静かな夜をさがして

左衛木りん

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第7章 成就

つなぐべき道

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茶色と薄緑色を取り合わせた長衣をまとったその美しい女性は、戦場での赫々たる勇姿とは正反対のたおやかなたたずまいで二人を歓迎した。

「ようこそ、私の秘密の庭へ。このときが来るのを待っていました」

「…千尋ちひろ様」

誉れ高き武人にして他に並びなき賢哲である樹生の礎主、樹生・ミディエラ・千尋は、久遠と静夜が恭しく挨拶すると、二人の元気な顔を見て安心したようににこりとした。久遠が丁寧に礼を述べた。

「千尋様、ちょうどいいときに援軍と一緒に駆けつけてくださって、本当にありがとうございました。千尋様のあのときの采配には救われました。でも、あれだけの功績を挙げられたのに、どうして面会拒否なんて…」

「あの状況で公の場に出ていけば、永遠の師として質問攻めに遭うのは免れませんから。使いの者を送り出し、あなたたちをここに呼ぶまでは、秘密を守り通す約束だったのです」

「それは、永遠のこれまでの修行に関することですか?」

「もちろん」

千尋は永遠のたったひとりの協力者であり、すべてを知っているのだ。久遠は早く真実を知りたいあまり、焦りに駆られて彼女との距離を一歩詰めた。

「姉さんは、自分は姿形を変えて生き続ける、すぐにまた会えるって言ってました。…あれはいったいどういう意味なんでしょうか。どこに行けば、どうすれば姉さんに会えるんでしょうか」

「永遠なら最初からいますよ。…ここに」

そう答えて千尋が隣にある苗木におもむろに手を振り向けたので、久遠と静夜は驚いた。それは幹も枝も葉も細工物のように美しいものの、二人の目には何の変哲もない苗木にしか見えないからだ。ただ、よく見るとその苗木からは細かい粒のような煌が絶えず発散されている。

「この苗木が永遠だと…?」

「じょ、冗談ですよね?」

千尋はうっすらと微笑みを浮かべて首を横に振った。

「いいえ、本当です。これは“封印樹”…その苗木。永遠は肉体と煌源を放棄する代わりに自らを樹木化し、現し身よりも遥かに長い時を生きる道を選んだのです」

聞けば聞くほど二人は衝撃を受け、気持ちが現実に追いつかなかった。

「それが永遠が使った秘術ということですか…」

「でも、人が樹木になるなんて、聞いたこともありません…」

「樹木化の術は樹生の族に古くから伝わる秘術の中の秘術で、かつて実際に行使した者は片手の指ほどもいません。対価があまりに大きいからです。そのことはきっとおわかりでしょう?」

千尋の説明に、二人は心の中で想像しながらうなずいた。原礎が樹木になるためには、星と人間に対する使命、さらには生身の人として生きる喜びや未来や可能性を捨てなければならない。それは常人にはおよそ計り難く、深遠な、達観ともいうべき境地だろう。

「私自身、永遠の申し出に心から賛同したわけではありません。彼女を大切に思う人々とのつらい別れを経なければならないこと、そして彼女の優れた才知が失われることは明白でしたから。それでも永遠の決意は固かった」

「永遠はなぜそんなことを…」

「私に話せるのはここまでです。あとは永遠本人の口からお聞きなさい」

千尋に丁重に拒否されて静夜は表情を曇らせ、久遠は肩を落とした。

「でも、木になっちゃったら会って話すこともできないし…どうすれば…」

「煌礎水は汲んできましたね?」

「…はい」

銀の如雨露を久遠が差し出して見せると、千尋は苗木に近寄るように二人を手招いた。

「その如雨露から注がれる煌礎水は、二人を永遠のところに導く最後の鍵。永遠と同じ血を分けた双子の弟であるあなただけがその扉を開くことができます。心の準備ができたなら、苗木に水をあげてみなさい」

本当に水やりのためだったんだ、と二人はまたしても驚きの顔を見合わせた。静夜と千尋が真横でじっと見守る中、久遠は注意深く如雨露を傾け、その苗木の根元に煌礎水を注いだ。漂う煌気は水を与えられるにつれ輝きと密度を増し、やがて目も開けていられないほど強いまぶしさを放った。そして金色の煌に包まれた直後、二人は元いた時間と空間から突然切り離された。



