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第四章 天使くん、別れを告げる

25.天使の縁(えにし)

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 矢坂やさか幸成ゆきなりという人間は没個性で、教室の片隅で静かにしていたら、誰にも気づかれない。
 ゲームは好きだけど、上手うまくはない。食べ物は好きだけど、こだわりはないし、作れない。
 バイクは、便利だから乗っているだけで好きってほどではない。成績は知っての通り、ド真ん中。

 つまり、特技は別に何もない。
 
 三ツ矢はあんなだけれど、押しが強いしガタイはいい。元野球部エースで運動神経があり、勉強はあまりできない。
 ガサツで言葉遣いも悪いけれど、それが好きだという女子は一定数いる。
 姫川さんは優等生で、白崎さんはギャル。
 トワは天使で、アンジはそれを守る眠りの巨人。
 
 じゃあ僕はというと――ただのユキナリ。

 いままでの僕は『ただのユキナリ』であることで、言い訳をしていたんだ。
 僕が何を願っても、祈っても、きっと何にもなれないと無意識に全て諦めていた。

 気づかせてくれたのが、トワだ。

「普通だなんだと言うけどな。ユキがいなかったら、文化祭は成功しなかったぞ?」
 
 トワの病室。
 ややこしい英文を日本語に訳している僕の横で、トワはつらつらと独り言のように思い出話をする。
 現在形と現在完了形って一体なにが違うというのだろう。別にどちらでもいいじゃないか。
 
「いやいや何をおっしゃいますやら、天使さん。文化祭の立役者は、あなた様でしょうに」
「それは違うぞ」

 トワが膝の上で読んでいる文庫本は、女用心棒が特殊なモノを宿した皇子を助けて旅をする、という長編ファンタジーだ。
 僕も、薦められてシリーズの一巻目を借りて読んでいるところだ。トワの膝にあるのは最終巻で、もう何周目か分からないらしい。

「ああいうイベントごとは、やりたい奴とそうでもない奴が二極化するだろう」
「あー、うん」

 違うクラスの『気合入りすぎた女子』の怒鳴り声が、廊下に響き渡っていたのを思い出す。
 
「ユキがいてくれたおかげで、そうでもない奴らも淡々とやってくれたんだ」
「そう?」
「ユキはいい意味でフラットだ。どこにも属さず、誰にも迎合げいごうせず調整するし、ボクや姫川さん、白崎さんに意見もする」

 残れないとか、ひとりは嫌だという人を調整する時。頭ごなしに困るとかダメだとかでトラブルになりかけるケースがあった。
 だから僕は、その人が作業予定のパートを確認して、配置換えをしたり、ひとりが嫌なら家に持って帰ってやれるものを渡したりした。
 
「そうでしたね」
「だからボクは、ユキにはいろいろな人の声を聞く仕事が向いていると思う。教師や警察官だな」
「役人も向いてるってことだね。完全に、遺伝だあ」
神職しんしょくも向いているぞ」
 
 びく、と僕の肩が跳ねる。

「淡々と毎日の奉仕ほうしを行い、地域住民の声を聞き、儀式を取りまとめる」
「いやいや何言ってんの」
「背中を押してやろうかと」

 にやり、と天使がベッドの上で笑っている。

「……まさか、母さんに余計な事聞いた?」
「茶飲み友だちだからな」
「くっそ、エリコぉ! 口軽すぎだろ!」

 僕は、あやうく英語のテキストをぐじゃぐじゃにしそうになった。

「可愛いじゃないか。『あーちゃんとけっこんして、かみさまのおせわをする!』だったか」
「うるっさい」

 四歳児の戯言たわごとをいつまでもいじるのも、母親の悪いところだ。

「覚えてるらしいぞ。四歳の約束を」
「は?」
「姫川さん」
「はあ!?」

 病室にあるまじき大声を出してしまったので、たまたま通りかかった看護師さんに「しー!」と怒られてしまった。
 慌ててぺこぺこ頭を下げておく。

「……あんな美人で才女が、僕なんかとどうこうなるわけないでしょうに」
「そうか? とても信頼しているだろう」
「信頼とソレとは、違います」
「ん? ということはユキの気持ちは?」

 ――やべ。

「うおっほん。いやそんなことより、時限爆弾の話、教えてくださいよ」
「お、うまく話をそらしたな。ユキ」

 イヤミ天使、ここに極まれりだ。

「あーもう! だから! サイダー爆弾っ! どうなったんすか!?」

 三ツ矢家に仕込んだのを『サイダー爆弾』と呼ぶだなんて、すごいセンスだよね。
 僕は非常に複雑な顔で、あのペットボトルを見てしまうようになってしまった。
 
「くっくっく。安心しろ。もうすぐ爆発する」
「まっじか、はっや!」
「ミキさんには、資金も十分あるからな。ボクが協力したのは、証拠集めぐらいさ。弁護士先生に手付金払ったらもう、締めだ」

 ミキさんというのは、三ツ矢の母親の名前だ。
 トワには、同級生よりママ友の方が多いんじゃないか? というぐらいに不思議なネットワークができつつある。

「うーわあ」
「残念だが、三ツ矢が高校卒業できるかも怪しいだろう」
「え、そんなに?」
「相手の事務員、会社の経費の使い込みも発覚だ」
 
 ひゅん! と僕のお腹の底が一瞬にして冷える。
 こんな狭い田舎ネットワークでそんなことが発覚した日には、三ツ矢父もその女性も、この辺にはもう住めないだろう。

「慰謝料と会社資産の補填ほてんができるとは思えんが。社会的制裁は十分与えられるはずだ」
「え。天使じゃなくて悪魔なの?」
「ククク……そうかもな」

 英語のテキストから顔を上げると、天使の横顔にうれいが見えた。
 
「もしかして。三ツ矢のお母さんて、三ツ矢のこと……引き取らない?」
「ああ。そりゃそうだろう。バカにしては叩いたり蹴ったりしていたらしいからな」

 ――ほんのわずかな同情心、消え失せりだ。

「終わったね」
「ああ。終わりだ」
 
 僕はたちまち不思議な気持ちになる。

 三ツ矢が僕を殴らなかったら、ミキさんは僕の母と出会わなかった。
 僕の母と仲良くならなかったら、トワとお茶を飲むなんてことはなかった。
 トワと話して、「それって楽に訴えられそう」と言われて、決意をしたのはミキさん本人だけれど、なんだか全てが天使くんの仕業しわざに思えてならないのだ。

「……まじで、天使?」
「ん? まだ修行中だ」

 なんだか本当に、祈りたくなった。
 
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