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終章 悪役は、幸せになる

36話 伝承は、ねじ曲がって

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「ふふ。やっと気づいたよ。僕は僕を――消したかったんだな……」

 今、バジャルドの脳裏によぎるのは――

 ◇

 今にも崩れそうなボロボロのテントの中に、仰向けで横たわる男とその枕元で泣き崩れる女がいる。
 女は両腕に小さな赤ん坊を抱き、砂の上に敷いた布の上に横座りしている。
 
「あああ……あなた……あああ」

 絶望にむせび泣く女を慰めるように、脇に立ち女の肩をさする少年は、下唇を噛みじっと涙を耐えているようだ。
 四人全員が、体の一部――足首や二の腕など――に三日月と三角のような青い文様がある。
 
「生きることすら、許されないの……?」

 嗚咽の合間に吐くように言う女の視線の先で、横たわる男の胸と腹の辺りは、血まみれだ。

「身を潜めて……目立たないようにしていても……マグリブだからと……」

 やがて女の嗚咽おえつは、怨嗟えんさへと変わる。

「我慢なんて、無駄だ。ならば呪う。この血を。国を。世界を」
 
 涙そのままにギラギラとした目で、女は少年を振り返った。

「バジャルド。あたしの命を懸けて、あなたに全てを授けるから。……かたきを取ってね」
「いいよ」

 にこ、とわざとらしく口角を上げ少年は応える。

「その代わり弟は、僕の好きにさせてね」

 ◇

 バジャルドが、全てを悟ったかのようなスッキリとした顔で、言葉のひとつひとつを噛みしめるように吐き出した。

「ああ……黒魔女のおかげで、思い出したなあ。僕の本当の望み……国を、滅ぼす。弟を、別人にする。それから……死ぬ。そうだった……」

 じわりじわりと、空中にたなびく髪の毛をむように近づく滅びの塊を、バジャルドは笑顔で受け入れるように両腕を広げる。
 
 アリサは状況を打開しようと必死に考えを巡らせながら、時間稼ぎになるならとバジャルドへ言葉を投げる。
 
「薬物を蔓延させたのは、国を滅ぼしたかったから……でもなぜ、ラムジさんをサマーフ殿下と同じ顔にっ」
「薬物で滅んでも、マグリブ族が王子になっても。どちらでも国が滅んだことになる。ラムジの命も助かる」

 バジャルドは恍惚と、空中にできた闇を見つめている。
 アリサは、自分勝手な言い分に悲鳴のような否定を投げた。

「そんな、めちゃくちゃな!」
「黒魔女を巻き込んで、月の女神ごと、滅ぼしたかった」
「わたしは! 月の女神なんかじゃない!」
「でもそこに、化身がいる」

 ギラギラとした目を向けられて、ディリティリオがアリサの頭上でクネクネと身を揺する。
 
『化身じゃないてば~』
「んな問答してる場合かよ!」

 焦るラムジが、アリサと肩を並べて叫ぶ。

「どうすりゃいいんだ!」
「ラムジさんのペンダントで、何とかしようとしたのにっ」
「んなこと言ったって」

 焦る間にも、バジャルドがガハと大量に吐血した。

「バジャルド!?」
 
「き、み、いつも、人助け……ふふ。滑稽、だ……」
「何言ってるの!」

 いよいよ床に両膝を突いたバジャルドは、自身の状況とは裏腹に口角に血をつけたまま笑っている。

「……ころ……せ」
「殺さないっ!」

 言ってみたものの、アリサには良い方法が浮かんでいない。バジャルドとの決定的な差、それは魔法を用いての戦闘経験だ。まざまざとその事実を突きつけられたアリサの脳裏には、母国の筆頭魔術師ホルガーの「早く弟子になれ」という言葉がありありと浮かんでいる。

(ホルガー様、ごめんなさい! 帰ったら絶対修行する!)
 
フィールドシール範囲結界!」

 途端に、バジャルドを中心として黒く光る魔法陣が現れた。陣の中は変わらないが、陣の外では闇の塊に吸い込まれていた空気や物の動きがぴたりと止まり、空中に舞い上がっていた書類がヒラヒラと床へ落ちていく。
 結界が見事に作動したことを確かめると、ディリティリオが
『いいヨ』
 と合図をする。
 
「ええ! アスクレピオスの杖!」

 アリサが唱えるや、ぶちっとアリサの頭上で鈍い音がし、シュルシュルと床を這う黒い影が大きくなりながら立ち上がる。それはウネウネとしばらく波打った後で、黒い棒状に固まった。
 