清涼な風を頬に感じて顔を上げると、いつの間にか二人は青空の下に広がる緑の草原の真ん中に立っていた。

草原は緩やかな起伏を連ねながら見渡す限りどこまでも続いている。だがいくら目を凝らして探しても、人や建物の姿はおろか、鳥の飛ぶ影や虫の動く気配さえない。草の感触は本物で、風の匂いもかぐわしく鼻腔をくすぐるのに、現実に存在する場所とはとても思えなかった。

「ここは…」

「…どこだ?」

「ここは“とこしえの庭”…ただし実在はしていない。私の思念の中の世界だ」

耳になじんだ懐かしい声に、二人はぱっと振り向いた。

そこには静夜の倍くらいの背丈の若木が生えていて、緑の生い茂るその枝の下に小柄な少女が立っていた。白一色で袖のない質素なワンピース姿で、裸足で草と土を踏み、草原を吹き渡る風に長い金髪を遊ばせている。

「姉さん!」

「…永遠!」

二人は同時に叫び、すぐさま彼女に駆け寄った。

まず久遠が永遠にがばとしがみつき、そのまま固く抱き合う双子の姉弟の肩に、静夜がそっと手を乗せる。

(さっきまで誰もいなかったのに…)

立て続けに目の前で起こる不思議な出来事に面食らいながらも、再会を喜び合った。

「よかった、姉さん…また会えた…」

「…すまない、永遠…俺のために、君にこんな犠牲を…」

永遠は久遠には大きくうなずいて見せ、反対に静夜には優しげに首を振った。そして安心したように満面の笑みを浮かべた。その顔は相変わらず色白で細面だが、以前のように憔悴してはおらず、健やかな活力にあふれていた。しかし久遠と静夜は、仮にそう見えるとしても、今いるこの世界と同様、彼女ももはや現実の存在ではないことをすでに知っていた。

「二人とも元気そうで何よりだ。私の方こそ心配をかけ、驚かせてすまなかったな。それに、一緒に出陣できなかったことも…」

「ほんとだよ…!すごく心配したし、実を言うと僕、姉さんがいなくてちょっと心細かったんだ…いったいどこで何してたの?」

「集合時間には間に合うよう向かうつもりでいたんだが、体力が回復しきっていなくて、翠玉の柱廊でしかたなく…だがなんとか、一番必要なときに間に合ってよかったよ」

「よかったなんて…俺は…そんなこと…」

静夜は本心ではまだ罪悪感を拭いきれず、永遠の顔から目をそらしてしまう。

永遠はそんな静夜を諭すような誠実なまなざしで見つめた。

「静夜。君がどう感じたとしても、どちらにしろ後戻りはできない道だった。あれが皆が生きられる唯一の選択肢だった。私はまったく後悔していない。だがもしあのまま君を死なせていたら、それこそ痛烈に後悔しただろう」

静夜の過去は非常に根の深い問題だ。真の意味での咎は彼らの中の誰にもなく、永遠の考えを変えることも誰にもできない。静夜は感情を抑え、永遠の煌源を宿した胸の前で拳を握りしめた。久遠も自分の心の中にせめぎ合う異なる色の気持ちと黙って向き合っていた。

「だが…どうして君は樹木化する道を選んだんだ?」

「そうだよ。…こんな言い方したくないけど、姉さんが木になって、それで何ができるの?封印樹って何なの?僕には想像すらつかないよ」

「…うん」

永遠は脇に立つ若木の幹に手を置いた。

「おまえたちも見ただろう、あの苗木を。今はまだ小さく、あの状態のままでは何の力もないが、しかるべき場所に植樹して煌気を注げば、瞬く間に成長して雲を突くほどの大樹になる。ではどこに、何のためにこれを植えるのか…肝心なのはその点だが、私の頭の中には最初からその答えがあった。いや、むしろそれが生じて初めてこの秘術に挑んでみようという気持ちになったんだ」

二人はもどかしい疑問を抱えたまま息を詰め、真剣な面持ちで聞いている。

「久遠が目覚めてから最初の遠征の報告会で、黄泉が永久煌炉を復活させたと聞き、同時に天地神煌でも迦楼羅を破壊できないと知ったとき、やっとわかった気がした。自分が樹生の礎に、しかも森羅聖煌を持って生まれた意義を」

