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〚01〛一番怖い記憶と一番幸せな記憶
しおりを挟む人生初のプロポーズは10才のときだ。
「ルシア、大丈夫だ。俺がお前を守ってやるよ。だから……」
琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、無邪気な笑顔を浮かべながらそう告げた幼馴染を、俺は泣きながら殴り付けた。
「自分の身くらい自分で守る!余計なことするな!!」
真っ赤な顔で錯乱しながら、泣き叫ぶ俺を、幼馴染みの少年は困惑した表情で見つめていた。
少年の名は、ジラルド・ヴァンデ。
代々騎士を数多く排出している伯爵家の二男で、父親は王立騎士団の師団長。将来を嘱望されたエリート様である。そのせいだろうか、10才にして既に騎士見習いとして城に出入りすることを許可されていた彼は、正義感の強い少年だった。
ジラルドと俺は同い年で、お互いの自宅も近く両親同士が懇意であったことから、物心つく前からいつも一緒に過ごしていた。
幼い頃から騎士道精神をこれでもかと叩き込まれていた彼にとって、女の子のように華奢で弱々しい見た目の自分は、庇護すべき対象だったらしい。
一緒に学び始めた剣術の稽古でも、ジラルドは俺を守ることを想定して剣を振るっていた。俺はジラルドのその態度が気に食わなくて、何度も勝負を挑んできたが、最終的にはいつもジラルドが勝った。自分より弱い者に対しても、勝負では一切手加減をしないところが彼らしい。めちゃくちゃ悔しくて、俺は毎回悪態をつきまくっていたが、彼はそんな俺をみていつも笑っていた。
子どもだけで森に入ることは禁止されていたが、俺たちは庭で遊んでいるフリをしながらコッソリ屋敷を抜け出し、大人たちに内緒でよく近所の森を探検した。
時折魔物に襲われることもあったが、ジラルドがいれば怖くなかった。俺たち二人で協力すれば、大抵のことは上手くいったのだ。
ジラルドと過ごす毎日は、とても楽しかった。
その日の出来事は全て俺のせいだ。
森を探検するのはいつも入口付近だけだったのに、その日だけは少しだけ奥に入り込んでしまった。
森の奥は、いつも俺たちが遊んでいる場所よりもずっと鬱蒼と木々が生い茂り、太陽の光も入りにくく薄暗かった。俺はジラルドが止めるのも聞かず、好奇心の赴くままに先へと進み、その森の奥深くまで迷い込んでしまった。
突然背後から殺気を感じ、振り返ろうとしたが遅かった。目の前にはいつの間にか見たことのない魔物が佇んでいた。その目が怪しく光るのを見て、俺は咄嗟に目を閉じた。
結論から言うと、俺は無傷で助かった。
魔物が俺の身体にその鋭い鉤爪を振り下ろす前に、ジラルドが間に入って助けてくれたのだ。
ジラルドは体制を立て直すと、魔物の攻撃を剣で受け流し、そのまま流れるようにその首を刎ねた。魔物は断末魔の叫びを上げて消滅した。
ジラルドは素早く剣に付着した魔物の血を払うと、呆然と立ち尽くす俺の元へ駆け寄ってきた。そして俺の無事を確認するようにその身体を見回すと、そのまま強く抱きしめた。
「よかった……ルシアが無事で」
耳元でそう囁く声は心底ほっとしているようだったが、俺はそれどころじゃない。
「……ジラルド、血が」
ジラルドの右頬と右肩には魔物の爪が掠ったような裂傷があり、そこから鮮血が滴り落ちている。俺を庇った時に魔物の爪が当たったのだろう。
俺の視線に気付いたのか、彼は咄嗟に傷口を押さえたがその指の隙間からもまだ血が滲み出していた。
「悪い、汚れたな」
ジラルドは申し訳なさそうにそう言って、袖口で俺の頬を拭おうとしたが、その手を俺は咄嗟に掴んだ。
「何してるんだバカ!そんなことしたらますます血が溢れるだろ!」
俺は慌てて自分の服の袖を破り取ると、そのまま彼の傷口に当てた。涙が滲む。怖かった。まだ身体の震えが止まらない。
「怖かったよな?ごめんな」
ジラルドは涙を流し続ける俺の頭を優しく撫でてくれた。
「ルシア、大丈夫だ。俺がお前を守ってやるよ。だから……」
琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、無邪気な笑顔を浮かべながらそう告げた幼馴染を、俺は泣きながら殴り付けた。
「自分の身くらい自分で守る!余計なことするな!!」
真っ赤な顔で錯乱しながら、泣き叫ぶ俺をジラルドは困惑した表情で見つめていた。俺はそんな彼の姿を見てさらに涙が止まらなくなる。
彼は何も悪くないのに。
「……違う、ごめん。俺のせいだ。俺が全部悪い。……俺が、弱いから。俺がジラルドを巻き込んだから。怪我させてごめん、本当に……っ」
恐らくジラルド一人だったら、怪我もせず魔物を退治できただろう。俺がいなければ。そんな考えが頭を過ぎり、罪悪感で胸が押し潰されそうになる。
何より、ジラルドが死んでしまうかもしれないと、怖かった。ただ、恐ろしかった。
泣きじゃくりながら何度も謝る俺の頭にそっと手を乗せて、ジラルドは困ったように微笑んだ。その笑顔を見てまた涙が溢れる。
「……心配かけてごめんな。大丈夫だから。俺は死なないよ、ずっとルシアのそばにいるから」
