静かな夜をさがして

左衛木りん

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第6章 会戦

迦楼羅、出陣す

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煌気の蛍が飛び交う夜道を静夜が翡翠の屋根へと帰ってくると、家の方が何やら騒がしい。

「もういいだろ?いい加減勘弁してくれよ!」

「いいや、駄目だ!もう一回やるからおとなしくしろ!」

(何だ…?)

必死で抗議する複数の少年らしき声と彼らを怒鳴りつける久遠の声に、眉をひそめながら大木に近づいていく。

辺りが暗いこともあって始めはどこから聞こえてくるのかわからなかったが、大木の裏側に回り込んで煌気のランプの光の中に出たとき、声の主たちに出くわした。

そこには碧縄で縛り上げられ地面に座らされた三人の少年と、腰に手を当ててぷりぷりしている久遠が。

「どうしたんだ?」

「静夜!」

「げっ…!」

「やばっ」

静夜が声をかけると久遠はぱっと顔を輝かせ、少年たちは気まずそうに目をそらした。

「どうしたもこうしたもないよ。夕食の支度してたらこいつらが勝手に忍び込んできてうちの水浴び場を覗こうとしてたから、現行犯逮捕したんだ」

「覗いてなんかねえよ!俺たちはただ単におまえがあの人間の男とどんなふうに暮らしてるか、ちょっと見てやろうと思っただけで!」

三人は静夜の顔をちらっと見上げる。静夜がふと思い出してよく見ると、その三人は以前四つ葉の学び舎で久遠を馬鹿にしからかっていた悪童たちだった。

「ちょっと見るだけならなんでわざわざ水浴び場の方に来るんだよ?たまたま誰も使ってなかったからよかったようなものの、もし裸で鉢合わせでもしたら大事件だぞ。おまえら全員、完全に覗き魔の変態どもだからな!」

「そこが水浴び場だなんて知らなかったんだよ!偶然だ、偶然!だいたいここの水浴び場、開放的すぎなんだよ!」

彼らの言うことにも一理あり、天然の温水が自然に湧き出すアリスタ家の水浴び場は、多少奥まって岩場の陰になっているとは言え、昔から屋根も仕切りもなくほとんど自然のままの造りなのだ。しかし…。

「別にいいだろ。だって自分んなんだから」

「くっ…!!」

身も蓋もなくそう言い放って正当性を主張する久遠に、少年たちはぐうの音も出ずむすっと黙り込む。

「それで碧縄を?」

「そう。で、お仕置きに天地神煌の練習台にしてやってたんだ。煌気を吸い上げて、またぶち込む。その繰り返し」

「だから、もういいだろって、さっきから…!」

「どうする?静夜」

「もう十分やっただろう。放してやれ」

今度は久遠が頬を膨らませ、少年たちが顔を輝かせる番だった。しかし静夜は少年たちをただで帰す気はなかった。

拘束を解かれて安堵し喜ぶ彼らの眼前に立ちはだかり、長身ゆえの高みから冷ややかに見下ろしながらこう言った。

「悪意はなさそうだし、今は男しかいないから実害もないが、無断で人の敷地に踏み込んであれこれ詮索するのはあまり感心しない。よその家では絶対にしないように」

眼光で仕留めるような凄みのある目と低い声、そして背中の迦楼羅に少年たちは見るも哀れに縮み上がり、ヒッ、と喉の奥から悲鳴を漏らすと、脱兎の如く逃げていった。

「あっ!…まったく、なんて逃げ足の速さだ。ほんとに反省してんのかなあ」

「あの感じなら大丈夫だろう」

彼らの表情から受けた手ごたえに間違いはない。二人の暮らしの私的な部分に立ち入られ、久遠が煩わされる事態だけは見過ごせなかった。

「私生活まで覗き見されて、人気者は困るなぁ」

「なんだかんだで彼らも君のことが気になるんだな」

「何言ってるんだ、人気者はおまえだよ」

楽しそうなぱっちりとした目を向けられ、静夜は戸惑って眉を曇らせる。

「…ときどき似たようなことを言われるが、自分ではとてもそうは思えない」

「ほんとだって。前はあれだけ突っかかってた界や曜さんや俄様も今ではすっかりおまえに惚れ込んでるし、おまえが名前を知らないたくさんの人たちまでもがおまえを頼ってる。みんなおまえのことが好きで、おまえについていきたいって思ってるんだ」