突然記憶が再生されて静夜ははっと目を大きくした。二人が真鍮の砦にいたとき、使わなければ強い力も無意味だと指摘した彼に、永遠は旅をしながら自分なりにその意味を追求していると答えた。永遠は今までずっと探し続けていたのだ。そして…。

(ついに見出したのか…その意味を)

思わず久遠を見ると、久遠もそれに気づいたらしく、ぱっと彼を見て、二人は互いの目だけでそのことを確認した。

と、永遠は不意に久遠に問いを投げかけた。

「久遠、おまえに訊くが、黄泉の煌源は天地神煌でも掌握できなかったんだな?」

姉さんは見てたのか、と少し驚いた久遠だったが、それには触れず事実は事実として認めた。

「…そうだよ。なぜかはわからないけど、黄泉の煌源は普通の原礎とは違うような反応だった。それだけじゃない、僕の煌器も完璧に防いだし、曜さんと暁良さんに不意を突かれても耐えて逃げ延びた…ひと筋縄ではいかない、格の違いみたいなものを感じたよ」

「炎叢は強大すぎるがゆえに禁じられた礎だ。あれだけの攻撃で斃れないのも不思議じゃない。久遠と互角に渡り合い、天地神煌で浄化できず、物理的な抵抗力や戦闘力も高いとなると、黄泉の討伐は私たちの想像以上の難業になるだろう。だが戦を続ければ同胞たちの心身の負担は計り知れない…私の計画はやはり無謀でも間違いでもなく、時宜を得たものだった。なぜなら私が姿を変えた封印樹で、迦楼羅と黄泉と永久煌炉を一度に封印することができるからだ」

「…迦楼羅と黄泉と…永久煌炉を…!?」

二人は驚嘆の声を上げた。静夜は背中の迦楼羅をちらと見た。

「迦楼羅を…それはもしかして、迦楼羅と黄泉を永久煌炉に投げ込んで封じるということか?」

「そうだ。永久煌炉に封印樹の苗木を植え、そこに迦楼羅と黄泉を投げ込む。同時に封印樹にできるだけ大量の煌気を注いで一気に生長させ、永久煌炉もろとも根っこで蓋をするように塞いでしまうんだ。煌炉の中で迦楼羅は閉じ込められ、黄泉は溶けて消滅し、封印樹は根を下ろした炉の中の煌気を少しずつ取り込みながら生き続ける。寒々しい荒れ地だったその場所を緑豊かな豊穣の土地に変えて」

そのとき永遠が少し後ろを向き、白くか細い腕をすっと持ち上げ、なだらかな草原のどこか遠くを真っ直ぐに指差したので久遠と静夜も誘われるようにそちらを見た。

風になびく緑野以外には何もない遥かな地平の一角に金色の煌が踊るように立ち昇ってきて、徐々に何かの輪郭を結び始め、青空の背景に際立つ堂々たる偉容を紡ぎ上げてゆく。

煌が晴れるとそこには、天を肩に背負って大地に屈む巨人のようにそびえ立つ、力強く美しいひとつの大樹があった。

永遠の思い描く、彼女の生まれ変わった姿だ。

「…あれが、封印樹…」

「あんなに大きく…それに、神々しい…」

その荘厳な光景は、呆然と立ち尽くして見つめる二人のまぶたに強く灼きついていった。

「二人には、これを実在する眺めにしてもらいたい…それが私の願い…」

二人が視線を永遠に戻すと彼女の隣に立っていた若木は大樹の幻影に入れ替わったのか、影も形もなく消えていた。

そのように肉体から解放されて新たな存在となる道を選んだ永遠の決心を、生身の生に縛られる運命の二人はまだ完全には理解し難かった。

「願いって…姉さんの真剣な気持ちはわかるよ。でもそれならせめて事前に相談してくれたらよかったのに…いきなりこんなことになったら悲しいし、寂しいじゃないか!」

「久遠の言うとおりだ。大切な友が相談も別れの言葉もなく突然目の前からいなくなったら、残された者たちの気持ちはどうなるか…俺に語る資格はないが、君はわかっているはずだ」

「もし私があらかじめ相談したら、おまえたちは全員一致で即座に賛成してくれたか?」

「えっ…」

「…それは…」

当然、答えは否だ。思わず押し黙る二人に、永遠はあっけらかんとした口調で言った。

「どんなに効果的な策だとわかっていても、ほぼ全員猛反対しただろう。自分を犠牲にするような真似はやめろと。皆心が優しいからな。それがわかっていたから、あえて千尋様にしか相談しなかった」

