静かな夜をさがして

左衛木りん

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第3章 過去

明日への別れ

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パラパラと降る土砂の小雨と崩壊の足音を思わせる轟音の中、静夜と永遠は互いに消耗した身体を支え合うようにしてなんとか立ち上がる。

「ここを出よう…早く…!!」

損壊した採煌装置のあちこちではすでに小さな爆発がひっきりなしに起きていて、連鎖反応で致命的な爆発を誘発するのは時間の問題だ。だが幸いアグニが破壊されたことによってからくり仕掛けの扉は開いていた。二人はわずかな希望にすがる思いで地上につながる扉を目指し走った。

(何だ…さっきからいやに頭が重くて…ぼんやりする…)

静夜は額を押さえながら必死に足を運んだ。アグニの邪悪な煌気を身に浴びた上、同じくアグニと刃を交えた迦楼羅が発する陰鬱な赤光が静夜の肉体に負荷をかけているのだ。静夜の変調に気づいた永遠が励ましの声をかけた。

「静夜、しっかり!もう少し頑張れ!」

「…俺は大丈夫…今はとにかく、早く外へ…」

だが、時間も体力も残りわずかな二人の背後に、土埃と閃光の幕の向こう側から黒い人影がぬっと現れた。

「…逃がさん…!!」

腹部に刺傷を負い、アグニも失ってもはや勝敗は決したにもかかわらず、なおも静夜と迦楼羅への執着を捨てきれずに明夜がゆっくりと追ってくる。その姿は一見狂気をまとって恐ろしげだが、静夜と永遠の目には救いと癒しを得られずに延々とさまよい続ける哀れな幽鬼のように映った。そして二人が扉の先の階段に達したとき、ついに最後かつ最大の爆発が始まり、激しい揺れと地響きが襲った。

「先に行け、永遠!」

静夜は頭痛を堪えて叫んだが、なぜか永遠は扉のところから動かない。

「何してる、早く!!」

「…」

永遠は後にしてきた空間の奥を一心に見つめている。

血まみれの腹を押さえ、よろよろとこちらに歩を進め続ける明夜を…。

それに気づいた静夜は叱咤をやめ、代わりにその細い腕を摑んだ。

「もういい…最期に君に憐れんでもらえるだけであいつにとっては過ぎた果報だ」

「…うん」

祈りを捧げるように一度閉じたまぶたをすぐに開け、永遠は静夜の先に立って階段を駆け上った。ちょうどそのとき地下空間は終局に至る崩壊を起こし、間一髪のところで窮地を脱した静夜の足許をあっという間に崩してすべて埋めていった。だが二人は安堵して振り返る余裕もなく、脇目も振らずにひたすら走って、走って、走り抜けた。

砦の地上層では大混乱が起きていた。何も知らない団員たちが仰天して取り乱し、右往左往してぶつかったり怒鳴り散らしたりしている。二人の姿に気づいた者が必死に呼び止めようとしたが、それでも二人は立ち止まらずに目的の場所に直行した。

息を切らしてやっと例の裏口にたどり着くと、そこにいたのはなぜか暁良ひとりだけだった。

「遅れてすまない。耶宵はどうした?」

暁良は声を低く潜めて答えた。

「耶宵は安全な場所にいますが、まだ目が覚めず動けないのです。それゆえ私は耶宵と一緒にここに残ります…お二人だけで行ってください」

「しかし…!」

「私は大丈夫です。今まであなたにいろいろ教えていただき、少しは成長したつもりですから。私は耶宵とここでしばらく状況を見守り、情報を集めながら時機を待ちます」

一歩間違えれば極めて危険な役回りを、暁良はさっぱりと肝の据わった笑顔で自ら進んで担うというのだ。静夜には暁良に特別何かを教えた記憶はなかったが、そのことにかまけている暇はない。おっとりとした印象からはかけ離れたその勇気を尊重し、静夜は彼の決断を受け入れた。

