静かな夜をさがして

左衛木りん

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第3章 過去

父と子

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粉雪の舞う山道を登りきると、そこは高山の懐の台地に抱かれた天空の秘境だった。

「…ここが“雲居の社”…」

下界には見られない摩訶不思議な造形や色合いの建築物、珍しい長衣姿で粛々と歩く雲居の弟子たち、そして一帯を領する神聖かつ厳粛な空気。先達がかつて目にした異国の仙郷を憧憬の念を込めて模したのか、あるいはまだ見ぬそれらに遥かな思いを馳せたのかはわからないながら、ここが学問や修行に励む後進たちにとって唯一無二の聖地であることは如実に窺えた。

地上から隔絶された別天地の眺めに三人が心を奪われて呆然と見入っていると、雲居の若者が応対に現れて用件を尋ねたので、三人は順に名を告げ、界が代表して来訪の目的を説明した。

「承知いたしました。長にお伝えし、お会いになるか伺って参りますので少しお待ちください」

若者はそう言って三人を敷地入り口の広い練武場の真ん中に残し、正面の建物に入っていった。

(噂が本当なら、この後にべもなく追い返されるはずだけど…)

三人は黙って不安げな顔を見合わせて待った。すると少し経った頃、同じ建物から二人の人物が出てきた。ひとりは先ほど用件を取り次いだ若者である。

もうひとりの人物は非常に背が高く、結っていない長い金髪を真っ直ぐに垂らし、他の者より少し凝った刺繍を施した長衣をまとっている。

まさか上位の者が出てきてくれるとは期待していなかった三人は、その者がだんだんと近づいてきてその顔がはっきりと見えたとき、驚愕のあまりその場に釘づけになった。

彼の顔立ちが久遠とまったくの瓜二つだったからである。

静夜と界がまさかと思った瞬間久遠が叫んだ。

「…父さん…!!」

静夜と界は俄に未来の久遠の姿を見ているかのような錯覚に襲われていた。月長石のように淡く透ける雲居の族独特の瞳の色こそ異なるものの、その端整な目鼻立ちを久遠と切り離して見ることは不可能だ。老いの兆しを示し始めてはいるがまだ十分に若々しく、むしろ思秋の憂いがその美貌に枯淡と陰翳を添えている。この年代でこの容姿を保っているということは、若かりし頃はきっと久遠にも劣らぬ見目麗しい美男子だっただろう。静夜と界は物問いたげな目で左右からそっと久遠を見つめた。彼は横顔を真っ青にし、エメラルドの瞳をこぼれ落ちるほど見開いてその者を凝視している。

しかしその者は久遠の視線を受けても少しも表情を動かさず、氷の面を刃物で撫でるような硬く響く声で言った。

「私は雲居・アリスタ・光陰。雲居の社の現在の長を務めている。聞けば、この山地にかかっている雪雲を取り除いて欲しいとか」

光陰が色素の薄い瞳をじっと注ぐと、答えることができない久遠と人間という立場から発言を慎んでいる静夜に代わって界が慌てて返答した。

「…は、はい。山の麓の住民や旅人が通行できず、困っているのです。そこで雲居の族のお力をお借りしてまずは雪雲を払っていただき、太陽の光をこの地に取り戻したいのですが…」

大人相手でも臆しない界も、さすがに動揺と気まずさから少し言葉をつっかえさせている。

「事情はわかった。しかしこの雪雲はおいそれと払うわけにはいかない。こちらにもそうすべき理由がある」

「差し支えなければその理由をお聞かせ願えますか?」

原礎としての責任と使命感のある界は簡単には引き下がらない。さもありなん、と睫毛を伏せた光陰は思いの外あっさりと口を割った。

「実は今ある人物を下界から隔離し、ここから近い別の場所に隠している。この雪雲は私がその人物から頼まれて、誰もその人物に気づかせず、近づけさせないよう眩惑と道の遮断の目的で意図的に呼び集めたものなのだ。ゆえにその人物に断りなくあの雲の帳を解くことはできない」

