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第二章 悪役は、ひたむきに奔走する
13話 これもまた、戦争
しおりを挟む翌日。
男装姿のアリサが王宮内を歩きロイクの執務室へ向かっていると、女性の言い争う声が聞こえてきた。
「わたくしを、誰だと!?」
「エリーヌ・アゼマ男爵令嬢。あなたこそ、わたくしを誰だと?」
「っ」
ピンクブロンドの聖女は、唇を噛みしめ俯いてしまう。
相手は金髪縦ロールのいかにもな貴族令嬢で、アリサはその顔に見覚えがあった。
(コラリー・ジョクス……!)
サロンで大暴れしたダミアンの妹にして、第一王子セルジュの婚約者候補のひとりに間違いない。
「聖女だかなんだか知りませんけど。王宮内では爵位の方が優先されましてよ」
それは正論だ。だがアリサはロイクの執務室で接しているうちに、エリーヌが非常に純粋な性格で、教会での修行も毎日がんばっていることを知ってしまった。我侭で無知になってしまったのは、周囲の大人たちの責任でもあると気づいたからには――トリベール侯爵家を下に見た発言も、王子の婚約者候補を蹴落とすための、教会の入れ知恵だった――庇いたいと思うのは自然だろう。
キャットファイトをどうすべきか逡巡している、周囲の近衛騎士たちにぺこぺこと頭を下げつつ、アリサはふたりに近づいていく。
「エリーヌ様、こちらにいらっしゃいましたか」
「アル?」
「ちょっと何よあなた。無礼にも程があるわね」
「あ! これは大変失礼をいたしました。わたくし、宰相補佐官執務室付き事務補佐でございます。エリーヌ様へセルジュ殿下より、先日のお茶会の件でお言付けを賜っておりまして。王宮において王族に関する連絡事項は、何よりも優先されるものですから。はい」
「うぐ」
おぉ、と近衛騎士からは感嘆の息が漏れる。なるほどその手があったか、である。
「大変申し訳ございませんが、エリーヌ様へはご足労をいただきたく。さ、こちらへどうぞ」
「ええ!」
エリーヌは、アリサの導きですぐにコラリーへ背を向けて歩き出した。
『ごきげんよう』をすっぽかしているが、それはそれでいっか、とアリサはエリーヌの背後で屈辱に震えるコラリーへ、内心ぺろりと舌を出す。
「ふう。さて、一体どうされたのです?」
だいぶ離れられたところで、歩きながら聞いてみる。
「えっとね、わたくし、殿下のお顔を見たくって。廊下を歩いていたらあの方が通りかかったのだけど……脇に避けて頭を下げろと」
「うえ~」
伯爵令嬢と男爵令嬢の爵位差は大きい。だが、そこまでするのは王族に対してもしくは、家同士の上下関係が明確な場合に限る。
「大奥じゃないんだから」
「おおおく?」
「あーいえゴホン。そんなの、しなくていいんですよ」
「ほんとう?」
「ええ。あんなの、ただの嫌がらせです」
「うえ~……あ、うつっちゃった」
「それは、ダメですね」
「うふふふ! あ、おことづけって?」
「あー。嘘です」
「え!」
「殿下に謝っておいてください」
「わかったわ! そうやって助けてくれたの、って言っておくね」
「いやそれはいいです」
「なんでよー」
「恐れ多いですよ」
エリーヌの言うことであれば「やれやれ、仕方ないね」で済ませてくれる計算であったが――
「ふうん。勝手に名前使われたのかぁ」
背後からいきなり本人が現れるとは、思わなかった。
「あ! セルジュ様!」
「やあ、エリーヌ嬢。彼は……誰かな?」
「えっとね、ロイクのところの人ですわ!」
アリサはぽかんとした後で、慌てて最大限の礼の姿勢を取った。
「ロイク・ヴァラン様の執務室付き事務補佐にございます」
「名前は?」
「アル、と申します」
「ふうん」
頭上の声が、尖っている。
普段は王子として、温厚で柔らかい態度を貫いているセルジュが、なぜこのような態度なのだろうか? とアリサは必死に考える。
「エリーヌ嬢と、ずいぶん親しそうだね」
(わかった! これ、ヤキモチだ!)