「…そうかな」

静夜は自分の性格や向き不向きを知っている。多くの人々と進んで交わって仲良くなりたいとは思わないが、久遠に認められ受け入れられる自分は彼の友人たちに対しても誠実でなければならないというのが彼が自らの心に掲げる信条だった。

「僕は…おまえにだけ人気があれば十分なんだけど…」

指先をもじもじと絡め合わせていた久遠は、静夜がきょとんとした顔で見つめてくると、思い切って彼の肩に手を乗せ、爪先立ちでえいと伸び上がって唇を盗んだ。

「…!」

一瞬驚いて固まったように感じたが、それは本当に一瞬で、すぐに柔らかくほどけて受け止めてくれる。

(やっぱり静夜は敵意がない相手には脇が甘くて隙だらけだ。心を許してる証拠なのか、それとも気を抜いて神経を休ませてるのか…それにしても、背、高いな…)

ふらついて倒れちゃうかも、と危ぶんでいると彼の大きな手が背後に回されてきて、うなじと腰の後ろを包み込むようにしっかりと支えてくれた。

(…お。以心伝心…か?)

頼もしい腕の中で姿勢が安定すると久遠は嬉しくなって静夜の首に両腕を投げかけ、さらに密着した。

「ん…んっ…」

抱擁とともに口づけも深まり、二人して甘い時間と空気にあっけなく堕ちる。言葉を捨て、視界も閉じて、唇だけで気持ちを確かめ合う行為は二人がひとつに溶けるような不思議で快い感触を生んだ。初めて口づけを交わしたあの夜から何度経験を重ねても、この感覚に飽きるということはない。思うままに吸いつき、這わせ、時に少し退いて…ちょっとした駆け引きや悪戯さえ、二人だけの秘密が増えるようでいちいち愛おしい。

(いっそ時が止まればいいのに…もし戦の直前でなければきっと、もっと…)

二人以外には誰もいない薄闇の中で、しばし互いの唇を味わっていた。

「ふぅ…っん」

「…」

たとえようもない幸福感とまだ満たされないもどかしさに胸を焦がしながら濡れた唇を離すと、二人は深い溜め息をつき、互いに少しはにかんだ。

「…いつもより積極的だから驚いた」

「だって…静夜、なんだか元気ないみたいだったから…」

静夜ははっとし、束の間声を失う。相手の感情や精神状態に敏感な久遠はやはり気づいていた。

「そう言えば、今日はちょっと帰りが遅かったな。何か手間取ってた?」

「いや、そうじゃないんだが…実はさっき、宇内様にお会いしてきたんだ」

「え、宇内様に?」

そこで静夜は先ほど本営で宇内に話した相談事を包み隠さず久遠にも打ち明けた。

「そうだったのか。若い静夜くんは、悩みが多いな」

あえて深刻にならず、明るく真面目な口調で久遠はうなずいた。静夜は自嘲するような笑みを口許ににじませた。

「自分が後ろ向きで悲観的な性格だということは自覚してるつもりだ」

「何事も表裏一体だ。あれこれ考えて悲観してしまうのは逆に言えば想像力が豊かで思慮深いってことだ。それに悩んでるってことは、頑張って立ち向かってる証拠だよ。おまえは十分頑張ってる。みんな、そんなおまえを慕って、頼りにしてるんだ」

久遠は静夜の手を優しく握り、真っ直ぐな瞳で見上げた。

「宇内様のおっしゃるとおり、守りたいもののために戦うことは罪や殺戮じゃない。そのことはみんなもわかってくれてる。仲間や同胞たちを信じろ」

「久遠…」

久遠の言葉に今まで何度救われただろう。罪の意識が消えることはないが、今は久遠が与えてくれた肯定感と安心感に包まれて落ち着いている。忘れることだけはないように、生々しい手触りと温度だけは伝わるように、このまま少しずつ心の中に抱きしめて閉じ込めていきたいと彼は思った。