「その人物というのは誰で、その理由はどういうものなのでしょうか」

「それは今ここでは言えない。…だが」

光陰は少しうつむいて考えた後、再び面を上げて言った。

「もし君たちがどうしてもその人物を説得したいというのなら、まず私が行ってその人物に君たちと会って話す意思があるかどうか尋ねてみよう。少しだけ時間をくれ。今夜のうちに返答をもらい、明朝結果を伝える。…おぼろ

後ろに黙って控えていた若者を呼ぶと、朧と呼ばれたその者はすっと光陰の側に寄った。

「もうすぐ陽が傾き始める。今から下山を始めるのは危険ゆえ、三人にそれぞれ客間をご用意しろ。それからおまえは後で私と例の場所に向かえ」

「承知いたしました。すぐにご用意いたします」

「頼む。それでは明朝また会おう」

短くそう言うと光陰はさっさと身を翻して帰ろうとする。そのときとうとう久遠はそれ以上堪えきれなくなってその背中に大声をぶつけた。

「ちょっと待てよ!言うことはそれだけか!?」

光陰の肩がぴくりとし、彼は足を止めた。

「母さんと姉さんと僕を放って蒸発したと思ったらこんなとこでのうのうと師匠気取りか。僕たちがどれだけ苦労して、どんな思いで生きてきたかも知らないで…いい気なもんだ!」

静淑な社の空気には場違いな怒号が響き渡り、たまたま外に出ていた弟子たちの注目が逆上する久遠に集まった。静夜と界は久遠の心情と彼らの好奇の視線の板挟みになったが、かと言って久遠を止めることもできなかった。

「あんたがなぜ僕たちだけ門前払いしなかったかわかったよ。娘と違って息子の方がどれくらいみっともない出来損ないか久しぶりに見て楽しむつもりなんだ。でも一度慰み物にして満足したらどうせまたぽいと捨てて忘れちゃうんだろ?昔母さんと結婚して僕たち子供を作ってすぐに捨てたみたいに…雲居の族はそういう気まぐれで無責任な奴らなんだから…あんたが半端な気持ちで母さんと結婚したせいで姉さんは生まれながらに重責を背負わされ、僕に至っては一生役立たずの半人前以下だ!!」

「久遠…もうよせ」

静夜がそっと久遠の肩に手を乗せる。界の方は聞くに堪えないという複雑な表情で沈黙している。だが数十年間溜め込まれた久遠の憎悪は堰を切った濁流のようにとどまるところを知らず、熱い涙となって滂沱とあふれていた。

「あんたは昔大森林が魔獣の群れに攻め込まれたとき同胞を助けにも来なかったし、母さんがその戦いに巻き込まれて死んだ後も、葬儀にもお墓参りにも来なかった。それなら結婚なんてしないで、子供なんて作らないで始めからひとりで生きればいいじゃないか!!自分勝手なことばかりしといて謝罪のひと言すらないのかよ!!」

しかし光陰が顔色も変えず、眉ひとつ動かさずに初めてこの件に関して発言したのはこういうものだった。

「私は申し開きや謝罪をするつもりはない。おまえは私に土下座して謝らせることができれば満足するのか?それとも今更私に父親としての責任や自覚を芽生えさせて、あの翡翠の屋根でともに暮らして欲しいのか?良き父親として、誠実に、安穏に?そうしたければ私を拘束して大森林まで連行するがいい。だが何者も雲居の魂を縛ることはできない」

冷淡な言葉を前に久遠は両方の握り拳をぶるぶると震わせた。

「謝れ…母さんに…死んだ母さんに謝れ…!!」

光陰は冷ややかに目を細めて久遠を見つめた。

「…刹那の息子がそうやって辺り構わず感情を爆発させるような幼稚な子供だったとはな。おまえがいつまでも私を憎み恨んで自分の存在やこれまでの生涯を否定したいのならそうすればいい。だが、これだけは言っておく。私は刹那を無理に娶り子供を生ませたわけでは断じてない。刹那はすべて知った上でそれでも雲居の私を拒まず受け入れ、私と夫婦になったのだ」

「…!!」

久遠は愕然とする。

「これが何を意味するか、その幼稚な頭でよく考えろ」

そう言って光陰は再び、今度こそ本当に久遠に背を向けて去った。久遠は苦渋のあまり唇を噛んだのも束の間、苦しそうに胸を押さえてよろめいた。そこを静夜が抱きかかえて支えた。

