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【四】世間知らずの聖女

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「お待ちください、ルシア様」

 東の帝国方面へ向かう乗合馬車に乗ろうとした瞬間、突然腕を掴んで引き戻された。驚いて振り返れば、そこには可憐な美少女が立っていた。
 
 艷やかなピンクブロンドの髪は丁寧に編まれており、やわらかな毛先が風に揺れている。長い睫毛に縁取られた大きな瞳はアメジストのように美しく煌めいていた。肌は抜けるように白く、まるで精巧な人形のようだ。
 華奢な身体に纏うのは、純白に金の装飾が施されたローブで、それには複雑な紋様が刻まれていた。

 少女は、みるみる目に涙を溜めて、俺を見上げる。 


「ルシア様……良かった。やはり生きておられたのですね」

 少女は感極まったように口元を手で覆うと、涙声でそう呟いた。その外見には不釣り合いな、大人びた口調だった。
 突然現れた少女に驚きつつ、俺は溜め息をついた。またこのやり取りである。

「人違いだ、離してくれないか?」
「いいえ、貴方はルシア様です。髪の色は違いますが、私には分かります」

 少女は俺の腕を離さず、きっぱりと言い切った。その態度に俺は眉を顰めて首を振ると「人違いだ」ともう一度告げる。しかし少女は首を横に振るばかりだ。そして俺の目をじっと見つめると、悲しげに眉を寄せた。まるで捨てられた子犬のようだ。


「私、ルシア様にお願いしたいことがあるのですが、その前に謝罪をさせてください。あの日……、ルシア様が行方不明になってしまわれた日、貴方の身に降り掛かった出来事は、全て、私の責任です。本当に申し訳ございませんでした」

 少女は深々とお辞儀をして、謝罪の言葉を口にした。その声は震えており、今にも泣き出してしまいそうだ。俺はそんな様子を遠巻きに見ていた周囲の乗客たちからの視線が気になり、軽く舌打ちする。
 めちゃくちゃ目立ってしまっている。

「悪いけど、先を急ぐんだ。謝罪は受け入れて許すから。もう行っていいか。人違いだけど」

 既に馬車の出発時間を過ぎていたため、乗合馬車の駅員が苛立ったように俺たちの動向を注視している。俺は少女の腕を振り解くと、そのまま馬車に乗り込んだ。この注目から早く逃れたい。

「ルシア様……、こちらの馬車に乗られるのですね。それでは私もご一緒します!」
 少女も、俺の後に続いて乗合馬車に乗り込んだ。
 
「は?」
 俺は驚いて声を上げると、少女の顔を改めて見つめ直す。少女はにっこりと微笑むと、馬車の窓のカーテンを閉めた。そのまま当たり前のように俺の隣に腰を下ろす。


「ルシア様がこの街にいらっしゃると聞き、私世話役の目を盗んでこっそり神殿を抜け出して来てしまったのですが」

 少女がサラッと爆弾発言をした。俺は信じられない気持ちで少女を見下ろす。

 この子誘拐されたいのか?

 この見た目で、聖職者で、護衛もつけず、こんな辺鄙な街にひとりで来ていると自己紹介するなんて、世間知らずどころの騒ぎじゃない。
 失踪した「やんごとなき身分の人」ってこの子じゃないのか?

 この乗合馬車には御者が一人と乗客が六人で計七人が乗っているのだが、皆の視線が俺と少女に集中している。



「ルシア様。でんか……と、いえ、貴方の婚約者だった方のことなのですが」
 少女が俺の隣で語り始めた。
 


(今『殿下』って言ったな。)

 流石にまずいと察したのか、少女は咄嗟に言葉を濁して言い直した。


「……あの方は、今とても後悔しておられます。貴方様を失ってから、すっかり生気が失われ、日々憔悴していかれるご様子でした。……やはり、私だけでは駄目だったようです。ルシア様、どうか戻って来てくださいませ。そして、あの方を救って差し上げてください」
「いや、だから人違いだって」

 少女は必死に言い募るが、俺にそんなことを言われても困る。


「私だけ……いえ、私とあの方だけでは無理なのです。毎日毎日たくさんのお勉強お勉強お勉強……、ルシア様と比較され、駄目出しされる日々……。うううぅ、こんな日々が続くなんて、もう耐えられませんっ……」

 少女は悲しげに目を伏せると、しくしくと泣き出した。俺はドン引きしながらその様子を眺め、周囲は痛ましそうに少女を見つめている。
 ていうか何か?この子ひょっとして勉強が嫌で脱走しただけとかか?


