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終章 悪役は、幸せになる

38話 懺悔と告白 前

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 王宮魔術師ハキーカは、王宮の最も西側にあると思われる離れの中に、アリサたちをいざなった。
 土壁に覆われた小屋のような建物の、大きくて分厚い木の扉を開くと広い書斎が目に入る。中には様々な書物や器具が置かれており、日焼けを防ぐためか窓は少なく薄暗い。
 
「さて。この部屋は私の執務室であり、人払いしてあります。聞き耳を立てても無駄な細工はされているし、秘密は守られる」

 わざとらしいほど口角を上げながら、ハキーカは安心せよと言わんばかりに説明をした。
 オーブリーが「あれは、星の地図!」と天井の模様をキラキラとした目で見上げるのを見守っている。
 
「オーブリー殿は、さすが着眼点が違いますね。星読みと風読みが、クアドラド王宮魔術師の主な仕事。雨を予言し、砂嵐から民を守るのです」

 ハキーカの静かな説明にアリサは、大きくひとつ、頷く。
 
「過酷な砂漠での生活を支えるため、ですね」
「はい。本来誇りを持って就くべき任ですが……前任者のように権威を利用する者も多々いることは、否定しません」
「ハキーカ様は、バジャルドの後任となることに躊躇ためらいはなかったのですか」

 アリサの率直な質問に、ハキーカはふふ、と眉尻を下げる。
 
「誰もが断ったため、末席の私に話が回ってきたのは僥倖ぎょうこうでした。陛下や殿下の耳に、国民の怨嗟えんさと苦しみは届きません。せめて恵みの雨の到来を告げたい。私の願いはそれだけです」
「ハキーカ様……尊敬申し上げます」

 アリサの言葉と共に、オーブリーも頭を深く下げる。

「ふっふっふ。黒魔女の称賛を受けたこと、自慢したいですねえ」
「っ……やはり気づいてらっしゃって……」
「まあ、普通は気づかれないでしょうが。その道に精通した者にとっては、そのように見た目をつくろったとて、ですよ。ホルガー殿もそうだったのでは?」
「はい。一瞬で見破られました」

 アリサの返答に満足したように、ハキーカは微笑んだ。

 ラブレー王国王都にあったヨロズ商会近くの裏道で、筆頭魔導士のホルガー・フレンツェンは「足音に細工しとけ」とブーツに魔法を授けてくれた。砂漠の国で、それを履くことはできない。
 アリサは観念し、ずるりとウィッグを取り、伊達眼鏡を外す。
 それを見たハキーカは特に言及せず、すっと目を細めるのみだ。

「さて、本題に入りましょうか、アル殿。バジャルドの様子はいかがですか」

 アリサは一瞬言葉に詰まった。王国の重罪人を匿っているとなれば、商会全体が罪に問われることもありうる。アリサの気持ちを察してか、ハキーカは穏やかな声で「今すぐどうこう、という気持ちはありませんよ」と促す。
 
「……無事です。我が商会にて預からせていただいております。ご存じの上で、なぜ捕縛を命じないのでしょうか」
「何が正しいのか、読みかねているからです」

 ハキーカは、アリサとオーブリーに椅子を勧めた。自らは、お茶を淹れようとポットに茶葉を入れながら。

「この王国は、傲慢な王族が取り仕切ってきた。砂漠で生き残るには、力こそが全てです」
「それは、……理解できます」
「ですが、ラブレー王国の政治を見ていると、力だけでは足りぬ時期が来たと思いました。サマーフ殿下もそれを分かっているからこそ、今回の貿易を足掛かりに他国を学ぼうとなさっている。私は、その姿勢に感銘を受けました」
 
 コポポという音と同時に、スパイシーな湯気が立つ。
 ハキーカが無言で差し出すカップを、アリサとオーブリーは素直に受け取り、中身を口に含んだ。

「この茶葉は……」
「ええ。バニラです。おや、オーブリー殿の口には合いませんか」
「……僕は……飲めません」

 ぎゅっと拳を握りしめるオーブリーに、ハキーカは眉尻を下げる。

「恨みごとは、途切れることのない永遠の連鎖のようですね。マグリブしかり、黒魔女しかり。もう私には、正解が分からないのですよ」

 アリサは、オーブリーの肩をそっとさすりながら、ハキーカを見上げる。
 
「ハキーカ様。正解など、ないと思います。ただ、よりよい方を信じるだけです」
「よりよい方……」
「わたしは、バジャルドはきちんと裁かれるべきだと思っています。傷つけられた人々のためにも。けれども、バジャルド自身も傷ついている。なにか、償う方法があればとも思います」
「バジャルドは王位継承権を狙い、国を混乱に陥れたばかりかラブレー王国に薬物をもたらした重罪人です。その罪によって、トリベール侯爵家も危機に陥っていた」
「はい」
「それを、許したいと言うのですか?」

