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終章 悪役は、幸せになる
32話 マグリブの尾
しおりを挟む「何か問題でもありましたか?」
翌朝、首都ワーリーでヨロズ商会の支店に使えそうな建物を下見すべく、街を歩くアリサは、隣でむすりとしているロイクを見上げる。
「……いや」
首都とはいえ朝早い時間は人通りもまばらで、前をラムジとオーブリー、後ろをニコとポーラが歩いている。
バジャルドを追いかけるにしても拠点が必要だ、と支店をどこに定めるかを優先させたが、それが良くなかったのだろうかとアリサは不安になった。個人的には早く移動の魔法陣を敷いてしまいたい。そうすれば、何かあってもすぐに王都と行き来ができるからだ。
「晩餐会で、何か」
「何もない」
「ラムジさんを、勝手に雇ったから?」
「っ」
珍しく言葉に詰まるロイクへ、アリサはすぐに頭を下げる。
「勝手なことをして、大変申し訳ございません。危険は重々承知ですが、クアドラド王族の息がかかっていない者を選定する必要がありましたし、それに実力も」
「いい。分かっている」
「でも」
これでもアリサは、思い込んだら突っ走ってしまう自分の悪癖を自覚している。
せめて事前にもう少しロイクとすり合わせをすべきだった、と反省した。
これはヨロズ商会だけの問題ではない。トリベール再興も兼ねた、ラブレー王国の国家事業なのだ。ロイクには相応の責任がのしかかっているということを、うっかり失念していた。
「いまさら、勝手すぎたと気づきました……あの、本当に申し訳」
「いいと言っただろう。懸念があれば反対している」
それはそうだろう。ならばこの不機嫌の原因はなんだろうか、とアリサの思考が止まる。
「それより、もう顔を隠させる必要はないんじゃないのか?」
ロイクは、前を歩くラムジを顎で指す。
彼は、頭にグレーのターバンを巻き、余った布で顔の下半分もぐるぐると巻くようにしている。本来砂漠を行くスタイルだが、街中でやっても咎められるものではない。
「念のためです」
「……そうか」
「なにか、分かりましたか?」
「いや。クアドラドにおいても、謎の多い部族なのだそうだ。住処も分からないし、絶滅したと考えられていたと」
「そうでしたか……」
「かつては王宮魔術師を何人も排出した部族だったらしいが、邪教信仰で疎まれ、長い歴史の中で徐々に淘汰されていったらしい。バジャルドの出自とは知られていなかったそうだ」
「邪教信仰?」
「太陽ではなく月の女神を信仰しているのだと」
ドキン! とアリサの心臓が跳ねた。まさかこの世界に、『英知と月の女神ナル』を信仰する部族があったとは。
(もしかして、ディリティリオの嫌な予感って)
バジャルドと、呪いと、月の女神。
運命が数珠つなぎになったような感覚が、アリサを襲う。
「アル?」
心配そうにのぞき込むアクアマリンが、朝の日光を反射して輝いている。ようやくロイクと目が合った、とホッとしている自分に自分で戸惑う。
「……ロイク様」
「なんだ?」
「あの……とにかく、良い場所。見つかるといいですね」
「ああそうだな。何かするにしても、まずは足元からだからな」
「! っはい」
何も言わずとも同じ考えでいてくれたことを、アリサは嬉しく思った。
「なんだ急に、ニヤニヤして」
「え!? えっと。ロイク様が同じ考えなのが、嬉しくて」
「同じ考えとは?」
「何かするにしても、まずは足元からって」
途端にククク、とロイクが肩を揺らす。
「そんなことが嬉しいのか」
「そんなことって。言わなくても通じるってことは、価値観が一緒ってことです。大事なことですよ」
「そうだな。一生の付き合いになるなら、なおさらだな」
「はい! ……はい?」
「着いたようだ」
ラムジとオーブリーが軒先で立ち止まったのを見て、ロイクがさらりとアリサの腰を手で支えるようにエスコートする。
目の前には、ベージュの石壁と木枠の窓枠に布が掛けられた建物が立っていた。入り口は青銅色に塗られた木の両開きの扉で、鉄の持ち手と閂がついている。
「うわぁ。扉の色、素敵ですね」
「ああ」
アリサは目の前のことに夢中になり、ロイクの態度が令嬢に対するものであることに気づいていない。
後ろで一連の動きを見ていたニコは、「ついに本気出してきたなぁ」と苦笑いしている。
「ニコ、昨日ロイク様に何か言ったの?」
心配そうなポーラに
「うん。だってアル様には、幸せになって欲しいからね」
