上 下
29 / 32
第四章 天使くん、別れを告げる

28.眠る巨人は決意する 前

しおりを挟む


 ユキ>>『アンジ?』
 ユキ>>『また寝てるの?』
 ユキ>>『心配だよ』
 ユキ>>『なにか、あった?』

 スマホの画面の中。未読で積みあがっていく僕の一方的なメッセージは、何度見ても変わらない。
 アンジからは、まったく返事がないどころか、既読さえ付かない。

 いよいよ不安になった僕は、アンジの家に直接行こうと自分の部屋を出たところで、はたと立ち止まる。

「アンジの、家? どこだっけ……」

 思い出そうとしても、分からない。
 そもそも知っていたのだろうか?
 なぜ知っていると思い込んでいたのか?

「え? ちょっと待って」

 昨日、姫川さんと白崎さんと三人で、トワのお見舞いへ行った時のことを思い返す。
 ふたりとも――トワまでも、アンジがいないことについては、何も言っていなかった。
 今までなら、「アンジは?」と誰かは聞きそうなのにも関わらず。
 
「え? え? いやまさか、そんな」

 冗談みたいなことを、僕は考え始めている。
 
「きっとたまたまだ。うん。あ、お見舞いに行こう、そうしよう」

 ぶつぶつと独り言を吐きながら、僕は家の中の階段を降りていく。
 僕のバイクには車検義務はないものの、白崎さんのお兄さんのところでメンテしてもらっていて、今日はバスで動かなければならない。
 
「お見舞い、行ってくるね」

 リビングで三時のおやつを食べていた母親に声を掛けてから、僕は玄関を出る。
 春を迎えた庭先で、プランターの中のパンジーが風に揺れていた。

 胸騒ぎが止まらない。
 そんなバカなことがあるだろうか。

 ――アンジはそもそも、存在していたのか? だなんて。考えるだけでバカバカしい。
 
 駅のターミナルから、市立病院行のバスに乗る。
 最後尾の長椅子に腰かけてから、僕は必死に、アンジとどうやって友達になったかを思い出そうとしていた。
 二年になって文系と理系に分かれたクラスでは、姫川さん以外見覚えのある顔はほぼいなかったはずだ。
 
 中学以来ずっと人間不信だったこの僕が、なにもなしに、アンジとことがあるだろうか。

 いや、ない。

(キレイな反語だあ)

 僕はバスの最後尾で、頭を抱える。
 
(そうだよな、ありえないよな)

 今まで疑問にすら思わなかった。
 当たり前に側にいたから。
 でも今思えば、それが逆に不自然すぎる。姫川さんも、普通なら「ユキくんに新しい友達!?」と驚くはずだ。
 
 考えれば考えるほど、ドツボにはまっていく。

(いやいや、忘れているだけだってば)

 ふん、となぜか気合を入れてから、僕はバスを降りた。

 ◇

 春休みだからと自由に動ける、平日の夕方。
 入院棟は閑散としていて、看護師さんたちはみんなでどこか別の場所を巡回しているのかと思うぐらいに、姿が見えない。
 
 僕は顔見知りが多くなったし、勝手知ったる身だし、と迷うことなくトワの病室へ向かう。
 トワの母であるナナエさんがすぐに泊まれるようにと、個室へ移っていたので、遠慮なくノックをして扉をガラガラと開ける。

 夕日の差す窓際は、カーテンが開けっぱなしで、静かに来客用ソファーのあたりを焼いていた。

「天使くん?」
 
 ――人の気配が、全くしない。

「っ」

 僕は慌てて個室の中へと踏み込むと、目隠し代わりのカーテンの中へ体を入れた。
 真っ先に視界に飛び込むのが、大きめのベッドだ。
 脇には、テレビや冷蔵庫などがあるキャビネット。部屋の片隅には、おまけみたいな小さなクロゼットと、その隣に洗面台。

 トワが、ベッドの上で静かに寝ている。

 その枕元に――アンジが立っていた。修学旅行で、みんなでリンクコーデした時の格好だ。

「アン、ジ」
「ふむ……

 なんて?