「おまえがそうまで言うなら…わかった。だが絶対に自白だけはするな。あくまで俺に裏切られたと言い張れ。もし何かあれば耶宵と大森林へ」

「わかりました。どうかご無事で…さあ、早く」

暁良が二人に大切な書物の入った鞄を渡す。それを肩にかけた静夜は最後に暁良を軽く抱擁し、裏口の木戸をくぐった。彼から護身用の剣をもらったとき永遠は言った。

「耶宵に伝えてくれ。…いつかまた会おうと」

「はい。…必ず伝えます」

暁良と永遠は握手をした。二人を送り出した暁良は周囲を警戒しながら音を立てないよう注意深く戸を閉めた。そして何食わぬ顔でそそくさとその場を後にした。



裏口から山の中腹の森に出た二人は、用心のため松明も燃やさず、地形を熟知した静夜の先導で夜闇の迫る獣道を慎重に忍びながら、だができる限りの速さで進んだ。木々の奥にそびえる砦は橙と藍の二色に分かれた夕空に白い土煙を上げている。残してきた暁良と耶宵、そして部下たちへの申し訳なさに後ろ髪を引かれる思いだったが、古い束縛とともに愛着のある人々や場所への未練をも拭い去り、ひとまず山の麓の丘陵地へと永遠を案内する静夜だった。

山を下る道の傾斜は次第に緩くなり、急ぐように音を立てて駆け下りていた細い瀬は、気づくと二人の足許をさらさらと涼やかに流れている。しかし静夜の身体は少しも楽にならず、一刻も早く、少しでも遠くへ行かなければならないのに、思うように歩けずに焦りばかりが募る。後ろについて歩きながらずっと心配そうに見つめていた永遠がとうとう見かねて彼を立ち止まらせた。

「少し休もう、静夜」

「そんな時間は…」

「いいから、ここに座れ」

永遠は半ば強引に彼を小川のほとりの石に座らせ、迦楼羅を背中から下ろさせた。肩が少しだけ軽くなったように感じられて静夜はほっと表情を緩めた。だが頭痛と眩暈は相変わらず続いている。

「癒しの煌気を送るから、目を閉じてじっとしてろ」

彼の額に掌をかざし、力を注ぐ。しかし本来の深くはっきりとした効果が表れないので永遠は心中ひそかに危惧を強めた。

(自分で思っていた以上に煌気を消費してしまっているようだ。それに、今の迦楼羅の状態…静夜がずっと持ち続けるには危険かもしれない…)

永遠が煌気を注ぎながら真剣に考え込んでいると静夜は彼女の手をそっと押しやった。

「…少し楽になった。もう大丈夫…さあ、行こう」

そう言って迦楼羅を摑み立ち上がった途端に静夜はまた脚をふらつかせる。静夜自身は癒されても、穢されたままの迦楼羅が彼の重荷と化しているのだ。だが今の永遠には迦楼羅を浄化できるだけの力は残されていない。そこで永遠は再び思案し、ひとつの決断を下した。

「…静夜。…私が君と行けるのはどうやらここまでのようだ」

突然の、そしてあまりに意外な言葉に、静夜は心底驚いて彼女を見た。

「どうして?…一緒に大森林に行くと約束したのに…どうして急に、そんな…!」

「ああ、約束した…もちろん私も君と一緒に行きたい気持ちに変わりはない。だが今はアグニによって穢れた迦楼羅を君から引き離す必要がある。それを持ったままでいると君の精神と肉体にいつまでも悪影響を及ぼし続けるから」

静夜は不安に満ちた顔で迦楼羅と永遠を順に見つめた。

「引き離すとはどういうことだ?まさか君が迦楼羅を持って別の道を…?」

「大筋においてそういうことだ。君に先にひとりで大森林に向かってもらい、私は迦楼羅とともに一時身を隠し後から追う。私の方は迦楼羅の影響を受けないからな。幸い匿ってもらえそうな場所には心当たりがある。そこならおそらく迦楼羅の浄化もできるはずだ」