「……蛇神様」

 目を見開くバジャルドへ、ディリティリオはいつもの明るい声で告げる。
 
『だから違うヨ。ディリティリオだヨ~』
「いくわよ、ディリ……よ、滅びを
『ほーい』

 その言葉を聞き、部屋の中にいる誰もがあまりの衝撃で動けなくなった。
 
 ニコまでもが、
「黒魔女が、癒す……?」
 と隣室の扉口に棒立ちで呟くほどだ。

「ちょっと待て。黒魔女は呪いの魔女だったはずだ!」

 ラムジの叫びに、アリサは額から汗を流して杖を構えつつ、苦笑いする。
 
「そんなの、周りが勝手に言ってるだけだってば」
「そ、んな」
「伝承なんて、人の価値観を乗せられて、ねじ曲がっていくものなの」

 杖の先端で口を大きく開くディリティリオの両眼が、いよいよ赤く鋭い光を発し――口内から黒い光が溢れたかと思うと、一直線に闇の塊へと向かっていく。

「あなたの部族も同じ、でしょう! ぐっ」
「そうか……そうだな!」

 アリサの背後から支えるようにして、ラムジがその両肩を抱く。

「あり、がと」
「気にすんな。ぶちかませ」
「ええ!」
 
 アリサは一瞬ぎゅっと目を閉じてから、見開き、大きく息を吸い込み叫ぶように唱えた。
 
プロセウケー黒魔女の祈り!」
 
 バジャルドの足元の魔法陣が一層光を増し、紫色の奔流がぐるぐると渦まき、バジャルドの全身を覆った。
 結界内で膨れ上がる光の渦が、中心にいるバジャルドが抱えていた何もかもを吸い上げていくように見える。

「ぐ、さ、すが。強い!」

 アリサは杖を支えきれず、苦悶の表情で右ひざを少し折る。力強いラムジの手が、がっちりと肩を抱いていたおかげで、倒れずに済んだ。

「バジャルド……戻って来て」

 ラムジは、アリサの口から漏れ出た願い事を聞いて瞠目どうもくする。
 
「おまえ……」
「生きて……償って……」

 ハッと我に返ったラムジも、叫ぶ。
 
「っ、兄ちゃん! 戻ってこい! 一緒に、償おう!」
 
 ラムジの声に応えたのか、やがて渦巻いていた光が徐々に収まり、魔法陣の中心に居たバジャルドは、全身から力が抜けたようにどさりとうつ伏せに倒れた。
 
『ひゃ~、なんとかなったネ』

 ディリティリオは杖の姿から黒蛇へと戻り、アリサの腕を這い上がって髪の中へ戻る。
 
「ありがと、ディリ……はあ」

 アリサも力が抜け、へなへなと床にしりもちを突くのに合わせて、ラムジも床に片膝を突いて支えた。

「おい、だいじょぶか!?」
「アル様! とにかく急いでこちらを!」

 走り寄って来たニコがアリサの頭に予備のウィッグを被せる背後で、ポーラが「ロイク様の! お戻りです!」と焦った声で叫んでいる。

「うわー、どしよ……」

 力が入らない様子のアリサを、頭上からラムジが微笑みながら覗きこむ。

「忙しいな、商会長殿」
「はあ。ほんと」

 ラムジと笑いあっていると、真上からロイクの冷たい声がする。

「何事だ」
「あー、そのー、えー」

 食事会からそのまま来たであろうタキシード姿のロイクからは、アリサの変装眼鏡越しにも、静かな怒りが伝わってくる。店内はめちゃくちゃであるし、ニコとラムジによって周辺住民の避難を促したことで、外はパニックであったことは想像に難くない。どう言い訳をすべきかと発言を躊躇ちゅうちょしているうちに、ロイクの方が口を開いた。

「周辺住民も軍も、怪しい商会が変な実験をしていたと大騒ぎだぞ」
「なるほど! それいいですね」
「何?」
「えーっと。珍しい道具をスークで買ったら魔導具でして、開けたらとんでもないことに~! でどうでしょう」

 へへへと愛想笑いをするアリサに向かって、ロイクはただ一言「分かったが、後で全部吐け」とだけ言い捨て、くるりと背を向けたかと思うと外へ出て行った。
 
「……ふい~」

 ようやく一息つける、と気を抜いたアリサは、絶句している様子のラムジに首を傾げる。
 
「どうしました?」
「ああいや。ものすごい信頼だな」
「え? そうでしょうか」
「ああ。……なるほど、無自覚か。大変だな、ロイク」
「え!?」

 ラムジは盛大に眉尻を下げるとアリサから手を離し、倒れているバジャルドの元へ向かい両膝を突いて寄り添った。
 
「マグリブ……か」

 バジャルドのはだけたローブ越し、二の腕付近に見えた文様を、ラムジは優しくさする。
 ふたりの側に落ちた太陽のペンダントが――弱弱しく赤い明滅を繰り返していた。
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