ジラルドは優しい声でそう言って、俺を抱きしめた。俺はそのまましばらく泣き続けたが、その間彼はずっと優しく背中を擦り続けてくれた。
その後、どうやって屋敷まで戻ってきたのかはあまり覚えていない。俺たちは大人たちにこっぴどく叱られた。ジラルドの怪我は命に別状は無かったものの、傷跡が残るかもしれないとのことだった。
その夜、俺は眠れなくて、こっそりと屋敷を抜け出し、ジラルドの部屋を訪れた。ジラルドの部屋は2階の奥だが、俺は庭の大樹をよじ登って何度も彼の部屋に窓から侵入しているので、彼の屋敷の人間も黙認してくれていた気がする。
部屋の窓を小さく叩くと、彼はすぐに窓を開けてくれた。
「ルシア?こんな時間にどうした?」
ジラルドは突然の来訪者に驚いた様子だったが、俺の姿を確認すると安心したように微笑んだ。俺はそんな彼の笑顔を見て胸が締め付けられるような思いだった。
「……言い忘れてた。助けてくれて、ありがとう」
俺は俯きがちにポツリとそう呟くと、そのまま黙ってしまった。いつもなら、ジラルドが許可する前にズカズカと彼の部屋に侵入して好き勝手やるのだが、今日ばかりは罪悪感もあり、そんな気分にはなれなかった。
ジラルドはそんな俺を見て小さく笑うと、窓から身を乗り出した。そして腕を伸ばして俺の頭をそっと撫でる。その手つきは優しくて、心地よかった。
「中に来い。少し話をしよう」
ジラルドはそう言うと、部屋の中に手招きした。俺は小さく頷いて彼の部屋に入った。ベッドに腰掛けた俺の隣に彼も座る。ジラルドの右頬には白い布が貼り付けられていた。
「その、傷……痛いのか?」
「ん?あぁ、この傷か。痛み止め飲んでるから今は痛みはない。ただ、暫くは包帯外せないな」
ジラルドはそう言って苦笑した。俺は申し訳なさでまた泣きそうになる。そんな俺を見て、彼は慌てて言葉を続けた。
「そんなに気に病むな。俺がすぐ反応できなかったせいだし、ルシアのせいじゃない」
「……傷跡、残るのか?」
「らしいけど、大丈夫。女の子だと結婚とかに影響あるかもしれないけど、俺騎士になるし。男で良かったよ」
ジラルドは何でもないことのように笑ってそう答えたが、俺は内心複雑な気持ちだった。
「それより、ルシアの綺麗な顔に傷が残らなくて本当によかった」
ジラルドはそう言って俺の頬を撫でた。俺は正直自分の容姿が嫌いだった。男らしさの欠片もない、中性的な顔。身長もそれほど高くなく、細い手足。ジラルドの隣に立つと体格の違いがさらに際立った。
外見を褒められても、それは俺のコンプレックスを更に刺激した。
けれど、ジラルドに綺麗だと言われるのは、不思議と悪い気はしなかった。
「お前、俺の顔好きなの?」
俺はジラルドの顔を見上げながら、そう尋ねた。ジラルドは何故か一瞬驚いたように目を見開いた後、俺から視線を逸らした。
「……まあ、綺麗だと思うし、可愛いとも思う」
ジラルドは照れたように頭をかきながら、小さな声でそう呟いた。俺はその答えに満足して思わず笑みが溢れる。
「俺も、お前の顔好き」
「……傷があっても?」
「うん。だって、俺を守ってできた傷だろ?かっこいいじゃん」
俺は笑顔でそう答えた。ジラルドは虚をつかれたようにポカンとしていたが、そのうち笑い出した。俺も釣られて笑ってしまう。
「はあ、やっと笑った。やっぱルシアは笑うと可愛いよ」
「……可愛くねぇよ」
俺は唇を尖らせて反論するが、ジラルドはただ笑っているだけだった。他の人に言われるとムカつく言葉も、ジラルドに言われると何故か嬉しくなる。
「……あのさ、もし、もしも、お前が誰とも結婚できなかったら、その時は、俺がお前と結婚するよ。俺、お前とずっと一緒にいたい」
俺はジラルドの顔を見上げながら、思わずそう告げた。その言葉は自然と俺の口から出たものだったが、言い終わった途端に急に恥ずかしくなってきて慌てて俯く。
ジラルドの反応が怖くて、そのまま顔を上げられずにいると、不意に頰に手が添えられた。驚いて視線を上げると、至近距離に琥珀色の瞳があった。
「……本当か?約束だぞ」
ジラルドはそう言ってふわりと微笑んだ。俺は心臓の鼓動が激しくなるのを感じた。顔が熱い。
「……うん、約束する」
俺が小さな声でそう答えると、ジラルドはそのまま顔を近づけてきて俺の額に軽くキスをした。驚いて固まる俺を置いてけぼりにして、今度は唇に口付ける。柔らかい感触に頭がクラクラしたけど、嫌じゃなくてむしろ嬉しくて幸せで。
彼は俺のそんな様子を目を細めて見つめると、俺の背に腕を廻して抱き締めてきた。
「ルシア。この先何があっても、俺はお前のそばで、お前を守ると誓うよ。約束する」
耳元で囁かれた、ジラルドのその大人びた誓いは、俺を複雑な気持ちにさせた。やはり自分は彼にとって守られる対象らしい。
それでも、彼の気持ちは嬉しくて、彼と離れたくなくて、俺は彼の背にしがみついてしまっていた。ずっと彼のそばにいたいと願いながら。
人生初のプロポーズは10才のとき。
自分からで、相手もそれを受け入れてくれた。
その瞬間は、俺にとって一番幸せな記憶だ。
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