「姉さんは本当にそれでいいの?原礎としての生き方を放棄したら、前みたいに旅をしたり修行したりできなくなるんだよ?僕の作るごはんも食べられなくなるし、耶宵さんともおしゃべりできなくなる…友達や家族や大切な人と別れて、幸せな人生を手放してまで人間や世界のために生きる道を選ぶなんて…姉さんは自分に厳しすぎるよ…」

「なるほど。ということは、久遠、つまりそれがおまえの考える幸せなんだな」

呆気に取られる二人の前で、永遠は腕組みをし、細い顎に手をやって、自らを深く顧みるように話し出した。

「旅や修行をする中で気づいたんだが、どうやら私は普通の生き方や日々の当たり前の暮らしにあまり執着がないらしい。おまえの作る食事を食べることも、耶宵と一緒に楽しく過ごすことも、静夜と話すことも、どれも素晴らしい、大切なことだ。それに、別に自分は死んでもいい、尊い犠牲になってもいいと思ってるわけでもない。私が本当に望むものはそこにはないんだ。私の思う幸せは、おまえたちの思う幸せとは違う。つまりこれは価値観や人生観の相違だよ」

生活能力がなく自分のことには無頓着な一方で、苦しんでいる者を見ると放っておけず、自分の心身を削ってでも他者や役割に奉仕するーーその魂を収めるには、生身の器は小さすぎるということなのかもしれない。

永遠は腕を解いて下ろし、再びゆったりとした構えで封印樹を見晴るかすと、その目許にふっと微笑を浮かべた。

「それに、樹木になった私はおまえたちよりもずっとずっと長く生きることができる。そしておまえたちにはできない生き方をする。枝葉を伸ばして空高くの風に吹かれ、地中深く張った根から水を飲み、枝に止まる鳥や幹を這い登ってくる獣や虫たちから星の上の出来事を知る。同胞たちの子供や孫やひ孫、何世代もが生まれてきては死に、また生まれてくる間も変わらず何百年、何千年と生きてこの世界を見つめ続ける。これは私にしかできないことで、私にだけ与えられた幸せな贈り物なんだ」

「姉さん…」

それが彼女の求める幸福だと突然言われても、はいそうですかと納得できるものではない。やはり寂しさを禁じ得ずにうなだれる二人を永遠はまじりけのない真っ直ぐな瞳で見つめた。

「でも、おまえたちの気持ちは、純粋に嬉しいよ」

「…永遠」

追いすがろうとする静夜の声を永遠は片手を上げて柔らかく制した。

「二人も知っているとおり、原礎は人間のためという大義名分のもとで星が与えてくれる恵み以上のものをひねり出したり、自然の法則や性質を変えたりすることはできない。星養いの旅の中でままならない生活に呻吟する人間たちを大勢見てきて、自分たちにはその場凌ぎの対症療法しかできず、人間たちの忍耐力と適応能力に委ねて見守る他ないことを私はずっと歯がゆく思ってきた。きっと私は静夜のかつての同志たちをどこかで置き去りにしてきたことだろう。もちろん、制限された中でできる限りの働きを為すことも原礎としての真っ当な務め、立派な役割だ。私はそれは否定しない。ただ私の森羅聖煌はそれには不釣り合いに大きすぎる。役立てることができないのに持たされているこの強い力が果たして何のためにあるのか…それを考えていたのが、静夜、ちょうど君と初めて出会った頃だ」

「確かに、君はそう言っていたな…そこまで深く真剣に悩んでいるとは思わなかったが」

「正直あのとき君に真正面から問い質されて焦ったし、驚いたよ。見透かされ、責められてるんじゃないかとね」

「…あのときは、本当にすまなかった…」

「もういい。それもひとつの現実だから」

永遠は苦笑いの後で少し溜め息をついた。

「天地神煌と違い、森羅聖煌には実は特殊な性質があるわけじゃない。森羅聖煌がなぜ存在するかが重要なのではなく、そう名づけられた大きな力をどう使うかを考えることが肝心なんだ。大きな力を持つ者には、そうでない者たちに対して果たす責任や義務があると私は思う。世界が窮地に立たされたときに力を持つ者が道しるべとなり、人々の心を導く。後の世の人々に学びを与え、その心に勇気と希望の炎を灯すために…それが私がたどり着いた答え、あるいは私なりのひとつの解釈だ」