「でも…君にそんな役割まで背負わせるわけには…!!」

そのとき永遠が不意に柔らかく微笑んだので、静夜は思わず声を失くした。前に見たのがいつのことだったか思い出せないほど久しぶりの笑顔で、長らくその笑みを彼女から奪っていたことを自覚させられたのだ。

「私なら平気だ。君は何も心配せず早く大森林に向かえ」

知識も経験も乏しく思考能力や客観性を欠いた今の自分自身より、永遠の判断や選択の方が最適解だとうすうす認識している静夜はもう何も言うことができなかった。永遠は静夜の爪先に自分の代わりに道案内をする道しるべの術をかけた。

「これで君は大森林まで道に迷うことはない」

そして静夜に自分の護身用の剣を渡し、代わりに迦楼羅を引き取った。

「大森林に着いたらまず門衛に私の弟を呼ばせて彼にあの書物を渡し、すべてを話せ。そして私は今はまだ戻れないが、ある場所で無事でいるから心配しないで待っていてくれと伝えてくれ。他の者は見知らぬ人間の話すことを信じず取り合ってくれないかもしれないが、弟ならきっと無視はせず君の話を聞く」

「弟さんの名は…?」

「久遠。瑞葉・アリスタ・久遠だ。…忘れるな」

「久遠…」

心地良く不思議な響きが心の奥底のどこかを転がりくすぐった。初めて聞く名前なのに、なぜか懐かしく、温かい。

「ひとりで行くのは不安だろう。でも大丈夫、離れていても私たちの心は常にともにある。それに私の弟は、私が願いを託した者を必ず見つける」

「…わかった…」

不安でも、今は永遠の言葉を信じるしかない。静夜は鞄の肩紐と剣を固く握りしめる。使命感と切迫感が名残惜しさを押しのけ、やっと一本になったばかりの二人の道を二つにまた分けていった。

「…気をつけて」

「…君も」

そして二人は別れ、それぞれの道を急ぐことになった。

静夜は爪先に宿る道しるべを頼りに南へ向かった。短い休息を挟んで夜通し歩き、朝日が昇ってからは極力人目を避けて隠れ忍ぶ裏道や樹陰を選んで進んだ。しかし何日後かの夜の帳が下りたとき、アグニの置き土産がここに来て最後の牙を剥いた。

そのとき静夜は深く切り立つ峡谷の断崖の縁を、道しるべに従って歩いていた。星空は晴れて明るく美しいが、彼を取り巻く森や岩場は真の闇だ。今にも飲み込まれそうな暗闇に力を得たアグニの毒が執念深く静夜の精神を侵し始めた。

(もう少し…あと少しでたどり着けるのに…!!)

永遠の癒しの煌気は急速に薄れ、彼女と離れた不安に疲労と心痛が拍車をかけて、徐々に彼の意識は蝕まれていく。四肢は重く、こめかみは割れるように痛み、霧が濃く立ち込めるように頭の中がぼうっと濁る。

(…たどり着く?どこへ?俺はどこへ行こうとしてる?)

掌で覆った目許にはすでに黒い影がこびりついている。誰に会わなければならないのかももうわからない。浮沈と集散を不規則に繰り返す記憶の中で、長い金髪をなびかせながら優しく微笑む誰かの面影だけが最後まで揺れていた。

錯乱に抗って懸命に顔を上げると、いつか見たあの白く明るいひと粒の星が中天高く輝いて彼を見下ろしていた。

(永遠…もし君にまた会えたら、今までのすべてのことを謝りたい…そして君の話を…もっと聞きたい…)