「…ありがとう、久遠」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ」

「いや…それでも言いたい。きちんと言葉にして言わなければいけない」

「そっか」

久遠はにこりとして言った。

「腹減ってるだろ?ごはんにしよう。すぐできるから」

「いつもすまない」

「ううん、作り甲斐があるよ。前は遠慮して泊まりに来なかったのに、今は毎日腹ぺこで帰ってきてくれるから、嬉しいんだ」

花の綻ぶような笑顔に呼吸を奪われて、思わず久遠をまた抱き寄せる。

「やはり俺は弱い人間だ…君の唇も優しさも、君が作ってくれるうまい食事も拒めないんだから…」

静夜はそうささやいて、小首を傾げる久遠の唇に軽くキスをした。



夜の森の静けさを脅かすような無数の篝火が燃えている。

永久煌炉から出撃し南進を続ける黄泉の麾下の軍隊はその夜、街道脇の森の縁で順次宿営の態勢を敷いていた。ちょうど夕食時ということもあってどの天幕の下も賑やかだった。荷物の都合上酒の支給はなかったが、食糧に関しては不満も出ないほど潤沢だ。行程は順調で支度も上々、おまけに行商人や旅人も面倒事や魔獣を恐れて近づかないので皆我が物顔である。酒などの褒賞は戦に勝てばいくらでも手に入ると完全に信じ込んで安心しきっているようだ。

そんな兵士たちの休息の様子を、彼はひとり、天幕の外の誰もいない暗闇から観察していた。

(まるで鼻っ面に人参をぶら下げられた駄馬だな…これだから貧乏人上がりの小物は頭が鈍くていかん…黄泉は部下や手駒を大事に扱うような性質の男ではないのだ)

その手には古びたゴブレットがある。彼は荷車にわずかに積まれてきたその酒を飲むことを許されている数少ないひとりだった。と、誰かが近づいてくる。

「黒将軍様。酒をお持ちしました」

振り向くと、黒将軍と呼ばれたその男のねじ曲がった無様な顔つきが篝火の照り返しにくっきりと浮かび上がった。

新しい葡萄酒の壜を持った黒装束の男が立っている。

「おお、気が利くな」

当然の如く壜を受け取りながら黒将軍は内心怪訝に思っていた。目の前の男は、すっぽりと頭巾を被っていて顔は見えないし、声も聞き覚えがあるようで、どうにも思い出せない。隊長も兵士も雑用も皆同じ扮装をしているので区別がつかないのだ。だが考えるうちに彼はその人物が直属の部下のなにがしであると思い、一度そう結論づけるともう疑わなかった。ちょうど空になっていたゴブレットに、もらったばかりの葡萄酒を早速注いで勢いよくあおる。

「こんなところにひとりでいらっしゃらなくても…夜の森は危険です」

「部下たちの前で自分だけ飲むのはさすがの俺でも気が引けるからな。俺はこう見えて意外と思いやりがあるんだ」

「誠に…」

恐れ入ったようなしぐさで男は頭を垂れる。黒将軍は顎を上げて向こうの宿営地の様子を眺め渡した。

「だがいずれ皆にもたらふく飲み食いさせてやる。原礎の飼い犬に落ちぶれた静夜と迦楼羅、そして天地神煌の宿主を捕えたら、星の恵みはこの手に入ったも同然…明夜は冷静さを欠いてへまをやらかしたが、この俺はそうはならん」

「い、いったい何をお考えで…」

何やら不穏な言い草に男は露骨に慌て、周りをきょろきょろと見回す。誰かが聞いていたら一大事だからだ。しかし黒将軍は葡萄酒とようやくめぐってきた好機に気を良くしてますます饒舌になる。

「俺には人間の不遇と不幸がわかる。あいつらは生まれたときから洗ったように貧乏で身体以外には何も持たない連中だ。ひもじく荒んだ人生はあっという間に終わる一方で、長命な原礎である黄泉は俺たちが何代も何代も生まれては死ぬ間も変わらずのさばり続け、手柄や力を吸い込んでどんどん膨れ上がる。それなら俺たちがほんの少し甘い汁を吸うくらいのことは許されるだろう?」

「…しかし黄泉様は功績を上げた者にはその大きさにふさわしい褒美をくださると…何もそんな大博打に打って出る必要はないのでは?」

突拍子もない計画をいきなり聞かされた男は声を抑えてこわごわと意見したが、黒将軍はそれを鼻先でふんと笑い飛ばした。

「そんな言葉を真に受けてるのか。今まであれだけ黄泉のために働いて、原礎を捕まえて殺して、少しでも報われたと思えたことがあったか?俺たちがいくら身を削って奉仕しても黄泉はありがたいとはこれっぽっちも思わない。俺たちはその程度の扱いだ。だから静夜も寝返ったのさ。黄泉と煌狩りに酷使され続けるより、原礎のお姫様の犬になり下がる方が楽で幸せだと思ったんだろう」