「親しいなどと。大変恐れ多いことにございます」
「アルは、賢いのですよぉ。色々教えてくれてるのですぅ!」
「へえ。例えばどんな?」
「お手紙の書き方とかぁ」
「手紙? ……私への、もかな?」
(ぎえええええ)
「で、殿下。恐れながら」
「なんだ」
「エリーヌ様の、殿下への愛情あふれるお言葉の数々を拝見させていただき、誠に感銘を受けました」
「!」
「事務補佐として、わたくしの知る範囲でご助言を差し上げただけにございます」
「うふふ。あのね、ちゃんとした言葉で書いた方が、たくさん伝わるよって教えてくれたんですぅ。お恥ずかしいですわぁ」
薔薇色に染めた両頬に手を添えつつ、クネクネするエリーヌを見て、セルジュは満足したようだ。
「ごほん。そうだったのか」
「それにね、さっきぃ、コラリー様にいじめられたのを、アルが助けてくれたんですぅ。殿下のお名前でっ!」
「ほう」
ますますご満悦の表情になったセルジュに、内心ほっと胸を撫でおろす。
「はい、あの、勝手ながら……」
「良い。これからも、エリーヌ嬢を支えてやってくれ」
「は」
セルジュは上機嫌で肘を差し出し、エリーヌもそれに腕を絡ませどこかへ立ち去って行くのを、礼の姿勢のまま見送った。
王宮内も、別の意味で争いが絶えないものだな、とアリサは身の引き締まる思いをした。
そして、セルジュの態度で確信する。
コラリー・ジョクスが王子の婚約者になる目は、無いに等しい。
そうだとしても、あの自信に満ち溢れた態度は何なのだ、という疑問が残る。
伯爵家とはいえ、王子本人の意向と『聖女』というこの国唯一無二なブランドをくつがえすのは、容易ではない。
考え事をしながら執務室で仕事をしていると、自然と溜息が出てしまっていたようだ。ロイクに見咎められた。
「どうした、アル」
「すみません、ロイク様。たった今このようなことがありまして」
「……それは……嫌な予感がするな」
「同じくです」
あれほど態度がデカくなるには、相応の後ろ盾があるに違いない。
ロイクもアリサと同じ考えのようだ。ペンを止め眉根を寄せると、低い声を発した。
「セルジュ殿下の婚約者決定時期が未だに不明なのは、やはりおかしい。隣国対応も、方向性すら下りてきていない」
「やはり、秘匿されている何かがあるのでは」
「宰相補佐官の権限に限度はあると言っても、妙だ。とはいえ、あまりバルナバスを使っても、警戒され余計な火種を生むだろう。辺境は王都から遠い分、猜疑心を持つ者もいる」
「ならばロイク様。わたしを宰相執務室へ推薦してくださいませんか。もはや潜り込むしかありません」
しん、としばらく沈黙が流れる。
ロイクが机の上に両肘を突き、手を組み苦悩する。
「……アル、それは命懸けになるぞ。俺の権限では、何か起きても……貴様の命を救えないかもしれん」
「承知の上です」
「中の情報だけでも足りない。貴様が言った通り、外でダミアン・ジョクスが暗躍しているというなら」
隣室から資料を持ってきたニコが、どさりとそれを執務机に置いてから肩を竦めた。
「てことは、そっちは俺の出番ですねえ」
「ニコ!?」
「……危険すぎるぞ」
「正攻法じゃ無理なとこまで来てますって、ロイク様。路地裏から探るので、軍資金ください」
にこにこ笑顔でしれっと差し出すニコの手のひらへ、ロイクが懐から小さな巾着を出して乗せた。ちゃりん、と軽くない音がする。
「五日戻らなかったら、警備隊を介入させるからな」
「情報持ち逃げなんて、しませんて」
「どうだか」
「ニコッ!」
止めようとしたアリサへ、ニコは笑顔を向ける。
「アル様。俺の夢はね……どこでもいいから、商会の三人で平和に暮らすことなんですよ。アル様も絶対無理しないでください。では、いってきます」
不安に震えるアリサの耳に、ディリティリオが『心配だから、オイラの一部、くっつけといたヨ~』と囁いてくれ――ようやく安心した。
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