星に手を伸ばしながら彼は崖から足を踏み外し、ゆっくりと宙を落ちる。

彼の記憶はついにそこで途切れた。



(静夜は僕を探してたのか…そして僕は静夜を見つけた…記憶を失くす前、静夜と姉さんとの間でまさかそんなことがあったなんて…)

「静夜…」

胸が詰まるような感覚に迫られて静夜に声をかけようとしたが、彼は真剣な様子で永遠と互いのその後の行動を確認していて、とても口を挟める雰囲気ではない。久遠は遠慮する必要もないのに気後れして押し黙り、身を引いた。

「…では君が境界の川に落ちて流されたことでアグニの邪気は洗い浄められ、君の身体は癒されたが、一緒に道しるべの痕跡も消え、記憶も完全に失われたということか…」

「ああ。だが失くしたのは記憶だけじゃない。どうやら例の書物の入った鞄と剣も手放してしまい、川に流されたらしい…もう捜し出すことはできないだろう。すまない、せっかく命がけで持ち出した貴重な証拠を…」

「こればかりは不測の事態だからしかたないよ。図面なら何度も見たからだいたい記憶してる。君にも手伝ってもらって、後で復元しよう」

「わかった」

久遠が姉と静夜に気を遣って何も言えないのとは対照的に界はこの一件に関心を持ったらしく、当初の痛烈で刺々しい態度から少し表情を軟化させて積極的に質問した。

「それで、永遠の方は、ここで迦楼羅の浄化と自分の煌気の回復に専念してたの?」

「うん。さっき話したとおり、お父様なら匿ってくれそうだし、人の出入りが制限されていて迦楼羅を隠すのにうってつけだと思ったからな。ただ女人禁制である点だけ問題だったが…」

永遠の言葉と視線を受けて光陰は小さな溜め息をついた。

「もしおまえが永遠でなければ、またそのように深刻に憔悴していなければ当然門前払いだった。それゆえ男装をさせてひそかに中に入れ、ここに連れてきたのだ。まさか長の私が禁を破ることになるとは思わなかったが、私の判断は正しかったようだな」

「迦楼羅はこの洞窟に持ち込むまではまだ邪気を放ってたが、煌礎水の泉の気を与え、私も森羅聖煌が回復する側からすぐに注ぎ続けたので、今は元どおりだ。静夜の体力も久遠の介抱のおかげですでに回復してるし、実戦で迦楼羅を使っても問題ないだろう」

至って平然とそう言う永遠自身は見ていられないほど痩せている。迦楼羅の浄化に全身全霊を傾ける代わりに自分の体力と煌気を削り取ってきたのは明らかだ。そうまでしてでも星と人間のために尽くそうとする強い志が静夜や光陰の心を動かしたということなのだろう。

「気になるのは明夜があのとき死んだかどうかだ。爆発から逃れるのが精一杯で確認ができなかったからな…」

「明夜は死んでいない。俺を連れ戻そうと追手を差し向けてきたから。昨日ここ氷竜の背骨の山道で襲われたんだ。そうだよな、久遠」

「う、うん…!」

静夜がいきなり振り向いたので久遠は驚いて何度もうなずき、それから萎縮するように口をつぐんで目をそらした。

「ボクも見たよ。確かに静夜を標的にしてるようだった」

「思い出した…あれは暁良と部下たちだ。暁良は無事でうまく立ち回ってるようだが、耶宵がどうしているかが気になるな…」

(ああ、あの一風変わった黒装束の男たちが…そうか、彼らには彼らなりの苦しい胸の内があったんだ…)

久遠は昨日のことを思い出し想像をめぐらせた。そこに光陰が疑問を呈した。

「どうして明夜の生死がそんなに重要なんだ?聞いていると明夜は首領の器ではなく、団員たちの支持を集めていたとはとても思えないのだが」

「もし首領の明夜が殺され、手を下したのが副首領で息子の静夜となると少々面倒なことになります。威圧的な力による安定支配の均衡が崩れ、分裂し、不満を燻らせていた者たちが過激な形で表面化するでしょう。明夜を信奉する保守派が静夜を仇としてつけ狙い、変革派は静夜を新たな首領に戴くべく触手を伸ばしてきます。団員たちも士気や秩序を保てなくなり、それがさらなる監視と疲弊を生む…まさに内部崩壊です。でも当面その事態は避けられた」

