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〚08〛卑怯な黒幕と勝ち誇る被害者

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 学園では定期的に、社交界を模した交流会が開かれる。これは社交場への慣らしと、人脈作りが目的だ。
 俺はこの会に、以前は婚約者として王子のエスコートで参加していたが、最終学年になってからは欠席している。王子が聖女セリアをエスコートしていたからだ。



「お二人の仲睦まじいお姿を拝見して……私は、もう耐えられません……」
 とか適当な理由を俯いたまま涙ながらに周囲に伝えて、サボっていた。いろいろと誤解された原因は俺にもあったな……と反芻する。


 最後の交流会は卒園式後に盛大に開かれる。俺はそれも欠席するつもりだったが、王子が「出席しろ」とゴリ押しして聞かなかった。俺は王子の婚約者として、交流会では常に彼の横で愛想笑いを振りまかねばならない。正直面倒だし憂鬱だ。サボりたい。


「ルシア、交流会の日の夜は一緒に過ごすよ。覚悟してね」

 憂鬱の原因が俺の耳元で囁いている。そのまま耳朶を優しく噛まれ、背中に甘い痺れが走る。王子は俺の表情をひとつも逃すまいという様に顔を寄せながら「聞いている?」と確認してきた。

「……はい、ちゃんと聞いています」
 俺は何とかそう答える。王子は「なら良い」と満足げに微笑むが、俺の腰を抱く手は緩まなかった。

 あの日、セクハラタイムが何故か復活した日を境に、熱が再燃したのか、奴は毎日のように俺に触れてくるようになった。正直頭が痛い。何かと理由をつけて、俺が二人きりになるのを避けているのも王子は把握しているようだが、今のところは笑顔で放っておいてくれている。焦らなくてもすぐに卒園だし、俺と結婚すれば、堂々と寝室に引きずり込めると考えているのだろう。

 交流会の日はまだ結婚前であるが、奴はきっと強行する気だ。以前それっぽいことを示唆され、「……あまりに無体なことをされると、錯乱して、殿下を傷つけて逃げるかもしれません」と俺が本気交じりで脅したら、変態王子は微笑みながら「大丈夫だよ。抵抗できないように、縛ってあげるから」とか返してきやがった。ドン引きである。

 ジラルドは一緒に逃げてくれると言ったが、彼の立場を考えれば、現実的には無理だと、俺は冷静に判断する。
 最近、ジラルドの前で感情の起伏がありすぎなのもきっとよく無い。一緒にいると、多分、余計甘えが出てしまう。

 ジラルドが、俺のために道を踏み外そうとしてくれたと思われる事実は、俺を舞い上がらせるには十分だった。だからこそ、彼を巻き込むわけにはいかない。
 学園はきちんと卒園しておきたい、と告げた俺に、ジラルドは何かを察知したのか「勝手な行動はするなよ」と俺に釘をさしてきた。俺は曖昧に応えるだけで、明確な返事はしなかった。








 俺は、一人で『死ぬ』つもりだった。

 あの日、彼女が俺に話しかけてくるまでは。


***

「ルシア様、お話があります」

 卒園を数日先に控えたその日。真っ青な顔をした聖女セリアに俺は呼び出された。最近は彼女の姿を見た瞬間、一目散に逃げ出す様にしていたので、こう面と向かって話をする機会は久しぶりだ。

 最後の交流会で、王子が彼女ではなく俺をエスコートするという噂は、既に学園中に広まっていた。セリアの心中は穏やかではないだろうな、と俺は他人事のように考える。まあ、一応婚約者は俺であるし、本来おかしなことではないのだが。

 王子は性格というか、性癖にかなり難があるが、表面上の振舞いは完璧で別に問題があるようには感じさせない。外見の美しさは言うに及ばず、頭脳明晰で上品。普通に考えればかなりの優良物件だ。
 彼女がもし、王子を本気で慕っているのであれば。今後のことを考えて、何かできることはしてあげたいとは俺は密かに思っていた。




