうか。不安になって俯いていると、エレベーターが目的の階に到着したことを告げた。
病室に案内されると、そこには様々な機械に囲まれながらベッドに横たわっている初老の男の姿があった。
俺の祖父、らしい。そう言われても全く実感はわかなかった。
「会長、お連れしましたよ。樹さんです」
沢渡に声をかけられ、男がゆっくりこちらを向いた。少し驚いたような表情をしている。
「こんな姿で申し訳ないな」
掠れた声でそう言う男の顔色は青白く、痩せこけていて、とてもではないが大企業のトップに立っていた人物には見えなかった。
予想外の弱々しい姿に少し戸惑う。だが、すぐに気を取り直すとベッドの側まで歩み寄って挨拶をした。
「いえ。こちらこそ、面会に応じてくださりありがとうございます。はじめまして、黒川樹と申します」
深々と頭を下げてから顔を上げると、何か言いたげな目で自分を見つめる彼の視線とかち合った。思わずドキッとする。
「……樹くんと言ったか」
「はい」
「……真理子にそっくりだな」
懐かしげに目を細め、愛おしそうに俺を見る眼差しは慈しみに満ちていた。俺はどうしていいかわからなくなって曖昧に笑う。
「あの、御礼と謝罪に参りました」
俺が切り出すと、男性はゆっくりと瞬きした後、首を傾げた。
「俺と母をずっと金銭的に援助してくださり、ありがとうございました。おかげで路頭に迷うことなく、俺は今こうして生きています。それと……」
俺は一呼吸置いてから口を開いた。
「俺は『アルファ』ですが、優秀な人間ではありません。それなりに努力もしましたが、身近にもっと才能があるすごい努力家がいたので、結局自分が凡庸な人間であることを自覚するだけで終わりました」
俺の第二性が『アルファ』だった場合、西園寺家が養子として迎え入れる予定があると、母から以前聞いていた。これまで俺に投資してきた見返りを求めるつもりだったのだろう。
第二性によって区別する実家に母は難色を示していたらしいが、将来俺がどうしたいかは、俺自身に委ねられた。
同じ『アルファ』でも、俺と蓮の違いは一目瞭然だった。だからといって蓮に劣等感を抱いたことはないし、蓮に対して妬ましいと思ったこともない。蓮が並外れたすごい奴だと、俺が一番よく知っている。蓮は俺にとって大切な存在であると同時に、憧れの相手でもある。
『アルファ』だから無条件で優秀な訳では無い。
「俺のような出来損ないが、貴方から受けた恩義に報いることが出来るとは思えません。今まで支援して頂いた分は全額お返ししたいと常々考えていました。本当に申し訳ありませんでした」
俺は一冊の通帳をバッグから取り出して男に差し出した。
大学の入学祝として母に渡されたものだった。『本当は就職祝にするつもりだったけど、家を出るから渡すわね。あんたが好きに使っていいから』と意味深に微笑まれながら渡された。
俺が蓮と一緒に暮らすことを知り、何か思うことがあったのだろう。今まで西園寺の家からされた仕送りの全額と母からの祝金が追加されているらしい。学生にとっては分不相応な額の残高を見て眩みそうになったが、覚悟を決めて受け取ってきた。
「……それは私が君と真理子にあげたものだ。真理子からも何度か返されそうになったが、その都度突っ撥ねてきたから気にしなくて構わない」
そう言って苦笑すると、男性は静かに首を振った。
「でも」
「……それより、真理子は元気かね?これまで、いろいろと言い方を間違えてしまって随分怒らせてしまったが」
「……はい、母はとても元気です」
「それならよかった」
安心したように微笑む男性の言葉は本心から言っているようにも思えた。
***
「今日はありがとうございました。送っていきますよ」
祖父との面会の後、エレベーターの中で沢渡にそう提案されたが、俺はその申し出を丁重に断った。
「……あの、あれで良かったんでしょうか」
沢渡からの用件は二つあった。そのうちの一つは、祖父が病気で余命幾ばくも無いため、最期に会って欲しいという内容だった。本当は母と会わせたかったのだろうが、母は拒否した。母には母の思いがあるので、俺がどうこう意見する立場にはない。
結果、俺だけが面会に訪れた。
祖父の印象は、母からは伝え聞いていたものと随分違っていた。年月がそうさせたのか、祖父と母がお互いにすれ違っていただけなのか。
