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第三章 悪役は、華麗に抵抗する
22話 聖女の慈悲
しおりを挟む全員退室した後で、アリサはごそごそとまた起き上がる。
事件の全容を聞きたいからと、メイドにも部屋を出て欲しいと伝えると「もうしばらくお待ちを」と止められた。
やがて、タウンハウスの執事を名乗る男性がポーラを連れてやってきた。
「ポーラ!」
「はいっ、……ぐす、ご無事で良かっ……」
華奢で小柄な体を、ベッドに上体を起こした姿勢のままハグをするアリサの目に、安堵の涙が浮かぶ。
その頭上から、眉尻を下げた執事が苦言を呈する。
「貴族女性が、寝室で男性とふたりきりになるなど、よくはございませんよ」
「あっ……」
迂闊だった、とアリサがしゅんと頭を垂れると、執事は優しく微笑んだ。
「オーブリー様と非常に親しいご様子でしたので、密かに心配をしておりました。殿方としての範疇ではないことが分かり、逆に安心いたしましたよ。では」
メイドを連れ、下がっていくぴしりとした背中を見送りながら、アリサは首を捻る。
「今の、どういう意味かしら?」
「えーっと、僕がアリサに男として見られてないってことだね」
「それでなんで安心?」
「うーんと、その話は、後でロイクとして」
「?」
腕の中で、ポーラが涙に濡れた目で見上げる。
アメジストのような紫色に見入るアリサを、ポーラは気遣う。
「アル様……大丈夫ですか?」
アリサは体を離して、オーブリーの横の椅子に座るようすすめた。
「ありがとう。もう平気よ。あんなにたくさん魔法使ったの初めてだから、疲れているだけ。オーブリーも、報告に気を遣わせてごめんね。ホルガー様にも謝りにいかないと」
「うん。でもあれ、怒ってるフリだから」
「え?」
「体裁ってやつ」
「あは! それなら良かったわ」
それからオーブリーは、ポーラとともに馬車でジオノ子爵家のタウンハウスへ向かうところを狙われた、と事件について語り始めた。
「騎士に化けてたんだ……だから僕も信じてしまった」
「やっぱり、変装の魔術!」
「うん。それでサロンに誘導されちゃって。ロイクの伯父さんにも化けてたんでしょ?」
「多分そうだわ」
「アリサは、どうして僕のニセモノって分かったの?」
「だって」
思い出すと、また笑いがこみあげてしまう。
「きっと、目で見た特徴にしか化けられないのよ」
「どういうこと?」
「だって、オーブリーはとってもぱっちりして可愛い目なのに、彼は糸目だったわ」
「え!」
「飛び跳ねた時に前髪が上がって、顔が見えた……え、もしかしてあれは」
「きっと、素顔だっ!」
アリサの背を、衝撃が駆け抜けていく。
「わたくし、バジャルドの素顔を、見た……?」
「サマーフ殿下が焦る訳だね」
「そうね……でもその前に、このお天気をなんとかしなくちゃ。雨に紛れれば逃げるのも楽だわ」
ばちばちと窓を叩く水音が激しくなってきた。
外を歩くには雨避けの外套を着るし、フードを深く被っても目立たない。
何よりも、これが毎日続いているのなら、皆不安で心細い日々を送っていることだろう。
オーブリーが、言いづらそうに口を開いた。
「良ければ、アルを匿っていた、てホルガー様が証言するって」
「反逆罪に、問われない!?」
「逆に、宰相閣下が問われてる」
「!」
「でも僕は、そのままでも良いんじゃって思う」
「オーブリー?」
「もうトリベールは大丈夫だよ。わざわざ男装しなくたって」
ポーラが、オーブリーの横で唇をキュッと噛み締めている。
「……そうね。でも、ちゃんと戻るってニコと約束したから。それに」
アリサは、自分の考えていることに自嘲の笑みを漏らす。
「聖女様の御心を、救って差し上げないと」
(愛と太陽の女神テラの恨みを、また買ってしまうだろうなぁ)
◇
絶対起こすな、とメイドにきつくお願いをしてベッドにダミーを入れたアリサは、またしてもオーブリーのローブに紛れてタウンハウスから出た。
馬車の中で泣きそうな顔をしたニコと再会し、「預かり物をお返しします」と眼鏡とウィッグを渡された。
「ありがと、ニコ」
「いえ……お着替えもこちらに」
「まあ、用意してくれていたのね。助かるわ。どうしたの、そんな暗い顔をして?」
「……俺たちのために、また男装すると仰るのなら。どうか無理はせず。俺もポーラも、アル様のなさりたいようにと願っているんです」
アリサの隣で、ポーラは小さくなって頷く。その背を、そっと撫でる。
「今まで、無理してるように見えていたのね。そうよね、必死だったから」
何がなんでも、トリベールを再興させる。
そのためにガムシャラに頑張ってきた。ロイクの依頼も、危険だと分かっていながら、報酬と公爵家との縁のために受けた。
