静かな夜をさがして

左衛木りん

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第5章 相思

夜半の会談

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「た、大変です!大変です!」

琥珀の館の書庫にいた静夜と宇内のもとに、大門の門衛が息急き切って駆けつけてきた。

「どうした。そんなに慌てて」

「…つ、つい今しがた突然の訪問者がありまして、静夜様にぜひともお会いしたいと…」

静夜が怪訝な表情で歩み寄る。

「俺に?いったい誰ですか」

「それが…その」

門衛は宇内の顔をそっと窺ってからおずおずと告げた。



大至急大門に馳せ参じた静夜は、門の外の広場で待っていた人々の姿を見ると思わず立ち止まって声を上げた。

「暁良…みんな…!」

「…静夜さん…!!」

静夜の顔を見た暁良たちもたちまち目を輝かせ、我先にと彼に駆け寄った。

「ご無事で何よりです、静夜さん!」

「暁良から話を聞いて、ずっと心配で…お会いしたかったんですよ!」

「心配をかけてすまなかった…みんなも無事で本当によかった」

静夜は取り囲んだかつての同志たちひとりひとりにこまやかに声をかけ、最後に暁良の番が来ると、感極まって彼を抱きしめた。すると暁良も嬉しそうに静夜の背中に手を回した。髪の色も服装も地味で風変わりな人間たちの感動の再会の光景を、たまたま通りかかった原礎たちが不思議そうに眺めていた。

静夜にとって永遠との再会以来の喜びの時となったが、その熱気が落ち着くと彼は暁良に尋ねた。

「おまえたちはどうしてここへ?それに耶宵は?彼女だけ姿が見えないが…」

耶宵の名前が出ると、暁良は笑顔を引き締め気持ちを切り替えて静夜を見つめた。

「実はそのことも含め、あなたに非常に大切なお知らせがあって来たんです」

「知らせ?」

「暁良!」

そこへ騒ぎを聞きつけた永遠が現れたが、その顔を見た暁良の表情がなぜか少し曇った。しかし彼は優しくその目を細めて永遠に言った。

「永遠さん…あなたのこともずっと気がかりでした」

「私も、君たちのことは片時も忘れたことはないよ。また会えてよかった…それで、いったい何が起こってるんだ?耶宵は一緒じゃないのか?」

「ちょうどよかった。お二人とも聞いてください」

静夜と永遠は真剣な面持ちで暁良の言葉に耳を傾けた。

「数日前のことです…耶宵は実は今瑪瑙の窟で雑務に就いているんですが、静夜さんの捜索に出ていた私たち一団に人づてに文を送ってきたんです。今永遠の弟が自分のいる瑪瑙の窟に軟禁されている、他にも助けを必要としている者たちがいる、ここに詳しくすべてを記すことはできないが、とにかくこのことを大森林に、もしいるのなら静夜さんと永遠に伝えてくれ、と」

「久遠が、瑪瑙の窟に…!?」

静夜と永遠は揃ってみるみる瞠目した。

「軟禁されているということは久遠はとりあえず無事だということだな。静夜、瑪瑙の窟というのは?」

「真鍮の砦に君を軟禁していた頃稼働し始めたばかりの新しい研究拠点だ。ただ俺は地図上での場所は知っているが実際に行ったことはない」

「私も例の一件の後別の仮の拠点に移され、その後静夜さんの捜索に出されたのでどのような場所なのかは知りません。ですが耶宵は内部の構造を簡単な図面に描いて同封してくれてました。かなり急いでいたようであまり詳細ではありませんが…」

暁良は一枚の簡素な地図を二人に見せた。彼女の把握していない区域なのか、地図はところどころ欠けた空白も多かったが、久遠が入れられている牢と思しき地点に印がつけてあり、十分に心強い。二人は耶宵の決断と行動力に深い敬意を覚え、心の中で感謝を捧げた。

「耶宵がなぜ急いでいたかというと、おそらく黄泉がそのとき瑪瑙の窟を一時離れたからだと思います。文にそう書かれてましたから。ですから私たちもこうして、もう二度と組織には戻らないつもりで来たんです。いったい何が起こっているのか私たちにはわかりませんが、今が絶好の機会かと…どうしますか、静夜さん」

どうするかと問われるまでもない。答えは決まっている。抑えつけて無理矢理鍵をかけていた執念があふれ出し、気魄となってぎらぎらと彼の眼に漲った。静夜は決然として宣言した。