「俺が明夜にとどめを刺せなかったことがかえって幸いしてると?」

「明夜が君を裏切り者として捜させているうちはな。だが君はいつか明夜と決着をつけるつもりなんだろう?」

「…ああ。奴らの計画を止めようとするなら、いずれ必ず再戦する」

静夜が決意を込めてそう言うと、さんざん焦らされてきた界が隔靴掻痒の面持ちで拳を振りながら身を乗り出した。

「煌狩りがどんな恐ろしい組織でも所詮は人間で、やれることには限界があるでしょ。ねえ、そろそろ教えてくれない?明夜に迦楼羅の存在を教え、静夜たちに嘘で塗り固めた教えを吹き込み、煌気を搾取するからくり仕掛けを与えた黒幕…明夜の裏で糸を引く者が誰なのかをさ…!」

静夜が眉を険しくひそめて永遠を見る。すると永遠も静夜の顔にわずかに視線を送り、心を決めたような厳粛な表情で話し始めた。

「…私が牢に入れられていた頃、静夜が任務で不在のある夜、見知らぬ男が私の牢にやってきた。そいつは黒いマントで全身を覆い、頭巾をすっぽり被っていたが、鉄格子の向こうから私を見下ろしたときに顔の下半分が見えた。人間の年齢にして五十歳くらいと思われた…が…そいつは血のように真っ赤な瞳をしていた…」

「真っ赤な瞳って…どういうこと…?」

「そいつが人間ではなく原礎だということだ」

久遠と界の顔色がさっと変わる。普段あまり感情を表に出さない光陰も玻璃の破片を逆立てるように鋭く表情を尖らせている。

「でも…赤い瞳の原礎なんて存在しない…!」

「そのとおり。だが、私はこの目で確かに見た。だから静夜が帰ってくるとすぐにあの男が何者か、静夜に尋ねた」

今度は静夜が言った。

「その夜彼は採煌した永遠の森羅聖煌を受け取りに来ていたらしい。彼は俺が物心ついた頃にはすでに明夜と手を組み、真鍮の砦に自由に出入りして博士たちと地下室にこもっては何か秘密の研究や学問にいそしんでいた。実際には俺が生まれた頃とっくに明夜を堕落させ、自分の掌で踊らせていたわけだが。そして数年前、人間が原礎を排除しようとする計画に原礎自身が協力していることを不審に思った俺はその動静や意図をそれとなく観察し始めた」

「知ってのとおり、最初のうちは静夜は私を信用せず、訊いても何も答えなかったが、地下書庫の書物を読ませてくれるようになった頃ようやく少しずつ話してくれた。…そいつは“黒玉の城”を本拠地にする正体不明の原礎で、静夜たち煌狩りが捕らえた珠鉄と石動と土門の族を建設現場に集め強制労働をさせている。採煌装置と半永久的に稼働し続ける溶鉱炉を作り出し、奪った煌気を無尽蔵の動力と燃料に変換して、邪悪な炎の力で人間を利する煌狩りの黒幕、名前は…」

永遠がゆっくりと目を上げる。

炎叢ほむら・クワンタ・黄泉よみ

その名を聞いた久遠と界と光陰は耳を疑い、その場に凍りつく。

「炎叢…」

「その礎は…長らく禁じられてるはずだ…!」

久遠と界が呆然として口々につぶやくのに続いて、光陰が不快感も露わに端整な眉と唇を歪めた。

「…黄泉」

各々の反応を受けて永遠はおもむろにうなずいた。

「そうだ。炎の力は本来自然に常在しないためそもそも十二礎に含まれず、現在では忌まわしきもの、禍を呼ぶものとして禁じられている。炎叢の族が存在するということは私も静夜から聞かされるまで知らなかった」