「何でしょう?セリア様?」

 中庭のベンチで隣同士で座りながら、俺は彼女に優しく問いかける。セリアは胸に抱えていた書類の束を、俺に差し出してきた。手が微かに震えており、今にも泣き出しそうな彼女の様子に少し戸惑う。

「……これは?何の書類でしょう?」
 俺は目の前の大量に束ねられた分厚い紙に視線を落とし、それをめくろうとしたが途中でやめて彼女にもう一度尋ねた。

「……私がこれまで受けた嫌がらせの資料です。証拠となるのかは分かりませんが、出来るだけ詳しく記載しました」

 彼女の発した物騒な言葉に、俺は目を見張る。俺はその書類の一番上の紙を手に取り、内容を確認した。思わず呻きそうになるが、ギリギリ呑み込んで堪える。

「……あの、これ、アドラシオン殿下に見せましたか?」
「いいえ。まだ誰にも見せていません」
「何故、私に?」
「……ルシア様に、このような恐ろしいことを止めていただきたいのです」


 彼女は意を決したように、真っ直ぐに俺の顔を見つめてきた。その双眸には薄く涙の膜が張り、見開かれている目が僅かに充血しているように見える。
 全く意味が分からず俺は困惑した。

「……皆様、私に様々な嫌がらせをしてきましたが、その際決まってルシア様が如何に素晴らしい方なのかお教え下さいました。だから私は黒幕がルシア様であることにいち早く気付いたのです」
 セリアは虚ろな目で淡々と語り出した。

「……ルシア様は、殿下に愛されている私を妬み……そして殿下の婚約者であることに優越感を感じており……その嫉妬の捌け口に嫌がらせをしているのだと……すぐに理解しました。しかも、自らの手を汚さず、周囲の人間を利用して……。なんて卑怯な方なのかと」

 そう区切ると彼女の中で感情が昂ぶってしまったのか、目の端から涙が一筋零れるのが見えた。
 
 ツッコミどころが多すぎてもはや困る。俺は内心で頭を抱えた。

「つい先日も、生徒会の庶務であるノルド様に私は階段から突き落とされました。あの方、私をいつも睨みつけて、ルシア様を慕ってましたから、きっとルシア様がご命令なさったのでしょう?私が転んで脚を怪我したことで我に返ったようで、盛大に謝罪されましたが……」

 セリアはそこで一旦言葉を切って、また目に涙を浮かべた。俺は思わず天を仰ぎたくなる。ノルドは……まあ、うん。確かにセリアを敵視してたけど……階段から人を落とすような卑怯な真似はしない。恐らくとんでもないウッカリさん行動だろうが、この様子なら俺が違うと説明しても、彼女はノルドが自分を意図的に突き落としたと思って疑わないだろう。


「直接手をくださない貴方の卑怯な態度が許せなくて。貴方を陥れるため、私はわざと貴方に被害を受けたように装ったこともありました。けれど、貴方は笑顔で私を躱すだけ……。どんなに腹立たしかったか。そして、あの事件です」

 セリアの目から雫が溢れる。それを彼女は自然な動作で指で掬った。

「貴方は殿下が見ていることを承知で、演習場で、手下のノルド様にご自身を襲わせました。そして別の騎士様に間一髪のところで助けられて。自分が目を離したために貴方の身に危険が迫っていると、殿下はそれはもう取り乱しておられました。貴方は私から殿下を取り戻すために、わざと殿下の危機感を煽りましたよね?……翌日から、殿下は貴方にベッタリで最優先するようになって……。私は確信しました。全て貴方に仕組まれたものなんだ、と」

 セリアは胸元の制服をぎゅうっ……と握りしめる。感情を抑えるように彼女の手が震えたのが分かった。

 なんか、ものすごい濡れ衣である。俺はどこから訂正して良いやら、もはや言葉も出なかった。セリアの思い込みと勘違いが暴走しまくってる。
 いや、俺そんな策士じゃないけど……。 