「もちろんだ。久遠を救出しに行く。耶宵と奪われた迦楼羅も。そして明夜と決着をつける。出発は明日の早朝だ。暁良、おまえも一緒に来てくれ」

「もちろん、お供します」

自分たちも行く気満々だった暁良以外の若者たちは残って待つように言われ、残念そうに口を尖らせながらも不承不承引き下がった。そのとき静夜の背後に数人の人物が近づいてきた。

「静夜、待て。私は連れていってもらうぞ」

「ボクも。ダメって言われてもついてくからね」

「…曜さん。界くん」

予想していなかった申し出に驚きつつも心を打たれてうなずいた静夜だったが、さらに彼が驚いたのは、二人の隣にいた瑞葉の礎主の瞬までもがこう志願したからだ。

「話は後ろで聞かせてもらったよ。今回は僕も同行する」

「瞬様…僭越ですが、礎主ご自身がわざわざお出ましになることは…」

同じように当惑して進言する永遠に、瞬は微笑み混じりに首を振った。

「別におかしなことでもないよ、適材適所と考えればね。煌狩りの人間たちを相手にするなら殺さずに動きを封じる技が必要だし、救出した人々を安全に移動させるには浮葉の術が最適だ。…それに瑞葉の礎主として、僕には久遠に対する責任がある」

そう結んだとき瞬の表情の奥に言葉に表せない深い情の影が行き過ぎた。永遠と静夜は目ざとくそれに気づいたが、何も言わずに受け入れ、瞬の同行が決まった。

「あ…あの、僕らはこれからどうすれば…」

静夜と暁良が旅立つことで一時的に指導者不在となった人間の若者たちは、まるで巣の中に固まって親鳥の帰りを待つひなのように見るからに心細そうに寄り集まっている。永遠が見かねて言った。

「私から宇内様にご相談して、しばらく静夜と同じ宿舎に入れてもらうようにしよう」

すると静夜がすかさず口を挟んだ。

「いや、待て。彼らは大森林には入らせない」

「ええっ!?僕ら、中に入れてもらえないんですか!?」

「ど、どうして…!?」

悲鳴にも似た哀れな抗議にも静夜は動じず、あくまで冷徹に言い含めた。

「この門の内側は原礎たちの家であり故郷であり聖域だ。俺たち人間は原礎たちに助けてもらいこそすれ、彼らの安住の地にみだりに足を踏み入れてはならない。…まして煌狩りだった俺たちは…けして危害を加える意思がなく、罪を悔いていてもだ」

自分たちが彼らにどんな仕打ちをしてきたか、その消えない過去を思い出し、若者たちは黙り込む。

「俺ひとりの存在だけでも彼らに多大な心の負担をかけている。彼らの優しさに甘えて境界をあやふやにし、なし崩し的に前例を作らないよう、俺たちの方から線を引いて距離を置かなければ。…どうか俺に免じて理解し、辛抱してくれ」

「静夜は選ばれた特別な人間だからな」

永遠が静夜をひとかたならず頼もしげな視線で見上げると若者たちはもう何も言えずにしゅんとおとなしくなった。曜と界は安堵の笑みをこぼし、瞬は感心したように腕組みをして明るく開いた眼で静夜を眺めている。その静夜は顎に手を当てて思案に暮れている。

「…とは言え、やはり皆の当面の滞在場所は必要だな。この広場に天幕を張ってしばらく野営させてもらえないか、宇内様にお願いしてみよう。あとは物資か…」

「入っていただくことは無理でも、こちら側からお助けすることはできますよ」

新たに数人が歩み寄ってきて、一同が驚き振り向くと、穂波と果菜の礎主二人が宇内の後について現れた。

「静夜くんの賢明な判断に感謝します。ただ私たちは大地の恵みを司る礎として、困っている人間たちを助けるのにやぶさかではありません」

「宇内様は皆さんのここでの野営を許可するとおっしゃっています。必要な食糧や物資などはこちらから提供しましょう」

「あ、ありがとうございます…!」

思わぬ援助を約束された若者たちはびっくりしたり感激したりですっかり大はしゃぎだ。宇内が言う。

「我々は煌狩りの所業を赦したわけではないが、今のこの機会に互いの隔たりを埋め、共通の敵に対して協力する道を探りたいと思っている。…永遠、静夜殿と暁良殿が戻るまでおまえが同胞たちと彼らの間に立って橋渡しをしなさい」

