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【七】涙を流す理由と敵わない追手

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 こんな魔物がわんさかいるような場所に、泡吹いて気絶しているこの国の王子を置き去りにしていくのもどうかとは思うが、護衛と思われる者達が倒されていることや、王子の身体に明らかに暴行の形跡があることを問い詰められたら、それはそれで面倒なことになりそうだ。

 王子は一瞬だけ意識を取り戻した際、ジラルドの姿を認識したかもしれない。近衛騎士である彼が、王族に危害を加えたことがバレたら、かなり不味い。ジラルドに何か不利益が及ぶようなことは絶対に避けなければならない。


 俺は小さく溜め息をつくと、ジラルドに掴まれたままの腕に力を込めた。
 

「……助けてくれて、ありがとう」

 この言葉を、ジラルドに伝えるのは、一体何度目だろうか。自分が情けなくて涙が出そうだ。いつも彼に迷惑をかけてばかりで、俺は何もできない。


「あの、後は俺が何とかするから、お前はもう帰っていいぞ。……その、巻き込んじまって悪かったな」

 俺が小さな声で告げると、ジラルドは足を止めて俺を振り返った。その眉間には深い皺が刻まれている。彼が纏う雰囲気がいつもと少し違うような気がした。ピリリとした空気を感じ、俺が身を竦ませていると、ジラルドの手が伸びてきて俺の顎を掴んだ。


「え、なに?」
 
 そのまま上を向かされてしまい、彼と至近距離で目が合う。彼は無表情のまま俺を見つめたまま動かない。俺も思わず固まってしまう。

「……泣かされたのか」
「え?」

 ジラルドの言葉に俺は目を瞬かせる。彼は俺の目尻を親指で軽くなぞると、舌打ちをした。
 

「やはり、あの男殺すしかないな」
「は?いやいや待て待て待て!お前が言うとシャレにならないんだよ!落ち着けって!」

 様子のおかしい幼馴染の腕を掴み、慌てて引き止める。ジラルドはそんな俺の反応を見て、小さく溜め息をついた。そして引き止めた俺の腕を逆に掴む。
 

「こんな場所に、お前を置いて行ける訳ないだろ」
「……おい、ちょっと待て。……離せ」

 彼はそのまま俺の声掛けを無視し、無理矢理俺を引き摺るようにして歩き始めた。
 

「……ジラルド!」
 
 不安になって思わず彼の名を呼んでしまうと、彼は少し驚いたような表情で俺を振り返った。


「……お前、今」
「……へ。え?いや、あ、……えーと」


 不味い。うっかり彼の名前を呼んでしまった。

 そう言えば人違いの設定だった。いや、記憶喪失だったか?咄嗟のことに返事に詰まり、挙動不審になって目を泳がせる。
 
 ジラルドは俺の様子を黙って観察しているが、腕を離してくれる気配はない。むしろ、掴む力が強くなった気がする。
 俺は観念した。



 


「…………………………記憶は、最初から全部ある。無くしてもないし、忘れてもいない。人違いでもない。……ごめん、騙して」

  
 彼には正直に事実を告げることにした。
 
 以前、シモンから記憶を消してやると言われたことがある。本当にそんなことが可能かどうか分からないけれど。
 即答で断った。

 自分の咎を忘れることはできないし、忘れてはならないと思っている。何よりかけがえのない記憶を奪われたくは無かった。
 

 他人のフリをしたまま彼と身体を繋げたのは、俺の浅ましい願望だ。
 ジラルドの反応が怖くて、まともに彼の顔を見ていられない。俺は項垂れたまま黙り込む。

 ジラルドの目元がほんの僅かだが優しく緩められた。


「……そうか、それなら良かった」
 
 彼は独り言のようにそう呟くと、俺の腕を掴んだまま、再び前を向いて歩き出した。そのアッサリした態度に拍子抜けしてしまう。俺のことを別の名前で呼びながらも、ジラルドは俺が誰か分かっていたような気がする。いつから気が付いていたのだろう。

「なあ、何処へいくんだ?」
「東の帝国に行くんだろ?お前が部屋を借りていた宿屋の店主に聞いた。お前、途中から方角がズレていたぞ。……おかげで追いつくのが大変だった」


 ジラルドにそう言われて、俺は思わず押し黙る。道理で、いつまで経っても国境に辿り着かないはずである。


「……何で、お前も一緒に行くんだよ」
「一緒に逃げてくれと、お前が言ったんだろう」
 
 ジラルドの言葉に俺は思わず目を瞠った。確かに以前そんなことを口走った記憶はある。

「あのときは、……ちょっと、精神的に弱ってて。つい言っちまっただけで、本気じゃない。それに今は状況が違う」
 俺は慌ててそう告げるが、ジラルドは俺を見つめたまま何も言わない。その強い眼差しに耐えられず、俺は彼から目を逸らした。
 