「私、この証拠書類を殿下に提出いたします。きっと……貴方が裁かれる日が訪れますわ」

 セリアは、書類を俺の手から奪い返すと、それを一層強く抱き締めながら掠れた声で宣言する。
 用は済んだとばかりに立ち上がり、俺の前を通り過ぎようとする彼女の腕を俺が咄嗟に掴むと、彼女は驚いた顔で俺を振り返った。

「……その書類を殿下に提出するのは、少し待って下さい」
「やはり認めるのですね!!」

 セリアは先ほどの落ち着きを失い、激昂して俺を睨みつけて来た。俺は首を横に振って否定する。

「……誤字脱字が多すぎです。それに客観的事実ではなく、セリア様の主観についてだけで締められています。何より内容の正当性についても説明できていません。もう少し、推敲する必要があります」
「は……?」

 セリアが目を大きく見開き、口をポカンと開ける。俺は彼女の腕を離すと、書類を再び手に取り内ポケットから万年筆を取り出した。本当は持ち帰って丁寧に添削して完璧に仕上げたいところだが、それでは逆に奴に怪しまれてしまうかもしれない。俺はセリアの前で最低限の校正を手早く済ませ、まとめた書類を返す。

「どうぞ」
「あ……ありがとう、ございます……?」

 彼女は混乱しながら俺から書類を受け取ったが、その目は未だに俺を訝しげに見つめていた。

「あの……ルシア様。随分余裕ですね……?この書類を殿下にお渡しすれば、恐らく何らかの処分が下されるはず。貴方は殿下の婚約者ではなくなるかもしれないのですよ?そのお立場に執着はされないのですか?」

 全く執着しない。むしろ、その立場を喜んで放棄したいが?
 
 なんて言えるはずもなく、俺は悲しそう……に見えるよう、表情筋を総動員して微笑んだ。

「余裕なんてございません。それはセリア様がご存知のはず。殿下に捨てられたら、私はきっと生きていけません。私はセリア様を陥れるつもりなど毛頭ありませんでしたが、それは殿下が判断なされる事です。……ああ、けれど、もし婚約解消を面と向かって、言い渡されたら……みっともなく泣き叫んで、殿下に縋り付くやもしれません……ううっ、考えただけで心が張り裂けそうです」

 俺は胸に手を当て、大袈裟に嘆いて見せた。我ながらダイコン芝居だが、彼女は俺の言葉を真に受けたのか、同情した様に眉を下げている。しかし、唇の端がほんのり吊り上がるのが見えた。

「ルシア様は……殿下の事が本当にお好きなんですね……」
「……はい。心からお慕いしております……」

 出来るだけ真面目に誠実に見えるように呟くと、俺は目尻の涙を拭う振りをした。セリアはそんな俺の様子を、少し勝ち誇ったような目で見下ろしてくる。

「申し訳ございませんが、やはりこれは殿下に提出致しますわ」
「そんな……!」
 俺は眉を下げて、悲壮な表情を作る。

「……せめて、貴方のお気持ちは、殿下にお伝えします。嘆かれながら反省でもなさってください」  

 セリアは最後にそれだけ言うと、今度こそ俺を置いてスタスタとどこかへ向かって行った。彼女の背中が見えなくなるまで苦しげな顔で見送ってから、俺は大きく息を吐いた。

 

 ああ……疲れた……。

 気を抜くと笑いそうになるのを堪えるため、ずっと顔が強張りっぱなしであった。

 聖女は思い込みが激しいようだが、恐らく嘘はついていないのだろう。彼女の受けた被害は事実なのかもしれない。
 
 あの欠陥だらけの証拠書類を提出されて、王子は俺を糾弾するだろうか?
 普通だったら、しない。
 せいぜい厳重注意が関の山だ。俺はそれなりに王子に執着されている自覚はある。しかし、セリアが俺の嘆きをそのまま王子に伝えたら? あるいは。

 

 上手く立ち回れば、婚約解消に持ち込んで、『死ぬ』選択を回避できるかもしれない。
 俺はそれに賭けてみることにした。


 



 
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