「わかりました」

方針がまとまると若者たちは早速広場の片隅に天幕を張ったり、穂波や果菜の族たちと言葉を交わしたりと忙しく働き始めた。一方暁良は初めて顔を合わせ明日から旅路をともにする三人の原礎に彼らしく丁寧に挨拶をしている。その様子を眺めていた永遠が嬉しそうにつぶやいた。

「衝突や口論になったらどうしようかと心配したが、皆思いの外うまくやってくれそうだ。きっと君のおかげだな」

そんな永遠に静夜はそっと問いかけた。

「…永遠。…もし俺が、久遠を救い出したらそのときこそ彼に俺の本当の想いを伝えたいと言ったら、君は嫌か?」

永遠はつぶらな瞳をぱちぱちと瞬き、それからすっきりとしてわだかまりのない笑顔を彼に向けた。

「嫌なものか。私はむしろ大歓迎だ。もともと久遠と君には仲良くしてもらいたいと思ってたからな。…というかなぜもっと早く正直に伝えなかったんだと思ってる」

「…」

見抜かれてしまっていたこと、そして不甲斐ない自分に恥じ入り、言葉もない静夜を永遠は優しく理解に満ちたまなざしで見つめた。

「君は久遠のことが最初から好きだったんだろう。でも罪の意識から、想いを断ち切りたくて二度目の旅立ちを決意し、おそらくあえてあいつを突き放しもした。そこまで好きなら、守りたいなら、恐れずに立ち向かえ。そして自分の気持ちにちゃんとけじめをつけろ。…まあ、あいつがどう答えるかは知らないがな」

「ああ…わかってる。ありがとう、永遠。君には何度も背中を押してもらった」

「大切な人たちの幸せが一番だからな。…」

その細面の横顔が、ふと淡い影に沈んだ。静夜がどうかしたのかと尋ねかけたとき若者たちが駆け寄ってきて、いかにも名残惜しそうな顔で静夜に群がった。

「静夜さん、明日は日の出前に出発しちゃうんですよね?この後急いで支度して…やっぱり時間、ないですよね?」

「ああ、大急ぎでな。でも時間は作れる。今夜はここで、朝までみんなと一緒に過ごすことにするよ」

「本当ですか!?」

「うん」

そう聞いて若者たちはわっと沸き立つ。

「やった!実は果菜の方々が葡萄酒を少し分けてくださるそうなんです。少しだけでも、久しぶりにみんなで飲みましょう!」

「今夜は静夜さんの旅のお話、いっぱい聞かせてくださいね!」

静夜が微笑んでうなずくと、若者たちは素直な喜びの笑顔を次々と弾けさせた。



ーー遡ること一週間前。

久遠が目を覚ましたとき、彼は真っ暗な牢の中にいた。檻の外の壁にくり抜かれた申し訳程度の窓から青白い月の光が床に落ちている。

(どこだ、ここ…)

身体を起こそうとすると全身に痛みが走る。硬い岩の上に直に転がされていたためだ。しかし幸い枷や縄などで縛られてはいない。怪我をしていないかと手足や頭部を確かめたとき、ようやく何があったかを思い出した。

(…そうだ、僕、静夜の身代わりになって黄泉と明夜に連れてこられたんだ…)

静夜が拘束されることなく迦楼羅と引き離せたことにとりあえず安堵したのも束の間だった。

(迦楼羅は!?それに、瑞葉の精髄…!)

牢の中をきょろきょろ見回し、服の胸許をまさぐると、エメラルドの小さな首飾りは変わらずそこに下がっていた。礎主である瞬の強力な守護力を帯びているので黄泉にも触れられなかったのだろう。しかし迦楼羅は見当たらない。

(そうだ、迦楼羅は宝物庫に…でも、これじゃしばらく出られそうにないな…)

姉が静夜の心を少しずつ開かせたことを憶えていた久遠は煌狩りの中に他にも聞く耳を持つ人が必ずいると信じていた。思わず苦笑いが浮かぶ。

(僕があのときの姉さんとほとんど同じことしようとしてるなんて、自分でも驚きだな…それにしてもここはどこだろう)

まさか黄泉の根城であるという黒玉の城じゃないだろうなと想像してぞくっと怖気を振るったとき、檻の向こうの暗がりで気配がした。

「!」

久遠は座り込んだまま身を固くする。

射し込む月光に照らされて姿を現したのは、黒衣をまとった真紅の瞳の男ーー黄泉だった。

「やっと起きたか。丸一日気絶していたぞ」

黄泉は檻の際に立ち、血も凍るような冷たい目で久遠を見下ろした。

「あの凄まじい威力の青嵐…いったいどれほどの使い手かと思ったが、あれ一度きりで倒れるとは口ほどにもない…なぜ静夜がおまえのような未熟者を連れていたのか、まったく解せんな」