「ここは標高が高くて空気が薄い。その上久遠は煌気が不足ぎみだから興奮させると危険だ…早く休ませないと」

「今すぐ客間の支度をいたします。こちらへ」

朧の案内で三人は急ぎ宿泊棟に向かった。



陽が落ち、係の者が夕餉の席に三人を呼びに来ても、久遠は自分に当てがわれた部屋から出てこようとしなかった。そのため静夜は界と二人で先に夕餉を取り、戻ってきてから再び彼の部屋の扉を叩いた。手には特別に用意してもらった粥と果物と茶の盆を持ってきていた。

「…久遠。夕餉を運んできたんだが…」

「いらない」

扉の向こう側からはっきりと、ひと言だけ返ってくる。

「でも、少しは食べないと体力が保たないぞ。明日もまた登山をすることになるかもしれないのに」

「わかってる。…でも今は食べたくないんだ。このままひとりにして。ごめん…僕は大丈夫だから…」

「久遠…」

それきり反応がなくなり、途方に暮れた静夜は溜め息をついた。そこへ界が歩み寄ってきた。

「久遠、出てこない?」

「ああ…相当こたえてるみたいだ」

「まあ、無理もないよね。突然蒸発して行方知れずになってた父親といきなり再会しちゃったんだから。ボクも、まさかここの長が久遠のお父さんだとは思わなかったけど」

いつもは自信と余裕たっぷりの界だが、今は珍しくその丸い童顔にどこか後ろめたさを漂わせている。彼でもこういう表情をすることがあるのだ、と静夜がつい見入っていると界は静夜の視線に気づくこともなくまた話し始めた。

「雲居の族はもともと皆ああいう性分なんだ。雄猫が突然家出して帰ってこなくなるみたいに、家族も修行も投げ出して出奔しちゃう。そのうち何事もなかったみたいに普通に帰ってくる者もいるからその点は星養いの旅に出るのと変わらないとも言えるけど、無断で黙って消えたり本当に帰ってこなくなったりする者もいるらしいから、残された方はたまったものじゃないよね」

「だが、刹那さんの場合は同意というか、理解していたとおっしゃっていたな」

「うん…まあ、夫婦の間のことは、他人にはね…」

大人顔負けのませた物言いに静夜は内心舌を巻いた。

「せめて刹那さんが生きていたらいずれちゃんと説明して理解させてあげられたかもしれないけど、永遠と久遠が物心つく前に亡くなっちゃったから…こればかりはしかたないね」

小さく肩をすくめた界に、静夜は思い切って気になっていたことを尋ねてみた。

「界くん、その、刹那さんが亡くなったときのことだが…大森林に魔獣が攻め込んできたと言っていたが、いったい何があったのか教えてくれないか」

ああ、と界はパッと表情を変え、静夜を見上げた。

「キミ、久遠や宇内様から何も聞いてないの?」

「うん」

「そう。…教えるも何も、そのとおりだよ。四十年前、大森林が突然魔獣たちの襲撃に遭って、防衛に当たった者や巻き添えを食った者が大勢亡くなった。もちろんボクが生まれるだいぶ前の話で、ボクも両親から話を少し聞いただけだから詳しいことは全然知らないんだけど。先輩たちはあまり話したがらないみたいだし」

「そのときに刹那さんも巻き添えに…?」

「いや、話によると刹那さんは風早の族の中でも群を抜いた実力者で、魔獣が攻め込んできたと聞くとすぐに永遠と久遠を避難させて最前線に出ていったらしい。だけど奮闘も虚しく、帰らぬ人になったと…」

「女性の身で…まだ幼い双子の子供を遺してか?」

「…うん」

父親が家族と同胞に対する義務を放棄した一方で、母親が自ら命を賭した戦いに赴くとは、何という悲愴な覚悟だろう!これでは久遠が光陰の無為に激昂するのもけして不当で幼稚な行いとは言えない。静夜は思わず久遠を閉じ込めた扉を固く見つめた。しかし彼が出てくる気配はない。もう一度扉を叩こうと上げた手はぴたりと止まり、結局また下ろされた。