とウインクをすると、ぱあっと花が咲いたような笑顔が返って来た。
そんなポーラを見たオーブリーは、「やっぱり、ニコの方が良いよね」と勝手に落ち込む。
「どうした? オーブリー」
ラムジが気遣って声を掛けると、オーブリーは気を取り直して尋ねた。
「ん? んとね、ラムジさんはこの辺りの治安、どう思う?」
「大通りが近い。あとあそこを曲がって少し行くと、軍の屯所がある」
「へえ、良さそうだね」
「だが、裏手は見通しが悪そうだな……」
話しながら建物内に入っていくと、中で役人のような男性がふたり、待っていた。ふたりともトーブと呼ばれる踝丈で長そでの、ゆったりした白いシャツワンピース姿で、頭にはターバンを巻いている。
「お待ちしておりました」
丁寧にお辞儀をされ、中の間取りや設備を説明される。
裏口から出ると四方を壁に囲まれた中庭のような空間があり、小さな井戸が設置されていた。
「水がすぐ汲めて、便利ですよ」
見回すと、壁の一部に鉄格子の勝手口がつけられている。
気づいたアリサが、
「あそこは、どこに通じてるのです?」
と尋ねると、
「スークです」
つれない返事がかえってきた。
「スーク?」
「はい」
それ以上の説明はなく、よそ者の庶民へ詳しく教える義務はない、と暗に言われていると分かりアリサは内心苦笑する。
役人たちはあくまでもロイクしか見ていないからだ。
「他にも候補の建物がございます。どうぞ」
歩いて行ける距離の建物をあと二軒紹介されたものの、一番最初の建物が広く使い勝手もよさそうだということで、全員一致で決まった。
◇
それから、ひたすら店を整える準備をしている内に、あっという間に時が過ぎていった。
スークという地元の市場で、それぞれの服――トーブやサンダル、ターバンといった、砂漠の国ならではのもの――を手に入れ身に着けたことで、ようやく周辺住民にも受け入れられたようだ。
ロイクだけはどのような格好をしたところで『貴族オーラ』が出てしまっているが。
そのロイクは今日、オーブリーとともに王宮での食事会に呼ばれていた。国家間貿易の足掛かりとして、様々なクアドラドの有力貴族たちの会食は仕事だと割り切れるが、辛いものだけは食べられない、と毎回嫌そうな顔をしている。
「それにしても、スリが本当に多い」
事務所として使う予定のカギのかかる部屋へ金庫を置くにしても、とヒヤヒヤするアリサは、背後で肩をすくめるラムジを振り返って恨めしげに睨む。
スークに行くたびに財布を盗られるので、ダミーとそうでないものを持ち歩くようになった。
「屯所が近いのに」
「あまり関係ない。軍の奴らだって、スリから賄賂をもらえば見逃す」
「それって、職務放棄じゃないんですか?」
「命さえ奪わなければ、そんなもんだ」
アリサは、サマーフがラムジたちを「ちまちま金を盗む程度だから捨て置いていた」と言っていたのを思い出す。
「命さえ奪わなければ、見逃される……」
(ここで生きていくのは、過酷だな)
「アル?」
「ああいえ」
アリサはふと、裏口の方向を見やる。
ディリティリオと相談して撒いた餌が、そろそろ効いてくるはずだ。ニコとポーラにも、注意を促している。
「……ラムジさん」
「ん?」
言いかけたアリサへ、ニコが叫ぶ。
「アル様っ! 来ましたっ!」
店の裏口から入って来たと思われる男たちが、次々と現れる。頭数は三人。彼らは全員顔に布を巻き、シャムシールと呼ばれる細身の曲刀を構える。
「ようやくお出ましね」
アリサが迎える態度を取ると、ニコはポーラを背後に庇い、ナイフの柄に手を掛ける。ラムジは戸惑いつつも拳を構えた。
冷静に臨戦態勢を整えるアリサたちの様子に、男たちは焦りだす。
「ちくしょう! 罠かっ」
「あ!?」
「えっ」
アリサが頭に巻いているターバンの中で、ディリティリオがクネクネ踊っている。
「罠ってわけでも、ないですよ」
アリサはもぞもぞ動くターバンを上から撫でながら、アリサを庇おうと前に出たラムジへ声を掛ける。
「ラムジさん。右足首、見せてあげてください」
「え?」
たちまち息を飲む男たちの様子を見て、素直に応じたラムジはトーブをたくし上げた。足首にある三日月と三角のような文様が見えると、男たちは剣を下ろす。
「やはり、マグリブ族……!」
男の声に、アリサは力強く頷いた。
「はい。あなた方は、違うのですか?」
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