「別に問題は無いと思いますよ。会長も嬉しかったでしょう。私個人としてもあなたが来てくれて助かりました」
沢渡は淡々と呟くと、微笑んだ。
「……貴方は母を恨んでいないのでしょうか?」
俺は立ち止まって沢渡を見上げた。
彼は若く見えるが、母と同じ年で、母の婚約者だった男だ。まだ何か思うところがあるかもしれない。
沢渡は驚いたように目を丸くした後、「……まさか」と首を横に振り、ふっと微笑んだ。
「もう何十年も前のことですし、会長は変わらず私に良くしてくださいました。今は私も結婚してパートナーがおります。子どもは残念ながら授かることができませんでしたが、幸せに暮らしております」
俺は何も言えず、小さく相槌を打つことしかできなかった。彼にとっては昔の出来事で吹っ切れてはいるようだ。そんなものなのだろうか。
「……それに、『運命の番』に出会えたと言われてしまえば、何も言えないですよ」
沢渡は自嘲するような表情を浮かべながら俺を眺めた。
その言葉は、俺の胸にも刺さるものがあり、俺は何も返せなかった。
母は、沢渡のことを語るとき、懐かしげに微笑みながら、よく知っている「すごく優しくていい人」だと俺に教えてくれた。親戚同士、幼い頃から仲良く一緒に遊んで、将来を約束し合っていた、らしい。
俺の父に出会わなければ、おそらく彼と結婚して普通に幸せに暮らしていたのだろう。
突然現れた『運命の番』とやらに恋人を掻っ攫われてしまったら、俺だったら、黙って見送ることができるだろうか。
「それより、先にご説明したとおり、貴方が望めば、今からでも西園寺の家に迎え入れて、今後も全面的な支援を継続することも可能ですが、本当にいいんですか?」
「……結構です。先程申し上げたとおり、俺は優秀ではないので」
俺は躊躇なく答えた。
沢渡の二つ目の用件を俺は断った。俺に選択の余地はないのかと身構えていたが、アッサリ了承されて拍子抜けした。グループの系列会社への就職の斡旋、将来的には経営権の譲り渡し等も仄めかされた。
『アルファ』としては、俺は落ちこぼれだ。コネで就職したところで、限界が来るに決まっている。
「……まあ、会長の言い方が悪いですからね。貴方がアルファでもオメガでも、優秀な子でなくても、手は差し伸べると思いますよ。困った時はいつでも相談してください」
「……はい、ありがとうございます」
俺が礼を言うと、沢渡は俺の顔を見て少し寂しげに笑った。
「……本当に、あの頃の真理子にそっくりだ」
その言葉には色々な思いが込められている気がして、何と声をかければいいのか分からず、俺は曖昧に笑うことしか出来なかった。
俺の前ではいつも優しく微笑んでいた母も、父を失い、やはり精神的に追い詰められていたのかもしれない。幼い頃、夜中に1人で泣いている姿を何度か見たことがあった。
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「樹をね、引き取りたいって人がいるの。お母さんもよく知ってる、すごく優しくていい人で。子どもが欲しいけど、望めないみたいで。多分、環境的に樹にとっては今より良いと思うの。とりあえず一度会ってみない?」
小学校に入学する前、母は微笑みながら俺に他所の子になるよう言った。その口調はとても穏やかだったが、母の顔は窶れ疲れていた。
「お母さんは?」
「……お母さんは行けないの。お母さんは無理なんだ。でもね、大丈夫だから。きっとまた会えるからね」
直感的に嘘だと分かった。ここで頷いたら、次に会えるのは天国かもしれない。
「いやだよ。行きたくない。俺を捨てないでよ」
「……捨てるんじゃないよ。樹の幸せを願ってのことなんだよ」
母は、俺を見つめながら困ったように笑った。
「じゃあ、俺と一緒にいてよ。俺を独りにしないでよ。此処を離れたくない。蓮とも遊べなくなっちゃうじゃん。蓮と一緒にいるって約束したのに、俺、嘘つきになるじゃん」
「……樹」
自分の『幸せ』を勝手に決めつけられて、俺は酷く憤っていた。大人の事情なんてどうでも良かった。俺は物わかりの悪い、ワガママな子どもだった。
独りにされるのが嫌で、駄々を捏ねた。
母が、絶縁状態だった実家に頭を下げたのは多分俺のせいだ。