いつの世の噂話も、大衆に伝えられる面には聞く者の耳に面白おかしく都合のいい味つけがされ、その裏側や奥底にある真相などは当事者たちしか知り得ないものだ。その上黒将軍は酒と自身の利口さに酔うあまり、先ほどから黄泉の名に敬称をつけることをすっかり失念している。だが男は特に指摘するわけでもなく、口も挟まず言いたいように言わせ、ただじっと聞いている。

「あのお方は今頃永久煌炉の殺風景なおうちで実験や研究にせっせと夢中になっておられるんだろうな。血生臭く面倒な仕事は俺たちに押しつけ、足許が揺らいでいるなどとは想像もせずに…おっと、今の話は聞かなかったことにしろ。黙っていれば野望を実現させた暁におまえを今よりずっと高い地位に取り立ててやるぞ。次の副首領に据えてやってもいい」

「本当ですか?はい、黙っておりますとも。そのときはどうか格別のお取り計らいをお願いいたします」

酔いも回ってきて主人何するものぞとひとり悦に入る黒将軍に男は卑屈に腰を折ってへこへこと頭を下げていたが、彼の前を離れて天幕の集まりの方に戻る間際、誰も気づかないほど深い頭巾の内側の陰でニタリと笑った。



戦の準備が粛々と進む中、大森林はついに運命の朝を迎えた。

鳥や兎や蜜蜂の力を借りた瑞葉、樹生、咲野の斥候の報告によって敵軍の接近は前々日にすでに伝えられていた。結界の敷設、内外の警備隊の配置、非戦闘員の避難、隊列や作戦行動の確認、訓練と演習など、すべての備えは完了していた。空が明るみ始めるにつれて各部隊の集合場所には武装した騎馬兵や戦士や術師たちが続々と詰めかけ、磨き上げられた珠鉄の武器や各礎の紋章の旗が林立し、かつてない壮観な眺めを呈していた。

出陣を目前に控えた久遠と静夜には、最後にして最重要の仕事が残されていた。

二人は翡翠の屋根の大木の真下に向かい合って立った。

「やるぞ、久遠」

「うん」

静夜は意を決した顔つきで背中の迦楼羅をさっと抜き、地面に突き立てた。久遠の煌気を喰わせるのには耐え難い抵抗感が残っていたが、戦に勝つためにはしかたがない。

久遠自身は最初から進んで煌気を提供する意思のまま、じっと彼の動きを待っている。

(君にだけはこの苦痛を味わわせたくなかった…)

ぐずぐずと湿っぽい情を振り切り、あの採煌装置の架台に据えたときと同じように黒い柄頭に手を置いて、迦楼羅の剣身に意識を送り込んだ。

「っ…!」

途端に久遠の身体が反応し、天地神煌の妙なる光が逆さの滝のように噴き上げた。迦楼羅はその煌気を取りこぼすことなくどんどんと吸い込んでいく。

(…?)

大丈夫とは言ったもののいざとなるとやはり少し緊張して固くなっていた久遠だったが、思わず拍子抜けしていた。

(あれ…?あんまり…っていうか全然苦しくない…?)

姉の採煌の話を聞き、実際に姉が苦しむ姿をその目で見た久遠は同じ苦痛を覚悟していた。採煌とはそういうものだと思っていたからだ。しかし想像していた苦痛はまったく襲ってこず、むしろ求めに応じて分け与えるような安らかさと心地良さを感じている自分に久遠は驚いていた。

(意外と気持ちいい…天地神煌が特別だからか、それとも静夜と相性がいいからかな。…そう言えば、前に迦楼羅を抱えて運んだときもちっとも怖くなくて、まるで静夜に触れてるみたいに幸せに感じたし)

天地神煌はまさに無尽蔵で、その上迦楼羅は底無しの胃袋を持つ悪魔さながらに、喜んで天地神煌を喰っている。久遠が余裕そのものの笑顔で自分を見つめているのに気づくと静夜は表情に安堵よりも当惑を刻んだが、一応冷静さを保ったまま採煌を続けた。そして頃合いを見て集中を解いた。

「もう十分だ。これ以上注ぐとどうなるかわからない」

「え、もう終わり?」

うなずく静夜の視線が落ちる先に目をやると、限界まで煌気を蓄積した迦楼羅の剣身はうっすらと金色の輝きをまとい、その表面では七色の小さな火花が時折チリチリと爆ぜていた。