「だが黄泉は昔から炎叢の礎名を名乗り、炎の力を行使してきた。アグニの赤い煌気も、アグニを鍛えた火も黄泉の炎から生まれたもので、その炎は古の知識に基づいて造られた溶鉱炉で絶えず焚かれ続けている。俺は実際にそこを訪れて見たことはないが、そこでは今このときも囚われた珠鉄の職人たちが武具や建設資材を作るために働かされている。その中にはおそらく次代のアグニも…」

そしてそれが黄泉と明夜の計画の進捗にいっそう貢献するということだ。彼らを捕らえたのが自分を含めたかつての同志たちであるという事実に重大な責任を覚え、静夜はうつむいたが、彼を責める者は今ここにはひとりもいなかった。

「私と静夜が持ち出した書物はその溶鉱炉の設計図を始めとする古書だ。溶鉱炉の動力や燃料は奪われた煌気を変換したものだから、黄泉の野望を阻止するためには迦楼羅を破壊し、迦楼羅の量産が不可能になったことを示さなければならない。そしてそれが静夜をその血筋の業から解放することにもつながる」

「迦楼羅を破壊し、煌気の将来的な供給を断ったら、その後は…?」

「黄泉を倒すための戦になるだろう。真の敵は煌狩りの人間ではなく、道を踏み外した我らが同胞…これは私たち原礎がこの時代に始末をつけなければならない問題なんだ」

そこで永遠はふと光陰を見た。

「お父様、お父様はもしや黄泉をご存じなのですか?先ほどそんな印象を受けたのですが」

しかし光陰はこれまでで最も厳しい表情で首を横に振り、答えることを頑として拒んだ。

「知っているが、私の口からは話したくない。この件について私から言えることは何もない。詳しいことは大森林に戻ってから宇内様にお訊きしろ」

「…そうですか。…わかりました」

黄泉とはいったい何者なのかーー四人の若者は不安げな顔を見合わせる。そして永遠はひと仕事を終えたように深々とした溜め息をついた。

「私と静夜の身に降りかかった出来事についてここで話せることはもう語り尽くした。やっと私も故郷に戻れる日が来た…ゆっくり休めるのはまだ少し先になりそうだが…」

座っていた泉の縁の石からのろのろと腰を上げる永遠を、久遠と静夜が急いで支えようとして両脇から同時に手を伸ばす。永遠を挟んで二人の目が合ったが、なぜかどちらからともなく弾かれるようにすぐ離れてしまった。

「界、君にも一緒に帰郷してもらわなければならなくなった。せっかくの星養いの旅の途中にすまないが…」

「何言ってるの永遠、ボクは唯一の証人なんでしょ?それに今のキミは自分の身も守れないような状態なんだから、大森林に帰るならボクくらいの使い手が一緒じゃないと」

久遠と静夜じゃ頼りになるかわからないから、と界が胸を張るところに光陰が近づいてこう言った。

「帰り道のことだが、氷竜の背骨の山道は見張られている可能性がある。永遠の体調も考慮して、特別に私が飼っている偵察用の銀嘴鷲ぎんしわしを二羽貸そう。大森林まで無事に送り届けさせる」

「ありがとうございます、お父様」

五人が洞窟の外に出るとすでに午を回っていた。入り口に立ってじっと待ち続けていた朧は朝とまったく変わらない涼しい表情で永遠に一礼し、抜かりなく持参してきていた丈夫な頭巾つきの上衣を、陽光を忘れた永遠の目のために彼女に着せかけた。そして光陰と朧が連れてきた二羽の銀嘴鷲に分乗した四人は、雲居の社に別れを告げ、晴れ渡る空を一路、大森林へ向けて飛翔した。
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