 アリサは、ぎゅっと下唇を噛みしめる。自身が背負ってきた苦しい生活や、薬物で狂ったジョクス伯爵家を思うと、未だに胸が苦しくなるのは事実だ。
 
「許したくは、ありません。けれど……許さないというのも、したくありません」

 バジャルドの苦しみは、アリサにも想像できるものだった。最初は生きるためにやっていたことを、どんどん正当化していくうちに、狂っていったに違いない。

「この世で、最初から悪者だなんて、いないからっ」

 黒魔女だからと忌み嫌われ続ける自身の頭上で、常に太陽の女神が嘲笑っているような気がする。
 そんな世界に生まれ落ちた自分とバジャルドとの違いは、なんだろうか。

「ふふ。なんと。黒魔女とは、非常に純粋で愛しいお方だったのですね」
「えっ」
「決して呪いの魔女などではなく、人を愛せるお方であった、と私なら書物に記します」
 
 サラサラと上等な衣擦れの音をさせ、クアドラド王国の筆頭魔術師は、座っているアリサの手を取る。そして、その甲に口づけを落とした。

「ハキーカ様!?」
「懺悔をいたします。あの薬物を生み出したのは、私であると」
「な!!」

 叫ぶアリサと同時に、オーブリーが椅子から飛びあがる。懐から魔法杖を取り出し、その先端をハキーカに向けるが、ハキーカは黙って杖の先を見つめ返すだけだ。

「すべては偶然の産物でした。この書斎を見てお分かりの通り、私は星と風を読むことに没頭しつつ、薬草研究をしていたのです。バジャルドはここで生み出された毒に気づき、持ち出した」
 
 ぶるぶると震えながら、オーブリーが叫ぶようにハキーカへ迫る。

「なら! あなたも、同罪ではないのか!」
「……そうかもしれない、と思いました。だから、この手でバジャルドを捕まえたかったのですよ」

 アリサはようやく、ハキーカが色々なことを見逃してくれていた理由に、納得がいった。

「なるほど。だからわたしを受け入れ、手掛かりを探せるようにと陰から支援を」
「はい。その通りです。彼に極刑を申し渡すのは、私であるべきです」
「そしてその後、どうするつもりだったのです?」

 静かな決意を内包したようなハキーカに、アリサは鬼気迫った表情で立ち上がる。

「どいつも、こいつも。死んで償おうとして。わたし、絶対許しませんよ!」
「アル殿……」
「バジャルドも。ラムジさんも。ハキーカ様まで。人の命、なんだと思ってるの。生きなさいよっ! 生きて、同じようなことが起こらないようにしなさいよっ」

 アリサは、拳をテーブルの天板に叩きつけた。

「それが! 力を持つ者の! 使命でしょう!?」
 
 オーブリーが、ハッとした顔をする。
 そしてハキーカは、泣き笑いのような表情でアリサを見つめ返した。

「ふ、ふ。今までの伝承は全て捨てないとなりませんね」
「え?」
「なんと慈悲深くあらせられる、英知と月の女神よ」

 ハキーカが手を胸に当て頭を下げるので、アリサは慌てた。
 
「わたしは、月の女神なんかじゃ!」
「私の目には、そう見えますが……ああそうか、そうして神の化身となられてしまっては、太陽神教会が黙っていないでしょう。ふむ、なるほど。よくできた構図です。だんだん世界の仕組みが紐解かれてきましたね。これは本当に死ぬわけにはいかないかもしれません」

 天井の星図を仰ぎ、ハキーカは大きく息を吐く。
 
「ハキーカ様?」
「魔道具でもって闇魔法を操る少数部族が、我こそが真髄であると黒魔女を妬む。無理をして闇魔法を行使することで、人命が奪われる。聖女を掲げる太陽神教会は失われる命を憂いて黒魔女に反発し、聖魔法こそ正義と説く。黒魔女は呪いしか行えないという流言飛語により、正しい闇魔法研究が滞る……少数部族が絶えていく様を見た人々は、闇魔法がなんたるかを知らず、黒魔女を呪いの根源と恐れる。自然、聖女を敬うわけですね」

 オーブリーが、目を見開く。
 
「星巡り……」
「はい。まさしく運命の輪です。太陽の女神テラの執心は、すさまじいとも言えますね」
「僕は、それでも……許したくない。例え巡りあわせで堕ちた人間であっても、従うか従わないかは、選べるはずだ!」
「私もそう思いますよ」
 
 ぽん、とハキーカはオーブリーの肩に手を置いた。

「同じ魔術師という立場として、私の懺悔をあなたに届けたいです。一生をかけて」
「一生ですよ。死んだら、ダメです」

 はい、とハキーカは笑う。

「バジャルドを生涯幽閉し、彼の知識と力を一生国民のために役立てるよう、側で監視します。いかがですか」
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