雲の上の聖地に夜の闇としじまが訪れた。

大気が澄んでいるため下界よりもさらに黒を深めた満天の星空に、細く冴え冴えとした上弦の月がかかっている。

結局久遠は部屋から一歩も出てこなかった。部屋の扉の脇に置いた夕餉には手がつけられた形跡がなく、粥も茶もすっかり冷えていた。

(せめて煌礎水だけでも飲んで煌気を回復させてくれていればいいんだが…)

消灯時間が近づいてきたので静夜は明日の準備を済ませ、就寝の支度を始めた。用意された寝衣に着替えるため、鏡の前で服を脱いで裸になる。

剥き出しになった筋肉質の身体の至る所には、比較的新しいものから古いものまで、大小無数の傷痕が残っている。それらは身元を示すものを一切所持していなかった彼にとって唯一、過去の彼の姿や半生を物語るものだ。着替えや湯浴みの際に目にするたびにそれらが手招きしながら呼びかけてくるようで、不安に胸が冷たくなる。

(…俺の父はどんな人なんだろう)

久遠と光陰の対立を目の当たりにした今、嫌でも考えずにはいられない。

『…あなたのお父上は常軌を逸しておられます…絶対に戻ってはいけません…!』

あの青年が発した謎めいた言葉を思い出す。真実は向こうの方から手が届くほどすぐ側までやってきたのに、なぜか彼の心をもてあそぶように指の間をすり抜けていってしまった。

そして、漆黒の闇をさまようあの夢ーー。

(知りたい…でも、知るのは…恐ろしい…)

薄闇の中で静夜の灰色の瞳が揺れて光る。露わだった傷痕は、風変わりな前開きの衣にそっと隠された。



陽が昇ろうとする頃、久遠は部屋を抜け出し、練武場の縁に当たる崖の際にめぐらされた塀の上に座って東の空をぼんやりと眺めていた。

明るみ始めた雲の切れ間から、最初の曙光が夜空を押しのけるように徐々にまぶしさを強めようとしている。

払暁の輝きは、どの季節に、どこで、どんな気持ちで眺めても、それ自体が純粋で神々しく、胸が熱くなるほど美しい。

と、唐突に誰かの気配がした。

「客人が起床するには、まだ少し早い」

久遠は立てた片膝を抱え、振り向かないまま、背後に近づいてきた光陰にぼそっと答えた。

「…あんまり眠れなくて」

光陰が久遠の横に立つ。今日という日に射し初める太陽が二人を同じ光でともに照らした。光陰は言った。

「昨夜、例の人物に会って事情を説明してきた。おまえたちに会うと言っている」

「そう。…お取り次ぎ、お世話様」

「朝餉の後、支度ができ次第私と朧の二人が同道する。少しばかり山道ゆえ、食事と煌礎水はきちんと取っておけ」

「うん」

そっけなくうなずいた久遠を光陰は切れ長の婉美な目でちらりと見た。

「その貧弱な身でよく今日まで旅をしてこられたな」

「…誰からもらった身体だと思ってるの?」

「煌気が乏しいという意味だ」

「同じことでしょ。…僕が無事に旅をしてこられたのは静夜が一緒にいてくれたからだ。静夜はすごく腕が立つし、いつも側にいて僕を気にかけてくれてる」

「…確かにな」

光陰はそうつぶやいて沈黙した。そのわずかな沈黙の間久遠はある問いに思いを致し、それを口に上せた。

「…ねえ、教えてよ。父さんが母さんと僕たちを置いて旅に出たとき、どうしてすっぱり離縁しなかったのか」

「離縁?」

「最初はどうあれ、その後父さんに結婚生活を続ける意思がなくなったのなら、いっそ離縁した方が母さんも気持ちが楽になって次の人生のことを考えられたと思うのに」

「今更なぜそんなことを訊く」

「…なんとなく…ただ、訊いてみたくて」

少しおずおずとして言葉を濁しながら、だが勇気を振るって率直にそう言い、久遠は光陰の返答を待つ。光陰はそんな息子の横顔を相変わらずの淡い瞳で見下ろすと、その心に応えるかのように答えた。