「具合はどうだ?」

「いや、なんか思ってたより楽勝っていうか、気持ち良かったよ。煌気も全然減ってなくて、すぐにでも戦えるし」

「そう…か…」

ひょいと肩をすくめる久遠に静夜は迦楼羅を鞘に収めながら言った。

「採煌して苦しまなかった原礎は君が初めてだ…不思議としか言いようがないが、何にせよ君の負担が少なく済んでよかった」

迦楼羅と天地神煌の間には何らかの特殊な関係性があるのだろうか、と二人は考える。しかし召集の時間が迫っているため、あれこれと考察している暇はない。二人は気持ちを切り替え、表情をぴりっと引き締めた。

「煌気を込めた迦楼羅は敵の狙いのひとつだ。戦場での扱いには気をつけろ、静夜」

「ああ」

時間になり、身支度と戸締まりの確認をした二人は翡翠の屋根を離れた。次はいつ戻ってこられるかわからない。そのときがなるべく早く来ることを願ってやまなかった。



朝靄に煙る森を抜けてやってきた第一大隊の集合場所は、すでに装備を整えた兵士たちでごった返していた。

「…あ、静夜さん!久遠さん!」

ひとりの人間の若者が大きく手を振っている。そこには男女交えた五十人あまりの若者たちが小隊長の到着を今か今かと待ち構えていた。許可を得て見送りに来た彼方と耶宵の姿もある。

「おはようございます、静夜さん」

「みんな準備は万端ですよ」

「静夜さんとまたご一緒できて嬉しいです!」

彼らは揃いの新しい白い衣装を身につけている。その上衣には青葉をつけた若木に黒い剣を組み合わせた独自の意匠の刺繍が施されている。久遠と永遠と静夜、つまり原礎と人間の絆を表したもので、穂波の織り手たちの製作によるものだ。守護の祈りと煌気をひと針ひと針に織り込むことで胴鎧や胸当てにも匹敵する強度を発揮するとともに、戦場において黒衣の敵軍の人間と区別できるという利点もあった。また彼らはレーヴンホルトと同格の、煌気を帯びた珠鉄の剣を支給されて身に帯びていた。

彼らを順々に見回した久遠は、最後に静夜に目を止め、彼をまじまじと眺めた後でこうつぶやいた。

「それにしてもおまえはびっくりするくらい白が似合わないな…」

当然静夜も同じ白い衣装を家から着てきている。これまで黒や無彩色の地味な服装しかしなかった彼が白一色に身を包んでいるのは非常に珍しいことだった。

久遠の批評を受けて若者たちは口々に反論の声を上げた。

「そんなことないですよ、すごく似合ってます」

「静夜さんは何着てもかっこいいですから!」

緊張感のない論評が始まりかけたところで静夜は冷静にその場を収めた。

「似合う似合わないはこの際問題じゃない。必要かつ実利的ならそれでいい」

(…静夜、もしかして照れてるのか?)

真顔を崩さない静夜の表情のどこかに緩みがないか探っていると、その彼に暁良が近づいてささやいた。

「…いよいよですね」

「ああ。…隊長の責任にかけて必ず皆を生きてここに帰還させる。だがもし俺に何かあったときは指揮を頼む」

「そんなことにはなりません。俄様からお借りしたこの剣で私が静夜さんを助け、守りますから」

腰に提げた“グラムニール”の鍔に触れながら、優しげな目許に決意を漲らせて暁良は静夜を見つめた。と、そこにじっとしていられなくなった耶宵が駆け寄ってくる。

「兄貴、静夜さん!どうか無事で…あたしは本営の救護所にいますけど、絶対、絶対来ないでくださいね…!」

「ああ、行かないとも」

「おまえもしっかり仕事して、皆の役に立つんだぞ」

「うん!」

頭を撫でられ、肩を叩かれて耶宵は泣きそうになりながらも満面の笑顔になった。

「小隊長である静夜くんに、宇内様からお預かりしてきたものがある」

彼方がそう言って内部に輝く煌気の宿る小さな二つの琥珀を静夜の両耳に近づけた。外側の石は彼の耳許で砕けてなくなり、取り出された煌気が彼方の指先から静夜の耳に送り込まれてスッと消えた。