「ニコは言ったよね。どこでも良いから三人で平和に商会をやっていきたいって」
「! 覚えてっ」
向かいに座っているニコの手を、身を乗り出してそっと握る。小生意気なストリートキッズを演じていた彼は、今や凄腕の事務員兼護衛だ。
「わたくしもよ。この王国で女性が商売をすることはできないじゃない? せっかく軌道に乗ったのだから、じゃんじゃん稼いで、出資者に還元しないと」
にやりとオーブリーを見ると、あは! と笑われた。
「そだね! 倍にして返してくれるんだもんね!」
◇
馬車が太陽神教会の王都本部の前に着くと、オーブリーとニコが先に降りて歩いていった。
窓のカーテンを締めてアリサは急いで着替える。ポーラが慣れた手つきで手伝ってくれた。
雨でも、教会の門は祈りに来る人々のため開かれている。
アリサがポーラを伴って屋根付きの渡り廊下を行くと、やがて本部の玄関が見えてきて、オーブリーとニコが困惑した様子で扉前に立っているのが分かった。
「ですから、いくらご友人であっても、聖女様とのご面会はできません」
取次の司祭の言葉を聞いたアリサは、オーブリーたちの背後から毅然と声を張り上げる。
「ならば、アルが来ていると伝えてください。それとも、博愛の女神を信仰する教会は、聖女様が友人に会うことすら拒否なさるか!」
「っ、しばし、お待ちをっ……」
扉を開けたまま、わたわたと奥へ引っ込んだのを見たディリティリオが、耳元で囁く。
『わあ、アリサ。オイラ、この中に入れないかもだヨ~』
「え!」
『聖魔法で結界があるんだもん~できればアリサもやめた方が良いネ』
「げげげ!」
さすが教会本部、と思うと同時に、思い至らなかった自分が情けなくなった。
――だがその心配も、杞憂に終わる。
「アル? アルッ! 生きていたのねっ!!」
泣き叫びながら、聖女が飛び出してきたからだ。
エリーヌはアリサに抱きつき、わんわん泣き出した。
「うあーん!」
「ご心配をおかけいたしました。命の危険があったため、処刑されたことにして、ホルガー様に匿っていただいておりました」
「ううううー! よがったあーーーー」
「わたしのような庶民に、もったいなきお言葉です」
「だってぇ、アルはぁ、たいせつな、おともだち、だもんんん」
まるで幼女のようだ、とアリサは思わずその頭を撫でる。密閉された社会で理想を押し付けられ、ただただ肯定されて生きて来たならば、こうなってしまうのも当然かもしれないと胸が締め付けられた。
「さあ、エリーヌ様。あなた様に泣き顔は似合いません。これだけ雨が降り続いたら、民は困ります」
「! ぐし、ぐし、そうねっ」
「それから、お願いがございます」
「ずびび、なあに! なんでも、言って!」
体を離してから、アリサは深く頭を下げた。
「コラリー様を、治療いただきたいのです」
エリーヌは一瞬息を呑んで、それから叫ぶように言った。
「っ、いやよ! だって、あの人たちのせいでアルはっ」
頭を上げたアリサは、首を振りいやいやと否定するエリーヌを困ったように見つめる。今後のことを思えば、個人的感情で人の命を操る経験など、させるべきではない。
アリサは肩に力を入れ、真摯に向き直った。
「こうして生きております。それに、エリーヌ様。あなた様は、この国の聖女でいらっしゃる。慈悲深い、尊い存在であるべきです」
「でもっ……アルまで、そんなこと言うの!?」
喜びから一転、絶望のような瞳で見つめられる。
アリサとて、エリーヌが聖女として教会に抑圧されて育ってきたことを、宰相補佐官執務室での雑談から把握している。それは、一方的に『黒魔女は悪である』と非難されてきたことと、大して違いがないように思われた。
「エリーヌ様は、心優しいお方です。憎しみで復讐するなど、似合いません。なによりセルジュ様は、そんなエリーヌ様のことを……お好きでしょうか」
「!!」
翠色の目いっぱいに涙を溜めたエリーヌは、歯を食いしばった。
「分かった。治すわ」
「はい! さすが、エリーヌ様です」
「……アルのためなんだからねっ!」
「あはは、嬉しいです!」
アリサは、心から笑った。本心で嬉しいと思ったからだ。すると、エリーヌも満面の笑みを浮かべる――いつの間にか雨は止み、空から眩しい太陽光が降り注いでいる。
傍らにいた司祭が瞠目し、それから石畳に両膝を突いて、涙を流しながら祈り始めた。
「なんと素晴らしいことでしょう! 聖女様のご慈悲を、この目で見ることができるとは! あなた様は、聖女様の聖なる使徒でございましたか!」
それには、アリサをはじめ、オーブリーたちも盛大な苦笑いをした。
(ごめんなさい。わたくし、中身は黒魔女ですのよ……)
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