(…僕にだってわからないよ)

と、霜の降りた黄泉の眉がぴくりと動く。

「…おまえ、やはりあの娘と同じ顔か…身内か?」

「樹生・アリスタ・永遠は僕の双子の姉だ。あんたたちにはずいぶん世話になったらしいね。他の同胞たちも」

「こちらも、副首領の静夜が大変良くしてもらっているようで申し訳ない。だがもうその必要はない。永遠から大量の煌気を提供してもらったおかげで我々の計画は一時大きく進捗したが、静夜と迦楼羅を失ったがために煌気の供給が途絶えてしまった。今後もあの両者には我々のもとで存分に働いてもらわなければならない。静夜には何としても戻ってきてもらう」

「静夜はもう以前の静夜じゃない。静夜は二度と煌狩りには戻らない。あんたたちの企みはじきに潰えるから」

「迦楼羅も書物もこちらの手の中だ。静夜ひとりではただの腕のいい一剣士に過ぎず、平和のぬるま湯に浸かった原礎たちに我々の勢いを止める術はない」

「それでも大森林は必ずあんたたちに裁きの鉄槌を下す。たとえ守るべき人間やかつての同胞であっても、星と礎と命の均衡を崩す者には相応の処罰が待ってる。ましてあんたは同胞殺しだ!」

久遠は母親の命を奪った仇敵をぎりぎりと締め上げるような眼で見上げた。

「あんたが元は何者で、過去に何をしたか僕は知ってる。宇内様は話し合いと赦免の機会を与えてくださったのにあんたは応じるどころか恩を仇で返すような真似をした。そのせいで今も大勢の人たちが不幸を味わわされてるし、これからも苦しむ人間が星のどこかで増え続けるだろう。あんたの名前は塗り重ねた罪の数だけ分厚く醜く膨れ上がって、そのうち誰も称賛も信奉もしてくれなくなるぞ」

「裁きを受けるべきは怠惰な原礎たちだ。人間だった私が見ていた光景から百年が経っても星は少しも豊かになってはいない。惰眠を貪り、星養いと称して人間を監視して歩く原礎によって成長と開発が阻害されているからだ。おまえの心にも後ろ暗いところがあるのでは?」

(静夜たちの心を毒したのは確かにこいつだ…姉さんと静夜の話してたとおりだ…!)

すべての災いの元凶を前に、久遠の胸は憤怒と緊張の鼓動をごとごとと激しく打ち鳴らした。

「…僕は旅を始めてまだ日が浅く、経験も少ない…でも困ってる人間たちを見捨てたりしないし、むやみやたらに礎に干渉して星の成長や変化を推し進めたりもしない…!」

恐怖で震え出しそうになりながらも、同時に原礎としての生まれついての使命感が逆風を受けた烈火の如く燃え上がる。

「収穫や糧の乏しいところでも、住んでる人がいるなら、そこには必ずその土地の美しさやそこに住む意味がある。愛することが発展の最初の第一歩なのに、どうしてそれに目を向け、その土地を愛そうとしてみないんだ。あんたがやったことは結局人間の心から星への敬意を奪い取ったことだけ…その報いはきっとめぐりめぐってあんたを絞め上げようとその喉許に伸びてくるぞ」

久遠が突きつけた指先を黄泉は一笑に付した。

「私たちが星を愛していないと?おまえは人間の愛を理解していないと見える。土地と民を憂うがゆえに私は故郷を離れ、自らの人生をなげうって修行に励み人礎となった。この努力を愛と呼ばずして何と呼ぶ?私はその愛を目に見える形で表す。人間が原礎の指図を受けず独力で社会を営み繁栄できるよう、半永久的に持続する炉や工場を作り、必要な物資や資材、道具をより速く、大量に、そして何より安定的に供給する仕組みを構築する。その動力源の確保のために煌気が必要なのだ」

貧困にあえぐ人間たちの耳には実に心地良い、この上なく希望にあふれた魅力的な構想だろう。だが彼らの目に見えないところで原礎はひとり、またひとりと確実に姿を消し、星は次第に荒廃の一途をたどり、人間たちもまた滅びの危機に瀕することは疑いようもない。