「ルシア様……貴方だけが頼りなのです。戻ってきてください!!」
「……いや、俺関係ないけど、結局どうしたいんだ?……その、戻ってどうするんだ?」

 戸惑いながら俺が尋ねると、少女は涙目のまま満面の笑みを浮かべた。

「第二夫人として、お迎えいたします!!お仕事もたくさんあります!!!」
「絶対嫌だ。お断りする」

 人違いなのに、俺はつい真顔で即答してしまった。
 何を言い出すんだコイツは。何でそんな自信満々なの?馬鹿なの?死ぬの?


 俺がさらに言い返そうと口を開いた瞬間、馬車が急停車した。乗客たちが悲鳴を上げる。御者席に繋がる窓を慌てて叩くと、御者が真っ青な顔で振り返った。

「魔物だ!すぐ側の森から溢れたみたいだ!!」

 御者は大声でそう言うと、手綱を思い切り引っ張った。馬が嘶き、馬車は道から逸れる。

「るるるるるルシア様!」

 少女は真っ青な顔でアワアワしながら俺の腕にしがみついてきたが、俺はそれを乱暴に振り解く。そしてそのまま馬車のドアを蹴り開けると、御者が指差した方向へと駆け出した。



「おい!兄ちゃん危ないぞ!!」

 御者が俺の背中に向かって叫んだが、無視して森へ駆け込む。木々の合間を駆け抜けると、俺の目には魔狼の姿が映し出されていた。
 十数匹の群れで、森の中を駆け回っているようだ。魔狼の一匹が俺に向かって唸り声を上げた瞬間、俺は腰の剣を抜いて、魔物の群れに突っ込んだ。

「ギャウッ!」
 一閃でその首を斬り落とすと、そのまま次の獲物に狙いを定める。

 魔物たちは一瞬怯んだが、すぐに怒りの咆哮を上げ、一斉に飛びかかってきた。俺はそれをひらりとかわすと、その内の一匹の首を刎ねる。そしてそのまま残りの数匹も確実に斬り伏せていく。
 
 最後の一振りで全ての魔狼が絶命したことを確認すると、俺は剣についた魔狼の血を払い、鞘に収めた。周囲を見渡して、他に魔物がいないことを確認する。

「……よし」
 俺は小さく呟いた瞬間、そのままその場に崩れ落ちた。


 


 


 ヤバい。
 腰が死ぬほど痛い。


 昨夜のアレコレで、身体が本調子でないことを忘れて、被害が出る前にとりあえず退治しておこうと、後先考えず全力で動いてしまった。
 俺は地面に突っ伏したまま、しばらく休憩することにした。




「きゃあああああ!ルシア様ああぁ!死んじゃイヤですうぅ!!」

 少女の甲高い叫び声が聞えてきたので、しぶしぶ立ち上がる。とりあえず逃げよう。


「ルシア様ああぁ!今、治癒魔法をかけますぅ!!だから、どうか!憐れな私のため、オシゴトを代わりにっ……」

 すぐ背後で自分勝手な少女の声がしたので、俺は振り返りざまにその頭を剣の柄で軽く殴る。鈍い音と共に、少女は「ぐえっ」と悲鳴を上げて地面に倒れ伏した。どうやら気絶してしまったようだ。

 俺は無表情でその身体を抱き上げると、そのまま馬車へと戻った。腰がまだ痛いがなんとか耐える。御者は俺の姿を見てホッとしたように胸を撫で下ろしている。

「兄ちゃん!無事で良かった!怪我はないか?」
「あ、はい。大丈夫です。……あの、この子をお願いします。ちょっと無理したみたいで、気絶してしまって。一度戻って憲兵に知らせてもらえませんか?」

 俺はそう言って御者に少女を引き渡すと、そのまま馬車を降りた。御者は「あ、ああ……」と戸惑いながらも少女を受け取る。そして俺に心配そうな視線を向けた。

「兄ちゃんはどうするんだ?一緒に乗ってかないのか?」
「……いえ、俺は大丈夫です。先を急ぐので」

 俺はそれだけ答えると、御者に軽く会釈して馬車から離れた。そしてそのまま森の中を歩き出す。背後から「兄ちゃん!」という呼び止める声が聞こえたが、無視した。あの少女も置いてこれたし、まあよしとしよう。
 早くこの国を出なけれは、捕まってしまうかもしれない。

 俺は気を引き締め直すと、東の国境を目指して、薄暗い森の中を再び歩き出したのだった。
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