結局、俺は養子にだされることはなく、母は実家からの援助を受けながら長く働けるよう資格をとり、正社員で就職して俺を育ててくれた。
蓮に、ずっと側にいて欲しいと言われて、嬉しかった。
怒られたり笑いあったり。俺にだけ見せてくれる蓮の表情が好きで、蓮の側は居心地がよくて、いつまでも一緒にいたいと思ってた。
本当は最初から分かっていた。
独りが寂しくて、ずっと一緒にいたいと願っていたのは、蓮じゃなく俺の方だ。
***
「……その項の傷、噛み痕、ですか?」
興味本位の言葉だろうか。
オメガでもないのに、項に分かりやすい噛み痕を残された男を嘲笑っているのかもしれない。
沢渡の質問に、俺が黙り込んで口を噤んでしまったので、会話はすぐに途切れた。沢渡もそれ以上何も言ってこない。暫く車内は重苦しい雰囲気に包まれ、目的地まで沈黙が支配することとなった。
「到着しましたよ。樹さん、行きましょうか」
目的地の総合病院に到着すると、完璧な笑顔を貼り付けた沢渡に促され、車を降りる。やはり何を考えてるのかさっぱり分からない。この男は苦手だと改めて思う。
「最上階の特別室になります」
沢渡が笑顔のまま告げた。エレベーターに乗り込むと、扉が閉まりふわりとした浮遊感の後、上昇し始めた。
「……あの、一応母にも話をしたのですが、会わないとの一点張りで」
俺は沈黙に耐えられず話を切り出した。
「ああ、そうでしょうね」
先に話はしていたのだろう。沢渡は特に興味なさげに相槌を打った。
……やっぱり、来るべきじゃなかっただろうか。不安になって俯いていると、エレベーターが目的の階に到着したことを告げた。
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俺の祖父、らしい。そう言われても全く実感はわかなかった。
「会長、お連れしましたよ。樹さんです」
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「こんな姿で申し訳ないな」
掠れた声でそう言う男の顔色は青白く、痩せこけていて、とてもではないが大企業のトップに立っていた人物には見えなかった。
予想外の弱々しい姿に少し戸惑う。だが、すぐに気を取り直すとベッドの側まで歩み寄って挨拶をした。
「いえ。こちらこそ、面会に応じてくださりありがとうございます。はじめまして、黒川樹と申します」
深々と頭を下げてから顔を上げると、何か言いたげな目で自分を見つめる彼の視線とかち合った。思わずドキッとする。
「……樹くんと言ったか」
「はい」
「……真理子にそっくりだな」
懐かしげに目を細め、愛おしそうに俺を見る眼差しは慈しみに満ちていた。俺はどうしていいかわからなくなって曖昧に笑う。
「あの、御礼と謝罪に参りました」
俺が切り出すと、男性はゆっくりと瞬きした後、首を傾げた。
「俺と母をずっと金銭的に援助してくださり、ありがとうございました。おかげで路頭に迷うことなく、俺は今こうして生きています。それと……」
俺は一呼吸置いてから口を開いた。
「俺は『アルファ』ですが、優秀な人間ではありません。それなりに努力もしましたが、身近にもっと才能があるすごい努力家がいたので、結局自分が凡庸な人間であることを自覚するだけで終わりました」
俺の第二性が『アルファ』だった場合、西園寺家が養子として迎え入れる予定があると、母から以前聞いていた。これまで俺に投資してきた見返りを求めるつもりだったのだろう。
第二性によって区別する実家に母は難色を示していたらしいが、将来俺がどうしたいかは、俺自身に委ねられた。
同じ『アルファ』でも、俺と蓮の違いは一目瞭然だった。だからといって蓮に劣等感を抱いたことはないし、蓮に対して妬ましいと思ったこともない。蓮が並外れたすごい奴だと、俺が一番よく知っている。蓮は俺にとって大切な存在であると同時に、憧れの相手でもある。
『アルファ』だから無条件で優秀な訳では無い。
「俺のような出来損ないが、貴方から受けた恩義に報いることが出来るとは思えません。今まで支援して頂いた分は全額お返ししたいと常々考えていました。本当に申し訳ありませんでした」
俺は一冊の通帳をバッグから取り出して男に差し出した。
大学の入学祝として母に渡されたものだった。『本当は就職祝にするつもりだったけど、家を出るから渡すわね。あんたが好きに使っていいから』と意味深に微笑まれながら渡された。