「深く関わりすぎた」
 
 無表情でこちらを見ているその顔は、まるで見知らぬ他人みたいだ。

「なに、言ってるの?」
「……そうか、しかもよこしまな心が少ないからだな。なるほど」

 ひとりで納得したようなアンジが、僕に向かって一言、
「すまない」
 と放った。
 
 一方的な謝罪は、僕に混乱しかもたらさない。
 
「いや謝られてもさっぱり意味わかんないよ! ちゃんと説明しろよ!」
 
 思わず大声を上げてしまった、と慌ててトワの様子を見ると、まぶたがピクピクと動いた後で、ゆっくりと目を開いていく。
 天井を見てから、目線だけ動かして室内を確認したトワが、僕の姿を捉えた。
 
「ユキ……?」
「ごめん! 騒がしくして!」
「だいじょうぶだ。アンジは……天使だから」
「え?」

 ふっと笑った後で、トワは電動ベッドのボタンを押す。
 ウイイイインと作動音がして、頭の部分が持ち上がっていく。
 上体を起こしたトワが、口にはめていた酸素を送るためのプラスチックカップを外してから、僕をまっすぐに見据えた。

「ボクに役目を引き継ぐため、側にいてくれたんだよ」
「なに、言ってる?」

 混乱するしかない僕の目の前で、アンジの眉尻が下がった。
 
「そうか……わかっていたのか」
「うん。死期の近い人間に、翼は隠せないみたいだよ」
「なるほど」
「ちょっと! 待ってよ!」

 アンジが天使で、トワに役目を引き継ぐ?
 何を言っているのか、さっぱり分からない。

「ユキ。初対面の後、ボクがいきなり変わった、と思っただろう」
「っ……うん」

 はあ、はあ、と大きな息継ぎをしながら、トワがゆっくりと話すのを、僕は色んな言いたいことを我慢して聞くことにする。

「自暴自棄だったボクに、死んだ後の役割を与えてくれたんだ」

 トワのセリフに合わせるように、トワの枕元に立っていたアンジが動いて、僕の方に歩いてくる。
 天使だって?
 得体の知れない怖い顔の存在は、悪魔にしか見えない。

 そんな僕の心が見えたのか、アンジは困ったように片眉を上げてから――ばさり、と大きな翼をはためかせた。

「っ!」
「次はボクが……」
「ふっざけんな! 今まで! そのために! 利用していたのか!?」

 この際天使なんか、どうでもいい。

「天使になるためにっ、僕を……」
 
 僕の胸の中を焼くように覆っているのは、『また裏切られた』という怒りと悲しみだ。
 
「信じてたのに……!」

 僕の両眼からは、ボタボタと壊れた蛇口のように涙が溢れ出す。

 ――ああやっぱり、誰も彼も、僕の心なんてどうでも良いんだ。利用するだけ利用して、去って行く。

「ユキナリ。それだとそいつは、天使になれない」
「え……」

 突如としていつも通りのアンジに戻った天使の目が、僕の心を射抜いている。

「お前には分かっているはずだ。利己的に自身の願いを叶える者が、善人を正しく導けるはずがないだろう。なれたとしても、道に迷う。トワは、そういう奴だったか?」
「……っ」

 僕の思い出の中のトワは、いつだってまっすぐで――

「誰かのために、動く奴だ!」

 叫ぶように言った僕に、アンジは深く頷いた。
 
「そうだ」

 僕とアンジのやり取りを見守っていたトワが、微笑んでいる。

 満足そうに。

 もう、思い残すことはない、みたいな穏やかな顔で。

「天使、くん?」
「……っく」
「天使くんっ!!」

 トワが、苦悶の顔で胸の辺りを抑える。
 やがて、トワに付けられているモニターが、けたたましくアラートを鳴らし始めた――
 
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

絢と僕の留メ具の掛け違い・・

すんのはじめ
青春
幼馴染のありふれた物語ですが、真っ直ぐな恋です  絢とは小学校3年からの同級生で、席が隣同士が多い。だけど、5年生になると、成績順に席が決まって、彼女とはその時には離れる。頭が悪いわけではないんだが・・。ある日、なんでもっと頑張らないんだと聞いたら、勉強には興味ないって返ってきた。僕は、一緒に勉強するかと言ってしまった。  …

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...