「問題を解決するために先人たちがどう考え、何をしたかを伝承することで、将来において役割を果たすんだね」

「そういうことだ」

大きな力ーーこの世に二つとない力をそれぞれ持つ久遠と静夜は、おまえには何ができるのかと問いかけてくる声を自らの心の中に聞いていた。二人はまだ己を探求する旅の道半ばなのだ。

「だが私の長い命もいつの日か必ず尽きる。封印樹が寿命を迎え朽ち果てるか、抗うことのできない強大な力で切り倒されるか、あるいは黄泉の後を継ぐ者が現れるかして時代が変われば、そのときは私も役割を終えるだろう。だがどんな困難が降りかかったとしても、それはその時代の者たちが立ち向かい、対処し、乗り越えること。私たちは私たちの時代を守らなければならない…それを繰り返して歴史や世界は次の代に連綿と受け継がれていくんだ」

これまで誰にも打ち明けたことのなかった考えをついに語り尽くすと、永遠は満足を得たような清々しい瞳を静夜に向けた。

「静夜の先祖も代々、さまざまな思いとともに迦楼羅を受け継いできたことだろう。その昔、君のお爺様やひいお爺様も迦楼羅の破壊を試みたことがあると聞いた。そこで君に、改めて訊きたい…以前私は時間が許す限りじっくり考えるといいと言ったが、今回君に最後の意思決定をする場を用意した。君自身は迦楼羅をどうしたい?」

彼らを取り巻く問題の大部分は、迦楼羅の始末の方法、そしてその成否にかかっていて、少なくとも皆がそうだと考えている。その最も安全な解決策が今彼の目の前に提示されていて、躊躇う理由はなく、これ以上先延ばしにすることはできないのだ。率直に真意を問われ決断を求められた静夜は、その重みを誰よりも身をもって理解し、深く受け止めながら、それでも自分の意思を貫くために心を決めた。久遠は口を挟むことを控え、不安そうに静夜の横顔を見つめている。

固く鍵をかけていた扉を開け、勇気を奮い起こして静夜は告白した。

「確かに俺は迦楼羅をこの世から消し去る方法を探し求めてここまで来た。多くの人を巻き込んだし、回り道もした…だが俺の今の正直な気持ちは…迦楼羅を手放したくない」

「えっ…」

意外な言葉に久遠は目を見開き、一方で永遠ははっきりと見てわかる感情を表には出さないまま、再び尋ねた。

「理由を聞かせてもらえるか」

静夜は心を落ち着けるように軽く息をついた。

「戦場に立って迦楼羅を抜いたとき、やっと心に受け入れられた。父と母が赤ん坊の俺と一緒に命をかけて守り抜こうとしたこの剣は、俺にとって両親の形見だと…たとえどれほどの死をもたらしたとしても、俺にとってはこれが両親の生きた証、そして自分自身の生きる証だと、今では思える」

迦楼羅を背中から下ろし、尽きせぬ思いの揺れるまなざしで見つめる。

「迦楼羅はただの武器、ただの身の守りじゃない。今日まで滅ぼされることなく俺と道をともにし、手から離れてはまた舞い戻り、俺に力を与えて戦禍や死地をくぐり抜けてきたからには、迦楼羅にはその特性や能力以上に俺と引き合う力があり、俺はもはや迦楼羅と離れられない運命なのではないか、と…それならばどこまでも旅路と戦いをともにし、能うならその道を究めたいと思うようになった」

静夜が望み、迦楼羅が応えたときに発揮される力には、単純な破壊力を超えた、見る物を畏怖させる神がかり的な美しさがある。それはあたかも儚い命の炎を燃やす一輪の奇跡の花のようで、生きて目の前でそれを目撃するのはまさに驚嘆すべき稀有な体験といえるだろう。

「永遠…君の優しい思いやりも迦楼羅の脅威も、これほどの機会は二度とないということも重々承知している。だがそれでも俺は迦楼羅と生きたい…本当は君に打ち明けたかったが、あまりにみっともなくて言えずじまいだった。結局のところ執着を切り捨てられず、決断ができないだけだと言われても反論はしない」