俺が蓮と一緒に暮らすことを知り、何か思うことがあったのだろう。今まで西園寺の家からされた仕送りの全額と母からの祝金が追加されているらしい。学生にとっては分不相応な額の残高を見て眩みそうになったが、覚悟を決めて受け取ってきた。
「……それは私が君と真理子にあげたものだ。真理子からも何度か返されそうになったが、その都度突っ撥ねてきたから気にしなくて構わない」
そう言って苦笑すると、男性は静かに首を振った。
「でも」
「……それより、真理子は元気かね?これまで、いろいろと言い方を間違えてしまって随分怒らせてしまったが」
「……はい、母はとても元気です」
「それならよかった」
安心したように微笑む男性の言葉は本心から言っているようにも思えた。
***
「今日はありがとうございました。送っていきますよ」
祖父との面会の後、エレベーターの中で沢渡にそう提案されたが、俺はその申し出を丁重に断った。
「……あの、あれで良かったんでしょうか」
沢渡からの用件は二つあった。そのうちの一つは、祖父が病気で余命幾ばくも無いため、最期に会って欲しいという内容だった。本当は母と会わせたかったのだろうが、母は拒否した。母には母の思いがあるので、俺がどうこう意見する立場にはない。
結果、俺だけが面会に訪れた。
祖父の印象は、母からは伝え聞いていたものと随分違っていた。年月がそうさせたのか、祖父と母がお互いにすれ違っていただけなのか。
「別に問題は無いと思いますよ。会長も嬉しかったでしょう。私個人としてもあなたが来てくれて助かりました」
沢渡は淡々と呟くと、微笑んだ。
「……貴方は母を恨んでいないのでしょうか?」
俺は立ち止まって沢渡を見上げた。
彼は若く見えるが、母と同じ年で、母の婚約者だった男だ。まだ何か思うところがあるかもしれない。
沢渡は驚いたように目を丸くした後、「……まさか」と首を横に振り、ふっと微笑んだ。
「もう何十年も前のことですし、会長は変わらず私に良くしてくださいました。今は私も結婚してパートナーがおります。子どもは残念ながら授かることができませんでしたが、幸せに暮らしております」
俺は何も言えず、小さく相槌を打つことしかできなかった。彼にとっては昔の出来事で吹っ切れてはいるようだ。そんなものなのだろうか。
「……それに、『運命の番』に出会えたと言われてしまえば、何も言えないですよ」
沢渡は自嘲するような表情を浮かべながら俺を眺めた。
その言葉は、俺の胸にも刺さるものがあり、俺は何も返せなかった。
母は、沢渡のことを語るとき、懐かしげに微笑みながら、よく知っている「すごく優しくていい人」だと俺に教えてくれた。親戚同士、幼い頃から仲良く一緒に遊んで、将来を約束し合っていた、らしい。
俺の父に出会わなければ、おそらく彼と結婚して普通に幸せに暮らしていたのだろう。
突然現れた『運命の番』とやらに恋人を掻っ攫われてしまったら、俺だったら、黙って見送ることができるだろうか。
「それより、先にご説明したとおり、貴方が望めば、今からでも西園寺の家に迎え入れて、今後も全面的な支援を継続することも可能ですが、本当にいいんですか?」
「……結構です。先程申し上げたとおり、俺は優秀ではないので」
俺は躊躇なく答えた。
沢渡の二つ目の用件を俺は断った。俺に選択の余地はないのかと身構えていたが、アッサリ了承されて拍子抜けした。グループの系列会社への就職の斡旋、将来的には経営権の譲り渡し等も仄めかされた。
『アルファ』としては、俺は落ちこぼれだ。コネで就職したところで、限界が来るに決まっている。
「……まあ、会長の言い方が悪いですからね。貴方がアルファでもオメガでも、優秀な子でなくても、手は差し伸べると思いますよ。困った時はいつでも相談してください」
「……はい、ありがとうございます」
俺が礼を言うと、沢渡は俺の顔を見て少し寂しげに笑った。
「……本当に、あの頃の真理子にそっくりだ」
その言葉には色々な思いが込められている気がして、何と声をかければいいのか分からず、俺は曖昧に笑うことしか出来なかった。
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