「今のは?」

「煌気の聴覚だ。離れていてもこれがあれば戦場で任意の相手と会話することができる。本来人間に使わせることはないが、今回例外的に君が使うことが許された」

「これでキミも、立派な原礎の軍の隊長さんだね」

聞き慣れた幼い声に振り向くと、いつもと変わらない軽装をした界が歩み寄ってくるところだった。その後ろからはヴィエルジュと黒い鋼鉄の防具一式に身を固めた曜、さらには珍しく武装した麗も。

久遠と静夜、界と曜、麗と彼方、そして暁良と耶宵。迦楼羅と黄泉をめぐる因縁に当初から深く関わり、特別な縁で結ばれた人々がここに一堂に会したのだった。

「麗さんも出陣するんだ」

「そう。あたしも第一大隊なの。実戦は久しぶりだからちょっぴりドキドキするけど、志願したからには貢献できるように精一杯頑張るわ」

麗は武器を持たず素手だ。実は彼は数少ない咲野の戦士の中でも知る人ぞ知る格闘の達人であった。

静夜と曜は凛とした顔つきで向かい合った。

「界と私も俄様の麾下だ。…静夜、今までいろいろあったが、おまえとともに戦えることを誇りに思う。おまえと迦楼羅の真の実力、ぜひともこの目で確かめさせてくれ」

「はい」

相変わらずの仏頂面で界が久遠をじっと見つめた。

「キミたちを守るためにボクたち命がけで戦うんだから、キミたちもしっかりやってよ。また連れていかれたり迦楼羅を奪われたりしたら寝覚めが悪いからね」

ぶっきらぼうな憎まれ口も彼なりの激励の意思の表れだ。可愛くはないが、いかにも頼もしく、こちらの負けん気も刺激してくれる。今では実力において久遠は界と対等、いやそれ以上なので、ほんの少し高い目線から胸を張って彼は答えた。

「もちろん。あのときは無茶しておまえにも迷惑かけたけど、今度は同じ轍は踏まない」

そして久遠はその場にいるひとりひとりの顔に目を止め、全員に向けて毅然と宣言した。

「今回の戦いは原礎にとって初めての試練で、みんな考えや思うところはあると思うけど、僕たちは誰ひとりとして友達を失うわけにはいかない。必ず勝利して、全員無事で生きてここに戻ろう」

力強い決意の返事を残して皆それぞれの小隊の集合場所に戻っていった。

静夜は皆が背中を向けたとき久遠に近寄ってささやいた。

「…久遠、永遠はどこだ?君と一緒に出陣する予定じゃなかったのか?」

「…うん」

静夜の問いを受け、久遠の表情がたちまち不安に沈む。永遠こそ静夜と迦楼羅の運命の扉を開いた鍵とも言える特別な存在だ。今の顔ぶれの中に永遠だけがいない光景は、主演をひとり欠いたまま無理矢理進行する劇のような違和感があった。

「そう伝わってるはずなんだけど…ひょっとしたら先に前線に行って待機してるか、ここに来る途中で困ってる人の手伝いをして遅れてるのかもしれない。もう待ったり捜し回ったりしてる時間はないし…まあ最終的に玻璃の尖塔で落ち合えれば問題ないんだけど」

「…そうだな」

永遠の性格や人望を考えるとありそうな推測ではある。きっとそうに違いない、と静夜も納得してうなずいた。

「さあ、僕たちも行かなくちゃ。…じゃ、静夜、また」

「ああ。何かあれば煌気の聴覚で」

「うん。どうか無事で」

「君も」

今は恋人ではなく戦友として、二人は固い握手を交わす。そして静夜は暁良を追い、久遠は彼を支援してくれる選ばれた術師たちの待つ場所に向かって別れて歩いていった。



第一大隊の兵士全員が揃い整列すると、総大将で大隊長の俄が馬上から大音声を上げて士気を発揚した。

「今我々は束の間人間に対する無条件の愛を放棄し、彼らに刃を向けようとしている。なぜなら彼らは星の命の末梢である我々を滅ぼそうと画策しているからだ。たとえ相手が守るべき人間であっても戦場では情けは無用!!けして怯み、臆するな!!星の命と、より多くの無辜の人間の未来を守るために!!」

おおおおおおっ!!!!

頭上に高く突き上げられた俄の佩剣“アイグネア”が曙光にきらめき、地鳴りのような雄叫びが轟いた。その声と角笛の音を合図に俄は馬首をめぐらせ、副将の瞬と直属の騎兵隊を率いて進軍を始める。

大門、そして結界の門はついに戦場へと開かれた。
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