「執着じゃない。それは愛着だ。人として、人らしく生きるのに必要な人生の旅の荷物だ」

迦楼羅を見下ろす静夜の温かい表情に何かを重ね合わせて見たかのように永遠は束の間沈黙した。

静夜は心に大切にしてきたものを噛みしめるような低い声で言った。

「すべてが終わったらその後のことはどうなるとかどうするとは断言できないが、この血筋は俺の代で絶えるから、俺が死ぬまで迦楼羅を守り通せばその先誰も迦楼羅には触れられなくなる。だからそれまでは…どうかわがままを赦して欲しい」

「それが君の出した結論なんだな」

「そうだ」

「君が迦楼羅を持ち続ければ身柄を狙われ、また悪事に加担させられる危険性もある。それでもか」

「…ああ」

厳しい顔つきながら、静夜は毅然としてうなずいた。

(静夜…)

それまで夢中で聞き入っていた久遠は、自らの意思で選んだ道を歩む静夜を一番近くで見守ることのできる自分への誇らしい気持ちから急に胸のかき曇るような不安な気持ちになり、だがまだ現実を直視したくなくて口をつぐんだ。

「君と迦楼羅はすでに一心同体、一蓮托生なんだな」

永遠は静夜の本心を知り、納得したように表情を柔らかく和ませた。

「さっき話したこの計画の理念はあくまで私個人の考えで、おまえたちや未来の同胞たちに同種の判断を強要するものじゃないし、すべてを私の話したとおり忠実に実行しろと命ずるものじゃない。だが、久遠、もし私に本当に幸せに生きて欲しいと思うなら、そして、静夜、もし私に対してまだすまないと思うなら、その埋め合わせに私のたっての願いを叶えてもらいたい。黄泉と永久煌炉を封印し、この風景を現実のものにする…黄泉をどうやって永久煌炉に放り込むか、またその成否はおまえたち次第。持てる力と知恵と勇気をすべて結集して挑んでくれ」

久遠と静夜は使命感を胸にどちらからともなく顔を見合わせ、相手の瞳の奥に同じ思いを見て取り、決意を新たにした。

どんな不安や懸念も、今足許で起きている危機ほど確かでも喫緊でもないからだ。

「…わかった」

「約束するよ、姉さん」

「ありがとう」

二人が気がついて驚いたのは、自分たちの身体が光を放ちながらあのときの永遠と同じように透けてきていることだった。とっさに永遠に手を伸ばしても、もう触れることはできなかった。かりそめの再会の終わる時間が来たのだ。

「次に会えるのは私の願いが叶えられた後、実在する場所になったとこしえの庭でだ。ぜひともそれが実現するように…待ってるからな」

「姉さん…!」

「永遠…!」

徐々にまばゆさを強める光の中で、永遠は幸福に満ち足りた少女のように明るく笑っていた。

「頼んだよ。私の大切な弟たち」

その声とともに光が弾け、二人は現し身の世界へと連れ戻された。



意識がはっきりした途端、二人はよろめきそうになって思わず小さく声を漏らした。目の前には一見ありふれた緑樹の苗木が置かれている。そして、銀の如雨露を手にした千尋が優しげな表情でそこに立っていた。

開口一番、彼女は言った。

「ずいぶん長い、一瞬の出来事でした」

何度か瞬きを繰り返して我に返り、視線を交わらせた二人は複雑な表情でまた目をそらす。と、静夜は気を取り直して尋ねた。

「…あの、千尋様」

「何ですか?」

「もし永遠が煌源を取り出さずに肉体の存在を保っていたら、永遠とこの苗木はどうなっていたんでしょうか」

「変わりません。永遠が煌源を放棄しない限り秘術は完成しませんから。ですがおそらく現状の打破はできず、永遠の願いも叶えられないままいたずらに時を過ごすことになったでしょう」

千尋は触れなかったが、それだけでは済まされないことが二人には容易に知れた。永遠と千尋は説明を求められ、あまりに無謀、独断専行だとされてどのような処分を受けるかわからなかったからだ。千尋も永遠に運命を預けていたのである。

「明日の午前に会議を開くよう宇内様に要請します。そこで最後の戦いのための作戦を練りましょう。それまで気持ちを休めなさい」

千尋に見送られ、二人は来た道を戻ろうとする。その去り際、久遠は振り返り、千尋にこう告げた。

「千尋様はさっき、姉さんの優れた才知が失われるとおっしゃいましたが、それは違うと思います。人々は大樹になった姉さんから多くのことを学ぶからです」

その言葉を受けて千尋は、降参だ、と言わんばかりに長い睫毛を伏せた。
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