「私たちが離縁しなかったのは私が刹那に別れを告げることなく黙って家を出たからだ。何も話をしなかった…だから離縁の申し出もしなかった。それだけのことだ」

「ちゃんと話してから旅立とうとは思わなかったの?」

「思わなかった。…それが雲居の気質だから」

「…何だよ、それ…ほんと雲居の族って無責任だな」

付き合いきれない、というように久遠は冷笑する。

息子に見下げられても光陰はすべてを従容として甘受するような動じないたたずまいで言った。

「私とて刹那やおまえたちを不幸にしたかったわけではない。だが夫婦や家族の形、有り様とはひとつではなく、人を愛することや他者とともに生きることはひと筋縄ではいかない。おまえもいつか本気で誰かを愛するようになれば自ずと理解するだろう」

「…あんたにだけは愛だの夫婦だのと語ってもらいたくないね」

それきり二人はまた黙り込み、並んで、朝陽が差し伸べる光の腕を全身に浴びる。瓜二つな顔の輪郭を黄金色の縁取りが彩っていた。

(…僕が誰かを愛することなんて絶対ない…役立たずで出来損ないの僕に、誰かを守ったり幸せにしたりすることなんてできないんだから…)

まぶしさと白さを増す陽光が膝近くに伏せた睫毛にきらきらと宿り、生まれたばかりのぬくもりが乾いた額に差す。

塀に座った小柄な姿と隣に立つ背の高い姿の二人の影は、今しばらく動かずそこに並んで日の出を眺めていた。



光陰によると、匿われた例の人物は雲居の社よりさらに少し山道を登った先にある“雲上の宮”という奥の院にいるとのことだった。三人は光陰が開けた秘密の扉をくぐり、限られた者しか知らない隠された山道を抜けて雲上の宮を目指した。

標高がさらに上がると静夜は久遠を気遣って彼に声をかけた。

「久遠、大丈夫か?」

すると久遠はしっかりとした様子でうなずいた。

「大丈夫。昨日よりも高地に少し慣れてきたし、朝食と煌礎水もちゃんと取ってきたから」

「そうか」

答えた久遠の表情や足取りが心配していたほどではなく普段と変わらない元気の良さだったので、静夜はひとまず安堵した。後ろからついてくる界と朧はもちろんほとんど息を乱していない。

「着いたぞ。ここが雲上の宮だ」

光陰が足を止めたのは山腹に築かれた小さな社殿だった。かなり歴史の古い場所のようで、訪れる者もめったになくひっそりと静まり返っている。敷地の中心に簡素な祠堂があったが、光陰はその前を素通りして祠堂の横を回り込むように進んだ。

「その者がいるのはここではなくこの裏にある洞窟の内部だ。最奥には煌礎水の泉があり、太古の昔から信仰と尊崇を集める霊場となっている」

光陰の言ったとおり、祠堂のすぐ裏手に洞窟が大きな口を開けていた。足許にはひんやりと湿り気を帯びた空気が流れ出している。光陰が松明の用意を始めると朧が数歩下がって頭を下げた。

「私は念のためここに残って見張り番を務めます」

「そうしてくれ。…さあ、入るぞ。道はそう遠くなく、浄められて魔獣や蝙蝠もいないゆえ、安心してついてこい」

(どうしてわざわざこんな場所に、ここまで厳重に匿われてるんだろう…)

通行を阻む厚い雪雲、秘密の扉と山道、そして禁足地。いったいどれほどの人物が待ち受けるのか、三人の緊張は否が応でも高まる。各自松明を持ち、洞窟の中へ踏み込んだ四人は、長身の光陰と静夜が立って歩くのにも十分な高さのある平坦な一本道をひたすら奥へと潜っていった。やがて先の方にかすかな明かりが見え、道は終わって、一行は広い空洞に突き当たった。

左右の岩壁に焚かれた篝火の中央奥に煌礎水の泉があり、その縁を固めるように積まれた石のひとつに、何か大きな物体を抱えて腰かけている小さな人影が見える。

「連れてきたぞ」

光陰が声をかけるとその者が身じろぎした。

「…来たな」

鈴を鳴らすような、か細くも凛とした声。

複数の方向からの明かりがその面を照らし出す。

篝火の揺らめきの中に待ち受けていたのは、もうひとりの久遠だった。
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