「……悪い。きちんと説明しておくべきだった。お前の気持ちは嬉しかったけど……、お前にはお前の人生があるし、巻き込むつもりはない。近衛騎士としての任務もあるだろ?俺のことは、適当に放っておいてくれ。……俺は一人でも大丈夫だ」
「騎士団は辞めた」
「え?」

 ジラルドの言葉に驚いて、俺は思わず顔を上げた。彼は相変わらず無表情だが、その眼差しは真剣だった。俺は硬直したまま動けなくなる。
 
「辞めたって……そんな簡単に」

 動揺して声が震えてしまう。ジラルドは表情を変えぬまま、言葉を続けた。

「騎士を続ける理由が無くなった」
「なんだよ、それ……お前、子供の頃からあんなに憧れてたのに……」

  ジラルドの父親はかつて王都の騎士団に所属していた有名な騎士だった。幼い頃から剣を握らせてもらい、子どもの頃からずっとその道に進むんだと息巻いていた姿が瞼の裏に蘇る。

 

「お前がこの国を去るなら、続ける理由もない」

 淡々と語るジラルドの言葉に、俺は唇を噛み締めた。自分の存在が彼を縛り付けているのだと思うと、心が軋む音がする。



「……何故、まだ、泣く?」

 訝しげな声と共にジラルドの手が伸びて来て、俺の目尻に触れた。彼の親指が涙を拭うように動く。


「俺のせいか」
「違う。……これは、自分が情けないからだ。俺の問題だから、ジラルドのせいじゃない」

 俺はジラルドの手を振り払いながらそう告げたが、彼は納得していないようだった。俺は少し迷ってから、口を開く。


「……俺は弱いから、お前と一緒にいたら、お前を危険な目に遭わせたり、迷惑かけてしまう」

 ずっと、心の内に秘めていた思いを、ゆっくりと口にする。
 手を伸ばしてジラルドの頬の傷痕に触れてみる。彼は俺を見つめたまま動かない。
 
 ジラルドのこの傷は、俺のせいだ。
 その感触に再び涙が出そうになる。


「……守られることしかできない自分が不甲斐ないというか、足手まといになってしまうのが嫌で……でも」

 

 「ルシア」

 俺の言葉を遮るようにして、ジラルドがその名前を口にした。
 顔が上げられなくて俯いたままの俺を、彼の腕が包み込むように抱きしめる。


「……俺がお前を守りたいと思うのは、お前が弱いからじゃない。大切な存在だからだ」

 耳元で囁かれて、胸の奥が熱くなる。ジラルドの体温が心地よくて、俺はそのまま目を閉じた。



「お前のそばにいたいのは、強くあろうと努力するお前が愛しくて堪らないからだ」

 彼の優しく低い声が、俺の鼓膜を震わせる。暖かいその体温に包まれながら、俺は彼の背中に腕を回した。涙を堪えることができなくなる。


「お前は強いが、心が繊細で脆いことも俺は知っている。だから、お前のそばで守らせて欲しい。好きな奴を自分が守りたいと願うのは、当然だろう?」

 




 結局ジラルドには敵わないのだ。



 彼は肝心な時はいつも俺を守ってくれる。普段は言葉が足りなすぎるのに、こんなときは俺が欲しい言葉をくれる。俺の心を救ってくれる。


「……ルシア、泣くなら俺のそばで泣け。頼むから一人で泣くなよ」

 ジラルドは困ったようにそう呟くと、滝のように涙を流す俺の目尻に唇を寄せた。そしてそのまま流れる涙を舐め取り、目尻にそっと口付ける。

「ん……っ」
 くすぐったさに身を捩らせるが、ジラルドは俺の目尻に何度も唇を押し当てた。そしてそのまま瞼や頰にも口付けを落とす。
 俺は思わず目を閉じたまま彼の胸に縋りついた。
 


「……ルシア?」
「ずっと、会いたかった」

 彼の胸に顔を埋めながら、絞り出すようにそう告げる。
 自分勝手な行動の結果で、そんなことを思うのはおこがましいことだとは分かっているけれど、会えない日々が切なくて寂しかったのは事実だ。



「………俺も、お前のこと好き。めちゃくちゃ好き。本当はずっと一緒にいたい。……一生離れたくない」
 

 子供のような拙い言葉で、自分が心の奥底にずっと抱えていた想いを素直に告げる。ジラルドは俺の言葉を聞いて一瞬息を詰めたが、やがて小さく震える吐息を漏らした。そして俺の身体を強く抱きしめると耳元でそっと囁いた。


「俺もだ」


 


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