「あんたが盗み出した書物を遺したかつての文明も自らの手に余るほどの技術を手にし、思い上がった末に滅びた。このままだと今の人間も同じ運命をたどるだろう。その後荒れ果てた星を時間をかけて修復してきたのは僕たちの先輩なのに、それをまた僕たちの世代で破壊するつもりなのか?」

「新たな社会基盤を安定させて研究を加速させれば、星を持続させる技術にも我々はじきに手が届くはずだ」

「そこまで心血と愛を注いで、努力を重ねて…でもその道の途中であんたは愛した女性を失った」

黄泉の表情がわずかに反応する。しかし彼は動じることなく冷淡に言葉を続けた。

「大いなる目標のためには時に尊い犠牲も避けられない」

「…!!」

愛した人の死を感情のない調子で切り捨てるその冷淡な言葉に久遠は眉を逆立てた。

「犠牲や死に尊いも何もあるものか!遥さんがどんな思いであんたを待ってたと思ってるんだよ…!!」

「遥を置いていかなければ私の生涯の大事業は始められなかった」

「人間の地道な経験と努力によって新しい道が見出されるなら僕たち原礎は本望だけど、最初から犠牲を容認する発展なんて認められない。高尚な目的のためなら愛する人を死なせたり同胞から搾取したりしてもいいっていうのか?殺し合い奪い合うより、力と知恵を出し合って一緒に成長し、後世に受けつないでいくべきじゃないのか?」

黄泉は久遠の風貌を改めてざっと見渡すと、大人が子供を見下ろすような冷ややかな笑いを浮かべた。

「見た目以上に頭と舌が回る若造だな。その童顔と二枚舌で、無知で善良な人間をたぶらかし操っているのか」

「なんでそんなふうにしか考えられないんだよ…!」

「おしゃべりは終わりだ。…これに」

黄泉は一枚の緑葉を久遠の目の前に突き出した。

「静夜宛の文を書け。瑪瑙の窟に囚われてひどい目に遭わされている、お願いだから早く助けに来てくれと。彼は情に脆く、頼られると断れない性質だ。ましてあの娘の弟なら、危険とわかっていても必ず乗り込んでくる」

(駄目だ、まだ迦楼羅を取り戻せてないのに…もう少し時間を稼がないと…!)

「…嫌だ…これ以上静夜に迷惑かけたくない」

「書け」

「嫌だ!」

黄泉は苛立ちを鋭く目に走らせるや檻の中にぬっと手を伸ばして久遠の右手を鷲摑みにした。そして次の瞬間眉をひそめた。久遠が言文の葉一枚すらも書けないほど煌気を消耗していることに気づいたからだ。

「…おまえは誠に稀代の無能力者なのだな。哀れな奴」

「…」

黄泉の手から投げ捨てられた葉がわずかな空気の流れに翻弄されるような不規則な動きでひらひらと舞って久遠の膝の横にかさりと落ちた。

黄泉は肩を起こし、檻から離れた。

「静夜がここに気づくのが先か、おまえが寂しさと恐怖に音を上げるのが先か…遅かれ早かれ静夜がおまえを救出しに来ればすべて終わる。それまでおとなしくしていろ」

その言葉を最後に黄泉は踵を返した。久遠は迦楼羅がまだ宝物庫に置かれているかを知りたくて身を乗り出し鉄格子にしがみついた。だがいきなり自分の計画を黄泉に勘づかれるとまずいと考え直して声を押し殺した。

そのとき、牢部屋を出ようとした黄泉に牢番の男が話しかけた。

「黄泉様、迦楼羅はいかがなさいますか」

(…!!)

迦楼羅の名前に反応して久遠は聞き耳を立てる。

「今は置いていく。宝物庫にそのまま入れておけ。当面それで構わないが、静夜を誘うためのもうひとつの大切な餌だ。鍵は厳重に。あとは明夜に任せる」

「わかりました」

黄泉は立ち去った。久遠は思わずごくっと喉を鳴らした。

(迦楼羅はあのときのまま宝物庫か…取り戻したいけど煌気は回復してないし、明夜もいる…焦っちゃ駄目だ…しばらくおとなしくして、どうするかじっくり考えよう)

いつの間にか全身に張り詰めていた力を抜いて溜め息をつく久遠を、牢部屋の入り口の暗がりに身を潜めて見つめている者がいた。

「…」

細身で白い肌のその者は少しの間そこにたたずんでじっとうつむいていたが、やがて足音も立てずに姿を消した。



静夜は縄を結ぼうとしていた手をふと止めて鋭敏な耳をそばだてた。

(…何だ?)

そう感じた瞬間にはもう聞こえない。暁良が顔を上げる。

「静夜さん?どうかしましたか?」

「いや…今、何か聞こえたような気がして」

「えっ?いや…私には何も聞こえませんでしたけど…」

「…そうだよな」

勘違いかな、と気を取り直して静夜は作業に戻った。

五人は瑪瑙の窟まであと一日というところで野営の支度をしていた。静夜と暁良が天幕を設営する間に界と曜が夕食作りをする。旅に出ること自体が久しぶりの瞬は見回りを兼ねた散歩から戻り、歌を口ずさみながら野の草花や木々の枝葉を愛でたり鍋を覗き込んだりと終始楽しんでいるようだった。

夜になり食事ができあがると五人は焚き火と鍋を囲み、空腹と心を満たす温かなひとときを分かち合った。

静夜の隣に座った暁良はシチューの器を持つ彼の左手を見つめながら尋ねた。

「静夜さん、ずっと気になってたんですが、その指輪…」

「…ああ、これか?」

静夜は白詰草の指輪をはめた手を見た。

「その…珍しいなと思って。静夜さんが装飾品を身につけてらっしゃるのは」

暁良の言ったとおり、静夜は煌狩りにいた頃は外見を飾り立てるような装いを一度もしたことがなかった。もちろん今も好き好んで装飾品をつけることはない。だがその指輪だけは例外だった。

「これはある人からもらった特別な贈り物なんだ。久遠が面倒を見ていた日月という子が、俺たちの最初の旅立ちのときに久遠とお揃いで贈ってくれた。記憶がなく、招かれざる人間だった俺を短い時間だったが受け入れて慕ってくれた、優しくて可愛らしい子だ」

語りながら自然と目尻を下げた柔らかな表情に変わる静夜の横顔を暁良は新鮮な感覚に満たされて眺めた。知らなかった彼の新しい一面を唐突に発見した気分だった。

「…久遠さんとはどんな方なのですか」

訊いてよいものか少し迷いつつも暁良はここ数日胸にしまってあった問いを思い切って口にした。今まで他者にはけして執着しなかった静夜の心を捉え、突き動かす久遠という存在に興味がかき立てられてしかたがなかったのだ。

思わぬ質問を受けた静夜は少し当惑を浮かべたものの、焚き火の燃え続ける穏やかな夜に胸襟を開いて素直な印象を語った。

「久遠は…生まれつき煌気が非常に弱く、行動を制限されてはいたが、心は何者にも縛られず、どこまでも遠く、高く、常に自由にはばたいているような人だ。身体は小柄だが少し食いしん坊で、笑うと無邪気で子供っぽくて、だが賢くて勇気があり、何より相手の苦しみや悲しみを感じ取って理解し行動することができる…本当に心が優しく純粋な人なんだ」

あの橅の森で彼方から聞かされたことを無意識のうちになぞっている自分に静夜ははっとした。今久遠のことを話す自分はあのときの彼方と同じ顔をしているに違いないと不意に気づき、鮮烈な風が身体を吹き抜け胸を震わすのを感じた。

(今なら彼方さんの気持ちがわかる…俺は久遠と多くの時間をともに過ごした…彼が相手の苦しみや不幸に敏感で自分を傷つけかねない危うさを秘めていることも本当の意味で知った…)

焚き火の赤々とした照り返しを浴びて、伏せた瞳が濡れたように揺らめく。膝の上に置いた器とスプーンを握る手に強い力が込もっていた。

「永遠は俺を束縛と支配から解放してくれた。そして久遠は俺にこの世界に生きることの純粋な美しさと尊さを教えてくれた…二人とも俺にとってかけがえのない存在だが、二人は同じに見えて同じじゃない」

暁良は熱を込めて真剣に独白する静夜に、少しの驚きの混ざる温かいまなざしを注いでいる。

「子供の頃からずっと、傷つけ死なせるだけの俺には何かを大切にし守ることはできないと思ってきた。本当にそれができるかは今もまだわからない…でも守りたいんだ…生まれて初めて、誰に決められたわけでもなく、自分の意思で心からそう思っているんだ」

気づくとあとの三人も食事の手を止めて熱心に聞いている。それぞれの顔には三者三様の理解と思索が浮かんでいた。
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